03 飛ばない魔紙
コウメイが暖炉前に寝所を作っていると、アキラがサクリエ草の観察記録を手に研究室から出てきた。夜更かしして読むようなら取り上げなければと見ていると、アキラは記録の束を置き、収納の奥にしまい込んでいた魔紙を取り出す。
ペンを握った手は迷うように揺れ、なかなか文字を書けないようだ。さまざまな言葉を思いついては、何度も首を振り打ち消している。
そんなアキラがやっと書いたのは短い一行だ。インクはすぐに乾いたが、彼は魔紙を見つめたまま動かない。
魔力を注ぐ決意をするまで長く時間がかかった。
ようやく魔力を与えられた魔紙が宙に舞う。
本来ならば受取人へと向かい消えるはずのそれは、宙で迷い子のように何度もクルクルと舞った後、力をなくしてアキラの手の中に戻ってきた。
「飛ばねぇか」
「ああ……」
魔紙を強く握りしめるアキラの手が小さく震えていた。
現実を目の当たりにしたコウメイにも後悔が押し寄せた。リンウッドから聞かされ覚悟はしていたが、自分ですら胸が重くなるのだから、魔術師として同じものを見、さまざまな思いを語り合ったアキラは、どれほど辛いだろうか。
「墓参りに行くか?」
「……マイルズさんをここに残して行くのか?」
「できねぇよなぁ」
迷宮で自ら命を削った老冒険者も、そう長くはないだろう。墓参りに出かけている間に、マイルズが階段をのぼってしまえば、もう一つ後悔が増えてしまう。
「だが、サクリエ草のことは、何とかしたい」
「でっかくなっちまったもんな。ウナ・パレムのも変化してると思うか?」
「多分。上手く封じて、研究が進んでいればいいが……」
わずか数日で小屋にぎゅうぎゅうになるほど成長したのだ、ウナ・パレムの株も同じような速度で成長していたら、今ごろはどんな惨状になっているだろうか。
「想像したくねぇぜ」
「全く問題なしか、とんでもない被害が出ているかのどちらかだろう。魔法使いギルド経由で何も伝わってこないのが不安だ」
転移者にかかりきりではあったが、冒険者ギルドや魔法使いギルドと情報交流はしていたのだ。噂の欠片も伝わってこなかったということは、隠蔽しなくてはならない何かが起きたか、何もなかったかの二択だ。
「……ローレンさんに問い合わせられないだろうか」
「ウナ・パレムの魔法使いギルド長だっけ?」
「退任していなければ、ジョイスさん経由で連絡がつけられるかな」
気が急いているのだろう、アキラはさっそく魔紙を取り出した。コウメイがその手を掴んで止める。
「今何鐘だと思ってる、夜遅くに迷惑だろ。問い合わせは明日にしろよ」
魔紙を取り上げ、毛布を重ねて作った寝所にアキラを押し倒す。
迷宮都市での竜討伐、その直後から休みなしに深魔の森を移動し、ようやく帰宅したのは今日の昼だ。マイルズをリンウッドに託し、落ち着いた夕食の直後に、サクリエ草の変異とサイモンの訃報を知らされた。心身を疲弊させる出来事が立て続けだ。帰宅してまだ半日、これ以上はいらない。
抗おうとする体を毛布に押しつけたまま、寝ろと睨んでやると、アキラは諦めたように力を抜き目を閉じた。
「コウメイは意地が悪い」
「うるせぇ。魔力震も、サイモンさんに魔紙が届かなかったのも一年も前だ、今さら慌てたって仕方ねぇだろ」
隣に敷いた毛布に寝転がったコウメイは、魔道ランプを消す。
月光に照らされる庭が、ガラスの窓越しに見えた。
「……一年は、そんなに長かっただろうか」
「短くはねぇだろうな。けど長過ぎもしねぇと思うぜ」
「そうか……」
小さな呟きは、やがて寝息に変わった。
+++
久しぶりの我が家は、たとえ居間の床であっても安心して眠れたようだ。スッキリと目覚めたアキラは、手早く毛布を畳んで居間と食卓周辺を掃除する。
