14 専属炭焼き契約、締結
風呂上がりに髪をまとめていたアキラは、鳥のさえずりを聞いたような気がして振り返った。
窓の外は深暗い。
夜に鳴く鳥の声にしては、どこか甘さを感じる心地良いさえずりは、消え入りそうなほどかすかだ。もっとよく聞こうと耳を澄ませたが、そうと意識した途端に聞こえなくなった。
「空耳だったか」
アキラは風魔術で髪を乾かし、急いで食堂にはいった。
食卓に並ぶのは、岩鳥の香草焼きとボウネのポタージュスープ、そろそろシーズンの終わるハルパをたっぷり使った野菜サラダに、丸芋とゆで卵のチーズ焼きだ。これを目の前にお預け状態では、シュウもさぞかし辛かっただろう。リンウッドとマイルズもアキラを見てやっと食事ができると嬉しそうだ。
「「「「「いただきます」」」」」
シュウは肉から、リンウッドはチーズ焼き、マイルズとアキラはサラダから手を付ける。コウメイはスープを味わってから、香草焼きに箸をのばす。夕食をとりながら軽く明日の打ち合わせでも、と口を開いた。
「明日はエリンの収穫がある。手の空いてる奴は手伝ってくれ」
「カカシはどーした」
「アイツと軍馬はハギ畑だ」
たっぷりの水をたくわえた甘いエリンは、そのまま瑞々しさを味わうのが一番美味しい。
「今年は実のつきがいいから、ジャムとコンポートもたっぷり作らなきゃな」
「またリアグレンに売りに行くのかね?」
「俺たちだけじゃ食べきれねぇからな」
豊作の年は、ハリハルタやサガストの知り合いにお裾分けしてもまだ余ってしまう。何年か前にリアグレンの市場で売ったところ好評で、毎年市場でジャムの店を出すようになった。
「瓶は足りるのか?」
「あ、青チェルとチェゴで使い切ってるかも。このあとレギルも控えてるし、刺の実のシロップ漬けもある、早めに注文しとくか」
「銀のは、瓶も作れんのか?」
「……は?」
抑揚のない低い声に割り込まれ、弾けるように顔をあげた。
濃い藍色の髪を肩の辺りで一つにまとめたエルフが立っていた。不機嫌を全身から発しており、ピリピリと肌が痛い。
「な……なんで、ここに」
「アレックスが下手うったせいで、魔木炭が手に入らへんかったんや」
彼は食卓の料理を一瞥した後、恨めしげに愚痴をこぼした。あいかわらずエルフ族には話が通じない。アキラの眉間に深い縦皺が寄った。
不機嫌なレオナードの放った魔力を間近で浴びて、病み上がりのマイルズは全身を強張らせ、リンウッドの手からはフォークが落ちた。敵意や戦意はなかったため、シュウは尻尾を毛羽立たせるくらいですんだが、コウメイは無言で席を立ちエルフの正面に回り込んでいる。
細目の失態の後始末をこちらに持ち込まれても迷惑だ。アキラはコウメイの肩越しにレオナードを見据えた。
「エルフ族の家屋にも扉が存在していたように記憶しているのですが、私の記憶違いでしょうか?」
他家を訪問するときは玄関から、もちろん勝手に踏み込むのではなく許可を得てからにしろ、と笑顔で嫌みを込めるアキラに、レオナードは心外だと柳眉をピクリとさせた。
「なに言うてんのや、ちゃんと魔鈴鳴らしたがな。居るくせに返事あれへんから入ってきたんやで」
「……魔鈴? そんなものありませんが」
「この家、鉱族が建てたんやろ。連中がエルフの住む家に魔鈴つけへんわけないがな」
アレックスだって使っているだろう、と言われアキラの頬が引きつる。おそらくエルフだけが使用する呼び鈴のようなものだと思われるが、細目がそれを鳴らしたのを聞いた覚えはない。
「アレックスはつかっていませんよ。それに何も聞こえませんでしたが」
「銀のが慣れてへんからやろ。間近で鳴らしたらいっぺんで覚えるがな」
レオナードは親指と人差し指で爪を弾いた。
途端、アキラの頭の奥で鳥のさえずりが大音響で響いた。
「いっ……」
痛みを伴うほどの音量に、思わず耳を手で塞いでいた。だが魔鈴の音は、耳ではなく脳に直接届く。
「と、止めてください」
かわいらしく甘い鳥のさえずりも、頭痛を感じるほどの大音量で聞かされてはただの音の暴力でしかない。
シュウやマイルズだけでなく、魔力を持つコウメイやリンウッドにも魔鈴は聞こえないらしい。痛みを耐え歯を食いしばるアキラを前に、シュウはオロオロとし、コウメイは諸悪を確信して睨みつける。
