12 老魔術師との再会
八百キロを超える距離を二時間以内に移動する旅客機には劣るが、空飛ぶ魔布で同じだけの距離を三鐘で移動できる、とアキラの選んだ移動手段を聞いたシュウは、無茶だと呆れつつも、大空の旅を楽しめるだろうと期待をしていたのだ。
それが間違いだと気づいたのは、マーゲイトを出発して早々だった。
「ぶうぉぉぉぉぉぉぉぉー!!」
広大な見晴らしや絶景を楽しむ以前だ。
生身の体は航空機に迫る速度に耐えられなかった。
速度と高度の圧から身を守るため、アキラは二人の周囲に薄い風の膜を張った。そちらに魔力と制御が割かれてしまい、空跳ぶ布の速度は当初の想定よりかなりおさえ気味だ。
「シュウ! 方角がズレてる!」
「あー? どっちだよ!?」
魔布にうつ伏せになったアキラも、布端を掴んで魔布を制御するシュウも、意思疎通のためには声を張り上げねばならない。
「東だ! 東に十五度!」
「こーかぁ?!」
「東に切りすぎてる! 十五度だ、じゅ・う・ご! 五度戻せ!!」
喉が痛くなるほどのの大声でも、意思の疎通はままならない。
「十五だな?」
「ちがう! 五度戻すんだ、も・ど・せ、五!!」
「がーっ、細けーよ!!」
落とさぬようしっかりと握った銀板を凝視するアキラは、最短距離を進むべく指示を出す。だが剛力のシュウでも風圧と気流のコントロールは簡単ではない。
「人間凧とかやってらんねーよ!!」
マーゲイトの山頂を飛び立ってから、何度叫んだことだろうか。大きく広げた両手両足で魔布の四方を掴み、なんとか状態を維持する。それだけでも難しいのに、口うるさい指示を頼りに飛行方向を制御するのだ。
シュウの感覚に頼りきりの飛行は、すでに二鐘近く続いている。
「降りてー! きゅーけい! 腕が、プルプル、だっ」
「回復!」
「あ! くそっ、そーじゃ、ねーんだ、よっ」
酷使される筋肉疲労が、アキラの回復魔術でスッキリ解消している。だがシュウが求めているのはそれではない。気圧と高度による寒さでいろいろ限界が近く、解消するには地上に降りねばならないのだ。
「トイレ! してーんだよっ」
シュウが絶叫した次の瞬間、飛行魔布が急降下した。
滑空ではなくほとんど落下である。
地上に近づくのはいいが、速度が全く落ちない。
「スピード落とせよ! ブレーキ、ブレーキ!!」
「そんなものはない」
「欠陥車じゃねーか!!」
「車じゃないから問題ない」
「大アリだーっ!!」
空跳ぶ魔法の絨毯はこんな乗り方ではないのに、と。苦情を叫んだところでどうにもならない。シュウは人生二度目の落下に備え、比較的安全に降りられる場所を探した。視界の右端にチラつく小さめの森がちょうど良さそうだと判断し、魔布面を調節して進行方向を切替えた。
角度をつけて森に狙いを定め降下する。
「つかまってろよ!」
木々に触れられそうな距離で魔布を手放しアキラを抱えこんだシュウは、空中で受け身をとるように体を捻った。
背負った大剣が木々の枝を折り木の葉を散らしてゆく。
木々によって速度が落ち、ひときわ大きな枝にぶつかってようやく停止した。
「う゛ぉーっ、間に合わねー!!」
成人男性の胴ほどもある枝の上にアキラを投げ出したシュウは、猛ダッシュで森の中に消えた。
放り出されたアキラは、なんとか両手両足で太枝にしがみついた。安定した幹の上に移動してほっと息をつく。
「……どうやって降りろと」
木の根でデコボコした地面を見下ろし、無傷での着地は無理だと諦めた。幸いにもシュウほど切羽詰まっていないため、戻ってくるのを待つ余裕はある。
現在を確かめようと、握りしめていた銀板を見た。気流の影響もあったのだろう、想定していたよりもかなり東に流されているが、修正は難しくはない。ここからなら真北に進めばちょうど良さそうだ。
「休憩ナシというわけにはゆかないし、やはり六時間(三鐘)では無理か」
一鐘ごとに休憩を入れていては、目的地に着くまでどれだけ時間がかかるかわからないが、回復魔術では生理的欲求はどうにもならないのだから仕方ない。
