09 ダッタザートの留守番たち・中
十一の鐘が鳴ってどれほど経ったころだろうか。
流れる厚い雲に月が隠されたわずかな間だった。
魔術学校に施された守りは、魔法使いギルドのそれよりも緩い。深夜でも街の巡回を欠かさぬ兵士らの目を盗み、闇に乗じて魔術学校に侵入した者は、二階の渡り廊下を滑るように走った。
ギルド側の扉に施された魔術鍵を、慣れた手つきで解錠し、わずかに開けた扉の隙間から忍び入る。外からの守りに対しては厳重だが、内部は無防備だ。高位の魔術師らは、まだギルド深層部への侵入に気づいていないのだろう。
なんなく魔法使いギルドに侵入を果たしたその者は、ニヤリと口端を歪めた。
書庫の前を素通りし階段部屋へ向かう足取りは自信に満ちている。
ギルド長は定時に帰宅している。残業していた副ギルド長もすでに退勤済みだ。宿直はいるが、職員控え室の奥の小部屋は遠いし、いつものように眠りの粉も仕込んである。これまで侵入に気付かれたことはない。万が一見回りに出くわしたとしても、身につけている幻惑のアミュレットは強力だ、当直の灰級魔道具師は破れない。
慢心した侵入者は階段部屋へと向かった。
壁沿いに設置された棚の、魔石を貼り合わせた学生作の何かが、暗闇でほのかに光った。
思わず足を止め、誘われるように目を向けた次の瞬間だ。
爆音と衝撃がその者を吹き飛ばした。
熱を含んだ風圧で壁に叩きつけられ、降り注ぐ壁材の破片が皮膚に食い込む。
「……離れ、ねば」
この爆音と振動なら、眠り粉など頼りにならない。目覚めた宿直魔術師が駆けつける前に立ち去らねば。
この場、この瞬間に、自分が存在していたと知られてはならない。
その者は折れた足を引きずり、血まみれの皮膚を庇いながら逃げようとしたが、数歩目で力尽きた。
+++
頭上からの爆音と振動で、職員控え室のベッドから飛び起きたヴェラールは、即座に杖に手を伸ばし、守りの術式を発動させた。魔道具師である彼は、開発実験で予期せぬ事故を何度も起こしている。その経験が、目覚めた瞬間だというのに、無意識に魔術を発動させたのだ。
「な、何事だ?!」
ギシギシと、天井や壁から不穏な軋みが聞こえる。
守りに加え、灯火の術を使った。
明るくなった室内に、細かな破片と埃が降っていた。
「学校にしちゃ近いぞ」
学生の自主実験の失敗は珍しくはないが、ギルドの建物を軋ませる規模の事故ははじめてだ。
「生徒は無事か?」
負傷で済めば良いが、もし死者がでていたら、魔術学校存続の危機になりかねない。ヴェラールは埃を払いながら慎重に控え室を出た。
ロビーの窓を開けると、近くを巡回していたらしい街兵が、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。兵士に踏み込まれて現場を荒らされれば、魔術検証ができなくなる。ヴェラールは建物の防護魔術の強度を上げた。
兵士から対面に建つ学校に目を移す。窓に明かりが次々に灯り、爆音で起き出した寄宿舎当番や生徒らが慌てる影が見えた。だが建物に損傷はない。
「まさか、こっちなのか?」
魔道ランプを灯そうとしたが爆発で壊れたのか反応しない。ヴェラールは杖に魔力を流し込み、灯火を大きく膨らませた。
天井にできたひび割れがあらわになった。
「階段室の扉の損壊が激しい……二階か!」
学生らの作った魔道具展示棚が爆発源なのは間違いなさそうだ。
壁が崩れ、扉の上半分が砕けたそこに駆けつけたヴェラールは、魔術防壁の強度を軽々と越える爆発の元が何なのか、再び爆発する可能性はないのか、それらを見逃さぬよう探知の魔術を放つ。
「……人がいる?!」
探知に引っかかった反応は、生命体をあらわしていた。負傷の度合いは判別できない。もし生きているなら確保し、治療と同時に何の目的で二階に侵入したのか問いたださなくてはならない。
