06 エルフの視察
熱の下がった二人の、深魔の森暮らしがはじまった。
「二人をここに置いておけるのは三ヶ月間です。その間にこの世界で生活する手段を学んでもらいます」
「さ、三ヶ月」
「その後は……?」
「希望する場所へ送っていきますよ」
そうは言われても、鞠香が知っているのはこの森と、アキラたちと生活するこの家だけだ。
「まずはここでの生活に慣れてからですね」
「心配するなって。ちゃんと色々教えてやるからさー」
「よかった。畑仕事とか、これからがんばって勉強します」
「生活は日本とそんなに違わないし、大丈夫だと思います」
同意を求めるように振り返った祐也に、鞠香も安堵の頷きを返している。それを見たアキラは、眉根を寄せて小さく首を振った。
「……この家は特別なんですよ。この世界の普通の暮らしとはかなり違います」
こちらでの一般的な生活は、簡単に表現するなら「電気のない田舎暮らし」だ。説明された鞠香と祐也はピンとこなかったようだが、それも仕方がないだろう。
「ここまで魔道具をそろえた家は、あまりないのですよ」
アキラたちの住む家は、魔道コンロにオーブン、魔道レンジ、魔道冷凍庫に保存庫、追い焚き可能な風呂に、スイッチを押せば出る水と、日本での生活に近づけた工夫がされている。最初にこの暮らしを経験した二人が、この世界は家電がない、魔道具コストのかかる贅沢品であると理解できなくて当然だ。
「それってどれくらい珍しいんですか?」
「知り合いの、菓子店と宿屋を営んでいる夫婦の家は、業務に必要なので調理器具は魔道具でそろえてあります。それでも水道設備は備わっていないので、飲み水は井戸から汲んでいますね」
「サガストって町の薬屋は、調合に必要な道具以外は薪使ってたし、風呂に湯船はねーよ」
当たり前にある家電のない暮らしが想像できない二人だ。特に鞠香は、風呂がないと聞いて顔色を変えた。
「え、お風呂ないんですか?」
「洗い場といって、汚れ物を洗う部屋で洗濯したり、体の汚れを落としたりしていますね」
「湯船の代わりにタライに水貯めて浸かってたぜー」
この家の玄関横にある石床の間がそれだと教えられた二人は、困惑し顔を見合わせた。
排水用の穴と、水を蓄えておく大きな瓶しかない土間は、農作業の汚れを室内に持ち込まないための、ワンクッション程度に思っていたのだ。
「ここでの暮らしは、それなりに裕福な中級貴族並だと覚えておくといいわよ」
そもそも貴族の生活というものを知らない二人は、ミシェルの助言でますます混乱していた。
「どーするよ」
「どこかで研修させてもらうしかないな」
「どこで?」
「……」
これにはアキラとシュウも頭を悩ませた。最初に便利で清潔な暮らしに慣れてしまえば、レベルを落とすのはかなり苦労するだろう。田舎町の一般的な民家で、実際に生活し慣れるしかないが、その伝手がない。
「ネイトさんトコはどーよ?」
「過疎がすすみすぎてて社会勉強には向かない」
それに最近のあの港は、獣人族が多く利用している。もし二人がエルフや獣人族に関わらない生き方を望んだ場合、近づいてはならない場所だ。
「しばらく魔道具を使わない生活をするしかないか」
この家での生活水準を落とせば、現実とのギャップに苦労することもないだろう。
魔道冷蔵庫と冷凍庫の使用禁止、もちろん魔道コンロもオーブンもレンジもだ。風呂の水は水魔法ではなく川から運ぶ……いや、こちらも使用禁止にして洗い場に桶を置くとしよう。
不便な生活がはじまると知って不安そうな二人に、森の野宿よりはずっと快適ですよと言い含めた。
+
働くと言った二人を、アキラは夜明けと同時に起こし、果樹園と菜園の手入れを手伝わせた。農作業をするカカシタロウを見た二人が「ラ〇ュタのロボット兵っぽい」と興奮しまとわりついている。楽しみを見つけられてなによりだ。
