13 トレ・マテルの転移魔術陣
ドミニクは一人暮らしだ。住まいは一軒家ではあるが客間はない。
アキラとシュウは借りた毛布を食堂の隅に敷いて落ち着いた。荷袋を枕にし、マントと毛布を体に巻いて横になったシュウは、小さな灯りで研究記録を読みふけるアキラにたずねた。
「なー、命約っての破棄したら、ドミニクさんに影響ねーのかな?」
「破棄ではなく契約終了だな」
「終わるのは一緒だろ。で、どーなんだよ」
「俺が知るわけないだろう」
「細目のヤツに聞けねーのかよ?」
「あいつが正直に話すと思うか?」
「話さねーよな、やっぱ」
シュウが激しく首を振る。
「かといって、この地を担当するエルフに聞くのもな……」
お前が引き継げとやぶ蛇になりそうだ。魔紙の束を置いたアキラは、悩ましげにため息をつく。
あちこちの魔法使いギルドを手伝ってきたアキラだが、その大半はミシェルの個人的な手伝いや、根幹に関わらない立場での働きが中心だった。ジョイスに頼られた今回も、手を貸す立場の部外者でしかない。
「ああいう話を聞かされても……深入りはできないし」
ドミニクとも長い付き合いだ。その間ほとんど容姿の変わらない彼らの正体は当然のように把握されている。人族に友好的なエルフと認識されているせいか、本来のエルフ族には言えない愚痴を聞かされた気がしていた。それはシュウも同様に感じたのだろう。
「遺言聞かされてるみてーで、落ち着かねーよ」
彼の視線は、チラチラとドミニクの寝室のほうを心配げに伺っている。
「ドミニクさん、大丈夫かなー?」
「何がだ?」
「自分で終わりにするとか、地下道を埋めるとか、なんか犠牲になるぞーって言ってるよーに聞こえなかったか?」
「不謹慎なことを言うな。だが、大丈夫だと思うぞ」
アキラはシュウの目には白紙にしか見えない魔紙の束を指で弾いた。
「これを読めばわかる。ものすごく熱を入れて研究しているんだ。結末を見届けて、その後もしっかりと観察する気満々の内容だ、犠牲になる気はなさそうだぞ」
論文から感じられる並々ならぬ情熱は、衰えを感じないほど熱いとアキラが太鼓判を押した。
それなら安心だと、シュウはごろりと寝返りを打つ。
「それで、改変っての、できそーか?」
「俺一人では無理だが、ドミニクさんもホルロッテさんもいるからな……できればミシェルさんの力を借りたいが」
ミシェルの名を聞いてシュウの顔が嫌そうに歪んだ。
「前から思ってたんだけどよ、アキラのミシェルさんへの評価、なんか高くねーか? なんでだよ?」
「……師匠、だし?」
「ギモンフつけてるってことは、そう思ってねーって事だろ」
「細目よりは頼りになるぞ」
「比較対象がアレって時点で難アリだと思うんだけどー?」
眉間の皺を濃くするシュウに、アキラは苦笑いを返した。二人の自称師匠は、どちらもアクが強く腹黒い。元から質の悪かったアレックスはともかく、ここ最近のミシェルの変貌はアキラも戸惑っていた。
「ここ最近じゃねーだろ。ミシェルさんってけっこー前から捻くれてたぜ」
「……一筋縄ではゆかなかったのは確かだが」
「甘いって、アキラはミシェルさんを信用しすぎだろ。あの人、大事なこと説明してくれねーし、裏で何やってんのかわかんねーし、平気でアキラ(弟子)を利用するし。そのうち痛い目見そーな気がすんだよなー」
シュウの指摘に、アキラと戸惑いを隠せない。
「俺はそんなに、ミシェルさんに全幅の信頼を寄せているように見えるのか?」
「警戒してねーのは事実だろ?」
「いや、警戒はしているぞ」
はじめて出会った魔術師であり、たくさん学んだ師だ。面倒ごとを押しつけられ苦難もあったが、最終的には自分の糧になっている。魔術師としての実績と実力は信用しているが、人間性は信頼していない。
そう言い切ったアキラに、シュウは生温い目を向けた。
「アキラってさー、身内認定した女にコロッと騙されるタイプだよなー」
「騙されないし、身内認定もしていない」
赤の他人よりは近しいが、少しばかり距離のある存在、年の離れた姉か従姉のようなものだ。その言葉に実姉からの仕打ちを思い出したのか、シュウは大きく顔を歪めている。
「あのな、ミシェルさんみてーな姉ちゃんは危険だぞ? 暴君姉貴のいた俺だから断言するけど、警戒を忘れんじゃねーぞ? 理不尽で意味不明でありえねー八つ当たりとかばっかりだからな? 魔術師だし、まともじゃねーよ」
「シュウ、今までまともな魔術師を見たことがあるか?」