「アキ、サラダに使えそうなの採ってきてくれ」
台所から呼ばれ籠を渡された。リンウッドが手入れを続けていた薬草園で、サラダになりそうな薬草を選んで収穫し、カカシタロウの守る菜園で、成長しすぎたエレ菜とピリ菜、完熟しているハルパをもぎ取った。
収穫物を台所に持ち帰ると、ちょうど朝の診察を終えたリンウッドが、コウメイにマイルズの食事内容を指導しているところだった。
「具だくさんの粥と、刺激の少ない味付けの卵料理か。量はどのくらいだ?」
「食えるだけ食わせてくれ」
「了解。お代わりしやすいように鍋ごと持っていくか」
小鍋の出汁に野菜の水煮を潰し入れ、炊きあがったばかりの赤ハギを入れて煮る。味付けはわずかな塩だ。卵は牛乳とほんの少しのチーズを削り加え、完熟ハルパと合わせて柔らかめに混ぜ炒める。こちらも塩とブブスル海草の粉末だけでシンプルに仕上げた。
「おはようございます」
「おっさん、朝飯食えそうか?」
「ああ、手間をかけてすまん」
コウメイとアキラが鍋と料理のトレイを持って病室に入ると、予想外に元気そうなマイルズがゆっくりと半身を起こした。昨日までは身動きも苦しそうだったのに、ずいぶんと回復しているようだ。
「いい香りだ……空腹を思い出したよ」
くるくると鳴った腹を恥ずかしげに押さえて、マイルズは料理のトレイを受け取った。食べられるようなら好きなだけお代わりをしてくれと、アキラがベッドサイドのテーブルに鍋を置く。
「いただきます」
コウメイ達との長い付き合いのおかげか、食前に一言呟くのが彼にも習慣づいている。ほかほかの粥を口に運び、するりと喉に流し込んで「美味い」と呟いたマイルズは、そのまま一杯目を完食した。
「食欲があるようでほっとしたよ。あんた今にも死にそうだったからさ」
「心配かけて悪かった。もう大丈夫だとリンウッド殿にお墨付きをもらったから安心してくれ」
「本当ですか?」
後でリンウッドに確認しますよ、とアキラが思いを込めて見つめると、マイルズの視線がスクランブルエッグから動かなくなった。
「……普通に暮すのなら問題ない、と言っていたぞ」
「それが何を基準にした普通なのか、確認しておきますね」
冒険者の普通と、隠居老人の普通には大きな隔たりがある。確かに要確認だなとコウメイにも念押しされ、マイルズは少しばかり気まずげに卵の絡んだトロトロのハルパを食べた。
+
「朝から野菜かよー」
赤ハギの炊けた香りで目が覚めたらしいシュウが、テーブルを見て嫌そうに顔をしかめる。大皿に盛り付けられているのは葉野菜の山盛りサラダに、ポテトサラダとゆで卵とたっぷりのハルパだ。シュウが切望する肉料理は、カリカリに焼いたベーコンだけだ。
「赤ハギはどんぶりに山盛りなんだから文句を言うな」
「糖尿病に高血圧、まっしぐらだな。リンウッドさんが苦労しそうだ」
「主治医の指示に従わない患者など知らんぞ」
「ああ、指示といえば。マイルズさんが『普通の生活なら問題ない』と言っていましたが、それは何を想定しているんですか?」
アキラが何を聞きたいのか察したリンウッドは肩をすくめた。
「討伐も狩猟も禁止、農作業はカカシタロウの手伝いくらいなら許可した」
リンウッドがリハビリと筋肉の維持を目的に適度な運動をすすめると、マイルズはさっそく狩りに行きたいと言ったらしい。
「狩猟が軽い運動とは、基準が違いすぎて呆れたぞ」
「ブレねーな、おっさんも」
「根っからの討伐冒険者だ、仕方ねぇ」
マイルズの回復に安堵した四人の食卓は賑やかだ。野菜サラダとベーコンがこっそり交換されたり、ポテトサラダが独占されたりする慌ただしい食事を終えると、深魔の森の日常が戻ってくる。
