02 魔力震の余波
月の明るい夜だ。
灯りがなくとも母屋からリンウッドの小屋がはっきりと見えている。
並んで歩く二人の後を、好奇心を抑えきれないコウメイとシュウが続く。
目的地に着いた彼らは、月明かりに照らされた小屋の惨状に驚きの声をあげた。
「なんかボロッちくねーか?」
「窓に板を打ち付けて、何があった?」
「雨が吹き降りましたか?」
小屋の窓や入り口扉は、何枚もの板で封じられていた。
「いや、雨ではない。光避けだ」
リンウッドはシュウに扉に打ち付けた釘と板を外すように命じた。そしてアキラを振り返り、絶対に魔力を漏らすなと注意する。
「……いったい何があるのですか?」
「アキラに預かったものだ。忘れているようだが、アレが魔力震の影響を受けた」
リンウッドに託した物といえばサクリエ草しかない。
魔素溜まりに芽吹いた新種の薬草が、魔力震の影響を受けたと聞いてアキラの胸が高鳴った。どのような変化があったのか楽しみでならない。
アキラはまずは小屋の外観を観察した。
小屋全体を被っているはずの、リンウッドの守りの魔術が消えている。窓や扉に打ち付けられた多くの板を見て、あまり良くない影響だったらしいと気を引き締めた。
「これ、開けてもいーのか?」
「割らないでくれよ。もう一度封じなけりゃならんのだ」
シュウが板と釘を力任せに剥がした。
魔術鍵の失われた扉に手をかけると、キシキシと今にも壊れそうな音がした。夜だからだろうか、小屋がとても古びて見える。
「短時間の間に、ずいぶんと老朽化しましたね」
鉱族の作った建物は自動修復の力があり、十年や二十年は手入れいらずのはずである。なのに留守にした間に、激しく老朽化したようだ。
「開ければわかる」
リンウッドに促され、アキラはゆっくりと扉を開けた。
ピシリ、と。
扉を開けた途端に、押し込められていた物が弾け出し、アキラの鼻先をかすめた。仰け反って避けたアキラが、勢いのまま後ろに倒れるのをコウメイが抱き止める。
「大丈夫か、アキ?」
「……これは、サクリエ草? ですか?」
アキラの後ろからのぞき込んだコウメイが、嘘だろ、と小さく呟いた。
「こんなにデカかったか?」
「うわー、部屋ん中、満っち満ちだぜ」
退がったアキラと入れ違いに扉から中をのぞき込んだシュウが、家具や壁や天井に阻まれ窮屈そうに成長したサクリエ草を見て、気持ち悪いと顔を歪めた。
シュウの手よりも大きな、表面が産毛に被われた多肉植物のような厚い葉が、狭い室内にぎゅうぎゅう詰めだ。隙間を求めて歪み成長したサクリエ草を見て、アキラは絶句するしかない。
「……なんですか、これ」
「魔力震の直後から急成長したんだ」
「これどう考えても面倒くせぇヤツだろ」
何故放っておいたのかとリンウッドを責めるわけにはゆかない。あのころの三人は後輩転移人にかかりきりで、リンウッドの言葉を聞いている余裕はなかった。
「なんか、動いてるみてーなんだけど?」
「動く?」
まさかと思いつつサクリエ草に目を向けると、風のない室内だというのに、葉は手招きするように動いていた。表面を被う毛のせいで、まるで毛虫が動いているように見える。
「いかん、封じるぞ」
慌てたリンウッドがアキラを引き剥がし、急いで扉を閉めた。外した板をあてがい、シュウにしっかりと打ち付けるように指示する。
「魔力を漏らすなと言っておいただろう」
「すみません……」
驚いた拍子に漏れてしまった魔力が原因で、サクリエ草が動いたらしい。
リンウッドはしっかりと小屋を封じさせ、詳細は居間でと三人を促した。
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コレ豆茶ではなく酒が欲しい、その声ににじむ疲れを聞き取ったコウメイは、果汁とヴィレル酒を合わせてアキラの前に置いた。自分とリンウッドには穀物酒を、シュウには泡の実を漬けた水で割った果汁ジュースだ。
喉と気持ちを潤したリンウッドは、淡々と話しはじめた。
「魔力震の少し前から、異変はあったんだ」
アキラに託されたサクリエ草の観察はリンウッドの日課である。日に当たると枯れるため、床下に作った保管庫の蓋を開けるのはいつも夜だ。
魔力震の起きる数日前、毎晩定例の観察時から異変が起きていた。
「保管箱の蓋が開いておったのだ」
前日にちゃんと閉めたと思っていた保管箱の蓋に隙間ができていた。幸いにも葉枯れはしておらず安堵したのだが、そのようなことが数日続くと、さすがに自分のミスではないと気づく。
