01 マイルズの望み
本日より閑話の連載を開始します。
月・水・金の更新予定です。
六カ国ギルド長会議は荒れに荒れた。
ウェルシュタント国ギルドによる提案は、数十年ごとに出現するかもしれないわずか数十人のために、大きな負担を強いるものだ。利はあるが、それ以上の資金も労力もかかりすぎる、と反対する声は多かった。英雄冒険者による、少数の弱者を救済することこそ冒険者ギルドの設立意義だ、との訴えでなんとか拮抗できる数の賛同を得られたが、可決を確信できる情勢ではなかった。
採決の決定打となったのは、マイルズが招いた亜人族二人の存在だ。
彼らは議論に口を挟むことはなかった。しかし否定的な発言のたびにケモ耳がピクピクと動く狼獣人と、やさしげな微笑でありながら「聞き漏らしませんよ」と釘を刺すような銀の瞳で見つめる美貌のエルフの存在は、各国の代表らに決裂ではなく譲歩と妥協を選ばせた。
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「やーっと終わったー!」
「シュウ、声が大きい」
「気持ちはわかるが、隣に迷惑だ」
「隣なんてねーだろ。ここ最上階の特別室だし」
全国ギルド長会議にエルフと狼獣人が現われたと聞いた領主が、二人を館に招こうとするのを断り、貴族専用の宿を提供したいと執拗に迫る商業ギルド長を振り払った彼らは、冒険者ギルドが懇意にする宿の、最も警備のしやすい最上階に滞在していた。
ギルド長会議の期間中、毎夜のように貴族や各国代表のギルド長らは、狼獣人やエルフと親交を深めようと働きかけていた。それらをまいて宿へ逃げ帰っては、用意されていた特別客室に籠もって過ごしていたのだ。
会議が終わり、これでやっと解放されるのだ。声も大きくなろうというものである。
「一週間も座りっぱなしだぜ、すっげー疲れた」
「シュウは座ってただけじゃねぇか。俺なんか懐柔と脅しに走り回らされたんだぜ」
「えー、コーメイのほうがいーじゃん。俺だって走り回りたかった」
ずっと立ったまま、あるいは座ったままのシュウの体は、伸びをするだけでポキポキ鳴った。
「ちょっと付き合えよ」
シュウに誘われてコウメイも立ち上がる。ストレッチからはじめた二人の運動は、軽い組み手争いに移った。それを眺めるアキラは、笑顔の状態で固まったままの顔から首、肩をぎこちなく撫でほぐしている。
「……顔が痛い」
「筋肉痛だろ」
「表情筋にも筋肉痛なんてあるのか?」
「そりゃ普段使ってねーのを酷使したんだから、なるんじゃねーの?」
「アキ、ちょっと横になれ」
シュウとの組み手を終わらせたコウメイが、アキラをベッドにうつ伏せに押し倒した。そのまま馬乗りになって上から下まで背面を探り、ガチガチになった肩や背中を揉みはじめる。
「背中と肩と首、すげぇ凝ってるぜ」
「痛い、コウメイ、力が……っ」
「あぁこれ、頭もマッサージしとかねぇと頭痛起きるヤツだ」
「い……っあ、痛いと、いって、だろっ」
動き足りないと逆立ちで室内を歩き回っていたシュウは、ベッドで悶絶するアキラを不思議そうに見た。
「会議でアキラが肩こりとか珍しーよな」
「そりゃ凝りもするだろ。内容が内容だったし、周りを警戒しっぱなしで気を抜けなかったんだから仕方ねぇよ」
「うっ、う……いた、きもちぃ……っ」
ハリハルタが提案した別大陸(異世界)人への対処策は、提案の約半分が各国共通のルールとして合意を得られた。これはアキラやシュウが無言で脅しをかけていたこともあるが、各国の代表とともに参加しているギルド職員の中に、少なくはない数の別大陸人が存在したことも大きかった。
「ヒロも出世したなぁ」
東ウェルシュタントの冒険者ギルド代表として出席していたヒロもその一人だ。他にも各国に一人か二人は日本人と思われる名前があった。
