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02 侵入者



 商業ギルド直営の宿に部屋を取ったアキラは、髪と目を隠して街を歩いた。市場や飯屋、各職ギルドに集まる場所でさまざまな声に耳をそばだて、人々の表情と声を密かに集める。

 七の鐘を聞いて金の車輪亭に戻り、一階に併設された食事処の片隅に腰をおろした。夜の営業前の店には、紙の束を睨むように読みながら、ポットで注文した茶をガブ飲みし長居する商人が何人もいる。アキラはそれを真似て本と板紙をテーブルに置き、香り茶をポットで頼んだ。


 少ししてコウメイが店に入ってきた。彼は店内には見向きもせず、奥の宿泊受付に向かう。部屋を確保した彼は、客室にあがらず食事処の空席に座った。ちょうどアキラから見て左斜め向かいの席だ。アキラと目を合わせることなく、運ばれてきたコレ豆茶と焼き菓子をゆっくりと味わっている。

 ポットが空になったところで、アキラは席を立った。本と板紙をまとめて持った指が、コウメイの前を通り過ぎざまに、素早く合図を送る。


 シュウを連れたコウメイがアキラの部屋を訪れたのは、八の鐘が鳴ってすぐだった。シュウが懐から手土産だと取り出した包みは、サツキの焼き菓子だ。


「店に顔を出したのか?」

「姿を見られねぇようにって注意してただろ」

「フツーに客として行っただけだぜ。ヒロには屋根の上から忍び込んで、こっそり接触したけどなー」


 シュウが探った限り、澤と谷の宿の見張りは表通りだけだった。裏の建物から屋根伝いに侵入したが、ヒロ以外には見られていないと胸を張る。


「宿が見張られてるのは、ヒロも気づいてた。しばらく様子見で警戒するってさ」


 ヒロは現役を引退しているが、体つきも感覚もまったく衰えていなかった。結界魔石も渡したし、冒険者をしている息子夫婦が同居しているのだ。戦力的な心配はないとシュウが太鼓判を押すと、アキラはほっと胸を撫で下ろし、久々の妹の味を楽しんだ。


「コズエちゃんのほうはどうなんだ?」

「そっちも心配ねーよ。店にいるときはヒロがいるだろ。自宅はジョイスさんが守りを固めてるし」


 コズエは数日前に、ジョイスから守護のアミュレットを渡されていた。敵にこちらの動きを察知されないように、いつもの日常を変えないよう意識していたらしい。


「けど移動中が一番危ねーだろ。家と工房の往復くらいしか外に出ないようにしてたらしーぜ」


 最も危ないのは移動中だが、可能な限り誰かを伴って歩いているそうだ。


「見張ってる連中の正体はわかったのか?」

「あれ兵士でも騎士でもねー感じだ。どっちかってーと冒険者っぽいけど、気配の消し方が巧すぎるんだよなー」

「魔法使いギルドの見張りは、騎士と街兵だったぜ」


 見張りの目を欺くため、即席で変装してジョイスに接触したくだりを話したコウメイは、小さく折りたたんだ紙片をアキラに渡した。


「魔術学校の守衛も秘書みてぇな職員も、試験に立ち会った魔術師二人も、ジョイスは警戒してるみてぇだったな」

「なー、なんて書いてあるんだよ?」

「今夜、魔術学校の学生宿舎の通用口に、だそうだ」

「学生宿舎てぇと、ここか」


 コウメイが銀板で地図を表示する。街の建物や道が変わると、銀板の地図も自動的に書き換わるので便利だ。

 魔術学校の隣に職員宿舎、その隣に学生宿舎が表示されていた。


「なるほどね。確かにこっち側は見張りが手薄だったな」


 魔法使いギルドと魔術学校の建物は、道路を挟んで向かい合っていた。二階部分に渡り廊下が作られており、魔術師や生徒が頻繁に行き交う構造だ。そして宿舎は隣家と学校の間の路地を奥に入ったところにある、独立した建物だ。見張りに立てる場所は限られている。


