03 深夜の転移室
ジョイスが何者かの侵入に最初に気づいたのは、三ヶ月前のことだった。
「侵入されたのがわかって、僕たちは密かに調査をはじめたんです」
薄暗い転移室に籠もった五人は、それぞれ転移魔術陣の外縁に立った。ほんのりと光を放つ魔術陣を見下ろしながら、三人はジョイスとパトリスの説明に耳を傾ける。
「後で案内しますが、転移室への入り口はギルド長室からしか入れません。しかも隠蔽魔術で隠していますし、魔術鍵も施されていました。それなのに侵入者がここまで辿りついていたことから、僕たちはギルド内部の……魔術師が関与していると考えたんです」
魔術鍵を開けるには、鍵と魔力が必要だ。隠蔽を見破るには魔力の操作に長けていなければいけない。魔術師以外には考えられなかった。
「仲間を疑いたくはありませんでしたが、状況は明らかでしたから……冒険者ギルドに内密に調査を依頼しました。ギルドの魔術師に不審な行動を取る者はいないか、ギルドに恨みを持つ者や、敵対しそうな者と接触する魔術師はいないかを調べてもらったのです」
調査は一ヶ月では終わらず、つい先日までかかってしまった。冒険者の目には、ごく当たり前の魔術師の行動が怪しげに見えるらしく、調査が難航したらしかった。
「それで、結果は?」
ジョイスは目を伏せて首を横に振る。
報告書を読みたいというアキラに、彼は内通者に知られるのはマズいため処分したと言った。
「調査結果がもたらされる少し前から、街で兵士や騎士を頻繁に見かけるようになりました。治安維持と説明されていますが、魔法使いギルドの周辺を意識的に巡回しているのです」
「ああ、連中だな」
「この周辺と、澤と谷の宿のあたりにいる騎士は、露骨なくらい気合いが入ってたぜ」
「他のトコ歩いてるときは、ユルユルだったけどなー」
市場や他の大通りを巡回する騎士らの様子は、休憩中の散策か散歩をしているように見えたとシュウが断言する。
「ぼ……冒険者ギルドからの結果と、領主からの信書が届いたのは、アキラさんに連絡をした日でした」
懐から一通の手紙を取り出し、アキラに差し出すジョイスの手が、かすかに震えている。
シュウが真顔になり、コウメイの目が鋭くなる。見張りの存在を認識した後に送られてきた領主の手紙。しかも冒険者ギルドの調査報告と同日だ。それがまっとうな内容であるはずがない。
「……領主は、何と?」
「ち、近々、魔法使いギルドに協力を、要請する、と」
アキラは渡された信書に目を通した。そこに具体的な要求はなにも書かれておらず、時期がくれば要請するので従え、とだけ書いてある。
「何を要請するか、書かれていないのですね」
「はい。ですが何者かが転移室へ侵入していますし、僕とパトリスを名指ししているのです、領主の目的は転移魔術陣の他にはないと」
偶然にしてはタイミングが良すぎるのだ。だが動機がわからない。何か心当たりはないのかと問うたが、ジョイスもパトリスも首を横に振った。
「領主の動機は別で調べるとして、この件を他の魔術師は知ってんのか?」
「いいえ。転移室に侵入できても、転移ができなかったわけですから、俺たち二人以外の魔術師全員が犯人の可能性がありまして」
「だが冒険者ギルドの調査では該当者なしだったんですよね?」
「はい。ギルドの魔術師が怪しげな外部の者と接触した形跡はないとのことでした」
アキラは調査報告を疑っているのか、渋い表情だ。
声を潜め、隣に立つコウメイにどう思うかと問う。
「タイミング良すぎるし、最悪、冒険者ギルドが領主に抱き込まれてる可能性はあるんじゃねぇか?」
「そんな……」
身内の裏切りだけでなく、頼れるはずの冒険者ギルドも信用できないと指摘されて、ジョイスとパトリスが青ざめた。
権力と距離を取り、独立性を重んじるのが冒険者ギルドの矜持だったはず。それが領主に取り込まれたなんて。ジョイスの握りこぶしに力がこもった。
「ヒ、ヒロさんがいた頃なら、こんなことには……」
「コウメイの推測ですから、決めつけるのは良くありません。だが過信するのも危険です。今はその程度に警戒しておけば十分だと思いますよ」
アキラは「脅しすぎだ」と視線でコウメイを咎めた。冒険者ギルドは大きな組織だ、派閥もあり、決して一枚岩とはいえない。
「……冒険者ギルドの報告は、全て虚偽なのでしょうか?」
「そうとも言い切れないのが難しいんです」