「俺らと同時期に転移した奴らって、けっこー出世してんだなー」
「商業ギルドにもいるらしいぜ。あっち界隈とも情報交換して、色々決めていくそうだ」
「頼もしーなー。あれ、アキラ?」
「寝落ちしたな」
マッサージで悶絶していたアキラの声は、凝りがほぐれ血行が良くなったあたりから静かな寝息に変わっていた。
コウメイはアキラに毛布を掛け、その流れで窓に近寄る。外から見られないように壁に体を寄せて様子をうかがい、鬱陶しげに息を吐く。
「囲まれてるぜ。どうやって帰るかな」
「なになに、アキラのストーカー?」
「シュウのストーカーもいるぞ」
宿の外には各国の冒険者ギルドの関係者と思われる人物や、平民のふりをした騎士や兵士がさりげなくうろついていた。ギルド長会議に姿を現わした狼獣人とエルフがどこに帰ってゆくのか、それを突き止めるために待機しているのだろう。
「顔バレしちまったしなぁ。魔武具つけても誤魔化せねぇな」
「変装したらどーにかなんねーか? 髪を染めるとか、あとアキラには女装でもさせときゃいーんじゃね?」
「その程度じゃ誤魔化せねぇよ」
髪の色や衣服を変えたところで、それぞれの印象は大きく変わらない。追跡や諜報を専門にする連中の目を欺くには、もっと本格的な変装でなければ難しいだろうとコウメイは首を横に振った。
「俺ら、変装は下手だしなぁ」
大柄で快活な男と、人当たりの良い色男と、傾国級の品位ある美貌。この組み合わせの与える印象は、衣服や性別を変えた程度で誤魔化せるものではない。大柄な破落戸、岩のような悪人顔、残忍さがにじむ下品な美形といった、真逆の人物に変装できないあたり、彼らは隠密や影といった職業には向かないといえる。
「マイルズさんはどーすんだろ」
「あっちも大勢に囲まれてたしなぁ」
ギルドの役員や長を務める元冒険者で、マイルズを知らぬ者はいない。今回の大陸ギルド長会議でも、はじめて対面したと感激する強面のギルド長(元冒険者)や旧知の者が数多くいた。
「方向は同じなんだ、一緒に帰ればいーだろ」
宿の外で待ち伏せしている連中の中には、マイルズ目当ての者もいるに違いない。それらをまいて近くの森に逃げ込み、そこから獣化したシュウに乗って距離を稼ぎ逃走するのが最も簡単で早いだろう。
「それがベストだろうな。けど外の連中に気づかれねぇように宿を出るのは大変だぜ」
「裏口とかねーのかよ」
「そっちも見張られてるに決まってる」
ソファに移動し脱出対策をアレコレと出し合うが妙案はみつからない。
備え付けの魔道コンロで沸かした湯で茶を入れようとしたコウメイに、シュウが「もう一人分追加だ」と言って立ち上がった。近づいてくる足音を判別し、ノックされる前にドアを開ける。
ノックの前に開けられた扉に驚くマイルズを、シュウがニヤリと笑って迎え入れた。
「ちょうど良いとこだぜ、おっさんとも打ち合わせしてーと思ってたんだよ」
「何の打ち合わせだね?」
「おっさんも宿を出られなくなってんだろ?」
シュウの視線がチラリと廊下の奥端に向けられる。陰に隠れているのは、宿の従業員を装ってマイルズの動向を探ろうとしているどこかの諜報員だ。気づいたのなら話は早いと、彼は素早く室内に入った。
「こんな年寄りをつけ回して何が楽しいのか、さっぱりわからん」
「つれねーこと言うなって。子どもの頃の英雄が目の前にあらわれたら、浮かれるのはトーゼンだって」
「憧れの対象ってのは、永遠なんだぜ」
二人の言葉が気恥ずかしいのか、マイルズは苦笑いで扉を施錠した。空いているソファに腰を下ろし、くつろぐ二人を見る。会話に起きてこないアキラの様子から、三人が急いで帰るつもりではなさそうだと判断した。
「帰り支度はまだのようだな」
