細くない腕による改革記 5 三種族会談(非公式)
エルズワースとの約束を果たすべく、アキラは大急ぎで根回しと準備をはじめた。
面倒事は押しつけてきた相手に全て突き返すべく、おびき出すための魔紙を飛ばし、ジョイスには場所を提供してもらった。
「おーい、あといくついるんだ?」
「三枚だな。天井にぶつけるなよ。おい、廊下の壁紙が破れるぞ」
「あー、うるせー」
アキラに文句を言われながら、シュウは厚みのある長板を転移室に運び込んだ。階段状に陥没した床に橋を架けるように並べ、魔術陣に蓋をする。中央に椅子とテーブルを置けるほどの場所を作ったところで、エルズワースが小さめのティーテーブルと椅子を運んで来た。
「全員の椅子を用意するのは難しそうだが」
「とりあえず三人分の席があれば大丈夫ですよ。私たちは立ち会いですから」
「アキラ殿を立たせたままにしておくのは申し訳ないのだが」
「エルフ族の代表はアレックスです、あれを座らせておくので好きなように尋問してください」
尋問の場にしては優美なテーブルと椅子が設置されたところに、コウメイが茶器と菓子を載せたワゴンとともに部屋に入ってきた。
「香り茶にハギ茶、あとコレ豆茶だな。茶菓子はクッキー各種と蜂蜜風味のプディング、乾燥果実と酒漬け木の実入りのパウンドケーキに、どら焼きは黒餡と甘芋餡の二種類だ。サツキちゃんに蜜漬けの刺の実をもらったから、モンブランケーキっぽいやつも作った」
「聞いているだけで胸焼けがしそうだ」
想像して顔を歪めたのはアキラだ。シュウはどれから食べようかと目を輝かせているし、エルズワースもはじめて見る甘味の数々に興味津々の様子だ。
「甘くねぇサンドイッチと豆菓子も用意してあるから安心しろ」
笑いながら小さなテーブルに三人分の茶器を並べる。アキラは香り茶、エルズワースはハギ茶だ。残る空席の器はまだ空だ。
「あ、あのっ、僕がお邪魔して、よよ、よろしいのでしょうか?」
シュウに連れられてきたジョイスが、見慣れぬ冒険者を見て体を硬くした。シュウよりも大きく立派な体つき、しかも野性味と渋みのある冒険者はジョイスが苦手にするタイプだ。
「ジョイスさんのために用意した席ですから、どうぞお座りください」
「ぼ、僕のため、ですか?」
「ええ、これから三種族会議をしようと思いまして。あいにく最後の一人がまだ来ておりません。揃うまでお茶とお菓子を楽しんでください」
「さん、しゅぞく……?」
事前に何も聞かされていないジョイスは、ぽかんと口を開けたまま首を傾げている。コウメイにどの茶にするかと問われても不安そうに首を振るばかりだ。
アキラは壁の水鏡を隠した被いを外して席に戻り、ジョイスに菓子をすすめた。
「お酒は大丈夫ですか? それならこちらの焼き菓子がおすすめですよ」
「ちょっと多めに酒をしみこませてある。苦手なら蜂蜜風味のプディングはどうだ?」
「どどど、どちらも美味しそうですっ」
「そのプディングというのは食べたことがないが、どんな菓子なんだ?」
一族の領域では食べられない菓子に興味があるらしいエルズワースは、全てを味見したいと希望する。コウメイが大きめの皿に、一口程の少量を取り分けた。パウンドケーキと蜂蜜のプディングを並べ、側には泡立てたクリームを添え数種類のクッキーで飾る。半分に切ったどら焼きは、モンブランケーキを挟んで餡の種類がわかるように配置した。
「お代わりが必要なら言ってくれよ」
コウメイは水鏡からのぞき込んでいる誰かに気づかぬふりをして、見せつけるような大げさな身振りで皿を二人の前に置いた。
「おお、これは賑やかだ」
「すごいです、こんなに盛りだくさんなお菓子の皿、僕はじめてですっ」
フォークを握るジョイスの手が弾む。甘い物に目がないというエルズワースは、どら焼きの甘さが気に入ったようだ。一族への土産にしたいとコウメイにねだっている。
「あー、このニョロニョロケーキ、美味ーよなー」
「モンブランケーキだ」
「このプリンもサイコー。何杯でも食えるぜ」
「本当ですね、蜂蜜風味のプディングははじめてです」