「もう少し速度を上げる……いや、それだと体が保たないし」
アキラは六鐘(十二時間)以内の到着に計画を変更した。トレ・マテルにたどり着くことが目的ではないのだ、疲労困憊のままでは魔術陣を描き写せない。
「おーい、待たせたなー」
生理的欲求の解消ついでに、投げ出した魔布を回収してきたシュウが、木の下で手を振っていた。銀板をポケットに入れたアキラは「サポートしろよ」と念押しして枝から飛び降りる。
飴玉で酷使した喉を労り、白湯で渇きを潤してから、二人は再び飛行魔布に乗った。
一鐘ごとに休憩を入れ、減速のタイミングや着地の体勢を修正するたびに、乗り心地は良くなってゆく。
空が夕陽に染まるころ、飛行魔布は最後の着陸のため、速度と高度を落とした。
+
トレ・マテル北東にある小さな森に向けて降下し、木々に手が届くすれすれを移動しながら二人は着地場所を探していた。
「げ、家があるじゃねーか」
飛行魔布から木々の隙間をのぞき見たシュウが、隠れるように建つ家々に気づいた。どうやら地下道入り口のある森に、二十数年の間に小さな村ができていたらしい。夕食時なこともあり、どの家からも煮炊きの煙が出ている。
「一度離れるぞ」
村人に見られる前に移動しようと、アキラは飛行魔布に魔力を流し込む。
ところが飛び出していた木の枝が、魔布の端に引っかかった。
枝のしなやかさに引っ張られて、飛行魔布が二人を放り出す。
「うおっ」
「ぃた、っ」
つんのめるように魔布から投げ出された二人は、何本もの木の枝を折りながら地上に落下した。
「ってー」
「……結局落ちるのか」
「重ーい、どけよ」
背中から地面に落ちたシュウは、自分をクッションにしたアキラの体を横にどける。そして素早く立ち上がり、警戒の目で周囲を見回した。
「くるぜ、一人だ」
「ゴブリンじゃないな?」
「歩幅は人族だ。あとけっこー年寄りっぽい」
シュウは聞き取った足音に力強さがないことから冒険者ではなく、またゆったりとしていることから老人だと断定した。
アキラは素早く結界魔石を周囲に置き、シュウが指し示すほうをじっと見据える。
気配はこちらを警戒してか、木々をたどるように近づいていた。
大きな木の向こうで気配が足を止めた。警戒しつつも存在を示したいのか、青いローブの裾をこちらにチラリと見せている。
「……魔術師かな」
木の陰からひょいと顔を出した老人の顔に、どこか見覚えがあった。老人は周囲に不自然に散らばる木の葉と枝を見て確信したのか、意を決して前に出た。
「ダッタザートからのお客様ではありませんか? 私はドミニク。この村の村長だ。水鏡会議でジョイス殿から詳細は聞いています……姿を現わしてもらえないだろうか」
顔を見合わせた二人は小さく頷き合い、ゆっくりと結界魔石の隠蔽範囲から出た。
「ダッタザートからまいりました。少しの間お騒がせいたします」
「……あ、ああ、やはりアキラ殿だったか」
声を聞き、姿を見て、老魔術師は感激に瞳を潤ませる。彼が手にしていたのは歩行補助用の杖だった。
「しかし、こんなに早く着くとは思っていなかったぞ」
早くともあと二、三日はかかるだろうと予想していたと、ドミニクは呆れ笑いだ。
「ダッタザートを発ったのは昨日の朝だというのに、たった二日でたどり着くなど、いったいどんな手段をつかったのだね?」
「アキラがな、すっげー無茶やったんだよ。ぶんぶん振り回されて俺はクタクタだよ」
「振り回したのかね?」
「シュウの制御が下手だっただけですよ」
当初の予定では昼過ぎごろに着く算段だったと聞かされた老魔術師は、笑みを引きつらせ「さすがエルフ」と小さく呟いた。
ドミニクの住まいは先ほど見つけた集落の中央にある家だった。
村長宅といっても一人暮らしの小さな家だ。玄関を入って左手に台所兼食堂、その奥に洗い場とトイレ、右手には寝室と部屋数は少ない。ドミニクは二人を台所兼用の食堂に招き入れた。
