03 墓守のヘルミーネ
飛行魔布に乗って上昇する。
屋根を越えようというときにコウメイとシュウが飛び移ってきた。
サークレットを外したシュウは、耳と鼻に意識を集中させ、異変を嗅ぎ取ろうとしている。アキラの肩に手を置いたコウメイが、続弾の気配はあるかとたずねた。
「いや、魔力が高まる気配も、集まる様子もない」
「一回目は一発、二回目が一週間後に四発、三回目がその半日後に一発だ。厄介だぜ、周期が読めねぇ」
「アキラ、あっちだ、ザワザワしてる」
シュウの声に促され、急ぎ森を俯瞰できる高さに上昇する。
指し示された方角に、小さな炎が見えた。
「遠いな」
「西の国境山脈が近いぜ。火は大きくなさそーだけど」
夜闇に炎は目立つ。
家から遠いのは助かるが、森の西奥は凶暴な魔物が多い。火に追われてこちらに移動されては厄介だ。
魔布の速度を上げるアキラは、横にいるコウメイに紙束を押しつけた。
「コウメイ、これを使え」
「魔紙に、魔術陣?」
「細かな水弾を同時発動させる魔術陣だ。広範囲にスコールが降るような形で発動するように試作してみた」
もし続弾が襲ってくれば、アキラはそちらの対処にかかりきりになる。消火は任せる、との短い言葉に、コウメイはしっかと魔紙を受け取った。
「使い方は?」
「死神の魔剣と同じだ」
「つけた覚えのねぇ名前で呼ぶなって」
だが使い方はわかった。魔紙に魔力を注ぎ込めば、消火にふさわしい水弾魔術が勝手に発動するのだろう。おそらく威力の調整は、注ぎ込む魔力量だ。
「試作だから制御がキツいかもしれない。消費魔力量も読めないが、錬金薬はたっぷり持ってきているから安心しろ」
「俺で実験すんなって」
魔紙の束を数えて苦笑いのコウメイは、万が一に備え、アキラの腰鞄から魔力回復薬を数本抜き取って、胸ポケットに収納した。
速度を上げた飛行魔布は、見る見るうちに火災現場に近づいた。
もくもくと煙をあげているのは、湖にほど近い数本の木だ。なぎ倒され燃える木々から火花が散り、周囲の枝に燃え移ろうとしている。
「この程度なら俺でも何とかなりそうだ。練習させてもらうぞ」
コウメイは受け取ったばかりの豪水弾魔紙を握り、火災現場に狙いを定める。剣に魔力を込めるときと同じように、火の強さに合わせて注ぎ込む魔力を量ってゆく。
一度、二度と注ぎ足し、魔剣より五割増しの魔力量をつぎ込んでようやく、豪水弾魔術が発動した。
「水弾は魔力が供給されている限り止まらない、気をつけてくれ」
火災の真上から大粒の水弾が豪雨のごとく降り注ぎ、火の威力を弱めてゆく。
「くぅ、これ、キッついぜ」
コウメイは鎮火を確かめながら魔力量を調節し、水弾の範囲を狭めていった。
すべての火を消し終え、魔力の注入を止める。
脱力感と疲労感でコウメイの膝が崩れた。飛行魔布にひっくり返ったコウメイの息は荒い。
アキラはコウメイの拳から使用済みの魔紙を回収した。
火に炙られたように真っ黒なそれを丁寧に調べ、二度目の使用には耐えられそうにないと判断する。複数回の使用を想定して作ったつもりのアキラは、眉根を寄せて悔しげにこぼした。
「魔紙の強度不足? 術式に無駄があったのか?」
「ふぅ……結構持ってかれたぜ。アキ、これもうちょっと省力化できねぇのか?」
「……慌てて作ったからな。戻ったらすぐに改良する」
一度しか使えないのでは費用対効果が悪いし、何よりコウメイへの負担が大きすぎる。できるだけはやくリンウッドに意見をもらう必要がありそうだ。
黒焦げの魔紙を腰鞄におさめ、見逃した火種はないかと夜闇の森をのぞき込む。
そのときだ。
チリ、と。
アキラは背肌に奇妙な痛みを感じた。
「まさか……」
振り返るアキラを、シュウの叫びが追いかける。
「火弾だーっ!!」
夜空を裂いて、巨大な火の塊が出現していた。
彼らの頭上高くに出現した火弾は湖畔の森へと落ちてゆく。
「氷盾で受け止める。コウメイはソレで援護を!」
落ちる寸前に止められればと、アキラは落下予測地点へ飛行魔布を向けた。
チリリ、とした痛みが増したような気がする。
「アキラ! もう一個くる!!」
