国境の街ナモルタタルの憂鬱
新聖歴六百九十九年、深魔の森でレッド・ベアのスタンピードが発生し、ハリハルタの北にある渓谷に作られた国境門が閉じられた。
閉まりゆく鋼鉄の扉の向こうに、安堵する兵士や冒険者が見えて、シュウは苛立たしげに舌を鳴らす。
「笑ってやがるぜ。腹立つなー」
「連中にとっちゃ、こっちは他国だからな。よそ事になるのも当然だろ」
「行こう。そろそろ本格的な討伐がはじまる」
国境門が完全に閉じたのを確認した三人は、ハリハルタへ戻る馬車に乗り込んだ。
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一昨年、ダッタザート辺境伯率いる東ウェルシュタントは、とうとうウェルシュタント国から独立を果たした。国境線を決める話し合いは長引いたが、最終的にナモルタタルを治める領主が西側についたため、ハリハルタ北の渓谷が国境となった。
スタンピード時にのみ閉鎖されてきた門がそのまま国境門となり、それを挟む南北の両国土に国境警備の砦が作られ、その周りに宿場ができ、と辺境だった地は少しずつ賑わいが増えつつある。
そんな時期に、深魔の森からスタンピードが発生した。
これまでなら、スタンピードの進行から北の地を守るため簡易門が閉鎖されても、ナモルタタルからの支援はハリハルタに送られていた。だが今回のスタンピードでは、門は終決までは決して開かれない。渓谷北からの支援は望めないのだ。
国境に駐屯するのは、リアグレンあたりから派遣された兵士らだ。彼らはスタンピードを間近にした経験が乏しく、レッド・ベアが湧いたと聞いて尻込みしている。目の前で退路が閉ざされたこともあって、今にも逃げ出しそうな様子である。
そんな彼らとは逆に、ハリハルタの冒険者ギルド長は強気だ。
「ナモルタタルの冒険者はのんびりした連中だからな、これまでの支援も雑用にしか使えない冒険者ばかりだった。慣れない者にうろちょろされるくらいなら、いっそ何もないほうがやりやすくて良い」
毎年のように発生する深魔の森のスタンピードを封じ込めてきたハリハルタ冒険者ギルドは、ナモルタタルからの微々たる支援など最初から期待していない。
「しかし、スタンピードともなれば近隣から冒険者が集まるのだ、食糧は不足するだろうし、錬金薬の消費も増える。物資はいくらあっても足りないのではないかね?」
「心配無用だ。立て続けにスタンピードが起きても耐えられる程度の備蓄はある」
ハリハルタやサガストの薬草の長期保存技術は、近年では魔術都市にも劣らない。また腕の良い薬魔術師とその弟子がおり、錬金薬の増量はいつでもできる。食糧についても、ハリハルタ周辺では納税品目ではない赤ハギの栽培が行われており、それらも数年分は備蓄されている。スタンピード討伐に不安はないと断言したギルド長は、尻込みする国境警備隊長に獰猛な笑みを向けた。
「あなた方の仕事は国境の警備だ。良からぬ者が国境を越えて我々を邪魔せぬよう、しっかり見張ってくれれば良い。スタンピードは我々ハリハルタが責任を持って潰して見せよう」
討伐現場をうろちょろして邪魔をするな、と釘を刺したギルド長は、レッド・ベア討伐対の指揮に戻っていった。
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閉ざされた国境門の北では、足止めされた人々がスタンピードの決着を待ち焦がれていた。
オルステイン国やサンステン国からの商隊は、砂漠を避けて大陸中央の街道を使いリアグレンやアレ・テタルに向かう。南北街道が封鎖されナモルタタルに足止めされた旅人らは、なかなか得られないスタンピードの情報に苛立っていた。
「昔も街道は閉鎖されたが、討伐の進み具合くらいは聞こえていたんだがな」
「ただの関所じゃない、国境になっちまったんだ、仕方ないよ」
ナモルタタルの宿屋は、南下したい商隊らによってどこも満室だ。普段は冒険者くらいしか泊まらないような安宿にまで旅商人が押しかけていた。
「俺たちはずっと泊まってた客だぞ。何で追い出されなきゃならない?」
