07 放棄されたマーゲイト
『マーゲイト』
魔力のこもったアキラの古代魔術語が消えると、空気が一変した。
鼻につく異臭に、二人はそろって顔をしかめる。
「カビくせーよ」
「かなり湿気っているようだな」
ゆっくりと力を失ってゆく転移魔術陣の光だけでは、どこに異臭の根源があるのかはわからない。
光が消え、闇に包まれた。
「廃墟みてーだぜ」
一瞬の明かりで周囲を把握したのか、あるいは獣人の敏感さで感じ取ったのか、シュウの言葉は的確だった。アキラが杖先に作った小さな灯火で周囲を照らすと、見るに堪えない空間が浮かびあがる。
嗅覚に視覚が加わると一気に不快感が増す。シュウは少しでも臭いを遮ろうと鼻と口を手で被い、アキラは袖に鼻先を押しつけた。
「うわー、汚ねーなー」
「天井のは、何の染みなんだ?」
「壁紙がボロボロじゃねーか」
「床も酷いな、魔術陣のない部分の大半がひび割れている……ほとんど使われていないんだろうな」
この様子では何年も、下手をすれば十数年、誰も訪れていないに違いない。アキラはため息を袖に押しつけた。
「ギルドはペイトンに移ったと聞いていたが、転移魔術陣を放置するなんてどういうつもりなんだろう」
「そりゃ陸の孤島だし、ここに用事がある魔術師なんかいねーからだろ」
他国ギルドとの話し合いは、水鏡で十分だ。もともとマーゲイトは物資の移送に転移を利用していなかった。おそらくは魔法使いギルド長の総会に出席するときぐらいしか使われていなかったはずだ。
「だからってこれは、ちょっと酷すぎる」
転移魔術陣の下に隠されているもう一つの魔術陣をマーゲイトのギルド長は知らないのだろうか。
「……調べてみるか」
「おい、道草食ってる暇ねーんだろ?」
「どうせ朝を待つしかないんだ、その間の時間は有効活用してもいいだろう」
「有効活用ねー」
シュウならともかく、アキラが夜の山道をくだれば、あっという間に滑落は間違いない。救出の面倒さを考えれば、アキラの道草に付き合ったほうがましだろう。
「とりあえず、いっぺん外に出よーぜ。こんなカビ臭せーところで飯食いたくねー」
「空気を入れ換えて、掃除もしたいな」
焼き肉の包みを守るように持ち直したシュウは、湿気とカビで朽ちかけた木扉にそろりと触れた。
「壊すなよ」
「壊れても俺のせいじゃねーよ」
そろりそろりと慎重に扉を引く。二重扉だった。もう一枚の木戸を押すと、ギギギと軋音がする。
「へー、このドア、本棚なのかー」
「ここは、ギルド長室のようだな」
部屋には執務机に椅子、応接用の長椅子とテーブル、書棚や収納家具が残されていた。床に積もった埃の厚さからも、全く人が出入りしていないのは明らかだ。
「書棚は空っぽか。書庫はどうなんだろう……あとで調べるか」
「アキラ、道草食いすぎだって」
「夜は長いんだ、有効活用しなきゃもったいないだろ」
「飯食って寝りゃ夜なんてあっという間だぜ」
二人は埃を立てないよう、そろりそろりと部屋を出た。廊下や台所、以前昇級試験を受けた広間も似たり寄ったりだ。二階の寝室も点検したが、どこもベッドの木枠しか残っていなかった。
全ての部屋を確かめた後、二人は広間の隅に落ち着いた。風魔法で埃を払った絨毯の上に荷物を置く。台所を借りて茶くらいは入れようと思ったのだが、さすがに魔道コンロは残っていない。アキラが出したあたたかな水で我慢した。
「レンチン頼むぜー」
「どうして食料が肉ばかりなんだ……」
「文句言うなら自分で調達してこいって」
冷めていた肉料理を温め、パサついたパンを水で流し込んで夕食を終えた。夜は長いが、疲労回復の時間を考えれば、自由にできる夜は短い。アキラは杖の明かりを手に、まずはかつての書庫に向かった。
「どうせ引っ越しで全部運び出されてるんじゃねーの?」
「シュウは寝てていいぞ」
「コーメイに見張っとけって言われてるし。目の届かねーところで罠にハマられても困るしなー」
「俺はそんなに間抜けじゃない」
ぶすっとした横顔に「どうだか」と返して、シュウはアキラより先に書庫の扉を開けた。