「監視しているのは、ギルドと魔術師の動きか」

「ギルドに出入りしている人物もだぜ。俺を市場まで尾行してきたからな」

「……目的は組織(ギルト)ではなさそうだな。たぶんジョイスさん個人だ」

「何でそー思うんだよ?」

「ジョイスさんがコズエちゃんに守護のアミュレットを用意したのは、脅されているからとしか考えられないじゃないか」


 何者かが妻を盾にジョイスを脅迫し、理不尽な要求しているとしか思えない。妻だけでは折れないとなれば、友人夫婦も脅迫に使うつもりで監視しているのだろう。


「誰が脅してんだよー?」

「そりゃ兵士や騎士を動かせるつったら、貴族に決まってんだろ」

「下っ端貴族ならいいんだがな……」


 最悪を想像するコウメイとアキラの表情は厳しい。


「じゃー要求は何なんだ?」

「それは今夜、ジョイスさんから直接聞く」


 夜もギルドは見張られているだろう。決して気づかれないようにジョイスに接触しなくてはならない。

 入念に打ち合わせた三人は、金の車輪亭を出ると、それぞれ擬態して夜に紛れた。


   +++


 ギルド長室を施錠したジョイスが、閉店前で賑わうロビーに顔を出した。顔を上げたベサリーがシフト表を確かめながら問う。


「ギルド長、今日は早いですね。学校で会議ですか?」

「いいえ、今夜は寄宿舎当番なんですよ」


 寄宿舎と聞いて、魔術学校にも所属しているモリンが、面白がるような顔でジョイスを見あげた。


「学校長、頑張って。生徒たちがヘマしないように祈ってますね」


 クルクルとした金髪を震わせてジョイスを激励する。その様子に不穏なものを感じたジョイスが、不安そうに足を止めた。


「モリン、生徒たちが何かやらかしそうなのですか?」

「どうかなぁ。最近はおとなしいんですけど、だからこそ、そろそろかなって気がするんですよね」


 学校にも職席のある魔術師は、学生寄宿舎の監督当番の過酷さを身に染みて知っている。研究熱心な、もとい好奇心と探究心で視野の狭くなった学生は、寝る間を惜しんで研究に没頭する。

 結果、監督の目の届かない寄宿舎の個室で、力量を超えた魔術実験に手を出して爆発事故を起こしたり、禁じられた薬草配合を試して宿舎内に微毒ガスを充満させたりするのだ。

 寄宿舎当番の教師はしばしば、学生の後始末に奔走させられる。そうなればおちおち眠っていられない。

 モリンの不穏な発言に、ベサリーは心配げにジョイスを見つめた。


「いつも思うのですけれど、学校長が寄宿舎の当番までする必要はないのでは?」


 組織の長が平職員と同じ仕事をすることに、魔術師ではないベサリーは納得できないようだ。ましてやジョイスは、若く見えるとはいっても七十五歳だ。ことが起きれば徹夜もある激務は、年齢から考えてもそろそろ免除されてしかるべきだ。そんなベサリーの苦言に、モリンとジョイスは苦笑いで顔を見合わせた。


「無理ですよ。ベサリーさんはわからないと思いますけど、魔術の失敗を打ち消せるのは魔術だけなんです」


 モリンは自分たちが朝までかかるような学生の後始末も、ジョイスなら鐘一つもかからずに終えてしまうと説明する。


「ダッタザートで一番強いギルド長を遊ばせておくなんてできませんって」

「何事もなければしっかり休めますから、大丈夫ですよ」

「学校長は生徒に何も起こさせないから朝までぐっすりですよね」

「それならよろしいのですが……」

「後はパトリスさんに任せています。お先に失礼しますね」


 いつまでも混雑するロビーにいては邪魔になるだけだ。腰の低いギルド長は職員らに会釈してギルドを出る。

 通りに出たジョイスは、そのまま向かいの魔術学校に顔を出し、守衛室で鍵を受け取って、路地を進んだ先の寄宿舎に入った。


   +


 

