05 シーシックの再会
休みは最低限、疲労が見えてくれば回復魔術を使って馬を走らせたアキラは、三日と半日でシーシックの街に辿りついた。薬草や回復魔術を使ったとはいえ、馬には申し訳ないことをした。詫びとして砂糖で馬の機嫌を取ってから冒険者ギルドに返却した。
「中途半端な町だよなー」
市の立つ広場で周囲を見回すシュウの目には、シーシックは特徴もなければ目立った産業もない地味な町に映っていた。屋台で買った串肉の味もぼんやりとしていてイマイチだし、と考えながら待っていたシュウに、コウメイとアキラが合流する。
「わかったぞ、西門近くだそうだ」
町の冒険者ギルドで、定期的に錬金薬を卸している老魔術師はいないかと問うと、すぐにローレンの名前と住処を教えてくれた。十年ほど前から町に住みはじめた魔術師は、大きな家でひっそりと暮しているらしい。
教わった場所に辿りついた三人は、その門構えを見て呆れた。
「デケー家って……確かにデケーけど、これデカすぎだろ?」
「大豪邸じゃねぇか」
「お金持ちだとは知っていましたが、ここまでの大邸宅だとは……」
小さな民家が丸ごと入りそうなほど大きな門と、敷地をぐるりと囲む煉瓦造りの長い壁は、隣家はどこなのかと目を疑うほど長く続いている。しかも壁が高く、建物の屋根すら見えないのだ。
「この通りの区画全部が個人宅みてぇだぜ、ミシェルさんのアレ・テタルの豪邸よりも大きいんじゃねぇか?」
「ローレンさんって、もしかして貴族なのかよ」
「どうだろう……」
立派な作りではあるものの、警備や見張りに立つ私兵の気配はない。ウナ・パレムでローレンが暮していた一軒家は、それほど大きくはなかった。妻とは離婚し一人暮らしだと言っていたが、まさかこの大邸宅で一人暮らしなのだろうか。
「本当にここなのか?」
間近いではないだろうか、そんな疑いから、なかなか門扉に手を掛ける覚悟を決められない。紋章が浮き彫りされた鉄製の門を観察していたアキラは、彫られた鷲の目にはめ込まれている魔石に気づいた。
「魔術鍵だ」
防犯を魔術に頼っているのだ、ここがローレンの自宅で間違いなさそうだ。
鍵は特別なものではなく、魔術師なら誰でも知っている簡単な符丁だった。開けられる者なら自由に出入りしろとの意味と受け取り、アキラは手早く鍵を開ける。
相当な重量のはずの鉄扉が音もなく開いた。
せき止められていた水が一斉に押し出されたかのように、開いた門から流れ出た風がアキラのフードを奪いローブをハタハタともてあそぶ。
風が通り過ぎた後に、彼らが目にしたのは、予想していた大豪邸ではなかった。
「どこの田舎だよ」
「へー、木がいっぱいだけど、なんか飾りっ気ねー庭だな」
「よく言えばありのまま、悪く言えば放置した原野だぞ」
「門構えも壁も立派なのになぁ。奥に見える家屋は二階建ての田舎家風なんだな」
「……似ているな」
どこに、と言わなくとも、コウメイもシュウも理解した。自然とため息がこぼれる。
壁で囲んだ敷地内にあるのは、田舎村の一角をそのまま移築したような景色だった。農家風の家屋も、壁を隠すように植えられた木々も、こぢんまりとした畑や草原を模した庭も、どれも馴染んだ景色によく似ている。
誘われるようにして踏み込んだ彼らが、箱庭の風景に見とれている背で、鉄扉がゆっくりと閉まった。
風が止み、激しく揺れていた草木が凜としたたたずまいを取り戻す。
「気配は一つだな」
「こっちには気づいてねーぜ」
アキラはフードを被り直し、獣道のような遊歩道を家屋に向かった。
門からまっすぐに歩いた先にある二階建ての田舎家は、遠目には古びたように見えていたが、近づいてみれば作りはまだ新しい。
アキラが木製の扉を数度叩いた。
「こんにちは、こちらはローレン魔術師のお宅だと伺ったのですが、ご在宅ではありませんか?」
アキラの声に気づいた誰かが、室内で動いた。コツコツとした硬質な音と、床を擦るような足音がゆっくりと近づいてくる。
見た目とは裏腹に扉は軽く流れるように開いた。
薄く緑がかった白髪の、渋みのある老人の細面が、玄関に立つ見知らぬ三人を少しばかり警戒のまじった目で見あげていた。右手にある魔術師の杖を歩行の支えに、左手を柱に添えてバランスを取り立つ姿は、老い痩せていても凜としている。