「ウチに盗みに入って、学生の魔道具を誤作動させた結果の爆発か?」
崩れた階段を慎重にのぼって二階に上がる。
杖を先に突き出し、そろりと顔を出して様子を確かめた。
魔術学校との渡り廊下の扉は失われ、廊下の一部が落ち穴が開いている。展示棚のあった側の壁は存在しないし、二階の天井にも大きな穴が空いている。この位置だと三階の作業室も無事ではないだろう。
這うようにしてなんとか二階に上がったヴェラールは、杖の明かりを高く掲げて探知の示す存在を探した。
「……こいつか」
大きな瓦礫の間に隠れるように倒れている人物は、頭から足の先まで、夜に紛れる黒い衣だった。その者の足はあり得ない角度で曲がり、薄暗い中でもわかるほど大量の血であたりが染まっている。
慎重に近づき、黒い頭巾を掴んだ。
ずるりと外れた頭巾の下から現われたのは、青みがかった灰色の髪だ。ヴェラールはその色に覚えがあった。
瓦礫に伏せた頭を持ち上げ、そこに信じたくない顔を見た。
「……ベサリー!?」
ダッタザート魔法使いギルドの事務長だ。
何故事務長が深夜の魔法使いギルドにいるのか、どうして爆発源にいたのか。
「どうして彼女が!?」
「……誰かそこにいるのですか?」
ヴェラールの叫びに応えるように、女性の声がした。学校側から様子を見に来た魔術師が、渡り廊下の穴を飛び越え、瓦礫を避け、クルクルの金髪を跳ねさせながら駆け寄る。
「ヴェラール! 無事でしたか」
「!! モリン、怪我人がいるんだ、治療を!!」
治療魔術師のモリンなら、ベサリーの命をつなぎ止められるはずだ。
「これは、ベサリーですか? どうして」
「詳細は後だ。絶対に死なせるな。彼女は……この爆発の犠牲者ではない可能性が高い」
「それはどういう……まさかっ」
「いいか、絶対に死なせるな。だが完治はさせるな。逃げられない程度の負傷を残しておくんだ」
「……あたし白級なの、そんな難しいのは無理だよ」
「やるんだ。外部の連中に見つかったら、医薬師ギルドが出てくるぞ。連中はこっちの都合なんか無視して完治させるし、隠しておけない。これを街兵に引き渡さねばならなくなるんだぞ」
容疑者が兵舎に渡ってしまえば、魔法使いギルドが必要な情報は得られないどころか、ギルドに忍び入る方法を兵士に教えてしまうことになりかねない。それでは困るのだとヴェラールがモリンを説得する。
「ギルドの秘密は外には漏らせない。それに我らの城に紛れ込んだ敵の尋問を、他者に委ねるのか?」
痛みで精神力を奪い、治療と引き換えに自白を促すつもりだというヴェラールの決意を聞き、モリンは覚悟を決めた。
「ギリギリ命をつなぐ治療ね……やってみる」
はらりと落ち視界を邪魔する前髪を掻き上げて、モリンは血まみれの同僚の状態を探った。
ヴェラールはモリンに場所を譲り、騒がしくなってきた階下へ向かった。集まってきた野次馬を遠ざけ、街兵らの立ち入りを妨害しなければならない。
「ギルド長、副ギルド長、急いでくださいよ」
緊急連絡用の魔紙を飛ばした後、ギルドの接客で身につけた薄い笑みを張りつけたヴェラールは、防護魔術の壁の外側で執拗に立ち入りを要求する兵士に向かっていった。
+++
魔法使いギルドの爆破損壊を知った街の人々は「ああまた魔術学校か」と軽く聞き流した。いつもの事故よりも規模は大きかったようだが、幸いなことに死傷者はいないのだ。被害が建物だけなら、学生が負傷していたこれまでの事故よりも軽微であり、騒ぐほどではない。そんな認識のようだ。
隣人らとは反対に、これまで魔術学校の事故には無関心を貫いてきた街兵や騎士が、執拗に事故の調査を求めてきていた。
