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やたら長い人生のすごし方~隻眼、エルフ、あとケモ耳~  作者: HAL
魔木レリベレンと狂魔術師たち
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10 別れ



 移植も終わり、エイドリアンの追い返しに成功した翌日のローレン邸には、穏やかな空気が流れていた。ゆったりと朝食をとり、窓から遠くに見えるレリベレンの揺らぎを楽しむ余裕がある。


「では納品に行ってくる」

「買い出し忘れねぇでくれよ」

「わかっておる」

「二人とも人使い荒れーって」


 冒険者ギルドから注文を受けた錬金薬と、修理を頼まれていた魔道具をシュウに持たせたローレンは、食後の茶を楽しんでから町に出かけていった。


「サイモンさん、乾すのは中庭でいいですか?」


 五人分のシーツや着替えを抱えたアキラが洗い場に向かった。二階の掃除を終えたコウメイが、物干し用のロープを中庭に張る。アキラが洗い場から出てくると、窓から見える景色が変わった。風にはためくシーツと洗濯物が、遠くに見えるレリベレン魔木を隠す。


「昼飯は何が食いてぇ?」

「なんでもいい、という返事は良くないのだったな」


 サイモンは困り顔だ。コウメイの料理は何でも美味しいから、注文を付けにくい。


「食べたい素材だけでも答えたほうが親切だぜ」

「そうだな、では卵料理を」

「硬いのと柔らかいのとどっちがいい?」

「やわらかいほうだろうか。量は少なめだと助かる」

「わかった、楽しみにしてろよ」


 台所へと去るコウメイと入れ替わりに、洗濯物を干し終わったアキラが居間に戻ってきた。壁際の棚にまとめてあった紙の束と筆記用具を持ってサイモンの向かいに座る。

 アキラが訪ねてきてからまだ五日も経っていないというのに、行き詰まり、放棄を考えていたサクリエ草の研究が、数ヶ月分も一気に進展したのだ。サイモンは自分の研究ばかりでは申し訳ないと、アキラ側の進捗をたずねた。


「こちらは一段落ついたが、アキラの管理するサクリエ草については、まだ何も判明しておらんのではなかったか?」

「あ、そういえば」


 レリベレン魔木とエイドリアンに振り回され、すっかり忘れていたらしい。アキラは積み重ねられた資料から、持参した記録帳を引っ張り出した。


「サクリエ草……レリベレン魔木と呼んだほうが良いのでしょうか?」


 紛らわしいなと目を細めるアキラに、サイモンは成木ではないのならサクリエ草で良いのではと返した。


「魔力震で変化が現れたのは同じだが、成長の方向が違うのだったね?」

「ええ、私のほうは変化前の形状のまま大きくなっています」


 リンウッドのスケッチを見た老魔術師は、側に書き込まれている数値を読んで苦笑いをもらす。


「このサイズは(ここ)の魔木よりも大きいぞ。木ではなく草の状態でここまで成長するのは面白いが」

「巨大化のきっかけは同じでも、過程の違いがこの結果なのですよね」


 サイモンのサクリエ草と違い、アキラのほうは陽の光の入らない環境で管理されてきた。巨大化した今も、リンウッドの小屋に封じ込め、外気や光を完全に診断している。


「サイモンさんのほうは、一度日に当たって枯れたのでしたっけ?」

「今になって思えば、あれは枯れたように見えただけで、草から木へ変化していたのではないだろうか」

「なるほど、サクリエ草が魔木に成長するためには、太陽の光と魔力震が必要、と」

「決定ではないぞ。魔力震ではなく、一定量の魔力が必要なのかもしれんし」


 金髪エルフの話によれば、エルフの領域で発芽したレリベレンの幼木は、魔力を得てあっという間に成木に変わったと言っていた。


「アキラのサクリエ草も、今からでも日を浴びさせ、魔力震と同等の魔力を与えれば魔木に変わるのではないかね?」


 アキラは兄弟子と師匠の記録を読み比べて考えこんだ。標本が二つしか存在せず、しかも両方とも異なる成長をしたことから、正しい扱いは未だわからないままだ。だがサイモンの意見に筋は通っているし、アキラの推測も同じ結論だった。