わけもわからず転移室に連れてこられ、威圧感のある冒険者を前に硬くなっていたジョイスも、美味しい菓子に緊張がほぐれたようだ。美味しい、この組み合わせははじめてだ、やわらかくて口の中で溶ける、と一口味わうたびに嬉々として感想を口にしていた。
「この豆菓子は口直しにぴったりだ。塩辛さが次の菓子の美味さを引き立ててくれるぞ」
「サンドイッチもどうぞ。ピリ菜と薄切りの赤芋が美味しいですよ」
「おいシュウ、パンだけ食うな。具も食え」
エルズワースも負けじとばかりに菓子を口に運び、気に入ったものは何度もお代わりを要求している。
「あの、もう一人はまだなんですか?」
ジョイスはテーブルワゴンを振り返り、立ち食いのシュウによって見る見る間に減ってゆく菓子を不安げに見る。
「遅れているお客さんのお菓子、なくなっちゃいそうですけど……」
ジョイスの言葉が終わる瞬間だった。
転移魔術陣の光が増し、ガツンと足の下で大きな物音と跳ね上げるような衝撃がした。
「あいたっ!」
足下の板木が振動し、何度も突き上げるように動く。
「ええ、なんなん? なんで蓋があるん? ワシ閉じ込められてん?」
板の下から聞こえる声に狼狽えるジョイスをなだめて、アキラは素早く指示をだす。
「動くと危ないですよジョイスさん。エルズワースさんはそのまま、重しの役割をお願いします。シュウ、確保。コウメイ、捕縛」
「はいよっと」
「痛っ、痛いねんって、硬いとここすれて痛たぁ」
板木の端の一本を素早く外し手を突っ込んだシュウは、転移してきた腹黒陰険細目の首根っこを掴むと、力任せに引っ張り上げた。アキラが空けた椅子に細目を座らせ、コウメイが素早く縄をかける。
「遅かったですね」
「もうちょっと優しゅう出迎えてくれてもええん違う?」
「おもてなしのためにお茶とお菓子をご用意していますが?」
優しいでしょう? とほほ笑まれたアレックスは不本意そうに唇を尖らせた。背もたれに縛りつける縄を破ろうと身を捩らせあがいたが、金鞭は魔力では破れない。
「ワシの分ちゃんと残ってるんやろな?」
「ここに全種類取りわけてあるぜ。食いたきゃエルフ代表として責任もって喋れよ」
目の前にコレ豆茶とどら焼きの皿を置くと、途端に細目は大人しくなった。
転移してきたアレックスの捕縛から着席までを呆然と眺めていたジョイスが、ハッと我に返った。伊達に魔法使いギルドの長を務めているわけではない、エルフのアレックス、人族は自分だ。では残るエルズワースはもしや、とその正体を察したジョイスの声が裏返る。
「あのぉ、三種族とは……もしやこの方は」
興味と畏れとで視線が泳ぐジョイスに、アキラが「獣人族です」と頷いた。
「……アキラ殿は我らの信頼を裏切るつもりか?」
「とんでもありません。ですが先日ジョイスさんに相談いただいた件と、エルズワースさんの質問にまとめてお答えするには、立場をはっきりさせておいたほうが良いと思いまして」
「だからといって騙し打ちのようなやり方は気に食わんな」
「それはお詫びします。アレックスをおびき寄せるには、複数興味を引ける話題が必要だと思いましたので」
「それやねんけど、ワシなんで呼ばれたん?」
「あなたが私に押しつけたエルズワースさんの相談と、ジョイスさんの相談に乗っていただくためです。私では答えられませんので」
袖をめくって手首に巻き付いた契約魔術を見せると、その件かとアレックスは仕方なさそうに息をついた。
「他に方法はなかったのか?」
「話の通じる人族と親交を深めておくのは、エルズワースさんにも悪い話ではないと思いますよ」
「人族ならコウメイがいるではないか」
「シュウが一族とは異なる生き方を選んだ『はぐれ』であるように、コウメイも人族から大きく逸れた存在です。エルズワースさんの望む働きは期待できませんよ」
それは表面的にはエルフである自分も同じだとアキラははっきりと言った。
「ミシェルさんという仲介者を失って、色々と困ることも多かったのではありませんか?」
「この者が代わりになると?」
「彼はダッタザート魔法使いギルド長のジョイスさん、ミシェルさんの弟子です」
