15 閑話 神々の昔話
魔木炭の引き渡しは深魔の森で行われた。
品質を確かめたレオナードは、対価を払うのに問題ないと満足そうだ。
引き渡しを終えた彼らは、庭先の丸太椅子に座り、星空の下で向かい合った。凍るような夜風はアキラの風魔術で遮り、足裏から伝わる土の冷たさはレオナードの火魔法の生み出す熱が押し返している。
「待たせたな、ホットのヴィレル酒だ」
湯気の立つカップを受け取るレオナードは、いつもの不機嫌そうな顔をわずかにゆるめた。
自分とアキラにはコレ豆茶、シュウにはハギ茶のカップを渡し、コウメイも丸太椅子に座る。
リンウッドは研究室、マイルズは客間だ。二人とも、知らなくてもよい情報は耳に入れたくないと同席を遠慮した。
「これで全員です。結界魔石を使いますが、よろしいですか?」
アキラが設置する魔石を興味深げに眺めていた藍色のエルフは、発動した魔術を読み取って「なるほど」と小さく頷いた。
「さて、神々について知りたいんやったな? 何が知りたいんや?」
「この世界に残っているのは時の女神だけだと聞いています。それは真実でしょうか」
「その通りや。モナッティーク様だけがこの大陸を見ておられる」
町に響く時を告げる鐘が、その証拠だ。
モナッティークに祈りを捧げて、時告げの石と加護の鐘を得た町だけが、時を知ることができる。
「では他の神々はどこにいらっしゃるのでしょう?」
「わからん。それを長老らも知りとうてたまらんのや」
長命のエルフ族の中でも、神々を直接知るのはもう長老らだけになってしまった、とレオナードは続けた。一族の老人たちは、今も神々の渡った領域に行きたいと強く願っているが、おそらくその願いはかなわないだろう、とも。
「なんでそんなに神様のところに行きてぇんだろうな?」
神の世界と死後の世界をイコールで考えてしまうコウメイやシュウにとって、長老らの思いは理解不能だ。
レオナードは立ちのぼるヴィレル酒の香りに目を細め、コウメイの問いには何も返さなかった。
「神々の中に、夫婦神はいますか?」
「おるで。創造神は夫婦で一柱や。それと太陽神と月神も夫婦やな」
「そのどちらかが争い、大地や天候が荒れたと言い伝えられてはいませんか?」
レオナードは意外そうに目を細めた。
「ジブン異世界産のエルフやろ、なんで知っとんねん?」
「私たちを送り出した声が、そのようなことを言っていましたので」
アキラを探るように見据え、コウメイとシュウが頷くのを確かめたレオナードは、不思議そうにたずねる。
「それ以上の何が聞きたいねん」
「その神様夫婦はさー、何回くらいケンカしてんだ?」
「創造神はアホちゃうねんで。なんべんも世界を滅ぼすようなケンカするわけあれへんやろ。一回きりや」
レオナードに呆れ顔を向けられたシュウは、そんなはずはないと首を傾げた。コウメイとアキラも、どういうことかと視線をあわせる。最低でも三度は転移者がこちらに送られているのに、まさか無関係だとでも言うのだろうか。
「エルフの領域にいるサカイさん、私たち、先日と、最低でも三度は創造神夫婦のケンカによる被害者がいるのですよ?」
ああ、アレかと、レオナードの唇の端が歪む。
「魔力震と転移者と創造神夫婦のケンカが無関係だとは思えません」
「無関係やあれへん。けどケンカは一回きりやて伝わっとるわ」
「嘘じゃねぇだろうな?」
「長老が雛やったころか、下手したら生まれる前の話なんやで、ワシが知るわけないやろ」
コウメイは疑いの目でレオナードのピクリともしない顔を見る。エルフ族では若手の彼が直接は知らなくても、長老やその親世代が書き記していそうだが、レオナードは一族の歴史書を読んではいないのだろうか。
「これ、なかなかええわ」
彼は探り見るコウメイを無視し、ホット・ヴィレル酒の追加を求めた。答える気はないのだろう。
面倒くさかったのか、コウメイは台所から携帯魔道コンロと鍋を運んで来た。レオナードの目の前でヴィレル酒に香辛料や蜂蜜を加えてあたため、空のカップになみなみと注ぎ入れる。