「問題は、アレを魔木に成長させていいかどうかですが」


 魔素や魔力を糧に際限なく成長し、魔素を求めて歩くレリベレンにとって、深魔の森は最高の環境だ。ナナクシャール島ほど大きくはならないだろうが、立派な魔木に成長するだろう。

 どう思う? とコウメイに視線を向けると、彼は気がすすまないというように眉をひそめた。


「俺は反対だ。あいつが深魔の森をうろついてみろよ、ハリハルタが大騒ぎになる」


 森の家にはただでさえ厄介な軍馬と甲冑を隠しているのに、そこに歩く大樹なんてのが加わったら始末に負えないではないか。


「シュウの意見も聞くべきかな?」

「あいつは『おもしれー』つってノリノリで成長させたがるに決まってる」


 ぷっ、とサイモンが小さく吹き出した。


「無関係な立場なら面白がれるけどな、あの森に住んでるのは俺たちだけなんだぞ、何かあって責任追及されたらどうするんだ」


 軍馬と甲冑はアキラが命令すれば制御できるが、魔木はさすがに無理だろう。気ままに森を彷徨う魔木がハリハルタまで移動し、町に損害を与えたらどうなるか。


「冒険者ギルドが討伐隊を編成するだろ? シュウは率先して参加するだろうぜ」

「想像できるよ。そこで失言を繰り返して、アキラやコウメイを窮地に立たせそうだ」

「報告が貴族にあがって、絶対に面倒になるに決まってる。あと魔法使いギルドもだ」

「……好奇心旺盛な魔術師が駆けつけてくるだろうな」


 ましてや紫葉の素材としての価値を知れば、先を争って魔木を追いかけるのは確実だ。


「レリベレン魔木を追って、今まで侵入してなかった森の奥まで踏み込んでくるのは間違いないだろう」

「俺たちの隠れ家が隠れ家じゃなくなるじゃないか」


 魔術師の特性を熟知しているサイモンは、コウメイとアキラの懸念を否定できなかった。


「一応、敷地には結界があるけれど、あれもたぶん魔木には効果ないのだろうな」


 まだ研究し尽くしたわけではないので明言はできないが、地中だけでなく空気中の魔素も吸収するとしたら、森の結界も全て食われてしまうだろう。


「秘密基地が暴露されるかもしれねぇって脅せば、サクリエ草の廃棄に反対はしないだろうな」

「仕方がないとはいえ、もったいない気がするが」

「必要でしたら、こちらに移植しましょうか?」


 サイモンのため息のような呟きを聞いて、アキラはそれも名案だと顔を輝かせた。二つの苗木とその異なる変化を並べて比較できるのだ、深魔の森で処分するよりも、ローレンの広大な庭で管理してもらったほうが研究のためには丁度いいのは確かだ。


「いや、やめておくよ。私たちでは手に負えんだろう」

「ローレンさんに確認しなくてもいいのですか?」

「もう二十年若ければ、私も反対はせんがな」


 いつ歩き出すかもわからない魔木を、いざとなれば追いかけねばならないのだ。老いた体で二株も管理するのは難しい。


「移植は結構だがね、処分する前に葉と茎の標本を少し送ってくれんか? これからレリベレン魔木の分析をするが、その比較標本として保管しておきたい」

「いいですよ。師匠に頼んでおきます……サイモンさんから直接依頼してもらえますか?」


 ふと思いついたアキラは、サイモンにリンウッド宛ての魔紙を渡した。標本譲渡依頼書にアキラが一言を添える。魔紙に魔力を注いだのはサイモンだ。ふわりと浮き上がってすぐに消えた。


「どうした、難しい顔をしているぞ?」

「どうしてサイモンさんに魔紙が届かなかったのかを考えていました」


 魔紙を送り出せる魔力があるのなら、リンウッドが送った魔紙が届かないのはおかしいのだ。原因を探るよい機会だと思い、アキラは先ほどの魔紙にすぐに返事を書くようにと追記しておいた。サイモン宛と、コウメイ宛て、そして自分にだ。


