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15 マーゲイトの再会



 さんざんな経験をした往路だったが、それでもしっかりと飛行魔布の操縦を習得していたシュウだ。マーゲイトに向う復路では安定した操作技術を見せるだけでなく、自分なりの楽しみをしっかりと優先していた。

 渡り鳥の最後尾について地上の人々の目を欺き、雲に入って低空飛行を誤魔化す。目撃される恐れのない森や山地では超低空を飛ばしてスリルを味わい、上空から見つけた魔物を追いかけて遊ぶ。


「遊ぶな!」

「方向はズレてねーんだからいーだろ!」


 アキラのナビに従って最短距離を飛行しているのだ、少しくらいの楽しみは許されるはずだとシュウは強気だ。

 適宜休息を挟みつつ、飛行魔布は順調に飛んだ。国境を越え、山々や渓谷を抜けるころには日が暮れはじめていた。森をかすめてマーゲイトのある山頂に向け操作する。険しい山肌に沿って上昇したのち、二人はゆっくりとギルドの玄関前に着地した。

 森の向こうに沈んだ太陽が、空を茜色に染めあげている。

 埃を落とそうとはためかせた魔布の影が、大きく長く伸びて玄関扉を隠す。


「腹減ったー。さっさと帰ろーぜ」

「その前に、転移魔術陣を書き写さないと」

「まだやんのかよー」


 懐かしい森を見下ろしながら、凝った体をほぐしていたシュウは、うんざり顔でアキラを振り返った。


「……」

「シュウ?」


 夕陽を背負ったシュウが、アキラの背後に視線を固め驚きに目を見張っている。

 シュウの視線をたどって振り返ったアキラは、扉の前に立つ老魔術師に気づいて身構えた。


「ど、どちら様で?」

「それはこちらの台詞です、と言いたいところですが」


 警戒ではなく、困惑に顔を歪めた老婦人が、開けた扉に手を置いて二人を見ていた。

 老婦人は白髪をうなじの辺りで団子にまとめている。色褪せた黄色のローブの裾を、膝あたりで巻き付けてズボンのようにした山歩き姿だった。膝から足首までを布で覆い、足袋のようなソックスで足を保護している。靴ではなく分厚い革のサンダルを履いているが、土や草でずいぶんと汚れていた。

 アキラたちよりも少し前に着いたばかりらしい老婦人は、建物内で休息していたらしかった。疲れの見える表情が何とも言えぬ笑みを浮かべ、もの言いたげな視線がアキラとシュウの間を何度も往復している。

 もしかして知り合いなのだろうか。表情を取り繕いつつ老婦人の顔を確かめるアキラに、シュウが小声で囁いた。


「魔術師っぽいし、アキラの知り合いじゃねーの?」

「この辺りに知り合いはいないはずなんだが……」

「でもあの顔、絶対こっちを知ってそーな感じだぜ?」


 知らない、とアキラが断言できないのはそれが理由だ。老魔術師の知り合いは多いが、そのほとんどは男性だ。老婦人となると心当たりがない。

 どう声を掛けたものかと悩んでいる二人に向ける老婦人の視線が、だんだんと尖ってきた。眉間に皺が寄り、唇が尖る。その表情に既視感があった。


「――あーっ、シンシアちゃん!?」

「……!」


 思わず指差したシュウの手を、老婦人の杖が叩き落とした。


「あれから何年経ったと思っているの! あんた、見た目と変わらず全然成長がないじゃない!」


 感情的な声と強気な態度。アキラと昇級試験を競ったシンシアに間違いなかった。

 叩かれた手を撫でながらシュウは楽しそうに文句を言う。


「痛ーだろ」

「人を指差すのは失礼だし、ふざけた物言いを咎めただけよ」

「シンシアちゃん一人か? 危ねーだろ、何しにきたんだよ」

「それはこちらの台詞だわ。私は魔法使いギルド長よ、不法侵入者は許さないんだから」


 ダッタザートの提案と選択を知り、シンシアもギルド内で協議した結果を持って、マーゲイトにやってきたのだ。そこに昔のままのアキラとシュウが現われたのだ、疑うなと言うほうが無理だ。