「ほう、ミシェル殿の」
「ひゃ、ひゃいっ」
アキラに向いていた威圧の視線がそのまま自分に向けられ、ジョイスの体が大きく跳ねた。
「この場を二十年以上も管理していますし、実力も実績も十分あります。魔術師らの信頼も厚い。不安でしたら契約魔術を使いますが、いかがでしょうか?」
「あ、あああ、アキラさんっ」
全身の震えが止められないまま立ち上がったジョイスはアキラにすがった。
「あの、僕に何を、契約魔術なんてっ」
「大丈夫ですよ、エルズワースさんは話の通じる方ですから」
「ぼぼ、僕は何をさせられるんですか? しっ、師匠の代わりなんて、僕には」
「ジョイスさん、転移魔術陣が変化した以上、この先のダッタザート魔法使いギルドは変わらざるを得ないでしょう」
他国のギルドをあてにできなくなったのだ、自身の収集能力は上げておくべきだ。もちろんアキラも求められれば喜んで協力するが限界はある。だがアレックスやエルズワースと協力関係を構築できれば、ジョイスがとれる手段は大幅に増えるのだ。
「ギルドや魔術師や奥様を守るためにも、情報を得る伝手は増やしておくべきだと思いませんか?」
ジョイスの一番弱いところを的確に揺さぶるアキラだ。
「えげつない弟子やわぁ。あ、どら焼きも一個ちょうだい」
「まったく師匠によく似た弟子だな。コウメイ、酒の風味の菓子をくれ」
ジョイスが言いくるめられる様子を眺める熊獣人からは、怒気がすっかり消え去っていた。
「なんや、エル坊、ええんか?」
「族長が持っていた人族の伝手はずいぶん前に失われた。俺の伝手も思わぬ早世で途絶えた。我らの状況もかんばしくはない、新しい伝手をどうにか得たいと考えていたところだったんだ。アキラ殿の推薦があり、契約魔術で縛れるのなら悪くはない」
自力で信頼できる人族を見つけ出すのは困難だ。時間もかかるし、失敗は一族の破滅にも直結する。人選を丸ごと省略できるのは利点だと熊獣人は言った。
「契約魔術はジョイスさんだけを縛るものではありませんよ」
二人の話を聞いていたのか、ジョイスを説得していたアキラが細目と熊獣人を振り返る。
「エルズワースさんも、アレックスも、もちろん私たち三人も契約魔術で縛ります」
「えぇ、もう縛られとるんやし、これ以上は堪忍してほしいんやけど」
「俺もか?」
「ええ、エルズワースさんにとって有利な情報は、ジョイスさんには都合が悪い情報でもありますから。今日この場で知り得た情報は、この六人としか話せない、七人目に話したければ六人が揃わないと口外できない、という契約魔術を考えています」
「ふむ、その条件を満たすのはかなり難しいではないか」
「だからこそ秘密は守られるのですよ」
どうするのだ、と笑顔で問われたエルズワースは、悩ましげに唸った。
「一族に持ち帰れないのでは意味がない」
「ジョイスさんだけにリスクを負わせるわけにはゆきませんから。それにエルズワースさんは、知っているだけで選択肢は増やせると思いますよ」
口に出せなくとも、一族の利を得られる手段を選ぶ材料になる。その言葉に一理あると納得した彼は、契約魔術を受け入れた。
+
アキラが整え、アレックスが魔力を提供して結ばれた契約魔術の光が、六人の首にくるりと巻き付いて消えた。魔力が体を縛る感覚に慣れていないのだろう、エルズワースはしきりに首を気にしている。
アキラはアレックスの後ろに立ち、耳飾りを外した。椅子に縛り付けている細目からもピアスを外す。
「……なー、細目がキラキラした美人に見えるんだけど、俺の目どーかしちまったのか?」
「失礼やな、ワシずっとこの顔やで」
「幻影の魔武具の効果か」
「キラキラしいクセに、目が細いのはかわらねぇんだな」
「そういえば、はじめて会ったときはこんな顔だった」
幻影は魔武具ごとに違う設定がされているらしい。アキラのは耳を隠し美貌を少し陰らせる程度、アレックスのは耳を隠し外見を野暮ったく見せる魔術が施されていた。
きらきらしいアレックスに懐かしさを感じ目を細めたエルズワースだが、人族の前でそこまでするのかと咎めるようにアキラを見る。
