11 魔力震
アキラはモヤモヤとした不快感に悩まされていた。
何か忘れているような気がするのだが、それが何なのかがわからない。そのうち思い出すだろうと後回しにし、鞠香と祐也の訓練に付き合っているうちに、何かを忘れていることすら忘れてしまっていた。
そうして何日も過ぎた先ほど、たまたま木の根に躓いて転び、両手を地面に突いた拍子に、何を忘れていたのかを思い出した。
「……あれが無関係なはずがないんだ」
採取のために森に入ったばかりのアキラは、勢いよく立ち上がるとそのまま森の家へと引き返す。
「おい、早くねーか?」
出かけて鐘一つも立たない間に戻ってきたアキラには、カカシタロウとともに畑の世話をする鞠香や祐也も見えていない。シュウの声も耳に入っていない姿は、まるで戦に向かっているかのようだ。そんな鬼気迫る様子で、アキラはまっすぐにリンウッドの小屋へと向かった。
「リンウッドさん、先日の地震に気づいていましたか?」
小屋の外で何やら作業をしていたリンウッドは、驚いたようにアキラを振り返る。
「地震……ああ、魔力震か」
「魔力、震。魔力によって受ける影響が異なる地震で間違いありませんか?」
そうだ、と頷いたリンウッドは、アキラを促して母屋の研究室に移動した。
「やっと気づいたのか」
「あれは普通の地震じゃなかったんですね」
この世界にも自然災害はないわけではない。だがアキラはこれまで地震らしきものを経験したことはなかった。先日のアレがはじめてと言ってもいい。しかも三人とも感じ方が全く異なっていたため、なにかこの世界独特の自然災害に違いないと思っていた。リンウッドにたずねようと思っていたのに、日々のあわただしさにすっかり忘れていた。
「何を普通というのかはわからんが、魔力を持つ者だけが感じ取る揺れという意味では、確かに火山による地揺れとは別物だな」
それで何を聞きたいのかと視線で促され、アキラは早口で疑問をぶつけた。
「あれはどのようなときに起きるのですか? 規模や周期はわかっているのですか?」
「それほど頻繁に起きるものではないからな、研究はほとんど進んでおらんよ。俺も経験するのはまだ三度目だ」
リンウッドは久しぶりの魔力地震に、過去の記録を確かめようと手持ちの文献を順番に読んでいるところだった。はじめて経験したというアキラに、彼は現在わかっていることは少ないと説明する。
「魔法使いギルドが研究しているらしいが、原因は不明だ。大きな魔力が働いたことは間違いないが、それがいつどこで発生するのかは特定できていない。過去の記録では関連すると思われるなにがしかは見つけられていない」
「魔力震のもたらす影響は、何もわからないのですか?」
「いくつか、普段とは異なる現象が見られるが……実際のところ、ハッキリしておらんようだぞ。何しろ地震が起きている間の魔術師は役立たずだ」
「では、魔力震の原因もわかっていない?」
「そうだ。いつも突然発生し、あっという間に終わってしまうからな」
立っていられないほど強い揺れに翻弄されていては、周囲を観察し記録を取ることは不可能だ。わかるだろう、と視線で問われ静かに頷いたアキラは、まっすぐに師匠を見据えて言った。
「もしかしたらあの地震が、別大陸から人を招き寄せる引き金かもしれません」
「……どういうことだね?」
「あの地震の直後に、鞠香さんたちを発見したんです」
魔力震と異世界転移、とても偶然とは思えないとアキラが訴える。
アキラの説明に、リンウッドは唸った。本棚から何冊か選び出して抱え、アキラを促して研究室を出る。その足が向かうのは地下の転移室だ。
「ミシェル殿とも情報を共有すべきだ」
「魔法使いギルドから記録などを借りられればいいのですが」
二人は足早に階段を降りた。
長椅子にくつろいでいたミシェルが、バタバタと慌ただしい足音を聞いて驚いたように顔を上げた。アキラが自らここに降りてくるのも珍しければ、リンウッドが駆けるのも滅多にないことだからだ。
「ミシェル殿、魔力震について意見を聞かせてもらえるだろうか」
リンウッドの固い声と、その横で表情を凍らせているアキラの様子に、彼女はただ事ではない何かを感じた。
「ああ、先日のあれね。いつものようにギルドで研究部会が再結成されて、各地の調査がはじまっているはずだけれど、結果が出るのはもう少し先になると思うわ」
「過去の記録を見せてください」
「アキラが、別大陸人の出現に魔力震が関係しているかもしれないと言うのです」
「……詳しく聞かせてちょうだい」
ふわりとした空気を一変させたミシェルは、二人を連れてテーブルに移動した。記録用の植物紙の束を用意し、ペンを握る。
「それで、何を根拠にそう言うのかしら?」
「その前に確認したいのですが、前回魔力震が発生したのは、新聖暦六四八年の八月の末頃ですか?」
