07 帰還と生還
「……なんか、畑が変わってねぇか?」
アキラの結界を越え、木漏れ日を抜けて敷地内に踏み込んだコウメイは、懐かしい我が家の畑に違和感を覚えた。季節は初夏、若い緑が茂り、あちこちに裂いた夏の花は、風に揺れほほ笑んでいるようだ。
「それはほぼ二年ぶりなんだし、草木は変化しているんだ、同じなほうがおかしいだろう?」
「いや、そうなんだけど、そういうんじゃなくて」
違和感を無視できないコウメイはしきりに首を捻っている。
アキラは久しぶりの我が家の敷地をゆったりと眺めた。よく手入れされた赤ハギ畑や、夏の太陽を浴びてすくすくと育った青葉やさまざまな野菜の畝、遠くに見える果樹も結実した様子がうかがえる。野菜畑には鋼の人形が、赤ハギ畑の向こうには見回る軍馬がいた。二機のいる光景を懐かしいと感じるようになるとは、慣れというのは面白くて恐ろしいとアキラは小さく笑んだ。
「おー、カカシタロウ頑張ってんだなー」
一行を見つけて赤ハギ畑の間を駆けてくる軍馬と、野菜畑の収穫物をかかえてやってくる甲冑人形に、マイルズを背負ったままのシュウが大きく手を振る。
「元気にしてたかー?」
「ちゃんと留守を守っていたようだな、よくやった」
アマイモ三号もカカシタロウも、嬉しそうにアキラの前で立ち止まり、褒美をねだるようにそわそわとしている。魔武具らに残っている魔力量はずいぶんと少ない。命令に従い畑の管理を頑張っていたのだろう。アキラは二機にたっぷりと魔力を与えた。
全身に行き渡った魔力に酔ったように二機の体がふらふらと揺れる。それを見てシュウに背負われていた彼が、懐かしそうに呟いた。
「あいかわらず、懐かれているんだな」
「そりゃペットってのは飯食わせてくれるヤツに懐くからなー」
一緒に遊ぶのはシュウ、躾をするのはコウメイ、餌を与えるのはアキラと役割は別れている。そう言って背中を振り返ったシュウは、その弱々しい声とは裏腹に、穏やかでしっかりとした表情を確認してほっとした。
「ほら、もういいだろう。しっかりと仕事をしてきなさい」
アキラの命令と魔力をもらったアマイモ三号とカカシタロウは、再び敷地内の見回りと農園の管理に戻って行く。
赤ハギや野菜畑を抜け母屋に向かっていたとき、違和感の正体に気づいたコウメイが声をあげた。
「栽培面積が違うんだ!」
「え? 開墾されてんのか?」
「栽培してる植物の割当面積が違ってんだよ」
「……よく覚えていたな」
意味がわからないと首を捻るシュウ横で、アキラは奇妙に顔を歪ませている。
「赤ハギの面積が半分に減って、そこが丸芋畑になってんだよ」
「言われてみれば……?」
「よく覚えてたなー」
「農園管理者なら当たり前だ」
胸を張るコウメイを、前方から呆れ声が迎えた。
「二年も管理していなかったくせに、何を言ってるんだか」
「リンウッドさん!」
「たっだいまー」
結界を越えたのを感知したのか、あるいは彼らの声で気づいたのか、リンウッドが四人を迎えに出ていた。彼は三人には目もくれず真っ先に患者を労う。
「マイルズ殿、長旅で疲れただろう、療養の準備はできている。ゆっくりしてくれ」
「世話に、なります」
シュウに背負われた男は、情けないと苦笑いで頭を下げた。
「無理がたたりました」
「少しは自分の歳を考えなかったのかね?」
「ははは」
マイルズは力なく笑うが、その表情に悔いや未練はうかがえない。
アキラが知らせていたからだろう、リンウッドはコウメイのベッドをマイルズの療養用に整えて待っていた。しっかりと体を支える敷き布団に落ち着いた老冒険者は、ほぅ、と安堵の息を吐く。
「さて、まずは体を診よう。その後で迷宮都市での活躍を聞くぞ」
「活躍といえるほど、働けたかどうか……」
和やかに診察をはじめるリンウッドは、邪魔だとばかりに三人を寝室から追い出した。
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満身創痍の体を丁寧に診察したリンウッドは、呆れと感嘆の息を吐くしかなかった。
「無茶をしたな、普通ならとっくに死んでいるぞ」
「俺は普通の人族のはずだが」
「赤鉄のマイルズを普通の基準にはできんだろうが……普通の人族だと主張するのなら、なんでこんな無茶をした?」
主治医の咎める視線から、彼は恥ずかしそうに目を逸らした。
「昔からの願いを叶えたかったんだ」
「それが竜討伐かね?」
「討伐対象は何でも良かったのだが、竜なら最後の戦いに相応しいだろう?」
「……死ぬ気だったのか」