暗闇の室内をざっと探り見て、魔物や魔術罠以外の危険がないのを確かめてから、アキラに場所を譲る。
「……がらんどうだな」
「こっちはちゃんと本棚も運び出してんだなー」
室内に突き入れた杖の明かりが強さを増し、部屋の隅々まで照らした。壁を占めていた書棚も、天井まで届く書棚も、何も残されていない。
「なんもねーからか? 意外に狭く感じるよな」
「……」
「どーした?」
室内を照らして首を傾げるアキラに、何かあるのかとシュウの気配が警戒で尖る。
「歪んでいるような……ああ、あそこだ」
アキラが指さしたのは左手奥の石壁だ。
「ただの壁だろ?」
「シュウの目では見付けられないだろうな。高度な隠蔽魔術がかかっている」
違和感を感じたアキラが目を凝らし、漂う魔力の気配を探ってようやく気づいたのだ。高位の魔術師でなければ発見できないだろう。
警戒しつつ近づいて、腰よりも高いあたりの壁を杖で軽く打つと、コツン、コツンと軽い音がした。
「石壁の音じゃねーな。乾いた木っぽいぜ」
「ここに書棚があるみたいだ」
指先で探りを入れていたアキラが、隠蔽魔術陣を見付けて無効化すると、小さな木窓が現われた。強い保存魔術の効果だろうか、転移室の扉よりも状態は良い。軽く魔力をぶつけて罠がないのを確かめたアキラは、静かに木窓を開けた。
「へー、隠し戸棚か」
「これに気づかないなんて、マーゲイトのギルドは大丈夫なのか」
壁をくりぬいて作られた小さな戸棚に、数冊の本が収められていた。古びてはいるが、朽ちてはいない。掘り戸棚の中にも強力な保存系の魔術が掛けられているのだろう。アキラはその一冊を取り出して丁寧に頁をめくった。ゆっくりと文字を追っていた視線の動きと頁をめくる手の動きがしだいに速くなる。
「意味ありげに隠してたってことは、すっげー秘密が書かれてたりすんのか?」
「……とんでもない秘密ではあるが、俺たちにとっては今さらだな」
顔を上げたアキラは苦笑していた。
「ウォルク村の起源と魔法使いギルドの関わりが書かれている」
「は?」
残る本の内容も大雑把に確かめて、アキラは二冊を選び出した。
「狼獣人族に助けを求められて、エルフ族が森の奥に匿ったのがウォルク村のはじまりだ、と書かれている」
人族とは隔絶された場所に獣人族の住む場所を作ったのはエルフ族。獣人族と人族の間で、壁の役割を果たせとエルフ族に命じられたのが、当時の魔法使いギルド長だったらしい。
「エルフ族がこの地に狼獣人族の村を作ったのは、転移魔術陣と魔法使いギルドがあったからだそうだ」
アキラの説明を聞いたシュウは眉をひそめた。
「前にウォルク村を探しに来たときにわかったコトと、違ってねーか?」
確か二百五十年ほど前に、森の奥に隠れ住んでいた獣人を最初に発見したのがマーゲイト所属の魔術師で、村としての体裁を整え隠れ住むのに協力したのではなかったか。
「……あの資料は書棚にあり、こちらの書き付けは隠されていた。つまり、そういうことだろう」
真実を隠し、対外的に問題のない情報を表の書棚に置いてあったのだろう。あの頃、この事実を知っていたからと言って、何ができたかはわからない。
「――ほんっと、今さらじゃねーか」
「未熟だったとはいえ、隠蔽魔術に気づけなかったなんて、悔しいな」
当時のアキラは、魔力量の多さで橙級の魔術師証を得ていたが、実際は黒級から灰級程度の知識もなかった。複雑で繊細な魔術に疎かった自分が気づけなかったのは当然だが、魔術師歴の長い師匠連中がなにも言わなかったのは不自然だ。
「細目のヤロー、知ってて隠してたんじゃねーの?」
「可能性はあるな。多分ミシェルさんも」
「俺らがワタワタしてんの見て、ニヤニヤしてたんだろーぜ。ムカつくーっ」
シュウの拳が石壁に八つ当たりする。しかしさすが腐っても魔法使いギルドの書庫だ。魔術師にとって命である魔術書保管に特化した部屋は、全力の一撃に傷一つつかない。逆にシュウの拳が壁の頑強さに悲鳴をあげていた。
自業自得の痛みに耐えるシュウに、アキラが二冊を差し出した。
「この二冊はシュウが持っていたらどうだ?」
「なんでだよ」