森に落下したのは八の鐘を過ぎてすぐのころだ。夕食の準備をしていたタイミングだったのか、テーブルにパンと料理の皿が並んでいた。湯気の立つシチューの香りに誘われてシュウの鼻がヒクヒクと動く。アキラの肘が「鳴るな」とシュウの脇を突いたが、それよりも先に腹が空腹を訴えていた。
「食事しながら話そう。地下に潜るのは明日にしなさい、顔色が良くないぞ。今夜はゆっくり休むといい」
夕食を奪うわけにはゆかないと遠慮するアキラに、ドミニクは「追加がすぐにくる」と笑う。老魔術師の言葉通り、栗毛の中年女性が山盛りの料理とパンの籠を持って現われた。彼女は客人二人をひと目見た途端、予想外の驚きを見せ目を丸くする。だがすぐに二人の素性に気づいた。
「……今は銀髪なのね」
女性の声に潜むチクリとした刺に、アキラは首を傾げた。髪色を変えてオルステインにいた時期は限られている。ドミニクとの年齢差、当然のように出入りする様子から血縁関係者に違いないが、心当たりは一人しかいない。
「キャロルさんでしたよね? ギナエルマからこちらに移ったのですか?」
「あのときの騒動で、王都では店を続けにくくなってね」
非難の色の濃い声を聞いて、シュウが身を縮こめた。
王城の庭が炎上する騒ぎがきっかけになり、内乱がおきたのは事実だ。それが原因で店を手放さねばならなくなったのなら、アキラたちに恨み辛みを向けるのも仕方がない。
「やめなさい。あれはアキラ殿のせいではない」
「彼らが騒ぎを起こしたから、私たちの計画も前倒しするしかなくなったのよ。恨み言くらい許されるでしよ」
「どーいうことだよ?」
シュウの問いかけに口を開きかけた娘を制止して、苦笑いのドミニクが答えた。
「娘は内乱に加わる魔術師を束ねていたのだよ。決起するのはもう少し先の計画だったらしいが、王城が襲撃された騒ぎで警備が強化されたり、修繕工事で予定していた進入路が使えなくなるおそれがあって、急遽予定が繰り上げられたのだよ」
「騒ぎを起こすならこっちに情報を入れてほしかったわ。おかげで武器も人員も揃っていないのに、はじめるしかなくなったんだから」
王城の庭が炎上する様子は痛快だったが、それとこれとは別だ。計画変更を余儀なくされたキャロルらは、冷や冷やしながら決起したのだという。
「成功したんだからいーじゃねーか」
遠く深魔の森にも、旧クルセイア王家の末裔が、かつての国土を取り戻したという話は流れてきている。終わり良ければ全て良しだ。
ドミニクは文句を言い足りない娘をなだめ、食事をはじめた。
「おー、美味そー」
「よく食べるわね。料理、足りるかしら」
焼きたてのパンはやわらかく、チーズがタップリ入った角ウサギ肉のシチューは濃厚だ。シュウはちぎったパンで皿を拭いて食べ、お代わりを要求する。テーブルの下でアキラに蹴られても遠慮はしない。
「それで二人は、どのような騒動を起こしに来たのかしら?」
「今回は必要な情報を入手できしだいお暇しますよ」
目を細めてアキラを見据えるキャロルを、ドミニクが咎めた。
「キャロル、今回は私が招いたのだ。それにこれは魔法使いギルドの仕事であり、魔術師ギルドは関わりない。口を出さないでもらうよ」
「……わかったわ」
彼女の反感は過去のことだけではなさそうだ。それにドミニクの言葉は聞き流せなかった。
「魔術師ギルドとは……?」
「その名の通り、魔術師のために存在する組織よ」
父親よりも先に答えた彼女の声には、明らかな敵意が滲んでいた。内乱の妨害になった件の他にも、彼女に恨まれるなにかがあっただろうか。急いで記憶を探ったが心当たりはない。
困惑するアキラは、申し訳なさげなドミニクの視線を受けて口をつぐんだ。
「キャロル、食べ終えたのならもう帰りなさい。明日の食事はアンディに頼むから来なくていい」
「父さん」
「これからアキラ殿と魔法使いギルドの話し合いがある。部外者がいては困るのだよ」
キャロルは薬魔術師だ。ドミニクの娘なのだし、この村に出入りもしている。部外者とするには関わりすぎているのだがとアキラは眉をひそめた。
悔しそうに唇を噛む彼女は、自身が部外者だと認識しているようだ。無言でアキラを睨みつけた後、持参した鍋や皿を持って家を出て行った。