コウメイはギルド長専用書庫で待機し、爆破事故の直後から人々の行動を密かに観察し、ジョイスやパトリスからの報告を受けて策を練り、街兵や騎士への対策を細かく指示していた。
「魔道具を展示していた学生で、事故の原因になったって気に病んでる奴はいたか?」
「いませんね。むしろどうやって爆発したのか検証したがっている者ばかりです」
「……熱心なんだか図太ぇんだか」
ジョイスは学生らの反応を想像していたのだろう、苦笑いである。学校職員は学生らを現場から遠ざけるのに苦労しているようだ。
罪をなすりつける形で騒ぎを起こしたコウメイは、学生が罪悪感に打ちひしがれた場合の対策も考えていたのだが、その心配はなさそうだと安堵した。
ギルド長室には職員や魔術師が頻繁に出入りしている。特にパトリスは騎士団や街兵対応窓口として忙しく働いていた。彼の報告はギルドの外の動きが中心だ。
「街兵が現場の調査を要求していますが、未来ある生徒に瑕疵をつけたくないからと断わっています」
表向き被害者はいないのだ、損害を被った魔法使いギルドがそれでいいと主張するのだから、街の安全を主張する兵士らも強気に出にくいだろう。
「強引に押し入ろうって兵士はいねぇか?」
「いましたので、ヴェラールがギルドの防犯魔術を強化しました。カミーユにも学校の守りの強度を上げるように指示していましたよ」
関係者以外の立ち入りを禁止すると張り紙をしているが、そんなものに躊躇する連中ではない。兵士らだけでなく、混乱に乗じて内部を探りたい密偵も、野次馬にまぎれて入り込もうとしているだろう。
第一発見者となった魔道具師は、許可のない者の入館を阻むように防護魔術の書き換えを速やかに行っている。魔術破りをさせないよう、見張りも頑張っているようだ。
「ヴェラールってのは最初に駆けつけた宿直当番だよな。的確な判断だ。そういや重体の密偵はどうなってる?」
「モリンが頑張ってくれて、命を取り留めたそうです」
白級治療魔術師はヴェラールの難しい指示に応えてくれた。容疑者の命をつなぎ止め、けれどしかりと痛みを残した。葛藤があっただろうに、治療魔術師としての使命を曲げてくれたのだ。
「第一発見者のヴェラールと治療にあったモリンは信用できそうだ、こっちのたくらみに引き入れようぜ」
今は信用できる人手が一人でもほしい。コウメイがそう言うと、パトリスが「実は」と申し出た。
「そのヴェラールが、ギルド長に面会したい……密かに、と」
爆発直後の彼の判断と行動は信用できる。できるだけ早くこちら側に引き入れるべきだと考えていたところだ。全てを明かすことはできないが、ある程度の情報は問題ないだろうと打ち合わせた後、ヴェラールをギルド長室に呼んだ。
緊張の面持ちでやってきたヴェラールは、挨拶もそこそこにジョイスの執務机に小さな布の包みを置いた。
「これは?」
「ベサリーの倒れていた近くに、これが落ちていまして……街兵に見せるのはまずいと思い回収しておりました」
灰級魔道具師の言葉に、ジョイスが布を開ける。包まれていたのは魔術陣が刻まれた、ふくらんだ革袋だ。紐を解いて中を確かめれば、ごろりと大きな魔石が入っていた。物証を得られたのは幸いだが、落胆も大きい。ジョイスは肩を落し革袋を握りしめる。
「……これが何のための物か、わかっていますね?」
「だから回収しました。ベサリーはギルドの何を探っていたのですか?」
ジョイスの視線が背後をうかがうように逸れた。その先を追いかけたヴェラールは、開いた隠し扉と、その奥に佇むコウメイを見て、思わず声を上げそうになった。
「ぎ、ギルド長」
「心配いりません。彼は僕の要請で手を貸してくださっている方です。昨夜以前からずっと僕たちに助言くださっているんですよ……実は昨夜の爆発は、事故ではなく我々が仕掛けたものです」
