武術大会・準々決勝
出場者観戦室の端で、コウメイとシュウは三色団子を片手に熊獣人と顎髭男の試合を見ていた。観客席が興奮するほどの接戦だが、二人の視線は冷めている。
「あいつ、遊ばれてるのに気づいてねーな」
対戦相手の鈍感さを哀れむようにシュウの眉間に皺が寄った。
チェカットは対戦相手の力量にあわせ、一打の重さや動きの速さを調整していた。軌道を予測済みの剣をあえて寸前で受け止め、試合場の壁まで弾き飛ばせる力を抑えて軽く足が乱れる程度に押し返す。斬り返す動作は相手の反応速度よりわずかに上回る程度に鈍らせ、ギリギリで回避させるという念の入れようだ。
「あれは気づけねぇって、力の抑え具合が絶妙すぎる」
事前に戦いを見ていても、ましてやはじめての対戦では絶対に気づけないだろう。あまりにも巧い調整にコウメイは感嘆の息を吐いた。
チェカットが相手との力量差を僅差に装っているせいで、試合はすばらしい接戦にしかみえない。おかげで観客席はたいへんな盛り上がりを見せていた。素人の観客が気づけないのはわかるが、対峙している本人もすっかり騙されているのだから滑稽だ。顎髭男はおそらく、この程度の実力差ならば粘れば勝機は必ずおとずれる、そう信じているのだろう、必死に食い下がっていた。
「あー、チェカットさん飽きてきたっぽいぜー」
「面白くなさそうな顔してるな。あれ見たら遊ばれてるってわかりそうなものなのに」
「敵の表情を見てるヨユーなんてねーんだろうぜ。あ、かすった」
斜めに振り下ろした剣先がチェカットの肩をかすめた。
「わざとだな」
「性格悪ー」
顎髭男の渾身の一撃を避けそこなったように見えるが、罠だ。
足場を崩されたように見せかけた狙い通り、チャンスと見た顎髭は再び剣を振りかぶる。防御の姿勢をとらせる前に討てる、これで勝ちだ、と輝いた男の目が、次の瞬間には白目をむいていた。
「……見えたか?」
「えーと、たぶんだけど、剣が振り下ろされる前にチェカットさんの柄頭が顎髭野郎のみぞおちに入ったよーな?」
獣人であるシュウの目でも追い切れない動きだ。チェカットが倒れると思っていた観客らには、反撃も防御もされていないのに顎髭男が突然倒れたように見えていた。何が起きたのか、試合はどうなるのかと会場全体がざわめいている。
駆けつけた審判役が顎髭男の気絶を確認し、チェカットの勝利を宣言した。
見応えのある接戦にしては拍子抜けするような結末に、観客席の空気が一瞬で白ける。
「ここまで演出したのなら、最後まで演じきってやれよ」
楽しんでいた観客と、勝利を掴んだと信じた顎髭男がかわいそうではないかとコウメイが苦々しく呟く。
試合場のチェカットが、顎で倒れた髭男を指してシュウにニヤリと笑いかけた。
「次はシュウだってよ?」
「俺はあんなブザマな沈み方はぜってーしねーからな」
「負ける前提で格好良さを追求するのはどうなんだ?」
「俺は負けるなんて言ってねーだろ」
どうやらシュウにとっては、床に沈むというのは昏倒しての判定負けとは意味が違うらしい。
「ならどうやって勝つんだ?」
「わかんねー。けど戦ってみなきゃわからねーだろ」
気合いとともに三連の団子にかぶりつき、一気に串を引き抜いた。
「俺はいつでもどんな相手でも、ぜってーに負けるつもりで挑んだことはねーんだよ」
「自分より強い相手でもか?」
「あたりめーだろ。死ぬ気でかかれば倒せねー魔物なんていねーよ」
「チェカットさんは魔物じゃねぇだろ」
前向きで快活なシュウの気合いの入りように、コウメイは思わず笑みをこぼした。そして気合いのみなぎる背中を叩き、草餅を差し出して激励する。
「よし、死ぬ気で踏ん張ってこい。シュウはヤツから勝機を引き寄せられる程度には強い。ここから先の試合に時間制限はねぇんだ、ありとあらゆる技や動きを引き出して、手管も手札も全部潰しちまえ。会場も盛り上がるし、美女の歓声も独り占めだぜ」
「おう、任せとけ!」
ご機嫌で草餅三個を鷲掴みにしたところで、職員がシュウを呼びに来た。チェカットの疲労が少ないため、試合開始が早められたようだ。草餅で頬を膨らませたままシュウが観戦室を出てゆくと、衝立の向こうからヒロが顔を出した。
「コウメイさん、悪辣ですね」
会話が聞こえていたのだろう、ヒロがコウメイを見つめるその表情は、呆れと非難が半々だ。
「シュウの次にヤツと当たるの俺だぜ。やっぱり無様な負け戦はしたくねぇからな。少しでも情報が欲しいだろ」
「だからってわざと焚きつけなくても」
「仕方ねぇよ、奴から本気を引き出せるのはシュウだけだろうし」