「正しかったとしても、かなり前から領主の手先が内部に入り込んでるか、古参が取り込まれてた可能性はあるぜ」
「……や、やっぱり」
コウメイの指摘に、冒険者ギルドの報告を信じていたジョイスとパトリスから、悲痛な声がもれた。
「狙いが転移魔術陣なのはわかったけど、領主のヤローはコレで何をしてーんだろーな?」
シュウが爪先で転移魔術陣を小突いて首を傾げる。ここから転移できる場所は限られている。何処でも好きな場所に移動できる魔術ではないのだ。
「ここを襲撃したって意味ねーんだろ?」
「奪うのが目的じゃねぇからな」
「魔術陣が素人には使えないことは、侵入者からの報告で領主もわかっているはずです。だから見張りを置いて、いつでも人質にできるんだとジョイスさんに示したうえで、こういう信書を寄こしたんだと思います。だから私に連絡をしたんですよね?」
「はい……私たちが迂闊に動いてしまえば、コズエさんが危険だと思って」
「パトリスさんのご家族は大丈夫なのですか?」
「私は心配ありません。幸いにも妻はボダルーダの実家に戻っていましたし、娘は私と同じ冒険者ですから、遠方の依頼を請けてもらい街から出しました」
コズエやサツキたちは生活基盤がダッタザートにある。店を閉めて姿を隠せば、ジョイスらが気づいたと敵に知らせるようなものだ。ジョイスはコズエに守りのアミュレットを渡してなんとか自衛してくれと頭を下げている。
「ジョイスさんたちが侵入者に気づいてるのを悟られてねぇなら、まだ猶予はあるぜ」
「はい、だから無理を承知で、僕との関係を知られていないみなさんをお呼びしました」
密偵は度々侵入し続けている。最近は痕跡を消すこともしなくなった。油断している証拠だ。
「領主は僕やパトリスに転移魔術陣を使わせたいのだと思います。その狙いと、僕たちはどうすれば良いのか、アキラさんに助言をもらいたいのです」
すがるように見つめられて、アキラは目を伏せた。
「情報が足りません。まずは他の魔術鍵の痕跡も見せてもらえますか?」
「わかりました。ギルド長室に向かいましょう」
転移室の前でパトリスと別れ、ジョイスの後について階段を上り書庫からギルド長室へと移動する。その要所で魔術鍵や隠蔽魔術を検分するアキラの表情が、魔力の痕跡を読み取るたびに険しくなってゆく。書庫の隠し扉を閉め、ギルド長室に入った彼は大きなため息をついた。
「何かわかりましたか?」
期待のこもる視線に、アキラが小さく頷く。
「ええ、侵入者は魔術師ではありませんでした」
「そ……そそ、そんなはずは」
己の耳を疑ったジョイスが、その根拠を教えろと身を乗り出す。
「ちょっと黙って、誰か来たぜ」
扉の前で警戒していたシュウが、気配を察知してジョイスを止めた。
アキラは書庫に身を隠し、コウメイはジョイスを机の影に押し込む。息を殺して近づいてくる気配を探っていたシュウは、その正体に気づいて剣の柄から手を話した。
「あー、パトリスさんだ」
地下通路から宿舎に戻り、用事が済んだと見せてギルドに戻ってきたのだ。すぐに扉がノックされ、ゆっくりと開いた隙間からパトリスが室内に滑り入る。しっかりと施錠して、机の下から顔を出したジョイスに駆け寄った。
「寄宿舎に問題はありませんでした。生徒たちもギルド長が当番だと知っているので、大人しく休んでいるようです」
「よかった。見張りの様子はどうでしたか?」
「アキラさんたちは気づかれていませんでしたよ。それで、どうでしたか?」
「……侵入者は、魔術師ではないそうです」
絞り出したうわずった声に、まさか、とパトリスも目を見開いた。やはり信じられないようで、アキラに疑いの視線を向ける。
「魔術師でない者が、どうやってあの隠蔽を破れるというのですか?」
「解錠魔術陣を写した魔紙と魔力があれば、魔術師でなくても可能です」
「だからその魔力がない者には」
「ああっ! そういうことだったんですね」
詰め寄るパトリスを抑えていたジョイスが、何故今まで気づけなかったのかと唇を噛み、弾けるようにアキラを振り返った。
「魔力は魔石を使ったんだ!」
「そうです。あちこちに残されていたお二人以外の魔力は、すべて魔物のものでした」
アキラは残された第三者の魔力の特徴から、どの属性の魔力持ちが、何人侵入したのかを見極めようとした。だが残されていたのはあまりにも特徴のない魔力だ。敵は相当に手強い魔術師かもしれないと念入りに探るなかで、わずかに残る独特の雑味に気づいた。