やはり、とヴェラールが息をのんだ。倒れているベサリーと魔術陣の刻まれた革袋を発見したときから、彼は薄々予想していたらしい。
「ギルド長はベサリーの侵入に気づいていたんですね」
「彼女だとは思っていませんでしたが……度重なる侵入の痕跡があったんです」
あぶり出すための爆発事故で密偵が判明したのは運が良かった。
書庫から出たコウメイが、ジョイスの手から革袋をつまみあげた。
「悪いが、俺は魔術はさっぱりだ。これは何に使う物なんだ?」
「革に刻まれているのは魔術鍵の解錠式です。袋の中に魔石を入れて、それで魔術鍵を解錠できます」
発見されたベサリーの着衣のポケットには、予備と思われる魔石が複数入っていた。いつものように転移室への侵入を試みて、運悪く爆発に巻き込まれたのだろう。
「ギルド長、ベサリーはギルドの何を探っていたのですか?」
「転移魔術陣です」
「なんと!」
「何に使おうとしていたのかはわかりません。ベサリーが喋ってくれるといいのですが」
負傷した密偵はコウメイの伝手で、とある小さな薬店に運び込まれていた。店主の友人冒険者が、ベサリーの見張りを引き受けてくれている。治療魔術師のモリンは、爆発で使えなくなった薬草を仕入れに行くという名目で頻繁に足を運び、ベサリーの生命維持にあたっていた。
控えめなノックがした。
「ギルド長に領主様からのお手紙が届いています」
使者は手紙を渡してすでに立ち去ったそうだ。返事を求めない内容を想像して顔を曇らせたジョイスは、震える手で封蝋を剥がした。
「り、領主命令で、全ギルド職員への聴取を行うとのことです。騎士団詰め所にて、とのことですが……」
「動き出したか。領主命令なら断われねぇな。だが言いなりになるのもマズイ。聞き取りはこっち側の陣営でやるように手配してくれ」
「領主が応じるでしょうか」
「応じさせるんだよ。全員の聴取ってことはジョイスさんとパトリスさんも対象だ。連れて行かれてそのまま拘束されたら困るだろ」
転移魔術陣を使える二人を領主側に押さえられたら終わりだ。
「ですが、ギルドへの立ち入りを許せば、別の者に探られるのではありませんか?」
「場所はギルド外の、そうだな魔術学校の面談室でいいんじゃねぇか?」
玄関脇の部屋なら騎士らを奥まで通す必要はないし、ギルドの対面ならば監視もしやすい。
「爆発の原因がハッキリしてねぇから、また何かが爆発したら責任が持てないとでも言って脅しておけ。建物の崩壊具合を外から見ただけでも、巻き込まれたら命が危ないくらいは理解できるはずだ」
まだ安全が確認できていないから、魔術防壁で立ち入りを拒んでいるとの言い訳もたつ。
「それで拒否するなら、こっちの後始末が終わってから応じると突っぱねる。向こうはベサリーの情報を欲しがってるはずだ、多分折れてくるぜ」
ジョイスはコウメイの指示に沿った内容の返事を書いた。
「ああ、騎士団に聴取させる前にこっちでも全職員から話を聞いておこう。まだ何か出てくるかもしれねぇ」
「ベサリーの他にも密偵がいると考えているんですか?」
「可能性はゼロとは言えねぇだろ」
まだ敵が潜んでいるかもしれないとコウメイに指摘され、魔術師三人は息をのんだ。
+
ジョイスは領主への手紙を騎士団員に託した後、全ギルド職員及び学校教職員を召集した。全員の安否確認と、前日の行動の確認、最近のギルドや学校で異変や気づきはなかったかの聞き取りだ。
点呼を取った順にパトリスがロビーで簡単な面談を行った。
「昨日の昼前でした。聴講申し込みのあったミキという冒険者に、学校とギルドの書庫を案内したんです」