朝食はバーベキューコンロを使って作る簡単な料理だ。薪に火をつけるコツを掴むのは祐也のほうが早かった。火加減に苦労していたが、卵を焼いたり簡単なスープを作るのは鞠香が担当した。
「キャンプだと思えば何とかなりそうです」
ルーなしのカレーを作るつもりで完成したスープは、味はぼんやりとしていたが、具だくさんで食べ応えはあった。丸芋がたくさん入っているので、リンウッドはご機嫌だ。この世界の主食はパンだが、あいにく在庫がない。鞠香も祐也もパンを焼いたことがないため、パンケーキで代用した。
「パンなら焼けるから、わたくしが教えるわ」
「ミシェルさん、料理なんてできんのかよー」
「あの島ではパンは買えないでしょう。食べたければ作るしかないのよ」
コウメイのようなやわらかいパンは難しいと言い、ミシェルはこの世界の一般的なパンの焼き方を教えることになった。
水瓶の水で食器を洗い終えてから、鞠香と祐也の勉強がはじまる。
「まずは手荷物を確認しましょうか」
それぞれが持っていた荷袋の中身をあらためて確認した。修学旅行中だった二人は、手荷物も似たり寄ったりだ。所持金にも大きな差はない。
「これ、スマホだと思うけど、なんか使えなくなってて」
祐也が寂しそうに銀板を撫でた。鞠香はさほど思い入れがないのか、テーブルに置きっぱなしである。
「用途は違っていますが、使えますよ」
「本当ですか?」
「ええ。けれど今のあなたたちにはおすすめできません」
祐也から銀板を借りたアキラは、表面の小さな窪みを人差し指で撫でた。
「あ、点いた!」
「……地図みたいなのが出てるけど」
「なんか赤い三角がいっぱいある」
横からのぞき込んだ鞠香は、森の中にある赤と青の三角と、森の外にある複数の赤三角を見て、表示の意味に気づいたようだ。
「青が自分、赤は繋がっている誰かを現わしているのですよ」
「これが僕?」
「側にあるのが鞠香さんですね」
アキラに銀板を返してもらった祐也は、興味津々にあちこちを触っている。拡大したり縮小したりと試す横で、鞠香は顔を強張らせ自分の銀板を睨み据えていた。
「私のこれ、壊せませんか?」
「え、どうして?」
「……祐也くんのに私の場所が表示されてるし、それって克彦たちのスマホからも同じのを見れるってコトだよね?」
幼なじみに居場所を知られたくない鞠香は、今すぐに銀板をたたき壊すか焼いて消滅させたいと言った。
「壊すのはオススメしませんよ」
「でもあいつらにバレたくない」
「では表示されないようにしましょう」
鞠香の銀板を預かったアキラは、窪みを指先で数回叩いた。
ポコリと小さな水晶のような石が飛び出して転がる。
「あ、隣の赤三角が消えた」
「電池切れのような状態になると、表示されないんです」
祐也の銀板から自分を示す赤三角が消えたのを確かめて、鞠香は安堵の息を吐いた。肩の力が抜けたのか、椅子の背もたれに体を預ける。
「よく見てください、赤い印は広範囲にかなりの数がありますよね」
地図を縮小すると、大陸のかなりの範囲にたくさんの赤三角が散らばっているのがわかった。少なくとも三~四十個はあるだろうか。
「もしかして、これ全部転移してきた人?」
「おそらく」
銀板に表示されているのは、クラスの連絡網SNSでつながっている誰かだろう。数台の乗用車を巻き込んだ玉突き事故だったと祐也が言っていたから、表示されていない転移者がいる可能性は高い。
「僕もこれ、使わない方が良いのかな?」
「あちらに知られたくないのであれば、しばらくは動力源を外しておくべきでしょうね。でもこの森を出た一年後くらいでしたら、使っても大丈夫だと思いますよ」
首を傾げる二人に、アキラは銀板の表示を指し示した。
