細くない腕による改革記6 退職決意
三の鐘の鳴る寸前に、アレックスは小さな荷袋を引きずりながらあらわれた。げっそりとした顔は疲れで色が悪いし、体の動きも妙に鈍い。特に左足が重そうだ。
「どうした、朝から辛気くせぇ顔して」
「なんや知らんけど、ワシの足が死にそうなんやわ」
「……治療魔術は?」
「錬金薬使えばいーじゃん」
「足の小指にいちいちもったいないやん」
たかが足の小指、されど……である。恐ろしいほどの効果を見せる地味な報復があと何回残っているのか、三人はこっそりと賭けをはじめた。
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冒険者ギルドで借りた小さめの幌馬車の旅は、想像していたよりも穏やかでのんびりとしている。アキラたちはこういう旅に慣れているが、転移魔術で神出鬼没のアレックスは違う。早々に飽きて文句を言うかと想像していたのだが、意外なことにのどかで代わりばえのしない景色と旅を楽しんでいた。
「失礼やな。ワシかてたまにはのんびりしたいときもあんねんで」
「たまには? いつもじゃねーか」
「一日中ゴロゴロしてるくせに」
「島では昼寝ばかりしてたよな?」
「最近はゴロゴロも昼寝もでけんくらいめっちゃ忙しいねんで」
荷台の縁に肘を突いたアレックスが、冬枯れした草原を眺めながらため息をつく。わざとらしいその仕草を、コウメイとアキラは懐疑的な視線で眺め、御者台のシュウは「ありえねー」とこぼした。
「島に人がいねーんだから、ギルドは暇だろ?」
「そっちは暇やねんけど、別口がえろう忙しゅうなってん」
島で新規事業でもはじめたのだろうか。いやこの昼行灯が自ら仕事を増やすなんてあり得ない。おそらくミシェルにこき使われているのだろう。
「これまでサボっていたのだから、馬車馬のように働いてやっと釣り合いが取れましたね」
よかったですね、とほほ笑んで返すアキラの声は冷たい。
「ワシが昼寝でけんようになったん、ジブンらのせいやで」
「全く意味がわかりませんが?」
「何でもかんでも俺らのせいにするんじゃねぇよ」
「いや、これはジブンらのせいやで。ホウレンソウがあちこちから注文受けてたせいで、いつまでたっても発注が減らんねん!」
顔を見合わせ、そろって首を捻ったコウメイとアキラは、わかりやすい説明を要求する。
「ジブンら前にあちこちのギルドから島の魔物素材の注文受けまくっとったやろ、あれのせいやで」
そういえば最後に島に長期滞在していたころに、深魔の森に建てる家の建築資金のため必死で採取依頼を請けたが、それがなぜアレックスの多忙に繋がるのかわからない。
「アキラらが島を引っ越して、島に腕利きがおらんようになって、けど素材発注が減らんねん」
「受注しなければよいのでは?」
素材採取の依頼を打診されても、ナナクシャールのギルドとして断われば済む話だ。引き請けたのなら自業自得ではないか。
「ワシ、請けたつもりあれへんのやで? けど可否の返信期限過ぎてもうてて契約したことになっとってん」
「……」
へらりと笑う細目を、アキラは眉間に力を込めて睨んだ。
ナナクシャール島の魔物素材は貴重だ。それを知っているため島に派遣された魔術師は、各魔法使いギルドからの依頼をよほどのことがない限り断わらないできた。だが魔法使いギルドの組織が再編成され、ナナクシャールにアレ・テタルから魔術師が派遣されなくなると、ギルドの事務処理をする者がいなくなった。
「……依頼可否の返事をしなかったんですね?」
「ちょっと忘れとっただけやし」
「どのくらい連絡板を見ていなかったんですか?」
「たぶん五、六年ぐらいちゃう?」
眉間を押さえるアキラからギリリと奥歯の軋音が聞こえた。
アキラの知る規則では、ナナクシャール島への魔物素材の発注依頼は、三ヶ月以内に否の返事がなければ受注と見なされるとあった。組織再編後にそのあたりの規則を見直すべきだったのだが、アレックスのことだ、アレ・テタルの出張所時代のまま放置しているのだろう。
「それ、山ほど依頼が積み重なってんじゃ?」
「それなんや。えらいこっちゃで」