台所を片付けたコウメイは畑仕事に出かけ、シュウは肉の補充を目的に森に入る。
アキラは薬草園の手入れを済ませ、ジョイスに魔紙を送った後、昨夜読めなかったサクリエ草の記録に目を通しはじめた。細かい観測数値や実験結果は後回しにし、結論だけ読んでゆく。
「吸収された魔素量は測定不能。周辺土壌の魔素含有量は成長速度に影響を及ぼすほどではないが、確たる証明が不能なため断言はできない、か」
サクリエ草の発芽要因は今もわからないままだ。リンウッドは挿し木で増やそうと実験していたが、全て失敗に終わっていた。成長のために魔素が大きくかかわっているのは間違いないが、わかっているのはそれだけだ。
「成長が確認された時点で数量の確保が容易になり、錬金薬への汎用性は高くなった。しかし必須素材ではないため、需要は見込めない」
緊急時に不足する薬草の代わりになるのは助かるが、そのためにサクリエ草を入手するよりも、必須薬草を安定的に仕入れられる仕組みを作るほうが、経済効果は高く無駄がない。そもそもギルドは万一に備え薬草を備蓄しているものだから、あえてサクリエ草で備蓄を考える組織は少ないだろう。
希少ではあるが、貴重ではない。
「どっちつかずの薬草なんだな」
面白い素材なので継続研究は必要とあるが、成長速度と限界点が不明なため慎重に経過観察を続ける必要あり、と但し書きがある。確かに、小屋を壊して何処まで大きくなるのかを見届けるのも危険だ。鉢植えのころは陽に当たれば枯れていたが、小屋の天井に届くほど大きくなった今も枯れるかどうかはわからない。もし枯れずに成長するとしたら、母屋まで破壊されてしまいかねない。
「魔力震がどのような影響を与えたのか、どうやって調べるかな……」
ウナ・パレムはどうなっているだろうかと思いを馳せているところに、ジョイスからの魔紙が届いた。
「……ローレンさんはウナ・パレム魔法使いギルドにいないのか」
ジョイスの手紙には、彼は五年前に退任したとあった。引退後はウナ・パレムからどこかの街に移り住んだらしいが、個人的な伝手がなく、この短期間では調べられなかったと詫びていた。
サイモンに魔紙が届かず、ローレンにも連絡が取れないとなると、あとは魔法使いギルドの現ギルド長か、サクリエ草研究部会に問い合わせるしか手段はない。どのような文面で問い合わせるか、リンウッドに相談したくて研究室を出たところで、アキラは思わず声を上げていた。
「え……マイルズさん?」
ベッドで療養中のはずのマイルズが、自分で煎れたらしいハギ茶を片手に、長椅子にくつろぎ庭の景色をのんびりと眺めているではないか。
驚いたアキラの声で振り返った彼は、和やかにほほ笑んで向かいの席をすすめた。
「休憩かね?」
「ここで何をしているんですか? リンウッドさんは許可してるんですか?」
「そんなに怖い顔をするな。普通の生活なら好きにしろと言われている、そう説明しただろう?」
「……もう二、三日はベッドで安静にしていると思ってました」
まさか背負われ担ぎ込まれた翌日に、床払いするなんて予想できるわけがない。困惑するアキラに、安静にしているじゃないかと彼は苦笑いで返した。
「歩けて、飯も口から食えているのだぞ。寝ていては逆に体が悪くなるだけだ。本当なら少し体を動かしたいのだが」
「やめてください」
「わかっている、好きにしていいのは室内限定だと、リンウッド殿にも釘を刺されている」
主治医の指示には従う、それが長生きの秘訣だと言って、マイルズはハギ茶で喉を潤した。
「そのリンウッドさんはどちらに?」
「コウメイに用があるとかで外に出た。すぐに戻ってくるだろうから、それまで付き合ってくれんかね?」
