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18 契約魔術と喪失



 転移魔術陣の改変術式は、ドミニクの承認制が採用された。転移を必要とするギルドにとって、登録制は安全担保が確実でないことを理由に、また鍵案も複製や紛失の対策が難しいことから、採用されなかった。承認制にも不確定要素がないわけではないが、運用が現在の転移魔術陣管理とそれほど変わらないという点もあって各国ギルド長に選ばれた。

 ドミニクが中心となって完成した改変術式だが、転移魔術陣に埋め込むのはアキラが担当する。


「国でトップの魔術師連中のくせに、他力本願なとこが気に入らねぇな」


 全魔法使いギルド長が指名依頼をする形で、最も負担の大きいと思われている部分をアキラに押しつけたのを不満に思うコウメイは、転移室でぶつぶつと文句を垂れ流している。


「転移において魔術師の魔力負担はわずかなものだが、魔術陣の設置には多くの魔力が必要だ。他に適任がいないんだから仕方ないだろう」


 魔道具師や錬金魔術師の間では、道具に魔術陣を定着させるためには、術式が作り出す魔術の効果と同じだけの力が必要、というのは常識だ。またアキラたちの解析によって、転移魔術陣を構成するほとんどの言語が、古代エルフ語であると判明していた。エルフの魔力によって作られたらしき転移魔術陣の改変には、エルフに匹敵する魔力量が求められる、多くの魔術師らがそう考えていた。


「魔力量の多い魔術師がいるだろ。錬金薬ガブ飲みしてやらせりゃいいんだよ」

「機嫌が悪いな……どうした?」

「連中に都合良く利用されてるのが気に入らねぇんだよ」


 コウメイは魔術陣への好奇心につけ込まれたアキラにも苛立ちを向けた。困ったように微笑んで返したアキラは、コウメイに一歩近づき、不機嫌な顔をのぞき込む。


「利用されているつもりはないんだが」

「だったら連中の頼みをホイホイ聞くな。ったく、安くこき使われやがって」

「なんだ、依頼料が不満なのか?」

「違う」


 コウメイはため息をついた。大陸の全魔法使いギルド長でも荷の重い改変なのだ、アキラが契約魔術から解放されていなければ絶対に止めていた。命を脅かす楔は消失しており、本人が希望しているので止めることはできない。


「おーい、ジョイスさんが何か言いたそーなんだけど、イチャイチャすんの止めてこっち向けよ」

「相変わらずシュウの目は腐っているようだな」

「ジョイスさんが何だって?」


 振り返った二人は、決死とも思えるジョイスの緊張とその表情に息をのんだ。それだけではない、彼は見送りに来たにしては物々しい装束に身を包んでいるのだ。

 防御力を高める術式刺繍の施されたローブと、消費魔力の軽減効果のあるアミュレットを身につけ、手には最高品質のミノタウロスの角と虹魔石の欠片で作られた杖が握られている。その姿は攻撃魔術師の正装、いや戦支度だ。

 ゆっくりと一歩を踏み出したジョイスは、アキラに祈るような視線を向ける。


「僕がお願いした改変のせいで、師匠との契約魔術がアキラさんの命を脅かし、改変を妨げる可能性があります」

「ジョイス、さん」

「師匠との契約を、僕が破棄します」


 さあ、契約側の手を。と促されて、アキラの視線が逸れた。

 ジョイスの準備と覚悟を見て、アキラはそれがどれほど難しく危険であるかにはじめて気づいた。エルフによってすでに破棄済みであると言い出しにくい。


「アキラさん?」

「ありがとうございます。せっかく準備をしていただいたのですが……実は」


 上着の袖をまくり、契約術式の消えた左腕を差し出した。


「――消えて、いる!?」

「少し前に色々ありまして」

「破棄したんですか? いつ?! どのように!」


 ジョイスはアキラの腕を掴み寄せ、痕跡を探そうと目を凝らした。


「怪我はなかったのですか? 痛みや歪みは? 魔力の流れに変化は?」

「大丈夫です、何も問題ありませんよ」

「何も? 何もないなんて……そんなはずは」


 カッと目を見開いたジョイスは、アキラの腕をひっくり返し、皮膚を撫で伸ばして探る。そしてかすかな痕跡すら残さず契約魔術が消失していると知ると、彼は魔力の切れた道具のように動きを止めた。

