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やたら長い人生のすごし方~隻眼、エルフ、あとケモ耳~  作者: HAL
3章 ウナ・パレムの終焉

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04 雪花亭


 魔法使いギルドから見渡せる中央広場には、連日休みなく市が立つ。日によって異なる店が並ぶため毎日訪れても飽きることはない。コウメイは馴染みになりつつある野菜売りの農家や、朝どれ卵を売る店に、珍しい種類の豆を取り扱う商人と、気の向くままに買い物を楽しんだ。


「また値段が上がってるなぁ」


 毎日のように市場を歩いていれば価格の変化にはすぐに気づく。まだ三カ月しか暮らしていないのに牛乳の値段が上がるのはこれで五度目だ。


「兄さん冒険者だろう? 魔石を持っているなら支払はそれで頼めないかね?」


 難しい顔をして値札を見ているコウメイに、店主が媚びるように声をかけた。


「どの色でもいいんだ、小魔石一個でどうだろう」


 コウメイが買いたいのは今朝搾ったばかりの牛乳が十リル(2リットル)で百ダルだ。だが小魔石一個の時価額は五百ダル、流石に釣り合わない。


「このチーズもつけるから、な、頼むよ?」

「いやそれは」

「じゃ、じゃあバターも」

「待てって」

「頼むよ、この通りだっ」

「落ち着けって、ほら頭あげて!」


 魔石を盾に強請りを働いているとでも思われていそうな周囲の視線が痛い。


「俺は足元見てるわけじゃねぇよ。魔石がいいならそれで払うからさ、何でそんなに切羽詰まってんのか聞きたいんだ」


 コウメイに宥められて気持ちを落ち着けた店主は、切々と魔石が欲しい理由を訴えた。


「魔石がないと、乳を冷やす魔道具が動かなくなるんだよ」


 店主の村は酪農を営んでおり、共同で飼育している牝牛から搾った乳を近隣の街で売っている。傷みやすい生乳を冷却の魔道具をつけた樽で運ぶのだが、昨今の魔石価格高騰のおかげで崖っぷち、このままでは魔道具が動かせなくなりそうだと嘆いていた。


「村の貯蔵樽の魔道具にも必要だし、本当に困ってるんですよ……」


 こうして販売している間も常に冷却の魔道具を必要としているのに、店主が持っている魔石は現在使用中のものが最後の一個だ。


「契約冒険者はいねぇのかよ?」

「……すでに全員から契約個数は買い取ってしまったので」

「あぁ、取引上限に達しちまったのか」


 弱々しく頷いた店主は、上目づかいででコウメイに懇願した。


「魔石相場を考えれば牛乳では割に合わないと思いますが、なんとかお願いできませんか?」

「いいぜ。手持ちのはかなり小さめの小魔石だけど」

「ありがとうございますっ」


 コウメイが差し出したゴブリンの小魔石は、他領なら百ダル以下の値しかつかないのだが、店主はそれを拝むように頂いている。


「どうぞお受け取りください。牛乳十リルに、チーズとバターをそれぞれ一カレ(1キロ)です」


 チーズとバターは遠慮したコウメイだが、少しでも魔石の相場に合わせなければ困るのだといわれ、ありがたく受け取った。


「魔石不足も深刻だなぁ。商業ギルドで交渉したりしねぇのかよ?」


 ギルド同士の話し合いで魔石の融通をしてもらえないのかと指摘すると、店主は諦めきった顔で頭を振った。


「……領主様が魔法使いギルドに味方しているからね、逆らえないよ」

「お偉いさんの後押しを受けて、魔法使いギルドは何やってんのかね。それが分かれば何か手を打てるだろうに」


 あきれ顔でコウメイがそう言うと、店主は周囲をうかがい声を潜めた。


「商業ギルド長からは、我々にも恩恵のある魔道具の開発に使われているのだから我慢してくれと言われて」

「へぇ……具体的にはどんな恩恵なんだ?」

「下っ端になんか教えてくれませんよ。でもそれが実用化されたら商人には必須の魔道具になるはずだから、今は堪え時だと説得されてしまって……」


 だがその堪え時がもう何年も続いていており、しかもいつ終わるのかもわからないのだ。店主には開発中の魔道具への期待はすでになく、今の商売を潰さないように日々の綱渡りで頭はいっぱいのようだ。