「キングスコーピオンとホブゴブリン、それに砂蜥蜴の魔石が使われていましたよ」
「魔術陣と魔石……そんな方法で」
そんな鍵の破り方があったのか、と、パトリスが呆然としている。落ち込む彼にコウメイが香り茶を差し出した。
「あっちの備品、勝手に使わせてもらったぜ。とりあえずこれ飲んで落ち着けよ」
「ありがとうございます……己の不甲斐なさに腹が立ちます。黄級のくせに気づけなかったなんて」
「それを言うなら僕もですよ。青級なのに、魔物の魔力の判別もできなかったなんて」
コウメイは自信喪失し今にも倒れそうなパトリスを、引っ張りだした予備の椅子に座らせた。うなだれるジョイスにもカップを渡す。
「……魔術師以外の職員も疑わなくてはならないのですね」
ジョイスの表情を隠していた湯気が、乱れて広がった。苦渋に満ちた目が香り茶を睨むように見ている。
「冒険者ギルドに、調査依頼を出しますか?」
「……いいえ。今の冒険者ギルドに頼むのは危険ですし、犯人捜しよりも優先するべき事がありますから」
パトリスの問いかけに、ジョイスは香り茶をゆっくりと飲んで気持ちを立て直した。
自分たちの香り茶を入れたコウメイは、扉を守るように立つシュウと、ジョイスを労るように立つアキラに渡す。机の端に腰を引っかけ、ジョイスとパトリスが持ち直したのを確かめ、アキラに続きをうながした。
「ここで使われている魔術鍵は素直な構造をしていますが、必要魔力の設定をかなり高めにしてありました。突破するためには、鍵一つに中魔石を一、二個くらいが必要だったはずです」
「キングにホブだろ。使われた中魔石は、難易度の高ぇ魔物ばかりだな」
「市場価格は千ダル前後くらいでしょうか。ジョイスさん、魔法使いギルドの取引履歴に不審な点はありませんか?」
ジョイスが向けた視線を追い、コウメイが書類棚を開けた。複数の帳簿から一冊を抜き出す。軽く目を通し、魔石取引の頁を開いてアキラに見せた。
「ざっと見たところ、多すぎず少なすぎずといった感じですね」
「長期間にわたって上手く抜き取ったか、別ルートで仕入れたか、どっちだろうな」
冒険者ギルドの取引履歴を調べればハッキリするが、その手段は今のところない。
「しっかし、一個千ダルの魔石を惜しげもなく使ってんのか。景気がいいねぇ」
「転移室に入るまでに十個近く消費するんだろ? しかも何回も侵入してるらしーじゃねーか。それだけして転移室に何も仕掛けられてねーとか、ねーよな?」
扉に背を預けて立つシュウが、罠の懸念を指摘する。しかしジョイスとパトリスはそろって否定した。
「それだけは、ありません」
「何度も点検しました。転移室には何も仕掛けられていませんでした」
「もし何か細工をされたとしても、転移魔術陣が許しませんよ」
自らの意思で地下に潜り、その構造を変えてしまった魔術陣だ。己を害するような罠や仕掛けを放置するはずがない。
「転移室への細工が目的じゃねぇなら、頻繁に侵入する目的は何だろうな」
「もしかして、魔石の魔力で転移魔術陣を起動させようとしたのでしょうか?」
「試していた可能性はありますね」
魔石での転移魔術を試そうとしたが、転移室に辿りつく前に魔石を使い切ったため、何度も出直したのは考えられる。トライアンドエラーを繰り返し、なんとか転移魔術陣までたどりついたが、今度は起動させられずに撤退したのではないだろうか。
そうまでして領主が転移魔術陣を必要とする理由がわからない。
「領主の狙いは、これかもしれねぇぜ」
魔法使いギルドの取引帳簿を勝手に検めていたコウメイが、魔武具の取引履歴の頁を開いて机に置き、二人の魔術師にたずねた。
「この数年の魔術玉の取引記録だが、騎士団や領兵団の購入量が毎年のように増えてるの、気づいてたか?」
増加部分は前年の一割前後ほどだが、それが十年近くも続けば倍どころではない量になる。
「ダッタザートや近隣の領で、この十年にスタンピードは起きているか?」
「砂漠では何度かありましたが……この周辺ではありません。起こさせませんでしたから」
誇らしげなジョイスによれば、魔法使いギルドが派遣する魔術師のパーティーが、積極的に魔物を討伐しているのだとか。それにより近隣では魔素溜まりがあふれることはなくなっている。
「派遣?」
