06 ケギーテの転移魔術陣
魔術学校の始業は三の鐘から、魔法使いギルドの開店時刻は四の鐘だ。
生徒たちを宿舎から送り出したジョイスは、そのまま魔法使いギルドに出勤した。まだ誰もいないギルドに入り、自分の執務室に向かう。
「おはようございます。準備はできて……どうしました?」
「ふぁー、おはよージョイスさん。見てのとーりだよ」
ジョイスの執務机を挟んでコウメイとアキラが睨み合い、長椅子に避難したシュウとパトリスが、呆れ顔でそれを眺めていた。
「ええと、何が原因でケンカを?」
「あー、誰が留守番するかで意見が対立してるっつーか、コウメイが駄々こねてるっつーかさ」
二の鐘で目覚め、ジョイスが個人的に常備しているクッキーバーを拝借して軽い朝食を済ませ、旅支度の確認をしていたところでアキラが言い出したのだ。
「コウメイは留守番を頼む」
「は? 何でだよ」
「三人で行くのは効率が悪い。それにジョイスさんやコズエちゃんたちの守りも必要だ」
「そういうのはシュウが向いてるだろ」
一番身体が大きくて存在感があるくせに、隠密仕事が最も上手なのがシュウだ。戦力の点でも突出している。確かにシュウならば安心して任せられるが、今回は優先順位が異なるとアキラが言った。
「シュウの機動力は外せない、わかるだろう?」
「くっ……」
転移魔術陣を写し取るのにどのくらい時間がかかるかわからないのだ。アキラが転移魔術陣の改変策を掴んで戻る前に、領主に行動を起こさせてはいけない。そうさせないようにジョイスやパトリスの立ち回りを指揮し、ヒロと連携してサツキとコズエの安全を確保する。この場合の安全とは、命を守ることではなく、住環境を含めた全てを守ることを意味するが、そういう戦略的防衛戦は、シュウではなくコウメイが向いている。またシュウの足に負担を掛けないためにも、重量は少しでも軽いほうが良い。
悔しいがコウメイもそれは理解していた。
「で、居残りに指名されたコーメイが拗ねてんだよ」
「拗ねてねぇ!」
「な? 駄々こねてるだろ?」
トレ・マテルまでの移動手段を知らないジョイスは、何とも返しようがなかった。
「な……仲がいいんです、ね?」
呆れの混じった薄い微笑みと声に毒気を抜かれた二人は、すいっと視線を逸らせた。
ジョイスはギルドに職員が出勤してくる前に、各国のギルドに水鏡での会議を申込んだ。少ない旅の荷を持ったアキラとシュウが転移室へとおりる。
転移魔術陣の真ん中に立ったアキラは、不安げなジョイスに「必ず間に合わせます」と約束する。そして不貞腐れたままのコウメイを振り返った。
「コウメイ、サツキを頼む」
「……頼まれた。アキ、無茶すんじゃねぇぞ」
「わかってる」
さらりとした返事を聞いて、コウメイは「わかってねぇだろ」と嫌そうに顔を歪めた。
「シュウ、アキを見張っとけ」
「見張るだけでいーんだな?」
アキラの行動は止められない。端から匙を投げているシュウの返答に、コウメイはやっぱり自分も同行すると、今にも言い出しそうだ。また同じ押し問答を繰り返せばいつまで経っても発てない。
アキラは慌てて杖を突いた。
『ケギーテ』
「行ってくるぜー」
魔力が満ち、転移魔術陣が起動する。
屈託のないシュウの笑顔と、ひらひらと振られる手が、魔力の輝きとともに消えた。
+++
朝日を浴びた頭上の水が、転移魔術陣に明るい影を作っていた。ここが地下水脈なのか海底なのか定かではないが、外界につながる場所であるのは間違いなさそうだ。
「明るくてちょうど良いな」
照明に使う魔力が節約できると呟いたアキラは、さっそくペンと植物紙を取り出した。邪魔にならない隅で仮眠を取っていろとシュウを追い払い、転移魔術陣の観察をはじめる。