「なんか、悪いこと聞いたな」

「いいえ、村の仲間も商人の友達も、愚痴を聞くことに飽きていて、こうやって話を聞いてもらえるだけで私の気持ちも楽になりました」


 思いがけず手に入れた乳製品と情報をひとまず住処に持ち帰り、それぞれに適切な処理をしてから再びコウメイは街に出た。こんどの目的地は輸入食料店だ。香辛料や調味料を目当てに頻繁に通っているので、店員ともずいぶん親しく話すようになっている。


「その話は聞いたことがありますけどね」


 乳売りに聞いた「商人必須となるであろう恩恵をもたらす魔道具」の話は、こちらの店員も聞いたことがあるようだった。


「もう期待なんかしてませんよ。何年たっても音沙汰なしですし」

「魔石不足は深刻だよな。扱ってる商品によっちゃ魔道具が動かなきゃ廃業に追い込まれることもあるんじゃねぇか?」

「そうですね……ここ数年で廃業した商家をいくつも知っています。魔道具に頼らずに何とか続けているところもありますが、どうしても商いの規模が小さくなりますから、解雇される従業員も増えました」


 何処の商家も新たな従業員を雇い入れる余裕はなく、紹介状を持っていても店員として再就職できる者はほとんどいない。働き口を見つけられなかった者たちは、親戚や故郷を頼って街を出るか、冒険者として日銭を稼ぐことになる。


「最近、歳くった駆け出し冒険者が増えたらしいのは、そう言うことだったのか」


 コウメイは購入した調味料の包みを受け取って、どんよりとした表情の店員と別れた。


   +++


 職人街で色々な親方の仕事を眺め、雑談に情報収集を潜ませて時間を潰し、良さそうな親方の店で金型を注文したコウメイは、五の鐘の音で職人街を出た。


「雪花亭だったよな、確か」


 道行く人にたずねてたどり着いたのは、素朴で地味なたたずまいの小さな店だった。看板も控えめでそこに店があると知らなければ気づかず通り過ぎてしまうだろう。


「隠れ家的飯屋って感じだな」


 ちょうど出てきた客と入れ違いに店内に入ったコウメイは、香辛料の匂いに迎え入れられた。


「いらっしゃい、初めての方ね? まずはこちらでお料理を買ってから、席を探してちょうだいな」

「その前に、そこで手を洗っても?」


 扉の左手に大きな水瓶があり、半開きの蓋の上に桶と柄杓が置かれている。カウンターの小さな老婆がにっこりとして頷いたので、コウメイはそこで手の汚れを落としてから店内へと進んだ。昼の時間のせいか空席は無いようだった。


「うちの店は定食しかないの、それとお酒は出さないのだけど、いいかしら?」

「大丈夫、とても美味しい料理だったと仲間から聞いて楽しみにしてきたんです」

「あら嬉しいわ、さあどうぞ」


 コウメイは盆にのせられた定食に五十ダルを支払い、ちょうど客が立ちあがった壁際の席に着いた。「いただきます」と手を合わせると、視界の隅で老婆が怪訝そうに首を傾けるのが見えた。


「肉巻きの中は、丸芋とボウネだな」


 同じ太さに切り整えられた丸芋とボウネを、薄切りにした魔猪肉で巻いたものが蒸し焼きにされていた。肉汁を使ったソースは濃厚でパンにつけても美味い。衣をつけて揚げたアカハラ魚はサクッとした衣の食感と、赤殻の実(トウガラシ)を使った下味が利いている。エレ菜とピリ菜のサラダは植物油と酢のさっぱりとしたドレッシングで、濃厚な料理の口に直しにぴったりだ。


「美味いが……これ、こっちの料理じゃねぇよな」


 こちらの世界にも油で揚げる料理法はあるのだが、そのほとんどは素揚げであり、衣をつける料理法は一般的ではない。しかも油は料理以外にも石鹸やろうそく、軟膏などにも使われるため、一度に大量に使う揚げ物料理は経済的ではないと避けられている。


