捨てられエルフの八つ当たり
16章の直後からはじまります。
この閑話は、ご長寿の周辺にいる人々が中心の短編で構成されています。
三人がほとんど出てこない話もございますのでご了承ください。
短い章ですが、数日の間お付き合いいただけると嬉しいです。
ダッタザートから深魔の森に戻ってきた彼らは、いつもの暮らしに戻った。
朝食後に畑の手入れをし、木陰で昼を食べて軽く昼寝をし、食材を討伐しにゆく。暮れる空を見送りながら夕食と酒を楽しむ。気の合った友人と遠慮のないやりとり、豊かな食材と美味しい料理。なのに空気はどこか重く、笑い声には力がない。
それでも腹は減るし、野菜も果実も薬草も、彼らの気持ちが落ち着くのを待ってはくれない。
+
「昼飯できたぞ」
コウメイの声を聞いて、ハギ畑の間からシュウの頭がひょこりと出た。振り返らず手だけを振ってすぐに戻ると合図し、刈り取ったハギ束をアマイモ三号の背に積む。
「何の肉だろーなー」
昨日狩った魔猪肉か、それとも保存庫にたっぷりと詰め込まれている魔鹿肉か。
「いや、角ウサギだな」
今朝方薬草園で、採取間近まで育った薬草をつまみ食いしていた角ウサギが、アキラによって討伐されている。きっとそれだ。
カカシタロウにハギの収穫の続きを任せ母屋に戻ると、ちょうど薬草の手入れから戻ったアキラと扉の前でかち合った。彼の手にあるカゴをチラリと見て、また生食かとシュウはうんざりする。
「そんな顔をするな。これはリンウッドさんが品種改良した株だ。味見をしたが食べやすくなっていたぞ」
「アキラの舌は信用できねーっての」
「角ウサギも美味そうに食べていたが」
「……んー、なら信用できっかなー」
作業靴の泥を落とし、手を洗って食卓に着く。真っ先に席に着いていたリンウッドの目は、皿の丸芋と黒芋と花房草のサラダに釘付けだ。
「おっさん、ブレねーよなー」
「お前だって肉が目の前にあったら同じだろう」
「おれは大人しく待ったりしねーよ」
目の前に肉料理があれば、コウメイに隠れて食べているはずだ。そう言って胸を張るシュウの前に、薬草サラダと角ウサギ肉のチーズ挟み焼きの皿が置かれた。
「つまみ食いを威張るんじゃねぇ」
「野菜を食え、野菜を」
アキラが運んで来た採れたて新鮮な薬草サラダは、見た目だけは美味しそうだ。
「これ野菜じゃなくて薬草だろー」
「野菜のように食べ安い薬草だ」
「試食を兼ねている、ちゃんと食って評価してくれ」
リンウッドにまで念を押されては残すわけにはゆかない。
「「「「いただきます」」」」
ピナ果汁を搾り入れた冷たい水は、日盛りの畑仕事でほてった体を心地良く癒やした。カリッと表面を焼いたパンに薬草サラダを彩り程度に載せ、チーズ挟み焼きを上に置いて緑を隠してから口に運ぶ。
「あー、薬草だわー。誰が何と言ったって、これ薬草でしかねーわ」
シュウが咀嚼したのはほんの数回。チーズの風味と肉の旨味が薬草に消されてしまう前に慌てて飲み込んでいる。
「クセは弱くなってる気がするな。ドレッシングが消されねぇでちゃんと仕事してる」
「ふむ、薬効量はどうだね?」
「そうですね、かすかに、という量かと。本当にわずかなので、錬金薬には使えないと思います」
種類の違う薬草を丁寧に味見するアキラのサラダには、ドレッシングはかかっていない。利き薬草なんて正気の沙汰ではないとシュウは顔をしかめた。
実験を兼ねた昼食がそろそろ終わろうというころだった。
「……魔紙」
ひらりとアキラの前に舞い落ちてきた。
「誰だ?」
「細目の気配がするぜ」
「あいつが魔紙を寄こすなんて珍しーよな」
用があるときは押しかけて面倒を置き去りに消えるのが細目だ。それが殊勝に事前連絡というのは異常事態である。テーブルに落ちた魔紙をつまむにも覚悟が必要だった。
アキラは指先でつつき、何の仕掛けもないと確かめてから摘まみあげた。
