01 深魔の森の日常
ご長寿15章、本日より連載開始します。
いつものように月・水・金のお昼頃更新です。
よろしくお願いします。
マイルズを運び込んで久しぶりに自室を眺めたコウメイは、あちこちに見慣れない物を見つけて苦笑いだ。例えばサイドテーブルに積まれた研究書籍の山や、コート掛けに引っかけられている濃紺のローブ。彼が不在の間にリンウッドはコウメイの部屋を寝室にしていたらしかった。
「軒先を貸して母屋を取られたか」
「仕方ねぇな、一年もほっといたんだし」
「そーかなー。リンウッドさんらしくねーと思うぜ」
診察の邪魔をするなと追い出された三人は、居間に移動し、丸芋と野菜ばかりの食料庫から発掘したコレ豆茶をいれてくつろぐ。
「俺らが留守にするのって、今までもけっこーあったよな? けど寝泊まりはずーっと小屋だったろ」
「研究は母屋でやってたし、移動が面倒になったんじゃねぇか?」
「留守番を押しつけたのは俺たちなんだし、小屋のソファで寝起きされるよりも、ちゃんとベッドで休んでもらうほうが安心だ」
いくら魔石義肢と義眼によって老けず衰えずであっても、リンウッドは百六十歳を超えた老人なのだ、労るべきだろう。
「マイルズさんの療養も長くなるだろうし、寝室は二人に明け渡してもいいだろう?」
「ああ、これから夏に向かうんだし、俺たちは暖炉前の雑魚寝で十分だ」
だが冬になれば、さすがに居間での雑魚寝は厳しくなる。シュウの部屋にあと二台のベッドを運び入れる余裕はないし、屋根裏部屋では二段ベッドも難しい。
「本気で増築を考えねぇとな」
招かれざる客のくせに泊まってゆく者も増えてきた。来客のたびにベッドを明け渡すのも面倒だ。季節によっては居間での雑魚寝も厳しい。
「客間を増築するしかないか」
「俺たちの寝室もだ。二階に一部屋増やそうぜ」
「俺の部屋はやらねーからな!」
寝室を半分取られると勘違いしたシュウが、隠し階段と秘密基地めいた寝室を死守しようと声を荒げる。
「シュウと同室なんて落ち着かないだろ。ちゃんと部屋はわけるから安心しろ」
さっそく間取りを描き足すコウメイの手元をのぞき込みながら、アキラは費用はどれくらいかかるだろうかとぼんやり考えはじめた。
+++
ひと息ついた後、三人はそれぞれに留守の間の家を見て回った。
リンウッドが占拠していたのは寝室と研究室だけで、台所や食料貯蔵庫に大きな問題はなかった。肉が一片も残っていないとか、謎の瓶詰めが山ほどあるとか、丸芋の在庫が多すぎるといった問題はあったが、些細なことだ。
「この大量の瓶は何だ?」
壁際に積み重ねられた瓶の数は十を超える。コウメイは一番上の瓶を取り、厳重に封じられた蓋を慎重に開けた。
「赤芋の水煮か」
どうやら菜園で収穫した野菜を保存した物らしい。これをリンウッドが作ったとは思えない。どこかにメモはないかと探したコウメイは、瓶の隙間に落ちていた板紙を見つけた。
「納品書……十三個もあるのか」
明細には、瓶につき一種類の食材を水煮に加工し保存していると書かれている。
「赤芋と白芋、レト菜、レシャにレギルとコリン……収穫物を運んで、サガストで加工してもらったのか」
大食いのシュウを含めた四人の食卓のためにはじめた農園は、コウメイがこだわったこともあって収穫量も種類も増えている。近年では余剰を近隣の町やリアグレンの農業ギルドに出荷するまでになっていた。コウメイらが留守の間にも農園は豊かに実り、リンウッド一人では食べきれない収穫があったようだ。コウメイのように伝手もなければ、運搬する方法も限られるリンウッドは、数少ない知り合いであるマユやデロッシに大量の野菜や果実を贈っていたらしい。これらの水煮はマユがもらった野菜の対価として返したものだった。
