05 火竜と火蜥蜴
罠を停止させた横穴は、緩やかな高低はあれどとても歩きやすい道だ。一鐘も歩いたところで、起点となった魔術陣の罠にたどりついた。
「この罠は停止してねぇんだな」
「鉱族が作ったものではないのでしょうね」
では誰がとは聞くまでもない。
五人は無作為転移の罠を避け進み、迷宮の戦いを観察できる位置で足を止めた。影に身を潜めてのぞき見たどこかの国の討伐隊の戦いは、手も足も出せず蹂躙される直視の辛い惨状だ。
隅に打ち棄てられている負傷兵を見て、マイルズが最初に気づいた。
「この前と違う兵士服か」
「三日の間に入れ替わりがあったみてぇだな。あれはオルステイン兵だ」
「サンステンの兵士服もいますよ。何故迷宮に……」
つい数日前まで滞在していた街で見かけた兵服に気づいたアキラは、見間違いであってほしかったと顔を歪めた。どうやら火竜の出現が確認できて以降、各国はそれぞれの同盟国に共闘を持ちかけ、戦力を増強していたらしい。
「ひでぇ有様だな」
感情的に嫌悪を覚える国の討伐隊とはいえ、無駄に命が散る様を笑うほど彼らは腐ってはいない。
コウメイは眼帯を外した。手袋の具合を確かめ、柄を握る。
大剣を抜いたシュウが、動きの邪魔になる鞘を岩壁に立てかけた。
薄紫のローブをまとったアキラは、萌芽の杖を右手に、紫魔石の杖を左手に持った。
雷花の杖を飾るたくさんの金と銀の輪が、ミシェルの動きに合わせてシャラシャラと鳴る。
「さて、はじめようか」
マイルズが剣を抜き、静かな号令を発した。
+
雷撃が鉄柵を破壊した。
同時にシュウが飛び込み、進路を阻む火蜥蜴を蹴散らす。
開かれた道をアキラが駆け、火竜の腹の下へと滑り入る。
ミノタウロスの杖を床に突き立て、ありったけの魔力で全方位へと風を噴き放った。
「爆旋風」
アキラを中心にした渦を巻く爆風は、火蜥蜴ごと連合兵団を壁へと押し飛ばす。
二人の動きを確認したミシェルが、脱いだマントを地に広げたかと思うと、それに乗って宙へと浮かびあがった。
「空飛ぶマントに改造してたのかよ」
「わたくしは上空で待機しているわ。あとは任せたわよ」
火竜のはるか頭上に浮かんだ彼女が、雷花の杖をシャラン、シャランと振り回すたびに、美しく残酷な雷撃の花が地上に落ちた。
最初に落ちた雷撃は迷宮の壁際、次は石床、その次は、と火竜を中心に範囲を狭めてゆく。
「いかん、閉め出されるぞ」
「やべぇ、間に合うか!?」
マイルズとコウメイは雨のように降る雷撃を避け走った。
ビリビリと空気が痺れ、雷撃をすり抜ける二人の肌に痛みを残す。
雷撃の檻が完成する寸前に、マイルズとコウメイは魔法陣の内側に滑り込んだ。
「アキ、もう一度だ」
「足場を確保する」
コウメイの声で再び風魔術を放った。
最初の一撃で排除しきれなかった負傷兵や冒険者の遺体を、火蜥蜴ごと雷撃檻の外へと押し出す。
「くるぞ!」
火竜の腹の下から抜け出た二人を、炎の息が襲う。
コウメイの声よりも先に、シュウがアキラを抱えて飛び退っていた。
炎の息に嬲られたシュウの上着の裾が焦げ、灰色の煙があがる。
シュウはアキラを降ろして火を叩き消し、上着を投げ捨てた。
「アキは攻撃に集中してろ」
駆け寄ったコウメイが、噛みつこうとしていた火蜥蜴を一刀で斬り捨てた。
「氷矢」
火竜の頭部を狙った魔術は、刺さる直前に火の息で蒸発させられた。
だが意識は逸らせられた。
その隙に火竜の背後に回り込んだシュウが、背中へと飛び乗る。
「熱ぃーっ」
普通の呼吸ですら熱風、表皮は焼けた鉄板のような灼熱だ。
熱で靴底が焼ける寸前に跳躍し、狙う着地点に凍結魔術玉を投げつける。