「自分を示す青は一つだけですが、赤はたくさんあります。よく見ればわかりますが、この赤の印が誰であるかは表示されないのですよ」
「あ……ホントだ」
今は転移直後なため、二人の印の見当はつけやすい。だがみなが別の場所で暮すようになれば、どの印が誰のものなのかを知ることは、よほどの偶然でもなければ不可能なのだ。
「はじめての土地や道に迷ったとき、ギルドで地図を手に入れられなかった場所では、この銀板の地図は役に立ちます。ただ、たまたま見つけた印の相手を探したら、会いたくない相手だったなんてこともあるので、普段は魔石を外しておいて、必要なときにだけ使えば良いと思いますよ」
鞠香と顔を見合わせた祐也は、小さく頷いて銀板をテーブルに置いた。アキラを真似して窪みを指で叩く。転がった小さな石をつまんで光にかざした。
「これが魔石なんですね……」
「色が薄くて、キレイ」
「魔力がなくなると無色になります。銀板に使われているのはクズ魔石ですから、入手は難しくありませんよ」
角ウサギや草原ネズミといった魔獣から採取できるし、冒険者ギルドでも十個単位で販売している。
「魔石って、高いんですか?」
「それほどでもないですね。クズ魔石は十個で三十ダル程度でしょう」
「お金の価値が、よくわからないです」
「サガストの町で雑魚寝部屋に一泊できる値段ですね」
わかるようなわからないような、と二人は曖昧な表情だ。森の奥で暮していては貨幣価値を教えるのは難しい。これも研修の課題だなとアキラは密かにメモをした。
掃除に洗濯といったこちらでの日常の仕事を教えながら、二人には町の暮らしや社会システムを教えた。平民の移動は徒歩か馬車だが、冒険者や旅商人でもない限り、生活基盤のある町から移動することはほとんどないこと。農村と町暮らしの違いの象徴である門と壁の存在、鐘の音による門の開閉。各職ギルドの役割や、どのようなときにどこを頼れば良いのか。
「町の中に魔物はいませんが、だからといって安宿を選んだり、お金を惜しんでの野宿は絶対にしないでくださいね」
アキラは町暮らしの中でも特に安全を確保する方法を二人に教えた。
そういった知識を暮らしながら学んで四日目のことだった。
+++
固く焼き上がったパンと野菜たっぷりのスープに、シュウの焼き肉という昼食もそろそろ食べ終えようというころ、その男はひょっこリと現れた。
「ワシにも昼飯食わせてくれへん?」
地下から魔力は感じなかった。転移魔術陣ではなく、エルフの転移でやってきたようだ。
「おせーぞアレックス」
「もっと早いかと思っていましたよ」
「ワシかてすぐ来たかったんやで。けどジジイに伺いたてんとアカンこと多過ぎてなぁ」
大変だったのだと愚痴をこぼした細目は、目を丸くして自分を見つめているエルフと羽獣人に目をやった。
「ふうん、確かに見た目はエルフと羽族やな。中身は伴うとらんようやけどな」
「目つき悪いですよ、睨まないでください」
「元からやし、睨んでへんて」
そう言いつつもアレックスの細い目は二人を見据えたままだ。
身を寄せ合って脅える鞠香と祐也が、「関西弁?」と小さく呟いた。
「話聞いたときはまさか思とったんやけど、実物見てしもたらなぁ。コレ、サカイとおんなじやわ」
「……サカイ?」
日本に関係するとしか思えない名前を聞いて驚く二人を無視し、アレックスはアキラを押しのけて長椅子の端に座った。昼食に便乗しようとして、料理が期待していたものと違うと気づき眉間に皺を寄せる。文句が口から出る前にアキラが釘を刺した。
「コウメイは不在ですから。文句があるなら食べなくてもけっこうですよ」
「ワシ、ただ飯に文句は言わへんのや」
たっぷりと注いだスープに硬いパンをちぎって浸しながら、アレックスは向かいに座る二人に再び目を向けた。