狼獣人族への知識が深まるぞと微笑むアキラに、シュウは興味なさげな視線を向ける。
「読めねー本なんかいらねーよ」
「ウォルク村の秘密だぞ。少しは勉強したらどうだ」
「そりゃあのころなら頑張って読もうとしたかもしれねーけど、もう村はねーんだぜ」
「……だが、獣人族への理解を深める役には立つぞ?」
「もう実地で深めてるだろ」
近年は獣人だらけになったナナクシャール島で、シュウはいくつかの種族と親交を深めている。一族に加われと誘いも受けていたが、全て笑ってお断りしていた。
「今の俺には必要ねー本だよ」
シュウにはあのころのような焦燥はない。それを証明するかのように明るく笑って、二冊を押し返した。
カラリと返したシュウの言葉に、アキラはほっとしたように小さく微笑んで、その二冊を隠し戸棚に戻した。
アキラは木戸を閉めるのではなく、残った数冊に手を伸ばした。それを見てシュウが呆れ顔でため息をつく。
「なんか徹夜で読みそーな気配がするんだけど?」
「まさか。俺は睡眠時間を削って依頼に支障をきたすつもりはないぞ」
そう反論するくせに、アキラの視線は忙しく文字を追いかけている。
「おもしれーか?」
「ああ、興味深いし、もっとすごい驚きの事実もある」
全ての本をパラパラと流し読みしたアキラは、黒い革表紙の一冊を選び出すと、残りを隠し戸棚に収めて木窓を閉める。
カチリ、と音がして幻影魔術が発動した。
「忘れ物をドロボーすんのかよ」
「人聞きの悪い。廃棄されているものを拾っただけだ」
忘れ物の保存期間は三ヶ月だ。ギルドがペイトンに移って十年以上もたつのだから、すでに権利は魔法使いギルドにはないと、アキラが正当性を主張した。シュウは屁理屈を盾にしてまでアキラが欲しがる本に興味が湧いた。
「で、それ何の本なんだよ?」
「マーゲイトの転移魔術陣についてだ……どうやらここの転移魔術陣は、トレ・マテルよりも先に自己主張をしたらしいぞ」
二人は居間に戻り、荷袋の側に向かい合って腰を下ろした。アキラは本の内容を確認しながら、シュウに説明してゆく。
「トレ・マテルの魔術陣が、攻め入られて地下に潜ったのは覚えているだろう?」
「地下トンネル掘ったからなー。これから行くトコだろ? 何かカンケーあんのかよ」
「マーゲイトの魔法使いギルドは、元々はここになかったらしい」
「ドコにあったんだよ?」
「標高千三百マール(百三十メートル)に」
アキラは床を指さしてにっこりと微笑んだ。現在地は標高二万マール(二千メートル)を越える険しく高い山頂だ。
「簡単だぞ」と謎解きのようなヒントの断片を提示され、シュウは必死に考える。
「自己主張ってーことは……もしかして、マーゲイトって、昔は山のてっぺんじゃなかったのか?」
「正解だ。元は森に囲まれた小さな丘の上にあったらしい」
アキラは楽しそうに黒い表紙の本を撫でる。
「さっきのウォルク村の起源も無関係ではないようだ。時代はハッキリ書かれていないが、町と狼獣人族の村の中間地点にあった魔法使いギルドが、狼獣人を狙う人族に襲撃されたらしい」
おそらくは獣人族との対立が最も激しかった時代だろう。武器を持った人族の集団が、町を襲われた報復に、まだ名前のなかった狼獣人の村へ向かった。立ちはだかるように存在していた塔と壁を破壊しはじめたとき、突如地面が盛り上がった、とある。
「魔法使いギルドの建物ごと、周辺の大地が急激に隆起し、瞬きの間に越えることのできない山ができたそうだ」
「嘘っぽいけど、嘘じゃねーんだろーなー」
勝手に地下に潜って隠れた例もあるのだ、届かない高みに避難したと聞いても疑う気にはなれない。
「目の前で山ができるのを見た人族は恐れをなして、これより奥に攻め入るのを諦めたらしい」
アキラが手にしているのは、当時の魔術師の書きつけだ。それによれば塔の中で防衛に徹していた魔術師らは、突然立っていられないほどの激しい揺れに襲われ、床に這いつくばって耐えた。一鐘にも思える揺れがおさまり、這って塔の外に出た魔術師らは驚愕する。目の前にあった森が消え、どこまでも遠い空が目の前にあったからだ。