「……」
「細目のヤツ、なんだって?」
「今日中に、ナナクシャール島に来い、だそうだ」
「呼び出しかー」
何の、とは誰も声にしない。
眉間に皺を寄せたコウメイがアキラの手から魔紙を奪い、文面を確かめて握りつぶした。
「行かなくていいぜ」
「そういうわけには」
「アキのせいじゃねぇんだぞ」
「わかってる」
わかってねぇだろ、とコウメイは見せつけるように深いため息をついた。
ミシェルのことは誰のせいでもないとはっきりしているのに、アキラは呑み込めていない。それを読んだかのように、あの回りくどくて饒舌なエルフは、簡素に目的だけを記してきたのだ、性格が悪すぎる。
「コーメイ、あきらめろって。アキラの頑固さをどーにかするより、一緒に行って細目を蹴り倒したほうが早いし確実だと思うぜー」
べろりと最後のチーズ挟み焼きを平らげたシュウは、準備に何が必要かと問う。
「武器と錬金薬は必須だな」
「戦う気満々かよー」
「向こうがどういうつもりなのかはわからねぇからな。攻撃されたら堂々と反撃してやる」
「最初からケンカ腰でどうする」
「売られたケンカは買ってなんぼだろ」
「錬金薬か、効果の高い物を作るから少し時間をくれ」
「リンウッドさんまで」
「備えがあれば心配が減るんだからいーだろ」
自分を残して進む戦支度に呆れて笑ったアキラの表情が、少しだけやわらかくなったのを見て、コウメイとシュウは安心したのだった。
+++
リンウッドにできる最高品質の錬金薬はたっぷりと用意した。武器は細部まで手入れを済ませ、切れ味はかつてないほど高められている。長時間の戦闘も視野に入れ、携帯食も忘れずにそれぞれの腰鞄に入れてある。
「勝って帰るのだぞ」
「おー、まかせとけ」
「土産は細目の首だ、楽しみにしてろよな」
「首はいらんぞ、呪われたらどうする」
見送りのリンウッドとの物騒な会話に、アキラは深いため息をついた。
「……戦いに行くんじゃないんだが」
その呟きを聞いたリンウッドは、呆れと心配のまじる顔でこんこんとアキラに言い聞かせる。
「茶の誘いでもないのだろう? だったら一戦交える気合いでいたほうが良い。アレックスが本気で怒っていたら、それくらいでも足りないだろうからな」
そういえばこれまで、アレックスの本気を見た覚えはない。いつも昼行灯でぐうたらしていて、悪辣な罠を仕掛けてくるときも、へらへらと掴み所のなかったエルフだ。
「あいつが本気の感情を見せてたのって、たぶんミシェルさんくらいじゃねぇか?」
だからこそ呼び出しにこれほど警戒しているのだと、コウメイも繰り返す。
「アレックスはアキとミシェルさんとの契約魔術が、強制的に破棄されたのを把握しているはずだ。タイミングから考えても呼び出しの目的は間違いねぇ。いきなりデッカい攻撃魔術をぶち込まれても不思議じゃねぇんだぞ」
「アキラもまだ引きずってるみてーだけど、そろそろ切替えねーと細目野郎にギタギタにされるぞー?」
「その通りだ、あいつは弱みにつけ込んで言質を取るぞ。アキラは理不尽でも不本意でも、一度承諾したら撤回できないだろう? そんな無防備でアレの前に立たせるのは不安しかないのだが」
コウメイとシュウだけでなく、リンウッドにまで説教されたアキラは言葉に詰った。
「……そんなに無防備なつもりはないのだが」
「自覚できてねーから厄介なんだろ」
「細目野郎に何言われても、返事する前に必ず数を数えろよ。五つ数えてから言葉を口にしろ。反射的に喋るんじゃねぇぞ」
万全ではない自覚はあるが、まるで幼い子どもに言い聞かせるような説教には、さすがにアキラも意識を変える必要があると自覚した。
「わかった。交渉はコウメイに任せる」
転移直後が最も無防備になるのだからと、今回はリンウッドに転移させてもらうことにした。アキラは杖を構え、何を向けられても対処できるように魔力を備えている。