質問に質問で返したアキラの横で、リンウッドが素早く記録簿をめくる。
「六四八年の八月の二十六日だ」
「……その日、私たちはこの大陸に放り出されたんです」
息をのんだミシェルのペン先が引っかかり、紙にインクが散った。
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アキラたちが別大陸人であることを隠していたのは、この大陸の法律や慣習を知らなかったからだ。身分証を手に入れ、こちらの生活にも慣れてきたころには、妹やその友人らは隠す必要もなくなったが、アキラとシュウは違う。エルフ族であること、獣人族であることを隠し続けた結果、別大陸人であることも隠し続けることになった。
「今回の騒動でマイルズさんたちにも知られてしまいますが、今さら知られたところで困りはしませんし」
「あなたは、そうね……」
ミシェルはかつてアキラが絞り出すようにして言った言葉を思い出した。
『人族になる方法はないのか』
あれは「人族に戻る方法」を口にできなかったからだろう。
人族に戻りたいと願い、この大陸で生き延びるために努力した彼が、その望みとは正反対の存在に成長してしまったのは皮肉である。
「今回の魔力震のときに鞠香さんたちが出現しました。そして私たちより前にこちらにやってきた男性は、エルフ族の領域に囲われて生きています」
アキラの説明にミシェルは意識を目の前の問題に引き戻した。
「俺がはじめて魔力震を経験したのは六歳の春だった。新聖暦の五三〇年だな」
まだ神殿での検査を受ける前に魔力震を体感したことで、自身に大きな魔力が備わっていると気づくきっかけになったとリンウッドが語る。
「エルフ族にいる彼は、四九八年の夏だったそうです」
「……あるぞ、その年の七月の頭に魔力震が観測されている」
「これは予想以上に別大陸人が……別大陸のエルフや獣人族が、この大陸に紛れ込んでいるようね」
二つ重なっただけでは偶然の可能性は捨てきれないが、三度となれば無関係と切り捨てられない。
「ミシェルさん、アレ・テタルの書庫から魔力震に関する資料を借りられませんか?」
「今は無理ね。元々外部への持ち出しを禁止された記録だし、三十七年ぶりの魔力震を調査するため、各ギルドで研究部会が再結成されて、資料も活用されているでしょうし。アキラは魔力震を調べて何をしたいのかしら?」
「発生条件です。それがわかれば別大陸人の不幸を防げるかもしれません」
「……不幸」
「アキラ、あなたは自分が不幸だったと思っているのね?」
「いいえ」
寂しそうに問うミシェルに、アキラはきっぱりと首を横に振る。
「理不尽だと思うこともありましたが、今は満足しています。けれどそうではない人も多かったはずです……特に何の知識もないまま、エルフや獣人としてこちらに放り込まれた人の中には、知らないために命を落とした方もいるでしょう」
「ええ、そうね……」
もしあのとき知っていたなら、とミシェルはため息をついた。魔力がほとんど感じられないエルフ女性の事情を知っていれば、もしかしたら救えていたかもしれない。彼女だけではなく、兄も。
「魔法使いギルドの調査と研究は、魔力震が大陸に及ぼす影響に偏っているわ。発生原因や条件についての研究記録は見た覚えがないの。ギルドの記録を頼るよりも、我々よりも長く生きている彼らの知識を借りるほうが得策かも知れないわね」
エルフ族のなかでも長老クラスの人物なら、旧聖暦から生きている者もいるだろう。彼らなら何かしら知っている可能性は高い。そう言われてアキラは心底から嫌そうに顔を歪めた。
「……エルフ族の長老ですか」
饒舌どころか延々とループする倍速再生の関西弁、それもこちらの質問に全く関係のない返事が十も二十も返ってくるような会話は二度としたくないのだが。
「アレックスを呼び戻す?」
「鎖付けを放り出しそうですので止めましょう」
だがアキラには他にエルフの知り合いは……いないわけではないが、連絡を取る手段のある気安い者はいない。
「わたくしが連絡をとれるのは、アレックスの他にはヘルミーネかレオナードだけなのよ」
レオナードと聞いてリンウッドの体が強張る。
「ヘルミーネさんは存じませんが、レオナードさんに話をするのは難しい気がします」
「ご機嫌取りのお土産も用意できないし、ちょっと時期が悪いわね」
コウメイが戻り、万全の体制を整えてから連絡を取ると決めた。それまでは魔法使いギルドの調査報告を入手する算段をし、ついでに過去の魔力震の発生時期に、大陸に不慣れな様子の人物がいなかったか調べてもらうことにした。
「鞠香さんのように保護された者がいなかったかどうか、冒険者ギルドに物慣れない人物が身分証を求めてやってこなかったか、古い記録になるので難しいかもしれませんが調べたいですね」