「ギルドから苦情を入れてくれ!」
金を持った商人と、ツケの支払いが溜まっている冒険者、宿屋がどちらを優先するかは考えるまでもない。冒険者ギルドの名を出してツケを溜めていた冒険者や、部屋の使い方が悪く宿屋からの注意を無視している冒険者らが順番に追い出されていた。そういう厄介な者らが冒険者ギルドに押しかけ、宿屋をどうにかしろと詰め寄る。
カウンター職員に助けを求められて奥から出てきた副ギルド長は、銀縁眼鏡を指先で押し上げて、鼻息の荒い冒険者らを冷たく見据えた。
「ギルドから宿に苦情を入れる前に、こちらをお支払いください」
「あぁ?」
「あなたたちへの、複数の宿から利息付きの支払い請求です。冒険者ギルドが紹介した先で、ずいぶんと横柄だったようですね?」
宿の備品を破損させた弁済請求に、ツケ払いを強要したくせに未払いになっている宿代、さらに約束した期日に支払いを怠ったための利払い請求もしっかりと記録されている。
「宿を出されたのはあなたたちに非があるからです。筋違いの苦情を怒鳴り込んでくる前に、この借金をきっちり支払ってもらいますよ」
銀縁のギルド職員がパチンと指を鳴らした途端、男たちは屈強なギルド職員に囲まれていた。
「行政舎より腕輪も借り受けています。しっかり働いてくださいね」
借金奴隷の腕輪を鼻先に突きつけられた冒険者が、囲みを突破しようと剣に手をかけた。だが男らが剣を抜く前に、屈強なギルド職員がその腕を捻りあげる。
「ギルド職員への暴行罪も追加しておきます」
「暴行なんてしてないだろ!」
「剣に手をかけたのは何人も見ていますよ」
たとえ暴行罪がなくとも、男たちが借金奴隷になるのは確定だ。さっさと連れて行けと銀縁眼鏡の副ギルド長が手を振る。
「助かりました。けど珍しいですね。いつもなら淡々と処理するのに、あいつらを挑発するなんて、セリオさんらしくないですよ?」
「今がどういう事態か理解していない連中に腹が立ったんだ」
銀縁眼鏡を指先で押し上げる顔は、危機感で歪んでいた。後の処理を部下に任せたセリオは、この騒動で中座してきた会議に戻った。
「おう、お疲れ」
「どこまで進みましたか?」
「南の山沿いの調査結果の報告が済んだところだ」
セリオの席にギルド長から走り書きの板紙が三枚回ってきた。東ウェルシュタントとの国境線となる南山脈、そのふもとに広がる森が落ち着かないと複数の冒険者から報告があり、ギルド職員が調査していたのだが、その結果は「南南西の森にスタンピードの前兆あり」という危機感を煽るものだった。
「これは深魔の森のスタンピードと無関係とは思えませんね」
「国境線に縛られるのは人族だけだ。魔物や魔素にとってそんな線は意味がないからな」
しかもあふれる可能性の高い魔物はレッド・ベアだという。ナモルタタル南南西の森が、深魔の森にできた魔素溜まりに引きずられているのは間違いなかった。
「まだ兆しだ、急いで間引けば間に合う」
「討伐隊を派遣するしかないですね。ちょうど借金奴隷を得たばかりです、討伐隊に組み込みましょう。誰を責任者にしますか?」
「アランのパーティーに依頼するつもりだ」
「鋼と雷ですか。費用がかさみますが、仕方ないか」
剛腕の剣士と雷魔術を得意とする魔術師の率いるパーティーは、ナモルタタルにおいて最も実績を上げている。ギルドの信頼も厚く、こういった場合に真っ先に候補に挙がるのも当然だ。
納得したセリオが二枚目の板紙に目を落とす。
「東南東の森でもスタンピードの兆候?」
「そっちはゴブリンとオークだ。三枚目を見てみろ」
「西北の山で吸血コウモリの巣があふれそうになっている?」
セリオの顔色が変わった。一度に複数の場所でスタンピードの兆候が観測されるのはナモルタタルでははじめてだ。
「吸血コウモリはともかく、ゴブリンとオークへ派遣できる冒険者はいませんよ」
本来なら鋼と雷に頼むのだが、彼らにはレッド・ベアを討伐してもらわねばならず、並行して他地の討伐まではさすがに頼めない。
「ナモルタタルが西になっちまったのは痛かったなぁ」
ギルド長の言葉に、会議室のあちこちで重く深いため息が漏れた。