視線にビクビクする鞠香と祐也だが、やはり疑問は抑えきれない。「やっぱり関西弁だ」「まさか、この人も?」と小声で確認し合い、答えを求めるようにアキラに視線で問う。
「違いますよ、彼はアレックス……この世界のエルフです」
「よろしゅう?」
細い目をゆるませるアレックスを、二人はまじまじと見つめる。鞠香は自分の耳を触り、祐也もアレックスと鞠香を見比べて首を傾げた。どう見てもアレックスは人間にしか見えない。
「ああ、コレしとるからやで。ワシ人族の中で隠れ住んどるやろ、見つかるといろいろ面倒やから」
アレックスが赤い耳飾りを外すと、一瞬だけ彼の姿がぼやけた。そして瞬きの後に見えたのは、長く伸びた耳だ。
「エルフだ」
「なんで? 魔法?」
一瞬で姿が変わったのにも驚いたが、それよりもエルフの姿になった途端に、アレックスが美しく見えるのは何故だろう。目が糸のように細いのは変わらないが、黒髪は艶が増したし、全体の線も細く優美に感じられるから不思議だ。
「あ、このピアス……もしかして?」
鞠香は外された耳飾りの色違いが、アキラの耳にもあると気づいた。アキラは小さく頷き、ここはエルフの姿ではとても生きづらいのだと悲しげに小さく笑む。
二人の言葉に、鞠香はただでさえ厳しい異世界生活を、条件反射で選んだ種族のせいでさらに難易度があがってしまっていると今さら気づいた。アキラが口を酸っぱくして「金に困っても野宿だけはするな」と繰り返していたのは、きっとエルフであったために怖い経験をしたことがあるのだろう。そう想像して背筋が寒くなった鞠香は、思わずアキラとアレックスに頼み込んでいた。
「あの、図々しいお願いなんですが、そのピアスって私も買えますか?」
間違いなく希少で特別なアイテムだ、さすがに譲ってほしいとねだれない。それでもこれから生きて行くことを思えば、何とかして手に入れたい。
「それって僕の羽も隠せますか?」
それは祐也も同じ思いだ。姿替えのマジックアイテムの入手方法を教えてくれと訴えた。
「すまへんなぁ、これエルフ専用やねん」
ガッカリした祐也だが、獣人用は別にあると聞いて希望を持ったようだ。
「それとこれ、買えんこともないと思うんやけど、一応オーダー品やねん」
アレックスは耳飾りをつまんで、彼女の目の前でぶらぶらとゆらす。まるで何かを誘うような嫌らしい動きに、アキラが顔をしかめた。
「今のところ作れるんは大陸に一人なんや」
「その人を紹介してもらえませんか?」
「ええけど、ジブンには払えへん思うで?」
深くて濃いのに透明度の高い赤い石と、それを包む銀の装飾が、窓からの陽の光でキラキラと輝いている。値段を問うのが怖くなる美しさだ。ゴクリと息をのんだ鞠香が、覚悟を決めて問うた。
「……いくらですか?」
「ワシは八十万ダル払うたで」
最安値の宿が三十ダルと教わったばかりの二人には、その金額がピンとこない。アキラが「田舎町に新築豪邸が建つ金額です」と囁くと、鞠香は目を見張り、祐也も金額の大きさにあんぐりと口を開いた。
「い、家が建つ値段とか、無理……」
落胆と絶望に肩を落とす二人を横目に、ミシェルは食後の香り茶を優雅に楽しんでいる。彼らのために幻影の魔武具を作る気はないようだ。
「それで、エルフ族の見解はどうなんです?」
昼食を食べ終えたのを見計らって急かすアキラに、アレックスは無情に告げる。
「エルフの姿をした人族なんざ受け入れられるかいな、ちゅう結論や」
「少しは言葉を選んでください」
「言い方変えてもおんなじやで?」
「……」
鞠香は落胆に目を伏せた。人族とエルフや獣人族の関係は友好的ではないと聞かされていたが、もしかしたらという楽観はあったのだ。移住を打診する前に拒絶され、エルフ族のもとで生きるという選択を潰されたのには、胸がキュッとつねられるような痛みを感じる。
「サカイさんは保護しているのに、鞠香さんが駄目な理由は何です?」