 凍えて震える吐息のような声が問う。


「………………こ、これを、アキラさんが、やや、やったの、ですか?」

「いいえ。マーゲイトで、エルフとの契約解除に立ち会った際に、エルフに」

「エ、エルフが……そうですか」


 うつむいた彼は歯を食いしばり、嗚咽を堪えていた。足下の石床に、ぽつり、ぽつりと小さな染みが増えては消える。

 契約魔術の破棄に彼がこれほど感情を乱すのは予想していなかった。助けを求めるようにコウメイとシュウを振り返るが、二人も戸惑いに目を見開いている。

 アキラは意を決して声をかけた。


「あの、ジョイスさん」

「……し、失礼しました」


 ローブの袖で顔を拭った彼は、ゆっくりと顔を上げた。引きつった笑みのジョイスは、アキラを避けるように視線を逸らしている。


「その武装もですが、何故そのように動揺されたのか、教えてもらえませんか?」

「け、契約魔術の強制的な解除には、とても大きな反発が起きます。僕よりも強い魔力による契約ですから、守りを固めて挑もうと用意しました。ですが必要なかったと知って、拍子抜けしてしまって」


 気負っていた反動なので気にしないでくれ。ジョイスは涙をこらえた作り笑いでアキラを拒絶し、三人を転移魔術陣へと押し出した。


「転移魔術陣の改変を、お願いします」


 深く頭を下げ、杖で魔術陣を叩く。


「待って、ジョイスさん!」


 魔術陣を出ようとしたアキラを、コウメイが掴んで止めた。


『……マーゲイトッ』


 視界がゆがみ、声が途切れた。


   +


 カビ臭くジメジメとした転移室で、三人は向き合っていた。

 シュウは眉間に皺を寄せて目を閉じ、コウメイは渋面で腕を組んでいる。アキラは不安から身を守るように両手を握りしめた。


「コウメイ、あれは、ジョイスさんの言葉は、どういう意味だろう」

「……アキの、想像してる通りだ、と思う」

「そんな……!!」


 契約魔術の強制解除には大きな反発が生じる。その言葉が嘘でないのは、彼の覚悟と装束が証明している。けれどアキラは、ブラッドリーに契約魔術を消されたとき、わずかな立ち眩みを感じただけで、反発らしきものはなかった。

 では何処に――。


「解除の力は、ミシェルさんに返った、のか」

「多分、な」


 何故それに思い至らなかったのかと、アキラの指先に力がこもった。爪先が皮膚を掘り、赤く滲む。


「アキがいねぇときに、謝っといてくれって頼まれた意味がやっとわかった」


 低く吐き出したコウメイが、悔しげに唇を噛んでいる。

 ジョイスが嗚咽をこらえるほどの反発を想像し、アキラは腰鞄に手を突っ込んだ。魔紙の束を取り出し、ミシェルの色を選び出す。

 その手をコウメイが掴み止めた。


「今は止めておけ」

「コウメイ!」


 魔紙の束を乱暴に奪い取ったコウメイは、アキラを魔術陣の外に引っ張り出した。


「魔紙を送って、この後の仕事を完遂できるのか?」


 ミシェルからすぐに返事が来るとは限らない。返事に恨み言が書かれているかもしれないし、淡々と被害だけが書き連ねられてくるかもしれれない。それらを待つ間も、返事をもらってからも、アキラは平静でいられるのか?