「閉め忘れたんじゃねーなら、誰かがあけたってコトだよな?」
「その状況と、先ほど見たモノを照らし合わせると、サクリエ草が自分でこじ開けたことになるのですが……」
植物が蓋をこじ開けるなんて考えられないと、アキラは己に言い聞かせているように呟いた。
「おっさんが閉め忘れたんじゃねーの?」
「俺は腐っても研究者だ、同じ失敗は繰り返さんよ」
それにサクリエ草を保管しているのは、小屋の研究机の下にある酒の貯蔵庫の片隅だ。蓋を置き、椅子を乗せ座るのだから閉め忘れればすぐに気づく。
「じゃあやっぱり、あの薬草が蓋をこじ開けたのかよ」
「蓋を押し開けただけならまだよかったんだ……魔力震の直後だ、床板が割られた」
床が破壊され、サクリエ草の枝葉によって研究机ごとひっくり返されていたのだ。
「前日に調べたときには何の変異もなかったんだ。魔力震が起きたその夜は母屋の研究室で一日を過ごしたから気づかなかった。翌日小屋に帰ったら、天井に届くほどに成長したアレに室内が荒らされていたんだ」
「そんなわずかな時間で……」
「そうだ、秘蔵の酒瓶が五本犠牲になった、残念だ」
「そっちかよー」
「おっさんはサクリエ草よりも酒が大事なのか」
「二度と手に入れられない酒を惜しんで何が悪い」
苦労して手に入れた三十年物と五十年物の蒸留酒に、不作の年に作られた奇跡の名酒、それらの瓶がサクリエ草の急成長によって粉々に砕かれ失われてしまったとリンウッドの嘆きはとてつもなく深い。
「何で酒瓶と同じ場所に保管してたんだよ」
コウメイに自己責任だろうと指摘されたリンウッドは、先ほど採取した標本を手に台所に向かった。
「冷暗所ならもっと相応しい場所があったな。食料庫の冷蔵保存庫を借りるぞ」
「俺が悪かった、酒と同じくらい大切に扱ってたんだよな?」
リンウッドの絶妙な報復宣言は効果抜群であった。コウメイは慌ててリンウッドを追いかけ、なだめて椅子に引き戻す。
「今度美味い酒を手に入れてくるから、運が悪かったと諦めようぜ、な?」
酒を満たしたカップを押しつけ、サクリエ草の標本を奪い取る。それをアキラがしまい込むのを確認してから、コウメイは続きを促した。
「それで、リンウッドさんは成長しちまったアレを小屋に封印したのか?」
「見る見る間に成長されてはな、対処方法を見つけるまでは封じるしかないだろう?」
研究資料の大半は母屋に移してあったため、酒瓶以外に惜しむ品は残っていない。リンウッドは迷わず小屋に封印を決めたのだが、成長は止められなかった。
「どうしてすぐに相談してくれなかったのですか」
「アキラたちが戻ってきたらすぐに対処を話し合うつもりだったが、稀客を連れていただろう?」
転移獣人の対処でいっぱいいっぱいだったではないかと指摘され、アキラは目を伏せる。確かに、あのときにサクリエ草の変異を知らされても、リンウッドに任せることしかできなかっただろう。
「実際、経過を観察するしかなかったからな。記録を積み重ね、検証し、ある程度方向が決められるだけの材料を用意できればと思ってな」
しかしアキラたちが森を離れ、戻ってくるまでに一年以上もかかるとは思わなかったと岩顔が苦笑する。出かけたきり音沙汰ないのはいつものことだが、今回ばかりは裏目に出た。今後長旅をする場合や予定の変更は早めに知らせるように。三人は幼い子どもにするような小言に、神妙に頷いた。
「それで、サクリエ草の記録は」
「研究室にまとめがある、明日にでも読んでくれ」
「いやいや、今すぐ説明してくれよ。すっげー気になってんだからさ」
研究バカの魔術師の書いた記録帳など読みたくないシュウが、わかりやすい解説を要求する。研究に必要な数字はアキラと二人で突き詰めればいいが、まずは概要だけでも知りたいとコウメイも促した。
「当日は俺の身長を越えるくらいまで成長していた。茎が太くなり、高く伸び、葉数が大幅に増えていた。二日目は天井に届く程まで伸びた。枝数も増え、葉も一回り大きくなっているようだった」
「その勢いなら天井を突き破りそうなもんだぜ」
「鉱族の手がけた建築物だ、さすがに植物には打ち破れなかったようだぞ」
天井破りを諦めたサクリエ草は、窓を狙った。ガラスは鉱族製で破れないが、金具は建物ほど頑丈ではない。住処の近くで窓から謎の植物が生えているのを鞠香らに見せるわけにはゆかないと、リンウッドは慌てて窓に板を打ち付けた。