「……その創造神のケンカによって滅びかけた後はどうなったのです?」
「崩れかけとる大地を支えたり、霧散する空を閉じ込めたり、流れ出て戻らへん海をすくうて戻したり、神々が総出でいろいろやったらしいわ。せやけど完全に止められへんてなったときに、モナッティーク様が時を戻して崩壊を防いだちゅう話や」
それがきっかけになり、神々は自分たちの作った世界は、思っていた以上に脆いと気づいた。
「気づくの遅すぎるだろ」
「だよなー」
藍色のエルフはコウメイとシュウのボヤキを黙殺した。
「いっぺん崩壊寸前までいった後は、よけい脆うなったらしいわ」
大地に降りるだけでも天変地異が起きてしまい、創造したばかりの子どもたち(人族)のほとんどが死んだ。同じ世界にいては、これから先もここでしか生きられない子ども(人族)たちが、生まれるのと同時に死んでゆく。
「それは忍びないちゅうて、神々はここを去るて決めたそうや――エルフ族にあとの面倒見とけ言うてな」
迷惑な話や、と藍色のエルフの眉間に太くくっきりとしたシワが一つ刻まれる。
「押しつけられたのですか」
「長老らにそれ言うんやないで。爺さんどもの存在意義を否定したらあかん」
「ご心配なく」
アキラは笑顔でそう返した。エルフ族の長老に会う機会もないし、会いたいとも思わない。
「神々はこの地を去ったのに、時の女神だけが残ったのは何故でしょう?」
人族の伝承では、神々が人族を見限ったのに、時の女神だけが見捨てなかった唯一の神だと伝わっている。
「そら後始末が残っとったんやない?」
「……なんの後始末です?」
「創造神の崩壊の神力っちゅうんは、千切って小っそうして時の狭間に流しても簡単に消えるもんやなかったらしいわ。力ちゅうんは引き合うしな、散らしただけやったら集まってまうやろ。せやからちゃんと消滅するんを確かめなアカンかったんちゃう?」
「本当かよ?」
「しらんけどな」
「……っ」
「むかつくーっ」
シュウが吐き捨てる横で、アキラは膝の上の拳をぐっと握りしめた。からかっているのか、誤魔化しなのか判断がつかない。どちらであってもこちらの神経が逆なでされたのにはかわらないが。
「時の女神は創造神の喧嘩の前に時を戻さなかったのですか?」
「モナッティーク様のお力かて創造神夫婦の力には及ばんのや。喧嘩を無かったことにはでけんわ」
レオナードの言葉をまとめると、神力がぶつかった瞬間にモナッティークが干渉し、それらを細切れにして全方位へ散らせた。滅亡級の衝撃を、時の女神の神力で過去や未来へと散らした余波が魔力震、なのだ。
「どれだけ分散させたんだよ」
「……時間がズレているのは、そう言う理由なのか」
「それ、いつかは終わるんだよなー?」
「さあ? モナッティーク様しか知らへんの違う?」
鞠香らはアキラたちの数年後の日本から転移させられている。創造神の夫婦げんかの余波は、今も両方の世界に影響しているのだ。
「魔力震を止める方法はあるのだろうか……」
「時の女神を滅すればできるかもしれへんな」
アキラの呟きを拾ったレオナードは、真剣に問いかける。
「どないする、神に喧嘩売るか?」
藍色のエルフの瞳は、まるでそれを期待しているかのように爛々としていた。彼のまとう魔力は、踊るように揺れている。誘いをかけているようにも見えた。
息苦しさを覚えて、アキラは身を引いた。
「私に自殺願望はありませんよ」
「ふん、つまらんな。銀のは」
二杯目のホット・ヴィレル酒を飲み干したレオナードは、カップを置いて立ち上がった。
「おい、待てよ。まだ終わってねぇぞ」
「アホいいな、魔木炭の対価にしては喋りすぎとるわ」
レオナードの爪先が結界魔石を踏み潰す。
砕けた結界を捨て出た藍色のエルフは、挑発するように三人を見下ろして笑んだ。
「続きが聞きたいんやったら、またワシの仕事引き受けたらええで?」
「……これ以上は結構です」
「ホンマ、つまらんなぁ」