「では、気を引き締めて行ってこい」
外に立つリンウッドが、杖の先で魔術陣を突き魔力を注ぐ。
『ナナクシャール』
その声と同時に、心配げな岩顔が消える。
「アキ!!」
直後の叫びに、アキラは反射的に魔力を高めた杖を掲げていた。
「くっ、うぅ」
厚く備えた魔力の壁に、巨大な炎の塊が激突する。
アキラは杖を支えつつ、急いで耳飾りを外した。そして圧倒的な魔力量の炎塊を受け止めたが、耐えるだけで精一杯だ。少しでもグラつけば、自分だけでなくコウメイとシュウも巻き添えに焼け死にしかねない。枷を外しても跳ね返すだけの余力はなかった。
「ちっ、やっぱりかよ」
「うわー、細目のヤロー、逆上してやがる」
剣を構えたコウメイが前に立ち、水の魔力を放出してアキラの盾を補強しようとするが、逆上したエルフの怒りの炎には微々たる助力にしかならない。
魔力の盾の向こう側では、ありとあらゆる物が燃えていた。転移室の天井はすでに無く、扉も焼け落ち、壁もそろそろ限界だ。ギルドの建物は全焼寸前だ。
「これ、一発殴って正気づかせねーとダメなヤツかー」
鉢巻きごとサークレットを掴み捨てたシュウは、剣を手に獣人の力を全身にみなぎらせた。
「コーメイ、一瞬だけ頼むぜ」
「わかった。顔の形変わるぐれぇしっかり殴れ。あと俺の分は残しといてくれよ」
「りょーかい」
シュウが獣頭に変化し、引き締まった体に力強い筋肉が盛り上がる。
剣を構えたシュウに、コウメイが手を伸ばした。
毛皮の背に触れ、シュウの表皮に魔力を覆い被せる。
「行け!」
「おらー、正気に戻りやがれーっ!!」
極限まで冷やされた水の魔力を帯びたシュウが、アキラの作る盾の外に飛び出した。
焼け崩れそうな壁を踏み台に、アレックスへと跳躍する。
表情のないアレックスが羽虫に向けるような目でシュウを見たが、振り下ろされる剣に対して抵抗はしなかった。
「想定済みかよっ」
シュウは咄嗟に剣の狙いを変えた。
水濡れしていた毛皮が瞬時に乾き、チリチリと焦げはじめる直前、殴る代わりにアレックスを蹴った。
蹴り飛ばされた細目が反対側の壁に激突し、握っていた杖がカランと乾いた音を立てて床に落ちる。
魔力が霧散し、炎が消えた。
焼け焦げた壁が崩れ、転がったアレックスの上にボロボロと落ちて積もる。
「……暴力はあかんやろ、暴力は」
残骸をうるさそうに払いのけた細目は、蹴られた腹を撫でながら泣きそうな声で「痛いわ」と呻いた。
「どの口が何言ってんだか」
『先に攻撃したのはテメーだろ』
転移直後の最も無防備なところへの先制攻撃に対し、しっかり防御と反撃をしただけだ。
「物騒な炎塊をぶつけやがって。こっちは死ぬところだったんだ、それくらいで済んでありがたく思え」
「なに言うてんねん。ジブンらこれっくらいで死ぬようなタマかいな」
『死ぬだろ! 俺は魔力のねー獣人だし、コーメイは人族なんだからな! 今のアキラは腑抜けてっから、ウッカリ死んじまうトコロだったんだよ!!』
「えぇ、なんでアキラがそない傷ついた顔してんねん。泣きたいんはワシのほうやわ」
焼け落ちて綺麗さっぱりなくなった天井を見あげるアレックスの視線の先を追いかけて、アキラも振るような星空を仰ぎ見た。
穏やかな波の繰り返す音に、荒れた感情がなだめられ、二人はどちらともなく息を吐いていた。
「転移室どころか、ギルドの建物自体が崩壊寸前ですが、大丈夫なのですか?」
「かまへん。最近はここに人族は呼び込んでへんし、ジブンらが設置した承認制度っちゅうん? あれぶち破って転移してくるアホもおらんやろ」
突然の爆発で崩壊した建物の様子をうかがうように、島にいる獣人族たちが遠巻きにこちらを見ていた。熊に狼、虎か猫に兎もいるようだ。彼らは人族であるコウメイを警戒しているようだ。
アレックスが崩壊した壁越しに手を振ると、獣人たちは気配を消し夜の森に戻っていった。