魔術が弾けた瞬間に鱗が白く変色した。だがすぐに火竜の体温で溶けもとの炎色に戻る。溶岩を冷やし固めた魔術玉よりも威力を高めているが、火竜の表皮を凍らせるには至らないようだ。
「アキラ! 喉だ!」
「氷柱!」
シュウが背中と後ろ首を移動し挑発している。
火竜が仰け反るタイミングを狙い、巨大な氷の柱をその喉に突き刺した。
見る見る間に氷柱が溶けてゆき、同時に傷も塞がりはじめる。
「早えーっ!!」
シュウは刺さった氷ごと火竜の喉を斬りつけた。
悲鳴のような咆吼が空に向けられる。
火竜の口から炎の柱が立ち、上空にいるミシェルをかすめた。
流れ弾への報復とばかりに雷撃が降る。
「いでえっ」
その一つがシュウの尻に落ちた。ピリッと感じる程度の威力だったのは、もっとしっかり戦えと尻を叩く意味合いだからだろう。
「アキラ、連続だ!」
「氷柱、氷柱、氷柱!」
シュウが斬り込む喉、そしてマイルズが挑む左の後ろ足にむけて、アキラは尖らせた氷柱を重ねて撃つ。火竜の尾を避け後ろ足に挑むマイルズを炎から守り、群がる火蜥蜴に風刃を撃ってコウメイを援護し、足を踏み外して落ちるシュウを風圧で受け止めと忙しい。
「両手が塞がるのは不便だな」
魔力回復薬を飲まねばならないのに、左右の手にある杖は休む間がない。試しに右手で二本の杖を持ってみたところ、ミノタウロスの杖の働きが鈍くなった。落ち着いたら対策を考えねばと思いつつ素早く魔力回復薬を飲み干す。
氷柱が火竜の足関節に穴を開ける。
シュウを見習って氷ごと皮を斬ったマイルズは、その手応えに感嘆の声を上げた。
「さすが鉱族の鍛えた剣だ」
もとより抜群の強度と切れ味を持っていた剣は、熟練職人の手入れによりさらに性能が高められていた。
これまでも手応えが己の体の一部のように伝わる名剣だったが、モルガに手入れされた今は、氷を砕いたときのひび割れる力の方向や、竜の皮が抵抗する重み、それらの感覚が直接触れて感じたように伝わってくる。
戦っている間にマイルズの中で、剣に力を込めるタイミング、粘るべき時間、あるいは引くべき瞬間の判断精度が増していった。
「それでも竜の修復力には追いつかんか」
巨大な氷の刺で開けた穴を広げようと、尾の攻撃を避けつつ合間なく斬りつけているのに、火竜から放たれる熱からほんの一呼吸ほど顔を背けただけで、飛び散る火花から目を守ろうと瞼を閉じたわずかな間に、斬り広げたばかりの傷口が癒えてゆくのだ。
火竜の関節に刺さった氷柱が溶けはじめる。
少しでも長持ちさせようと凍結の魔術玉を投げつけた。
次の氷柱はまだかとアキラを探せば、彼は自身に集る火蜥蜴から身を守ろうと、複数の風刃を周囲に巡らせていた。
アキラはたった一人で、縦横無尽に動くシュウや、ぞっとするような気迫で火蜥蜴を蹂躙するコウメイ、そして尾攻撃に阻まれ苦戦するマイルズの三人を支援している。
「そんなつもりではなかったが、頼り切っていたようだ。誘った俺がこの体たらくでは情けなさすぎる」
魔術が間に合わないとアキラを責めるのは、自分の不甲斐なさを吹聴するようなものだ。
マイルズは利き手の剣をあらためて握り直した。腰鞄から魔術玉を選び、目の前の火竜の足関節を睨み据える。
火竜の熱で氷が溶け、再び癒えはじめる傷口に魔術玉を押し込んだ。
そして剣先で魔術玉を肉の奥へと突き入れる。
火竜の足の内で氷礫の魔術玉が破裂した。
ゴオォ――、と悲鳴まじりの炎が迷宮の岩壁を焼き、炎をまとった尾が痛みを与えた諸悪を打ち潰そうとする。
炎尾を避けようと身を翻したが、老いた体は思うようには動かなかった。
遅れた左足が炎尾に弾かれマイルズの体が浮く。
彼の落下地点に火蜥蜴が投げ込まれた。
火蜥蜴の上に落ちた彼は、錬金薬の瓶を握り潰し砕けた足首に振りかける。