シュウの声で空を仰ぐと、新しい火弾の軌跡が東に向かっていた。
「家の方角だ!!」
瞬間、湖に落ちる火弾を無視し、飛行魔布を急転回させる。
コウメイとシュウが振り落とされまいとしがみつくほどの猛スピードで、我が家に向かう火弾を追った。
「もう少し、あと、少し!」
魔力の届くギリギリまで距離を詰め、杖を標的へ突き出した。
「氷盾!!」
先へと放った氷の壁が、火弾の前に出現する。
ぶつかり、亀裂が走った。
火弾が止まっていたのは、ほんのひと呼吸にも満たなかった。
ひび割れた氷壁が砕ける寸前、シュウが跳ぶ。
「クソッタレ――!!」
両手で握った不壊の剛剣を、渾身の力で振りおろす。
火弾が真っ二つに割けた。
剛剣に打ち落とされた火弾の片割れが真下に落ちてゆく。
だが残る片割れは、依然彼らの家へと向かっていた。
「アキ!」
飛行魔布では追いつけない。
魔力の炎を消すには、同じ魔力の水だ。
「水弾!!」
アキラの絞り出した水弾が炎の軌跡を追う。
追いすがる水弾によって、撒き散らされる炎がしだいに威力を弱めてゆく。
だがそれでも完全には消しきれない。
コウメイは豪水弾の魔紙を使おうと懐に手を入れた。
その視界の端に、不穏な輝きがチラついた。
湖畔のあたりで新たな火弾が出現し、彼らを巻き込む勢いで迫ってるのだ。
「アキ、伏せてろ!」
前方の火弾へ新たな水魔術を放とうとするアキラの代わりに、コウメイが魔布の端をつかんだ。
火弾の進路から逃れるべく、強引に方向を変える。
反るように回転した飛行魔布の端を、後方からの火弾がかすめた。
予期していない動きに、アキラの制御が途切れる。
「あ――っ」
「つかまれ!」
空中に放り出されたアキラを掴み寄せ、コウメイは葉ぶりの良い雑木を狙って落ちた。
背中を丸め、頭をかばう。
狩猟服のあちこちが割けたが、なんとか枝葉のクッションに落ち着いた。
「ってぇ……アキ、生きてるな?」
「なん、とか」
多数の擦り傷や打撲痛はあったが、骨折や大きな裂傷はない。
「火弾は?!」
「近くに落ちた様子はねぇぜ」
衝撃音も、破撃波も感じない。
二人が引っかかっている木はそれぼど高くなく、遠く離れた家の様子はうかがえない。
木を下りた二人は、落下直前に手放した飛行魔布を探し出し、空に戻った。
「おーい、こっちだ」
木々の上に出ると、てっぺんにしがみついて待ち構えていたシュウが二人に手を振っていた。
「火弾はどうなった? 家は?」
「後ろから追っかけてきたデッケーのが飲み込んで、そのままずーっと東に飛んでったぜ」
魔布に飛び乗ったシュウは、ハリハルタの東にそびえる山を指さした。
遠く暗い空に、かすかに灯火のような炎が見える。
山頂近くに着弾し、周囲を焼いているのだろう。
三人は西の湖畔を振り返った。
消火直後に二発目が落ちたはずの湖畔に、炎の気配はない。
「一発目は湖畔に落ちて、二発目もその近く、三発目をシュウが斬って、東の山のは四発目――だよな?」
コウメイが指折りたずねると、アキラは目を細めた。
「二発目が落ちた衝撃はあったか?」
「どーだろ? 気にしてる余裕なかったからなー」
西を見据えるアキラの表情が厳しくなる。
「……魔力が出現する気配を感じなかったんだ」
一つ目は森を焼くまで気づかなかったが、距離があったからだろう。
二つ目は直上で、チリチリと魔力の気配を痛むほどに感じた。それを阻もうとしたところに三つ目が出現した。痛みが増したのがそれだろう。
大切な人と家を直撃すると判断して二つ目を放置し、三つ目の威力を削いだが止められず。
そこに四つ目が現れ、シュウによれば三つ目を飲み込んで東の山脈に着弾したというが、アキラは何も感じなかったのだ。
「気になるなら確かめに行こうぜ。四発目は二発目の落下地点あたりから撃たれたのは間違いねぇんだ」
無言で頷いたアキラは、飛行魔布を西に向けた。
シュウはしっかりと立ち、剣を構えた。コウメイは豪水弾の魔紙を用意する。
アキラが灯火を地上へとおろした。あちこちへ動かして森の様子を確認してゆく。