「これ、竜田揚げだ」


 魚身に下味をつけハギ粉をまぶして揚げてあるこれは、間違いなく転移者の知識が入っている。そう確信したコウメイが横目で伺うと、厨房の入り口から頑固そうな白髪の老人が警戒した様子でこちらを見ていた。


「回りくどくいくよりも、正面から当たった方がよさそうなタイプだな」


 最後の竜田揚げを食べ、皿に残った肉巻きのソースをパンで拭って食事を終えたコウメイは、盆をもってカウンターへと向かった。


「ごちそうさまでした、すげぇ美味かった」


「それは良かった」と目を細める老婆の後ろで、老人は何か言いたげに見ている。コウメイは料理についてたずねてみた。


「この竜田揚げ、衣はハギ粉だけじゃねぇだろ?」

「……よくわかったな」

「そりゃ衣の食感が違うから分かるぜ。俺は片栗粉を混ぜて使ってるが、爺さんのは何使ってるんだ?」

「濁り粉だ。ふん、あの若造どもは違いに気づかんかったがな」


 コウメイの舌と知識に驚き、老人の頑固に吊り上がった眉から力が抜けた。


「あんた、マサユキと同郷か?」

「マサユキってのと面識はないが、竜田揚げを教えたのがそいつなら、多分同郷だ。そいつ料理人なのか?」

「いや、あいつらは作る方はからっきしだ」


 故郷の味が忘れられないと泣き言をいうマサユキらに同情したのもあるし、料理人としての好奇心が勝ったともいえる。老人は彼らからさまざまな料理を聞き取っては再現を試みたが、説明はあやふやだし材料もはっきりしない。謎解きをしながら試行錯誤していくつかをやっと再現したそうだ。


「ハンバーグと唐揚げ、トンカツのおかげで店は繁盛しているぜ」

「爺さんの腕がいいからだぜ。美味い飯じゃなきゃ客はつかねぇよ」


 コウメイは身を乗り出してたずねた。


「アカハラの下味に使ってた隠し味、あれはマサユキってやつが教えたんじゃねぇだろ?」

「あれに気づいたのか」


 老人は嫌そうに顔をしかめた。味の分かる客は良客だが分かりすぎる舌は警戒の対象だ。


「赤殻の実を使った調味料だってのはわかるんだが、ただ辛いだけじゃねぇし、最初に甘味がきてその後に辛さが広がっていく感じがな、乾燥赤殻の実っぽくねぇんだ」

「……お前、何処の料理人だ」

「冒険者だ。料理は趣味」

「趣味でそこまで分析されちゃかなわんな」


 こい、と老人はコウメイを厨房に招き入れ、貯蔵庫の奥から小さな壺を取り出した。油紙の蓋を取ると、赤殻独特のツンと刺すような刺激が鼻腔に届く。壺の中にあるのは赤茶色のペーストだ。


「俺の料理の隠し味はこれだ。故郷の山奥で三年かけて作られる赤殻の実のソースだ」


 味見してみろとスプーンですくい出したそれを、コウメイは指先にほんの少しだけ取って舐めてみた。最初に甘味がきて、そのあとに赤殻独特の辛味が残ったが、乾燥させて粉末にしたものよりずっとまろやかで刺激が少ない。店では売られていない調味料だ、欲しい。


「これ、ちょっと分けてもらえねぇかな?」

「いいぞ」

「え、いいのかよ」


 ダメもとで言ってみのだが、即答で逆に驚いた。


「ただしお前の知っている故郷の料理の作り方と交換だ」


 そう言って老人は棚から紙の束を取り出してコウメイに手渡した。促されてページをめくり読んでみたが、これは老人が苦労するはずだと苦笑いするしかなかった。書き込まれているのはカレーライスにハンバーグ、ポテサラ麻婆豆腐ドリアに唐揚げソーセージ、ラーメンにギョーザとチャーハンといったファミレスメニューばかりだ。