「あれを避けきれんとは、俺も老いたな」
運良くクッションになった火蜥蜴を剣先で突き屠って立ち上がり、回復薬を一気飲みして新たな魔術玉を掴み取る。
「だが、まだやれる!」
己を奮起させるように声を張り上げたマイルズは、再び火竜に向かっていった。
+
雷撃の外に追い出された合同討伐隊の表情が、戦いから閉め出された怒りから、派手な攻撃魔術への驚き、そしてわずか数人で火竜に傷を負わせる戦いへの感嘆へと変化していた。自分たちでは傷一つつけられなかった火竜に、わずか数人でここまで戦えているのだ、勝てるかもしれない、いやきっと勝つだろうと、拳を握って前のめりに戦いを見ている。
彼らは突然戦場を奪っていった魔術師と冒険者に、失った多くの同僚の敵討ちを期待しはじめた。
雷撃檻の近くにいるアキラは、視界にチラつく彼らの楽観と期待の顔に苛立ちを覚えた。
火竜との戦いははじまったばかりだ。
確かに彼らよりは有利に戦いを進めている。だがシュウの腕力と剛剣の切れ味をもってしても、火竜の首は簡単には落とせない。
長引けば長引くほど戦況は不利になってゆくのだ。
「物資が底を突く前に弱らせないと……」
喉と後ろ首に狙いを定めるシュウを援護して、アキラは巨大な氷柱を撃ち続けた。
炎の息を避け、降り注ぐ火花を払い散らして、狙いやすい場所に移動する。
しだいに安定した足場が少なくなってきた。
爆旋風で一掃した石床に、新たな火蜥蜴が増えている。湧き出す端からコウメイが屠っているが追いつかないのだ。囲まれたコウメイを援護しようと魔素溜まりに目をやり、既視感を覚えた。
「か、風刃」
あの火山で見たのと同じだ。
溶岩とともに火蜥蜴の流れ出る火山にいるかのような錯覚。
忘れているはずの右脚の激痛がよみがえり、彼の体がすくみ震えた。
「……ひ、氷柱っ」
思わず目を閉じていた。
火竜の足を狙った攻撃魔術は大きく逸れ、対面の岩壁に突き刺さる。
ひび割れた岩壁が剥がれて落ちる音で我に返った。
視線を床から火竜へと移す。
火蜥蜴の姿を視界から外すと、その存在はペタペタと床を這い走る足音だけになった。火山では聞かなかったその音が、少しだけアキラの動揺を落ち着けた。
「風刃!」
迫りくる足音を狙って、一度に十を越える風刃を放った。
火蜥蜴の気配が減ったのを感じ取ってようやく戻した視界を、老冒険者の体がかすめた。
「マイルズさんっ!!」
火尾に弾き飛ばされたマイルズが叩きつけられようとしている。
風圧のクッションを作ろうと杖をかざすが、間に合いそうにない。
「アキ、どけ!」
反射的に飛び退いたアキラの横を、火蜥蜴が滑り抜ける。
アキラよりも先に気づいていたコウメイが、火蜥蜴を蹴り飛ばしたのだ。
ギリギリで間に合った火蜥蜴の上に落ちたマイルズは、流れるような動きで錬金薬を使い、火蜥蜴を屠って火竜に戻ってゆく。
アキラは己の不甲斐なさに唇を噛んだ。
コウメイのフォローが間に合わなければ、頭から石床に落ちたマイルズは無事ではいられなかっただろう。
アキラはミノタウロスの杖に最大限の魔力を込める。
二度と失態を演じてなるものか。
「――氷柱!」
マイルズの踏み込みに合わせて、アキラは特大の攻撃魔術を放った。
+
石床を覆い隠すほどの火蜥蜴を見た瞬間に、コウメイは怒りに我を忘れた。
シュウとマイルズがまっすぐに火竜に向かってゆくのを横目に、彼は真っ先に火蜥蜴を斬った。アキラが一掃した後も後から後から湧いてくる火竜の眷属を、目につく端から斬り殺す。
背を踏みつけると火を吐き、蹴り転がして腹を割くと火花が散る。
噛みつこうとする口に、同胞の死骸を突っ込んだ。
死骸に刺さった牙は鋭く、物言わぬ同胞の肉をいとも簡単に引き裂く。