「そのサカイが理由なんよ」
珍しくアレックスが申し訳なさそうに鞠香に向き直った。
「サカイちゅうんは、ジブンらより前にこっちに迷い込んだ奴なんやけど。当時はなぁ、ガワだけかてエルフはエルフや、人族の領域に残しとくわけにはあかん思て保護したんやで。けどこれが思うてた以上に一族の負担になっとんねん」
「負担ですか?」
それは初耳だとアキラが眉根を寄せる。
「ワシらの領域を維持するん、めっちゃ魔力使うやろ。人口が増えたらその分維持する魔力が必要になんねん。けどサカイはほとんど魔力あれへんし、外で調達してくることもでけんやろ。今さら放り出せへんし、一族には大きなお荷物になってもうてん」
現在は拾ってしまったアレックスと、保護を決めたブレイディがサカイが負担すべき魔力を補っているらしい。
「えー、アレックスが負担してんの? ホントかよ?」
「昼行灯のぐうたらが誰かのために働くなんて……天変地異の前触れじゃないのか?」
そういえば先日のあの大地震、もしかしてアレックスが原因だったのでは? とアキラとシュウは疑いの目を向ける。
「失礼やな。ワシかて拾うた責任は自覚しとるんやで」
「へー、見直したぜ。自分の魔力でサカイさんを養ってんのかー」
「アホいいな、ワシの魔力はワシのもんや、そないもったいないことでけるか」
やっぱりか、とシュウが気の抜けた笑いをもらし、ドケチめ、とアキラの眉間が険しくなる。
「じゃあどーやって調達してんだよ?」
「島で集めた魔石で払うとるで。ギルドで回収しとるヤツや」
「……待ってください。あなた魔石を横流ししていたのですか?」
「つくづく失礼やなジブン。横流しやない、そのために作ったギルドやねんで、正当な上納や」
本当かと振り返ると、ミシェルは苦笑いで小さく頷いていた。アレ・テタル管轄の出張所という建前で、ギルドに納めさせていた魔石はごく一部だ。大半はアレックス個人の取り分という契約だそうだ。
「何に使っているのかしらなかったけれど、エルフ族に渡っていたなんて、わたくしもはじめて聞いたわ」
まさか人族の冒険者に集めさせた魔石が、とミシェルも呆れている。
「一時期、島に冒険者が渡っていませんでしたよね。ミシェルさんが素材を狩っていて」
「わたくしが集めた魔石も横流しされていたようね」
「せやから横長しちゃう言うとるやろ。ギルド設立んときに決めた契約通りや、ワシの魔石をどうしようと文句言われる筋合いあれへんで」
アレックスが島の管理を引き受け、ギルドを作って人族の上陸を受け入れたのは、自分でサカイの居住コストを負担するのではなく、一攫千金を夢見て島にやってきた冒険者らから掠め取るためだったのか。アキラはこめかみを揉みながら細目に問う。
「もしかして、島にエルズワースさんたちを招き入れたのは……」
「そら、決まっとるわな。ワシの代わりにサカイのショバ代集めてもらわんと」
「……自分で働こうとは思わないんですか?」
「働いとるやん。仲介も立派な仕事やで」
転移エルフの連絡を入れた後のアレックスは、それまでの昼行灯ぶりからは想像できないほど素早く行動したが、なるほどそういう裏の思惑があったのか。
「そういうわけやから、エルフ族としては領域で生きるんやったら、それなりのモン納めてもらわな許可でけんのや」
どないする? と面白がるような笑みで問われた鞠香は、慌てて首を横に振った。エルフ族に保護してもらうには、魔石が必要だというが、要求されているのは、銀板に入っていたような小さな魔石ではないだろう。耳飾りを買うのと同じか、それ以上の支払いを要求されていることだけは理解した。
「別にジブンで払わんでもええねんで。アキラが負担するんやったら長老は嫌言わへんで?」
ニヤリと細目が意味深に笑う。