監視していなければ、マイルズは室内だからと言い訳して筋トレをはじめかねない。アキラは自分用にコレ豆茶を入れ、少しでも栄養をとらせるべくドライフルーツを小皿に乗せ、マイルズの隣に腰を下ろした。
「留守の間に大事があったと聞いたぞ」
「リンウッドさんからですか?」
退屈していたのだろう、マイルズの瞳は興味津々に笑んでいる。
「リンウッド殿の寝室が占拠され、貴重な酒が失われたらしいな」
「そっちですか」
心底から残念そうな様子に、思わず笑みがこぼれた。マイルズは目を細めて乾燥レシャに手を伸ばす。
「大事なのに間違いないだろう? それに、なにやら希少な薬草が面白いことになったとも聞いたが、そちらは俺が聞かないほうがよかろう?」
「面白くはありませんよ、厄介なんです……別に機密というわけではありませんから大丈夫ですよ」
マイルズは愚痴りたがっているアキラを促した。
「ほほう、では聞くが、その新種の薬草とやらはどんな効能があるのだ?」
「単体での効能は見つかっていません。ただし錬金薬の材料の代用としてでしたら、それなりに使えますね」
素材の一部をサクリエ草に代えても問題なく錬金薬が作れると聞き、マイルズの表情が引き締まった。
「それは有用とはいわんのか?」
「便利ではありますが、魔法使いギルドや冒険者ギルドが錬金薬の素材薬草の在庫を切らすことはありませんからね。需要はそれほど見込めません。供給できるほどの量もありませんし」
「だがあの小屋に詰まるくらいの量はあるのだろう?」
「なぜ増えてしまったのかがわからないので、永続的に供給できるわけではないですよ」
「……」
カップを握り込み厳しい顔のマイルズが、チラリと探るようにアキラを見た。
「どのような目的の錬金薬であっても、不足している素材の代用にできるのは間違いないのだな?」
「流通している錬金薬の全てのレシピを試しましたから、間違いありません」
「それは伝説の秘薬や、記録から抹消された悪薬の素材にもなる可能性はあるのか?」
「……試してはいませんが、理論上は可能かもしれません」
マイルズの懸念に気づいたアキラは、眉間を押さえた。
各国の魔法使いギルドには、材料が入手不能だとして書庫の奥深くに忘れ去られたり、危険であるとの理由で封じられたレシピや、伝説にしか残っていない神薬の配合が保管されている。そしてそれは歴史の古い王家にも存在するのだ。
「アキラ、サクリエ草とやらは、竜の血の代用にもなるのか?」
「……わかりません」
検証が必要だが、実行して可能だと判明したときが恐ろしかった。
竜の血の希少さと入手の難しさと比べて、魔力震後はサクリエ草のほうが手に入れやすくなってしまった。まだ存在は知られてはいないが、ウナ・パレムの苗の状態次第では、はっきりさせておかねばならない。
ズキズキと痛みはじめた眉間を揉みほぐしながら、アキラは小さくため息をついた。
「ウナ・パレムに行かなくては……」
検証はリンウッドに任せよう。自分は早急にウナ・パレムに向かい、サクリエ草の行方を探さねばならない。適切に管理されていなければ確保する必要があるし、サイモンが誰に託したのかも調べねばならない。
「落ち着かんのだな」
「そうですね。少しはゆっくりできると思っていたのですが……」
マイルズの体調が心配で躊躇っていたが、彼の健康状態は良好のようだし、少しの間なら森を離れても大丈夫だろうか。
「マイルズさん、ハリハルタの自宅にはいつごろ戻るおつもりですか?」
「実は大陸ギルド長会議に出かける前に畳んである。生きて迷宮から帰ってこられるとは思っていなかったんでな。余生はここで過ごしたいが……留守番に雇ってもらえんかね?」
居候は心苦しいと言うマイルズの申し出は、足枷にはならないという彼の意思表示だ。
アキラは笑顔で頷いた。