波の形をした影が、アキラの判読を阻むようにゆらゆらと揺れる。目に見える魔術陣の転記を終えたアキラは、外縁の外に出ると、今度は魔術陣に己の魔力を流し込んだ。
「ああ、やっぱりだ」
魔力を得たことで、転移魔術が発動する際にしか現われない魔術式が浮かびあがる。試しに注ぎ込む魔力量を調節して反応をうかがうと、予想通り魔力の量でも反応する術式が異なるのがわかった。誰の目でも見て取れる術式よりも、隠された術式のほうが転移魔術陣の本質だ。これを全て写し取るには、相当の魔力が必要になりそうだ。
「足りるかな……」
ジョイスから預かった魔力回復薬の十本はケギーテで使い切りそうだ。いざとなれば耳飾りを外し、エルフの魔力を解放するしかないだろう。
それよりも魔力の注入と転記を同時に行うほうが難しい。魔力が途切れれば魔術陣は消えるのだ。注入か転記作業か、どちらかを誰かに任せられれば楽だが、シュウには頼めない。効率は悪いが、浮かびあがる術式をしっかり覚えて転記するしかないだろう。
魔術陣を均等に分割し、一区画ずつこなしていこうとしたときだった。
転移室の隅で寝ていたはずのシュウが飛び起き、剣を手に頭上を警戒する。
影がゆっくりと降りてきていた。
ケギーテ魔法使いギルドの昇降機だ。
「……早いな、もう来ていたのか」
昇降機から降りたのは、細身の剣を携えた老人だ。炎の色に似た明るい髪の半分は白髪、しゃきりと伸びた背筋は年齢よりも彼を若く見せている。
「ノエルギルド長ですか?」
「今は顧問をしている……十三年前に冒険者ギルド長会議に姿を現わしたエルフというのは、アキラだったのか」
チェトロ火山でのスタンピード以来だ。相変わらず魔術師というよりも剣士といったほうが相応しい風貌である。
「どうしてここに?」
「水鏡の会議でとんでもない話を聞いたからな。様子を見てこいとホルロッテに頼まれた」
剣を手にした彼の動きを警戒し、シュウがアキラの前に出た。
「様子を見て、どうされるつもりですか?」
「どうもこうもない。手伝いはいらんのかね?」
ノエルの歩みは静かだが、奇妙にちぐはぐだ。その理由はすぐにわかった。彼は膝を痛めているらしく、剣を杖代わりに使っていた。
敵意がないとわかり、シュウが警戒を解く。
「私たちが何をするか承知の上で手伝うと言うのですか?」
「ああ、そうだ。ホルロッテの横で聞いておった。外敵の侵入を防ぐ策は喫緊だ。実際に忍び入られているのだからな」
ノエルの目がアキラとシュウを見てニヤリと笑む。
「密かに忍び入った件を見逃し、魔術陣の分析に協力する代わりに、改変術式の提供を求める、とケギーテのギルド長からの伝言だ」
「手伝いはノエルさんが?」
「水鏡の会談が終わればホルロッテが駆けつけてくる。それまでは代役だ」
魔術剣士と二つ名のつく魔術師の彼は、攻撃魔術が本領だ。魔武具師や錬金魔術師の真似事には向かない。だがアキラの疑いの視線をノエルは笑い飛ばした。
「ホルロッテは橙級の錬金魔術師だ。あいつの手伝いでこの十年は魔術陣もたくさん扱ってきた。寝ているだけのそいつよりは使えるぞ」
むっとしたシュウは「俺の出番はもっと先なんだよ」とこぼして仮眠場所に引っ込んだ。
「この魔術式を読み取れますか?」
「……細かいな。目がチカチカするぞ」
年齢のせいか近頃は視力が衰えているらしい。
「では魔力を注ぐほうを……ノエルさん、魔力量はいかほどで?」
「最後は青級であった、少なくはないはずだ」
アキラが黒く輝く魔術陣を浮かびあがらせ、それをノエルに引き継がる。予想していた以上に魔力が奪い取られ、ノエルの表情が焦りを見せた。
「む、これはいかん。そこの、シュウだったか。上にあがって魔力回復薬を持って来い」
「上って、何処だよ」
「ギルドの売店で良い。これを提示して、ありったけもらってくるんだ」
