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09 狼の遠吠え



 アレックスを連れて訪問した女冒険者の家では、自宅のようにくつろぐ転移エルフと、彼を片時も離さないジェミニの嫉妬心によって疲弊させられた。


「冗談じゃねぇ。誰があんな不細工なガキに横恋慕するかよ」

「せやな、ワシも好みと違う言うたのに、あのガキ、ねぇちゃんを煽りよるし」


 幼少時から討伐冒険者をしているジェミニは、男に免疫がなかったのだろう。町に突然現れた美しいエルフに甘く囁かれてのぼせあがり、訪ねてきたコウメイとアレックスを、美貌の少年エルフを奪いに来た恋敵だと決めつけた。


「フシャー、フシャーて猫みたいやったな、ワシ引っ掻かれるか思うたで」

「てめぇが面白がって挑発するからじゃねぇか。それに引っ掻かれそうになったのは盾にされた俺だ」


 コウメイが身分証を手渡そうとすると割って入り、アレックスが鎖で縛ろうとすると毛を逆立てる。口を開かねばアレックスは見た目は知的な美形だし、コウメイは歩くフェロモン垂れ流しだ。二人が自分のエルフを見初めて訪ねてきたと勘違いするのも無理はない。だがもっとも質が悪いのはタクマだった。ジェミニの早合点を利用して嫉妬心を煽り、自分への依存度を高めようとする転移エルフは本当に厄介だ。

 年上は得意と豪語するだけあって、タクマの言葉選びや視線による誘導は、恐ろしいほど女冒険者を揺さぶり惑わせていた。それを面白がった腹黒陰険細目が、ジェミニをチクチクと挑発するものだから、彼女の手が剣に伸びたのを見たコウメイは、抜かせてはまずいと身分証を投げつけ、細目の襟首を掴んで逃げ出したのだ。


「あない慌てんでも、コウメイ負けへんやろ」

「ふざけんな。町中で抜剣騒ぎを起こしたなんてバレたら、シュウに馬鹿にされるだろ」


 しかも一方的な痴情のもつれが原因だと万が一にも知られたら、絶対零度がこの世のものとは思えない美しい笑みを見せるだろう。まだ死にたくない。


「で、鎖はつけたのかよ?」

「フシャーて言うとる隙にパパッと終わっとるわ」

「なら用は済んだな、さっさと次に行けよ」


 大通りまで出てアレックスをぽいっと放り出したコウメイは、そのまままっすぐに市場を目指した。日持ちのする野菜をいくつか購入し、馴染みの店で卵を一箱注文した。


「肉は買わんでええん?」

「マイルズさんが狩ってくる……てめぇ、次いくんじゃなかったのか」

「ワシまだコウメイの飯、ちょっとしか食えてへんし」

「ミシェルさんにサボってるって言いつけるぞ」

「サボってへんて! 狼のほうの後始末にくるエル坊を手伝うたらなアカンから、まだ町出られへんだけや!」


 慌てっぷりが怪しいが、ハリハルタのギルドに狼二人の尻拭いを任せるのは確かに不安だ。獣人族への緊急連絡手段として細目が町にいるのは、マイルズらにすれば心強いだろう。もう少し我慢するかとため息をのみ込んだ。

 露店の商品を吟味するたびに、後ろからのぞき込んで「牛の乳買わんの? ワシ牛乳寒天食いたいわ」とか「ずっと前に食べた甘芋のパイ美味かったなぁ」とやんわり要求する細目の昼行灯はとてもうっとうしい。


「買わねぇし作らねぇ。昼飯食いたいなら黙ってろ」


 一言でも喋ったら食事抜きだと言った途端、アレックスは口を閉じた。

 

   +++


 アレックスがマイルズ宅の台所に居座って四日目の朝、エルズワースがハリハルタにあらわれた。

 開門と同時に町に入り、冒険者ギルドで場所を聞いて訪ねてきた彼は、我が家のごとくくつろぐアレックスを見て顔をしかめた。


「まだここにいたのか」

「エル坊を待っとったんやで。ああ、ここ座ったらええ。腹減っとるんやろ、ちょうど朝飯食うとったところやねん。ジブンも食うやろ?」


 招き入れられたエルズワースはアレックスを無視し、大きな体を少し丸めてコウメイに笑いかける。


「すまんな、いいか?」

「卵は何個だ? 腸詰めは何本いる?」


 気にするなと笑って返したコウメイは、手早くサラダを盛り付け、エルズワースが遠慮がちに立てた指の数の卵を焼き、ソーセージをボイルした。パンにジャムの瓶を添えて出すと、彼は垂れ落ちるほどの量を塗ってご機嫌だ。熊獣人の旺盛な食欲は、レギルジャムたっぷりのパンと三つ目玉焼き、親指よりも太いソーセージを五本あっという間にたいらげた。