「ローレンは外に出ております。来客の予定は聞いておりませんが、どういったご用件でしょう?」
「……サイモンさん!」
「私をご存じとは、何者です?」
老人の体を支える杖が魔力を帯びた。
フードに手を掛けたまま躊躇する彼を、老魔術師が探るように見据える。
アキラは覚悟を決めて顔をさらした。
「ご無沙汰しています」
はらりと流れる銀髪を見て、老人が大きく瞬きする。
「あ……アキラ、か?」
「はい。サイモンさん……お会いできてよかった」
驚いて腰を抜かしかけた老魔術師に、アキラは慌てて手を伸ばした。支えた体の軽さに過ぎ去った年月と老いを感じ、こみあげてくるものをぐっと堪える。
「アキ、玄関先で老人を立たせっぱなしにすんな」
「よーサイモンさん、久しぶり。お邪魔していーよな?」
アキラの後ろから出てきた二人が、サイモンを担ぎ上げ、玄関扉を閉める。
「勝手にすまねぇな。ああ、そこの椅子が良さそうだぜ」
「アキラ、そっちの膝掛けとってくれー」
つい先ほどまでそこに座っていただろう窓際の椅子に、サイモンを座らせて膝掛けを渡す。側のテーブルに空の茶器が残っているのを見て、コウメイが使用人がいるのかとたずねた。
「今日は家政婦が休みの日だ」
「じゃあローレンさんが帰宅するまであんた一人なのかよ」
顔をしかめたコウメイは、茶器を片付けると「台所を借りるぜ」と勝手に家捜しをはじめる。
シュウが窓を開け、室内に風を入れた。
運んできた椅子に座り向き合ったアキラは、驚きから抜け出せないサイモンに申し訳なさげに微笑みかける。
窓際で庭を眺めているシュウと、人数分の茶を用意してあらわれたコウメイ、そして目の前で許しを請うように佇むアキラを確かめた彼は、ひとつ、ふたつと数えるようにしっかりとした呼吸を繰り返した。
「会えて嬉しいよ。だが……年寄りの心臓を驚かさないでくれ」
「すみません。魔紙が飛ばなかったので心配していました。ウナ・パレムで居場所が掴めなかったので、ローレンさんなら知っているかとたずねてきたのですが、一緒に住まわれていたんですね」
「少し前に大きな病気をしてね、見かねたローレンがお節介にも面倒を見てくれている。私には過ぎた待遇なのだが」
「静かで、療養には良い環境だと思いますよ」
広大な敷地にぽつんと建った一軒家は静かだ。室内はあたたかな色合いで整えられており、家具や調度も、サイモンの体に合わせた使いやすそうな物がそろえられている。
「アキラは……変わらないのだな」
吐息のようなため息がこぼれた。
二十年前に再会したときもその若さに驚いたが、紫級に匹敵する魔力量なら当然だと強引に納得させた。だがはじめて会ってから三十五年を過ぎても、三人そろって変わらぬ姿は誤魔化しきれない。サイモンは苦しそうに目を細めた。
「ずいぶん昔になるが、ローレンがアキラを弟子にしたいというのを止めたことがある」
「へぇ、アキを弟子に?」
「師事するならサイモンさんに教わりたかったですね」
「ローレンには手に負えないからと止めたのだ。私もアキラを導くのは身に余る」
押しかけ師匠が増えずに済んでよかったと思うべきか、それともまっとうな師を得る機会を逃したと悔しがれば良いのか、アキラは苦笑いで茶器を手に取った。
「それで、ここまで訪ねてきた用件はなんだ?」
「サクリエ草です」
「やはりそれか。そちらも変異があったのだね?」
「ええ、こちらの苗はどうなりましたか?」
アキラは持参したリンウッドの観察記録を差し出した。目を見張ったサイモンは嬉しそうに受け取る。
「こちらは少しばかり厄介なことになっておってな。ローレンと二人で頭を悩ませていたのだ。アキラが来たのならちょうど良い、後始末を頼むとしよう」
穏やかな声色だったが、サイモンの瞳には否を認めないという鋭い輝きが潜んでいた。
「詳しいことはローレンが戻ってからにしよう。最近は思うように動けないせいで、研究もあいつに頼りっぱなしなんだ」
彼はアキラに手渡された記録の束に悲しげに目を落とす。目も悪くなったため、こういった書物もなかなか読めなくなったと悲しげに嘆いた。
+++
サイモンが暮す家は、外観は典型的な田舎家だが、室内は老人が住まうことを考慮してか、段差もなく整えられていた。リビングとダイニングを兼ねた広間の窓際が、サイモンが一日の大半を過ごす場所だ。日当たりが良く、窓からは玄関に立つ来客の姿がよく見える。隣室が台所と洗い場だが、台所はあまり使われている様子はない。