「三種族会談ですから」
アキラが笑顔で返すと、それならばとシュウが鉢巻きごと幻影の魔武具を取り外した。
「え……ええっ、シュウ、さんが、獣人族?!」
「今まで黙ってて悪かった。けどふつーの人族じゃねーって気づいてたんだろ?」
「は、はあ、まあ……アキラさんがいるので、コウメイさんもシュウさんもエルフ族なんだとばかり」
「「「ぶほっ」」」
三人同時に噴き出した後は笑いが止まるまで時間を要した。
「マッチョなエルフとか、幻滅越えて笑うしかねぇ」とコウメイがシュウを揶揄い、シュウは「死神エルフとか物騒すぎてありえねー」と腹を抱えている。そして細目は真面目くさって「どっちもあかんて、ありえへんわ。エルフっちゅうんは魅惑の美貌と気品が必須やねんで、この二人のどこにそない要素があるちゅうねん」と首を大きく横に振る。お前が言うのか、とエルズワースの向ける視線が冷たいことには気づいていない。
「三種族会談ならば、俺だけ隠したままとはゆかないな」
鉢巻きとサークレットを外した彼は、ジョイスに熊獣人族の副族長だと名乗った。族長が引退すれば彼が熊獣人族を率いる立場になる。
「出世したんやなぁエル坊」
「エル坊って言うな」
シュウはエルズワースの後ろに立った。自分の後ろに立つコウメイを、ジョイスが探るように見あげると、苦笑いが淡々と答えた。
「歳はとってねぇが、俺は間違いなく人族だぜ」
どうやら契約魔術があっても隠さねばならない秘密があるらしいと察したジョイスだ。
コウメイが飲み物を入れ直したところで、アキラが切り出した。
「この場はジョイスさんとエルズワースさんの疑問に答えるために用意しました。三種族が揃うのはおそらくはじめてだと思いますが、あくまでも非公式の会談です。この六人は種族を代表していませんし、この場で何かの結論は出しません。あくまでも情報交換の場であるとお知りおきください」
全員が頷くのを確認して、アキラはジョイスから相談された転移魔術陣についての回答をアレックスに求めた。
「そない心配せんでもええで、これは悪い変化やない。むしろ元に戻ろうとしとるだけや」
「元に、ですか?」
「せや。こない古ぼけた部屋の床に転移魔術陣があること自体、おかしい思わへんかったん?」
アレ・テタルもウナ・パレムもトレ・マテルも、転移魔術陣は塔の中央に存在した。マーゲイトは山頂だが、山そのものを塔に見立てれば、その中央の頂上に存在している。
「リウ・リマウトも湖の際に立つでっかい塔にあるし、ケギーテは水の地下塔にあるし、ヘル・ヘルタントは王城のど真ん中にそびえ立つ塔の中や」
「そう言われてみると、確かにダッタザートだけが異質だな」
「あ、あの、では元に戻ろうとしているというのは……?」
「アレ・テタルの力が弱まったせいやろな。独立したし、そろそろ元に戻ってええんちゃうかて判断したんや思うで」
アレックスは誰が、あるいは何が、をはっきり口にしなかったが、ジョイスはそれよりも別のことが気になるようだった。
「元にということは、ここには塔があったのですか?」
「あったで。ここ元々はレリエント国の王都やし」
敗戦の結果、レリエント国はウェルシュタント国に併合されて地図から消えた。三百年以上も昔のことらしい。レリエントの首都を王家直轄にし、王弟に統治させた。その際に滅びた国を象徴する建物は全て破壊されたのだ。かつての王城も魔法使いの塔もだ。ただ塔は壊せても魔術陣は破壊できなかった。当時は王都であったアレ・テタルとの往来の利便性を捨てられず、アレ・テタルの管理下であるギルド出張所として残されたのだ。
「ちょっと前にダッタザートとアレ・テタルを縛っとった契約が切れたやろ。せやから元に戻ろうとしとるんや」
まるで魔術陣に意思があるかのように語るアレックスに、熊獣人の彼は疑いの目を向けている。だがアキラたちは、アレ・テタルの塔の模様がめまぐるしく変化していたことも、トレ・マテルの事変も知っているだけに、あり得ると納得してしまった。
「そ、それでは、この部屋はこれからも変わっていくのですか?」