「こうやって食ったんだな?」
怒りのまま、同胞の肉を食む火蜥蜴を真っ二つに斬り割いた。
剣を握る手に魔力がこもり、青い輝きを放った刃の切れ味が増す。
コウメイの怒気に恐れをなしたのか、火蜥蜴は彼を避けるように這い逃げた。
「……手応えがねぇ」
しなる尾の攻撃を飛び越え、ゴツゴツとした背に乗って剣を刺す。
大きく開いた口へと狙いを定め、そのまま尾に向けて二枚に裂いた。
コウメイは落胆していた。
火山やマグマで強化されていない火蜥蜴は、こんなにも弱かっただろうか。
「こんなんじゃ報復にならねぇぜ」
今度こそ火蜥蜴を殲滅してみせると意気込んでいたのに、潮が引くように気持ちが醒めてゆく。
けれど止めようとは思わない。
逃げる火蜥蜴を追いながら、仲間の位置を確認する。
シュウの動きには余裕があり安定していた。マイルズも安全域を守って堅実に戦っており不安は感じない。三人を支援するアキラは、素早くそれぞれの状況を確認しては、連続であちこちへと魔術を放っている。
火蜥蜴の群れに飛び込んだコウメイにも、風刃の支援が向けられた。
「俺はほっといていいのに」
火竜の眷属ごときに後れを取るほど頼りにならないと思われているのだろうか。情けない思いでアキラを振り返れば、青ざめ引きつった顔が見えた。
アキラの目線が高い。
火蜥蜴を視界に入れないようにしているのか。
まずい、と思った直後だ。
氷柱が狙いを外した。
マイルズへ打ち付けられる火竜の尾を見て、コウメイは目の前の火蜥蜴をまとめて蹴った。
老いていてもさすが一流の冒険者だ。マイルズは即座に体勢を立て直すと、火竜の足関節の傷が塞がる前に重く鋭い一刀を入れる。
一呼吸遅れて放たれた氷柱を誘導するように鱗と表皮を斬り割いた。
「アキ、大丈夫か?」
自分の周囲から火蜥蜴を追い払ったアキラは、酷く息を乱していた。
歯を立てていたのだろう、唇に血が滲んでいる。魔力不足なのか、錬金薬を取ろうとする指先がうまく動かせないようだ。コウメイは錬金薬の栓を指で弾き飛ばして、アキラの口に魔力回復薬を注ぎ込む。
アキラはコウメイの肩に額を預け、重く息を吐いた。
「……コウメイ。悪い」
「何で謝る?」
「火蜥蜴に、のまれた。マイルズさんを危険にさらして……失態だ」
「それなら俺も同じだぜ。火蜥蜴しか見えてなかったせいで、アキを追い詰めた」
シュウとマイルズが火竜に専念できるように、アキラが妨害されずに攻撃魔術を撃てるように、コウメイは眷属を屠らねばならなかった。だが火蜥蜴の群れを見た瞬間、私怨が冷静さを打ち消した。怒気を押さえられずに火蜥蜴を脅えさせ、アキラの方へと追いやってしまったのだ。
「新米じゃあるまいし、みっともねえ」
にじり寄る火蜥蜴の頭部に剣を突き刺したコウメイは、抜きざまに隣の火蜥蜴も斬り割いた。
「俺だって恥ずかしい。目を閉じて攻撃魔術を撃つなんて、見習い魔術師でもしない失敗だ」
杖に魔力を満たしたアキラは、じりじりと距離を詰める火蜥蜴を風刃で一閃する。
「お互い黒歴史は封じとこうぜ」
「封じたらまずいだろう。初心忘るべからず、だぞ」
「いや、けどよ、この戦況で恥ずかしすぎるだろ?」
「恥ずかしーのはこっちだよ!!」
頭上からシュウの怒声が割り入った。
「この忙しーときに、イチャイチャしてんじゃねー!!」
意味のわからない叫びに二人が思わず仰ぎ見ると、ちょうど火竜の眉間を斬りつけたシュウが、角攻撃を避け頭を飛び越えようとしたところだった。
「いちゃいちゃ……あいつ、何を言ってるんだ?」
「さあ? そろそろ老眼がきてるんだろ」
「てめーら、覚えとけよ! さっさと援護しやがれ――っ!!」
+