+
シュウはテーブルを片づけ、アキラは台所を借りて茶を入れた。心労だろうか、ドミニクは頭を垂れている。
「みっともないところを見せた」
「いえ……トレ・マテルに魔術師のギルドが新しくできたのですか?」
「内乱の後、クルセイアが復興してしばらくしてだ、新しく魔術師ギルドが設立された」
これまでのも新しいのも、どちらも魔術師が結集した組織だが、存在する意味合いは大きく異なっている。
「従来の目的を継承するのが我々の魔法使いギルドだ。娘が属するのは、魔術師たちの相互扶助のために結成された、魔術師ギルドなのだよ」
「なるほど、それは確かに意味合いが違いますね」
「どー違うんだよ?」
シュウは、同じの魔術師のギルドじゃないのか、と首を捻っている。アキラは苦々しそうに口端を歪めていた。
「キャロルさんが言っていただろう、魔術師のために存在するギルドだと」
「魔法使いギルドだってそーだろ?」
「……厳密には、そうとも言えないのだよ」
ドミニクの笑みは苦しげだ。
魔法使いギルドはその立地からもわかるように、転移魔術陣のために存在する組織だ。そのせいで同業者組織でありながら、魔術師のために存在してはこなかった。設立時の命約に縛られる魔法使いギルドは、利害が反すれば魔術師の苦境は当然のように捨て置かれててきた。
「娘は、魔術師たちが正当に評価され、自身や仲間が協力し合い、保護を求められるギルドを作ったのだよ」
内乱によってオルステイン国が分割されたとき、キャロルは復興されたクルセイア国に移るのではなく、父親の守ってきたギルドに戻るのでもなく、生まれ育ったトレ・マテルで新しい魔術師のためのギルドを作る道を選んだ。
「トレ・マテルの魔法使いギルドは、どうなるのでしょう?」
転移魔術陣がここにある限り、魔法使いギルドが移転することはない。魔術師ギルドの感情がキャロルと同じならば、揉めごとは避けられないだろう。
「どうにもならんよ。老いぼれが死ねば、魔法使いギルドは終わりだ」
「終わり……それは」
茶を飲み終えたドミニクは、無言で席を立ち、二人を私室へと招いた。
老魔術師の私室を眺めたアキラは苦笑いだ。ベッドがあるから寝室だとわかるが、実際は充実した研究室だ。そこはさまざまな書物や魔道具が所狭しと置かれ、机や棚に積み重なる魔紙にも、さまざまな呪文や術式が書き散らされている。枕元には書籍が山積みだし、寝具の上にも書き付けが散らばっている。
ドミニクは机に用意してあった魔紙の束を取り、アキラに渡した。
「これはトレ・マテルの転移魔術陣の研究記録だ。この二十五年、わしらが観察し分析した結果を記してある。アキラの目的にも役に立つだろう」
ひょいとのぞき込んだシュウは、目を細めた。
「真っ白じゃねーか」
「魔紙に魔力インクで書かれている。情報を渡す対象を限定しているんだ」
魔力を薄く広げたアキラは、読めるようになったそれをぱらぱらとめくる。軽く目を通し、感嘆の息を吐いた。地下の魔術陣で調べたかったことの七割はここに記されていたのだ。残り三割なら調査にそれほど時間はかからないだろう。ドミニクの記録を読み込んで検証する時間も取れそうだ。
「助かります。ですが、よろしいのですか?」
長い年月を費やした研究記録は、魔術師にとって魂そのものだ。それをこんなに簡単に手放してよいのか。
躊躇いを見せるアキラに、ドミニクは「もちろん条件がある」と返した。
「これを提供する代わりに、狂ったままの魔術陣を元に戻す手伝いを頼みたい」
転移魔術陣の塔が地下に潜ってしまったときから、トレ・マテルは人の転移ができなくなっている。ドミニクはそれを修復したいと言った。
「ああ、トレ・マテルに改変は不要だ。人が転移できるようになればそれでいい」
「手伝いはかまいませんが……よろしいのですか?」
転移魔術陣を元通りにするのは、自ら危険を招き入れるようなものだ。確かめるように問うアキラに、老魔術師はもちろんだと深く頷いた。