「せっかくもらったのに食ってねぇのか。もったいねぇ」
全ての瓶の中身を確認したコウメイは、保存食を使ったメニューを考えた。
「タンパク質がねぇな」
冷凍した魔獣肉が詰まっていたはずの保存庫も空だ。リンウッドは食べ尽くした後に食材を補充していない。あれもこれも足りないというのに、丸芋だけは余るほどあるのが彼らしいが。
「シュウ!」
現状を把握したコウメイが勝手口からシュウを呼んだ。だが彼は仕事を押しつけられると察したのか、聞こえないふりをしてアマイモ三号とカカシタロウで遊んでいる。
「食料庫に肉がねぇ。美味そうなの狩ってきてくれ」
「一大事じゃねーか!!」
肉がないと聞いた途端、シュウは軍馬と甲冑を放り出して駆けつけた。
「暴れ牛でいーよな?」
「角ウサギと魔猪と、魔鹿も頼む。余裕があれば大蛇肉も欲しい」
公認で魔獣肉を狩り放題と聞いて張り切ったシュウが、剣を背負ってあっという間に家を飛び出していった。解体用の一式を押しつける暇がなかったので、どの肉も丸ごと持ち帰ってくるのだろう。コウメイは乾燥豆を水に漬けてから、洗い場の掃除に向かう。
洗い場に向かう途中で、熊手やハサミを手にしたアキラとすれ違った。
久々の薬草園に向うアキラの足取りは弾むように軽い。
「さすが、リンウッドさんだ」
一年ぶりの薬草園でアキラは感慨にひたった。留守の間もしっかりと管理されており、薬草は魔素も薬効も豊富に成長していた。よく見れば植えた覚えのない品種がある。アキラはウットリとした表情でそれらを手に取った。
「これはユギモ草のように見えるが、こちらに植えているということは、何かの薬草なのか?」
草餅用の野草によく似た植物の他にも、見慣れない品種があった。リンウッドは深魔の森の散策で薬草を見つけては、このように移植し育てている。留守の間にもいくつか増えたらしい。この森に住んで長いが、まだ知らない薬草があると知って楽しくなったアキラは、嬉しそうにいくつかを摘み取った。リンウッドの手が空いたときに用途を教わるつもりだ。
薬草園の点検を終え、その流れで菜園にも足を向けた。
畑の一部では春植え野菜の手入れが進んでいた。早いものでは収穫を迎えている野菜もある。カカシタロウが初夏野菜の終わった畑を耕していた。農機具を持つ手つき、休憩するときのポーズや重心、再び仕事をはじめるときの癖。それらの動きはどこかコウメイに似ているような気がする。魔武具なりに手本をしっかりと真似ているところが面白くて、アキラは思わず笑みをこぼしていた。
「アキ、手伝ってくれ」
洗い場のあたりから呼ぶ声がして向かうと、コウメイは暴れ牛の血抜きをしていた。狩り主を探すと、赤ハギ畑の向こうへと走り去る後ろ姿が見える。一番食べたい肉を狩って戻ったシュウは、次の獲物を探しに行ったようだ。
「冷却。水も必要か?」
「ああ、頼む」
吊した暴れ牛を冷やしながら、血管を意識して水を流し込む。流れ落ちた血が乾いてしまう前に魔力でかき集め、瓶に移し入れる。これは後で専用の捨て場に運ぶのだ。
「玄関先に洗い場を作ったのは失敗だったな」
「ここで解体するって想定してなかったんだから仕方ねぇよ。土汚れを洗うのにはいいんだが、獣の血はなぁ」
土にしみこんだ獣血は肉食の魔獣を呼んでしまう。アキラの結界は人族や魔物に特化しており、魔獣や動物は完全に防ぎきれないのだ。
「井戸を掘るか川から水を引いて、排水も処理できる施設を作りてぇな」
「改築費用がかさみそうだ。気が進まないが、ミシェルさんの手伝いをして稼ぐか?」
「余計な仕事押しつけられそうだし、知りたくねぇ秘密を共有させられそうだ。それに今はちょっと恨みがたまってるから遠慮してぇな」