「獣人たちは、森の中に住んでるのか?」
「こっちの町は人族の匂いが残っとって落ちつかへんらしいわ」
よっこいしょ、と腰をあげたアレックスは、床に転がっていた杖を拾った。
「それは……」
「あ、さすがに師匠の杖は覚えとったか」
たくさんの金と銀の輪で飾られた花のような造形の杖はミシェルのものに間違いない。だが魔石の色が、緑から紫に変わっている。
ミシェルの杖を支えに立ち上がったアレックスは、三人を振り返ってついてこいと促した。
「どうする……?」
アキラが問うと、シュウは獣化を解き、コウメイも剣を鞘におさめた。
「ついていくしかねーんじゃね?」
「ここで無視して森に帰ったら、今度はあの威力で乗り込んでくるだろ。我が家を崩壊させたくねぇなら、一択だぜ」
巨大な炎塊を投げつけてひとまず気はおさまったらしい今なら、少しは冷静な会話ができるだろう。そう期待して、三人はふらふらと歩くアレックスを追いかけた。
+
アレックスが住処にしているのは、かつてリンウッドが診療所として使っていた二階建てだ。一階の台所と食堂は使われなくなって長いのか、埃を被っている。細目は三人をそこに招き入れた。
「コウメイ、何か美味いもんつくってくれへん」
「無理だ、材料がねぇ」
「そのへんひっくり返したらなんかあるやろ」
そういって指し示したのは、ガラクタ置き場になっている診療所側だ。よく見れば氷漬けの魔獣が何体も転がっている。ずいぶん前に深魔の森から送った野菜や果物の詰められた箱も、保存箱から見つかった。材料があるなら作るしかない。アレックスのイライラをなだめる役に立つのならと、コウメイは台所の清掃からはじめた。
待たせればそれだけ危険が高まると判断したコウメイは、小さめに刻んだ角ウサギ肉と野菜を鍋に入れ煮た。パンを焼く暇はないし、パンケーキも手間がかかるので、ハギ粉を錬って匙で投げ入れ、すいとん汁にする。
「それで、俺たちを呼びつけた用件はなんだよ?」
棚の奥から引っ張り出したどんぶりに、溢れそうなほどたっぷりとすいとん汁を入れて差し出した。目の前にたつ湯気を無視できないアレックスは、どんぶりの縁に口を寄せながらぼやく。
「ワシが呼んだんはアキラだけなんやけど。なんでジブンらまで来たんや?」
「魔紙にはアキ一人で来いとは書いてなかったぜ」
「あかんてコウメイ、他人様宛の手紙を読んだらアカン」
お前が言うな、とコウメイとシュウの目がすいとん汁をすするアレックスを睨む。
「俺が来なきゃすいとん汁は食えなかったんだが?」
「そやけど、ワシ、アキラにだけ話あってんで」
「私は二人が同席してもかまいませんよ」
にっこりと笑みを返し、アキラは膝の上に置いた杖に手を重ねる。彼は耳飾りを外したままだ。アレックスへの警戒は緩めていない。
「アキラがええんやったら、ワシはかめへんけどなぁ……ジブン、なんでワシに黙ってミシェルとの契約破棄したんや?」
「アキとミシェルさんの契約だぜ、何でてめぇの許可がいるんだよ」
「あの契約んとき立ち会うとったんはワシやで。ミシェルの魔力だけでは足らへんから、ワシも手伝うとったし、無関係やあれへんのや」
ズズズ、と音をたてて汁をすすったアレックスは、平べったいすいとんをパクリと口に放り込む。
「無関係では、ない?」
「せや。強制破棄の跳ね返し、ワシんとこまできよったわ」
細い目をさらに細くしてアキラを見たアレックスは、見せつけるようにローブの襟元を緩める。
癒えかけた赤い傷跡があった。
ザックリと、鋭い剣に斬りつけられたような大きな傷跡だ。
「肩からこっち、もうちょっとでなくなるトコやったわ」
その言葉にアキラの顔から血の気が引いた。
魔力を貸したアレックスがこれなら、ミシェルにはどれだけの力が返されたのか、想像は難くない。
「……そ、それで」