「えー、ここ放棄されてんだから、不法じゃねーだろ」

「まだ放棄してないわよ」


 準備が整うまではマーゲイト魔法使いギルドの管理下にあるとシンシアは言い張った。そしてシュウからアキラに視線を移し、眩しげに目を細める。


「お久しぶりです。冒険者ギルド長会議の噂を聞いて、もしやと思っていたけれど……あなた、エルフだったのね」

「……どうも」

「そっちも、獣人族だったなんて。どうして人族のふりをしているのよ」

「いろいろと事情があるんですよ」


 自分たちの実年齢と数年しか変わらないはずのシンシアは、その口調や表情は若く未熟だったころとあまり変わっていないようだ。だが外見にドミニクやジョイスのような若々しさはなく、年齢相応だった。


「それで……マーゲイトのギルド長はどうしてこちらに?」

「エルフを招喚しにきたのよ。あなたでも構わないのかしら?」


 構うのだが、否定する前に確かめたくて問い返す。


「何が、構わないのです?」

「転移魔術陣を返して、命約を解除したいの。あなたが手続きしてくれるのなら気が楽なんだけど」


 強気な彼女でも、監視エルフは苦手らしい。

 予想もしていなかった言葉を聞いて、アキラの口がぽかんと開いた。


「転移魔術陣を? 返す?」

「そうよ。使わないものを維持するだけの費用を負担する余裕はないのよ」


 マーゲイトの転移魔術陣はアーネストの時代から修繕が追いついていない。いつ崩れ落ちてもおかしくはない状態の転移魔術陣を騙し騙しに維持してきたが、ケギーテに拠点を移してからはさらに手入れが行き届かなくなった。ほとんど使用することのない転移魔術陣の整備をするのは、老いてからは体力的にもさらに厳しいものになっている。


「次のギルド長に引き継がないのですか?」

「ここがあるせいで誰も継ぎたがらないのよ」


 老朽化の激しい建物を見あげるシンシアの目は、切なそうに潤んでいた。

 彼女は幼いころからここで魔術師としての研鑽を積んできた。ギルド長職を引き継いだときに、さまざまな観点から、分室のあるケギーテへ拠点を移す決断をした。だがこの山頂の小さな集落が、彼女の魔術師としての起点であるのは間違いなく、それを永久に手放すのを寂しく感じているようだ。


「シンシアちゃんはそれでいーのかよ?」

「魔法使いギルド長を気安く呼ばないでよね」

「えー、シンシアちゃんはシンシアちゃんだしなー」


 シュウのからかい口調が彼女の瞳に気力をよみがえらせた。

 絶句したまま固まっているアキラを見て、彼女は小さく息をつく。


「ダッタザートからの提案を受けて、ギルドで話し合って決めたのよ。承認制に改変したらここに常駐しなくてはならないでしょ。誰も転移してこないのに待機させられるなんて無駄だもの」

「それはそーだけどさ、ギルド長ってエルフと契約してるんじゃなかったっけ?」

「そうよ。だから契約の解除とあわせて、ここをエルフに返すと決めたの」


 これまでは転移魔術陣が魔法使いギルドの存在理由であったが、これからは違う。ウナ・パレムでは四十年も前から、転移魔術陣とエルフとの契約がないままギルドは運営されてきた。二十年前にオルステインで魔術師ギルドが設立され、転移魔術陣と命約を守る魔法使いギルドは衰退の一途をたどっている。


「マーゲイトもケギーテに拠点を移して、転移魔術陣と無縁でこれまで運営してきたわ。でも命約や転移魔術陣がなくても、ギルドは何も困らなかった……困っているのは命約を引き継いだギルド長だけなの。後継者を決められない理由になっているのだもの、足枷でしかないのよ」


 ドミニク父娘の会話を思い出したシュウは、気持ちはわかると頷いた。今回ダッタザートが領主に狙われたのも、転移魔術陣が存在しているからだ。


「解除なんて、できるのかよ?」

「……知りませんよ」


 振り返ったシュウに問われ、絶句していたアキラは声を絞り出した。だがやっと口を開いたアキラの無責任な言葉に、シンシアの眉がピクリと跳ねる。

 エルフのくせに知らないのかと責めるような苛立ちの視線を避けて、アキラはむすりと言い返した。


「私は彼らとは……違います」

「なにそれ。エルフはエルフでしょ」

「まーまー、落ち着けって」


 シュウは老婦人を相手に大人げなく喧嘩を売ろうとするアキラを背中でさえぎり、ギルド長になってもツンデレをこじらせるシンシアをなだめるべく二人の間に割り入った。


「それでシンシアちゃんは契約を解除できるって確信があるんだ?」

「師匠は契約のときに言われたそうよ、いつでも放棄してかまわないって」


 契約をする前に、やる気のなさそうなエルフに念押しされたらしい。

 魔法使いギルド長でありたいと強く願っていたアーネストは、他国ギルド長と同じでなければ意味がないと、この負債でしかない転移魔術陣と契約をすすんで受け入れた。だがシンシアは違う。ここは故郷でもあり大切な場所なのは間違いないが、感傷でギルドや所属の魔術師たちに犠牲を強いてならないと理解している。