「えー、いるだろ。リンウッドのおっさんとか」
「自分の肉体を実験に使う狂魔術師だが」
そうだっけ? とシュウが首を捻る。ふだんは芋好きな医者の面しか見ていないため、人体実験の事実はシュウに忘れられていた。
「えーと、サイモンさんとかローレンさんは」
「魔木の実験を楽しそうにしていたじゃないか」
若く魔力が充実していれば、二人は危険を顧みず魔木を育てたに違いない。互いに制止するどころか、競うように魔力を注いで急成長させ、危険と混乱を周囲に撒き散らすだろう。
「ノエルさん……とか?」
「魔剣使いの脳筋魔術師」
そういえばコウメイは、魔術師とのタイマンが剣勝負だったと言っていたのを思い出した。攻撃魔術師はどいつもこいつも過激だ。
「リウ・リマウトのキッついおばさん魔術師は、鞭もってたなー」
マルグリットとはそれほど親しくないが、ミシェルを「お姉様」と慕う彼女は、確か攻撃魔術師だった。
「惨滅を姉と慕う攻撃魔術師の二つ名を知りたいか?」
「まともな魔術師いねーのかよ!」
聞きたくないと耳を塞いで首を振るシュウに、アキラは今さらだと呆れ顔だ。
「あー、まともなの一人いた! ナナクシャール島の!」
「名前は忘れたが、あのマッチョは犯罪奴隷あがりだぞ?」
「そっちじゃねーよ。細目の尻蹴って働かせてたおっさん魔術師!」
「ああ、魔道具師の……ハロルドさんか」
あのアレックスを巧みに働かせギルド出張所を切り盛りできていた人物だ、ただ者ではなかった。
「確かに、とても世話焼きで親切だった」
「って、あの人くらいしかマトモなの思いつかねーなー」
そのくらい、魔術師というのは個性が際立っており、普通ではない者ばかりだということだろう。
「まー、ミシェルさんに比べたら、あの人たちはまともな方だぜ」
「……確かに、な」
「だから油断すんじゃねーぞ。もし敵対しても、絶対に絆されんなよな」
まるでそんな日がくると確信しているかのようなシュウの言葉に、アキラは首を捻った。
「敵対するような何かが、あったのか?」
「ねーよ。けど、なんかそんな気がするんだよなー」
それはコウメイがよく言うフラグという物ではないだろうか。
「フラグは口にすると実現するんじゃなかったのか」
現実になったらシュウのせいだぞ、と小さく笑って返すと、シュウは慌てて「やっぱナシで!」と発言を取り消した。
「セーフ、だよな?」
「さぁ?」
焦るシュウに、大丈夫だとアキラは繰り返す。
「何を心配しているのか知らないが、たとえミシェルさんが敵対しても、俺は裏切ったりしないぞ」
「それはわかってるけどさー」
シュウは何があってもアキラが敵対するなどありえないと知っている。けれど状況に流されて気が付けば取り込まれていた、なんて事態になりかねないとは思っていた。
「アキラは甘いからさー、ミシェルさんに翻弄されてる間に、無自覚で敵陣営にとりこまれてそーだし」
「……だから、フラグ」
「ま、そんときは俺が奪い返せばいーよな」
力ずくでミシェルから引っぺがし担いで逃げるのは任せておけ、とシュウはニヤニヤしている。そんな事態には陥らないとアキラは顔をしかめた。
「……俺の心配よりも、コウメイの心配をしたらどうだ」
「コーメイもさー、敵味方カンケーなしに闇落ちしそーだけど、アキラを確保しとけばどーにかなりそーだから問題ねーよ」
アキラに比べれば対策は簡単だ。そう断言したシュウは、頼むぜ、と繰り返す。
「俺はコーメイとアキラと、老後まで楽しく遊びてーんだからさ」
老後にまで脳筋のまま振り回す気なのかと呆れた。だがエルフと獣人との寿命差を思えば、さほど遠くない未来だ。不意に寂しさがせり上がってきて、アキラは毛布を引っ張り上げて目を閉じた。
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森の中の小さな村は、女神の加護を授かっていない。時の鐘は鳴らないため、村人らは太陽にあわせて暮らしている。森が明るくなりはじめるころ、ドミニクの弟子のアンディが朝食を運んできた。
「師匠が地下に降りるのですか?」
朝食後に転移室まで行くと聞いたアンディは、杖がなければ長く歩けない体で、起伏のある地下道や長い階段は無理だと反対した。師弟の押し問答を解決したのは、アキラが提供した飛行座布団の魔術式だ。腰を掛けるのにちょうど良い大きさの布に魔術式を書いて見せると、二人の魔術師は目を輝かせた。