東と西が一つであったころ、ハリハルタとナモルタタルの間にはスタンピードに関わる協定があった。互いの管轄でスタンピードが発生した場合、物資と戦力を援助するという取り決めだ。これはナモルタタル側にずいぶん有利な協定だった。
深魔の森で発生したスタンピードへ物資と冒険者を送り込み、ハリハルタの熟練にナモルタタルの未熟な冒険者を鍛えてもらえるし、逆の場合はハリハルタから熟練が派遣され、討伐の主戦力となっていた。
街道沿いの交易都市の冒険者ギルドと、スタンピードが頻発する森の側にある冒険者ギルドとでは、抱える冒険者やギルドそのものの練度に大きな差がある。ハリハルタはナモルタタルの援助などなくてもスタンピードを鎮圧できるが、その逆は成り立たないとギルド長もセリオや他のギルド幹部も知っていた。
渓谷と山脈に国境線を引いたため、ハリハルタと結んでいた協定は破棄された。国が別れてまだ二年しか経っていないのに、その弊害が出ているのだ。
「ゴブリンは赤の旋風に、オークは五本の剣に声をかけましょうか」
「連中だけでは戦力に不安がある。かといって二組で討伐しろと言えば反発するだろうし。頭が痛いぞ」
どちらのパーティーも近年で急激に力をつけてきた。それゆえに自尊心が高く、他との協調に難があるのだ。彼らが自認しているほどギルドからの評価は高くないのだが、他が育っていないせいで驕りばかりが高くなっている。ゴブリンの巣の殲滅も、オークの群れの撲滅も、時間をかければ彼らにも達成できるとは思うが、今はその時間をかけていられない状況だ。
「どうします? 鋼と雷に連戦を頼みますか?」
「さすがに四箇所の全部は無理じゃないですかね?」
「いや、鋼と雷なら時間をかければ」
「だからその時間がないんですよ、今は!」
会議室に集まったギルド幹部らの焦りが濃くなる。兆候を防ぐ手立てすらままならないようでは、スタンピードが起きてしまったら、いったいナモルタタルはどうなるのか。
「近隣に救援を求めるしかないのではありませんか?」
「頼るとしたらアレ・テタルだが、あそこも今は難しいぞ」
先代ギルド長のころは統率が取れており、魔法使いギルドとも協力関係にあった。だが現在のギルド長は日和見に偏りがちで、今は特に王家の目が光っている。要請してものらりくらりと逃げをうたれるだろう。
「……ギルド長、確かハリハルタのベイジルさんと旧知でしたよね?」
「ああ、ヤツか。今は副ギルド長になってるはずだが」
「国が違ってしまったので組織としては助けを求められませんが、ギルド長個人としてなら連絡できるんじゃありませんか」
「スタンピードの真っ最中に、腕利きを何人か借りたいってか? 莫大な依頼料をふっかけられるぞ。誰が払うんだよ」
ナモルタタルの名前を出せないのだ、領主の支援は得られないし、ギルドとしても表向き金を出すことができない。ギルド長自身もそんな大金は持っていない。
「そこはクリフがどうにかします」
「よし、それならスタンピード前に何とかできるぞ」
監査で引っかからないよう上手く誤魔化せと笑顔で命じられた金庫番は真っ青だ。
ナモルタタルを守るためだ、何とかならないし、どうにもしたくないとは言い出せない。覚悟を決めた金庫番は、裏帳簿作りをはじめたのだった。
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ナモルタタル冒険者ギルド長デリックは、伝達の魔道具でこちらの窮状を伝え、急ぎ腕利きの冒険者の派遣を依頼した。国境が封じられているため、山越えのかなり厳しい派遣になる。依頼料は破産覚悟の破格を提示した。それが良かったのかすぐに腕利きパーティーを派遣すると返事があった。
「近いので南南西のレッド・ベアを討伐してからナモルタタルに寄るそうだ。その時点で討伐できていない場所を指示してくれれば、そちらも引き受ける、と言ってきた」
「もしかして金を積み過ぎましたか? いったいどんな大群を派遣してくるんです?」
「三人だ。ハリハルタ一番の剣豪と上級魔術師、それと剛腕だそうだ」