「魔術陣の改変は失敗できねぇんだぞ。心配なのはわかるが、今は駄目だ」


 失敗は協力してくれた魔術師だけでなく、各国の魔法使いギルドの失望と非難を浴びることになる。対領主へのダッタザートの守りを弱体化させ、ひいてはサツキたちの日常を脅かすことになるかもしれないのだ。


「全部終わらせてからにしろ、な?」

「……少し、頭を冷やしてくる」


 コウメイの手を剥がしたアキラは、一人で転移室を出ていった。

 朽ち落ちそうな扉が閉まるのと同時に、コウメイのため息がカビ臭い空気をかき回す。シュウは抱えていた荷を降ろして、友人の肩を励ますように叩いた。


「コーメイが落ち込んでどーすんだよ。今回のはどっちにとっても不可抗力だろ」

「わかってるけどなぁ」


 アキラが契約魔術から解放されたのは喜ばしい。だがそれに関与したのがエルフと聞いて無性に腹が立った。そしてあの時にジョイスの言葉を思い出していれば、気づけたかもしれないのにと後悔せずにいられない。


「いやいや、気づくわけねーだろ。コーメイは魔術師じゃねーんだぜ」

「アキを責めるなよ」

「どっちも責めねーって。そりゃアキラは魔術師だけど、魔術師の基礎が足りてねーってミシェルさんに言われてたし、気づかなくても仕方ねーだろ」

「それもアキに言うなよ」


 慰めになるどころか落ち込むだけだ。口を閉じて見ていろと釘を刺した。

 シュウはガシガシと頭を掻いて、面倒くせー、とぼやく。


「前から不思議だったんだけど、アキラってさー、なんでミシェルさんに懐いてんの?」

「そりゃ師匠だし」

「それは知ってる。けどよ、あのひと全っ然、師匠らしくねーだろ」


 基本は放任。教え導くこともあったが、そのやり方は荒っぽく、懇切丁寧とはいえないものばかりだ。さらには都合良く仕事や厄介ごとを押しつけられてもきている。ちゃんと対価をもらっているし、助けられたことも多いが、そのどれもスッキリした決着だった記憶はない。