「それ、ちょうど考えてたとこなんだよ。連中をまいて帰る方法なんだが、マイルズさん、何かいい案ねぇかな?」
「案か……アキラに魔術で巧くやり過ごしてもらえないのかね?」
「そんな便利な魔術なんてあったっけ?」
知らねー、とコウメイとシュウが顔を見合わせて首を振る。
外の連中が諦めるまで籠城するしかないと結論を出そうとしている二人に、マイルズは急いで帰らなくてもよいのかとたずねた。
「請けてる依頼もねーし、急ぐ必要はねーかな」
「畑が気になるが、それ以外は別に何もねぇよ」
ストーカーと我慢比べをする時間はたっぷりある。そう答えた二人を、マイルズは楽しそうに見た。
「それなら少し、寄り道しないかね?」
「寄り道?」
「連中を煙に巻くのにもちょうど良いし、コウメイもシュウもきっと楽しめると思うんだ」
「寄り道するようなおもしれー場所があんのか?」
籠城しての我慢比べよりはずっと楽しそうだとシュウが前のめりになる。
「ああ、実はな、昔なじみに無視できない情報をもらった」
今回のギルド長会議にアキラたちとの仲介役として参加したマイルズは、母国の要人や多くの昔なじみらと再会し、ハリハルタのような田舎には届かない情報をたくさん仕入れていた。
老いで深くなった目尻のシワをさらに濃くして、マイルズは楽しげに、声を潜めて二人の好奇心を煽るように囁く。
「迷宮都市に竜が出現したそうだ」
「竜!?」
迷宮と呼ばれる縦穴の底にある魔素溜まりからは、大陸から姿を消したはずの希少魔物が出現する。竜が現れるのは十数年、いや数十年に一度という確率だ。久々に竜が出現したと聞いたシュウは、興奮に目を輝かせた。
「出現したのは三年前だそうだ」
「三年かー」
「どこの討伐隊が勝ち取ったんだ?」
シュウは落胆し、コウメイは警戒を高めた。三年も前ならばとっくに討伐されているだろう。問題は竜素材を独占した国がどこなのか、だ。毒に犯されていない竜の血は、蘇生や延命といった奇跡の錬金薬の材料になり得る。手に入れた国の情報は掴んでおきたかった。
そんなコウメイに、マイルズは首を横に振り不思議な笑みを浮かべて見せた。
「運の良いことに、未だ討伐されていない……どうだ、無視できないだろう?」
「そんなにかけてんのに、まだ討伐されてねーのかよ?」
「ああ、各国が精鋭を送り込んでいるらしいが、まだどこも討伐したとの情報はない」
竜の素材を欲した国は討伐隊を増員し、またこれまで直接戦力を送っていなかった国までもが、騎士団や兵士や傭兵、腕利きの冒険者を派遣し、競うように迷宮に降りていた。だが今のところ、鱗の一枚すらも手に入れられていないらしい。
「どうだ、ちょっと寄り道して、竜の討伐に行かないか?」
ニヤリとする老冒険者に、シュウが大きく頷いて身を乗り出した。
「行く! 行く行く、ぜってーに行く!! 行くに決まってるって、な?!」
大歓喜で即答したシュウは、隣に座るコウメイの肩を掴んで頷けと乱暴に揺すった。
「コウメイはどうだ、再挑戦してみないか?」
「竜に再挑戦するのは悪くはねぇが……、シュウ、前回のギリギリの戦いを忘れたのか?」
「えー、ギリギリだったけっけ?」
シュウの腕を押し剥がしたコウメイは、チラリと寝室の気配をうかがう。アキラがまだ眠ったままなのを確かめほっと息を吐いた。
「前回は実力じゃねぇ。毒を盛って弱らせて勝った。けどもし今回挑戦するとしたら、その手は使わねぇぞ。毒なしで、俺たちとマイルズさんだけで戦って、勝算があるのか?」
「勝算か……」
ホウレンソウらの前回の竜討伐が、望まない結果につながったと知っているマイルズは、戦法は慎重に考えねばと難しい顔になる。ところが当事者のシュウは自信満々だ。
「あるに決まってんだろー。俺らあのころより強くなってんだぜー。マイルズさんも参戦したらヨユーだって」