シュウの戦い方は剛腕に頼るものだ。そして彼の剣はその戦い方を最大限活かすために作られている。重量と力で砕くことに威力を発揮するシュウの剣は、モルガの研ぎによってさらに切れ味を増していた。だがそれでも火竜を思うように斬れないでいた。
「ちくしょう、踏ん張りがきかねー」
剣に重さを加えるためには、しっかりと両足を踏みしめる必要がある。しかし上半身を斬りつけるためには跳躍しなければならず、空中では思うような体勢が取れない。踏ん張れないため腕力頼りの中途半端な攻撃になっているのだ。
シュウは跳び上がった宙で、たったいま割ったばかりの眉間の傷が癒えるのを見ていた。
援護はまだかと地上を探せば、コウメイとアキラが戦闘を横目に話し込んでいるではないか。
「さっさと援護しやがれ――っ!!」
喉の傷も、アキラの援護が届かないうちに癒えてしまっている。
獣人族の体も力も人族より強いが、竜はそのはるか上をゆく。
「もっと低いところで勝負してーよな」
火竜の頭を飛び越えざま、シュウは竜の角に一撃を落とした。
硬質な音が響き、火花が散る。
シュウの剣と両手がじんじんと痺れていた。
「硬てーっ」
跳び退いたシュウは、火竜の後ろ首に剣を突き立てた。
巧く砕けた鱗の間から、剣先が肉に埋まる。
このまま押し刺すつもりで足を掛けたところで、火竜は後ろ首の不快感を払い落とそうと上半身を大きく振り回した。
「おわーっ」
跳ね上げるような動きに耐えきれず、突き立てていた剣がすっぽりと抜ける。
宙に放り出されたシュウが落ちてくるのを、火竜が大きく口を開け待ち構えていた。
「氷柱!」
シュウよりも先に巨大な氷柱が火竜の口を塞いだ。
太く鋭利な牙が氷の塊に深々と刺さる。
シュウは氷柱を蹴って火竜から跳び離れ、コウメイにむかって牙を向けていた火蜥蜴の上に着地した。
「いつものパワーがねぇぞ」
「仕方ねーだろ、踏ん張れねーんだから」
岩壁を踏み台にできれば、自分の力と体重だけでなく、跳躍と落下のエネルギーも乗せられるのだが。
「電流デスマッチじゃなきゃどーにかできたのに!」
身体能力だけでは勝負にならないとシュウは悔しげに火竜を睨んだ。
「角はダメだったか」
「あそこ火竜の体で一番かてーんじゃねーかな。鱗は砕いたんだけど」
「再生が速ぇぜ」
後ろ首につけた傷も、砕けていた鱗も、ほんの数秒だというのに跡形もなく消えている。
「上半身と下半身、同時に攻撃しているから力が分散されている。どちらかに集中するべきだろうな」
どちらがよいかとアキラの視線が二人に問う。
「足だな。見てみろよ、火竜の左手」
「手が、落ちている?」
コウメイが指し示す竜の手を見て、アキラはまさかと瞠目した。
竜種の短く小さな手の指は五本だ。
だが火竜の左手の指は一本しか残っていない。
「シュウ、あれいつ斬った?」
「てめーらがイチャイチャしはじめたあたりだよ」
文字通り火蜥蜴を蹴散らして駆けつけたシュウは、渋い顔で答える。
アキラは目を凝らした。
「癒えてない、いや、再生してないのか」
「斬った表皮は癒えるが、切り離されたら終わりっぽいな」
「なるほど、足が先だな」
片足を失えば火竜は巨大な体を支えていられない。膝を突かせる、あるいは腰を落とす、理想なのは腹を地面につけさせることだ。そうすれば動きの範囲も狭まるし、シュウのような跳躍力がなくても首に攻撃が届くようになる。
「シュウ、しばらく火竜の気を引いてくれ、援護できないが耐えてくれ。コウメイ、マイルズさんを支援」
「了解」
「サボってた分とりかえせよなー」
コウメイは火蜥蜴を屠りながら跳ねる火竜の尾へと移動し、シュウは炎色の目の前に飛び込んで挑発するように剣を振り回した。