攻撃していた人族らの目には、魔術師が一瞬で山を作るような魔術を使ったように見えたはずだ。パニックで収集がつかなくなったに違いない。
「どっちも驚いただろーなー」
「山頂に取り残された魔術師らはずいぶん苦労したらしいぞ」
マーゲイトの転移魔術陣は人の転移ができなくなっていた。食料は転送してもらえたが、いつまでも山頂に留まるわけにはゆかない。だが引きこもりの魔術師に下山道を拓けというのは酷だ。
「どーやって山をおりたんだろ?」
「助けは半年後だったそうだ。狼獣人らが拓いた山道が今も使われている道だそうだ」
「あの道、獣人が作ったのか。どーりでアクロバティックなはずだよなー」
かつて何度も足を滑らせ滑落しかかったアキラは笑みを引きつらせているし、そのたびに引っ張り上げたり受け止めたりしていたシュウも苦笑いだ。獣人の身体能力を基準に作られた山道で下山するしかなかった魔術師らは、全員無事に麓にたどり着けたのだろうか。
「あれ? けど俺ら今回、転移してきたよな?」
「そこが驚きの事実なんだが……マーゲイトは、制限のかかった転移魔術陣を、元の状態に修復している」
他国の魔法使いギルドから多くの錬金魔術師がマーゲイトに集まり、転移魔術陣の変異を研究して、長い年月をかけて人の転移を可能な状態に戻したらしい。
「それ、ものすっごくスゲーんじゃ?」
「ああ、とてつもなく貴重だ。ジョイスさんの改変にも参考になるし、なによりドミニクさんへの手土産にちょうど良いと思わないか?」
まだじっくりと読んだわけではないが、転移可能な状態に修正した過程も記録されている。これを研究すればトレ・マテルに再び人の転移が可能になるかもしれない。
「読み終わる前に土産にしていーのかよ?」
シュウは目を剥いた。知識を得る前に貴重な情報や本を手放すなんてアキラらしくない。
「熟読する時間がないから仕方ない。今回はスピード勝負だからな」
本当ならもっと時間をかけて読み込みたいし、マーゲイトの転移魔術陣も研究したいのだ。少し残念そうなアキラが本を閉じる。
「腹ごなしも終わったことだし、転移室に戻るか」
「そこは寝るか、じゃねーのかよ」
「資料が手に入ったんだぞ。標本があるのだから写しを取るに決まっているだろう」
「決まってねーよ」
自分たちの都合に合わせた転移魔術陣の改変のためには、一つでも多くの事例が必要だ。そう正当性を主張したアキラは、キリリとシュウを見あげる。だがシュウは譲らなかった。
「ケギーテは三人がかりで一日かかったじゃねーか。俺は戦力にならねーんだぜ」
アキラ一人でマーゲイトの転移魔術陣を写し取っていたら、それこそ時間オーバーしてしまう。間に合わなかったらどうするのかと呆れ顔で見下ろすシュウだ。
「大丈夫だ。朝まで時間はたっぷりある」
「睡眠時間を確保しろつってんだよ」
「もちろんちゃんと寝るつもりだ」
「つもりじゃなくて、がっつり寝ろつってんの」
シュウはアキラが反応できない速度で本を奪い取った。
「この本に修復の履歴も書かれてんだよな? だったらわざわざアキラが書き写さなくても問題ねーよな?」
「当時と今とで変化があるかもしれないだろ」
「変化だけ書き写すのなら、トレ・マテルの帰りでいーだろ?」
「……時間が」
「帰りにマーゲイトで仕事が残ってるって覚えてたら、トレ・マテルを巻きで終わらせられっだろ」
シュウは乗り心地など無視して突っ走るつもりでいる。居眠りのアキラが背中から転がり落ちれば大幅なタイムロスなのだ。睡眠不足のまま背中に乗られてはたまらないと、シュウはアキラの屁理屈を容赦なく薙ぎ払う。
「ダッタザートに帰るのは、ここから転移すれば一瞬だろー。時間配分考えろって」
「……ちゃんと考えている」
ぶすっとしたアキラが、地図とケギーテで受け取った布を床に広げた。
「以前は、ギナエルマからマーゲイトまでの移動に五日かかった」
「寄り道しまくったからなー。俺の全力なら一日とちょっとで何とかなるぜ」
「だがトレ・マテルはオルステイン王都よりもさらに北にある」