「それでミシェルさんの代わりに、アキに仕返しするために呼び出したのか?」
「それくらいしてもええやろ。ワシからミシェル取り上げたんはアキラなんやで」
ではやはり、ミシェルは階段をのぼってしまったのか。あらためて喪失を思い知らされ、アキラは固く目を閉じる。
コウメイは細目の視線から守るように、両手でアキラの顔を覆い隠した。
椅子の背に引っかけてあったマントを掴み、シュウが震えるアキラの身体にかける。
「仕返しはすんだし、飯も食わせた。もう満足だろ」
「用は済んだんだ、もー帰ろーぜ」
「待てや、まだ話は終わってへん」
契約魔術の強制破棄はアキラが望んだものではなかった。契約魔術を破壊したのもエルフ族だ。それなのにアキラは一言の言い訳もせず、自身を責め、アレックスの恨み言を受け止めている。これ以上にアキラを痛めつけなければ気が済まないのかと、二人が殺気を込めて細目を睨んだ。
「そない睨まんでもええやろ。アキラにとっても悪い話やあれへんし」
「てめぇの持ち込むのは悪い話ばかりだろうが」
「えぇ、ちゃうて、今回はええ話なんや、間違いあれへん」
詐欺師の口上にしか聞こえないセリフを、馬鹿正直に真に受けてはならない。シュウは荷物を回収し、コウメイは自失に近い状態のアキラを抱えた。
「待てて言うとるやろ。ほら、コレやコレ!」
シャランと、アレックスが雷花の杖を振った。
「ここの魔石の色に気ぃついとったやろ。これミシェルの魔力の色やねん」
ピクリと、アキラが身じろいだ。
「杖に使う魔石は、ミシェルクラスになるとなかなかぴったりなのがあれへんのや。せやから容量の大きい魔石を空にして、ジブンの魔力を詰めて他のもんが使えへん魔石と杖を作るんや」
「……ミシェルさんが使ってた杖は、緑の魔石だったぜ?」
「そらワシが縛っとったからや。紫色が手強いんはテレンスで嫌っちゅうほど身にしみとるし、対策するんは当たり前やがな」
アレックスとの奴隷契約の際に、魔力の一部を奪い取っていたため、魔石の色が異なっていたらしい。
「魔石が本来の色に戻ったっていうのか?」
「せやで。コレの意味はアキラやったらわかるやろ?」
「……ミシェルさんは、生きているのですか?」
コウメイの腕を押し剥がし、アキラはアレックスを振り返る。
「ピンピンはしとらんやろうなぁ。ワシよりえらい傷をいくつも負うとったし?」
腹は割け、脚は砕け、肩と背にも致命傷を負っていた。普通ならば即死でも不思議ではないほどの傷を負いながらも、彼女は余波で負傷したアレックスの守りがゆるんだ隙に、強引に奴隷契約を破棄して姿を消したらしい。
「まさかあの状態で逃げられるて思わんかったわぁ」
「瀕死の怪我だろ。ホントに生きてんのかよ?」
「それは間違いあれへん。この杖の魔石が示しとるし」
自身の魔力を封じた魔石は、魔力主とつながっているのだ。魔石から色が消えない限り、ミシェルが生きているのは間違いないとアレックスは断言した。しかも負傷の衝撃でミシェルに楔を打ち込めなかったため、存在を感知できなくなってしまっていた。
「ミシェルの行方、追えへんようになってもうたんやで。どないしてくれんねん」
「知らねぇよ」
不満たらたらの細目をコウメイが一刀両断にする。
アキラの顔に血の気が戻ってきた。
「……生きていた」
「すげーな惨滅、しぶといねー」
シュウの手が「良かったな」とアキラの肩を叩く。
「悪人ほど長生きするっていうし、下手したら細目より長生きしそうじゃねぇか」
コウメイはもう一度アキラの顔を手で覆い、濡れた頬を拭った。
「弟子を利用して、長年のヒモから逃げおおせるなんて……さすがです」
心底から楽しそうに、アキラは笑った。
「そこは笑うとこやないで。ワシに謝るとこやろ」
「馬鹿言うな。ここは笑いどころに間違いねぇよ」
「そーそー、大笑いするトコだって!」