アキラはミノタウロスの杖を握り直し、同時に二つの氷柱を作る。
「マイルズさん!」
アキラの援護が滞っている間も、ギリギリで再生を阻止し足に刻んだ傷を残していた老冒険者は、呼びかけられて「やっとか」と焦れたような視線を向けた。
申し訳なさに小さく会釈して、アキラは杖を振る。
一つ目の氷柱が消えかかっていた傷に打ち込まれた。
二つ目がその傷を広げるように真横に刺さる。
「うおぉぉ――!」
力をためたマイルズの剣が、二つの氷柱を釘打つようにさらに奥へと打つ。
氷柱が肉に埋まり、きしみ音を上げて砕ける。
透き通った氷越しに、赤白い塊が見えた。
骨だ。
これを肉と皮の下に隠されてはならないと、マイルズは剣先を氷の亀裂に突き入れた。
切っ先が頑強な骨をかすめる。
逃してなるものかと体重を乗せ押し込むと、彼は声を張り上げた。
「アキラ、ここを狙え!」
「氷柱!」
背に迫る攻撃魔術を感じながら、マイルズは渾身の力で肉を切り開いた。
氷の針が彼の右肩をかすめ、火竜の塞がりかけた肉を裂き、骨に到達する。
確かに当たった。
だがマグマのような熱を孕む火竜の血肉が、見る見るうちに氷を溶かして骨を守る。
「もう一度だ! 溶けない、最高に硬いのを!!」
「氷……、い、岩礫!!」
強度が足りないと叫ぶマイルズの声に、アキラは発動寸前で攻撃魔術を切替えた。
氷をまとった岩礫の鋭い先端が火竜の骨に刺さり、肉の間から確かに硬く大きな炸裂音がする。
それは火竜が命の危機を感じる一撃となっていた。
痛みに暴れ激しくのたうつ尾が雷撃を打ち、岩壁を破壊して石を振らせ、牙を打ち合わせるような火竜の悲鳴とともに吐き出された炎が石を燃やす。
炎の石が降り注ぎ、髪や衣服をチリチリと焦がした。
「治りょ」
「いらん、このまま続けろ!」
萌芽の杖を向けるアキラに、マイルズが間を開けるなと声をあげた。
彼は腕や肩に炎を背負い、白髪を赤く染めたまま、爛々と目を輝かせて火竜の関節に剣を突き込んでいる。
コウメイは暴れる竜尾の付け根に魔術玉を投げた。凍らせて尾の動きを止め、マイルズの頭上に水球を落として燃えていた髪と衣服の火を消す。剣を支えて動けない彼に駆け寄り、錬金薬を振りかける。
「氷柱、氷柱、岩礫!」
火竜の足を挟んだ向かいに立ったコウメイは、続けざまに放たれる攻撃魔術とマイルズの呼吸に合わせ、じりじりと皮と肉を斬り開いてゆく。
群がる火蜥蜴は風刃で斬り散らし、払いのけようと動く竜尾は風圧で防ぐ。
同時に岩礫で肉体の再生を阻んでいる間に、二人が傷を深く大きく広げた。
「斬り込め!」
「おうっ」
息を合わせた二人の剣が、わずかに見えていた骨を大きく露出させる。
「岩礫!!」
最大級の魔力を注いだ岩礫の直撃は、守りの血肉を奪われた骨に、目に見える亀裂を作る。
「止めろ!」
マイルズの声と当時に解体用ナイフを素早く抜いたコウメイが、癒えつつある亀裂に突き刺し、骨の再生を阻んだ。
大きく腰を捻って勢いをつけたマイルズは、剣の柄頭をナイフに叩きつける。
打ち込まれた楔が深くめり込み、骨の亀裂が伸びる。
「アキラ!」
「岩礫っ」
露わになった骨の亀裂を岩礫が襲う。
衝撃の直後、骨と岩礫の双方が同時に砕けた。
「今だ、斬り落とすぞ!」
コウメイは鋭さに勢いを乗せた薙ぎ斬りで肉を断った。
マイルズは技術と過重で押し斬ってゆく。
一刀目で肉を切り、二刀目で皮を割くころには、火竜の巨体が大きく傾ぎはじめた。
体を支えられなくなった足は、皮とわずかな肉で辛うじてつながっている状態だ。
「決めるぞ!」
コウメイとマイルズの剣が、残された肉と皮を挟んですれ違う。
足の切断が終わる前に、火竜が倒れた。
その重量が迷宮を揺らす。