「余裕なわけないだろう」
気楽なシュウの声を否定したのは、不機嫌なアキラの声だ。
「起きてたのか」
「大声で目が覚めた……」
だるそうに寝室から出てきたアキラは、マイルズを咎めるように見た。
「マイルズさん、年齢を考えてください。竜討伐なんて無茶ですよ」
「悲しいことをいわんでくれアキラ」
「言いますよ。マイルズさんは竜を相手に全盛期と同じ戦いができるのですか?」
厳しいが正論だ。マイルズには反論する言葉がない。
「アキラ、言い過ぎだぜー」
「竜と戦うんだぞ、現実から目を逸らしていたら死ぬんだぞ」
「俺らが守ればいーんだろ」
自分たちが一緒に戦って、マイルズを守れば良いだけだとシュウが言う。その言葉にコウメイは複雑そうに眉をひそめ、アキラは感情のこもらない醒めた目を向ける。
「シュウはこう言っていますが、いいんですか?」
ベッドから降りて空いていたソファに座ったアキラは、硬い表情のマイルズに淡々と問うた。
「マイルズさんは、シュウやコウメイに守られて、お膳立てされた討伐で満足するんですか?」
あ、とシュウが己の失言に気づいた。そういう意味じゃないと言おうとしてコウメイに足を蹴られ口を閉じる。
「厳しいな……だが、ああ、そんな戦いでは満足できんよ。俺は自らの力で竜に挑みたいのだ」
腹の底から唸るようなその声には、老いへの悲しみと悔しさ、震えるような怒りが滲んでいた。固く握った拳を膝に置き、マイルズは三人を射るような強い目で見返した。
「俺は長い冒険者人生で、一度も竜と戦う機会を得られなかった。駆け出しの冒険者だったころも、双璧を率いていたときも、解散してケギーテに戻る前もだ。何度も迷宮に赴き竜の出現を待った」
魔物討伐を主軸にする冒険者で竜討伐に憧れない者はいない。多くの冒険者は夢に見つつも、己の実力不足と竜に巡り会う機会を得られず、夢のまま人生を終わらせる。
「自惚れるわけではないが、俺には竜と戦うだけの戦力を率いていた時期も、迷宮に降りる機会もあった。なのに竜と出会えなかった。それが悔しくてならんのだ」
膝の上の拳を握りしめるマイルズの向かいで、シュウは竜討伐への羨望に同意するように頷いている。コウメイは無言で、アキラも静かに老冒険者の思いに耳を傾ける。
「古い知り合いから迷宮都市に竜が出現したと聞いて、居ても立ってもいられなくなった。確かに俺は老いた。だがまだ剣を持って立っていられる、戦う力は残っているんだ。これが最初で最後の機会だと思ったら、居ても立っても居られんのだ。まだ体が動く間に、己の力で竜に挑戦したい……たとえ命を落とすとしても、俺は竜と戦いたい」
顔を上げたマイルズは、決意に満ちていた。強い意志のあらわれた目で彼らを見つめ、決して折れるまいと気迫をたぎらせている。
「過保護な守りは不要だ。俺とともに戦う仲間として、一緒に竜を討伐しないか?」
近年では見られなかった冒険者マイルズの覇気に、シュウは顔をほころばせ、コウメイは不敵に笑み、アキラは目を伏せて小さな諦めの息を吐いた。
この挑戦が最後になると自覚し、命をかけたいと本気で願うマイルズを止める権利は彼らにはない。だがアキラは、コウメイやシュウは、竜になぶり殺しにされる彼の姿を見たくなかった。
「……条件をつけますよ?」
自分たちを竜討伐に誘ったのは、戦力として必要だからだろう。ならばマイルズに力を貸す条件として、アキラは生き延びるための要求を突きつけた。
「私たち四人で真正面から竜と戦うのは、正直難しいです。あと一人か二人の戦力を追加したいのですが」
「えー、俺らパワーアップしてるし、四人でよくねーか?」
「俺はアキの意見に賛成だ。竜だけならどうにかなるかもしれねぇが、迷宮には各国の兵士や冒険者がうじゃうじゃいるんだぜ。そいつらに邪魔されねぇように戦う作戦も必要だ」