当時の発注件数ほどではないにしても、それを六年分。いやアレックスが馬鹿正直に事実を白状するはずがない、自分たちが島から引っ越してもう十年以上経っているのだから、最低でも十年分はあるはずだ。積み重なった依頼の数を計算しそうになったアキラは、寸前で止めた。自らストレスを作り出して胃を傷める必要はない。
「ダッタザートで遊んでちゃいけねーヤツじゃん」
「そりゃ昼寝してる暇ねぇよな」
「こんなところでサボってるんだ、昼寝はしているんじゃないか?」
「してへんて。サボりたくてもサボらせてもらってへんわ」
誰に、と聞く必要はない。横着腹黒昼行灯を休みなく働かせられるのはミシェルしかいない。
たまたまギルドに用事があってやってきたミシェルに、隠していた大量の指名採取依頼を発見されてしまったのが運の尽きだったとアレックスは嘆いた。それ以来、ミシェルによって整理分類された素材採取依頼を、古い順に消化させられているのだという。
「毎日毎日討伐やねんで、たまらんわ」
いいなー、と御者台から羨む声が聞こえたが、コウメイとアキラ、そして細目も聞こえないふりをした。
「ナナクシャールのギルドが受注したのなら、島の冒険者に振り分ければいいじゃないですか」
「それがでけるんやったらワシ自ら森に入ったりしてへん。今の島はワシとミシェルしかおらんねん」
「冒険者、渡ってねぇのかよ?」
「船で送られてくるんは皆無やし、転移してくる魔術師もゼロや」
「……何があって、そんな状態になってるんですか」
虹魔石集めに通っていたころも、入れ替わりはあったが常に五から十のパーティーが島で活動していた。
「まさかネイトのおっさんに何かあったのか!?」
手綱を放り出して荷台に飛び込んできたシュウが、アレックスに詰め寄り、加減なしに体を揺すった。
「おい、どーなんだよ!」
「ワシを揺さぶり殺す気か、アホ狼が」
軽くパシッと叩いたように見えたその手に、おそらくは魔力が込められていたのだろう。シュウの体が荷台を転がり柵に引っかかって止まった。
「ネイトは変わらへんわ。このごろは船を出す機会があれへんからな、退屈しとる思うで」
それを聞いて安堵の笑みを浮かべたシュウの顔面は、床板のささくれで擦り傷だらけだ。見ているほうがチクチクと痛みを感じる。アキラは無言で治癒魔術をかけた。
「各国の魔法使いギルドから冒険者は派遣されてこないのですか?」
「けえへんな。転移魔術陣は閉じとらんのやけど、トレ・マテルがあってから魔術師どもはおっかなびっくりや。転移事故で死にたないてビビっとるんやろな」
アレックスは少しばかり意地の悪い笑みを浮かべた。
「それならネイトさんが忙しくなりそうなものですが」
転移魔術陣以外で上陸する唯一の手段がネイトの管理する渡船だ。島での一攫千金を目当てに多くの冒険者がやってきそうなものだが。
「それやけどな、最近の冒険者は反骨精神ちゅうか不撓不屈っちゅうか、気概のあるんが減ってもうとる気ぃすんねん」
人族同士で力比べして満足している冒険者は、未知なる魔物や脅威の存在に挑戦しようとしない。島に渡った人族のほとんどが生きて戻らないのも、上陸をためらう大きな理由だろう。
「今の時代の冒険者は、堅実すぎておもろないわ」
生活のために冒険者を生業とする者には、ナナクシャール島は厳しすぎる。特に最近ではパーティーも少人数化しており、島での討伐には向かない。
「いくら腕利きでも個人の能力には限界あるしな。一つや二つのパーティーじゃ、島の狩り場は厳しいやろな」
「そういえば、俺たちが最初に島で活動してたころも、複数のパーティーが合同で討伐してたな」
大博打に出たパーティーが大陸各地から集まっていただけでなく、犯罪奴隷も大量に送り込まれていた。多いときは百数十人の冒険者が島にいて、競い合いながらも協力して討伐していた。
「なるほどなぁ。数の力は侮れねぇし」
集団戦は個人の力量よりも統率する者の能力と協調と均衡が重要になる。コウメイやアキラやシュウのような、島の森で単独で狩りができる者は滅多にいない。
「冒険者ギルドもお抱えの腕利きに死なれたないやろし」
「各国が出し渋っているわけか」
「そのわりに素材よこせて注文だけは遠慮ないんやで。忙しゅうてかなわんわ」