多少の驚きはあったものの、リンウッドはすぐに納得した。彼もかつては冒険者だったからわかる。戦いの甘美を味わえば味わうほど、冒険者は最前線へと向かってゆくのだ。敵は問わない者もいれば、戦争で勝者側に立つことを目的とする者もいるし、強い魔物にこだわり続ける者もいる。その誰もが戦いの何かに憑かれ命を賭ける。勝利に、あるいは戦いそのものに。
「彼らの前で死ぬ気だったのかね?」
マイルズも戦いの中に生き続けることに憑かれていたのだろう。だがそれだけではないと、リンウッドは患者の些細な変化も見逃さないようにと目を凝らす。
「あれらには残酷な仕打ちだな」
「思うように動かなくなった体を抱えて、若い連中が活躍するのを見ているのは惨めですよ。体は衰えても心はそうではない。己のプライドの高さには呆れるが、どうしてもこの感情は抑えられん。いつかは終わる命なら、戦いの中で果てたいと思った……」
「気持ちはわからんでもないが、連中を引き込むな。あれらは俺や貴殿と違い、まだ子どもだ」
何を言うと、マイルズは鼻で笑った。
「見た目はそうかもしれんが、実際はもう五十も半ばだろう。いつまでも甘やかしてはいかん。戦場や討伐で失い諦める経験は必要だぞ」
「もっともではあるが、それをマイルズ殿がする必要はないと思うがね」
それに、とリンウッドは傷だらけの老冒険者の手を取った。
「あれらは大事なものを失う経験をしておるよ。失う物が命だけとは限らん。マイルズ殿も見てきたはずだ」
リンウッドに指摘され、彼は故郷の火山を思い出して目を細めた。
「……そう、だったな」
「ああ、その上で諦めずに足掻いてたどりついたのが今の連中の姿だ」
「余計なお世話だったか……いや、俺があいつらを言い訳にしていただけか」
彼の目が動揺し震えた。
「そんなに奴らが羨ましいかね?」
「それは……」
老いてなお彼らのように戦いたいのかと問われ、マイルズは言葉に詰まった。握った上掛けが引き攣れて乱れる。
「……認めるのは癪だが、羨ましい」
「そうか」
「どこまでも強さを極められるあれらを妬み、老い衰えるしかない己が悲しかった」
「そうだな」
「ゴブリンを相手にあたふたしていたくせに、たった一晩で巣を殲滅させ、ナナクシャール島の魔物を余裕で屠るまでになったあいつらが誇らしく、同時に憎みたくなるほど妬ましい……せめて竜の討伐で己の力を見せつけてやりたいと……浅ましいものだな」
情けなく見苦しいと目を閉じたマイルズに、リンウッドは「そうか」と労るように繰り返し相づちを打った。
「死に目を見せて、傷を作りたかったか?」
「ああ……ああ、そうだ。俺はコウメイが許せなかったようだ」
友人エルフと同じ時間を過ごせる人族の若造が、羨ましくて憎い。その感情が胸を締めつけるのと同時に、脳裏には赤錆色の髪の相棒の姿が思い浮かび、マイルズは苦い思いを吐き出した。
「なぜ俺ではなかったのかと、心の底で思っていたようだ……いま気づいたよ」
「ずいぶん鈍いことだ」
「戦いに明け暮れて、己の内に気を配ることに慣れておらんのでな」
寂しげにほほ笑んだ老冒険者は、年齢相応に、一気に老け込んだように見えた。
「マイルズ殿」
リンウッドは自分の義手を外して彼の手に握らせた。接合部分で露わになっている魔石の色をあえて見せる。
「若返ることはできん。だが連中らの生き様を見届けることはできるが、どうする?」
「……リンウッド殿、それは、もしや……」
主治医の赤い両目が彼を見据えていた。
手に握らされた義肢の色と同じ瞳に今さら気づき、彼とコウメイの秘密を知った。
マイルズがリンウッドとはじめて会ったのは、火蜥蜴のスタンピードの直後だ。シュウに連れてこられた彼は、自分とそれほど変わらない年齢に見えた。だが今は自分の時間だけが十年も二十年も過ぎている。コウメイの若さにばかり目が行っていたが、リンウッドもまたマイルズが羨み憎む者と同類なのだ。
「どうする?」
重ねて問われ、マイルズは目を閉じた。
「……俺は迷宮都市に死ぬつもりで行ったのだが、連中といるとな、戦えなくても生きていたくなるから不思議だ」
物心ついたころから冒険者を目指し、成人してからはさまざまな討伐を楽しんできた。赤鉄の双璧を解散し、一度は引退を表明したころから、マイルズは戦えなくなったときが死に時だと決めていた。できるなら最後の瞬間も、赤錆色の相棒とともに戦いの中にありたかった。だがその願いは叶わない。
「命をかけて嫌がらせしてやるつもりだったのに、失敗して安堵している己もいる。憎いのにかわいいとは、ままならんな」
