閑話 寒村の別れ/魔力の香り
早く細目を島に追い返したい一心で、シュウは道中の討伐を我慢し、コウメイは野営料理に気合いを入れて機嫌をとり、アキラは借りた馬にこっそりと回復魔術をかけて一日の走行距離を伸ばした。努力と工作の甲斐もあって、乗り合い馬車で八日の距離を、わずか五日に短縮し寒村に辿り着いた彼らは、無事にネイトとの再会を果たした。
「おー、元気そーじゃん」
「ご無沙汰しています。変わりませんね」
そろそろ空の色が変わりはじめるというころ、馬車の音を聞いて家から出てきたネイトは、昔と変わらない仏頂面で彼らを迎えた。だがかすかに目を細めた様子は、三人を歓迎しているように見える。
「この年だぞ、そう外見は変わるものじゃないだろう」
「ネイトさんいくつだっけ? 結構若作りだよな?」
「若作りを極めてるてめぇらに言われたくねぇな」
十年近くご無沙汰だというのに、つい昨日も会ったかのような錯覚を覚えるほど、ネイトの姿は変わらない。記憶通りのたくましい体つきとピンと伸びた背筋のネイトに駆け寄るシュウは、まるで尻尾を激しく振り回している犬のようだ。
馬車を降りて挨拶を交わす三人を他所に、アレックスは周辺を見回して、あまりの寂れ具合にしみじみとぼやいた。
「しばらく見んうちにここもえろう鄙びたなぁ。ジブン以外誰もおらんのと違う?」
「もともと老人ばかりの寒村だ、若いのが戻ってこないのだから仕方ない」
「退屈やろ?」
「隠居生活ってのは退屈なくらいがちょうどいいんだよ」
ネイトが移り住んだ当時から、この港村は廃村寸前だった。数少ない住人は体が動かなくなると漁業を畳み、順番に墓地に引っ越している。村を出て行った若者が戻らない寒村にはネイト一人がひっそりと暮していた。
「ちょうどいいわけねぇだろ」
「さすがにそれは……」
「島に渡る冒険者もいねーんだろ、普段何やってんだよ」
孤高の暮らしを想像した三人は、それはあまりにも寂しすぎるのではと心配になった。
「釣りだな。あとは定期的にミシェルの注文の品を買い出しに行くくらいか」
完全に他人との交流が途絶えたわけではないのだし、若い頃のように走り回れる体ではない。不満はないとネイトは穏やかに笑う。
「すぐに発つのか?」
「ここまで強行軍だったし、一晩泊めてもらえるか?」
「飯の材料は心配ねーぜ、俺が狩ってくるからさ」
「どうせなら釣ってこい。竿は裏にある」
食材調達はシュウの役目だと返したコウメイは「台所、借りるぜ」と先に家に入っていった。
「釣りならワシに任せとき。島で鍛えた大物釣りの腕前見せたるわ」
「結構です。あなたはさっさと島に帰るんですよ」
シュウを押しのけて釣り竿を取りに行こうとするアレックスの襟首を掴んで止め、そのまま座橋へと引っ張っていった。
「首、絞まっとるから、アキラ、放し、ぐるじい」
桟橋に連行されたアレックスは、シュウによって見慣れた一隻の小型船に放り入れられた。
「飯釣るんやろ、ワシの腕の見せ所やねんで」
「あなた島に渡るためにここに来たんじゃないんですか?」
「そらいつかは帰るで。けどそない急かさんでもええやろ」
「か弱い女性に魔物討伐を押しつけっぱなしにして、自分はサボろうって根性が許せませんね。さっさと帰ってミシェルさんを手伝ったらどうです」
「か弱い女は大蛇の群れを落雷で全滅させたり、オーガーの巣を単独で殲滅させたりせぇへんし」
細目のぼやきは聞かなかったことにした。船から降りようとするアレックスを押し戻すシュウが、早く船を出してくれと急かす。ネイトは苦笑いのまま推進装置を起動させた。
「なあ、ワシとネイトの仲やん、一晩くらいええやろ?」
「てめえとはどんな仲でもねぇぞ」
「ええんか? ワシ、ミシェルに言いつけるで?」