 八の鐘が鳴ると、生徒たちは学校の食堂に我先にと集まる。食べ盛りの学生が集まったそこにジョイスが顔を出すと、生徒たちのテーブルから歓迎とボヤキが聞こえてきた。


「えぇ、宿直はジョイス先生なの?」

「今夜は無効魔術最強だぞ、どうする?」

「実験、延期しようかな」


 反対に寄宿舎職員からは「よかった、今夜はゆっくり眠れる」と歓迎の声が漏れ聞こる。

 ジョイスは苦笑いで夕食を受け取り、窓際の席についた。野菜と芋のスープを味わいつつ、ガラス窓越しに魔法使いギルドの様子をうかがう。

 眼下では帰路を急ぐ人々が、巡回の兵士や騎士を避けて行き交っている。ギルドの正面玄関が閉じられると、表通りから人の姿が消えはじめた。空が暗くなり、街灯が点火され、裏口から出てきた職員らは、街灯に寄り添うように帰宅してゆく。

 ジョイスとそれらを隔てる窓ガラスに、副学長のカミーユの姿が映り込んだ。振り返ると、くすんだ赤毛に染めた彼が、飲み物のカップだけを持って立っていた。相席を求められて頷くと、カミーユは向かいに腰をおろした。


「ジョイス先生、難しい顔してますね? 何かお悩みですか?」

「ギルドの仕事を一つ、片付け忘れていたのを思い出してしまいまして……」


 寄宿舎当番の勤務時間は、翌朝学生らを魔術学校に送り出すまでだ。学生を閉じ込めるのだから、当然その監督責任者である当番教師も朝まで宿舎を出られない。


「急ぎですか? それなら僕がギルドの宿直に伝言しておきますよ」

「カミーユは宿直当番ではないのですか?」


 この時間に食堂にいる学校関係者は勤務中のはずなのに、と首を傾げると、カミーユは恥ずかしそうに窓の外に視線を向ける。


「時間を潰しているんです。夕食の約束がありまして」

「アデールですか?」

「いいえ、あの……ベサリーさんです」


 カミーユは染まる頬を隠すように背を丸めた。

 ジョイスは意外すぎる告白に目を見開いた。カミーユが愛用している気持ちを穏やかにする薬草茶や、頭痛をなだめる薬飴などを作り出したのは、薬魔術師のアデールだ。彼女が心を弱くした彼のために発案し贈ったのだ。彼が人の視線に脅えなくなり、教師として魔術学校で働けるのはアデールの支えがあったからだと、魔法使いギルドの職員は知っている。だからこそその驚きは大きかった。


「もしかして、ベサリーと……お付き合いを?」

「いえ、まさか、まだそんなっ」


 他者との意思疎通を苦手とする魔術師は多く、必然的に独身者が多い。カミーユもその一人だが、どうやら知らぬ間にベサリーと夕食を楽しむ間柄になっていたらしい。

 人の感情はままならないものだ。女性不信ぎみの副学長がかわいらしい恋にそわそわする様子に、ジョイスはアデールを思って複雑な思いを噛みしめた。だがそれを顔に出さず、カミーユを促す。


「彼女ならそろそろ裏口から出てくるころですよ。女性を待たせてはいけません、あなたが少し待つくらいが、良い印象を持ってもらえますよ」


 コズエさんもそうでした、と声を潜めて助言すると、ギルド長の愛妻家ぶりをよく知るカミーユは、耳まで真っ赤にして食堂を出ていった。

 しばらくすると窓枠の向こうに、建物から出てきたベサリーに駆け寄るカミーユが見えた。ジョイスの伝言を忘れていなかったようで、勝手口から当直に声を掛けてから、二人寄り添うように立ち去った。

 人通りの消えた通りを見下ろしながら、ジョイスはキリキリと痛む腹を密かに押さえる。


「……待っていますよ、みなさん」


 緊張からか胸がいっぱいで苦しい。スープ以外に手をつけられず夕食を終わらせたジョイスは、アキラたちを迎え入れる準備に向かった。


   +++


 街灯の届かない影に身を潜めた見張り兵の目は、魔法使いギルドの勝手口から出てきた男を追った。

 数冊の本を手にした男は、寄宿舎の横の路地に入り、通用口の扉を叩く。すぐに扉が開き、灯りに照らされて男の顔がはっきりした。明るい金色の髪を首の後ろで束ねた初老の魔術師、魔法使いギルドの副ギルド長。彼らが見張れと命じられている二人のうちの一人だった。対象のもう一人は扉を開けた初老の魔術師、魔法使いギルド長のジョイスだ。