「お、来たぞ」


 三人の目の前に同時に魔力のきらめきがあらわれた。ひらりと紙のかたちを取り戻したそれは、それぞれの手に舞い落ちる。コウメイとアキラには「マイルズは元気だ。飯が不味い」と、サイモンには「アキラが戻り検証が済み次第手配する」とあった。


「届きましたね」

「確か魔紙が届かなかったとか言ってなかったかね?」

「……もう少し検証に付き合ってもらえますか?」


 アキラはもう一度リンウッドに魔紙を送り、サイモンを促して庭に出た。建物からずいぶん離れてしまったレリベレン魔木の、紫葉の振り撒く魔力の届く位置で足を止める。


「コウメイはもう少し建物寄りに待機してくれ」


 アキラとサイモンから五歩ほど離れたコウメイが、ふと宙を見あげた。くるりと舞う魔紙が風に飛ばされそうになったのを捕まえる。


「同時に飛ばす、と書いてあるぜ」


 だがアキラとサイモンの前には魔紙は現れない。


「やっぱり、魔木が原因だったようですね」

「邪魔をしておったのか」


 二人は立派に成長したレリベレン魔木を見あげた。陽の光に負けじと、紫葉の魔力が輝きを放っている。中庭を中心に建物をすっぽりと囲む範囲が、魔木の支配下であったらしい。


「これも記録しておかねばならんな。魔紙が届かんということは、攻撃魔術も無効になるのだろうか?」

「試してみますか?」

「うむ、ローレンと相談してみよう」


 魔紙検証を終えて居間に戻った二人は、頭を突き合わせてどんな実験をするかと楽しげに打ち合わせる。

 時間がたつのはあっという間だ。


「昼飯だぞ、テーブル片付けてくれ」


 板紙や記録簿に参考書籍、サイモンが集めた標本などで一杯だったテーブルを慌てて片付けた。


「サイモンさんのリクエストだ、花房草と豆のふわふわオムレツに、根菜と丸芋のポタージュスープ。パンはお代わりが必要なら言ってくれ」

「これだけで十分だ、お代わりはいらんぞ」

「デザート入らねぇ?」


 差し出された小さな容器は、まろやかな黄色の物が入っていた。


「卵の菓子、プリンだ。それくらいなら食えるだろ?」

「コウメイの料理に慣れた後が辛いな」


 切なげに呟かれ、コウメイは嬉しそうに笑った。


   +++


 日が落ちる前に乾いた洗濯物を取り込み、それぞれの寝室を整えていると、八の鐘が聞こえた。森の一軒家のような錯覚に陥るローレン邸だが、町中にあるだけあって時の鐘ははっきりと聞こえる。

 時の鐘を追いかけるようにして門が開いた。窓からのぞくと大荷物を背負ったシュウと、重い足を引きずるようにして歩くローレンの姿が見える。どうやらシュウに振り回され疲労困憊のようだ。


「おかえり。すぐ飯になるが、ちょっと休めよ。すげぇ疲れてんな」


 コウメイがハギ茶と小さなべっこう飴を差し出すと、ローレンは深々と息を吐いた。


「筋肉バカはこっちの年齢と体力に配慮も勘定もできんのか。手に負えんな」

「シュウは何やったんだ?」

「冒険者ギルドの受付を食事に誘って夫にケンカを売られ、市場の全ての屋台で買い食いしようとして金が足らずたかられた。コウメイ、ヤツに財布くらい持たせておけ」


 ずいぶんと振り回されたようである。コウメイは昨日シュウから巻き上げた賭け金から、ローレンが立て替えた額を支払った。

 べっこう飴でイライラと疲労が慰められたローレンは、サイモンとアキラの話し合いに加わり、すぐに夢中になった。


「おい、すぐに飯だからテーブル片付けとけよ」


 三人にはコウメイの言葉など聞こえていない。料理を運んで強引にテーブルの陣地を奪うしかなさそうだ。台所に戻ると、調達してきた食材の荷を降ろすシュウが鍋をのぞき込んでいた。