爆発現場近くまで不審者を導いてしまったのではと、責任を感じた学校事務員は酷く憔悴していた。爆発の原因はまだ解明されていないし、職員に責はないとなだめ休養を取るようにすすめた。
「昨夜はベサリーさんと食事をして、遅くなったので自宅に送って行きまして。そのあと自宅に戻りました」
副学校長のカミーユはギルドにも学校にも、特に変わった様子はなかったと証言した。
「ベサリーさんの姿が見えませんが、彼女は別室ですか?」
「どうだろう、身支度が遅れているだけじゃないか? もともと今日の彼女は休日だったのだし。全職員に収集をかけているからすぐにやってくるだろう」
「あの、少し抜けさせてもらってかまいませんか? 彼女の様子を見てきたいんです」
不安そうなカミーユの言動に不審な点はない。純粋にベサリーの身を案じているのだろう。だが迎えに行かせ不在に気づかれて騒がれては困る。
パトリスはカミーユに仕事を与え、気を反らせることにした。
「今は魔術師の手が必要です。解体や復旧工事に多くの人が出入りします。魔法使いギルドの内部を不特定多数に荒らされないよう、ヴェラールを手伝って守りを固めてください。ベサリーの家には彼女の部下に行ってもらいますから大丈夫ですよ」
ギルドの守りを固めることが、恋人を仕事場でも守ることになると言いくるめられ、カミーユは仕事を快諾した。
「……カミーユはベサリーとお付き合いしていたのですね」
彼は白級の錬金魔術師だ。魔術陣の改良の専門である。ベサリーの持っていた解錠の術式を提供したのは彼だろうか。
「は、あの、……はい」
「恥ずかしがる必要はありませんよ。そうですか、ベサリーと。デートで彼女に贈り物はしていますか? 例えば自作の魔道具や、錬金魔術のアクセサリーなどですが」
真っ赤になって身を縮こまらせているカミーユは、パトリスの質問が少々不自然であることに気づかなかった。
「私は魔術陣の設計は得意ですが、物体への付与は苦手なんです。でもベサリーはそんな私を頼ってくれてたんです」
そこから彼女との付き合いがはじまったのだとカミーユは嬉しげに語った。
「頼るとは、君の魔術をか?」
「はい。宝石箱の鍵とか、クローゼットの鍵とか、玄関とか、あちこちの防犯を強化したいというので、魔術鍵をつけました。魔力のない彼女が解錠の術式を使用できるようにするのに苦労しました」
恥ずかしそうに、だが嬉しそうに惚気るカミーユを、パトリスは哀れに思った。
職員の安否確認を兼ねた聴取は続いた。
「爆発事故とは関係ないかもしれないけど……」
そう前置きし、アデールがポツリポツリとこぼした。
「ギルドの魔石取引……多分、横領されてる……と思います」
「魔石の横領かね?」
「厳密には、横領とは違うかも……」
パトリスが興味を示したことで、アデールの言葉がしだいにしっかりとしたものになっていった。
「カウンターにいると、変な行動をする客に気づくんです。私は魔石測定の席を担当しているけど、あの冒険者はいつもベサリーの列に並んで魔石の買取を申し込むんです」
毎回ベサリーに「管轄外」と突っぱねられるくせに、アデールの列に並ぶことはなくギルドを出ていく。ベサリーを口説くにしては奇妙であり、気になって観察しているうちに気づいたのだ。
「手を取って握らせた魔石が、そいつに返されるときに別ものに変わってました」
「それは確かか?」
「私は薬魔術師だけど、魔石鑑定の担当は長いんです。含有魔力が明らかに異なる魔石は見ただけでわかります」
冒険者がベサリーに手渡す魔石は、中魔石のなかでも最高濃度の石ばかりだ。なのに突き返された魔石は、大きさは中魔石であっても色はクズ魔石並みに薄い。
「何のために魔石をすり替えてるのかわからないけど、不正をしているんだと思う」
「なるほど。だからか」
