00 プロローグ/ダッタザート
本日より16章の連載開始です。
月・水・金の更新です。
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(今回のプロローグにご長寿はいません)
街門の閉まる八の鐘が鳴ると、魔法使いギルドは途端に慌ただしくなる。
一日の成果を抱えた冒険者たちが押しかけ、魔石や素材の換金でロビーは混雑していた。査定換金の窓口だけでなく、明日の討伐に必要な錬金薬や魔術玉を求めた客が押しかけ、売店も殺気立っている。
この時間帯が賑わうのはいつものことだが、その日は当番職員では手が足りず、管理職も引っ張り出されていた。
冒険者ギルドとの調整を終えて戻った副ギルド長のパトリスは、事務長のベサリーまでがカウンターに座り、冒険者をさばいているのを見て眉をひそめた。
カウンターに着いているのは薬魔術師のアデールと攻撃魔術師のブノワ、それにベサリーの三人だ。ベサリーの前には、ここ数年でよく見かけるようになった、女たらしの冒険者がいる。職員に失礼な行為はゆるさないぞと、パトリスは男を注視した。
「今日もキレイだね、ベサリー。この魔石、君の瞳の色みたいだろう? 耳飾りにぴったりだと思うんだ。よかったら受け取ってくれないか」
魔石を握らせた手に己の手を重ねる男の流し目を、彼女は慣れた様子で素っ気なくあしらった。
「あいかわらずねルドルフ。あいにく私の瞳はその色じゃないわ。魔石の査定は隣でお願いするわね。はい、次の方どうぞ」
「つれないなぁ。僕の気持ちは知ってるだろう? いい加減その眼鏡で隠した瞳の色を教えてくれないか?」
「そうやって何人を口説いているのかしらね? これ以上しつこいと、業務妨害で冒険者ギルドに苦情を入れるわよ?」
「わかったよ。この魔石を君だと思って大切にするとしよう。またくるよ」
ベサリーは呆れたように息をつき、黒硝子眼鏡を指で押し上げる。
あの様子なら大丈夫そうだと、パトリスは自分の仕事に戻っていった。
魅惑的なルドルフの流し目がわずかに逸れ、隣の列の若い女性冒険者と目が合った。彼女は頬を染めてルドルフの後ろ姿を見つめている。
その女性冒険者の魔石査定をしていたアデールは、苦々しげに顔をしかめ、隣のベサリーを横目で睨んだ。
「……何かしら?」
ベサリーの瞳は黒硝子で隠されている。だがほほ笑んでいるような唇の形が、こちらの負の感情を嘲笑っているように思えて、アデールは不快感に目を細め無言で魔石の鑑定に戻った。
魔法使いギルドの閉店時刻は八の鐘半だ。最後の客が去り、正面扉を施錠する音が聞こえた瞬間、職員らから緊張がぬけた。
「やっと終わったぁ」
「どうして毎回、閉門ギリギリに帰ってくるんだろうな」
「はいはい、まだ終わっていませんよ」
パンパンと、ベサリーが手を叩いてゆるんだ気を引き締めた。
「今日の集計報告は九の鐘までに提出してください。売店は売上報告と現金を確認し金庫へ。報告書を提出したら本日は終了してください。お疲れ様でした」
短く指示を出し、仕事の終わった者はすみやかに退勤せよとうながす。ロビーの掃除を終えた職員が「お先に~」と去り、売店の鍵を閉めた店員が「また明日」と裏口から出て行く。
「これ買取品目の集計です」
「魔物素材はまとめて倉庫に突っ込んでます。整理は明日でいいですか?」
「倉庫に三日分の素材が積まれていますので、明日こそ必ずお願いしますね。増員が必要なら言ってください。お疲れ様でした」
ロブとブノワは肩こりをほぐしながら出口に向かった。
窓を閉め、正面出入り口を施錠し終えたベサリーに、アデールが無言で魔石取引の報告書を渡す。目を伏せて視線をさげた彼女は、事務長の喉元を食い千切りたそうな強さで見ていた。
「早いですね……はい、結構です」
「……お先に」
ぼそぼそとした声で返し、アデールが背を向ける。
ちょうど二階から下りてきたパトリスが、二人の間に漂う刺々しい空気に気づいた。
「なんだ? アデール、睨んでなかったか?」
「去年くらいから、ずっとあんな感じなんですよ、私にだけ」
「君にだけ? 彼女と何か揉めたのか? あんな態度を取るヤツじゃないんだが……」