ノエルが投げ渡した魔術師証を受け取ったシュウは、いつになったら仮眠できるのかと不機嫌だ。だが昇降機に乗り込むと眠気を忘れてあれこれと楽しそうに触っていた。
「魔力が厳しくなったら言ってくださいね」
無理をするなとノエルに声をかけ、アキラは浮かびあがった魔術陣を書き記してゆく。最古かつ原始の転移魔術陣だというそれはあまりにも緻密で、用意してきた紙に書き切れそうにない。錬金薬を箱ごと運んで来たシュウに、こんどはできるだけ大きな面の上質な植物紙を調達するように頼んだ。
「人使い荒れーよ」
強盗か襲撃に間違われたらしいシュウは、ノエルの魔術師証を印籠のように掲げて魔力回復薬を調達してきたらしい。今度は紙を強奪するのかと嫌そうだ。
「この魔術陣は終わりました」
アキラの声で安堵の息とともにノエルの魔力が止まった。老人の足元には空になった魔力回復薬の瓶が三本転がっている。
「このということは、まだいくつもあるのか?」
「ありますよ。見てください」
床に膝を突いたアキラは、魔力量を調節しながら魔術陣に注ぎ込んだ。
「流される魔力の量によって、発動する魔術陣が異なります。かすかに色付いていますから、こうやって段階を踏むとわかりやすいと思いますが」
「お……おお、確かに」
最初に浮かびあがったのは黒い影のような魔術陣だ。注ぎ込む魔力を増やすと、灰、白、黄、橙と、魔術陣は色と形を変えてゆく。
「赤、青……濃紺に紫。これは」
「魔力の量や強さによって、働く術式が分けられているようですね」
アキラの額に汗が浮いた。魔力の消費が激しいのだ。
ノエルが納得できないと首を捻った。
「転移のときはこれほど魔力を消費しなかったはずだが」
「これほど長く起動させる必要がないからではないでしょうか」
転移する際に魔術師が消費する魔力はわずかなものだ。転移は一瞬だが、解析は長い時間がかかる。消費される魔力量の違いはおそらくそれが理由だろう。
ふう、と息をついて魔術陣から手を離した。
色が変わるごとに必要とされる魔力量は増える。黒術式で錬金薬を三本も消費したのだ、これからもっと大量の強い魔力が必要になるとノエルは恐々とした。
「黄の術式までならなんとかできても、その先は俺では無理だ」
「私がやりますよ。書き写してもらいたいのですが」
「俺は確実に間違えるぞ。ホルロッテが駆けつけるのを待つしかないな」
朝一番にはじまった水鏡による会談は、破壊は言語道断だが、改変なら容認できる、とかなり早い段階で話がまとまったそうだ。ただ細かな部分の摺り合わせに時間がかかっているらしかった。
「細かな調整というと、転移を承認する範囲でしょうか?」
「揉めるのはそこだろうな。魔術師だけに限るのか、同行者も認めるのか、それが魔術師以外の者でも容認できるのか。難しい」
「私がダッタザートを管理していた当時は、契約魔術で他言無用と縛ってから、冒険者たちも転移させておりましたが」
「契約魔術は完璧ではない。術者が死ねば契約は消滅するからな」
魔法使いギルドや転移魔術陣を知る者が、契約で縛った魔術師を殺して悪用しようとする可能性はゼロではないのだ。
「……術者が亡くなれば、契約は消滅するのですか?」
「契約魔術の基本だぞ」
「ですが……商契約でそれは不都合が生じるのではありませんか?」
「商契約のようなものには必ず期限が決められている。魔紙に契約期間まで十分な魔力を与えておけば問題ない」
そもそも商契約に使う契約魔術と、人を縛る契約魔術は同じではない。機密保持や禁止行為に対する契約魔術は、その内容が重大であればあるほど、強い魔力と繊細な技術が必要なのだとノエルが語った。
「期限を定めていない契約魔術は、命を対価に縛る契約だ」
「……そう、なのですね」
アキラは静かに左手首を背中に隠す。