「あなたが師匠にフラれただけですよね?」
責められるいわれはない、と。返すアキラの声にも力が戻っていた。
「ワシかてアキラの師匠やで? ちっとは敬うて思わへんの?」
「私には自称も含め師匠が三人居りますが、やはり一番長く師事しているミシェルさんを優先したいと思うのは当然でしょう?」
「うわぁ、さっきまで情けのうグズグズしとったくせに、生意気やわ」
「フラれた八つ当たりを弟子にぶつけるヘタレに比べれば、まったく情けなくはありませんね」
アキラの毒舌が戻ってくると、コウメイは嬉しそうに手拭きを渡して台所に向かい、シュウは一番大きなどんぶりをテーブルに置いた。
「腹減ったー。コーメイ、俺のは肉たっぷりな!」
「俺は野菜多めで」
アキラは手拭きで顔を拭いて腰をおろし、小さめのどんぶりを手元に引き寄せる。
「シュウは野菜を食え。アキは肉だ。脂っこくねぇから完食しろよ」
コウメイが湯気の立つすいとん汁の鍋をテーブルの真ん中に置き、それぞれが選んだどんぶりに注ぎ入れる。
「あ、ワシにもお代わり」
「てめぇ失恋したくせに全然こたえてねぇよな?」
「失恋ちゃうわ!」
「すがってた相手に逃げられてんだから、立派な失恋だ。そのほっそい目をこじ開けて現実を見ろ」
「あーあー、聞こえへんでー。ワシにはなーんも聞こえへんからなー」
一杯目のすいとん汁を完食したアレックスは、空になったどんぶりを突き出す。もともと細目を懐柔するために作ったため、鍋の残量はそれほど多くない。アレックスにお代わりを許すと、シュウの二杯目はないがどうする? と視線で問うと、哀れな捨てられエルフに同情を感じるのか、シュウは生温い笑みで「せめて腹いっぱい食わせてやれ」と頷いた。
彼らのどんぶりに、形のいびつなハギ粉団子がぷかりと浮かぶ。
「「「いただきます」」」
「あ、ワシのけもんにせんといて。イタダキマス!」
+++
かつて間借りしていた二段ベッドの部屋で一晩を明かした三人は、獣人族らに遠目で観察される中、久しぶりにナナクシャールの森で八つ当たりぎみに討伐に勤しんだ。
幻影の魔武具を外したシュウはのびのびと、エルフの姿をさらしたアキラも遠慮を捨て去り、奈落の魔物を次々に屠ってゆく。
「鬱憤たまってるのはわかるが、やり過ぎるなよ。あっちの視線が痛い」
回収した素材を飛行魔布に積みながら、コウメイがぼやいた。狩り場を荒らす勢いでミノタウロスや角竜に鎧竜を屠ってゆく彼らを、獣人族らが呆れやら羨望の目で見ている。
これ以上狩りすぎれば、間違いなく苦情が来そうだ。
「そーだな、俺は堪能したし、もーいいぜ。アキラはどーだ?」
「俺ももう十分だ。もともとコウメイとシュウに付き合っただけだし」
「付き合ったって、俺は違うだろ?」
「奈落についた途端、ミノタウロスに突進していったのは誰だ?」
「……俺だったなぁ」
アレックスの代わりに討伐されたミノタウロスは災難だったが、おかげでコウメイの憂さは早い段階で晴らせていた。
「ならそろそろ森に戻ろうぜ。今のナナクシャールは俺にはアウェーすぎて居心地が良くねぇ」
遠巻きに彼らの討伐を観察している獣人らの目は、特にコウメイに対して厳しい。できれば囲まれる前に退散したかった。
「そーだな、リンウッドさんへの土産もたっぷりあるし」
「帰るか、深魔の森へ」
飛行魔布に乗った三人は、ぽかんと見あげる獣人らを残して奈落を脱した。
ギルドの建物はほぼ全壊状態だというのに、転移魔術陣には傷一つない。アキラはそこに飛行魔布を着地させる。
魔術陣の内側に立ち、杖を持ち直したアキラは、懐かしく、そして変わってしまったナナクシャール島を振り返った。
「……ミシェルさんは、どこに帰るんだろう」
アレ・テタルの邸宅は手放し、ナナクシャール島もエルフと獣人族の島になりつつある。アレックスから解放された彼女が何を目指してどこに行くのか、アキラは何一つ知らない。