アキラが回復魔術を飛ばし、コウメイとマイルズが切断した足を引きずって火竜から離れた。
腹から床に落ちた火竜は、短い片手を突いて首をあげ、口を開く。
「うわっぁち――!!」
「シュウ!」
すかさず首を狙ったシュウを、炎の咆吼が嬲った。
低い位置で吐かれた炎の息は、コウメイたちにも襲いかかる。
コウメイとマイルズは火竜の足の影に身を伏せた。
アキラは背中を焼いて転がるシュウに水球を落し、同時に氷の壁で自身を守る。
「くそー、いくつあっても足りねーよ」
シュウは錬金薬を二本まとめて背中に振りかけ、そのまま走り出す。凍結魔術玉を連続して投げ、火竜の口を凍らせている間に後ろ首に剣を叩きつけた。
鱗が割れ、皮が裂け、熱を持った肉が露わになる。
踏み込みで力を溜めた一撃は、竜の首に深い傷を作った。
癒えはじめる傷口を狙った二撃目が外れた。
火竜が傷を守るように体を捻り起したのだ。
同時に炎の息と尾が襲いかかる。
シュウは寸前で跳び逃げ、アキラの氷の盾に隠れた。
火傷痕の残るシュウに錬金薬を振りかけつつ、コウメイが問う。
「アキ、ヤツの呼吸を止められるか?」
「……難しいな」
普通の魔物ならば呼吸を封じれば衰弱させられる。だが水で被って呼吸を阻害しようとしても火竜の炎であっという間に蒸発させられるだろう。氷漬けにしてもそれほど長くは保たない。また空気を奪おうにもその範囲が難しいのだ。顔周りだけとなると激しく動かれると他の魔術を使う余裕がなくなるし、広く周囲の酸素を奪うと、今度は味方が近づけなくなる。
「口さえ塞げりゃいーんだけどよ」
「塞ぐ、か……岩礫」
アキラは巨大なだけの大岩を火竜の口へと撃った。
うまくかませられればと思ったのだが、火竜の太く鋭い牙と顎力は氷を噛み砕くように岩礫を割り食った。
「食ってる間は火を吹かねーとか?」
ものは試しだと側に転がっていた火蜥蜴を数匹まとめて掴んだシュウが、火竜の口を狙って投げ入れる。
「食ってるな」
「ああ、食べている間は火を吐かないようだ」
「美味ーのかなー?」
ついでに死骸だらけの足元を掃除してしまおうと、コウメイもシュウにならって火蜥蜴を投げはじめた。アキラは氷の壁を駆使して、火蜥蜴を食う合間に炎を吐く火竜から二人を守る。
激しく乱れていた呼吸を整えていたマイルズが、楽しげな息を漏らす。
「……お前たちとの討伐は、本当に退屈しないな」
「ひとまとめにしないでほしいのですが」
剣を支えに立つマイルズは満身創痍だ。上半身のあちこちに深い火傷を負っているし、おそらく骨折や肉離れもしているのだろう。萌芽の杖を振ろうとするアキラを止めた彼は、自分の錬金薬を火傷に塗布し、回復薬を飲み干した。
「さて、いつまでも餌をやっているわけにはゆかないぞ」
「咀嚼の間隔はわかりましたから、給餌はコウメイに任せてシュウに……」
攻撃を任せよう、そう指示を出そうとしたアキラは、火竜の異変に気づいて声をあげた。
「駄目だ!」
「へ?」
シュウが放り投げた死骸が火竜の口におさまる前に、アキラの突風がそれを押し飛ばした。
「何すんだよ!」
「止めるんだ、餌をやるな!」
「マイルズさんまで?!」
焦り慌てるマイルズにまで止められて、シュウは腹立たしげに振り返る。
その背に、餌を寄こせとでも言うように火竜が炎を吐いた。
火の息を氷の壁で遮りながら、アキラが叫んだ。
「指が、再生されてるんだ!!」
まさかと仰ぎ見たコウメイは、火竜の左手の指が五本揃っているのを数えて顔色を変えた。
「足もだ、見てみろ」
マイルズが指し示す切断面には、ゆっくりとではあるが新たな肉と骨ができはじめているではないか。
どうやら眷属は手下ではなく、火竜の補給のために存在していたらしい。