「ギルドで狼獣人の噂を聞いてみたが、頭が痛くなるような話ばかりだったぞ」


 食事を終えコレ豆茶で一服したエルズワースは、満腹後にしては渋い顔だ。

 身分証を渡されたクロスとグランドは、討伐報酬を狙って森に出かけるようになった。討伐冒険者としての訓練も、魔物知識の基礎教育もサボった二人が狩れるのは、角ウサギがいいところだろう。だが己の力量を測れない彼らは、無謀にも森に入って魔物と遭遇し、偶然通りかかった町の冒険者に助けられている。何度もだ。


「それ偶然なん?」

「ギルドが雇った護衛だ。獣人族が死体になって発見されるのは困るからって、交代でこっそり護衛をつけてるらしいぜ」


 その経費をスタンピード対策の予備費から支出しているとかで、デロッシは頭を抱えていた。


「命を助けてくれた冒険者から獲物を強請っているとも聞いたぞ」

「らしいな。倒したのはあんたらだが発見したのは自分たちが先だ、半分よこせって言ってるんだってな」


 ギルドからは狼獣人に敵対するなと強く命じられているし、獣人族と揉めて種族間戦争の引き金になりたくない冒険者側は、怒りも不満も堪えるしかない。


「獣族の矜持はないのか、矜持は!」


 ギルドで仕入れた噂を反芻し堪えきれなくなったのだろう、エルズワースの拳がテーブルを叩いた。ギシ、と嫌な軋みが聞こえて、コウメイは慌ててテーブルの下をのぞき込む。脚は折れてもいないし、天板にひび割れも入っていない。胸を撫で下ろしたコウメイは、これから先の話し合いでヒートアップしないように、ギルドに差し入れる予定だった蜂蜜入りのサクサクパイでエルズワースをなだめた。


「その護衛仕事、割に合わんやろ」

「全くだ。ハリハルタにゃもう引き受ける冒険者は残ってねぇってよ」

「噂が伝わるのは早いぞ。隣町の冒険者にも断わられたそうだ。はじめて立ち寄った俺にまで、護衛の経験はあるかと打診してきたくらいだぞ」


 昨日からはデロッシの伝手で引退冒険者が駆り出されている。今日はマイルズも呼び出され、陰ながら狼二人を守って森を駆け回っているはずだ。


「アキからは獣人族の総意は得られねぇって聞いてるけど?」

「ああ、救う方向に固めるのは難しいだろう。実際に見てみなければ何とも言えんが、話を聞く限り、狼二人のような獣人未満ばかりだとしたら、抹殺の方向に意見を固めるのは難しくない気がしてきた」


 獣人族はゴブリンすら屠れないような者に存在価値を見出さない。獣の力が備わっていなくとも、本人に気持ちがあれば救済もやむなしと考えていたエルズワースですら、さすがにクロスとグランドに手を貸す気にはなれないと語った。


「総意は無理いうけど、せやったら獣人の死体が出たときどないするん?」

「……それぞれの種族に任せることになるが」


 エルズワースは困り切った様子で唸った。


「狼は理由など聞かずに報復に出るだろうし、狐はより多くの利を得るため引っかき回すだろう。猫は種族に悪い影響を及ぼすとはっきりすれば、真っ先に抹殺しに来るだろうな」


 兎はより強い意見の種族に追従し、角族は同族でない限りは静観だろう。羽族はそれが雄であったなら大声で囀るが、すでに飛べなくなった者ばかりだから報復行動に出るのは難しい。各種族の反応を想像したエルズワースは頭痛を感じたのか、鉢巻きの下のサークレット越しに額を撫でた。