「部屋だけやないやろな。表面に出とるんは魔術陣の一部やし、全部元通りになるとしたら、部屋の外も変わる思うで」
魔術陣の影響で、建物や土地が勝手に増改築されると聞いたジョイスは青ざめた。ギルドが所有する敷地内ですめば良いが、それを越えて魔術陣の力が発揮されてしまったら大変だ。悲壮感で潰されそうなジョイスに、アキラが「レリエント国時代のギルドについての書物を一緒に探しますよ」と励ました。
「なるほど、魔術陣というのは、その地に大きな影響をもたらす存在なのだな」
得心がいったと頷いたエルズワースは、アキラとアレックスを見つめた。
「ではウナ・パレムの変化もその魔術陣の変化のせいなのか?」
「せやで」
「どうやったのだ? あの地の変化はどんな目的で、どのような魔術が働いているのだ?」
「なんも働いてへんで。そのせいでウナ・パレムはナナクシャール島みたいになってもうたんや」
「働いていない、とは?」
「言葉通りや。あそこの魔術陣、壊れてもうたんや」
アレックスは不安げなジョイスと、理解が追いつかないエルズワースを交互に見る。
「魔術師の塔に守られとる魔術陣はな、転移のためだけにあるんやない。転移陣の下に仕込んだ封印陣が大陸の魔素を抑えこんどるんや」
地下から表層に出てこようとする魔素を押さえ込むことで、この大陸は人族が暮らすのに適した環境を維持している。それを知ったエルズワースの目が鋭く輝いた。
「なるほどな、では魔術師の塔の魔術陣を破壊すれば、我々の居住に適した環境を作れるのか」
そんなに簡単なことだったのかと熊獣人は嬉しげだ。今すぐにでもこの部屋の魔術陣を破壊しそうな獰猛な笑みを前に、ジョイスがすがるような顔でアキラに助けを求めた。
「エルズワースさん、契約魔術を忘れないでくださいね」
「わかっている、口外はしない」
だが行動は禁止されなかった。
「言うとくけど、エル坊にここの魔術陣は壊せへんで」
「熊族の破壊力をもってしてもか?」
「そら物理的に壊すんは簡単やろうけど、防護魔術には手も足もでんやろ? 転移魔術陣を守る魔術を破るんは、えらい魔力かかるねん」
エルズワースが崩壊させられるのはギルドの建物だけだ、転移魔術陣は残る。そして魔術陣の意思が働けば建物は容易に再建されてしまう。
「魔力……」
獣人族の状況をはじめて知ったジョイスは、悔しげに訴えるエルズワースを興味津々に、だが警戒も忘れずに耳を傾けている。人族の侵攻と、それによる獣人族をとりまく環境の激化を何とかしたいと訴えていた彼は、閃いたとばかりにジョイスを真正面から見据えた。
「……そうか、魔力がある者に破壊してもらえば」
気圧されたジョイスの体が椅子から逃げだそうと動く。
「エルズワースさん、駄目です。そのために紹介したのではありませんよ」
「ミシェルの弟子脅したらアカンて。それに人族程度の魔力じゃ破壊はでけへんで」
「ではアキラ殿に」
「おい、おっさん、いーかげんにしろよ?」
エルズワースの太い首に後ろから腕を回したシュウが、ぐっと力を込めて引いた。コウメイの握っていたナイフがゆらりと彼の鼻先をかすめる。
「今日は情報交換なんだぜ、土木工事の相談は族長の了承を得てからにしろよ」
「ぐ……」
一族に持ち帰り相談したくとも、口外を禁じる契約魔術がある。
「エル坊の気持ちはわからんでもないねんで、けど誰からにそれ頼むんはやめとき。塔と魔術陣はウチの長老らが、最後に神から与えられた仕事やねん。それ壊せいうたらジジイどもは黙ってへんやろ」
今暮している領域も失うことになるぞと暗に脅された彼は、エルフや新たな仲介者の機嫌を損ねるのは得策でないと呑み込んだ。しかし転移門の設置場所については熊族だけの問題ではない。あまり長引けば痺れを切らした狼と猫あたりが強硬手段に出かねないのだ。
「確かに、ウナ・パレムに獣人族の出入り口が集結するのはマズイかもな」
「面倒事が起きる確率は高まるでしょうね」
「人族は命知らずだし、獣人は頑固だし、ぜってーオオゴトになるに決まってるぜ」