アキラの指が山頂から最短ルートをなぞり、ニーベルメアとの国境まで数日の場所で止まった。ギナエルマからトレ・マテルまで、早馬でも五日の距離がある。獣化したシュウの全力でも半日以上はかかるはずだ。
「シュウの全力で丸二日もかかっていては、とても間に合わない」
「心配すんな、山さえ越えりゃあとは一直線だ、そんなにかからねーよ」
「それでも一日では無理だ」
「何が言いてーんだよ?」
「今回は俺の全速力でいってみようと思う」
意味がわからないと首を傾げるシュウに、アキラはコウメイを真似た不敵な笑みを作って見せた。
「空飛ぶ絨毯に、乗りたいと言っていただろう?」
床に広げた布を撫でた。大黒蜘蛛の糸袋から縒った糸で織られた布は、魔布と呼ばれている。薄くてしなやかなのに、どんな素材の布よりも強い。しかも魔力伝導率が高いため、魔術師のローブに好んで使われる素材だ。
「まさか、この薄っぺらい布に、今から魔術陣書くのかよ?」
「空なら障害物はないんだ、間違いなくシュウの足よりも早くトレ・マテルに着けるぞ」
「どこから突っ込んでいーのか、わかんねーわ」
シュウはガシガシと両手で頭を掻いた。
「それって睡眠時間削って空飛ぶ絨毯作って、アキラの魔力でかっ飛ばすってコトだろ?」
「そうだ」
「途中で魔力切れか寝落ちで墜落するに決まってんだろ!!」
空中に投げ出される経験は一度でたくさんである。
「だがタイムアタック中の俺たちに選択肢はない。考えてみろ、旅客機は二時間弱で羽田から千歳まで跳ぶんだぞ」
「何言ってんの?」
「トレ・マテルまでの直線距離は約九百ミル、羽田千歳間と変わらない」
「空飛ぶジュータンはジャンボジェットじゃねーだろ!」
「もちろん違うが、最大速度はその三分の一くらいは出せるぞ」
「……え、出せんの?」
計算上は約六時間でトレ・マテルに到着できると聞いて頭を抱えるシュウを横目に、アキラは魔布に魔術陣を書きはじめていた。
「心配するな、書き慣れた魔術陣だ、徹夜なんて必要ない」
「魔力切れしねーのかよ?」
「こんな時のための魔力回復薬だぞ」
いや空飛ぶ絨毯のために用意したのではないはずだ、と突っ込む気力はシュウには残っていなかった。
「ジャンボジェットの三分の一つっても、すっげー速度だろ。絨毯に乗ってられるのかよ?」
「俺だけなら無理だな。そこでシュウの出番だ」
半分ほど書き終わった魔術陣から顔を上げたアキラは、期待に満ちた笑顔だった。
「その笑顔が怖ぇーんだけど」
「俺は燃料に徹するから、運転はシュウがやってくれ」
「できるわけねーだろ!! 俺は獣人なの! 魔力ねーの!!」
「今回は時間がないから魔術陣から魔力での制御を省略した。細かい方向の調整や空中でのバランスはシュウの身体能力で何とかしてくれ」
「なに言ってんのか、意味がわかんねーんですけど」
「ハンドルの役割をしろと言ってるんだ」
「俺、免許持ってねーよ?!」
「自転車に乗れるだろう? 大丈夫、何とかなる――何とかしろ」
昼寝もたっぷりしたし、夕食に肉もたらふく食った。なのにどうしてこんなに疲れているのだろうか。シュウは嬉々として空跳ぶ絨毯作りに精を出すアキラを眺めながら、しみじみ思った。
「コウメイをソンケーするわ……」
暴走したアキラを押さえ込むのは、いや暴走しないように上手く誘導するのは自分には無理だ。
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いろいろ省略した空跳ぶ高速魔布は、アキラの睡眠時間を奪うことなく完成した。
翌早朝、まだ空が暗いうちから目的地の方角を定めたアキラは、地面に敷いた空跳ぶ魔布の上に腹ばいになって寝転んだ。
「頼むぞ、シュウ」
「へーへー」
アキラに覆い被さったシュウが、魔布の両端をしっかりと握りしめる。
ゆっくりと魔力を注ぎ込まれた飛行魔布が、じわりと宙に浮かんだ。じりじりと上空に昇り、ギルドの屋根を見下ろす高さになった。
「準備はいいか?」
「おー、覚悟は決めたぜ」
「……行きます」
アキラの声と同時に、飛行魔布はトレ・マテル目指して滑空をはじめた。