「この辺りだが……火は見あたらないな」
「俺が消火した痕跡しかねぇぜ」
「あんなデッケーのが落ちたんだ、何もねーなんてありえねーって」
アキラは灯火を森から湖へと移動させた。
「あれは四発目ではなく、二発目だったのかも……」
「落ちる前に、進路が変わったってのか?」
「兆候を感じなかったんだ」
シュウの勘が獣人族の本能的なものだというなら、己の魔力感知の力もエルフの本能のようなものだ。疑えば危険に気づかぬままになりかねないとアキラが主張する。
「湖畔に弾き返す何かか、打ち返す誰か、か……誰かでなければよかったんだがな……」
飛行魔布から見下ろした湖畔に、人影が見えた。
灯火に照らされて鈍く輝く銀紺の髪と、長く尖った細い耳。
「ヘルミーネさんだっけ」
「エルネスティのかーちゃんじゃん」
「……エルフ案件、確定か」
逃れよう、近づかないようにしよう、と抗っていたがすべて無駄だったのだ。
すでに巻き込まれていたらしいと知って脱力するアキラの肩を、コウメイとシュウが励ますように叩いた。
「えろう高いところから見下ろしよって、ムカつくやっちゃな。失礼やろ、はよおりてこんかい!」
湖畔から怒鳴られて、アキラは慌てて飛行魔布を降下させた。
ゆらゆらときらめく湖面を背にした銀紺のエルフは、魔布から下りたのがアキラだと知った途端に叱りつけた。
「あんたら、なんでここにおんのや!? 地下潜っとけ言われとるやろ!!」
「……言われていませんが?」
さすがにむっとして返したアキラに、銀紺のエルフは「サカイはどないした?」と問い詰める。
「医者とともに地下へ避難させました」
「なんでジブンらも避難せんのや?」
「突然馬鹿デカイ火弾が降ってきたんですよ? 我が家を守ろうとするのは当然じゃないですか」
「雛のくせに生意気やわぁ。弟子なんやからちゃんと師匠の指示に従わんかい。状況も見極められへんて、まだまだ修行足りてへんわ、ウチが鍛え直したろか?」
「アレックスの指示?」
そんなのあったか? とコウメイとシュウが顔を見合わせた。
「あー、もしかして、地下に行けってヤツか?」
「あれを避難しろって読むのは無理がありすぎるだろ」
問い合わせに対する返答だったのだ、説明に来るという意味と受け取って当然だ。
「ヘルミーネさんでいらっしゃいますよね?」
「せや。ジブンはアレックスの弟子の――」
弟子ではない、と主張して無駄な時間を費やす暇はい。
「アキラです。その状況とやらがさっぱりわからないので伺いますが、あの火弾はいったい何事です? どうして私たちの家を狙うのです?」
「狙っとるんやないんよ。昔ウチがここに道をつないどったんが原因で、ここら一帯に漏れ出とるんや」
「……そのあたり、詳しく説明いただきたいのですが」
「ちんたら話しとる余裕あれへんのやけど」
「サカイさんの治療と保護の対価です。事情の説明くらいしてもらわないと割に合いませんよ」
「アルの弟子は細かいんね」
「あなたたちが大雑把すぎるだけです」
「んー、そやなぁ、ウチもちょっと休憩したかってん。ちょお手ぇ貸してくれる?」
「あ、おいっ」
阻もうとしたコウメイを魔力の盾で弾き飛ばし、しっかりとアキラの手首を掴んだヘルミーネは、空いた側の手で素早く魔術陣を描きだした。
騒いでいるコウメイとシュウを横目に、アキラは夜空に浮かぶ繊細かつ複雑なそれに見とれた。その間にも魔力は強制的に引き出されてゆく。彼女が構築したい魔術を把握したアキラは、自分の魔力ではとても足りないと青ざめた。
「そない心配せんでええて。ウチはレオやアルみたいに無茶振りはせえへんよ」
だれがその言葉を保証するのかと返しかけて止めた。耳飾りを外したアキラの魔力量の半分を奪ったところで、言葉通り魔力供給が止められたからだ。
「……遮蔽、いえ、結界ですよね?」
「せやねん。ウチの魔力でも足りるんやけど、あとのこと考えたら残しとかな不安やねん」
「何が不安なのか、是非ともお聞かせいただきたいですね……」
楽しい話でなはいだろうが聞いておかねばならないと、アキラは深くため息をついた。