「そうか、ミシェルによろしく伝えてくれよ」
「ネイトのイケズ――ぅ」
アレックスを乗せた高速船は速度をあげ、見る見る間に小さくなった。
「やっと静かになった」
やれやれと息をついたネイトは水平線に消える船から視線を外す。振り返った老人の表情が寂しげに見えて、シュウは衝動的に彼を誘っていた。
「なー、今は島に渡る冒険者いねーんだろ? 俺らと森で暮さねーか?」
「いきなり何だ」
「俺ら島に用事がなくなっちまったから、なかなか会いに来れてねーだろ。島への案内仕事がねーんならさ、森で一緒に暮らそーぜ」
思いつきだがなかなか良い考えだ。同意を求めるようにシュウはアキラを振り返った。
「本気なのか?」と目を見開くネイトに、アキラは笑顔で頷いた。
「ネイトさんが良ければ、ぜひ」
しばらくはキャンピングトレーラーで寝泊まりしてもらわねばならないが、それも増築が終わるまでのことだ。
「森には話し相手になるジジイも住んでるし、月に二、三回はマイルズさんも遊びにくる。退屈はしねーぜ」
「ほう、あのマイルズはお前らといるのか」
「酒飲み友達ができるぜ?」
若々しく見えはするが、ネイトはミシェルより年上のはずだ。八十歳を超えているかもしれない彼は、魔力を持たない人族にしては長生きしすぎている。次に会うのは墓標の可能性が高いと思い至ったシュウは、なんとしてもネイトを森に連れて行きたがった。
「楽しそうだな」
「だろ、じゃあいーんだな?」
「いや、俺は静かに余生を過ごしたいんだ」
楽しそうではあるが、お前たちの近くにいたら残り少ない命が縮まりかねない。ネイトは笑いながら誘いを断わった。
+
シュウとネイトは桟橋の先から釣り糸を垂らし、どちらが美味い魚を釣れるかと勝負をはじめた。
二人を置いて馬車に戻ったアキラは、馬を小屋に入れて飼い葉を与え、手荷物を降ろしてネイトの家に運び入れる。旅の埃を簡単に落とそうと水場にゆくと、隣り合う台所ではコウメイが眉をひそめて唸っていた。
「どうした。料理の難しい食材でもあったのか?」
「……何もねぇから困ってんだよ。見ろよ、しなびた芋と紫ギネくらいしかねぇんだぜ、ネイトさんらしくねぇ」
食料庫に残っているのは干し肉や炒り豆といった保存食の類いばかりだ。新鮮な野菜や芋類、パンを焼くためのハギ粉の在庫はほとんどない。元料理人の食料庫にしては貧相すぎるというコウメイの言葉に、そういえば、とアキラも表情を曇らせた。
「馬小屋も空で、ずいぶん長く使われていない様子だった。買い出しは徒歩……は難しいだろうから、たぶん旅商人頼りじゃないだろうか」
楽隠居だとネイトは笑っていたが、こんな消滅寸前の集落に引きこもっていて良いはずがない。もし旅商人の訪れが途絶えれば、たちまち物資が枯渇し死活問題だ。
「魚があるといっても、そればかりじゃ体によくねぇぜ」
「さっきシュウがネイトさんを誘ったんだ、森で一緒に暮さないかと」
「良いこと言うじゃねぇか。ここに残しておくより安心だぜ」
「俺もそう思ったんだが、断わられた……俺たちと暮すと静かな余生がおくれないそうだ」
ネイトの言葉をそのまま伝えると、コウメイは「完全に否定しきれねぇ」と苦笑をもらし、限られた材料で料理に取りかかった。
萎びた芋の皮を剥き、削ぎきった干し肉と一緒に鍋に入れる。みじん切りにした紫ギネをフライパンで炒めようとして気づいた。
「魔道コンロの魔石も切れてやがる」
これまたネイトらしくない。コウメイは自分の魔力を使ってコンロに火を入れ、紫ギネをしっとりするまで丁寧に炒める。限られた食材で作るのは、芋入りのスープと魚の揚げ焼きの予定だ。
「シュウはちゃんと食える魚釣ってくるんだろうな?」
「ネイトさんがいるから大丈夫だろう」