各国の情勢が安定しないせいか、あるいは魔法使いギルドが素材や魔石の備蓄を増やそうとしているのか、ナナクシャール島への注文はひっきりなしなのだそうだ。
「そんなに忙しいのに、島に帰らずダッタザートで何をやっていたんです?」
「呼んだんジブンやん?」
「さっさと島に帰らずにどんな陰謀を企てていたのかと聞いてるんです!」
「陰謀やてエルフ聞き悪いわ。冒険者、勧誘とったんやで」
来なければ呼べばいい。いいタイミングでダッタザートを訪れたのだ、砂漠討伐で鍛えた冒険者を島に招待しようと見て回っていたのだと言った。
「へぇ、何人雇えたんだよ?」
「それがなぁ、島で死なへんような逸材はなかなか見つからんねん。ごっつ頑丈で力持ちなんと、器用な魔術師と、戦える料理人が欲しいんねんけど、心当たりあれへん?」
「ねぇなぁ」
露骨な勧誘をコウメイは笑顔で聞き流し、アキラもそっぽを向いて無視だ。
「ほんま、困っとるんやで。ワシだけやったら追いつかへんし、ミシェルも手伝うてくれるんやけどなぁ」
「ミシェルさんをこき使ってるんですか」
「こき使われとんのはワシやで。はよ注文書減らせて文句言いながら、勝手に討伐しとるんや」
南の島でのんびりと隠居生活を送っていると思っていたミシェルは、怠惰なアレックスの尻を蹴るだけでは追いつかないと悟ったのだろう、泥人形を率いて討伐に励んでいるらしい。
「ミシェルさんの隠居生活は絶望的か……」
「楽しそうに雷落としとるで?」
それはきっと魔物に誰かの姿を重ねて攻撃魔術を撃っているのだろう。
「ミシェルがかわいそうや思うんやったら、勧誘にのってくれへんかなぁ?」
「俺たちよりももっと相応しいヤツがいるだろ」
「おったっけ?」
「エルズワースさんだよ。熊族の連中は退屈してたみてぇじゃねぇか」
人族の街でこっそり武術大会に参加するくらいだ、声をかければ喜んで素材集めに協力してくれそうではないか。コウメイのささやきにアキラも一石二鳥だとすすめた。
「獣人族に声をかければ、たぶんいろいろな問題が一度に解決すると思いますが」
「あぁ、獣人族かぁ。エル坊んとこはええねんけど、他が面倒やなぁ」
細目が忌々しげに顔を歪めた。負の感情を露わにするのは珍しいことだ。どうやら獣人族の中にも好き嫌いはあるらしい。
「面倒ってなにがだよ?」
「狼は一途っちゅうか、思い込みが激しいっちゅうか、純粋なんやけど度が過ぎるとこあるやろ? とにかくしつこいねん」
エルフ族に対する崇拝の念と忠誠心が最も高い一族は、アレックスを辟易とさせるほどしつこくつきまとうらしい。
「なるほど、狼族はエルフストーカー、と」
「俺は違うからなー!」
「それに長老が許可するかどうかわかれへんしな」
ナナクシャールの森はエルフ族の牧場だ。長老全員の同意がなければ勝手はできないと言う細目に、十分好き勝手しているじゃないかとアキラが目を細めた。
「そこまで大きくしなくても、知り合いに声をかけて討伐してもらえばいいじゃありませんか?」
種族間の取り決めや契約に触れない範囲で、個人的に親しい獣人に声をかけ採取してもらうのだ。条件付とはいえ人族が立ち入るのを黙認しているのだから、獣人族に対しても同じ条件で解放できるはずだ。今なら島には人族がいないのだから、幻影の魔武具のない種族ものびのび活動できるだろう。
「そやな、エル坊がいろいろ悩んどったし、声かけてみよかな」
よし、こっちの勧誘を断念させたぞ、とコウメイとアキラは視線を合わせ小さく頷き合ったのだが、そう思い通りにはならないのが陰険腹黒細目である。
「狩人はなんとかなりそうやし、あとはアキラが帰ってきたら完璧や」
「まて、なんでアキだよ?」
「帰りませんよ! 私の家は深魔の森です、ナナクシャール島じゃありませんからね!」
「なに言うてんねん、アキラの所属ギルドは島やで。そろそろ戻ってガンガン働いてもらわな困るわ」
「勝手に所属を変えないでください」
ミシェルの退任と同時に、ナナクシャール島の魔法使いギルドもダッタザートにならって独立している。島ギルドの長はアレックス、所属魔術師もアレックス一人のはずだ。断固拒絶を主張するアキラに、細目は眉をひそめた。
「あんな、ジブンずっと前からナナクシャール所属やで?」
「は?」