「この前の迷宮んときだって、敵陣のまっただ中に俺らを置き去りにして逃げてるし」

「腹黒いのは前からわかってたじゃねぇか」

「それだよ。腹黒いってわかってんのに、なんでアキラ、ミシェルさんに甘いんだ? まさか年増のあーいうのがタイプだとか? 惚れてるとかねーよな?」


 アキラの女性の好みは聞いた覚えがないが、年上で腹黒いのがいいなんて趣味が悪すぎる。嫌そうに口端を歪ませるシュウに、コウメイは何とも言えない表情で首を振った。


「それはねぇと思うぜ」

「聞いたことあるのかよ」

「ねぇが、アキのは多分そういう感情じゃねぇと思う」


 転移前もだが、アキラから恋愛がらみの話を聞いた覚えはない。それでも見ていれば好意を寄せる傾向は読み取れた。


「基本的に同年代には近づかないし、年下には妹を重ねてる感じだ。自分に好意を向ける年上相手には嫌悪が出てる。けど好意を向けてこない相手には好感があるって感じか」


 シュウは友人の恋愛観を分析して語るコウメイに奇妙な笑みを向けた。


「コーメイがドン引きするくらいアキラをよく見てて気持ち悪い」

「話を振ったのはてめぇだろ」


 虚無の表情になったシュウの腹筋に、コウメイは勢いよく肘を突き入れた。


「ぐほっ。くー、けどその分析が正しーなら、やっぱアキラってミシェルさんに惚れてんじゃねーの?」

「……」

「自分を好きにならねー年上が好きって、ほんっとに面倒くせーよな」

「かってに決めつけるな」


 ぼそりと吐き捨てたコウメイの声には、苦々しさがこもっている。

 ニヤリとしたシュウが、揶揄うように友人の肩を叩いた。


「どうせ成就しねーんだから気に病むなって、な?」

「お前、意外に残酷だよな」

「えー、友達(ダチ)恋愛話(コイバナ)は娯楽だろー?」


 ニマニマと卑しげな笑みを浮かべるシュウへの報復手段として、アキラに緊箍児の操作方法を教わると心に留めたコウメイだ。


「――と、コイバナはともかく、ミシェルさんだいじょーぶかな?」

「なんだよ、シュウも心配してるんじゃねぇか」

「別に俺はミシェルさん嫌ってねーし」


 厄介だが面白く、頼りになるけれど敵にもなる、腹黒い若作りの魔女はいい遊び相手だ。


「それに心配なのはアキラの方かなー」


 シュウはボロボロの扉にチラリと視線を向けた。


「あいつ、立ち直れなくなるんじゃねーか?」


 肝心の言葉を声にしなかった。普段は言霊など気にもしないのに、今回だけは声にするのを恐れるシュウを、コウメイは肘で小突く。


「見くびるなよ。アキはそんなに弱かねぇぞ」

「そーかなー」

「それにミシェルさんもだ。細目を手のひらで転がしてる女傑が、そう簡単にくたばるわけねぇだろ」

「あー、それはそーかも」


 顔を見合わせた二人は、アキラが納得するまで待つと決め、転移室の掃除に取りかかった。


   +


 カビ臭い壁を乾いたボロ布で拭いて、なんとか水鏡の設置場所を作った。床の埃は上階から探し出してきたモップで集め、部屋の隅で丸めてボロ布とともにゴミ袋に詰め込む。

 手ぬぐいで鼻と口を隠して作業をしているのに、咳が止まらない。


「げほっ、げほっ。くー、カビ臭ー」

「扉を開けてくれ。多少はマシになるなるかもしれねぇ」

「ここ作った奴、何で窓作らなかったんだろー」

「岩山をくりぬいた部屋だぞ、窓は無理だろ」

「トレ・マテルも地下だったけど、ここまでホコリっぽくねーし、ジメジメしてなかったぜ?」

「それは空間を維持する魔術が働いていたからだ」


 シュウの手がボロボロの扉に触れるよりも先に、アキラが転移室に戻ってきた。


「アキ!」

「おー、もういいのか?」

「ああ、大丈夫だ」


 気遣わしげな二人に向って、アキラは少し硬くはあるが笑んでみせる。作り笑いではあったが、取り繕えるくらいに気持ちを立て直せたようだ。


「空調の魔術なんてのがあるのか?」

「転移室の防護の一つだ。マーゲイトは魔石収入もほとんどなかったし、ギルド長が負担する魔力量では維持できなかったのだと思う」


 前任のアーネストも頑張っていたが、そもそも人の魔力で維持できる場所ではないのだ。

 アキラは拭き掃除の終わった壁に手をあて、軽く魔力を流し込んで転移室に施された魔術を把握した。


「このカビ臭い空気と、ホコリ、あとは灯りか」


 扉の近くの壁に、魔術の発動起点が集まっている。そこでいくつかの術式を選んで、十分な魔力を注ぎ込んだ。

 部屋全体が優しい灯りで満ち、乾いた風が不健康な空気を絡め取り、拭き取れずに残っていた粉埃が水の波に浚われて消えた。


「空気がうめー」

「息は楽になったが、ボロさは変わらねぇな」


 部屋が明るくなったせいで、剥がれ垂れ下がった壁紙の酷さがよけいに際だって見える。


「本格的な修繕は後回しだ。転移魔術陣の状態を確認してから、はじめるぞ」


 実証実験で問題が生じなければ、各地の転移魔術陣を訪問しての改変作業だ。施工の順番はアキラたちが実験をしている間に、水鏡会議で決められているはずだ。

 転移魔術陣を探り、魔素制御法陣とのつながりを追いかける。トレ・マテルは近すぎて絡み合っていたが、こちらは離れすぎたせいで長く細く伸びきっており、地中からの魔素が転移魔術陣までうまく送り込めなくなっていた。転移室の綻びが早かったのはこれが原因のようだ。