「これ夕飯? もっとガッツリしたのが食いてーんだけど」

「おまえ市場でさんざん食い歩きしたんだろうが」

「つまみ食いじゃ腹はふくれねーよ」


 シーシックの町は交易都市でもないし、珍しい食材のある町でもない。田舎の素朴な味付けの屋台飯は、どれも似たり寄ったりで満足できなかったらしい。


「ああ、シュウが借りてた買い食い代金、ローレンさんに立て替えて返しといたから、後で払えよ」


 メニューへの文句を封じられたシュウは、無言でコウメイを手伝い、検証実験計画に熱中する三人の尻を叩いてテーブルを片付けさせ、カトラリーを並べ、料理の皿を配った。


「「「いただきます」」」

「イタダキ、マス?」

「……うむ」


 白芋と赤芋はほろほろと崩れる寸前まで煮込まれていた。蒸してほぐした角ウサギ肉はシャキシャキとした千切りの緑瓜とあわせてある。木の実をすり潰したとろみのあるタレがよく合っていた。琥珀色のスープには紫ギネと溶き卵が揺れている。


「コウメイの料理は美味いな」

「まったくだ。いつもの食事は冷たくて、あまり食べたいと思わんのだよ」


 生活能力に欠ける老人二人は、家政婦の作り置き料理を温めることなくそのまま食べていたらしい。


「そりゃ家政婦さんに悪いだろ。そんなに手間かからねぇんだから、料理ぐらい温めて食えよ」

「レンチンくらい俺だってできるんだぜー」

「まて、そういえば温め箱(電子レンジ)はウチで作った魔道具だ」


 コウメイが不在の間の食生活改善策としてアキラが作った、温め機能に特化した電子レンジ的な魔道具は、魔法使いギルドにも商業ギルドや職人ギルドにも届けていない。後で設計図をローレンに渡しておこう。魔武具師の彼ならば簡単に作ってしまうだろう。


「そうそう、エレーナくんと連絡がついてね」


 最後にスープを飲み干して食事を終えたローレンは、昼間冒険者ギルトを通じて連絡を取り合った内容を説明した。


「魔素吸引の魔道具の手配ができたらしい。十日後にシーシックに着くそうだ」

「三ヶ月後じゃなかったのですか?」

「急がんでもいいと伝えてあったのだがね、思うところがあって、他所に回す予定の予備在庫を、こちらに回してくれるらしいぞ」

「それ、大丈夫なんですか?」

「エレーナくんはやり手だ、抜かりはないよ」


 彼女は錬金魔術師だ、魔道具や魔武具の扱いにも長けている。


「けれどあの装置は結構な大きさですし、それを複数となると工事は大変では?」

「心配は不要だ。冒険者ギルドで人を手配した。それに製作責任者も調整のためにくるそうだ」


 設計図を完成させたのはローレンだが、実際に魔道具を製作しているのは弟子の魔道具師だ。その魔術師も来るのだから問題はないというローレンの言葉を聞いて、コウメイが顔を引きつらせた。


「ローレンさん、派遣されてくるのは誰だ?」

「マージェンという黄級の魔道具師だ。副ギルド長も努めておるよ」

「エレーナさんの従姉弟のか?」

「ああ、そうだ。よく知っているな」

「マー坊じゃん!」


 どこかで聞いた覚えが、と首を捻っていたシュウが声をあげた。直後にコウメイが殺気をにじませ、数日前の会話を思い出したアキラも苦々しげに顔を歪ませている。

 不穏な気配の理由を察したローレンは苦笑いだが、何も知らないサイモンは戸惑いの視線を後輩魔術師とシュウに向ける。


「おい、空気が刺々しいが、何かあるのかね?」

「んー、アキラの姿絵を勝手に作って売りさばいてる元締めと、集めた姿絵向けて鼻息荒くしてる変態がそろってここにくるって聞いて、コウメイが警戒して、アキラがうんざりしてるだけだぜ」