「そうか……では地道にこの森で討伐に励むしかないな」
血抜きを終え冷却された暴れ牛が、コウメイの手によって立派な食肉に切り分けられてゆく。皮を洗って乾かし、骨は寸胴鍋に放り込む。内臓の処理までは手が回らないので今回は廃棄だ。
「たっだいまー。魔鹿捕まえてきたぜー」
やっと牛一頭の解体を終え洗い場の血を清掃していたところに、大きな角の雄魔鹿を背負ったシュウが戻ってきた。魔鹿の体は拘束に抗うように跳ねている。
「なんで生け捕り」
「血抜きしながら帰ってきたら怒るじゃねーか」
足を括った魔鹿を降ろしたシュウは、次は魔猪だと踵を返す。
その肩をがっしりと掴んだコウメイが、今日はもう十分だと引き止めた。シュウが食べたい肉を全部狩ってきたら、夕食までに解体は終わらない。
「魔猪は明日にしろ」
「えー」
「解体が忙しくて夕飯のステーキが焼けなくなるが、いいんだな?」
「明日にするからステーキはでっかくでぶ厚いの五枚な!」
「俺はサイコロを二個で」
「シュウは二枚だ、五枚は食い過ぎ。アキはもっと食え、せめて一枚」
肉の量に不満を言う二人に手伝わせて、コウメイは魔鹿の解体を終えた。
+++
夕食の席に着いたリンウッドは、機嫌が悪かった。
また説教がはじまるのかと恐々とする三人は、バターをたっぷり載せた揚げ芋を彼の皿に移して機嫌を取ろうとする。だが好物が山盛りになってもリンウッドの岩顔がゆるむことはなく、覚悟を決めた三人は、いつも通りの食事に戻った。
お代わりを三枚目で止められたシュウは、デザートの用意に台所に引っ込んだコウメイの目を盗んで、アキラの肉と自分の根菜のグラッセを交換する。
コレ豆茶と一緒に運ばれてきたのは、レギルの水煮に焼き砂糖を絡めてバターで風味をつけた一品だ。見た目はこってりしているが、爽やかでかすかに刺激のある香りが食欲をそそった。
ジムミン(香辛料)の利いたレギルを完食したリンウッドは、アキラに向き直って居住まいを正した。
「飯も食い終わったから、一つ重大な話をいいかね?」
「……な、何でしょう?」
リンウッドの様子にアキラの背筋が伸びる。コウメイとシュウは自分への説教ではないと知って胸を撫で下ろした。だがマイルズの件よりも重大な話なんてあるのかと怪訝そうに顔を見合わせる。
「魔力震の影響についてだ」
「影響……?」
すでに終わったのではないかと首を傾げるアキラを見て、リンウッドは弟子の視野の狭さを嘆いた。
「お前たちの抱えておった面倒は片がついたかもしれんが、こっちのはまだ何も対処できておらんのだ」
「対処ったって、何かあったか?」
「さー? アキラが知らねーのに、俺が知ってるわけねーだろ」
心当たりのないアキラは首を傾げた。
「いったい何に、どのような重大な影響があったのですか? 私が関係しているのなら、もっと早く声をかけてくれればよかったのに」
「そうは言ってもな、お前たちは忙しかったようだし」
リンウッドの眉間に皺が寄り、目が呆れまじりに細められた。
転移者たちの後始末を終えれば時間が取れると思っていたら、ハリハルタに出かけたきり帰ってこない。しかも六カ国ギルド長会議に出席するとかで国を出ると一方的に知らせてきたきりだ。やっと戻ってくるとかと思えば、三人はマイルズに誘われて迷宮都市に遠征を決めてしまったではないか。
そう恨めしげに言われて、三人はそっと視線を逸らした。
「まあ、アレ自体はそれほど急がなくてもかまわんと思うが、協力者のほうはな、急がねば間に合わんかもしれんぞ」
「協力者、ですか?」
説明するよりも現物を見せたほうが理解が早いだろうと、リンウッドはアキラを促して小屋に向かった。