芋の鍋を火にかけ、砕いた乾燥野菜と炒めた紫ギネを混ぜ入れてゆっくりと煮込み、仕上げには食料庫で埃を被っていた赤ヴィレル酒を使う。
魚が釣れるまでにと自分たちが寝る部屋をのぞく。予備の部屋はずいぶん掃除をしていないのだろう、厚い埃の層を見てコウメイは顔をしかめた。
「ちゃんと生活できてるように見えねぇし、やっぱり心配だな。馬車に乗せて連れて帰るか」
「本人の意思を無視するのは駄目だぞ」
「けどよ、これはねぇだろ。見ろよ、埃が波打ってるぜ」
窓枠に静かに指を這わせたコウメイは、埃の層が薄布のようにドレープを作るのを見て頬を引きつらせた。
急いで窓を開けたアキラは、風魔術で部屋中の埃を集め外へ捨てる。ふと顔をあげると、夕日に照らされた、桟橋に並んで座る二人の後ろ姿が見えた。何やら楽しそうに話している様子は、老人と孫、あるいは父親と息子のようで微笑ましい。
「なんとかネイトさんも一緒に森に帰れないだろうか」
「ここに住みたい理由があるのかもな。シュウの全力の脚なら、森からここまで片道三日ってとこだ。しばらく通わせるのもいいかもしれねぇぜ」
引きをめぐって言い合いしている二人を目を細めて眺めながら、コウメイは時間をかければ説得できそうだと言った。
「シュウが頻繁に通ってきてしつこく誘えば、ネイトさんは絶対ほだされると思うんだよな」
「確かに、根負けしてくれそうだ」
桟橋の先では、両手で抱えるほどもある魚を釣り上げたシュウが、ネイトに自慢するように見せつけている。老人はそっぽを向いて再び釣り糸をたれた。その程度では大きいうちにははいらないとでも言われたのか、足を踏みならして悔しがるシュウの姿は子どもだ。
「あの魚、食えるんだろうな?」
「ネイトさんが首を振ってるから、駄目なんじゃないか?」
水平線が橙色に染まり、釣りにいそしむ二人も朱く色付いている。日が暮れる前に食料を調達してほしいものだと、二人は顔を見合わせて笑い合った。
+
夕食は紫ギネの甘さと赤ヴィレルの古酒で整えた芋と乾燥野菜のスープ、ネイトの釣った小ぶりの青腹魚は揚げ焼きにして、皮がシワシワになっていたピナを絞って作った甘酢がけにした。コウメイが提供した赤ハギはブブスル海草の出汁で粥に仕上げてある。
「「「いただきます」」」
「あいかわらず、奇妙な祈りの言葉だな」
だが懐かしいとネイトの目尻に皺が寄る。シュウが釣り上げたひと抱えもある魚は毒魚だった。サイズでは勝ったが有用性では完全敗北だったシュウは、無言で甘酢がけを食べている。
「ご馳走になってばかりじゃ落ち着かないからな、食後の茶くらいは俺が煎れよう」
食事を終えたネイトが台所に立った。いつもなら食べられる気配のない料理を横から奪うシュウも、ネイトの皿に残った料理には手を出さなかった。顔も体つきも年齢にしては若々しいが、彼は食事を半分も、いやほとんど口に運んでいなかった。シュウが心配で顔を曇らせるのも当然だ。
「コレ豆茶と香り茶、薬草茶はサフサ根茶とタメリスの花茶にカルリ花茶と綿花茶もあるぞ」
「茶の種類をそろえるよりも、食料庫をどうにかしろよ」
「俺が用意したんじゃねぇ。たまに立ち寄る奴が置いていくんだ。どれにする?」
コウメイはコレ豆茶を、アキラはカルリ花茶(疲労回復茶)、シュウははじめて聞く綿花茶(安眠茶)を選んだ。
チチチ、と小さく魔力がはじけて魔道コンロに火が入った。
強火がすぐに水を湯に変える。
一連の動作を見ていたアキラの眉間に皺が寄った。
「……」
「どうした?」
「なんだろう……いや、気のせいか」
怪訝そうなコウメイに「何でもない」と返したアキラだが、その奇妙で小さな引っかかりが気になった。何がと特定できない程度の違和感など気にする必要はないのかもしれない。だがアキラはそれを無視できなかった。