「ほんまに聞き覚えないんか?」
「いいから止めろつってんだよ!」
コウメイがレオナードの指を叩いて爪弾きを止めると、魔鈴の音も消えた。
大きく息をついたアキラは、この音かと苦々しさを呑み込んだ。風呂を出たときに遠くで聞こえた鳥のさえずりだ。もしコウメイやシュウに聞こえていたとしても、アレが訪問の合図だとは気づきもしないだろう。
「……もう少しわかりやすい音にしてくださいよ」
「耳障りな雑音なんざ聞きたないやろ。銀もこれで覚えたやろし、次からは居留守使わんとちゃんと返事するんやで」
これからも頻繁に訪問するともとれる言葉に、コウメイとシュウの気配が険しく尖る。
「……それで、何をしにいらっしたんですか」
「せやからアレックスが下手こいたんやて」
やっぱり意味がわからない。
アキラは消えない鈍痛を散らすように、眉間をゆっくりと押さえた。
+++
岩顔と老冒険者の二人が、濃紺エルフを立たせたまま食事を続ける度胸はないと強く主張したため、急遽席を追加した。シュウのお代わり用に残してあった料理を提供したことで、レオナードの機嫌は少しばかり回復したようだ。シュウは拗ねていたが。
「繰り返しになりますが、アレックスがなにを失敗したのかは知りませんが、私は無関係ですよ」
「鉱族との交渉で失敗したんや」
何故エルフ族は、だれが、いつ、どこで、なにを、どのようにした、と説明できないのだろうか。
「……なにを交渉したのですか?」
「魔木炭や。ジブンが鉱族と交渉せぇ言うたんやろ」
増築代金として魔木炭を譲渡したので、所有権は鉱族にある。欲しければオッサムに頼めと突き放したのは覚えている。そしてアレックスは交渉に失敗した。それでどうしてレオナードがここに押しかけるのか。
「交渉失敗に対する苦情は直接本人にお願いします」
「そっちは長老が締め上げとる。銀には仕事頼みたい思うてな」
「エルフの依頼かよ」
「なんか裏ありそー」
「裏なんかあれへんわ」
返した声は軽いが、コウメイもシュウも、眼光は鋭く一欠片も油断してはいなかった。
レオナードは香草焼きの最後の一切れを名残惜しそうに食べ終えてから、シュウに目をやる。
「狼がレリベレン魔木を討伐したて聞いとる」
「俺一人じゃねーけどな」
「鉱族が焼却炉を作ったんも知っとる」
「炭焼き窯か」
「魔木炭が魔力を溜めやすい素材なんは知っとるやろ」
「オッサムさんから簡単な説明は受けています」
建造物に魔術を施す、それも転移魔術陣や防護壁といった、高度で繊細な魔術を埋め込む工事に求められる素材だとか。レオナードはそれを必要としているらしい。
「エルフの領域で、魔木炭を使って何か作るのですか?」
「修繕せなならん家が山ほどあるんや」
神々が人族を作ったとき、大地を彼らに合わせて作り直すために、レリベレン魔木を使ったとエルフ族に伝わっている。大地が人族に適した環境に変えられた後、切り倒された魔木は鉱族やエルフ族に素材として与えられた。エルフ族は魔素をたっぷりと吸った建築素材で家を建てたが、人族と決別した際にもそれらを丸ごと領域に移設している。
「あちこちがガタのきとる家を修繕して住んどんのやけど、そろそろ誤魔化しきかんようになってきとるんや」
「魔木炭で、家を建てるのですか?」
家の修復に炭をつかうと聞いてもぴんとこないアキラの様子に、レオナードはイラっとしたようだ。
「そないなモンで家建てるわけあるかいな。魔木炭を混ぜた土で壁を塗って、新しい魔術陣を上書きするんや」
建物自体には何の問題もない。修繕が必要なのは、建物に施された魔術のほうだった。さまざまな素材を駆使して手入れを繰り返してきたが、常に魔力が満ちた状態は消耗が激しく、劣化も早い。家屋の基礎となる魔木と相性が良く最も耐久力を望めるのが、魔木素材なのだという。
「だからアレックスは魔木炭を欲しがっていたのか」
「アイツ島に住んでるじゃねーか。切羽詰まってるよーに思えねーんだけど」
「そりゃ古巣の同胞に、高く売りつけてやろうとか謀んだんじゃねぇのか?」
なるほど。欲をかき交渉で値切り倒したせいで鉱族との取り引き交渉は決裂したのか。