「あいつらは食ったことはあっても料理したことねぇらしくてな、どうにもわからんものが多すぎる」


 ハンバーグと唐揚げは完璧にものにしていたが、餃子は試行錯誤の途中らしいし、ラーメンはスープの段階で頓挫しているらしく「トンコツトリガラギョカイケイミソショウユバター」と謎の呪文としか思えない記述を見て噴き出しかけた。ポテトサラダはマヨネーズづくりの時点で頓挫しているし、カレーに至っては「かれーるーとは?」と完全にお手上げ状態だ。


「ええと、この感じだと餃子とソーセージは形になりかけてるみてぇだな。あとポテサラもマヨネーズが完成すればいいだけだな」

「作れるのか?」

「ああ、材料さえあればそんなに難しくねぇよ」

「教えてくれ!」

「いいけど、俺も色々と教えてもらいてぇことがある。例えば……魔法使いギルドとマサユキの関係とか?」


 料理のレシピが解明されると興奮していた老人は、交換条件を聞き夢から醒めたように目を見開いた。コウメイが入店した時に感じとった違和感を思い出し頬が引きつる。


「……お前は、何を探りに来た? 昨日の魔術師の仲間か? あいつらをどうするつもりだ」

「どうするか決めるために探りに来たんだよ。それに昨日の髪の長いのは薬魔術師だ。俺もあいつもここの魔法使いギルドとは無関係だ」


 マサユキを守ろうとする意思と魔術師に対する強い警戒心と嫌悪。老人たちとマサユキは相当に親しいようだ。


「名乗ってなかったな、俺はコウメイ。三カ月前に仲間とともにこの街にきた。昨日ここに来てたのは薬魔術師のアキラで、もう一人冒険者やってるシュウってのがいる」


 厨房の出口に背を向け、真正面から鋭く老人を見据えた。


「自己紹介はしてもらえねぇのか?」


 危険だ、と長年冒険者たちを相手に商売をしてきた老人の勘が騒いだ。コウメイの背後には客席があり、年老いた妻がいる。彼が意図しているかはわからないが、人質に取られたのも同然の立ち位置だった。


「……ジェフリーだ」


 諦めの息を吐いて名乗った彼は「何が聞きたいんだ?」と無理やりに愛想笑いを作った。


「そんな顔すんなよ、俺が悪人みてぇじゃねぇか」


 肩をすくめたコウメイは、厨房を見渡して奥に見える食糧庫を指さした。


「作りながらにしようぜ。材料を見せてもらっていいか?」


 そう言うとジェフリーに出入り口を譲るように回り込んで食糧庫の扉を開けた。飯屋の保存庫だけあって、蓄えられている野菜も新鮮だし、肉も何種類か揃っていた。


「卵と植物油と酢、レト菜と紫ギネと、魔猪肉を借りるぜ」


 振り返るとジェフリーは出入り口を塞ぐように立ち、背後に妻を庇いながらコウメイの動きを目で追っている。


「爺さん、店の方はいいのか?」

「……ああ、客は全員帰った」


 新しい客を断り、食べ終えた者を早々に外へ出したらしい。少し脅し過ぎたなと反省したコウメイは「一緒に作ろうぜ」とジェフリーを誘った。


   +


 ジェフリーがマヨネーズづくりを失敗したのは、マサユキらの書いた材料が原因だった。


「卵は全卵じゃねぇんだ、卵黄だけ使うんだよ」

「自信満々に言うから信じたんだが……」


 正しい材料さえわかればマヨネーズは実演する必要はないだろう。コウメイは餃子の材料を老人の前に置いて、みじん切りにするように指示を出した。包丁を手にした老人は、わずかに迷った後、敵意を切っ先とともに向けた。だがコウメイは殺気に反応するでもなく、大きな団子のようになったハギ粉を押し練り続けている。