 監視対象二人の深夜密会の場面に、兵士に緊張が走る。


「助かりましたよ、パトリスさん」

「しっかりしてくださいよギルド長。これ、朝までに終わりますか?」

「て、手伝ってくれないかな?」

「仕方ありませんね」


 数冊の本を受け取ったギルド長は、扉を大きく開いた。副ギルド長が寄宿舎に入り扉が閉まる。路地に暗闇が戻り、通用口を施錠する音がした。

 事前情報で、ギルド長は朝まで宿舎から出られないことはわかっている。副ギルド長の行動を見張るべく、兵士は増員を要請した。

 増員された兵にギルドの見張りを任せ、その兵士は宿舎通用口を見張り続けた。


   +++


 パトリスの出入りに合わせて密かに寄宿舎に招き入れた三人の変わらない姿を目にした途端、ジョイスの目に涙がこみ上げた。


「妙なことになってるようだな」

「ジョイスさん、ちゃんと眠れていますか?」

「コズエちゃんは心配ねーから、泣くなよなー」


 やさしく肩を叩くコウメイのあたたかな微笑みも、案じるように顔をのぞき込んでくるアキラの労りの言葉も、ジョイスの必要とするものを真っ先に贈ってくれるシュウの力強い明るさも、何も変わっていない。


「ななな、泣いてません、よ」


 ジョイスは何一つ変わらない友人らに潤んだ瞳を向け、こぼれそうな涙を必死に堪えて笑顔を作る。


「遠くからこんなに早く駆けつけてくれて、ありがとうございます。時間がありません……力を貸してください」

「お願いします。俺たち二人は動けないんです」 


 三人の若々しさに驚いていたパトリスも、ジョイスにならって頭を下げる。


「私たちはここに来ました、それが答えですよ。急ぎましょう、時間がないんですよね?」

「詳しい話、聞かせてもらえるか?」

「……ありがとう。話をするよりも、見ていただいたほうが早いと思います」


 灯りの消えた廊下を滑るように移動し、ジョイスは一階奥の宿直室に三人を招き入れた。施錠を確かめてから、パトリスがベッドを移動させる。重いはずの寝台が滑るように動き、床に階段が現われた。


「地下の抜け穴かよ」

「いいねー、ワクワクしてきた」

「寄宿舎になんてものを作ってるんですか」

「ぼぼぼ、僕が、つ、作ったんじゃありませんよ。て、転移魔術陣に作られてしまったんです」


 苦笑いのジョイスを先頭に階段を降りた。彼らを先導するかのように、石段に灯りがともってゆく。螺旋状の階段を降りた先は一本道だ。


「イテッ」

「もうちょっとでっかく作ってほしかったなー」


 コウメイが頭をぶつけ、シュウは腰を低く落としている。一人がようやく通れる幅の通路は、アキラが辛うじて頭をぶつけない程度の高さしかない。コウメイは頭を引っ込めればなんとかなるが、シュウは背負った長剣を何度もつっかえさせていた。


「終点は、転移室のようですね。転移魔術陣に問題がおきたのですか?」

「……ダッタザートで転移魔術陣を起動できるのは、僕とパトリスの二人だけです。近年は他国とのギルド間を移動する機会もなく、物資の運搬にしか使用されていませんでした。だから気づくのが遅くなってしまって……」


 トレ・マテルの地下トンネルよりも短い地下通路は、あっという間に突き当たった。

 ジョイスが壁を杖で打つ。

 魔術陣が浮かびあがり、魔力が満ちると壁がゆっくりと横に移動した。

 通路を抜けたそこは、扉のある小さなフロアだ。


「転移室の扉ですね……」


 以前を知るアキラは、ずいぶんと立派になったものだと扉を眺めて、すぐにそれに気づいた。魔術鍵の付近に目を凝らし、眉が警戒にピクリと跳ねる。


「……ジョイスさん。転移室を使うのはパトリスさんと二人だけだとおっしゃいましたよね?」

「やはり気づきましたか」

「魔術鍵に、お二人以外の魔力で解錠した痕跡が残っています」


 厳しい目つきで扉を見据えるアキラに、ジョイスは苦しそうに吐き出した。


「ここに、私たち以外の何者かが侵入しているようなんです」



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