04 迷宮と召喚魔法陣
「わたくしの仕事は火竜が倒れてからが本番なの」
その言葉に、漁夫の利狙いの火竜素材が目的かと誰もが思った。討伐の貢献度に応じて素材を分け与えるのに文句はないが、ミシェルの場合は丸ごと持って行きかねない。思わずアキラが釘を刺した。
「素材の独り占めはやめてくださいね。鱗と爪、それと皮は私も欲しいので」
「俺はリンウッドさんへの土産に血をもらいてぇぜ。剣の素材として骨も確保しときてぇな」
「それじゃー俺は牙にしよーかなー」
「牙を何に使うんだ?」
薬にはならないし、武器の素材としても骨や爪よりは質が劣る。そもそもシュウは何に使うつもりなのかとアキラが不思議そうにたずねた。
「でっけー牙が居間に飾ってあったらかっこよくね?」
「邪魔だ」
「邪魔でしかねぇよ」
「悪臭が酷いわよ?」
口の中にあった物だけに、独特の異臭を発するらしい。さも嫌そうに鼻と口を歪めたミシェルの忠告と、食事が不味くなるというコウメイの反対にシュウは素直に従った。
「マイルズさんはどーする?」
「いや、俺は何もいらん、みなで分けてくれ」
今回の討伐の目的は、竜と真正面から戦いたいというマイルズのわがままからはじまっている。助っ人を引き受けてくれた四人に、対価として素材を譲渡するとマイルズは宣言した。
「少しくらいは手元に残しとけよ、もったいねぇだろ」
「売れば大金持ちなのにー」
「老い先短い生活費に莫大な金は必要ではないのでね」
負けを全く考えていない三人の明るさとたくましさが、マイルズには眩しく感じた。
「ミシェル殿も必要な素材を好きなだけ採取してくれ」
「竜素材は魅力的だけれど、わたくしの目的はそれではないの。あなたたちが欲しければ好きにして良いわ。けれど、悠長に採取している余裕はないと思うわよ」
わたくしの仕事は竜討伐が終わってからが忙しいのだと、彼女は気の毒そうな表情を三人に向ける。
「目的が素材じゃねぇなら、ミシェルさんの仕事ってのは何なんだ?」
「魔法陣の破壊」
「は……?」
「魔法陣って、魔素溜まりにあるアレか?」
「そう、あれよ」
「あれを破壊ぃー!?」
アキラとコウメイは破壊可能なのかという驚きに、シュウはやめてくれと訴えるように目を丸くする。いったい誰がミシェルにそんな依頼をしたのかと、三人が彼女に詰め寄った。
「ずいぶん前にバーラム長老から頼まれていたのよ」
「鉱族が、自らの作品を破壊するように依頼を?」
信じられないとアキラは頭を振っている。もったいねーとシュウが呻き、コウメイも理由を知りたいと続きを促した。
「そもそもあの迷宮は、誰が何のために作ったものなのですか?」
「はっきりした記録は残っていないのよ。マルホルック村の伝承では、神々が大陸を去る前に鉱族に迷宮を作らせ、エルフ族に召喚魔法陣を設置させた。残っている記録はそれだけだそうよ」
「あれ、エルフとの共同制作だったのか?」
「らしいわね」
何の目的で神々が迷宮と召喚魔法陣を作らせたのか、どちらの種族にも記録は残されていないという。
さらりとしたミシェルの説明に、アキラは疑念をもった。
この世界は、神々が大陸を去ったことにより新たな新聖歴がはじまっている。今年で六八五年目、長ければ一千年を生きるエルフ族ならば、その当時を記憶している者はいるはずだ。
「エルフ族の長老なら何か知っているのではありませんか?」
「それがねぇ、長老も同年代の老エルフたちも、誰一人として記憶にないらしいの」
記憶だけでなく、不思議なことに記録にも一切残っていないのだそうだ。
一族がかかわったというのに、これだけ大規模な建造物の伝承が何もないのは不自然すぎる。アキラの指摘にマイルズももっともだと頷いた。
「誰も疑問に思わないのか?」
「長老も不自然に感じたようだけれど、それが神々の意思なのだろう、と受け入れていたわね」
「神々の意思ねぇ」
「エルフに記憶だか記録だかを残していったら後が面倒くせーって、神様も思ったんじゃねーの?」
「かもしれないわね」
シュウの言葉に、ミシェルはおかしそうに笑んでいるが、アキラの表情は苦々しそうだ。