ネイトは流れるような手つきで注文通りの茶を入れた。茶のカップは三つだ。
「おっさんは飲まねぇのかよ」
「俺はこっちがいい」
寝室から酒瓶を持ってきたネイトは、カップになみなみと注いでニヤリと笑う。
「そういうモノのはもっと早く出せよ」
「もう歳なんだからさー、飲み過ぎんじゃねーぞ」
酒の匂いを嗅いだシュウはその酒精の強さに顔をしかめ、コウメイはネイトのカップから一口味見をさせてもらった。アキラもどうだとすすめられ、ひと匙ほどカルリ花茶にたらしてもらう。
鼻孔を刺激するふわりとした花茶の香りに、酒精が絡んで飲み心地が少し重くなった。疲労回復を期待したカルリ花茶だったが、アキラの眉間から険しさは消えなかった。
+
埃を払った客間の床に毛布を敷いて寝所を作った。アキラは扉に近い場所に、シュウは寝相を考慮して最も奥の壁際だ。コウメイはその間に、転がってきたシュウを止める防波堤の役目を務めるべく横になる。
最初にシュウの寝息が聞こえはじめ、やがてアキラの呼吸が深くなり、誘われるようにコウメイも眠りに落ちた。
+++
ガタゴトと、吹き付ける海風が木窓を揺らす。
家が軋む耳障りな音を追いかけるように、靴音が外に出て行く。
暗闇で目をぱちりと開いたアキラは、熟睡中の二人を起こさないよう静かに寝所を抜け出すと、かすかな靴音を追いかけた。
海からの風がぬるりと肌を撫でる。
砂を踏みしてめいた鈍い足音が、湿った木板を打つ音に変わった。
桟橋に足を掛けると、彼は追いつくのを待っているかのように歩みを止めた。
その背中に向かって問う。
「……あなたは、誰なのです?」
緊張でうわずったアキラの声に、笑いを含んだような低く落ち着いたよく知る声が返された。
「妙なことを聞くんだな」
「ネイトさんには魔力がないはずなのです。けれどあなたは、魔石ではなく魔力で魔道コンロに火をつけました」
めざとい奴だ、と呟いて彼が振り返る。
月光で浮かびあがるその顔も色も体形も、アキラに向けられた眼差しも口調も、ネイトそのものだ。
だがこれは違う。
アキラは挑むように彼を睨みつけた。
「ネイトさんはどこです。彼をどうしたのですか」
予想しうる最悪の結果であればただではおかないと、アキラは隠し持っていた杖を握りしめる。
「そんなに殺気を漲らせるんじゃない。あいつらが起きてしまうぞ」
「教えろ、あなたは誰だ?!」
「俺はネイトだ。今も昔も、ネイトに違いはない……といっても、納得できんか」
自らをネイトだと繰り返した男は、手のひらに魔力を集めると、確かめてみろと差し出した。
鼻先に突きつけられた魔力を感じ取ったアキラは、驚きに目を見開き、信じられないとその瞳を震わせ、何故だと呻いて唇を噛んだ。
「ミシェルさん……あなた、何を考えているんですか」
彼を、ネイトを満たしているのはミシェルの魔力だ。引っ込めようとした彼の手を掴んだアキラは、その手に爪を立て力いっぱい引っ掻いた。えぐり取ろうとするようなその動きに、ネイトは力でアキラを引き剥がす。
「やめろ、崩れたら俺では戻せないんだぞ」
「ミシェルさんだけじゃない、ネイトさんもです、何を考えているんですか!」
アキラは爪に残った土を握りしめる。
この土には覚えがある。リンウッドが作った泥人形と同じものだ。だがリンウッドが作ったのは姿を模しただけの人形だった。なのに目の前の彼には、確かにネイトの記憶と魂が備わっていて。
「ミシェルさんは……ネイトさんをどうしたのですか?」
「見ての通りだ。俺の血肉と錬金土と、あいつの魔力でこの体が作られた。俺は俺だ、変わったのはそれだけだ」
「それだけじゃありませんよ……本当に、何を考えているんですか、あなたたちは」
「ミシェルが何を考えているのか、俺にもわからねぇが……」