 ミノタウロスの杖で転移魔術陣をなぞり、遠い地下に存在する魔素制御法陣へのかすかなつながりを補強してゆく。


「……よし、下準備はできた」


 アキラの声を聞いて、息を詰めていたシュウがプハッと息継ぎのように大きく口を開ける。壁際に立つコウメイが「つながってるぜ」とアキラを呼んだ。

 アキラが振り返ると、水鏡の向こうで楽しげにこちらを凝視しているドミニクと目が合った。


「お待たせしてすみません」

「いやいや、興味深い作業を見させてもらったよ。今のはトレ・マテルの修復の応用だろう? 比較したい、是非とも論文にまとめてくれないか」


 アキラに宿題を出したドミニクは、トレ・マテルの転移魔術陣は正常に戻ったと伝えた。


「先に改変を済ませたいのですが」

「ではトレ・マテルのテストだ。通常の転移だ、いいね?」


 頷いたアキラは転移魔術陣から離れて合図を送った。

 水鏡からドミニクが消え、数呼吸後だ。

 青いローブの老魔術師が魔術陣の中央に出現した。


「おお、アキラ……うむ、うむ、うむ」


 アキラの姿を確かめて、ここがマーゲイトであると実感したのだろう。ドミニクの瞳が涙で潤む。長く人の転移ができなかった魔術陣を、自らの手で修復した達成感と喜びは言葉にならないようだ。