その組み合わせには覚えがあった。噂に聞くハリハルタで最も強い冒険者パーティーではなかろうか。そんな凄腕が、地元のスタンピードを放り投げてこちらにやってくるのか。
「……破産の覚悟が、覚悟じゃすまなくなりそうですね」
「仕方あるまい。借金は生きていれば返せるが、死んだら終わりだ」
この場合の死はギルド職員だけではない、街の住人や近隣町村の人々も全員が一斉に階段をのぼることになるのだ。
「鋼と雷には東南東のゴブリンとオークの討伐を頼みましょう。赤の旋風と五本の剣をつければそちらは安心です」
街を代表する熟練冒険者二人の指揮下なら、新進気鋭の二組もいがみ合うことなく働くだろう。残る吸血コウモリだが。
「ハリハルタからの三人が駆けつけるのと、吸血コウモリがあふれるのと、どちらが先だろうな……」
山越え、そしてスタンピード寸前のレッド・ベア討伐。それをわずか三人で片付けるというのだが、さすがに一ヶ月や二ヶ月では難しいだろう、というのがギルド幹部らの総意だ。なんとか三ヶ月で片をつけて欲しかった。ゴブリンとオークも同じだけかそれ以上の期間がかかると予想されている。吸血コウモリの優先度は低いが、それでも三ヶ月放置すれば危険だ。
「ギルド雇いの何人かをそっちに交代で派遣して、数ヶ月先延ばしできるくらいに間引かせるしかないな」
「街の治安が不安ですが」
「兵士に丸投げする。冒険者を育てられてないのも、過保護にしすぎた弊害だからな。スタンピードはいい建前になる、これからは厳しくいくぞ」
これまでは冒険者と街の住人との間でおきた揉めごとに、街兵が出る前にギルド職員が仲裁に入って解決し、冒険者たちが犯罪奴隷に落ちぬよう管理してきた。しかし何をしてもギルドが尻拭いしてくれると勘違いする者が現れ、馬鹿がつけあがりはじめている。
「犯罪奴隷になる冒険者が増えますね」
「人材不足がますます深刻になりそうだな」
「これまで量を優先しすぎた。しばらく苦労するが、なんとかまっとうな冒険者を鍛えるしかない」
何度目かの幹部会議は、いくつものため息をこぼしつつ、なんとか冒険者の派遣と資金調達の方針を固め、深夜に解散した。
+++
魔石に触れた途端、アキラが断言した。
「ああ、これは間違いないな。深魔の森のと同じだ」
「じゃあスタンピード由来のレッド・ベアか」
「遠慮不要ってコトだろ、腕が鳴るぜー!」
魔物の増え方が二通りあることは一般的にも知られている。一つは繁殖、そしてもう一つが肥大した魔素による複製、スタンピードだ。
二十年ほど前にとある魔術師が、魔物の増え方と魔石の関係をまとめた研究論文を発表した。それによれば、繁殖により増えた魔物の魔石は、同種であっても同じではない。人族の親と子、血縁が似た容姿になるのと同じで、似ていても同じ魔石ではなかった。ところがスタンピードによって増えた魔物は、どの魔石も全く同じなのだ。その結果から推察されるのは、肥大した魔素が一つの個体(魔物)を取り込み、それを複製して吐き出すのがスタンピード、ということだ。
飛行魔布から飛び降りて屠ったレッド・ベアの魔石は、深魔の森で現在溢れかえっている赤熊と全く同じだった。
「あっちとこっちで同時にスタンピードが起きたのか?」
「それにしては勢いがねーよな?」
「同時発生なら魔石が完全一致するはずはないんだ。深魔の森でまだ魔核位置が特定できていなかったし、おそらく国境線上に魔核があるんじゃないか?」
巨大な魔素溜まりの端が山を越えた北にも及んでおり、そこからレッド・ベアが漏れているのだろう。
アキラは地図を開き、現在位置と深魔の森の討伐戦線に指を置く。
「ここが魔素溜まりの最北で、森の戦線が最南だとしたら、魔核はこのあたり」
「山ん中じゃねーか」
「どうりで、深魔の森で魔核が見つからねぇわけだぜ」
スタンピードを終決させるためには、魔核の破壊が必須だ。ハリハルタ冒険者ギルドはレッド・ベアの討伐と同時進行で魔核を探していた。しかし常ならばすぐに発見できるはずの魔核が見つからない。魔核がレッド・ベアを吐き出す力を失うまでの消耗戦に付き合ってはいられない、何か策はないかと模索しているときに、ナモルタタルから要請があったのだ。