「アレックスは転移エルフに目印をつけると言うが、それを獣人族にも施してもらえんだろうか」

「それ、全種族の同意得られるん? いくらワシかて勝手にやるわけにはアカンわ。それになぁ、鎖つけてもジブンらには見えへんで?」

「そうなのか?」


 魔力の鎖なのだ、獣人族にはもっとも向かないマーキング方法だ。


「それに判別はジブンらの本能のほうがずっと正確や思うけど?」

「……生きていればだな。さすがに死体では本能に目覚めた獣かどうかは見分けられん」


 森の家から町までの移動の間も、ずっと考え続けてきたのだろう。だがこれといった転移獣人対策を思いつけなかったようだ。


「ここで話し合ってても決まらねぇなら、実物を見定めに行こうぜ」


 エルズワースにとって人族の街で狼二人が戻るのを待つのは苦痛だろうと、コウメイは鬱憤晴らしをかねて討伐に誘う。


「助けに入った冒険者なら、話しかけても不自然じゃねぇだろ」

「森は広大だぞ、すぐに見つけられるか?」

「ゴブリンどころか銀狼ともまともに戦えねぇ奴らだぜ、そんな奥までは入ったりしねぇよ。護衛も目印つけてるだろうし」


 それならとエルズワースは立ち上がった。剣を持ったコウメイに、アレックスはひらひらと手を振る。


「ワシは留守番しとるし、楽しんできてな」

「てめぇはさっさと次に行け」


 マイルズの家に腹黒陰険細目を残しておくのは心配だが、ここ数日アレックスと一緒で忍耐が限界に近づいていたコウメイだ。心の中でマイルズに詫び、エルズワースとともに森に向かった。


   +


 デロッシに教わった目印をたどって、コウメイとエルズワースは軽やかな足取りで森をすすむ。狼の二人は木々の間から平原が見え隠れするあたりにいた。彼らなりに方角を見失わない工夫なのだろう。


「連中は薬草採取をしにきたのか?」

「いや、たぶん討伐のつもりじゃねぇかな」

「角ウサギ狙いは討伐とはいわん、ただの狩りだ」


 情けないとエルズワースは怒りを滾らせている。この程度の森でも、都会育ちの高校生男子には脅威に感じるのだ。それを知っているコウメイは、苦笑いで熊獣人を促した。


「いたぜ、狼だ」

「……大蜘蛛が相手か」


 三匹の大蜘蛛に囲まれたクロスとグランドが、背中合わせに剣を構えている。冒険者ギルドで借りた剣を振り回す二人は、蜘蛛の毒爪をなんとか剣で弾き返した。

 その隙に大蜘蛛の下を滑り抜けながら脚を切り、背後に回ってとどめを刺せば戦闘はすぐに終わるのだが、二人はその場から動かない。


「あぁ、蜘蛛の糸に足を固定されてんのか」


 二人とも体力はありそうだが、さすがにこのままでは保たない。狼の向こう側の木陰ではマイルズらがそろそろ助けに入ろうとしている。コウメイはマイルズにわかるように合図を送った。


「行こうか、エルズワースさん」

「それほど気合いの必要な魔物ではないのだが」


 マイルズからの合図を待ってコウメイが剣を抜き、エルズワースも仕方なさそうに踏み出した。


「助けは必要か?」


 声をかけられた二人はコウメイを見て目を輝かせた。


「あ、あんた!」

「頼む、何とかしてくれっ」

「了解」


 コウメイは一閃で、二人に襲いかかる二匹の前足を斬り落した。クロスに覆い被さる蜘蛛の顎を叩き上げて割り、グランドに這い寄る蜘蛛に振りかぶる。胸部と腹部をすっぱりと斬られて大蜘蛛は息絶えた。残る一匹はコウメイがあらわれた瞬間に逃走をはかったが、エルズワースの一振りで頭を潰されてすでに屍だ。

 足に巻き付いた蜘蛛の糸から逃れた二人は、安堵から脱力して座り込んだ。


「怪我はしてねぇようだが、ちょっと見ないうちにボロボロだな」

「……しかたないだろ、まともな武器も防具もないんだぞ」

「そっちじゃねぇよ、汚いつってんだ。風呂入れよ」


 衣服の傷みは激しく、あちこちが破れたままだ。風呂に入る精神的な余裕もないのだろう、髪は脂と埃で固まっているし、顔や腕には青痣や擦過傷の痕がいくつもあった。

 自覚はあったのだろう、コウメイに指摘されてクロスは悔しそうに内向き、グランドは恥ずかしそうに顔を背けた。


「風呂なんてどこにあるんだよ?」

「洗い場の使い方、教わらなかったのか?」

「……水がちょっとしかないのに、どうやって洗えばいいんだよ」

「そこからかよ」


 思わず額を押さえたコウメイだ。ゲームのつもりで行動するなら、チュートリアルでしっかりと学ぶべきだし、それをしないのなら疑問はNPCにたずねるしかないのに、彼らはそれもしていないのだ。そもそもは冒険者ギルドが用意した教育訓練をすっ飛ばしたのが間違いなのだが。