ジョイスがこれを見て驚愕していた理由がやっとわかった。ミシェルがいないのに、何故。彼はそう言いたかったのだ。じっくりと観察していたことだし、ミシェルの生存を確信したのだろう。自分の口からジョイスに説明するべきか悩ましいが、それはダッタザートに戻ってから考えようと棚上げにした。
「そろそろ休憩は終わりにせんか?」
「身体は大丈夫ですか?」
「舐めてもらっては困るな、これでも元青級だぞ、魔力量だけは自身がある」
老体だからと妙な情けをかけられても侮辱なだけだと釘を刺された。そこまで言うのならばと、アキラは灰色の魔術陣を浮かびあがらせる。
「引き続き、お願いしますね」
設定した流入量を必死に維持するノエルの様子を見ながら、アキラは老体が悲鳴を上げる前にとペンを走らせる。
白い術式を写しはじめてすぐだった。ようやくシュウを載せた昇降機が降りてきた。
「遅いぞ」
「わりー、変なのにつかまっちまってさー」
「まあ、もうそんなところまで進んじゃってるの?!」
紙の束を抱えたシュウを押しのけるようにして転移室に踏み込んだのは、コイルのようにクルクルとした黒い巻き毛の、頭上に広がる水のような色の瞳の中年女性だった。
「これ、ホルロッテ、会談は終わったのか?」
「終わりましたよ。許容範囲も合意できましたから、改変の手伝いに来ました」
大きな瞳をキラキラさせるホルロッテは、シュウから紙を奪い取りアキラの横に立った。手元をのぞき込んで流れるような筆跡のアキラの写術式に目を見張る。
「すごい、星墜の大魔術師様の教本のような写筆だわ」
「星墜?」
「偉大な錬金魔術師様よ。彼女の作った魔術陣が、星を撃ち落としたことからそう呼ばれるようになったそうよ」
星墜の錬金魔術師の残した魔術陣の本は、多くの錬金魔術師の手本となっているそうだ。
そんな説明を聞きながら、アキラは白の術式を写し終える。
アキラが筆を置くと、ノエルが崩れ落ちた。負担が少なくなるよう手早く作業を進めたつもりだが、老魔術師にはかなりの負担がかかっているようだ。手順を教わったホルロッテが、ノエルの代わりを務めようとしてアキラに止められた。
「ホルロッテさんは書き写しをお願いします」
橙級の錬金魔術師なら書写は慣れているだろう。魔力供給をアキラが担当したほうが効率が良い。さっそく黄色の魔術陣を表示させると、ホルロッテの表情が引き締まった。
さすが橙級、ホルロッテの手は正確で早い。黄、橙、赤と順調に作業は進んでゆく。
「……アキラさんはすごいですね。ここまで一度も錬金薬を使っていない」
「そうでもありませんよ。騙し騙しやっているだけです」
自然回復の範囲内で何とか都合を付けているだけだ。これから濃紺や紫色の術式になってくると、魔力回復薬は必要になる。
書写に全神経を向けるホルロッテは、赤色の術式を終えて大きく息を吐いた。緊張で固まった身体をほぐしている。
「飯調達してきたぜー。昼飯にしろよ」
仮眠を終えて復活したシュウは、ノエルの魔術師証を使って何度も出入りし、屋台船の料理を調達してきていた。焼いた白身の魚と千切りのレト菜を挟んだパン、味をつけて煮込んだゆで卵、串に刺した魔猪肉の塩焼きだ。
昼食の間だけの短い休憩の後、すぐに作業を再開した。青の術式が終わると、アキラがはじめて錬金薬を使った。濃紺ではホルロッテが六割ほど書き写したあたりで、紫では序盤ですでに一本が消費済みだ。それを見て焦るホルロッテに「急がないで」と声をかけた。
「急ぐよりも正確にお願いします。時間はあとで取り返せますから」
ぐっと唇を噛んだ彼女は、大きく深呼吸をして落ち着きを取り戻し、ペンを走らせる。
アキラも目の前に現われた巨大で繊細な魔術陣を、少しでも記憶しようと目で追いかけていた。