姑息で悪意しか感じられない提案の直後に、アキラの怒気が膨らみ、切れそうな冷気が放たれた。
直接向けられているわけではないのに、銀髪の周囲で凍った水分が雪の結晶のようにキラキラと輝くのを見て、鞠香はその怒りの強さに震えた。
「わ、私、アキラさんに、そんなこと、言いませんからっ」
「……失礼しました」
負担をすると安請け合いは絶対にできないし、否と答えれば鞠香を見捨てると宣言したも同然だ。鞠香の前で、即答できない提案をする腹黒陰険細目が、心底から憎かった。
苦笑いのミシェルが、アキラのカップに少し濃くなった香り茶を注いだ。渋みの出てしまった茶に、ミルクを足して口当たりをまろやかにし、気持ちを落ち着けろと静かに差し出す。
「話を戻しましょうか。アレックス、他のエルフ擬き(モドキ)について、エルフ族はどう対処するのかしら?」
「それが問題なんや。一族とは認めへんてジジイどもは言うねんけど、もし連中が害されたら黙っとるわけにはゆかへんて言うとったわ」
「それは困るわ。放置しておいて、何かあったときに責任だけを求めるのは筋が違うわよ」
「せやけどジジイは頑固やからなぁ。これまとめるんに六日もかかってしもたわ」
エルフの時間感覚なら六日は瞬きほどの短さだ。けれど人族の時間感覚を知るアレックスは、早期決断が絶対に必要だと主張し、長老たちから決定をもぎ取ってきたのだと言った。
「払うモン払うて領域で生きるて決めたモドキは保護するけど、そうやないんは人族に何されても文句言わんし、報復もせえへんて決まったわ」
これ以上の決定はないだろうとアレックスは胸を張る。
「それって、エルフ族は関与しねーから好きにしろってことだよな?」
「せやな」
「こちらに紛れ込んでいるエルフ族もいますよね、エルフ擬き(モドキ)との判別はどうするのです?」
「それやがな。ジブン、ちょっとここに手かしてくれへん?」
黙って話を聞いていた鞠香に、アレックスが手を差し出した。細い目を弧にした笑顔に毒気がなかったのと、抗えないような不思議な感覚が働いて、鞠香はひょいとアレックスの手に右手を重ねた。
「駄目です!」
「ワー、待てって!」
「遅いわ……『鑑別鎖』よし、でけた」
アキラの制止も、二人を離そうと伸ばしたシュウの手も間に合わなかった。
鞠香の右手首に魔力の鎖が何重にも絡まった。
「本人の承諾なしに契約魔術を使うなんて!」
「契約魔術やあれへんて。鑑別する魔術や」
アキラに胸ぐらを掴まれ揺すられる細目は、抵抗しながら急いで言い訳を連ねた。
契約魔術ではないので、鞠香の心身への負担は一切ないし、エルフの領域に出入りする資格ができたら鎖は勝手に外れる、と。
「資格とは?」
「一族の領域で自力で生きられるくらいの魔力が備わったらやな」
「その基準は何なんですか?」
「アキラはとっくに達しとるで。ミシェルはちょお足らへんかな?」
ミシェルの耳にも似たような耳飾りが揺れている。
「わたくしエルフではないわよ」
彼女もかと疑いの目を向ける鞠香と祐也に、彼女は素っ気なく否定した。
「鞠香さん、締め付けられて苦しいとか、痛いとか、ありませんか?」
「大丈夫です。今のところ何も感じません」
右腕に巻き付いていた鎖はいつの間にか消えており、その代わりに手首のシワに紛れるようにして、細い鎖にも見える痣ができていた。
「鎖? どこに?」
「タトゥーっぽいのがここに……祐也くんには見えてないの?」
「全然わかんないよ」
「んー、俺も見えねーなー」
ミシェルも小さく首を振る。どうやらエルフにしか見えないらしい。
「これがついとるエルフ擬きがどうなっても、ワシらは関与せんちゅう印や」
「人族の目に見えないところが罠くせーよなー」
「見えとったら色々利用されてまうやろ」