「なあコウメイさん、この蜘蛛の討伐報酬、俺たちに譲ってくれないか」

「頼むよ、俺たち金貯めなくちゃならないんだ」


 なれなれしく頼み事をする二人に、我慢も限界だとエルズワースが口を挟んだ。


「貴様ら、礼も言えないのか?!」


 命の恩人に対し、感謝するよりも先に報酬を強請るとは何事か、とエルズワースの叱責が飛ぶ。


「あ、あんた何者だよ?」

「コウメイの友人だ。冒険者の原則は自立自助なのを忘れたのか?」

「そ、そんなこと、知らねぇよ」

「知らないとしてもだ、命を救ってもらっておきながら礼の一つも言えんのか!」


 エルズワースに一喝され、二人が跳び上がった。

 これまでもデロッシらがさんざん説明し、叱ってきたはずだが、彼らの頭には残っていないらしい。コウメイは様子をうかがっているマイルズらに軽く合図を送ってから、二人に向き直った。


「今はクロスとグランドだっけ、二人とも自分たちの評判を知らねぇのか?」

「……」

「悪評は聞こえてるようだな。これまで何回冒険者に助けられたか覚えているか? 毎回ちゃんと感謝したのか?」

「……けど、俺らは」

「出身や不遇な環境にあるからって、基本的な礼儀を無視していいわけねぇだろ。助けてもらったら礼を言うのは、どの世界でも同じだ」

「……」

「いいか、勘違いするなよ。魔物は倒せば死ぬし、クロスとグランドも怪我をすれば痛みを感じるし最悪死ぬ。それはあんたたちを助けてきた冒険者だって同じなんだ」


 自分たちが死に戻りできないのと同じで、他の冒険者も町の人々も死ねばそれで終わりだ。それでも未熟な二人を守ってくれた相手に感謝もできないようでは、もう二度と誰も助けてはくれないぞ。

 静かに、淡々としたコウメイの言葉に、二人の視線がどんどん下に落ちてゆく。


「後ろを見ろよ」


 コウメイに促されて振り返った二人は、そこにマイルズやデロッシら数人の冒険者がいるのを見た。老冒険者らは醒めた目で、クロスとグランドがどのような結論を出すのかを静かに見極めようとしている。


「二人だけで魔物を討伐して帰ったことねぇだろ? 必ず誰かに助けられたはずだ。それが偶然だと思うか?」

「……思いま、せん」

「客観的に自分が見られるようになったなら、どうすりゃいいかわかるだろ?」


 二人はゆっくり頷いてから、デロッシに頭を下げた。


「大蜘蛛から助けたのは俺たちじゃねぇ、コウメイとそっちの御仁だ」


 自分の言葉が届かなかったのは、彼らが狼獣人だからと遠慮したのが原因だったと気づいたデロッシは力なく息をついた。相手が獣人だろうとかまわずに怒鳴り叱りつけるコウメイの友人のようにするべきだった。


「コウメイさん、それとそっちの人も、ありがとうございます」

「助けてくれてありがとう」


 エルズワースは二人を一瞥しただけで無言だ。そのまま大蜘蛛を解体しようと背を向ける。コウメイは背中がむず痒いと顔をしかめた。


「……変わり身早くて気持ち悪ぃな」

「ひどいよ。本気で反省したのに」

「だったらしばらくはギルドで勉強し直せ」


 ちょうどいい、さっそく勉強だと二人の背を押した。大蜘蛛の腹を割き糸袋と魔石を取り出すエルズワースの見学である。


「大蜘蛛の証明部位は糸袋だ。これは買い取り素材でもあるから絶対に取り忘れるな。あと魔石もだ。塵も積もれば山になるんだ、無駄にするなよ」


 手際のよいエルズワースの解体をコウメイが丁寧に解説してゆく。助けられてばかりだった彼らだが、魔物や魔獣の解体には慣れてしまったらしく、大蜘蛛の腹を裂いたり頭を割っても気持ち悪そうな様子はない。これならきちんと学び訓練すればなんとかなりそうだとコウメイは安堵した。



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