山脈を挟んで北と南で同時期にレッド・ベアが溢れた、と。これが無関係とは考えられなかった。彼らがスタンピード終決を待たずに森を離れたのは、そういう理由からだった。
「魔核を破壊するしかねぇな」
「かといってここのレッド・ベアを放置するわけにもな」
森を出た赤熊が、近隣の農村や町に被害を与えている。人的被害も出ているということだし、早急に間引く必要があった。
「じゃあ俺がここで熊退治やるからさー、コーメイとアキラが魔核でいーんじゃね?」
「一人で大丈夫か?」
「深魔の森と違って、ここなら遠慮しねーで暴れられそーだし。問題ねーよ」
ハリハルタの冒険者らが大勢いる戦線では、シュウは本気を出せない。うっかり獣人の力を露出するわけにはゆかないからだ。しかしココなら近隣の人々は避難済みで、視線を気にせず暴れられる。
「わかった。思う存分楽しんでくれ」
「証明部位はちゃんと集めておけよ」
「りょーかい。右手の親指の爪だったよな? ついでに素材も回収しとこーか? 胆嚢と毛皮だったっけ?」
「証明部位だけでいい。素材はあとで自分で回収するから、絶対に胆嚢に手を出すなよ、いいな?!」
毛皮ならともかく、貴重な胆嚢をシュウの下手な解体で台無しにされてはたまらない。シュウに念を押してから、二人は飛行魔布に乗った。
「位置的に、二つ目と三つ目の山の境あたりだと思うが……」
「魔素が地表に近けりゃ楽だが、地中深かったらどうするんだ?」
「魔力を込めた楔を打ち込む」
アキラの視線を受けて、コウメイは己の剣に手を置いた。楔になりそうなのはアキラの杖とコウメイの剣しかないが、鋭さと魔力の蓄積が両立するのは剣だ。
「一発勝負か。なら正確な位置を特定しねぇとキツいな」
風を切って飛ぶ魔布は、打ち合わせの間に目的地付近の上空に着いていた。
空から見下ろす地上は、強い力によってなぎ倒された木々が転がり、根が土ごと掘り返されている。環境の変化で魔物が殺気だっており、あちこちで魔物同士の戦いが見えた。
「いるな、レッド・ベア」
魔布から身を乗り出したコウメイは、魔物の種類をザックリと数えた。
「ゴブリンと大蛇が赤熊と戦ってるぜ。このまま潰し合ってくれれば楽なんだがなぁ」
「今は戦力が拮抗していても、そのうち数の力でレッド・ベアが圧倒する。他力本願は期待するな」
アキラは飛行魔布を操り、レッド・ベアが放出される場所を探してゆく。あちこちに見える荒らされた地表は、魔物同士が戦った痕跡だ。高い位置からそれらを俯瞰し、魔核のいちを絞り込んでゆく。
「……見つけた」
「レッド・ベアが囲まれてるあそこか?」
「ああ、間違いない」
レッド・ベアの大群を、ゴブリンや大蛇、オークに大蜘蛛に銀狼がぐるりと包囲していた。その赤熊のひしめき合う中央から、上空に居ても感じされるほど強い魔力が発せられている。
「深くはなさそうだが、でけぇな。こんなでけぇ魔核、見たことねぇぞ」
「人が踏み込まないこの場所だから、深魔の森とナモルタタル領まで影響するほど大きく成長したのだろうな」
深魔の森なら、あるいはもっとふもとに近い場所にできていたなら、ここまで大きくなる前に発見され壊されていたはずだ。
「赤熊どもが邪魔だな」
「風刃と風圧で一瞬だけ排除する。その隙に楔を打ち込んでくれ」
コウメイの剣を媒介に、魔核の中心に攻撃魔術を送り込んで破壊する。説明を聞き、想定される魔核の大きさを把握したコウメイは、首を振ってアキラに剣を貸せと言った。
「俺の剣だけじゃ芯に届かねぇぞ。アキの細剣も使わねぇと無理だ」
最近では飾りと化している細剣をコウメイに渡し、飛行魔布の高度を下げる。レッド・ベアに倒されずに残っている木の樹幹先端に触れるあたりで高度を維持し、アキラは杖を掲げてコウメイを振り返った。
抜き身の剣を両手に構え魔布の端に立つコウメイが、ニヤリと笑って頷いた。
「いつでも行けるぜ」
「……風刃」
ため込んだ魔力を注ぎ込み、巨大な風刃を地上に向けて撃ち放つ。
大地で跳ね四散した風の刃が、ひしめき合う魔物を切り刻んでゆく。