条件付きとはいえ賛同を得られたことにマイルズはほっと息をついた。シュウはもとより、コウメイとアキラも本気で竜を討伐することを考えているとわかり、彼の拳から力が抜けた。
「そうだな、竜が出現した直後から、各国とも戦力を増強している」
それだけではない、とマイルズが旧知から得た情報を彼らに話して聞かせた。
これまで冒険者を派遣していなかったニーベルメアやサンステン、マナルカトも精鋭を派遣し、迷宮都市には六カ国が揃っていると聞いている。そこに割り込むのも、妨害を阻むのも、簡単な仕事ではない。
そう説明されると、シュウもさすがに助っ人の必要性を認めるしかなかった。
「けどよー、俺らの邪魔になんねーくらい強い奴って、いるのかよ?」
「心当たりはあるが……」
「呼びたくねぇんだよなぁ」
顔を見合わせたアキラとコウメイが、心底から嫌そうに頬を引きつらせた。
純粋な戦闘力でいえば熊獣人のエルズワースかチェカットだが、彼らが人族に協力するとは考えにくい。また同様にアキラたちが知っている攻撃魔術の使い手を強い順に並べれば、エルフばかりになる。エルフに頼み事をすれば、その十倍の対価(お礼返し)を覚悟せねばならないのだ、安易に頼りたくはない。しかし人族に限定すると、途端に対象者が減るのだ。
「人族に限定するなら、魔術師だとジョイスさんか?」
「コズエちゃんを寡婦にする気か?」
炎の攻撃魔術師の力は頼りになるが、万が一のことがあればコズエに申し訳が立たない。却下だとアキラが首を振る。それならばとマイルズがミシェルの名をあげた。
「惨滅の魔女殿とは一度共闘してみたかったのだ」
「えー、そりゃ戦力的には問題ねーけどよー、ぜってー細目がくっついてきそーじゃん?」
「邪魔だ」
「パスパス」
攻撃力は申し分ないが、気まぐれで昼行灯な腹黒陰険細目は、いざ戦闘という場面でもサボりかねない。そんな魔術師を戦力として頭数に入れるのは危険だし、下手をすれば足枷になる。排除一択だ。
「他に頼れそうな心当たりはありませんか?」
「ミシェル殿も駄目で、お前たち三人の他にか? 難しいな」
マイルズは最も頼りになる戦力としてホウレンソウを頼ったのだ。さらにと言われても思いつく存在はない。
「エルネスティは呼び出せねーのか?」
「ああ、双璧の団長やってたんだよな?」
だったら戦力として問題ないはずだと問うコウメイに、彼は苦笑いで首を振った。
「爺さんは運がないんだ」
「運が、ない?」
「ああ。あいつは魔術はからっきしだが確かに強い。しかしな、とてつもなく運がないんだよ」
マイルズは懐かしそうに目を細め、楽しそうに語った。
「サイクロプスにとどめを刺す寸前で躓いたり、一人だけ防毒アミュレットが効かずにスコーピオン毒にやられたり、飯屋ではあいつの注文の料理だけが売り切れたりとな」
「飯はともかく、討伐中のは命取りになりかねねぇぞ」
「そこが不思議でな、爺さんに運がなくても必ず代わりにとどめを刺す者が隣にいたり、たまたま通りかかった薬魔術師から最高品質の解毒錬金薬を入手できたり、その料理に毒茸が混入していて食わなかった爺さんだけが腹を下さずにすんだとか、まあ、そういうふうに致命的ではなかった」
「……運が良いのか悪いのか、微妙ですね」
アキラは何とも言えない表情で眉をひそめた。そういえばエルネスティは、半エルフのくせに人族に捕まって奴隷の腕輪を着けられていたし、オルステインの王城を脱出したときも、アマイモ三号と再会したにもかかわらず見失っている。
そんな運の悪い男にマリとユウヤを託したのかと、少しばかり不安になったアキラに、マイルズは大丈夫だと言った。
「あいつは大きな意味ではとてつもなく運が良い奴だ。致命的な不運は必ず寸前で回避できていたからな」