「火蜥蜴食って回復してんのかよー?!」
「くそ、やべぇぜ。どうする?」
給餌を止め二人が離れると、火竜は口の届く範囲にいる火蜥蜴に噛みつき、丸呑みしはじめた。
慌てて火竜の補給を妨害しようとするが、火の息を浴びせられて近寄れない。
「一気に殺るしかねぇな」
「どんな生物でも、心臓を止めるか、首を切り落すかすれば死ぬが」
「どっちも難しすぎるだろ」
火竜の心臓は足よりも硬く厚い体の奥で守られている。それを止める前に足は蘇生してしまいかねない。首を切り落そうにも、火の息の直撃を避ける手段がない。
「アキラの氷の盾でなんとかできないか?」
「やってみるしかないでしょうね」
マイルズにはそう返したが、魔力回復薬の残り本数を数えたアキラは厳しい顔だ。
喉、と呟いて何かを考え込んでいたシュウが、閃いたと魔術玉を取り出した。
「コーメイ、コイツに魔術玉食わせられねーかな?」
火山で火竜の喉奥で冷却魔術玉を潰して勝ったのを思い出したシュウが、火竜にも同じ戦法が使えないかと言い出した。
「手を突っ込む前に丸焼きだぞ」
「だから方法はねーかって聞いてんだよ」
「……食わせるのはいいが、どうやって発動させるんだ?」
「ゴックンて喉を通過してるところを外からぶっ叩く」
「大雑把だな」
「乱暴すぎる」
「いや、いい手だと思うぞ」
無茶苦茶だと呆れるコウメイとアキラだが、マイルズは成功する可能性は高いと言った。
「ありったけの魔術玉を使った一発勝負だが、やれるか?」
「いいねー、俺そーいうの得意だぜ」
マイルズの作戦を聞いたアキラは、炎息対策と火蜥蜴の殲滅に専念した。コウメイとシュウは火竜の届く範囲から死骸を一掃すべく走り、全員から魔術玉を集めたマイルズは一つの死骸に歩み寄った。
餌を奪われた火竜は、短い両手を使って体の位置を変え、這い回る火蜥蜴を食おうと動く。
風刃が火蜥蜴を屠ると同時に火竜から遠くへと弾き飛ばした。
討ちもらしたものはコウメイが蹴り、シュウが尾を掴んで雷撃檻へと投げつける。
怒りの咆吼とともに吐き出される炎は、氷の盾でなんとか防いだ。
「まだかよ、おっさん」
「すまん、火蜥蜴の胃袋が思ったより小さかったんでな」
「全部詰め込めたか」
火蜥蜴の死骸の腹がはち切れそうに膨らんでいる。何度も腕を突っ込んだのだろう、マイルズの右腕は牙で傷だらけだ。振り回した拍子にこぼれ落ちないように、火蜥蜴の口をきつく縛って準備は完成だ。
「俺が餌を投げる。シュウとコウメイは必ず命中させろよ」
「わかった」
「任せとけって」
「アキラ、炎の息を頼む」
「大丈夫です、安心して給餌してください」
魔術玉を詰め込んだ火蜥蜴の尻尾を両手で掴んだマイルズは、気配を殺して火竜の頭部へと近寄ってゆく。
コウメイの挑発でギリギリまで意識を逸らせ、アキラの風刃が障害物を一掃する。剣を構えたシュウは、腰を低く落として力を貯めた。
確実に口に投げ入れられる距離まであと数歩というところで、火竜がマイルズに気づいた。
「氷壁!」
開いた口の真ん前に出現した氷の壁を炎の息が襲う。
駆け出したマイルズは氷壁ギリギリまで近づき、氷が溶ける瞬間を待った。
炎を受け止めた氷壁が溶け、ピシピシと軋み亀裂が入る。
「食え!」
氷が割れる瞬間に、マイルズは魔術玉詰めの死骸を投げた。
攻撃よりも補給を優先した火竜が炎の息を消す。
迎え入れるように開けた口の奥へ、腹の膨れた死骸が飲み込まれた。
「マイルズさん下がって! シュウ!!」
床を蹴ったシュウは、ためた力の全てを剣に乗せる。
「うおぉぉぉぉぉ――っ」
ポコリとした喉の膨らみの動きを狙い、シュウの渾身の一撃が振り下ろされた。