「変態? ……ローレン、お前の弟子だよな?」


 シュウのあまりの言いように、真偽を確かめようと後輩魔術師を振り返ったサイモンは、なんとも苦しそうに目を伏せる後輩を見て、不安がよぎった。


「魔法使いギルドは、大丈夫なのか?」

「……能力的には、まったく問題はないのだが」


 苦々しいその声色は、それ以外は問題ありだと断言したようなものであった。


「変態姉弟がここに着くのは十日後だったな?」

「ギルド長と副ギルド長だ。それと姉弟ではなくて従姉弟だ」


 細かいことはどうでもいいとばかりに無視して、コウメイはアキラを振り返る。


「アキ、早めに着く可能性も考慮して、出発は八日後でいいか?」

「念のため五日後にしよう」

「いいのか?」


 打ち合わせていた検証実験や、今後の連絡方法など、サイモンとはいくつも取り決めなければならないことがあったはずだ。それを全部終わらせるには八日でもギリギリだとコウメイは計算していたし、何より老いたサイモンと、少しでも長く一緒の時間を過ごしたいのではないかと思ったのだ。だがアキラは五日以内に終わらせると断言した。


「ズルズル残っていても踏ん切りがつかなくなるだけだから」


 コウメイにだけ聞こえるように囁いたアキラは、寂しそうにほほ笑んだ。


   +


 翌朝から、三人は後顧の憂いを断ち切るため、入念な準備に忙しく働いた。

 シュウはアキラの指定する魔物素材と魔石を集めに出かけ、コウメイは老人らが少しでも安全に暮らせるよう、家の手入れに励んだ。アキラはサイモンとレリベレン魔木の検証を進めつつ、温め箱(電子レンジ)や魔紙を作った。

 出発の前夜、アキラが魔紙の束をローレンとサイモンに渡すと、苦笑とともに二人からも魔紙を渡された。


「これだけあれば私の寿命が尽きるまでは足るだろう」

「サイモンさん……」

「ここの魔木の心配は不要だぞ。所有と管理の責任は私にある、何が起きてもアキラが気に病む必要はない」


 不安げなアキラに老魔術師二人は、レリベレン魔木の研究結果を悪いようにはしないと約束した。その点に関して、アキラはローレンもサイモンも信頼しており、何の不安も感じていない。案じているのは別のことだ。


「サイモンさん、これを受け取ってください」

「薬の処方かね……?」

「師匠の許可を得ました。少しでも充実した一日をおくれるよう、役立ててください」


 ダッタザートでもリリーに渡した処方だ。少しでも長く生きて研究を楽しんでほしい。


「……これは」


 魔紙に書かれた処方を理解してサイモンが目を丸くした。治療魔術師であり薬魔術師でもある彼は、この錬金薬が己の体にどんな変化をもたらすのか、すぐに気づいたのだ。だがそれよりも彼が驚いたのは、その筆跡だ。

 遠き幼いころ、わずかな間だけ学んだ師匠の残した書き付けは、今も手元にある。顔は(おぼろ)になってしまったが、師匠の残した指導書は今も彼の支えだ。今さらだが、アキラが持参した記録簿の文字も……。


「アキラ……わ、我らの師は、まだ……いや、私は知らぬほうが良いのだな」


 切なそうにほほ笑むアキラから受け取った魔紙を、サイモンは大切そうに懐にしまった。


   +


「じゃーな、爺ーさんども、あんま無茶すんなよ!」


 やってきたときと同じ軽装で、シュウが玄関を出る。


「料理はちゃんとレンチンして食え、いいな?」


 前日に完成したばかりの温め箱(電子レンジ)の使い方をギリギリまで教え込んでいたコウメイは、べっこう飴の瓶をローレンに渡した。


「これ気に入ってたようだから」

「おお、ありがたい。ならば私からはこれをやろう」


 防水のスライム布で包まれた薄い木箱を渡されて首を傾げたコウメイは、ローレンに小声で囁かれてニヤリと笑い、そそくさと荷袋にしまい込んだ。


「ありがたく受け取っておくぜ」


 その横ではアキラがサイモンと別れをかわしていた。


「追加の研究記録(レポート)を楽しみにしていますね」

「わかっている。アキラもサクリエ草の詳細を送ってくれるね?」

「もちろんです」


 ウナ・パレムでサクリエ草を入手した時点から、数日前までのレリベレン魔木の研究のまとめを受け取ったアキラは、自分も標本も合わせて大至急送り届けると約束する。


「それでは」

「ああ、元気で」


 これが最後になると覚悟しているはずの二人の別れは、また来月にでも会えるかのように、さらりとしていた。



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