「しかし、そんな貴重な遺跡を破壊してもいいのでしょうか」
この世界に祟りや天罰があるのはわからない。だが存在するとしたら、エルフだけでも手に負えないのに、神々まで相手にしなくてはならなくなるのだ。「頭が痛い」とアキラが渋面で呟いた。
「だよなー。ご先祖様が作った迷宮だろ、フツーは保存を考えるよな?」
「残していても利がないどころか、害になりかねないからだそうよ」
迷宮と召喚魔法陣が人族に発見されるまでは、鉱族もエルフ族も、ときには獣人族らも迷宮を訪れ、希少な魔物素材や食料調達の手段として活用していたらしい。だが押しかけた人族に占拠されたため、エルフ族はナナクシャール島に牧場を作り、鉱族や獣人らはエルフから必要な素材を買い取るようになったのだそうだ。
「最初は使わなくなった横穴も封じる予定だったらしいけれど、マルホルック村の方々は創意工夫がお好きでしょう? 塞ぐのではなく、新しく思いついた技術や仕掛けの実験場に利用していたそうよ」
「……あの罠は実験だったんですか?」
「数年おきに仕掛けを総入れ替えしていたらしいわ」
障害物が新しくなっていると聞いてシュウの腰が浮いた。それをコウメイが掴み止め、アキラが緊箍児を締めつける。カエルが潰されるようなうめき声を出して後ろに倒れたシュウを、マイルズが心配そうにのぞき込んだ。
「あなたたちがあの横道を突破したでしょう、それで鉱族らは可能性に気づいたらしいわ。人族も罠の実験場を突破するかもしれない、とね」
迷宮に集まる人族には、鉱族にも名を知られるような剣士や冒険者が紛れていることも多い。コウメイたち三人が罠の道を生きて抜けたのだ、人族の中から突破する者が出るかもしれないと不安になった。
「罠の道では村を守りきれない、ならば人族を集めてしまう大元をなくせばいい。ついでに横穴も封鎖してしまおう、という結論に達したそうよ」
障害物横穴レースを楽しんだ自分が原因と知ったシュウは、がっくりと落ち込んだ。
鉱族がエルフ族に破壊の打診を入れたところ、それなら召喚魔法陣の下に埋め込んだ物を回収したいと言い出し、両種族の長老の連名で正式にミシェルに依頼がきたのだという。
「壊すくらいならエルフの連中のほうが簡単だろうに、なんであいつらがやらねぇんだよ」
「あの魔法陣は、物理的衝撃でしか壊せないのよ」
「……物理、的」
「えーと、つまり?」
「魔術では壊せない?」
「正確に言えば、魔力では壊せない、かしらね」
小首を傾げたミシェルは、誰に対するものなのか、腹立ちのこもった笑みを浮かべている。
「エルフの魔力ですら破壊は難しい遺跡を、彼らに劣るわたくしに押しつけたのよ。どう思う?」
「それは……人選ミスではないのかね?」
「ですよね?」
ミシェルは現存している人族で最も魔力の多い魔術師だ。困惑しきりのマイルズの呟きにアキラも思わず頷いていた。
エルフ族では壊せない。だったら魔力の少ない人族にやらせればいい。ちょうどアレックスが攻撃力の高い人族を下僕にしていたはずだ。そんな流れでミシェルに話しが持ち込まれたという。
人族で最も攻撃力が高く腹黒い魔術師に、魔術では傷をつけられない遺跡の破壊依頼を出すなんて、鉱族とエルフ族の長老らは耄碌しているかもしれないとアキラが額を押さえた。
「わたくしも最初は無理だと断わったのよ。けれどエルフでは不可能だし、鉱族もご先祖様の製作物を自分たちの手で破壊するのは忍びないらしくてね」
「同情で譲歩するなんて、珍しいですね」
「報酬が魅力的だったから、つい」
「その魅力的な報酬とは何です?」
細めた銀の目が睨むが、彼女は上品にほほ笑むだけで答えない。
「そういうわけで、火竜の討伐後は召喚魔法陣の破壊をお願いしたいの」
魔術師であるミシェルに、岩床を砕くような物理攻撃はできない。頼りになるのはシュウの剛力やコウメイの技、そしてマイルズの粘りだと腕力自慢をおだてる。
「そんな簡単に押しつけんじゃねぇ」
「物理攻撃ってーことは、俺の出番だな!」
「竜に続いてだぞ、んな余裕があるのか?」
「心配ねーって、俺に任せとけ」