心配げに見送るパトリスに、ベサリーは戸惑ったように首を振った。
「嫌われるようなことをした覚えはないんですけどね。それ、ギルド長への報告書ですか? 私が持っていきますよ」
「いや、大丈夫だ。これから合わせなんだ。そちらの報告書は俺が預かろう」
「ではこちらの日報も一緒にお願いします。お先に失礼しますね」
「お疲れ様、明日もよろしく」
和やかに彼女を見送ったパトリスは、裏口の扉が閉まった途端、険しい表情で何度も鍵を確認した。続く階段室の扉もしっかり施錠する。職員控え室に売店、ロビーに誰も残っていないのを確かめてから、彼は静かにギルド長室に入った。
扉に魔術鍵を施して、思い詰めた顔で待つギルド長の近くに寄る。
「全員帰しました。窓も扉も施錠を確認してあります」
顔を寄せ、声を潜めたパトリスは、封蝋された植物紙を静かに差し出した。
冒険者ギルドの報告書に素早く目を通したジョイスは、安堵とも不安ともとれる難しい顔で息を吐いた。
「どうでしたか?」
「……魔術師に裏切り者はいないようです」
何者かによる転移室への不正侵入、その痕跡にジョイスが気づいたのは三ヶ月前だった。
転移室への出入りは、以前はギルド職員ならば誰でも許されていた。だが転移魔術陣が変質しはじめ、転移室を含めた塔が自らに相応しい構造へと姿を変えはじめた頃から、その経路は秘匿されるようになった。
転移するには繊細な魔力操作と古代魔術語による詠唱が必須なため、魔術陣を起動できる者は限られる。ダッタザートではジョイスとパトリスの二人だけ。転移室に入れるのも、現在はこの二人だけだ。
ところが、ジョイスとパトリスだけしか知らないその経路を、誰かが密かに使用している痕跡を見つけた。自分とパトリスだけでは客観的な調査が難しいと判断し、密かに冒険者ギルドに調査を依頼をしていた結果が届いたのだが。
「忍び入ったのは魔術師ではない、ということですか? いったいどうやって? 隠蔽魔術も魔術鍵も、多少魔力を保有している程度では破れないはずですよ」
魔法使いギルドに勤める魔術師の中に、勤務外において不審な行動をとる者はいなかった、という報告に、パトリスは納得できないようだ。
「魔術師しか考えられないのに」
転移室への階段に至る扉には、当然鍵がかけられているし、階段も隠蔽魔術で隠されており、解術しなければ発見できない。また階段を降りた先の転移室の扉には、複数の魔術鍵がかけられており、これは物理では破れない。一定以上の力を持った魔術師でなければ忍び入るなど不可能なのだ。
それはジョイスもわかっていた。だからこそ身内の裏切りを疑い、冒険者ギルドに調査を依頼したのだ。
「……何かを見落としているのかもしれません」
ジョイスは報告書に火を付け、灰になるのを見届けてから、ゆっくりと立ち上がった。
「もう一度、侵入の残滓を確かめましょう」
ジョイスは執務机の後ろにある扉の前に立った。ギルド長専用書庫につながる鍵を開ける。扉が開くと同時に魔道ランプが灯った。
魔術学校の学生や、魔術師らが研究のために足を向ける二階の書庫とは異なり、ジョイス専用のそこは広くはない。天井まである書架の最奥に向かい、突き当たった壁の前で足を止めた。
目を眇めたジョイスは、少し屈み、探るように壁を撫でる。
炎色の淡い光りが生まれ、魔術陣が浮かびあがった。
背中越しにのぞき見るパトリスが問う。
「隠蔽魔術が改変された痕跡はありますか?」
「ありませんね。必要魔力の設定も変わっていません。パトリスの目には、どの色が残っているように見えていますか?」
「青と黄ですね。……俺、この手のことは苦手なんですよ」
ジョイスが見分けられないものを判別できるわけがないと、パトリスは肩をすくめた。
炎色の魔力が満ち、魔術陣が青く光る。
書庫の壁が黒光りする扉に変わった。
二つの魔術鍵をはずし、開く。
扉の向こうは、壁に囲まれた、窓も灯りもない小さな部屋だ。
床に膝を突き、杖で壁を叩く。
音もなく床半分が動いて、階段が現われた。
「どうでしたか?」
「魔術陣も仕掛けも、正常に動いていますが……」