多くの魔物もろともレッド・ベアが裂き屠られた。
「風圧!」
風の圧力が、転がる死骸と新たに湧き出るレッド・ベアを、圧し払う。
魔術を追いかけてコウメイが跳んだ。
「深く刺されよ!」
先に細剣を、その柄を押し沈めるように己の魔剣を突く。
溢れはじめてまだ日が浅いせいか、魔核は思っていたほど固くない。
落下の力を乗せた剣はすんなりと魔核に埋まった。
「コウメイ、退避!」
「あとは任せた!」
大地を蹴り魔核から跳び退がる。
コウメイがいた魔核中央にむけ、アキラが杖を振り下ろした。
「雷撃!!」
師匠の得意攻撃魔術を模倣した一撃は、魔核に刺さる剣に直撃した。
二人の剣を伝った雷撃が、魔核の奥深くへと裂き入る。
「雷撃、雷撃!」
アキラは一度では割り切れないと判断し、続けて雷撃を落としてゆく。
五つの雷撃が落ちた直後、魔核から感じていた圧力が消えた。
「攻略完了だ。魔力は大丈夫か?」
下りてきた魔布を掴んで乗ったコウメイが魔力回復薬を差し出した。アキラはそれを断わって肩の力を抜く。
「少し休めばすぐに回復するから大丈夫だ。周辺の魔物はどうなってる?」
「風刃で細切れだ。討伐部位の回収は諦めた」
「魔核を掘り出せれば証明になるだろう。問題はどうやって掘るかだが」
「シュウを呼んでくるしかねぇだろうなぁ」
これまで見たこともないほど巨大な魔核だ。掘り出すのも簡単ではない。媒介に使った剣も回収しなくてはならない。
「なら明るいうちに一度シュウのところに戻ろう。明日魔核を掘り出してからナモルタタルだな」
魔核の様子を観察しながら湯を沸かし、コレ豆茶と豆菓子でひと息ついてから、二人はシュウの回収に向かった。
+++
ギルド長デリックと副ギルド長セリオは、ベイジルの紹介状を持つ冒険者が訪ねてきたと聞いて、どこから情報が漏れたのかと警戒を高めた。
「領主の密偵だと思うか?」
「王家が東ウェルシュタントとの交流を厳しく監視していますから、可能性はありますが、それにしても早すぎませんか?」
先日の幹部会議の情報が漏れたとしても、あれからまだ四日しか経っていないのだ。山脈越え、そしてレッド・ベアの討伐を経て当地に来るのなら、月単位の時間がかかって当たり前。それらしい冒険者を用意するのは簡単だが、これほど早くギルドに現れては疑ってくれと言っているようなものだ。密偵がそのような失態を犯すだろうか。
「わからんな。まずは紹介状を確かめてみるか。偽造ならすぐにわかる」
その冒険者らを警戒の必要な客専用の客間に通し、先に紹介状を検めたのだが、よけいに警戒が高まるだけだった
「このサインも、紋章も、丁符も、本物だぞ」
「本物の冒険者から強奪したのでしょうか」
「どこで、どうやってだ?」
山越えの途中で襲撃したというのは不自然だ。だが他に考えられない。混乱するデリックとセリオはそろって頭を抱えた。
「どちらにしてもスタンピードは避けられんか」
「どういう素性の者か、まずは確かめてからハリハルタに連絡しましょう」
警備担当の冒険者を出入り口に配置して万全の態勢を整えたの後、二人はあやしい訪問者と対面した。
室内にいたのは二十代後半くらいの三人だった。
入室した二人を最初に振り返ったのが、入り口に背を向け立っていた眼帯の色男だった。含みのある剣呑な視線が二人を舐めるように見て、ニヤリと笑う。
続いてゆっくりと視線を上げたのは、ただ一人椅子に座っていた、宝飾品で飾りたてたくなるような美貌の銀髪の青年だ。上下する睫毛が、まるでこちらを誘っているように思えてデリックの鼓動が跳ねる。
残る一人は最も大柄で、その風貌は眼帯と銀髪より少し年上に見える。だが表情はやんちゃな少年そのものだ。退屈そうに鉢巻きをいじりながら、持ち込んだと思われる巨大な布包みに背を押しつけている。
窓のない封じ込め前提の部屋、そして廊下で守りを固めるギルド職員の緊迫した気配。それらを察しているだろうに、三人は自宅でくつろいでいるかのようにゆったりと構えている。図太いのか、余裕なのか、デリックには判断がつかなかった。