コウメイはモンブランケーキを盛り付けた皿を、アレックスの手の届かない位置に置いて「何とかならないのか」と問う。
「蜂蜜味のプディングも」
「案があるんだな?」
「人族が寄りつかへん奥地を教えたらええんやろ?」
「どこだ?」
「深魔の森や」
途端、金鞭がキュッとアレックスを締め上げ、ケーキの皿がより遠ざけられた。エルズワースの首から離れたシュウの手が、菓子を掴み取ってペロリとたいらげる。
「く、苦しいって、ああっワシの菓子!」
「ふざけた発言してんじゃねぇよ」
エルズワースには世話になっているし、他の獣人族よりは親しみもある。彼個人がたまに訪問するくらいなら問題はないが、獣人族の出入り口にされて争いを持ち込まれるのは許容できない。
「冗談やて、契約魔術あるやん、他所で喋られへんのやからこれくらいええやろ」
「あなたの発言は冗談ですまないんですよ」
「どうやらその森は先住がいるようだな」
「そういうことだ。悪ぃが他を当たってもらえるか」
「わかった」
先住が誰であるか察したのか、エルズワースは笑って頷いた。アレックスの様子から、深魔の森以外にも人族が立ち入らない奥地はまだ残っているとわかったのだ、獣人集会で正式にエルフに助言を求め、穏便に移転地を決める方向に話を持ってゆくしかないだろう。そもそも個人の伝手でアレックスに問い合わせたのが間違いで、獣人族の代表としてエルフ族に申し入れれば、もっと穏便な解決方法に落ち着いたはずだった。
自分にはまだ族長は務まらないようだと、内心でため息をつくエルズワースだ。
「他に聞きたいことあれへんの?」
「いくらでもあるが、あまり突っ込んでここで話題にすると、他で話せなくなるのは困るからな」
「ぼ、僕も変貌の理由がわかったので、あとは自分で何とかできると思いますっ」
「ほなワシは帰るわ。コウメイ、その菓子土産に詰めてくれへん?」
恨めしそうに見ている目があるから手ぶらで帰れないと愚痴った細目だ。水鏡をチラリと振り返ったコウメイは、鏡の向こうから感じる気配へと、苦笑いで頷いて見せた。
+++
「ありましたよ、ジョイスさん。レリエント国時代の記録です」
三種族会談の後、書庫に籠もりっぱなしだったアキラが見つけたのは、最も古い書棚の奥に作られた隠し扉だった。そこには滅ぼされた王国の記録が隠すように保管されていた。わずか数冊の書物は、下手に触れれば朽ちて粉々になってしまいそうなほど劣化が激しい。
「この状態では、移動させるのは危険ですね」
「読んでいる間に朽ちてしまいそうですけど、どうしましょう」
古書の扱いは慣れているが、これほど古いものははじめてだとジョイスは不安そうだ。もし自分の扱いが原因で記録が失われたらと想像し尻込みしている。
「読み込むよりも写し取ることを優先しましょう。五冊なら何とかなります」
リンウッドなら古書の扱いも詳しいだろうと問い合わせ、触れただけで朽ちそうな本の扱いを教わって記録の写しに取りかかった。
「両隣と後ろも以前はギルドの敷地だったようですね」
「塔の大きさからして、完全に自己修復されたら、お隣も後ろの家も巻き込みそうですよ、どうしましょう?」
当時の王家がレリエントの魔法使いギルドから力を削ぐために、最低限の土地を残して大半を接収したらしい。長い年月の間に領主の手を離れ、現在では街の個人が所有となっているのは幸いだ。周辺の地権者と地価を調べたアキラは、さらりと提案した。
「買いましょう」
「……は?」
「土地と建物を買い取るんですよ。ギルドに所属する魔術師も増えましたし、学校も開設するのですから名目はあります」
「そ、そんなお金、ありませんよ!」
「ジョイスさん、お金は稼げば手に入りますよ?」
眩しいほどの笑顔でさも簡単そうに告げるアキラを、ジョイスは「やっぱりエルフだ……」と恨みがましく見つめた。
アレックスの予測と、レリエント国時代の記録から計算した結果、転移魔術陣を含めた塔が元に戻るのには十数年の猶予があるとわかった。少しずつ、着実に周辺の土地と建物を購入する資金のため、アキラは新しいギルド事業を提案するのだった。