人族の倫理に丸投げでありながら、鎖のない者に対して危害を加えれば報復対象になるのだから、なかなか意地の悪い決定だ。
「あの……」
話が一段落したと判断した祐也が、恐る恐るにアレックスに問うた。
「僕の羽なんですけど、こっちはどうすれば良いんでしょうか?」
「すまんなぁ、ワシ獣人族は管轄外なんや。一応知り合いに伝えるだけは伝えとるし、そのうち様子見にくる思うで。そんときに相談したらええわ」
ぽっこりと膨らんだ祐也の背中の不自然さは如何ともしがたい。彼に比べれば、尖った長い耳を隠すのはそれほど難しくはないと、鞠香は自分を慰めた。
「頑張らなきゃ」
なし崩し的に人族の領域で隠れて暮すことが決定した鞠香だが、腹黒いエルフ族の世界で養われるよりはずっと気が楽だ。この世界での生き方を学び、耳を隠して生きる。祐也より簡単に人族のふりができるのだから、もっと真剣に学ぼうと決意した。
決意を新たにする鞠香の向かいでは、二人のエルフがじゃれ合っていた。
「なあアキラ、ワシ助けてくれへん?」
「お断りします」
「ワシまだなんも言うてへんのやけど?」
「言わなくてもわかりますのでお断りします」
「えぇ、師匠を手助けしよて思わんの?」
「思いませんね、これっぽっちも」
アキラは重ね合わせた人差し指と親指を、アレックスの目の前に突きつける。二つの指の爪に隙間はなかった。
「そないイケズいわんで手伝うてぇな。ワシこれからモドキ探さなならんのやで。誰のせいや思うとんねん」
アキラの手にすがりついたアレックスが、師弟関係を協調して粘る。振りほどこうとしたが、アレックスは細身のくせに意外と力が強かった。己が意外に短気だと自覚のあるアキラは、このまま粘り勝ちに持ち込まれるものかと策を練る。
「……そういえば、ハリハルタにいるコウメイのところにも、エルフ擬きがいますよ」
「なんやコウメイそこに隠れとったんか。ほなちょっと美味い飯食いに行こかな」
アキラから離れたアレックスは、耳飾りを着け直して杖を取り出した。このままハリハルタに向かうつもりのようだ。
「あの、これ使ってください」
玄関に向かって歩くアレックスに、鞠香が銀板を差し出した。地図の上に表示された赤い印の場所に、自分たちのような者がいる。エルフ擬きを探すのに役に立つはずだと言うと、彼は細い目と眉をひくりと動かした。
「ええの?」
「私、これを持っていたくないので」
アレックスは細い目をさらに細して楽しそうに受け取った。
「おおきに、このお礼はそのうちするから期待しとってええで」
ほな、な。
肩の辺りでひらひらと手を振ったアレックスは、瞬きの間に姿を消した。
「消えた?!」
「え、転移の魔法? すごい」
異世界ではじめて魔法を見た二人の興奮は大きい。
「私も頑張れば転移できるようになるかな?」
「……残念ながら、あれができるのは、生粋のエルフだけなのよ」
人族の魔術師にも、アキラにもできないのだとミシェルが釘をさす。
チリリ、と彼女の魔力が高まる気配を感じ取ったアキラが、慌てて鞠香に声をかけ、室内へと逃がした。
祐也と鞠香が離れたのを確かめてから、アキラはミシェルを非難の目で睨む。
「一方的な制約魔術は、隷属魔術と同じですよ」
「彼女も転移魔術陣に興味があるようだし、危険に近づかないようにしたいだけなのよ?」
「それなら本人の許可を得てからにしてください」
やろうとしたのはアレックスと同じことだと繰り返すと、ミシェルは嫌そうに唇の端を引きつらせた。
「しかし、アレックスの手のひら返しの速さはさすがだな」
「知らねーぞー。コーメイに押しつけて、ぜってー怒られるぞー?」
「……今から知らせるから大丈夫だ」
慌てて魔紙を飛ばすアキラにかけたミシェルの一言は無情だ。
「間に合わないでしょうね」
「……」
笑顔を強張らせたアキラの額を、一筋の汗が流れ落ちた。