「じゃあ問題ねーじゃん」
「問題はある。現役時代に爺さんと何度か迷宮都市に潜ったが、いつも外ればかりを引いていたんだ。一度も竜に出会えなかった……討伐メンバーに加えた途端、どこかの誰かに竜が討伐された知らせを聞くような気がしてならんのだ」
あるいは迷宮都市に到着した途端、目の前で竜が討伐される。そんな光景を見せられては心が折れてしまうだろう。
「それはキツイぜ」
「エルネスティはナシでー」
想像したのか、シュウはしかめ面で両手を胸の前で交差させている。
「となるともう誰もいないんじゃないですか?」
「いや、一人いるぜ」
魔術の本職でありながら剣を使える人物に一人思い当たったコウメイは、アキラとマイルズに現在のケギーテ魔法使いギルド長を知っているかと問うた。
「確かホルロッテという名の治療魔術師だったと思うが」
「引退してるならちょうどいい、ノエルさんはどうだ? あの魔術師、剣マニアでそこそこ使える武人だったよな?」
マイルズを師匠と仰ぐ魔術師なら、誘えば断わられはしないだろう。そう言ったコウメイにアキラは難色を示した。
「ノエルさんもそれなりのお歳だぞ。さすがに厳しくはないか?」
マイルズより若いとはいえ、七十代の老人を迷宮に連れて行くのは心配だ。それでも魔術師は実年齢より若いのだからとコウメイが推したが、肝心のマイルズがきっぱりと否を示した。
「ノエルが剣を使ったのは火山の戦いが最後だ。その後は攻撃魔術に専念していたから、剣士としての腕は保証できん。それに引退後は個人で国の依頼を請けているとも聞いている。迷宮でマナルカト国の兵士と対立することになっては申し訳がたたんよ」
思いつく人材を片っ端からあげていったが、迷宮に誘える人材は見つからない。自分たちの人脈が予想以上に高齢化している現実に、三人は寂しさと割り切れなさを感じた。
「やはりミシェル殿しかおらんのではないか? あのエルフの目を盗んで協力してもらえないか頼んではどうだろう」
それしかなさそうだと息をついて魔紙を取り出したアキラは、ミシェルに都合を問う手紙を書いて送る。
ふわりと宙に舞い、キラキラと美しい輝きに包まれて消えた魔紙を、マイルズは眩しげに見あげていた。
返事が来るまでは、宿の脱出方法も、迷宮への移動も、竜討伐の作戦も立てられない。しばらくのんびりしようとコウメイが新しく茶を淹れ直した。
「ちゃんと細目に見つからねぇようにって書いたんだよな?」
「当たり前だ」
「バレたらうるせぇだろうなぁアイツ」
想像するだけで茶が不味くなりそうだとコウメイが顔をしかめた。
「ならバレる前に、ぱーっと倒して、ささっと戻ってくりゃいーじゃん」
「日帰り遠足じゃないんだぞ」
そんなに簡単に竜討伐が終わってたまるか。あまり浮かれていると致命的なミスをしそうである。気を引き締めろとアキラがシュウの肩を叩いた。
聞き慣れない言葉にマイルズが顔を上げる。
「エンソク?」
「半日くらいの小旅行、ですかね」
「さすがに半日は無理だろう。移動も含め半年は必要だと思うぞ」
大陸ギルド長会議の開かれたサンステンの王都から迷宮都市まで、陸路なら最低でも二ヶ月は必要だ。途中で物資の調達や武器のメンテナンスの時間も考えると、もっとかかるかもしれない。
「ミシェルさんから返事、いつ届くんだろうなぁ」
幸いにも与えられた宿屋の部屋は広くて快適だし、提供される食事も悪くはない。宿に引きこもっていればストーカー連中は押しかけてこられないし、のんびりするのも悪くはないが、あまり遅いのはシュウのやる気が抑えられなくなりそうだ。
「とりあえず二、三日は待ってみよう」
その間は会議の疲れを癒やしつつ気ままに過ごすことにした。
ミシェルからの返事が届いたのは、引きこもり生活二日目の夜だった。