ジョイスは杖を押し当てた先に目をやった。魔力の光に照らされた壁に、不自然な染みが残っていた。
「指脂です」
「素手で魔術陣に触れて、魔力を流しているからですよね?」
「ええ。だから魔術師の仕業だと考えたのですが……」
魔術師の使う杖に同じ物は存在しない。表の売店で販売している汎用杖も、使用する際は自分の魔力属性や得意魔術の傾向に合わせ仕様を変える。杖は魔術師証と同様に、その身を証明する道具でもあった。
そして魔術鍵は、解錠した者の魔力や、杖の特徴を必ず記録する。
「魔術属性だけでも判明してくれれば手がかりになるのに」
「属性不明の魔力なんて、いったい何者なんでしょうね」
杖の情報が記録されていれば、それを手がかりに侵入者を特定できるのだ。魔力属性だけでも対象を絞り込める。なのに残されているのは謎の魔力痕だけ。間違いなく、侵入者は魔術鍵の特質を熟知している。だからこそ侵入者が魔術師だと二人は確信していたのだが。
「魔術師ではない者がこれらの場所を見つけ出したなんて、とても信じられない」
「同感です。どうやって隠匿を見破ったのでしょうね。同じ場所に何度も重ねなければ、こんなにハッキリと痕は残りませんよ」
特殊な土を塗った壁に残された掌底形の皮脂の存在は、侵入者が何度もこの階段を降りたことを意味している。
「早急に魔術鍵の改良をする必要がありますね」
「パトリスさん、お願いできますか?」
「ギルド長がやってください。俺は攻撃魔術師です」
「僕も攻撃魔術師なんですけど……」
足元の階段を見つめていた二人は、顔を見合わせ、ため息をついた。ダッタザートの弱みは、上級色の魔道具師が不在であることだ。まさか自ギルドの防犯用魔術鍵を、外部に依頼するわけにはゆかない。
気を取り直し、二人は静かに螺旋状の階段を降りた。
三階層ほど地下に潜ったところで階段が終わる。
ここにある最後の扉の向こうが、転移魔術陣だ。
「魔術鍵は正常に作動しています。記録も……変わりませんね、俺とギルド長と、侵入者だけです」
十八年前にはじまった転移魔術陣の変異は、この深さで落ち着いた。部屋は地上にあったころと同じ大きさだ。壁や天井の素朴さも変わらない。
「清掃の魔術が裏目に出ましたね。昔のように埃だらけだったら、足跡を録れたかもしれないのに」
「嫌ですよ、こんな地下で埃まみれになんてなりたくないです」
部屋の中央に歩み寄った二人は、転移魔術陣の外縁に立つ。
「使用された形跡はありますか?」
「ありません……さすがに転移魔術陣は普通の魔術師には起動させられませんよ」
ジョイスは床の魔術陣を睨んだ。
はじめて不正侵入者の存在に気づいたとき、当然のように魔術師の関与を疑った。身内ではないという信頼と、ギルド職員なら可能だという疑念が鬩ぎ合い、ジョイスは身動きが取れないできた。
「ギルド長、俺は一般職員と魔術学校の生徒も調査するべきだと思います」
「生徒を疑うのですか?」
「熱心で才能にあふれた生徒たちですが、それ故に彼らは幼く無防備です。悪意を持つ者に自尊心をくすぐられ、好奇心を煽られ、利用されている可能性は否定できません」
「……パトリスは外部犯の可能性は低いと考えているのですね」
「状況は明白じゃないですか。外部の可能性はありえませんよ。もう一度、今度は学校関係と一般職員の調査を依頼しましょう」
冒険者ギルドが侵入犯を絞り込んでくれれば、あとは自分たちで、どのような手段を使ってでも目的を探り出すのだ。
そう意気込むパトリスの肩を、ジョイスはなだめるように叩いた。
「調査は必要だと思いますが、おそらく冒険者ギルドの回答は同じだと思いますよ……それに」
ジョイスは悔しげに唇を噛んで、懐から握りつぶした跡の残る羊皮紙を取り出す。
「敵も目的もハッキリしています」
「これは?」
「パトリスが戻る前に届きました――領主からの要請書です」
差し出された羊皮紙に素早く目を走らせたパトリスは、そんな、と呻き息を詰まらせた。
「これが要請ですか? 脅しじゃないですか! 俺とギルド長に領主の手下になれ、なんて」
「大陸の魔法使いギルドを裏切り、秘密裏に便宜を図れと……領主様の目的は、転移魔術でしょうね」