「おい、じーさんども、俺ら勝手に地下に降りるぞ」
「検証は私たちが帰ってからにしてもらえませんか?」
師匠権限で飛行座布団を確保したドミニクは、さっそく座り心地と操作を試す。高齢で関節や体力は怪しくとも、技量と魔力量だけはたっぷりとあるドミニクだ、すぐに巧みに操縦して見せた。
「では行ってくる。守りは任せたのだよ」
ドミニクのベッド横の書架を移動させたそこに、地下道への階段があった。魔力の灯火を送り込むと、連動して地下道にあかりが灯ってゆく。壁を維持する魔術によって、壁も床も磨いたように整えられていた。
「へー、ずいぶんキレイにしてんだなー」
穴を掘った当時のままの、洞窟感のある地下道を期待していたらしいシュウは、地下鉄の連絡路のようだとガッカリした。しかも分かれ道がなくなっているのだ。
「横穴を塞いでしまったのですか?」
「迷路で遭難しかけた者がいてな」
出入り口の上に家を建て、そこで生活していれば守りは十分だ。余計な細工は維持管理の手間がかかることもあり、直通の一本道を残し、他は全て埋めてしまったそうだ。
「老いた身では気軽に転移室に行くのも難しかったが、アキラ殿のおかげで解決しそうだ」
使用料を支払うので、あと四枚作ってくれと頼まれたアキラは、笑顔で頷いた。ドミニクらは飛行座布団をフル活用する気のようだ。
「そういえば、魔法使いギルドには何人の魔術師が残っているのですか?」
「わしを含めた五人きりだ。新しく魔術師は受け入れていない」
あの時、転移魔術陣とともに地下に閉じ込められた五人だけで、この地下道と転移魔術陣を守ってきた。当時から自分で終わらせると決意しており、新しい魔術師は関わらせていないそうだ。
灯りがあっても、進むか戻るしかない空間は気持ちが落ち着かないものだ。三人は逃れるように足早だ。四半鐘ほど歩いて、ようやく重厚な扉にたどり着いた。
「鉄の扉かよー。張り切って作ってやがるなー」
シュウの力でも動かない扉は、ドミニク解錠魔術で滑るように開いた。
古い塔の部屋はあの頃のままだ。締め切っていたにもかかわらず、埃も積もっていないし、空気も清浄で気持ちが良い。さらに地下へと降りれば、気温が下がるか空気が薄くなるか、あるいは湿気が溜まりそうなのに、螺旋状の階段は心地の良い空気に包まれていた。
「何かの魔術ですか?」
「調べたがはっきりしないのだよ。この塔も転移魔術陣の一部らしいし、己の身を快適な状態に保とうとしているとしか考えられないのだよ」
魔術陣に意思があるという考えは、どうにも納得しきれないのだが、そうとしか考えられないのだから仕方がないとドミニクは苦笑いだ。
ドミニクを先頭に階段を降りながら、魔術師二人は時間がもったいないとばかりに議論をはじめている。
「研究論文を読みました。記録されていない三割についてですが、あえて書き残さなかったのではありませんか?」
「……転移には関わらない術式だったのでね。それに、アレは魔術ではなかった」
ドミニクの背がスッと伸び、恐れているかのように強張る。
「わしが書き残したことで、考えなしに手を出そうとする魔術師が現われては、死んでも死にきれんからな」
最下層に着き、転移室の扉を開けた。
ほのかな魔力の光を放つ魔術陣は、二十五年前と変わらぬ姿でそこにあった。
「んー、何か、他のトコと違うよーな?」
「シュウでもわかるか」
「何がってはっきり言えねーけど、ケギーテのともマーゲイトのとも、ダッタザートのとも違うのだけはわかるぜ」
「魔力の光だ」
短いアキラの言葉に、得心がいったシュウだ。
これまで見てきた魔術陣は、転移するために魔力を注ぐまでは光らなかった。だがトレ・マテルの魔術陣は、常に魔力を帯び光を発している。二十五年前に降り立ったとき、アキラは魔力を注いでいないにもかかわらず、魔術陣は魔力が満たされた状態だったのだ。
「ここだよ」
ドミニクが奥の術式の一部に触れた。研究録に記されていた、人の転移を阻む改変場所だ。アキラは近寄って腰を落とし、隠された術式を見つけ出そうと目を凝らす。魔力の流れを読み取ろうとするが、光が邪魔だった。
「……この光は何とかならないのでしょうか」
「魔力を止めたいが、どうにもならんのだよ」
「それって、誰かが魔力をずーっと流し込んでるってことか?」
「誰か、であれば、解決は簡単なのだよ」