「ええと、この紹介状を持ってきたのは君たちだと聞いたのだが」
「そうだ。強欲ベイジルから預かってきた。スタンピードの兆候を潰せって依頼を請けたホウレンソウだ。あんたは?」
「強欲……」
親しい者だけが知るベイジルのあだ名を聞いて、デリックはこの三人が本物の派遣冒険者だと確信した。
「ナモルタタルのギルド長をやっている、デリックだ」
「副ギルド長のセリオです」
軽く会釈して銀縁眼鏡を押し上げるセリオの指先が、緊張に強張っている。
「派遣了承の返事をもらってまだ四日しか経っていないのに、いったいこの短期間でどうやって山脈を越えたのですか?」
「悪いな、それは守秘義務だ」
「南南西のレッド・ベアですが、討伐は完了しました」
「全部は回収できなかったけど、一応証明部位をかき集めてきたぜー」
鉢巻きの大男が腰を下ろしている布包みをぽんと叩いた。
「「……は?」」
「あ、やっぱ実物見ねーと信じらんねーよな? ちょっと臭うけど勘弁な?」
顎を外しかけた二人にニカッと笑いかけた鉢巻きが、手早く包みを開けてゆく。スライム布で三重に梱包されていたそれが露わになると、部屋中に酷く生臭い血の臭いが充満した。
「赤い爪……間違いない、レッド・ベアの爪だ」
「百、いや三百はあるか?」
「まさか、ま、まだ四日、しか……」
どうやって? いつ? この二つの疑問に両側から迫られ、二人の思考は停止していた。
「時間がなかったので皮や胆嚢の素材のほとんどを残してきています。今からでも間に合うと思いますので、人を派遣してはいがですが?」
強欲ベイジルにふっかけられて財政が厳しいのではないかと、銀髪が申し訳なさげに言った。
「多少は赤字の補填になると思いますよ」
「よ、よろしいのですか? 素材の権利は討伐したあなた方にあるのに」
「俺たちに必要な分は回収済みだ。さすがに百個もの素材はいらねぇし。捨てるくらいならあんたらが有効活用すればいい」
「腐っちまったり、魔物の餌になるのはもったいねーからな」
レッド・ベアの皮の需要は高く、まとまった数が入手できれば大口の取引が可能になる。またスタンピード個体の胆嚢は貴重な薬素材として高値がつく。それら数百頭分の素材を捨てるなんてとんでもなかった。
「ク、クリフ! ミーシャ! 手配をっ」
セリオが金庫番ともう一人の副ギルド長の名を呼びながら部屋を飛び出していった。早急に冒険者を召集し回収隊を派遣するのだろう。
デリックは深々と三人に頭を下げた。
「ありがとう、討伐といい、素材といい……感謝する。街に滞在中の費用はギルドに負担させてくれ」
提携の宿で一番良い部屋を用意させると申し出たデリックに、眼帯がそれならばとたずねた。
「銀葉亭って宿屋、まだ営業してるか?」
「しているが、ハリハルタにまで名が伝わっているのか、さすがだな」
ナモルタタルに冒険者相手の宿は多いが、その中でも最も評判が良いのが銀葉亭だ。特に女性冒険者や二つ名のつくような冒険者に好まれている。
「銀葉亭に連絡しておこう。あそこは料理も美味いし、先代が導入した貴族風の風呂が評判なんだ」
「へー、風呂があるのか、楽しみだなー」
「いいね、討伐の汚れをしっかりと落とそうぜ」
「ゆっくりさせてもらいます」
風呂と聞いてニコニコと笑顔を振りまく三人に驚きつつ、デリックは急いで銀葉亭への使いを走らせた。
レッド・ベア討伐依頼を短期間で果たした彼らが、体を休めるのを止められはしない。だがあまりのんびりと逗留されても困る。一ヶ月程度なら耐えられるが、それ以上長期になると吸血コウモリが溢れかねない。
デリックは恐る恐るに問いかけた。
「それで、吸血コウモリなのですが……図々しいとわかっていますが、そちらの討伐はしていただけるのだろうか?」
「もちろんだ。最初からそーいう契約だったはずだぜ」
「レッド・ベアの後にもう一箇所だったよな? コウモリだっけ?」
「猶予はあるとお聞きしていましたので、そうですね、一週間後でよろしいでしょうか?」
「は――はい、もちろん大丈夫です!」