行き場を求めたサクリエ草は小屋内の隙間を侵食し、とうとう玄関扉にまで達するようになった。その時点でリンウッドは観察を一時的に中断し、封じ込めることにしたのだそうだ。
「なかなか楽しく充実した日々だったのですね」
「どこがだ?」
「楽しそうに語ってるじゃねぇか」
苦虫をかみつぶすリンウッドに、コウメイが顔がニヤついていると指摘する。
「……まあ、これまで何もかわらなかったものが、扉を開けるたびに変化を見せるのだ、興味深くはあった。毎日標本を採取して調べたが、成分としては変化前と大差ない」
「見た目はえらく変わってたけどな」
茎はアキラの手首ほどもあったし、葉も手のひらよりも大きくなっていた。
「特徴は変わっていないぞ、ただ最初よりもかなり大きくなったというだけでな」
「動いていましたよ?」
自分が持ち帰った鉢植えのサクリエ草は、動きはしなかったはずだと顔をしかめるアキラに、リンウッドが頷いた。
「目に見えるほどに成長速度が速い。おそらく魔素が影響していると思うが、他の要因も排除できん」
「うにょうにょ動いてたのはなんでだ?」
「おそらく魔素を求めての反応と推測しているが……それとも魔素とは関係なく動くのか、そこを判断できるほど観察できなかったのが悔やまれるな」
「よく小屋が無事でしたね」
「ギリギリ間に合った……小屋に施した魔術から魔力をかすめ取って成長したせいで、壁や屋根が破壊されかけたからな」
魔素、あるいは魔力を糧に成長しているのは間違いないだろう。小屋の防御魔術や劣化防止魔術を切ると、サクリエ草の成長速度は格段に落ちている。より正確な調査には小屋を壊しサクリエ草を解放しなければならない。さすがにリスクが高すぎて、研究バカのリンウッドでも決断はできなかったらしかった。
「聞いている速度で成長してたら、俺らがいねぇ間に一帯がサクリエ草の森になってた可能性があったのかよ」
「帰る家がなくなっていたかも知れないのか……」
「こえーよ、それ」
チラリと母屋の方向を見たアキラが心配そうにたずねる。
「建物は石造りですが、窓や扉の板を破られる心配はありませんか?」
「あれはただの木材ではない。母屋を作ったときの廃材だ。鉱族の加工がしてあるから頑丈だぞ」
母屋と小屋を建築した時の廃材は、薪にするにはもったいない品質だった。いつかシュウが天井を突き破ったときの修繕用にと保管していたそれを使って、窓や扉を封じたのだそうだ。
「これまでの観察の結果だが、サクリエ草は魔力震により何らかの変異がおき、収納庫の底を破って自生した、あるいは以前から根を張る方向に成長しており、地面から細々と魔素を吸収して育ち、魔力震をきっかけに一気に成長した、のどちらかだと考えられる」
「魔力震で、急成長ですか……」
「それしか考えられんが、この一例だけでは確証にはならん。そのあたりを知るには、もう一つの株の情報が欲しいのだ」
「サイモンさんのところにある苗ですね。あちらに変化はあったのですか?」
アキラの問いに、リンウッドの表情が曇った。
「……魔紙が、飛ばなかった」
その言葉を聞いた瞬間、アキラの手からカップが落ちた。
目を伏せたコウメイが無言でテーブルを片付ける。
言葉の意味を理解したシュウは、悔しさを握りしめた。
「さすがに不義理をしすぎたか」
「サイモンさんも結構な年だもんなー、しかたねーけど」
「……もう少し頻繁に連絡を取るべきでした」
サイモンはマイルズよりも年上だ。魔術師は長く生きるといわれているが、あくまでもその傾向にあるというだけで、魔力なしの人族とかわらぬ年齢で階段をのぼる魔術師もいる。
サクリエ草がきっかけでせっかく魔紙を交換したのに、リンウッドに任せきりだったことをアキラは深く悔やんだ。
「そういうわけでな、アキラの帰りを待っていたのだ」
サクリエ草の研究にしても、ウナ・パレムへの連絡にしても、リンウッドが独断ですすめてはアキラが後悔する。少なくともサイモンに関しては勝手に動くのはまずいだろう、と。
「私の帰りを待たなくても、連絡したっていいのに。数少ない弟子が気にかかっているんでしょう?」
「……俺はとっくに死んでいるはずなんだぞ。驚かせて老いた弟子の心臓を止めたくはない」
アキラの帰りを待ちわびていたにもかかわらず、寄り道を止めなかったのは、マイルズの年齢を意識したからだろう。
リンウッドの心遣いに、アキラは切なげに目を伏せた。