「エルフがどういうつもりで言ったのかはわからないけど、放棄という選択があるのだから、解除も可能ではないかしら?」


 どうなの? と視線で問われ、アキラは静かに目を伏せた。エルフ族はそんなに甘くない。何かしらの思惑があってアーネストを唆したと思うが、それを口にするのはさすがに憚られた。


「ふうん、何かあるって思うのね?」

「……説明できませんよ」

「いいわ、それなら二人にも立ち会ってもらうわ」


 自分だけがエルフの被害者になるのを避けるため、シンシアはシュウの上着を掴むと、強引に建物内に引っ張り込んだ。


「この再会は偶然ではないのでしょ? だったらトコトン利用してやるわ」

「偶然ですよ。謀ってなんかいません」

「だったら証明してもらうわよ、ほら、さっさと来る!」


 幼さで感情の制御が下手だった少女は、気性はそのままに強かな魔術師に成長していた。年齢問わず女性に甘いシュウを確保されては否とは言いづらい。ため息をついたアキラは、飛行魔布をたたんで二人の後を追った。


   +


 触れた場所から朽ちて屑になりそうな扉を開けた。アキラとシュウは二日ぶり、シンシアは十数年ぶりの転移室だ。

 彼女は持ち込んだ荷袋から香炉のような道具を取り出し、魔力を注いで掲げた。

 埃に満ちていた空気が渦を巻く。

 シャリン、シャリン、シャリン。

 反響するはずの銀鈴の音は、湿気を含んだ壁に吸い取られてゆく。


『命約のエルフ、ブラッドリーをお招きいたします』


 シンシアが呼びかけるが、エルフ族の気配はない。


『ブラッドリー、マーゲイトの被契約者が招喚しています。さっさと来て!』


 表情が厳しくなってゆくシンシアを見て、シュウがアキラに囁いた。


「なー、なんか面倒なコトになってんのか?」

「面倒以前だ……たぶん、エルフがサボっている」

『いい加減にしてよ、呼んでるんだから早く来なさいってば! ブラッドリー!!』


 魔術師として成熟しても短気なのは変わらない。シンシアが声を荒げた途端、転移室に魔力が満ちた。


「ぎゃあぎゃあと、うっさいわ!」

「呼んですぐに来ないアンタが悪いんでしょ」

「用事あれへんのに呼ばれてのこのこ出てくるほどワシは暇やない!」

「用があるから呼んだに決まってんでしょ。あんた契約のときもダラダラとよけいな時間かけたじゃない。ちゃんと仕事しなさいよ!」


 満ちた魔力の中心に現われた銀髪エルフの台詞も酷いが、間髪入れずに喧嘩をふっかけるシンシアも大概だ。二人の口論が飛び火しないように慌てて後退ったアキラとシュウだ。


「あのエルフ、なんかアキラに似てねーか?」

「銀髪なだけだろ」


 髪は長いがくせ毛だし、瞳の色は紫だ。体つきも筋肉質で線が太く、背もアキラより頭一つ分は高い。


「えー、けど無表情で暴言吐くところとかそっくりだし? ――っ痛ー」


 グリグリと足を踏みつけられたシュウが呻いた。踵に体重を乗せるアキラの笑顔は引きつっている。エセ関西弁を喋るエルフに似ているなんて言葉は、侮辱以外のなにものでもない。

 シュウとアキラが転移室の隅でヒソヒソとやりとりしている間も、シンシアとブラッドリーは仲良く喧嘩を続けていた。そんな二人の様子をほのぼのと眺めたシュウがぽろりとこぼす。