ドミニクは万策尽きたというあきらめ顔だ。さまざまな手段を試してきたが、どうやっても魔力の注入を止められなかった。
魔術陣に手を添えたアキラは、魔力に触れようと意識する。感じ取れるのは、雑多な魔力だ。特定の性質や属性に偏っておらず、何とも言えない心地よさがあった。
「これなら、抵抗はないかな……」
馴染ませるように己の魔力を混ぜ入れ、魔術陣へと押し戻してみた。己の魔力を目印に流れをたどり、術式を把握してゆく。すぐにマーゲイトやケギーテにはなかった奇妙な流れに気が付いた。一つや二つではない、軽く探っただけでも二十はある。
「ドミニクさん、記録してもらえますか?」
アキラの声で、ドミニクは慌ててペンを握った。研究録に書き写していた魔術陣に、アキラの指摘を追記してゆく。探索が深くなるにつれ、ドミニクは新しい魔紙を取り出し、記録に残していなかった三割の魔術陣も書き起こしはじめた。
入り口扉を守るように立つシュウは、欠伸をかみ殺しながら魔術師二人の作業を眺めた。難しいとこぼすアキラの顔は、充実感からくる笑みがにじんでおり楽しそうだ。シュウの腹の虫が昼飯を寄こせと自己主張しそうになったころ、ようやくアキラが魔術陣から手を離した。
「終わったのかよ?」
「全容はなんとか確認した。ただ、な」
「うむ。ダッタザートの改変には参考にはならんだろうな」
もったいぶらずにはっきり教えろとシュウが急かす。魔術陣の外に出た二人は、弁当を食べながら説明をはじめた。
「ウナ・パレムの転移魔術陣が崩壊したことで、あの地の魔素が増加し、魔物や魔獣が凶暴化したのは覚えているだろう?」
「覚えてるけど、それ関係あんのか?」
「転移魔術陣は封印であり、排出回路でもあるんだ」
「あー、わかりやすく頼む」
「容器には蓋が必要だ。転移魔術陣は中のものを隠す、あるいは守るための蓋なのだよ」
「ウナ・パレムは蓋だけでなく、その下の容器にひびが入ってしまった。そのせいで容器の中に封じられていた膨大な魔素が大地に漏れ出しているんだ」
頭のいいヤツは話を面倒くさくするから厄介だと、シュウの眉間に深い溝が刻まれる。
「それで、トレ・マテルとどー関係してんだ?」
「トレ・マテルはあまりにも急激に地下に潜ったため、魔素制御の魔法陣の退避が間に合わず、転移魔術陣と制御魔法陣が接触し、術式の一部が絡まってしまっている」
「それが原因で人の転移が阻まれているようなのだよ」
なるほど、トレ・マテルの転移魔術陣を以前の状態に戻すには、それを解消すれば良いのか。
「思ってたより簡単そーじゃん」
「承認制への改変よりは容易いが、簡単ではないのだよ」
苦笑いのドミニクは物欲しそうなシュウに昼食の干し肉の半分を譲る。年寄りから栄養を奪うなと顔をしかめたアキラが、ドミニクにクッキーバーを渡した。
「絡まった術式をほどくのは難しいんだ。とくに魔素制御の魔法陣には細心の注意が必要だ」
「間違えて破損してしまえば、ウナ・パレムの二の舞になりかねんのだよ」
「失敗できねーのか。キッツイなー」
天から打たれた巨大雷撃のようなわかりやすい兆候があったため、ウナ・パレムの領主は諸悪を特定し断罪しなかった。他職ギルドや街の人々の理解も早まり、環境に慣れることができた。だがトレ・マテルではそうはゆかない。
「お手伝いしたいのですが、今は時間がなくて」
「かまわんよ。こちらはそれほど急いではおらん。わしの寿命が尽きるまでに修復できればそれでいい。エルフほど長くは生きられないので、数年のうちに時間を取ってもらえると助かるのだよ」
そうは言うが、九十歳になるはずのドミニクは、青級なだけあって魔力量が豊富なため、見た目は実年齢より十年以上も若い。ましてや新しい課題を得て心から楽しんでいるのだ、寿命は確実に伸びるだろうう。
「それほどお待たせするつもりはありませんが、長生きしてもらえると助かります」
「うむ、魔法陣の分析をすすめながら待っているとしよう」
その前に、とドミニクはアキラに情報を要求する。
「こちらに専念してもらうためにも、まずはダッタザートを解決せねばならぬだろう。ケギーテの記録を見せてもらえるかね?」
老いたとは言え、ドミニクは魔武具の鬼才と呼ばれたクリストフの一番弟子だ。しかもこの二十五年は転移魔術陣の研究一筋と造詣も深い。アキラが見落としている改変の手がかりを見つけられるかもしれない。
アキラは期待を込めてドミニクに転移魔術陣の写しと、マーゲイトで手に入れた古書を渡した。