「マサユキたちがこの街に来たのはいつ頃なんだ?」


 殺気に動じない彼は、自分の反撃などたやすく跳ね返すのだろう。マサユキらとは違う、そう悟り諦めた老人は、包丁をレト菜とヨルナガに向けた。


「ちょうど雪が積もりはじめたころだったな、もう八年か九年になるな」

「それって魔石の独占がはじまった頃じゃねぇか?」


 マサユキらの関与を仄めかされたと思ったのか、ジェフリーが慌てて首を横に振り否定した。


「領主様が公布したのは七年前の春だ。それにマサユキは最下級の攻撃魔術師だ、ギルドの研究者どもとはかかわりねぇはずだ」


 ザクザクとレト菜を刻む音が微妙に乱れていた。グレーだなと頭の中だけで呟いて、コウメイは質問を変える。


「爺さんの目から見て、魔法使いギルドはどういう組織だ?」


 気が進まないという雰囲気で渋っていたジェフリーだが「個人宅の建物内まで監視されてるわけじゃないだろう?」と促すと、渋々に語りはじめた。


「この街は見ての通り、魔法使いギルドとともに発展した街だ」


 ウナ・パレムは大陸に点在する魔法使いギルドの中では二番目に古く、熱心な魔術師たちによって多くの魔道具や魔術式が開発される、研究に特化したような組織だ。活発な研究発表に引かれて各地から魔術師が集まり、ギルドが大きくなるのと比例して街も発展した。


「転機は、二十年ほど前に発表された画期的な魔術式だった」


 ウナ・パレムの魔術師によって省魔力化の魔術式が開発されたのだ。それにより魔道具は一気に庶民にまで普及した。ジェフリーの説明を聞いて、借りている家に備え付けられている魔道オーブンやコンロを思い出したコウメイは、なるほどと納得していた。


「確かに、前に使ってた魔道具に比べて魔石交換の頻度は半分以下に減ってるな」


 日々活用している魔道コンロの消費魔力の少なさには驚いたものだ。


「省魔力化で維持コストは下がったし、機能を単純化することで魔道具の製作費用も下がった。わずか一年で魔道具はわしらの生活に馴染んだよ」


 多くの魔術師が魔道具を作り、メンテナンスを担い、冒険者たちは魔石を持ち帰って売る。魔道具が一般家庭にも普及するのと同じ勢いで経済も成長していった。


「だが……この六、七年ですっかり様変わりしてしまったな。これからも魔法使いギルドを中心に街が発展を続けると思っておったんじゃが」


 魔石の独占がはじまると価格が高騰しはじめた。庶民の買える値段ではなくなると、人々は魔道具の使用を最小限にとどめるようになった。ギルドは新たな魔道具の製作を止め、修理も断るようになった。経済的理由だけでなく、故障で魔道具を使えなくなる家庭も多かった。だが、商売や仕事に魔道具を使わざるを得ない人たちはそうはゆかない。

 乳売りの困窮ぶりを思いだしたコウメイは、捏ねていた餃子の皮に八つ当たりのように力を込めた。


「ギルドは何で魔石を貯め込んでいるんだろうな」

「知らん」

「市場じゃ、商人が恩恵を得られる魔道具の開発のためだって話を聞いたぜ」

「……ただの噂だ」


 わずかに視線を逸らした老人は野菜のみじん切りを終え、魔猪肉を叩きにかかった。苛立ちをぶつけるようにして包丁を叩きつけている。彼が嘘をついているのか、本当に知らないのか、その表情からは判断がつかなかった。


「急激な方向転換のきっかけは何だと思う?」


 それまでは広く庶民にも魔石消費を促す方針だったのが、一転して領主とギルドが独占するようになった。方向転換が急すぎると、当時の人々は感じなかったのだろうか。そうたずねたコウメイに、彼は魔術師と権力者の考えなど知るかと吐き捨てた。


「派閥争いとか、トップの交代とか」

「魔法使いギルドの所長任期は十年だし、今の所長は二期目だ」


 つまり人が変わったのではなく、トップの考えが変わったのだ。だとしたら何がきっかけでこれほど変貌してしまったのだろう。コウメイはひき肉と野菜を捏ねながら考えに沈んでいた。指示された作業がなくなったジェフリーは、コウメイの表情を探り見て問うた。


「お前らは、この街に何を探りに来た?」


 粘りの出た種を渡すと、その状態を確かめた老人は眉間に力を込めた。マサユキらから教わった工程とはずいぶん違う。ジェフリーは種のはいったボウルを脇に寄せ、麺棒で皮を伸ばしはじめたコウメイの手元を一瞬たりとも見逃すまいと凝視する。