シュウとコウメイの言葉を苦々しげに聞いているレオナードは、否定しなかった。細目に優位な取引を妥協する程度には切羽詰まっているようだが、それも魔木炭が存在すればこそだ。高値どころか、入手できなかったのだからさぞかし長老らも怒っているだろう。
ザマーミロ、とシュウがこぼした。
「事情はわかりましたが、私たちの手元に残してあるのは、数本ですよ」
「銀から奪い取るほど落ちぶれてへんわ」
あいかわらずカチンとくるエルフだ。レオナードは再びシュウを振り返った。
「ホウレンソウにはエルフ族が必要なときに魔木炭を作ってもらうわ」
「……また話が飛んだ」
「繋がってるようで繋がってねぇし」
「俺は魔術師じゃねーんだぞ、何もねーところから魔木炭なんか作れねーよ」
「材料は刈ればええ」
どこに、と問い返そうとして思い出した。
「え、もしかして、ナナクシャール島の大樹?」
「うー、あれ討伐すんの?」
「討伐されたら困るわ。アレはアレで必要があって残してあるんやで。狼はアレを剪定して、銀と虹目が炭にするんや。それをエルフ族らが買い取るんや」
エルフ族と大樹の相性が最悪なのは衆知だ。これまでは人族の冒険者が気まぐれに切り落したり、栗鼠が囓り落とした、あるいは烏が折り落とした枝を拾って素材として使っていた。
「これまではそんくらいでも何とかなっとったが、そろそろ本格的な大修繕が必要になっとるんや。そこにアレックスが大量の魔木炭が手に入るて話もってきたもんやから、長老どもが張り切ってもうたんや」
領域内の全ての家屋の魔術陣を新品にするぞと息巻いているらしい。
「資材調達前に宣言してしまったのですか」
「なのにアレックスが交渉に失敗して、計画が頓挫しかかっている、と」
資材値用達に失敗したのだから、一度話を白紙に戻せないのかと問うと、レオナードは苦々しげに吐き捨てた。
「……長老が先走って、一部の魔術陣を消してしもうとるんや」
魔木炭の調達前に工事がはじまっており、今さら中断はできない。
「迷惑なじーさんだよなー」
「計画性がなさ過ぎます」
「あんた次期長老? 族長候補なんだろ? さっさとその座を奪っちまえよ」
聞く耳を持たない長老よりは、高慢で頑固で恩着せがましいが、慎重で交渉の余地がわずかにでもあるレオナードが、厄介な一族を牛耳ってくれたほうがまだマシだ。
「簒奪をすすめるとは、虹目は恐ろしい野心を持っとるんやな」
「そんなものねぇよ」
二人のやりとりを聞きながら、アキラはレオナードの申し出は悪い取引ではないと考えていた。エルフ族に対して恩を売れるのなら売っておきたい。
「ナナクシャール島の魔木を剪定し、それを炭にしてエルフ族に渡す、それが仕事ですね?」
「せや」
「仕事というからには、対価を用意いただけるのですよね?」
アキラの嫌みに、レオナードはむっとして返した。
「当たり前やがな。エルフ族が強請り集りするわけあれへんやろ。金でもええし、欲しい素材と交換でもええで」
よほど困っているのだろう。レオナードが口にした対価は、予想していた以上にアキラに都合が良い内容だ。少し考えて、アキラは居住まいを正す。
「それでは、情報で払っていただけますか?」
アキラはエルフ族からしか聞けそうにない情報を対価として求めると決めた。コウメイは少し警戒するように、シュウはもっとふんだくれというように、二人のやりとりを見守っている。
「どないな情報がほしいんや?」
「そうですね……この世界の神々についてですとか、それぞれの領域の成り立ちや魔力震について、でしょうか」
アキラが求めたのは、レオナードが予想していなかった種類の情報だった。銀色やその仲間の一族に対する警戒の高さから、エルフ族の弱みを聞き出そうとすると予想していたのだ。例の異世界産のエルフだからなのか、それともアレックスの弟子だからだろうか。レオナードの目が興味深げに見開かれる。
「……ワシが話せる内容に限られるで? 情報料はこっちの裁量に任せてもらう、それでええな?」
「結構です」
主導権が己にあるならば問題ないだろうと、レオナードは頷いた。
「対価は引き渡しのときや」
「わかりました。必要な魔木炭の数量と、納品の期日は」
あっさりと契約が成立し、淡々と打ち合わせをはじめる二人を、コウメイとシュウは呆れ顔で、リンウッドとマイルズは畏れまじりの目で見ていた。
エルフ二人の会話だけが賑やかな夕食が終わった。