紫色の術式を書き写し終えたのは、水天井が茜色の日に染まりはじめたころ、錬金薬を二本飲み終えてからだった。
「すぐに発つ? 少し時間をもらえないかしら?」
書き出した十枚の転移魔術陣の術式を写したいと、ホルロッテがアキラに猶予を請う。
「鐘二つ……ううん、鐘一つでいいわ。その間に書き写すから」
「晩飯と明日の飯の調達もしてーし、いーんじゃねーの?」
「……ではこちらもお願いがあるのですが」
「なになに?」
「大黒蜘蛛の糸で織った布がありましたら譲っていただけませんか?」
これくらいの、とアキラが両手を広げた。ちょうどシュウが毛布代わりに使っているマントと同じくらいの大きさだ。
「できるだけ厚みのある布だとありがたいです」
お安いご用だとホルロッテは跳ねるように喜んだ。魔術素材としては珍しくもない布と引き換えに、星墜の錬金魔術師でさえ入手できなかった転移魔術陣の写しが手に入るのだから格安だ。
さっそく布を持ってきたホルロッテは、十枚の魔術陣を書き写しはじめた。シュウは数日分の食料を調達しに向かう。
水の壁に背を預けて休むアキラの隣に、ノエルが並んで腰を下ろした。しばらくは無言でチラリチラリとアキラの顔色をうかがっていた彼は、躊躇いがちに問うた。
「……ケギーテの次はトレ・マテルか。間に合うのかね? どうやって向かうのだ?」
「間に合わせますよ……ですが、詳細はご容赦ください」
ノエルは微笑みで突っぱねるアキラを問い詰めるつもりはなかった。それよりも彼には知りたいことがあった。
「君たちはハリハルタの近くの森に住んでいると聞いているが」
「よくご存じですね」
「以前、師匠からの便りに書いてあった……」
ノエルの言う師匠は魔術師の師ではない。彼が憧れ、極めるのを諦めたもう一つの道、剣の師だ。
「ホルロッテにギルドを引き継ぐことは早くから決めていたが、彼女が橙級にあがるのを待っていたら、師匠を訪ねて行く機会を失してしまった」
十年前の彼女は二十九歳、黄級になったばかりだった。ギルド長職に就くにはまだ若すぎたこともあり、ノエルがつきっきりで面倒を見ていたのだ。
当時を思い出した彼は、悲しげに目を伏せる。その横顔は実年齢よりも老けて見えた。
「もうそろそろ俺がいなくても良かろう。階段をのぼる前に、師匠に挨拶をしておきたい」
はっきりと口にするまでもなく、彼は憧れ続けた冒険者がすでにいないと承知していた。
「深魔の森の奥、とだけ聞いている」
「……ハリハルタに着きましたら連絡ください。墓標にご案内します」
そう言って目を細めたアキラは、連絡用の魔紙を差し出した。
+++
「う、写し終わったわ!!」
「残念、鐘一つでは終わりませんでしたね」
達成感にはしゃぐホルロッテに無情な一言を返したアキラは、静かに立ち上がった。
譲り受けた布を荷袋に収め、ホルロッテから術式図を回収する。
「ぼ、没収しないでほしいなぁ」
「しませんよ。書き写したのはホルロッテさんですからね。時間内に終わらなかったペナルティとして、改変術式の案を考えておいてもらえますか?」
「私がやってもいいんですか?」
「今回はとにかく時間がありません。知恵は多いほうが良いですからね」
トレ・マテルで書き写した術式も提供する、とアキラが約束すると、ホルロッテはクルクルの髪を弾ませて何度も頷いた。
「シュウ、準備は?」
「俺はもいつでもいーぜ」
ニヤリと笑う彼が抱える箱からは、焼いた肉の香りがぷんぷんしている。一体何人分の焼き肉を買ったのだろうか。匂いだけで胸焼けを感じはじめたアキラは、足早に転移魔術陣に入った。
「ドミニク殿によろしく伝えてくれ」
「ノエルさんもあまり無理なさらないように」
「じゃあな」
カツン、とアキラの杖が魔術陣を打つ。
『マーゲイト』
次の転移先を知って驚く二人の顔が、一瞬で消えた。