「私もローレンも料理ができんからな」
一日おきに通ってくる家政婦が作り置きした料理と、ローレンが外出した際に購入するパンや菓子、酒の肴で食いつないでいるそうだ。
中庭を挟んだ対面にあるのが研究室兼書庫だ。二人分の蔵書と研究道具やさまざまな素材が詰め込まれている。その隣がサイモンの寝室だ。
二階はローレンの寝室と納戸、そして使われていない客室が二間ある。
「互いの研究結果の検証は一日や二日では終わらない。泊まっていきなさい」
「ローレンさんに許可を得なくても大丈夫でしょうか?」
「今では私よりもあいつのほうが熱心に研究しているんだ、アキラとその報告書を離そうとしないだろうよ」
予定外に大食らいの客が滞在して困るのは食料だ。許可をもらって冷蔵保存庫を開けたコウメイは、シュウを連れて食材の調達に出かけた。
二人を窓から見送ったサイモンが、アキラにたずねた。
「魔紙が飛ばなかったと言ったか?」
「ええ、サクリエ草について聞こうと思い飛ばしたのですが」
「……そうか、私の魔力はもうそれほどに減っているのか」
サイモンは椅子に背を預け、吐息のような呻きを漏らす。
「私はもう長くはないのだな。あと一、二ヶ月というところか」
魔力の衰えを自覚しはじめたころから、彼はぼんやりと死期が近づいているのを感じ取っていた。魔紙が飛ばなかったと聞き、残された時間を計算したサイモンは、穏やかな声でそれを口にする。アキラが慌てて否定した。
「そんなに早くはありません!」
再会し、実際にサイモンの姿を見て、残る魔力量を感じ取ったアキラは、魔力の衰えは否定できないし、彼の寿命がそれほど長くはないのも事実だが、残り一、二ヶ月なんて短さでは決してない、魔紙が感知できないほど魔力が減ってはいないと断言した。
「サイモンさんには魔紙が飛ばなかったのが不思議なくらいの魔力が、しっかりと存在しています」
「そうかね? では何故魔紙は飛ばなかったのだろう」
「ええ、理由がわからないのです」
魔紙は魔道具や魔武具師が専門だ。ローレンに相談するといい。サイモンはそう言って目を細めた。
「もう少し長らえられるなら、サクリエ草の顛末を見届けられるだろうか?」
「二十年経っても普及の目処の立たない薬草ですよ、そこまで気になりますか?」
「それだけの時間を掛けてもわからないことだらけの薬草だぞ、研究者としてトコトン付き合ってみたくはならないのかね?」
「……すみません、いろいろと忙しくて、私の株は師匠に託したっきりです」
ストイックに研究に打ち込むサイモンから見れば、途中で放り投げたアキラは研究者失格かもしれない。
二人はローレンの帰宅までの間、懐かしいウナ・パレムの話や、二十年間の思い出を語り合った。アキラの語る深魔の森での日常は、老魔術師を楽しませたようだ。逆にサイモンの語るウナ・パレムの旧知らの話題は、さまざまな意味でアキラを悶絶させた。
「……シセツ、ビジュツ、カン、ナゼ」
虚無を見据え震えるアキラの口から、カタコトがこぼれ落ちる。
「立派な建物だったが、気づかなかったのか?」
「街の散策は一切しなかったので……」
もし懐かしさのあまり街を散策していれば、自分の絵姿が展示された美術館を発見したかもしれないのか。アキラは寄り道をしなかった自分を褒めた。
「たいした情熱だと私は呆れたのだが、ローレンは面白がって出資していたよ」
「何をしているんですか」
「出資に対する割り当ての複製画は、確か納戸にしまってあったはずだ」
「ローレンさんが帰ってくる前に破棄します!」
アキラはサイモンを置いて二階への階段へあがろうと玄関ロビーに出た。
「ただいまー」
「帰ったぜ」
「おお、アキラも昔のままだ!」
アキラが二階の納戸に辿りつく前に、コウメイとシュウを従えたローレンが帰宅したことにより、恥ずかしい絵姿の撲滅はかなわなかった。
4/25にkindleで発売される「隻眼とエルフ、あとケモ耳。1巻 ウォルクの禍根」の予約がはじまりました。
kindle → https://amzn.to/4kAUqSj
ご長寿1章を大幅改稿+書き下ろしあります。
美麗な挿絵も1枚あります。
発売日後にアンリミ入りします。
ぜひ読んでください!
挿絵サイコーだから見て!!