パトリスは少し前に、ベサリーからアデールに嫌われているようだと相談されたことがあった。アデールが根拠のない敵意を抱くはずがないのにと不思議に思っていたが、カミーユと、そして魔石への疑惑があったからかと得心がいった。
「その冒険者は複数か? 名前はわかるか?」
「一人です。名前はルドルフだったかな」
顔もしっかりと覚えていると言うので、彼女に今後出入りする職人や雇われ冒険者のなかにルドルフがいないか見張るように命じた。
呼び出しに応じた全職員の面談が終わったところで、パトリスはヴェラールを連れてギルドを出た。検問よろしく立ちはだかる騎士に「出勤してこない職員の自宅を訪問する」と説明すると、二人の騎士が強引に同行してきた。
貴族街に近い町の貸家がベサリーの自宅だ。
「大家さんと、街兵がいますね」
「何か揉めているようですよ。何でしょう?」
おそらくはパトリスらよりも先に室内を検め、魔法使いギルドに見つかってはまずい証拠か何かを回収しに来たのだろう。パトリスらと騎士を見た街兵は、慌てたように場所を譲った。
「あんたたちも中に入りたいのかい? 悪いが勝手に鍵を変えられているようでね、開かないんだよ」
大家は腹立たしげに自分の持つ鍵を振って見せる。鍵を差し入れ回すと「カチリ」と音がするのに、押しても引いても扉は動かないのだ。街兵が扉を蹴破ってでも中に入りたがったのを、大家が反対して揉めていたらしい。
「ああ、これは魔術鍵が解除されていないからですね」
「なんだいそれは。困るよ、勝手にそんなことされちゃ」
魔術鍵の破壊は扉そのものに影響がないと説明すると、大家は今すぐ壊してくれと言った。薄目で街兵と騎士の顔色をうかがうと、仕方なさそうに無言で立っている。
ヴェラールに鍵の魔術陣を写し取らせてから、魔術鍵を破壊した。ゆっくりと動き出す扉が開ききる前に、騎士が割り込んで真っ先に室内に踏み込んでいた。パトリスらを押しのけるようにして街兵が続く。
「室内にも魔術鍵か隠匿魔術のかかった場所があるかもしれない、探ってくれ」
声を潜めたパトリスの指示に頷いて、ヴェラールは室内に入った。
独身女性の部屋にしては生活感の薄い印象だ。人となりや趣味嗜好が全く読み取れない。まるで執務室のような、利便性と機能性だけを優先したような部屋だった。寝室にも洗い場や台所にも、女性らしい色彩や形どころか、生活感が見られない。
あちこちの扉を開け放してはのぞき込む騎士や街兵は、ベサリーや証拠を見つけ出せず焦っているように見える。家具の扉や引き出しを乱暴に開けて何かを探す騎士らを、二人は黙って見ていた。
「家にもいないなんて」
「彼女はどこに行ってしまったんだろうな」
白々しい会話を続けつつ、二人の魔術師は騎士らの後をついて歩く。騎士の後ろで魔力を探知できる者にしかわからない鍵や隠蔽を探してゆく。
寝室にいる街兵が踏む絨毯が、かすかに隠蔽の影で歪んで見えた。
兵士らが部屋を出るのを確かめて素早く絨毯をめくる。
「この癖は間違いない、カミーユの術式だ」
「女性に免疫のない彼をとことん利用してやがるんだな」
隠蔽魔術を無効化すると、絨毯下の板床に切り込みが現われた。板を外したそこに小箱ほどの凹みがあった。隠されていた羊皮紙の束を全て回収し、元通りにする。
何食わぬ顔で街兵の後を追いかけ、全員でベサリーの不在を確認した。
「確か親類は街にいないと聞いています。彼女の保証人は誰だったかな。ギルドに戻ればわかると思うので、ギルド長と相談して対応しますね」
魔法使いギルドに戻る二人を騎士も街兵も追ってこなかった。
+
「……領主の命令書ですね」
二人が持ち帰った羊皮紙の束を確認したジョイスは、眉間を揉みほぐしながら息を吐いた。領主の署名はないが、私的な手紙に使用される紋章が型押しされている。ジョイスが受け取った脅迫の手紙も同じ羊皮紙だった。