「仲よさそーだし、別に絶交しなくても良さそーじゃね?」

「……命約はそういう類いのじゃないんだが」

「わかってるって。ちょっと場を和ませよーとしただけだろ」


 頭を抱えるアキラの肩を叩いたシュウは、そろそろ本題に入れとブラッドリーとシンシアを止めた。


「俺ら腹減ってんだよ。時間もねーし。さっさと用事を終わらせてくんねーかな?」


 振り返った銀髪エルフの目つきは鋭いが、感情が乗っていないので怖くもなんともない。呆れ顔のアキラに気づいたシンシアは、わざとらしい咳でその場を取り繕う。


「私の師匠に、放棄しても構わない、といったのを覚えているかしら?」 

「そない大昔のこと覚えてないわ」


 人の一生ほどの時間は、エルフにとってわずか数年の感覚だ。それを言い訳にするということは、本当に覚えていないのだろう。


「ではあらためて問います。マーゲイト魔法使いギルドはこの地と転移魔術陣をエルフにお返ししたいのですが、承認いただけるかしら?」

「ワシに確認せんでも、勝手にほかしたらええやろ」

「私との契約も破棄したいのですよ」

「意味わかっとるんやろな?」

「もちろんです。むしろ逆にお聞きしたいのですが、私たちが転移魔術陣を管理しなくなったからと言って、エルフ側になにか不都合はありますか?」

「あれへんな。ワシらは別に強要した覚えはあれへん。どうしても管理したい言うたんは人族やで」


 代々のギルド長によって引き継がれてきた内容とブラッドリーの認識はずいぶん違うようだ。最初の契約がどんなものであったのか興味を引かれたシンシアだが、今さら知りたいとは言えない。好奇心をぐっと押し堪えて紫の瞳を見据えた。


「ではマーゲイト魔法使いギルド長とエルフの契約は、私をもって終決とさせていただきたい」

「ワシらはかまへんのやけど。ジブンに渡しとる証し、回収した後はマーゲイトの魔術師は二度とここに来られへんなる、ええんやな?」

「転移魔術陣が使えなくなるのはわかりますが、来られなくなるというのは?」 

「言葉通りやで。ここちょっと特殊やから、他と違うて捻りはいっとるんや。人族との縁が切れるんやし、この際ソレ修正するわ」


 捻りとは何なのか。言葉通り首を捻ったシンシアは、今度は好奇心を抑えられなかったようだ。


「契約を解除する前に何がどう特殊なのか教えてもらえませんか?」

「ジブンらが捨ててきた知識を今さら知りたいて、勝手すぎひん? ワシ予定外に呼び出されとるんや、さっさと始末つけて帰らせてもらうわ」


 待て、と呼び止めるアキラも、シンシアの抵抗も間に合わなかった。

 ブラッドリーの左手が彼女の頭をがしりと掴み、右手の指が額を弾く。

 シンシアの額から出てきた彼女のものでない魔力を、指先を回して絡め取った。


「何をしているのです?」

「契約んときに与えた魔印を回収しとるだけやで」


 魔力の解消が終わるのと同時に、シンシアの体が崩れ落ちた。咄嗟に抱き止めたシュウは、血の気の失せた老婦人の顔を心配げに見る。


「大丈夫なのかよ? シンシアちゃん白目剥いてるじゃねーか」

「この人族、他所の契約者と違うて魔力量が足りひんのや。契約したときも泡吹とったで」


 研鑽を積み多少魔力量は増えたようだが、ブラッドリーの目には誤差程度にしか写らない。さすがに失神した老魔術師を放置するほど非情ではないアキラは、シュウのマントを敷いてシンシアを横たえた。


「彼女に代わって問わせていただきますが、ここの『捻り』というのは、転移魔術陣の退避行動のことでしょうか?」


 アキラは彼女を庇うようにブラッドリーの真正面に立った。


「転移魔術陣の管理者が居なくなったことで、何かこの地に不利益は生じることは?」

「捻りはそれで間違いあれへん。ワシらには不利益はあれへんで」

「エルフにじゃなくて、人族にだ。どーなんだ?」

「何が人族に不利益になるんかわからんのに、応えようがあれへんな」

「マーゲイトの転移魔術陣が人族と契約を結ばず、誰にも管理されなくなった場合、どのような変化が生じるのでしょうか?」

「元に戻るだけやで。いっちゃん最初に契約したときの状態に戻るだけや」

「……元の状態とは、あなたが言うところの『捻れ』が生じる前、という意味で間違いありませんか?」

「せや」

「どーいうことだよ?」

「おそらく……山頂のマーゲイトがなくなると」


 獣人族の村が襲撃された際、盾の役割を果たしていたマーゲイト魔法使いギルドが攻撃を受けたため、転移魔術陣が己を守ろうと周囲の土地を急激に隆起させ現在のマーゲイトが完成した。