銀髪のゆっくりしたい発言から、てっきり数ヶ月は待たされるかもしれないと恐れていたデリックは、一週間後と聞いて内心の驚きと喜びを必死に隠して頷いていた。
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案内は不要というので、三人にギルドの紹介状を渡して送り出した。
ギルド長自ら玄関先まで見送って戻ると、目を血走らせたセリオが、冒険者の緊急派遣所への承認を求めてきた。
「レッド・ベアの解体と運搬への派遣と、こっちは吸血コウモリの討伐補助隊?」
「ホウレンソウの三人が討伐したコウモリの解体と運搬も必要でしょう。こちらには将来有望な冒険者を優先して配置します」
「連中の討伐を見せて学ばせるのか?」
「ええ、ギルド職員も何人か派遣します」
「気が進まないんだが」
「あふれる寸前のレッド・ベアの大群を数日で殲滅させられる冒険者の戦いなんて、一生に一度お目にかかれるかどうかの貴重な機会なんですよ。しっかりとコツを学んで成長してもらいたくないのですか?」
銀縁眼鏡をキラリと光らせる迫力に思わず仰け反ったデリックだったが、気が進まない根拠はあるのだとセリオをなだめた。
「一生に一度拝めるかどうかの討伐を日常のように片付ける冒険者なんて、俺たちの常識から外れた化け物級なのは間違いない。そんな連中の戦いは確かに見応えあるかもしれんが、誰にも真似などできないと思わないか?」
「それは……」
「奴らに習えなんて銘じてみろ、若い連中を無駄死にさせることになりそうで、俺はよく学べとは言えんよ」
デリックの静かで重い言葉が染みこむと、セリオから興奮が波が引くように消えていった。
「……ギルド長のおっしゃるとおりですね。自分も彼らの域に到達できると勘違いしそうな者の顔が何人も思い浮かびます。連中に階段をのぼられては、ますますナモルタタルの人材不足に拍車がかかります」
セリオはギルド長の承認を求めた書類を引っ込めた。派遣予定の冒険者の選定をやり直すつもりだ。
ギルド長室を出る彼の背を、デリックの呟きが追いかけてきた。
「深魔の森のスタンピード、案外はやく終結しそうな気がするな……」
「私もそんな気がします」
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一週間後、街暮らしを堪能し終えたホウレンソウは、ギルドの用意した支援小隊を邪魔に思いつつ、街北部にそびえる山中の吸血コウモリの討伐に向かった。
ひよっこに毛の生えたような拙い冒険者らを見るに見かねたシュウが、暇を見つけては彼らを鍛える。野営で簡単なスープすら作れない若造に呆れたコウメイが、自分の食事を他人に任せる危険を懇々と説いた。かすり傷程度の怪我にも錬金薬を使おうとする金銭感覚の酷さにキレたアキラが、全員に薬草採取とその使用方法を叩き込む。
移動に三日、コウモリの討伐に二日、計五日間をみっちりと人外冒険者パーティーに鍛えられた小隊の面々は、街に戻ってデリックらに重宝されるようになるのだが、それはまた別の話。
「じゃあな。俺らはハリ・ハルタに向かうから」
「吸血コウモリ素材の対価は、ハリハルタではなくダッタザートの冒険者ギルドに送金しておいてください」
「報告とメンドーなことは任せるぜ」
大量の討伐部位と素材、そして報告という面倒を支援小隊に押しつけた三人は、追いすがる彼らを煙に巻いて去って行った。
【人物】
デリック/人族/42歳/男性/ナモルタタル冒険者ギルド長
セリオ/人族/38歳/男性/副ギルド長。銀縁眼鏡
ミーシャ/人族/40歳/女性/副ギルド長
クリフ/人族/36歳/男性/金庫番
ベイジル/人族/45歳/男性/ハリハルタ冒険者ギルドの副ギルド長。近しい一部の者には「強欲ベイジル」と呼ばれている。
鋼と雷/二人組の熟練冒険者
赤の旋風/新進気鋭の三人組
五本の剣/新進気鋭の五人組
コウメイ/人族/69歳(見た目20代半ば)/ナモルタタル、懐かしいなぁ
アキラ/エルフ/69歳(見た目20歳前半)/街の雰囲気は変わらないな
シュウ/狼獣人/69歳(見た目20代後半)/風呂~
(※同姓同名の他人です)