七枚の全てに、読んだら処分するようにと書かれている。脅迫の文面ではなく、仕事の対価として金銭や地位を約束する内容ばかりだ。ベサリーは自ら望んで領主の密偵になったようだ。
「これ、密偵仕事で失敗したときの保険として隠してたんだろうな」
「カミーユが疑いもせずにこんな細工に手を貸してたなら、それはそれで問題だぜ」
内向的で特に女性に対する強い恐怖感を持つカミーユだが、同じギルドで接する女性らには信頼があり、恐怖心も抱いていない。そんな一般的な好意の気配を上手く利用され、ギルドの情報収集や魔術鍵の主鍵の魔術陣や使用方法を漏らしてしまったのだろう。年齢を考えてもチョロすぎるとコウメイは渋い顔だ。
「これで領主を問い詰める証拠は手に入りました。この先はどうしますか?」
「時間稼ぎのつもりだったんだが、展開が早すぎる。少し足踏みしておこうぜ」
「足踏み、ですか?」
どうやるのかと問いかける彼らに、コウメイはイタズラを仕掛けるような笑みを向けた。
「まずはジョイスさん、ちょっと寝込んでみようか」
「は?」
「心身疲労で倒れたことにして、しばらく自宅で引きこもっててくれ。組織のトップが決済できねぇんだから、ギルドの仕事が滞っても不自然じゃねぇし」
副ギルド長のパトリスが業務を代行するが、慣れていないためさまざまな決済がすすまないと言い訳すれば、領主が新たな脅しをかけてきても引き延ばしは可能だ。アキラが戻ってくるまで、転移魔術陣の改変を終えるまでの時間は、可能な限り長く稼ぎたい。
「それと時間稼ぎしている間に、証拠を積み増しする」
「積み増しですか」
「ベサリーの保管していたコレだけじゃ、領主に対抗するには弱いからな」
ジョイスへの脅迫も、ベサリーへの命令書にも、領主の署名はない。領主の私的紋章入りの便箋が使われているが、盗まれた物だと主張されればどうしようもないのだ。
「ルドルフって冒険者の身柄を確保してぇな」
他にも協力者がいるのなら、それらを見付けだして証言を得ておきたかった。ヒロに探してもらうしかない。
頷いたジョイスがヴェラールに問うた。
「防護魔術の改良は進んでいますか?」
「印数片探知の検証さえ済めば、すぐにでも展開できますよ」
こんな状況だというのに、ヴェラールは魔武具の改良を楽しんでいるようだ。その声は自信に満ちている。
「では明日から瓦礫掃除と修復工事の人を入れるように手配します。ギルドが雇った人員に印数片を配り、常に見張るようにしてください」
誰に何番の印数片を配ったかを記録しておき、その動きを追跡する魔道具に記録させるのだ。もし偽物を使って紛れ込んでも防衛魔術がはじき出す。持ち主が入れ替われば異常を表示するようにも設計してある。工事の混雑に紛れて転移室への侵入も、新たな密偵への対策も完璧だった。
「じゃ、これからジョイスさんがぶっ倒れて運び出されれば完璧だぜ」
「ではモリンを呼びますので、それらしい診断を出してもらいましょう」
最低でも五日は安静が必要という診断書を書き、それを盾に騎士団や街兵の追求をかわすことにした。本当に気絶したほうが疑われないからと、ジョイスは魔力切れ寸前までギルドの守りに魔力を注ぎ込んで、他の職員らが見守る真ん前で見事に気絶して見せた。
窓の外から見ていた街兵も、ジョイスの仮病を疑いはしなかった。
+
工事関係者の出入りが多くなるのに紛れ、小細工をたくらむ雇われ冒険者や、変装した街兵や騎士が面白いように引っかかった。
ヒロの指示で雑用に雇われたユウキは、防護魔術に弾かれた者らを記録し、父親の伝手に情報を渡した。
その中にルドルフという名の冒険者はいなかった。