「じゃーこの山が今度は引っ込んで、平地に戻っちまうのかよ」


 感情の乗らないエルフの瞼が、肯定するように伏せられた。

 厄介すぎるとアキラの顔が歪む。眉間に感じはじめた鈍痛を揉んで散らす彼から深いため息がもれた。


「再度、彼女と契約を結ぶことは可能ですか?」

「あほ言うんやないわ。いらんて放棄したもんをやっぱいるて? ジブンらの都合で手のひら返されたら契約の意味あれへんがな」

「何で再契約? どー言うことだよ?」

「マーゲイト魔法使いギルドが転移魔術陣と命約の破棄を決めたのは、ここの立地を持て余しているからだ」


 最寄りの町と直線距離ではそれほど離れていないが、険しすぎる道行のせいで気安く通えず、転移魔術陣の恩恵を受けるどころか、修繕もままならない。利用価値はないのに維持経費だけはかかるという理由で解除を決めたのだ。なのに通いやすくなり、気安く利用できる環境に戻るというのだから、シンシアは激しく憤るだろう。他国の魔法使いギルドも黙ってはいないはずだ。


「マーゲイトが改変不要の判断をしたことはドミニクさんも知っていたが、契約そのものを解除するとまでは聞いていなかったはずだ」


 反対されるとわかっているからこそ、先手を打つためにシンシアは一人マーゲイトにやってきたはずだ。契約解除後も転移魔術陣がここに存在する限り、シンシアのあげた理由は後押しになる。だが悪立地が解消されてしまえば非難が彼女に集中するのは確実だ。


「あー、そりゃシンシアちゃんも、魔法使いギルドも悔しがるだろーなー」

「しかも目の前にあるのに立ち入りがかなわなくなるのだから」

「キーって血管切れるんじゃねーの?」


 アキラはずれた心配をするシュウを小突いた。魔法使いギルドの矜持だけなら無視しておけば済む。だが転移魔術陣が地上に降りたならば、この辺境の地には王家から魔法使いギルドに属さない魔術師が送り込まれ、転移魔術陣を利用する策がとられるはずだ。結果次第で王家直轄地になる可能性も否めない。


「うわー、面倒そー」

「このまま山頂に据え置く方法があればいいのだが」

「あるで」


 忙しいと入っていた割りに、契約破棄をまとめたブラッドリーは帰還していない。それどころかアキラとシュウの会話に興味津々に割って入った。


「新しい管理者と契約したらええんや」


 そうは言っても、課せられた命約ゆえにギルド長を引き受けたがる者がいないとシンシアが言っていた。アキラが説明すると、ブラッドリーははじめて表情らしきものをうかべた。


「もう人族との契約はこりごりなんや。頻繁に呼び出されて何遍も契約せなならんの、ホンマに面倒やし。そら割り当てやからワシが管理せなならんのやけど、面倒やし。ワシは放置でええ思うんやで。けど銀色のがこのままにしたい言うんやから、任せるわ」

「は?」


 彼の指先がアキラの額を突いた。


『神々との古約を譲渡する。ブラッドリーに代わりこの地を見張れ』


 アキラの眼前で魔力が弾け、圧倒的な光に目が眩んだ。

 視界が真っ白くなり、平衡の感覚を見失った体がぐらりと揺れる。


「お、おい、アキラ。左手!」


 倒れかかる体を支えたシュウが、無数の火花に包まれたアキラの左手を掴んだ。


「左手?」

「見えてねーだけじゃなくて、感じてねーのかよ?!」


 ブラッドリーに押しつけられた魔力のせいで感覚が鈍くなっているようだ。厚い緩衝材に阻まれたように、シュウの握る力の強さも、左手首で火花の散る現象も、ほとんど感じられない。


「一瞬で終わるはずやのに、えろう時間かかる思たら、それに邪魔されとるんか」


 かすかに眉根を寄せたブラッドリーは、アキラの手首に巻き付いた火花に指を突っ込み、強引に引きちぎって捨てた。


「お、終わったな」


 軽く鞭打たれたような痛みを感じた後、すぐにアキラの視界が元に戻った。左手首から契約魔術が失われたのを確かめた彼は、忌々しげにブラッドリーを睨みつける。


「……勝手なことを」

「ここをそのまんまにしときたい言うたんはジブンやろ。願い叶えたったのに文句言われたらかなわんわ」

「最終的に同じ結果に至るとしても、その前に合意を得てください。契約というのはそういうものでしょうが!」

「アルの弟子は細こうてかなわんわ」


 無表情でアレックスのような物言いをするエルフは、不快げに眉をひそめ、用件は終わったとばかりにひらりと手を振る。そして「ほな、あとは任せたで」と、言いたいことだけを残して瞬きとともに帰っていった。