笑みを消した藍色のエルフは、いつもの不機嫌な顔で三人を睨み、顔を背けるのと同時に姿を消した。
+
波浪のように木々を嬲る冷たい風が、丸太椅子に腰掛ける彼らの体を震えさせる。
残っているホット・ヴィレル酒で暖をとりながらコウメイが呟いた。
「世界を滅ぼす夫婦げんかとか、ほんと、迷惑すぎだろ」
「小っさくして捨てるとか、後始末がテキトーすぎねーか?」
そのせいで自分たちが巻き込まれたのだ。もっと念入りにしっかり処分しろよとシュウが吐き捨てる。
「思い出した。ありえる状況と規模の損害にまで調整……上手い表現だ」
「アイツの言うのが正しけりゃ、異世界転移はこれからも続くんだぞ。どーするよ?」
藍色エルフに売られた喧嘩を買いたそうに闘志をたぎらせるシュウに、アキラは「どうにもしない」と返した。
「レオナードの言葉が正しければ、止めるためには女神に喧嘩を売らねばならないようだしな」
苦笑いのアキラが、俺たちは正義の味方でも救世主でもないぞとこぼすと、コウメイも大きく頷き、自分たちが命を賭けることじゃないと言った。
「無駄死にしてぇのかよ? 俺らは普通の人族とエルフ、あと狼なんだぜ。レオナードにも勝てねぇのに、神様に勝てるわけねぇだろ」
「そりゃそーだけどさー、何かしてーじゃん」
悔しそうに唇をとがらせたシュウが、ハギ茶も温めてくれとカップを差し出す。アキラの指がカップを弾くと、ふわりと湯気がのぼった。
「その何かは、もう終わってるじゃないか」
「へ?」
忘れたのか、とアキラが目を細める。
「この前の六大陸ギルド長会議で、別大陸(異世界)人の対策が承認された。これから転移させられてくる誰かは、これまでよりも少しは生存率が高くなる」
「神様に無駄な戦いを挑むより、ずっと前向きで建設的な偉業だぜ?」
二度あることは三度あるというし、これから先、転移事故がなければ良いのにと願いつつも、別大陸(異世界)人が放り出される確率はゼロではないと思っていた。だからこそ、正体を晒す危険を冒したのだ。
「頑張りが無駄にならなくて済んで安心したぜ」
「次がないほうが良いに決まっているが、確実にあるのなら苦労が報われるだろう?」
ずっと以前にシュウが望んでいた、ほんの少しの助力は実現したのだ。そう指摘されて、じわりと満足感と達成感が染みこんでくる。
「そっか……そーだよな」
冷気でパリパリだった肌が湯気であたためられ、シュウの口元がゆるりと崩れた。
15章 おわり
◆ あとがき
これにて15章「魔木レリベレンと狂魔術師たち」は完結です。
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
愉快な魔木討伐はいかがでしたでしょうか。
誰と誰が狂魔術師か……全員がオカシイ魔術師だったかなぁ。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
作中のエレ姉とマー坊のあたりの関わる閑話を、Xにずいぶん前にUPしていたのでご案内。
https://x.com/HAL45703694/status/1829877033343860769
寄り道してたら多分こうなっていました。
サイモンさん、ローレンさん、そしてマイルズさんはこの章にて退場となります。
次章は約10年後が舞台ですので……。
16章の連載には少しお時間を頂けたらと思います。
詳細が決まりましたらSNSや活動報告にてお知らせしますので、よろしくお願いします。
【宣伝】
4/25にkindleにて「隻眼とエルフ、あとケモ耳。」シリーズの1巻「ウォルクの禍根」が発売になります。Kindle Unlimited対応です。
1章を大幅改稿、書き下ろし閑話もありますし、表紙イラストは最高ですよ!!
16章の連載まではこちらを楽しんでいただけると嬉しいです。
ご長寿の前作「無特典で異世界転移させられた彼らの物語」は各電子書籍配信サイトにて発売中です。
全編大改稿+書きおろしアリ。
こちらもよろしくお願いします。