アキラの呟きを聞いて、シュウが思い切ってたずねた。
「なー、真面目な話、アキラってミシェルさんに惚れてんの?」
「……は?」
突然何を言い出すのかと目を丸くするアキラの後ろで、コウメイが苦虫を噛みつぶしている。シュウはそれを無視して続けた。
「いや、だってさー、細目ほどじゃねーにしても、けっこう執着してるっつーか、サツキちゃんの次に特別っぽい感じがしてんだけど?」
「特別、だったか?」
「強制解除の影響を知ってからのアキラって、ミシェルさんの心配して神経磨り減らしてただろ。そーいうアキラってすっげー珍しいよな?」
「一応、師匠だし」
「んー、でも思い詰めてた感じとかは、それ以上に見えたんだよなー」
「だから惚れているなんて勘違いしたのか……」
アキラの表情が驚きから呆れ、そして苦笑いへと流れるように変わる。
「俺はあんなに腹黒くて振り回す女性はお断りだぞ」
「そーなの? けど」
「気にしすぎているように見えたんだろ? それはたぶん、似ているからだ」
「誰に?」
「父方の祖母」
「え、ばーちゃん?」
今度はシュウが目を丸くする番だった。仏頂面で聞き耳を立てていたコウメイも、初耳だというように目を見開いている。
「ものの考え方とか、人の操り方とか、アレックスを振り回す感じが、祖父を振り回している祖母にそっくりだなぁって、割と最近、気がついた」
懐かしそうにアキラは目を細めた。
「……だから尻に敷かれてるみてぇに素直に従ってたのか」
「尻に敷かれていたつもりはないが、まあ、そう見えていたかもしれないな」
ぼそりと重く吐き出されたコウメイの言葉に、アキラは複雑そうに頷いた。祖母に似た言動に親近感を持っていたせいで、無意識のうちに、二度とできないであろう祖母孝行をしていたのだ、きっと。
「ミシェルさんがばーちゃんか。あ、じゃーじーちゃんはアレッ」
「絶対に違う!!」
足元から血が凍りそうな冷気が駆け上がってくるのを感じ取って、コウメイが素早くシュウの尻を蹴った。
「シュウ、シャレになんねぇからな?」
「お、おー、悪い」
配偶者を尻に敷いていたのは間違いないが、敷かれている側は全く違う、似ても似つかない、とアキラは念入りにシュウに言い聞かせた。
「似ているというなら、どちらかというとネイトさんのほうが近い」
「おっさんかよ!」
そういえばあっちも尻に敷かれてたなぁと、コウメイは目を細めた。
「生きているとわかったのはホッとしたが、魔紙が飛ばないのが気になる……」
「心配ねぇよ。あのミシェルさんだぜ? アキを利用したくなったら顔出すに決まってる」
「そーそー、面倒な討伐とか、調べ物とか、ぜってーこっちに押しつけに来るよな?」
「春になったらキルシエの酒を飲みにやってきそうだよな」
「あー、花見はくるだろ、酒と菓子をタカリに!」
去年の夜桜の酒宴にも、彼女は押しかけてきてキルシエの酒を楽しんで帰った。
「そうだな、きっと、何も無かったような顔でやってきそうだ」
次の春は来なくても、その次、またその次がある。
自分たちには長い時間があり、彼女の時間もまだ多く残っているはずだから。
アキラは心配そうに見ている二人に笑みを返して、魔術陣に魔力を注いだ。
【人物】
コウメイ/人族/67歳(見た目20代半ば)/痴話喧嘩は迷惑だ。
アキラ/エルフ/66歳(見た目20歳前半)/祖父が祖母にベタ惚れだった。あと俺は尻に敷かれていたつもりはない。
シュウ/狼獣人/66歳(見た目20代後半)/八つ当たり、うっとーしー。
アレックス/エルフ/291歳(見た目30代半ば)/逃げられて荒れている。
ミシェル/人族 (のはず)/95歳(見た目40代)/魔紙は届かない。
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