ダッタザートで転移魔術陣を使用できるのはジョイスとパトリスの二人だけ。名指ししたからには、狙いは明らかだ。
転移室への執拗な侵入も、脅迫の前段階だったのだろう。
「領主様は、転移魔術陣で何をするつもりなのでしょう」
領主の手の者が転移室へ忍び入ったの間違いない。三ヶ月、いやそれ以上前から探られていたのだろう。そして今、領主は何かの目的のために行動に出たのだ。
「わかりません」
ジョイスは厳しい顔で首を振る。
その書状に返答期日は書かれておらず、けれどジョイスとパトリスへの脅しだけはしっかりと書き記されていた。
「ギルド長、奥様は……」
「コズエさんの店はすでに監視されているでしょう。店を閉めて逃げるのは、あからさますぎてできません」
それに澤と谷の宿の友人夫婦も、領主の監視下にあるのは間違いないだろう。
「パトリス、あなたのご家族は今どちらに?」
ジョイスは脅しに屈するつもりはなかった。だがそれを明確にすれば、次は副ギルド長が家族を盾に脅される。それを察したパトリスは覚悟を決めた。
「妻はボダルーダの実家です。少し前に実家薬店の建て直しを頼まれまして、あちらに行ったきりです。娘はこの街の冒険者と結婚しています。何か依頼を請けたように見せかけて、夫婦ともに妻の元に移るように言いましょう」
「それが良いでしょう。領主様は我々が侵入者の存在を察知していると気づいていないはずです。明日以降に我々が慌てる様子を観察し、次の手を打ってくるでしょうね」
「ギルド長はどのような手だと思いますか?」
「わかりませんよ……僕、権謀術数に向いてないんです」
何せ魔力量に任せきりの攻撃魔術師だ。悔しそうにぼやくジョイスに、パトリスも「俺も謀略は苦手です」とため息をついた。
二人にできるのは、転移魔術陣の守りを固めることと、家族の安全を確保すること。魔術学校やギルドへの攻撃も考えられるが、内通者がわからないままでは、どんな対策をたてても無駄だろう。
「パトリス、今の魔法使いギルドに転移魔術陣は必要だと思いますか?」
「ギルド長、それはどういう……」
「ウナ・パレムは転移魔術陣が失われていますし、トレ・マテルは人の転移ができなくなって久しいです」
かつて所属したギルドを持ち出され、パトリスは戸惑った。
オルステイン王家に攻撃され、ギルドと転移魔術陣を含む塔は一度失われた。その際に散り散りになった魔術師らが再び結集し、現在は新しいギルドが組織されている。
「マーゲイトもです。転移魔術陣から離れペイトンで活動して長いですが、ギルドの日常には何ら問題は起きていません」
他国ギルドに赴く際に多少の不自由はあるが、困るのはその程度だ。
「もし領主が強硬手段に出たなら、僕は……僕は転移魔術陣を壊そうと思います」
「ジョイスさん!!」
それはエルフとの契約に反する行為だ。
「待ってください。まだ何かできることが、誰か頼れる方は……そうです、あの方ですよ」
パトリスは二十年近く前に、今のダッタザート魔法使いギルドの基礎作りに加わった美貌の魔術師を思い出した。
「アキラさんに助けを求められませんか?!」
パトリスの言葉に、ジョイスは目の前が明るくなったような気がした。
「彼は博識ですし、魔武具にも詳しかった。俺たちが見てもわからない痕跡から、何かを発見してくれると思います!」
「そ、その可能性は、高い、です」
それに魔法使いギルドの大改築のために、多くの資金を提供し続けた彼なら、自分たちの味方になってくれるはずだ。彼なら素晴らしい対策を練るだろうし、自分たちを有効な駒として使い、領主と戦ってくれるだろう。
「アキラさんが来てくれたら、破壊せずに済むかもしれません」
もちろん彼任せにするつもりはない。売られた喧嘩は必ず買うのが攻撃魔術師のポリシーだ。
「……弟弟子に助けを求めるなんて、情けないですね」
「そんなことはありませんよ」
二人はさっそくアキラへの連絡と、家族を守る対策、そして明日からの自分たちの行動を念入りに打ち合わせた。
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