「お疲れ様です。魔力は大丈夫ですか?」

「あ、ああ、修復には予定よりも時間をかけたからな、余裕だよ」


 ドミニクは水鏡に近づき、向こうで心配げにしていた弟子に無事だと伝えた。


「ではこれからマーゲイトに承認の術式を書き加えます」

「勉強させてもらうよ」


 一休みくらいすれば良いのにと呆れ顔の二人を他所に、アキラとドミニクはさっそく改変術式の設置に取りかかる。


「術式は転写にしたのか」

「毎回じかに掘るのも時間がかかりますし、いろいろと面倒ですから」


 最高品質の魔紙に、レリベレン木の灰を練り入れた魔銀で描いた術式。アキラはそれを転移魔術陣と並べて床に置いた。


「改変するのはこの場所です。転移を二段階に改変し、先に到着地の鍵に魔力を送り、承認の場合は先方から鍵が返されてきます。それをもって人の転移が可能になります」

「先方が承認しなければ鍵は返されないのだな?」

「はい。鍵がなければその者は転移できません」


 アキラが杖の魔石で魔紙に触れた。

 術式が浮かびあがり、床の魔術陣に重なり吸い込まれてゆく。


「ふむ……魔力はどのくらい使った?」

「火弾を五つ程度でしょうか?」

「それなら私でも設置は可能だろう」


 待っていてくれたまえ、とドミニクは魔紙を受け取って転移魔術陣に乗ると、うきうきと弾んだ一声とともにトレ・マテルへと戻っていった。

 シュウが居間から椅子を運び、コウメイは台所で湯を沸かし、香り茶を用意してきた。術式の消えた魔紙をたたんで片づけたアキラは、無言で水鏡からの連絡を待つ。

 手を着けられないままの香り茶が冷め切ったころ、やっと水鏡にドミニクが顔を出した。


「遅くなって済まなかったのだよ。設置は完了した。まずは物資の転移で試す」


 いきなり人の転移を試すわけにはゆかない。弟子のアンディがひと抱えもある壺を見せ、これをマーゲイトに送ると言った。

 コウメイとシュウは魔術陣の側に立つアキラの背中をじっと見つめる。


「承認って、どーやるんだ?」

「さあな。見てりゃわかるだろ」


 必死の思いで維持している集中を邪魔しないよう、声と息を潜めた。

 転移魔術陣がほのかに光を帯びる。

 ざわめきのような、鈍い不思議な旋律が聞こえた。

 その旋律をなぞるようにアキラの指が動き、魔術陣の上で杖が小さくくるりと円を描く。


『トレ・マテルよりマーゲイトへ、来たれ』


 声の直後に、光が壺に姿を変える。

 魔術陣から壺を拾い上げたアキラが、水鏡に掲げて見せた。


「壺が届きました。側面にトレ・マテルギルド所有と書かれていますね」

「送った壺に間違いない。ひとまずは成功だな」


 次は人の転移だ。


「私がトレ・マテルに転移するので、承認をお願いします」


 待て、と水鏡の向こうからの制止の声を無視して、アキラが魔術陣の中央に立った。

 杖を突き、転移魔術陣に魔力を注ぐ寸前、コウメイがアキラの手から杖を奪った。


「実験台には俺がなる、アキはしっかり見届けろ」

「駄目だ、危険なんだぞ」

「承知の上だぜ。それにアキが転移したら、こっちの魔術陣を動かせる奴がいなくなるじゃねぇか」

「それは……」

「まさか戻ってこねぇつもりだったか?」

「まさか!」


 アキラは激しく首を振った。 


「本当に危険なんだ。壺は失敗しても壊れるだけだが、人の転移の失敗は……」

「危険だから、ドミニクさんたちじゃなく、自分で試そうって思ったんだろ?」


 不確実な転移を経験しているアキラなら、もし改変の不具合でトレ・マテルに転移できなくても、強引にマーゲイトに戻ってくる手段(裏技)を持っている。魔力の少なかったあの頃は命を賭けなければならなかったが、今の魔力量なら枯渇寸前までつぎ込めば確実だ。その確信があるからこそ、アキラは自分が実験台になると決意したのだ。


「でも失敗したら、コウメイは」

「改変の術式に自信あるんだろ? アキは失敗するって思ってたのか?」

「壺は想定どおりで狂いはなかったから、人の転移も成功すると思っている。でも万が一ということが」

「だったらなおさら自分で飛び込むんじゃなくて、俺を使って術式の働きを俯瞰して検証するべきだろ」

「コウメイを使ってなんて」

「心配すんな、俺はアキを信じてるからな」


 泣き笑いの顔を隠すように、アキラはうつむく。


「アキラを信じてんのはコーメイだけじゃねーんだけどな」

「……シュウ」

「転移魔術陣の実験台なんて面白そーなこと、俺が一番に試すつもりだったんだぜー。先越されたから仕方ねー、コーメイに譲ってやるよ」


 さっさと行けとばかりに手を振ったシュウは、アキラを魔術陣の外へ引っ張り出した。


「ほら、ドミニクさんを待たせてるんだから、さっさとやろうぜ」


 投げ返された杖を受け止めたアキラは、魔術陣の中央に立つコウメイを恨みがましく睨む。


「ただでさえ難しいのに、プレッシャーを重ねがけするなんて、コウメイは意地が悪い」

「うるせぇ。失敗しても自分だからいいかって腑抜けた根性でいたら、成功なんてするわけねえだろ」


 図星だったのか、アキラはむすっとして視線を逸らせる。


「アキラ、ドミニクさんのほう、準備できてるってさー」


 水鏡への説明を終えたシュウに背を押され、アキラは杖を握り直した。

 転移魔術陣を杖先で叩き、魔力を流し入れる。


『トレ・マテル』


 魔術陣から浮き上がった光が小さく収縮し、コウメイの足下に吸い込まれ、波紋が広がるように不思議な音が伝わってきた。


『マーゲイトよりトレ・マテルへ、来たれ』


 少し硬いドミニクの声が転移魔術陣から聞こえた。

 次の瞬間だ、コウメイの姿が消える。

 アキラとシュウは水鏡に駆け寄った。


「コウメイ? 着いているか?」

「ドミニクさーん、そっちどーなってるー?」


 二人の焦りと心配の声に、にっこりと微笑みかける隻眼が水鏡に顔を出した。


「成功だぜ、アキ」

「コウメイ!」

「よっしゃー」


 握った拳を突き上げて喜ぶシュウの横で、アキラは胸を撫で下ろした。

 転移したコウメイの体に異変はなく、魔術陣の魔力の流れにも問題は生じていない。転移魔術陣の承認制への改変は成功した。


「この改変は予想していたよりも省魔力で可能だ」

「師匠、魔力回復薬を使いましたよね?」

「飲んだのは一本だ、たいした負担ではない。それよりも改変作業に必要なのは目と技術だ。上位の魔武具師か錬金魔術師でなければ難しい。施術できる者は限られるが、皆無ではない」