「わたくし、今の冒険者ギルドに伝手はないのよ。アキラのほうが融通を利かせられるのではなくて?」
「わかりました。ハリハルタと、ダッタザートに頼んでみます」
ジョイスへの依頼に加えて、ヒロへの頼み事も書き添えて魔紙を飛ばす。それが終わるのを待ち構えていたかのように、リンウッドが問うた。
「先日の魔力震について聞きたいのだが、シュウとコウメイはどのように感じ取っていたかわかるか?」
「コウメイは立っていられたようでしたよ。踏ん張るようにしていましたが、支えがなければ立てないという様子ではありませんでした。シュウは何も感じていなかったですね。私とコウメイが揺れに翻弄されるのを間抜け顔で見ていましたよ」
「ふむ、コウメイは人族でシュウは狼獣人だが……。アキラがこちらにやってきたときの魔力震はどうだったのだね?」
「何も感じませんでした」
魔力の有無で感じ方が変わるのなら、あのころは魔力がほとんどなかったからではないだろうか。当時を思い出しながら説明すると「それはどうかしら」とミシェルが小首を傾げて否定した。
「魔力震は微量でも魔力を持っていれば必ず感じるものなのよ」
例えばめまいや立ちくらみのようであったり、虫に刺されたようなチクリとした痛みであったり、背中から突風に押されるようであったりと、大なり小なり影響は受けるのだ。エルフであればわずかであっても魔力を必ず保有しているため、何かしらの感覚があったはずだとミシェルが問う。
「……どうだったか覚えていません。めまいを感じたような気もしますが、突然目の前の景色が変わったせいかもしれませんし」
正直、四十年近くも前の、混乱と緊迫の状況のはっきりとした記憶はない。銀狼に襲われたこと、水に映った自分の姿に驚きと怒りを感じたこと、睡眠不足と疲労で最後は朦朧としながら森を脱出したこと。思い出せるのはそれくらいだ。
「転移するときには感じないのかしらね」
ミシェルが異なる魔力を帯びた魔紙を差し出した。
「こちらがヘルミーネの、その隣がレオナードの魔紙よ。どちらに知らせるか、内容もだけれど、あなたに任せるわね」
「任せないでくださいよ」
「わたくしは死人だもの、死人に人族とエルフ族の仲介はできないわ」
「死んだふりはやめてもいいんじゃないですか?」
「まだ二十年も経っていないのよ、わたくしを知る魔術師がまだたくさん残ってる間は隠れているつもりよ」
ミシェルの知り合いはみな高位の魔術師ばかりだ。魔力量の多い彼らはそろいもそろって長生きだ。あと五十年は安心できないと彼女は二枚の魔紙をアキラに押しつける。
「それに別大陸からの流入を止めたいのはアキラでしょう? だったら自分でやるのが筋だわ」
「……」
ミシェルの正論に一言も返せなかったアキラは、汚物に素手で触れるような手つきで魔紙をつまみあげ、嫌悪感まる出しの顔でそれをしまい込んだ。
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黒パンと野菜のスープ、焼いた腸詰め肉と畑から採ってきたばかりの野菜サラダを囲んた昼食の席で、アキラはさりげなく転移事変へと話題を向けた。
「森の中にいる直前のことですか?」
「そうです。白い場所で種族を選んだあたりのことは覚えていますか?」
「あ、はい。神様夫婦の喧嘩ってやつですよね」
ミシェルは興味深げに、リンウッドは板紙とペンを脇に置いて聞き耳を立てている。
「その余波で大変な事故になって、修正したけど完璧じゃなくて、終わる予定じゃなかった人が続けて生きられる場所に送るって」
「そしたら白い光がぶわって膨らんだ感じで、飲み込まれるって目をつむったんです」
「それで気がついたら森の中でした」
鞠香と祐也の証言はアキラたちの経験と全く同じだった。
当時の腹立ちを思い出したシュウの声がかすれる。
「その神様夫婦って、そんなに頻繁に喧嘩してんのかよ、迷惑だなー」
「後始末させられるほうもたまらないだろうに、誰か止める神様はいないのだろうか」
「夫婦喧嘩した神様って、この世界の神様なんですか?」
渋面の二人に向けた鞠香の疑問に答えたのはミシェルだった。
「違うわね。わたくしたちには一神しかおられないの。この大陸を見守ってくださっているのは、女神モナッティークだけよ」
「一人しかいないんですか?」
「ええ、もうモナッティークしか残っていないの」
ミシェルは寂しそうに窓の向こうに見える空を眺める。
「神様が一人しかいないのなら、夫婦喧嘩中の神様ってここのじゃねーよな」
「どこの夫婦神かは知らんが、そろそろ仲直りしてもらいたいものだ」
誰でもいいから夫婦神の仲裁をしてくれ、そんな冗談とも恨み言ともとれる会話とともに、彼らは昼食を終えた。