チラリと彼の目が悲しげに伏せられた。
「あいつが泣いたんだよ。少し前にな、昔の冒険者仲間にブレナンって男がいるんだが、奴が死んで、もう仲間で生きているのは俺だけになっちまった、ってな。一人残されるのは寂しいと泣くんだ」
ネイトの口から語られたミシェルの慟哭は、アキラの胸の奥を締めつける。
「だ、だからって……」
「惚れてた女に頼まれたら、断わるのは難しいんだよ。わかるだろ?」
そう言ったネイトの声には、嬉しげな、誇らしげな色が滲んでいるような気がした。
杖を腰ベルトに戻したアキラは、ため息をつく気にもなれないと肩を落とす。
「……断わってくださいよ」
「断わりたくなかったんだから仕方ない」
「……」
「そういうわけだから、俺のことは心配しなくていい。シュウにも黙っててくれ」
無理だと、アキラは首を横に振る。
「隠し通せませんよ。いつかは知られてしまいます。それは避けられません」
「今でなければそれでいい。あいつが自然に気づけばそれで十分だ」
ネイトの表情は「果たして気づくだろうか?」と面白がっていた。細かいことを深く考えないシュウは、ネイトから感じる違和感を不思議に思いつつも「まあいいか」と流してしまうだろう。それでいいのだとネイトは繰り返した。
「甘く考えすぎています、いくらシュウでも騙すのは簡単ではありませんよ。食料庫を充実させて、部屋の掃除をこまめにして、ちゃんと生活しているように見せるくらいはしてください」
「……さすがミシェルの弟子だな。そういうところはよく似ている」
「似ていませんよ」
ネイトから削り取ったものを握りしめる拳に血管が浮く。胸を締めつける感情はいつしか怒りへと変わっていた。
「絶対に似ていません。俺は……俺はミシェルさんのように誰かを道連れにしたかったわけじゃない」
アキラの腕に、拳に、力がこもる。握り込んだ爪をもっと深く、もっと強く食い込ませろ。せめて痛みで己を罰しろとでもいうように。
「ミシェルを責めるな」
「……」
「それにアキラ、お前もだ。自分を責めてはいかん」
アキラの拳を掴んだネイトは、力を抜けと撫でなだめる。
ゆっくりと腕を撫でる動きに、感情と呼吸が落ち着きを取り戻した。それでも硬く握った拳がほどけない様子に、ネイトは仕方ないなと息をつく。
「ミシェルは手段を提示しただけで、願ったのも選んだのも俺だ。だからミシェルを責めてくれるな。それに……アキラも自分を責める必要はない。あいつが勝手に選んだのだろう?」
「ネイトさん……知っているのですか?」
「ミシェルから聞いた。若いうちから思い切ったものだと呆れたが、若かったからこそ選べたのだろうな」
俺ももう少し若ければ、と続けた声はしぼんで消える。
「他人の選択を自分のせいにするな。もし奴が後悔するなら、自業自得だと笑ってやればいいんだ。それで逆恨みするような男は島の奈落に捨てちまえ」
「……生きて這い上がってきますよ」
「ほう、そこまで腕を上げたか。なら諦めるしかないな。あいつもアキラが気に病むのは本意ではないだろう」
呵々と笑ったネイトは、丸まりかけていたアキラの背を強く叩いた。
「明日は早いんだ、そろそろ寝床に戻れ」
ネイトに送られて寝所まで戻ったアキラは、天井の木目を数えながらじりじりと朝を待った。
+++
日の出とともに起き出した彼らは、簡単な朝食を終えるとすぐに幌馬車に乗り込んだ。
シュウは荷台から身を乗り出し、見送りのネイトを揶揄う。
「おっさんもいい歳なんだからさー、転んで寝たきりにならねーように気をつけてくれよ」
「馬鹿にするな、俺は今でもシュウを海に投げ入れられるくらいに元気だぞ」
土産にと青腹魚をもらったコウメイは、その下処理の巧さを指摘して自身の生活の手を抜くなと叱る。