「パーティーに属していない攻撃魔術師と、魔術師を必要とする冒険者パーティーとを仲介しているんです」
アキラたちがダッタザートに帰ってこなくなった時期から、新たにはじめた派遣業務だそうだ。依頼単位、あるいは月単位の契約で、攻撃魔術師を派遣する。人付き合いの煩わしさを嫌ったり、人間関係に苦労している魔術師は多く、彼らは短期の派遣を歓迎した。また冒険者側も依頼内容に応じて、もっとも適した魔術を使える魔術師を仲間にできるため、派遣業務は好評らしかった。
「主に魔物素材集めや、人々に害をなす魔物の討伐依頼を請けたパーティーを優先して派遣しています」
「積極的に魔物を間引いているのですね」
「努力の甲斐あってスタンピードは起きてねぇ。なのに、なんで領主は魔術玉を大量に購入してるんだろうな?」
コウメイの指先が、購入者一覧を弾いた。
「領主が直に購入した記録は少ねぇが、騎士団や領兵団、街兵も、他町の領主や兵団も、結構な数量を定期的に購入してるんだよ」
「……あ」
魔力を持たない者でも魔術を使用できる魔術玉は、その危険性から、購入者の身元の登録照合と、使用目的、数量を記録することになっている。
ジョイスとパトリスは売買契約書の控えを引っ張り出し、コウメイとアキラの前に広げた。どの契約書にも『スタンピードに備える』と記されている。
しかしスタンピードは、冒険者ギルドや魔法使いギルドの地道な努力により防止できている。それでも万が一はあるのだ、備えのためにという理由は納得できるが。
「魔術玉の品質保証期間は二十年です」
「十分すぎる備蓄があるのに、毎年買い足すのはなぁ」
アキラとコウメイの指摘に、二人の魔術師は購入者一覧に目を走らせた。
「ケルメルン子爵も、オグモット男爵もか」
「ユーヒスル伯爵もですよ。すべて、ダッタザート辺境伯の一門です……」
領主が寄子を通じて魔術玉を買い集めているのは間違いなかった。しかも購入されているのは、攻撃魔術に準ずる魔術玉ばかりだ。
「十年分となると、相当な量を備蓄しているはずですが」
「何に使うつもりなのか、わかるか?」
問いかける二人の視線に、諦めの表情のジョイスが声を絞り出した。
「この記録でハッキリしました。戦争……おそらく、東ウェルシュタントの独立でしょう」
先代の時代から、ダッタザート辺境伯が東ウェルシュタントを率いて独立したがっているという噂は根強かったのだとジョイスが語る。
「王家が続けているオストラント平原の戦いは、東側にかなりの負担を強いています。西の穀物地帯の収穫量は年々減り続けているのに、王家は戦いを止めませんからね」
「あの停戦協定は五年も保たなかったしな」
ジョイスの嫌悪の表情に、コウメイも苦々しげに目を細めた。
再びはじまったヘル・ヘルタント国との戦争は、激化するばかりだ。戦争により不足する西側の食糧を、東側が負担し続けている。リアグレンからダッタザートまでに広がる大平原は、確かに豊かな穀倉地帯ではあるが、西側を十数年にもわたって支え続けるのはかなり厳しかったはずだ。
「ダッタザート辺境伯は、王家の近しい血筋としての責任だとして、頻繁に進言をしていたと聞いています」
だが王家は、辺境伯の進言を聞き入れなかった。長く続いた西国境の戦争終結に尽力したのに、それもわずか五年で反故にされ、もう付き合いきれない、となったのも当然だろう。
帳簿と西ウェルシュタントの動きを照合したアキラもため息をついた。
「魔術玉の購入がはじまった時期とぴったり一致しています。協定が破られた直後から、ダッタザート辺境伯は戦力を備え、機会を狙っていたようですね」
「気がなげーよな、戦争準備に十年かよ」
「根回しにそれだけかかったんじゃねぇか? 貴族連中からしたって、いくら辺境伯が王家と血統の近い高位貴族つっても、簒奪に協力しろって持ちかけられて簡単に頷けねぇだろ」
「魔法使いギルドをどう使いたいのかわからないが、動いたということは、東側の貴族の合意を取り付け終えたということだろう」
「キナ臭ぇ噂は聞いてたが、とうとうはじまるのか」
迫る戦争の気配に、室内の空気が重く沈む。
ジョイスは無言で机に広げていた帳簿や書き付けを整えた。
「……り、領主が僕たちに何をさせたいのか、やっとわかりました」
ゆっくりと顔を上げた彼は、アキラたちを見あげて断言した。
「アレ・テタルの制圧です」