切ない告白を受け止めて、リンウッドは深くゆっくりと頷いた。
「マイルズ殿のそれは、父親の感情ではないかね?」
「あいにく子を持ったことがないのだが、そういうものだろうか」
「父の一面ではあると思うぞ。同じ道を歩む息子に追い抜かれた悔しさと、我が子の成長を誇らしく思う気持ちは、隣り合って存在することもある」
「リンウッド殿にはそのような息子がいるのかね?」
「……俺の息子はずいぶん前に死んだよ」
目を伏せたリンウッドは、忘れてはならないと言い聞かせている息子の顔を思い浮かべた。幼いころの姿や幸せそうに笑っている姿は、年月が経つごとにあやふやになるのに、最後に見た憎しみに染まった顔だけは今も鮮明だ。
「それで、どうするかね?」
振り払ってはならないその顔を飲み込んで再びたずねたリンウッドに、マイルズは問いを返した。
「俺は……あとどのくらいだ?」
「ここで療養に努めれば、数年というところだろう」
「そうか。魔力のない人族にしてはずいぶんと長生きしたものだな」
「命の長さは確かに魔力に左右されるものではあるが、それ以外の要因で短くもなるし長くもなる」
医者として多くの命を見てきたリンウッドの言葉に、マイルズはなるほどと短く頷いた。
「父親がいつまでも息子の側で口うるさくしていてはいかんだろう」
「……そうだな。だがこれまで馬鹿息子どもの尻拭いをさんざんしてきたんだ、老後の面倒くらいはさせてもいいと思うぞ」
コウメイもアキラもシュウも、それを嫌がりはしないだろう。
そうだといいのだが、と。マイルズはため息のようにほほ笑んだ。
「ではしばらくこの森でのんびりさせてもらおう。いよいよというときは、あいつらに見送ってもらうとしよう」
死闘の疲れが限界だったのだろう。彼は静かに目を閉じた。
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夕食の席に着いたリンウッドは、機嫌が悪かった。
夕食は柔らかいステーキに、バターと蜂蜜で整えた根菜の水煮と、ほくほくの丸芋が添えられている。バターと肉汁のしみた丸芋を前にしても彼の渋面はかわらず、食卓にそろった三人を叱りつける。
「まったく、マイルズ殿にも呆れたが、お前たちもだ。老人の無茶に全力で付き合うな」
「……すみません」
「悪ぃ」
「でもマイルズさん、すげー楽しそうだったんだぜ」
迷宮都市で竜と向かい合った老冒険者は、子どものように目を輝かせて戦いを楽しんでいた。老い先短い老人の最後の願いだ、なんて頼まれては止められるわけがない。
三人の言い訳を聞いたリンウッドは深いため息をついた。マイルズにそうまで請われては断われなかったのも理解できる。
「とにかく、よく生還してくれたよ。あの体で生きているのが不思議なくらいだ」
「おい、まさか」
「リンウッドさん!」
コウメイが身を乗り出し、アキラが思わず立ち上がる。息をのんだシュウの顔が強張る。
「薬が効いたからな、そんな急にどうにかなりはせんよ。だが彼は高齢だ……魔力なしでありながら、普通の魔術師並みの歳を重ねている。これ以上無理はさせられんぞ」
リンウッドの言葉を聞き、三人はほっと胸を撫で下ろした。マイルズが高齢なのはわかっていたが、つい先日まで普通に魔物を討伐し、若い冒険者を指揮してスタンピードの最前戦で戦っていたのだ。彼が老いるのはまだ先のことだと無意識に目を逸らしたくなっても仕方のないことだろう。
「……マイルズさんは、あと」
どのくらいか、と問う言葉を続けられなかったアキラは、悔しそうに唇を噛んだ。コウメイもシュウも、固唾をのんでリンウッドの返事を待っている。
「そんなものわからんよ。だがマイルズ殿は気力を失ってはおらん。死ぬ気のない患者を生かすのが俺の仕事だ」
なにしろ二十年近くも主治医としてマイルズの体を管理してきたのだ。病歴も負傷も全て把握しているし、彼が八十に手の届くこの年齢まで現役時代のコンディションを保ってきたのも、リンウッドが特別に処方した予防薬の効果があってこそだ。
「これでやっと人並みの老後だ、しばらくのんびりすると言っておったぞ」
数日休めば町の健康なご老人程度には動けるようになるだろうとの診断に、三人はようやく肩に入っていた力が抜けた。
コウメイは背もたれに体を預け、アキラは静かに椅子に座り直す。シュウはやっと食欲を思い出して、冷めてしまったステーキ肉を恨めしげに見下ろした。
「「「「いただきます」」」」