そんなはずはない、と慌てて腰鞄を探った。
アキラは複数の身分証を持っているが、そのどれもがアレ・テタルで作ったものだ。他所で作り直した覚えはない。間違いなくアレ・テタルの紋章が描かれているはず、と取り出したギルド証を確かめたアキラは絶句した。
「ナ……ナナクシャール?!」
手元に残っている五枚全てが、ナナクシャールの紋章に変わっているではないか。アキラの手から落ちたギルド証を拾ったコウメイは、細目を荷馬車から蹴り落とす意思を込めて足を伸ばした。
「あっぶな、落ちたらどないすんねん」
「……ちっ。悪ぃな、足が長くて」
「いつの間に、どうやって細工したんです?」
「えー、聞いてへんの? ミシェルがアレ・テタルから出て行くとき、エルフのアキラを残しとくんは後々面倒になりそうやて心配しとったから、ほな島で引き受けようて変更したんやで」
「そんなに前から……」
相談も打診もなければ、連絡も報告も一切なかった。
「ギルド証使う機会あったやろ、気ぃつかへんかったん?」
笑いを含んだ嫌みったらしい一言に、アキラはアレックスの胸ぐらを掴んで揺すった。
「断りもなく勝手なことをするんじゃない! 元に戻せ、今すぐに!!」
「えぇ、せやかてジブン、あれからアレ・テタルに一度も踏み込んどらんのやろ? やのに島にはずっとおったやん。会費も払ってへんやろし、五年以上所在確認でけとらんのにギルド員て認められるわけあれへん。そのままやったとしてもアレ・テタルはとっくに除籍されとるわ」
「ぐぅ……」
アレ・テタルでギルド運営側として働いていたころに、規約の全てに目を通しているアキラだ。忘れていた、は言い訳にならない。
「なあアキラ、島に戻ってけえへん?」
「お断りします」
「たまには所属ギルドのために働いてもバチあたらへんで?」
「今まで十分すぎるほど貢献してきましたし、五年以上島に上陸していませんので規約に基づいて除籍お願いします」
「アホいわんといて。ワシは貴重な所属ギルド員をたった五年で手放さへんで」
自分がナナクシャール魔法使いギルドの法律だ、と堂々と言い切るアレックスが憎らしい。
「なー、身分証って冒険者ギルドのじゃ駄目なのかよー?」
御者席に戻っていたシュウが、ヒロなら相談に乗ってくれるぜ、と振り返る。助け船はありがたいが、冒険者ギルドは魔術師の資格を証明できない。それに身元保証の信用度は魔術師証のほうが圧倒的に上なのだ。
「……駄目ではないが、いろいろと制約が出てくる。それに」
これ以上ヒロに危ない橋を渡らせるのは避けたかった。濁した言葉の続きを察したコウメイが、深く頷いて続きを引き取った。
「そうだよな。薬草の買い取りとか、錬金薬の卸販売とか、あとスタンピードの報酬とか、魔術師のほうが高値だもんなぁ」
「あー、なるほど」
「希少な魔物素材の売却も魔術師証のほうが査定が高くなるんだ」
「へー、そーなんだ、初耳だぜ」
「国境とか街の出入りとか、魔術師のほうが簡単やしな。ええかげん諦めて島に戻ったらどうや?」
移籍先の選択肢がないと信じるアレックスのニヤついた顔面が腹立たしい。アキラは轍で荷馬車が大きく揺れのに乗じて、素早く握った杖の魔石を細目の顎に突き込んだ。
「あがっ。暴力はアカンて、暴力は」
「失礼しました、馬車が思いのほか揺れたので」
しれっと杖を引っ込めたアキラは、素知らぬふりで転属計画を錬りはじめた。
ギルドの規約はギルド長の裁量しだいというのは事実だ。とは言え新たな所属先で再登録し、これまでのギルド証を破棄してしまえば転属は可能なのである。
アキラが考える転属先は一つしかない。幸いなことにダッタザート魔法使いギルドのジョイスならば、事情を話して頼めば拒みはしないだろう。自分の存在が胃痛の原因になるかもしれないが、代償としてそれなりの利益は提供する自信はある。書類だけでもダッタザートに所属していれば、これから金策に舵を取らねばならないギルドのために、会費を支払う名目でいくらでも金銭的な支援は可能だ。
よし、アレックスを島に送り返したら速攻で手続きをしよう。
決意を悟られれば妨害されかねない。アキラは細目の相手をコウメイに任せ、さりげなく距離を取って表情を読まれないように顔を背けたのだった。