 水鏡の向こうからドミニクのまっすぐな視線がアキラを見ていた。


「転移魔術陣を改変できる技術者を増やすのは危険かもしれんが、アキラが全て背負う必要はないと私は思うのだよ」

「それって実際に作業するのはアキじゃなくても問題ねぇってことか?」


 コウメイの問いかけにドミニクがハッキリと頷いた。

 トレ・マテルの改変はドミニクと弟子のアンディの二人でやり遂げた。アキラよりも時間はかかったが、改変作業は成功している。


「他国の魔術師に転移魔術陣を委ねたくないギルド長もいる。そこでアキラが作業をすれば、不快な思いをするのは避けられないだろう」


 地位も名声も矜持もある魔術師らの警戒や敵意、妬みといった不快な感情は、呪術めいていて執拗だ。深魔の森に隠れ住むアキラたちが避け続けてきたものに、あえて浸る必要はないとドミニクは言う。


「高位魔武具師か錬金魔術師のいるギルドには術式の写しだけを渡して、自分たちで設置させればいいだろう」

「それでいいのでしょうか」

「転移魔術陣の保守は我々の役目だ。アキラに全てを負わせるほうがおかしいのだよ。ダッタザートに依頼されてから働き通しだろう? 酷い顔をしている」


 気遣わしげな視線に、アキラは無意識に手で顔を覆う。


「ここまで手伝ってもらえただけで十分だ。ゆっくり休んで疲れを癒やしてくれ」

「アキ、甘えようぜ」


 返事を返す前にコウメイが畳みかける。


「自分たちでやりてぇって連中には任せりゃいい。アキは対価以上の仕事はし終えてるんだ」

「今でもジョイス殿が対価を払いきれるのか心配になるほどだぞ。これ以上はダッタザートが破産しかねんのではないか?」


 もちろん他のギルドも相応の負担をする腹づもりはあるが、収入のあてのないトレ・マテルとしてはこれ以上は勘弁して欲しい、と。少しばかり被虐をにじませた口調で、ドミニクはアキラに仕事は終わったと告げる。


「自ギルドで改変できる魔術師を用意できないキルドには私が向う。トレ・マテルの転移が復旧したのだから楽な仕事だよ」

「ならそのあたりの調整はドミニクさんに任せていいか?」


 ギルド長同士で話し合って決めてくれ。アキラの意見を聞かないまま、コウメイとドミニクが話を進めてゆく。


「任されよう。詳細を詰めておきたいのだが」

「いいぜ。こっちで打ち合わせてから戻るから、少し待っててくれ」


 じゃあな、と二人の返事を待たずに水鏡通信が途絶えた。


「コウメイの奴、勝手に!」

「いいじゃねーか。実際、一番働いてんのはアキラだし、けっこー無茶もしてきてるだろ」

「コウメイの暗躍っぷりもなかなかの仕事量だと思うが?」

「アキラより体力あるしタフだからいーんだよ」


 露わにした不満の感情の端々に、どうにもならない焦燥が見えて、シュウは背後からアキラの肩を押した。


「じっとしてらんねーのなら、ここの掃除してよーぜ」

「は?」

「転移室もまだきたねーし、上の部屋も埃だらけのままだ」


 グイグイとアキラを押してシュウは転移室の外に向う。


「せっかく手に入れたのに、汚ねーままほっとくのはもったいねーだろ」


 埃の積もった床に、カビた壁紙、雨漏りの跡の残る天井。それらを一つ一つ指差ーすシュウのお節介に、アキラはため息をついて肩の力を抜いた。


「大掃除になりそうだな」


 廃屋のマーゲイトを快適な環境に戻すのはかなりの大仕事になる。不安や懸念を考えている暇はなくなりそうだ。それが今はありがたいと、アキラは掃除道具を見繕いに向った。



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― 新着の感想 ―
今章のコウメイすごくウェッティー! 愛され銀髪 な、なにを見せられてるんだ ミシェルさん多分しぶといからへーきへーき
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