「マサユキに近づく目的は何だ? 彼らをどうするつもりだ?」

「どうもしねぇよ。俺らはただ調べものをしてるだけだからな」


 ミシェルの判断で目的のものを「破壊」することになるとしても、マサユキが妨害しなければ問題はない。それを言うかどうか迷ったことで、コウメイは自分がソレを破壊する気になっていることに気づいた。仕事とはいえ違法行為に手を染めるのは気が進まなかったのだが、魔石不足のために困っている人々を見ていると、破壊するのも悪くないと気持ちが傾いているようだ。


「ま、いいか」

「何がだ?」

「ああ、爺さんもやってみろよ」


 コウメイは笑顔で誤魔化し、麺棒を手渡した。流石に料理人だ。二、三度練習しただけでコツを掴んだジェフリーは、餃子の皮を次々と作り上げていった。皮作りを老人に任せたコウメイが餃子を包みはじめると、今度はそちらの作業に見入りはじめた。やってみるか、と細ヘラを手渡すと、コウメイの手元を観察しながらゆっくりと手を動かし、少しばかり歪な餃子が出来上がった。二人はそのまま無言で餃子を作る作業に没頭した。作業台にずらりと並んだ餃子を見て「作り過ぎたな」と呟いたコウメイに、ジェフリーが「この後はどうするんだ」とせっついた。


「後は焼いて完成だ、カマドとフライパンを借りるぜ」

「火の扱いにコツがいる、待ってろ」


 ジェフリーが落としていた火を大きく育てる。コウメイはフライパンに餃子を十個ほど並べた。火加減を調節してもらい、焼き上げて皿にのせてテーブルに置いた。


「これがギョーザ」

「餃子、な。食ってみてくれ」


 老人は食堂にいるメリルを呼んできた。「まあ、これがギョーザなのね」と程よく焦げた餃子に顔を近づけた老婆は、興味津々に匂いを嗅いでいる。ジェフリーが一つを口に放り込んだ。熱かったのだろう、うっと呻いて顔を顰めた後に、ゆっくりと咀嚼したのだが、その表情がどんどんと険しくなっていった。


「あ、悪い、タレを作ってなかった」


 味見をしようとして気づいたコウメイが席を立とうとするのを老婆が止めた。


「ちゃんとお味がついていますよ。肉汁が本当に美味しいわ」

「餃子にあうソースは俺が作る」


 老人は何か閃いたようだった。タレは好みがあるし、材料の問題もあるからジェフリーの好きにしてもらおう。


「約束の赤殻ソースだ」


 帰り際、拳ほどの小さな壺を手渡された。コウメイとしては餃子の作り方は情報料のつもりだったので、秘伝のソースを期待していなかったのだが。


「いいのかよ?」

「お前なら下手な使い方はしねぇだろうからな。それにまだソーセージを習わなくちゃならん」


 授業料の前払いだと不敵に笑うジェフリーからは、コウメイに対する警戒が消えていた。


「……余計なことかもしれんが、魔法使いギルドには近づくな。囚われるぞ」

「それはマサユキのことか?」


 老人は静かに頷いた。


「あの頃のあいつは警戒も疑心も中途半端だった。そのせいで今苦労している……できれば助けてやって欲しい」

「詳細を喋る気はねぇのに、頼み事かよ」

「アイツらの失態をワシが勝手にしゃべるわけにはいかんよ」


 本人が「助けてくれ」とジェフリーに言った事はない。だが見ていればわかる、マサユキらは助けを求めているのだ。


「この街の人間にはマサユキを助けることはできんのだ、頼む」

「その気のない奴を無理やり助けるわけにはゆかねぇだろ」


 引っ掻き回した後ろめたさはあるが、お節介は難しいだろう。頼りなく見えても彼らだって一人前の大人なのだ。彼らのプライドを踏みにじるような救済は余計なお世話になりかねない。


「そうか……そうだな」


 ジェフリーは首の後ろを掻きながら、ワシも齢を取ったな、とぽそりと呟いた。



料理しかしてない…

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