「くそ、押しつけられた!」

「押しつけられたって、もしかしてアキラがマーゲイトのギルド長になったのか?」

「ギルド長じゃなくて、魔法使いギルドが担っていた転移魔術陣の管理者にさせられた……らしい?」


 額に感じるチクチクとした痛みはゆっくりと引いて消えてゆく。見下ろした左手には、見慣れた契約魔術が一欠片も残っていなかった。ミシェルとの契約魔術がブラッドリーの押しつける契約を阻んでいたらしい。だがそれもエルフの魔力で強引に破られ、おそらく転移魔術陣の管理者契約を押しつけられている。


「なんでこんなことに……」


 ため息をついて押さえていた手を外したアキラの額には、小さな模様のような痣が残っていた。肌よりも少し赤みの強い痣は、花びらと魔石の欠片を模ったような、美しい宝飾のようにも見える。


「うわー、アキラにまた妙な属性が増えたー」


 眉根を寄せたアキラに、シュウは銀板の表面を袖で磨いて差し出した。写された額にできた痣を確かめ、アキラの顔が怒りで歪む。


「なんで……ジョイスさんにはこんなのなかったのに」

「シンシアちゃんにもついてなかったよなー」


 魔法使いギルド長は全員エルフと契約を結んでいるが、これまで誰一人としてこのような痣をつけた者はいなかった。何故自分だけ、と躍起になって指先で乱暴に擦るが、肌が赤くなるだけで痣は消えてくれない。


「何なんだ、これは」

「さっきのを呼び出して聞くしかねーけど、あの感じじゃ応じてくれねーだろーなー」


 怠惰なエルフが残したのは「後は任せた」の不穏な一言だ。ブラッドリーが呼び出しに応じるのを待つよりも、アレックスを呼び出して問い詰めたほうが早いだろう。


「初対面の相手に、暴挙が過ぎるぞ」

「そーいう常識をエルフに求めても無駄なんだろーぜ」


 それにあちらはアキラをアレックスの弟子と認識していた様子がある。初対面でない可能性が高いと思ったが、シュウは懸命にも声にはしなかった。


「それで、どーすんだよ」

「鉢巻きをするか、サツキに化粧品を借りて隠すに決まっている」

「いや、そっちじゃねーって。アキラがこの転移魔術陣の管理者になったんだろ? コレどーすんだよ」


 どうするのか、と問うシュウの声は弾んでいた。

 カビだらけの天井や壁紙、埃まみれの床、腐って崩れ落ちそうな扉を指し示すシュウに、何を考えているのかと、アキラは冷たく半眼を向ける。


「せっかく別荘が手に入ったんだからさー、もーちょっとキレイにしてーだろ」

「別荘じゃない!!」

「じゃー隠れ家」

「……転移魔術陣があるんだから、全然隠れてないぞ」

「あ、そーか。勝手に出入りされるのは嫌だよなー。どーにかなんねーの?」


 押しつけられたものなど放置する気満々のアキラだったが、シュウはすでに秘密基地を手に入れたつもりのようだ。

 アキラは全体重をかけてシュウの足に八つ当たりをした。


「痛ーって!」

「俺の不幸を楽しむからだ」

「不幸じゃねーだろ。新しい秘密基地だぜ」


 最近では深魔の森の家にエルフが遠慮なく出入りしはじめており、全く隠れられなくなっている。折角だからここを使いたい。シュウの説得の言葉に、アキラの心が傾いた。いつかは見つかるにしても一時避難の場所を作るのは急務だ。確かに放棄されたマーゲイトは都合が良い。


「よし、じゃー決定だな! 防犯対策はさ、魔術陣の改変ってヤツ、こっそりやっちまおーぜ」

「待て、勝手に決めるわけには」

「コーメイは拗ねても、反対はしねーだろ」


 決まりだ、と手を叩いたシュウは、早く帰ろうとアキラを引っ張る。その手を押し返したアキラは、転移室の隅に横たえているシンシアの様子を確かめた。呼吸は穏やかで心配はなさそうだ。ここまで一人で辿り着けたのだ、帰りの心配はないだろう。

 マントを老魔術師の体にかけてから、アキラは転移魔術陣の中央に立った。


『ダッタザート』



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― 新着の感想 ―
こうなることを予見してそうな腹黒には腹かかえて笑われそうだし、ミシェルさんに哀れまれそうw アナタのことを思って転移魔術関連から遠ざけてたのにホントにもう… しかし転移使えるのは便利すぎるし困った困っ…
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