腕が鳴るぜとやる気を漲らせるシュウに、マイルズは呆れ顔を向ける。
マイルズは土地、あるいは建物、像や絵画と戦った経験がある。どれも魔術や魔法に染められた曰く付きの品ばかりだ。そしてこの召喚魔法陣も、神々に縁のある曰くだらけのものなのだから、物理的破壊なら簡単とはとても思えなかった。
「物理的にとは、具体的にどのように壊せばいいのですか?」
「これを見てちょうだい」
ミシェルが迷宮図の上に置いたのは、召喚魔法陣の写しだった。以前アキラが書き写して提出したものに、複数の手で修正や加筆がされている。
彼女は魔法陣の中央円に刻まれた六つの模様をトントンと指で突いた。
「ここからはじめて左回りに砕いてゆき、最後に中央を砕くの。逆では駄目」
「竜の死骸が邪魔になりそうだな」
「急いで解体しても、けっこー時間かかりそーだぜ」
「余裕がねぇってのは、鐘三つ(六時間)じゃ間に合わねぇってことか」
「いいえ、鐘三つもの間、わたくしが雷撃の檻を維持できないという意味よ」
火竜の討伐にどれくらい時間がかかるのかわからない。数鐘で決着がつけば早いほうで、半日や数日もかかったとしたら、いくら錬金薬で魔力を回復させても追いつかない。そのうえ三鐘もの間、雷撃檻を維持なんてしていられない。
「竜討伐が終わったら休めばいーじゃん」
「閉め出す連中は火竜素材を狙っているのよ、雷撃檻が消えたとたんに群がってくるに決まっているわ」
交渉やお裾分けを要求するのではなく、所有権を主張するために彼らは自分たちを殺して竜の死骸を奪い取ろうとするだろう。
「襲われたら反撃すればいいが、面倒だ」
「全部終わるまで、近づかせねぇように雷撃檻の維持は必要だぜ」
「では竜討伐も魔法陣の破壊も短期決戦か」
「無茶をしろとはいわないけれど、できればそれでお願いするわ」
魔力が続く限り維持するとミシェルは約束したが、難しい場合は火竜の死骸を諦めるしかない。
「やはり麻痺か眠りの錬金薬か魔術玉は必要そうだな」
準備を念入りにしようとアキラは追加調達しなければならない素材を書き出していった。
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マルホルック村に滞在した三日の間に、アキラは錬金薬と魔術玉を大量に作り、ミシェルは自身のマントに何かの刺繍を施していた。コウメイは鉱族に伝わる伝統的な調味料や料理をエリンナに教わり、シュウとマイルズは手入れによってよみがえった剣でさっそく打ち合い体をほぐし仕上げていった。
「錬金薬は行き渡っているな?」
「おう、魔術玉もちゃんと持ってるぜ」
「アキラ、わたくしが譲ったローブは着ないの?」
「……直前で着ます」
薄布のローブにほどこされた美しい刺繍やレースの図案は、すべて守りの魔術陣の一部だ。どれほど高性能な魔術師のローブであっても、貴族の女性が着用していそうなデザインに抵抗を感じるアキラは、それを着た姿を鉱族らに見られたくなかった。
武器を手に取り、装備を確かめた三人とミシェルは、準備完了だとマイルズを振り返る。
「景気よく一声くれよ、隊長!」
わずか五人の火竜討伐隊のリーダーは、最年長であり言い出しっぺのマイルズだ。
「隊長なんて柄ではないんだが」
「よく言うぜ、双璧の副団長様だったんだろ」
「実質の隊長だったと聞いていますよ」
「……まあ、そうかもな。団長のお守り役のようなものだった」
お守り役というならばこの面子も同じだ。思い出し笑いのマイルズの目尻がさがる。
陽気に悪ノリする狼獣人に、無自覚に加減を間違えがちな銀色のエルフ、眼帯の色男は箍が外れたら手に負えなくなるし、伝説になった惨滅の魔女はときに悪辣で油断ならない。運のない見た目だけが若い老人の尻拭いも大概だった。どうやら自分の周りには手間のかかる者ばかりが集まるようだ。
「……悪くはない」
面白く退屈しない人生だったと、彼は満足げに四人を見渡した。
期待に輝く目、待つ瞳、早くしろと急かす瞬きを受けて、マイルズは腹に力を込める。
「火竜を倒すぞ!」
「「「「応!」」」」