「水鏡会議でダッタザートの置かれた状況は報告されたのでしょう?」
「他人事ではないと、全てのギルド長が深刻に受け止めたよ」
貴族や王家、国家に転移を悪用されないために、転移魔術陣に制限をかけたいと望むジョイスの提案は、すべてのギルド長の同意を得た。
「特にヘル・ヘルタントやアレ・テタルは危機感を覚えていた。改変術式が完成するまでは、これまで以上に守りを固めるそうだ」
どちらのギルドも、大陸有数の大都市にギルドが存在している。侵略されるのも、その足がかりにされるのも、絶対に許してはならないと必死だ。
そこまでわかっているのなら、何故ドミニクは危険を呼び込むような選択をするのだろうか。
「他国や、敵対する組織に侵入されたり、占拠されたらどうするんですか」
「トレ・マテルの転移魔術陣に、侵略目的で占拠する旨味がなければ問題あるまい?」
マーゲイトが良い例だ、とドミニクの指が地図を差した。
「ギルド長同士の話し合いで、マーゲイトは改変不要との結論に落ち着いた。あそこは戦力を送り込む価値がないからな」
秘境の地、しかも険しい山頂だ。転移したとて下山に時間と労力がかかりすぎる。しかも攻め込む価値のある街ははるか遠く、戦略的な旨味はない。
「トレ・マテルも同じであれば、危険はなくなるのだよ」
「……地下道を、埋めてしまうつもりですか?」
「管理する者がいなくなるのだ、それが最も安全なのだよ」
ドミニクが次のギルド長を選んでいないのを思い出したアキラは、まさか、と顔色を変える。
「トレ・マテル魔法使いギルドを、閉じるつもりですか?」
「設立された時代のギルドに戻るだけなのだよ」
アキラの問いかけに、ドミニクは穏やかな笑みを向けた。
「知っているかね? 設立された当時の魔法使いギルドに与えられていた役割は、転移魔術陣の管理、それだけだったそうだ」
人族が復刻させた魔術陣を、エルフ族は破壊しようとしたそうだ。復刻にかかわった魔術師らが交渉し、条件と引き換えに、魔術師らが人族の代表として転移魔術陣を管理する契約を結んだ。
「条件、ですか?」
「わしも正しくは知らんのだ……何せ古い契約であるし、当時のエルフ族らが書面に残すのを許さなかったと聞いている」
魔術陣の管理が何であるのか、それらを人族に許す条件がどんなものだったのか。代々のギルド長に口伝されてきているが、代を経るたびに少しずつ歪みが生じていた。ドミニクは転移魔術陣の研究過程で察したのだが、内容についての確証はない。
エルフなら正しい命約を知っているのではないか。チラリと探るようなドミニクの視線に、アキラは申し訳なさげに目を伏せた。
「改変技術を応用すれば、転移魔術陣を復刻できる可能も見えてくる。だがウナ・パレムも現状維持を望んだ」
「あのままでいいと……」
「以前を知っている者からすれば、戻せるならばと思うのだがな。あれから四十年も経ってしまっているのだよ」
転移魔術陣を失ったことで環境は大きく変化したが、今ではそれ以後に生まれた、厳しい環境を当たり前に受け止める人々のほうが多い。現状に適応した者からすれば、経験のない環境に変わることのほうが抵抗があるのだろう。
「エルフとの命約が破棄されたことにより、ウナ・パレムは魔術師のためのギルドとして発展してきた。娘はあちらで長く学んでいたから、わしが転移魔術陣を優先して弟子や所属の魔術師らを放り出したことが許せないのだよ」
だからキャロルは魔術師ギルドを作った。トレ・マテルに残った魔術師らも賛同している。現代の魔術師に必要なのは、古い命約のために魔術師が犠牲になる組織ではなく、苦境において助け合えるギルドなのだ。
「わしが一介の魔術師であれば、同じ結論に至っただろうよ」
古いギルドが消えても、転移魔術陣とその下にある魔法陣が消えるわけではなく、大陸にさほどの影響は生じない。だから後継を定めず、自分の代で命約を終わらせると決めた。
「管理する者がいなくなるのだから、せめて元の状態に戻したいのだよ」
そう言ってドミニクは穏やかに笑んだ。