食事を堪能し、交渉を成立させたレオナードは上機嫌だ。あまりの機嫌の良さに、このまま居座られるのではと心配したコウメイだが、レオナードは別件もあって夜の奥森に行かねばならないそうだ。
玄関からエルフを見送るのははじめてである。
「虹目、エリンのジャムはないんか?」
「まだ作ってねぇよ」
「ほな他のジャムでもええわ」
やはりエルフだ、渋るコウメイから青チェルとキルシエの砂糖漬けの瓶をしっかりとせしめた。
「連絡用の、何枚か寄こしとくんや」
アキラは魔紙を数枚奪い取られ、レオナードから奪われたのと同じ枚数の魔紙を押しつけられた。これを使い切ってしまうまでは無視できないのだ、嬉しくはない。
藍色のエルフが森闇に消えるのを見届けてようやく、彼らの体から警戒と緊張が抜けた。
居間に戻ったリンウッドとマイルズは、疲労困憊でテーブルに体を預けている。レオナードの相手をする三人を、息を殺し身じろぎもせずに見守っていたのだ。さぞかし疲れただろう。
「……お前たちに付き合うのは疲れる」
「退屈しねぇだろ?」
「それはそうだが、命がけというのもな。しかし、いいのかね?」
アキラたちがエルフ族を避けているのを知っているマイルズは、アレックス以外のエルフと一度取引をしてしまえば、これ限りではすまなくなると心配そうだ。
顔を見合わせた三人は、小さく笑みをかわして頷いた。
「魔力震の騒動のときに、完全に避けられないのなら、こちらでコントロールできる程度の付き合いは許容すべきだと話し合ったんです」
「あっちにとって利のある取引相手でいる間は、平穏に暮らせそうだしな」
「逃げる相手は追っかけたくなるから、逃げねーでほどほどに相手するほうが安全だってコトだ」
人族にもエルフや獣人族にも属さないで生きると決めた彼らの選択だった。
+++
レオナードが必要だと言う魔木炭は、最低で五十カレだという。
「生木が炭になると重量は四分の一くらいになる計算だから、魔木は二百キロくらい必要だぜ」
「そんなに伐って大丈夫なのか?」
「島の大樹って、ラ〇ュタみてーにでっかかったし、問題ねーだろ」
シュウが単身で島に渡り、魔木を剪定して転移魔術陣で深魔の家の地下に送る。それをコウメイが炭焼きするのだ。島との連絡はミシェルを経由する。アレックスにしなかったのは、エルフの時間感覚で言伝を送らせたり、忘れたりする恐れがあるからだ。
「エルフ時間って、アレックスがサボるための言い訳みてぇな気がしてきたぜ」
「そういえばレオナードは、時間も数量も細かく決めてきたな」
アキラとの打ち合わせでも曖昧な言葉ではなく、数と単位でしっかりと打ち合わせた。エルフ独特の高慢さとは相容れないが、彼の細かさには好感が持てる。
「行ってくるぜー」
剪定計画書を持たされたシュウは、大斧をかつぎ、ネイトの様子も見てくると張り切って出かけた。
最初に剪定した魔木が転送されてきたのは、シュウが出発してから三週間後だ。大樹に登り、手頃な大枝をバッサリと切り落したのだろう。剪定したそのままが転移されてきた。
「これ、どうやって運び出すんだよ」
「しまったな。もう少し細かく指示をしておくんだった」
地下転移室は広々としているが、地上への階段は狭いし、食料保存庫につながる扉も小さなものだ。仕方なくその場で薪割りしたのだが、これがミシェルの怒りを買った。
「わたくしの絨毯を台無しにしたわね!」
転移室の一角は、ミシェルがくつろぐために高級調度で整えられている。そこに雨土の汚れや虫が隠れたままの魔木が放り出され、しかも薪割りを任せたカカシタロウが、甲冑でミシェルお気に入りの絨毯を踏み荒らしたのだ。飼い主の責任だとして絨毯の弁償を命じられたアキラは、リアグレンで最高級の絨毯の値段を聞き頭を抱えた。
そのシュウもずいぶん叱られたらしく、二回目からは枝葉を取り除き、しっかりと薪割りされた状態で送られてくるようになった。剪定時に出た紫葉は、絨毯の弁済としてミシェルに納めたそうだ。
コウメイは地下と炭焼き窯の間を何度も往復し、魔木炭を作った。
「三箱目、いっぱいになったぞ」
「ちょうど十七カレだ。やっと五十カレが用意できたぞ」
炭焼きが終わり、レオナードへ引き渡せたのは二月に入ってすぐのころだった。