「だったらちゃんと飯食って、きちんと生活してくれよ」
「アキラにも叱られたしな、わかったよ」
御者台に座ったアキラは、苦笑いのネイトに小さく頭を下げた。
「元気でな。そっちのジジイとマイルズ殿にもよろしく伝えてくれ」
「あなたも……ミシェルさんに、ほどほどにしろ、と伝えていただけると嬉しいです」
「直接苦情を言ったほうが早いと思うが」
「ネイトさんからがいいんですよ」
わかったと彼が頷くのを確かめて、アキラは馬を走らせた。
ネイトの姿が見えなくなるまで離れたあたりで、コウメイが御者席に乗り込んできた。
「アキ、代わるから後ろで寝てろ」
「当番は俺だぞ」
「寝てねぇんだろ。そんな状態で手綱握らせられるかよ」
ひょっこりと顔を出したシュウも、アキラの顔色の悪さを指摘した。
「目の周りにクマできてるじゃねーか。眠れねーくらい心配なことでもあったのかよ?」
「もしかしてネイトさんのことを考えていたのか?」
「……まあ、そうだな」
「なんだよ、ネイトさんのことって?」
二人が釣りをしていた間にアキラと相談していた内容をかいつまんで説明すると、シュウは俄然張り切った。頻繁に通ってネイトを説得してみせるとやる気満々だ。
「待て、その前にアレックスに連絡しないと」
「細目にか?」
ミシェルではなく何故アレックスなのかと怪訝そうな二人の視線から、アキラはあくびをすることで逃げた。
「獣人族の問題に素材収集をからめて提案したことを、確実に実行させたい。獣人族が島を出入り口として使うなら、島と大陸をつなぐ港は賑やかになる」
「なるほど、そうなりゃネイトさんも忙しくなるか。見た感じ体は問題なさそうだったし、人の出入りが多くなれば気持ちも引き締まって自堕落はしなくなるか」
もとは宿屋と飯屋を兼業していたネイトだ。あの漁村で再び宿と飯屋を営めるようになれば、以前のような彼が戻ってくるだろうとコウメイは納得したようだ。
「えー、それじゃつまんねーよ」
「お前はネイトさんを口実に島で暴れたいだけだろう?」
「ソンナコトナイヨー。俺はちゃんとおっさんを心配してるしー」
「耳の側でケンカするな、頭が痛くなる」
大きな声と早口のやりとりは睡眠不足の頭に堪える。そう言って顔を歪めるアキラを、コウメイは強引に荷台へと移動させた。
寒村を出た幌馬車はゆっくりと街道をすすみ、一週間をかけてリアグレンの街に辿り着いた。街のギルドで馬車と馬を返却し、そこからはナモルタタル行きの乗合馬車に乗り換える。
サガストで乗合馬車を降り、深魔の森の我が家に辿り着いたのは、そろそろ二月の半ばにさしかかろうとしていた。
あとがき
これにて13章「深淵の誘い」は完結です。
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
明るく楽しいダッタザート街暮らしが、なにやら不穏な気配を残して終わってしまいましたが、久しぶりに書いた「細くない腕による繁盛記」は楽しかったです。
武術大会のほうは、新しい人生~のほうで書いたあたりは省略しました。ここにあの話のあの部分が入るんだな、と読み返していただけると嬉しいです。
14章は10月中旬ぐらいに開始できれば……と考えています。
新しく転移してくる彼らに対処する三人の話になるかと思います。
詳細が決まりましたらSNSや活動報告にてお知らせしますので、よろしくお願いします。
【宣伝】ご長寿の前作が「無特典で異世界転移させられた彼らの物語」として各電書サイトで発売中です。
全編大改稿+書きおろしもあります。
kindleでは全8巻+閑話集で完結済み。
各電子書籍サイトでは、順次発売されます。
14章までにこちらを読んでいただけると嬉しいです。