先ほどのような手加減された試合からでは、チェカットの本当の実力は読み取れない。同じ獣人族ならばいい勝負になるはずだし、白熱すればぽろりと癖を出す可能性は高い。
「コウメイさんも負ける前提なんですね」
「勝てる気がしねぇからなぁ。まあ今の時点で他の連中から見たシュウも似たように思われてるだろうぜ」
「……なるほど、そういうことですか」
よく似た鉢巻き姿、人族を超越した剛力。彼もなのか、とヒロは小さく息をつく。シュウの力には制限がかけられるし、強いとはいってもコウメイは確かに人族だ。反則ではあるが例外としてギリギリ許容できる。だが五十二番のチェカットは次元が違う。
「腕比べをしたければ、彼らの一族だけでやってほしいですね」
今後は密かに出場する獣人族が増えるのだろうか、そんな懸念にヒロの顔が曇った。
「心配しなくても、今回だけだと思うぜ」
幻影の魔武具を持つ獣人は限られている。チェカットも気まぐれを起こしただけだと言っていたし、コウメイやシュウが止めなければ予選終了時点で「面白くない」と取りやめていたはずなのだ。
「そうなんですね、安心しました」
安心したと言うわりに、ヒロの表情は晴れない。彼はチラリとアキラに視線で問い、衝立を回ってコウメイの隣に腰を下ろした。菓子箱を差し出しながら声を潜めて問う。
「もしかして獣人族はこの街に頻繁に出入りしているのですか?」
「さあな。だが魔武具以外にも耳と尻尾を隠す方法はあるんだ、出入りしてねぇとはいえないだろうな」
「そうですか……」
コウメイの返事を聞いたヒロは、静かに表情を引き締め考えに沈んだ。
「怖いか?」
「いいえ。この年になると急激な変化は思っていたよりキツイな、と」
コウメイの口ぶりから、ヒロは獣人族が意外なほど近くに存在していると確信した。獣人族と断絶してから何代もの年月が過ぎている。再び交流を持っても良いと考える一族が現れるのは、人族が思うよりずっと近いのかもしれない。そのときがくれば最初に対処するのはおそらく冒険者ギルドだ。ギルドが対処を間違えれば、今度は決別では済まないだろう。
「ほとんどの人々は彼らの存在を忘れてしまっています。過ちを繰り返さないように、もう一度学び直す時間がほしいですね」
「責任感があるのはいいが、あんまり気負いすぎるなよ。それはヒロが背負う必要のねぇものだぜ」
塩味のおかきを口に放りこんだコウメイは、凝り固まったヒロの肩を軽く叩いた。
「心配するな、多分ヒロが恐れてるようなことにはならねぇよ」
そうだろうか、と問いかけるような視線に笑顔を返したコウメイは、試合場に現れたシュウに視線を移した。
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準々決勝の試合がはじまると、目の肥えた観客は驚きに息をのんだ。
剣の速さと重みが、豪快に風を切る。
その鋭い音や風圧が観客の肌をピリリと刺激した。
剛力を見せつける迫力の戦いぶりで勝ち進んできたシュウの力量は観客らも知っていた。だがもう片方の鉢巻きからは、これまでの戦いは全て接戦で、圧倒的な強さを感じられなかった。この試合、多くの観戦客は若い鉢巻きが勝つと予想していたというのに、目の前で繰り広げられているのは真逆の戦いだ。
「くそー、これも止めるのかよ!」
「こんなひょろい攻撃で俺を破れると思ってるのか?」
「ひょろくねー! 渾身だっての!」
「この程度でか。特訓の成果は出てないな」
「ちくしょーっ!!」
攻めるのはシュウばかりで、チェカットは全ての攻撃を軽々と受け止め、押し返し、余裕でかわしていた。
これならどうだと、シュウは剣を両手で持ち直し、遠心力をくわえて振りかぶった。
踏ん張ったその勢いが床を軋ませる。
風を斬る音が観客の耳に届くが、剣は見えない。
これは止められない、と誰もが思った。
「お、今度のはなかなか良かったぞ」
左肩を狙ったシュウの一撃は、片手で支えられた剣に止められていた。
そのまま獣人の力を重ねて圧すか、引いて打ちなおすか、一瞬の迷いをチェカットは見逃さない。
左肩の上で保持されていた剣が、シュウを投げ飛ばす。
シュウは床に頭を叩きつけられる寸前に向きを変え、反撃の一撃目をかわした。
くるりと後転して剣で二撃目を受け耐える。
「ふん、これを耐えたか。だが制御が甘い、首のあたりに毛皮が生えかけてるぜ」
「引っかかるかよ! 俺の制御は完璧だっ」
両膝を跳ね上げたシュウが、チェカットの腹を狙って突進する。
タイミングを合わせたバックステップで回避したチェカットは、剣先をチラつかせてシュウを牽制する。
「危ない、今のはギリギリだった。結構な力が噴出していたのに、なんで変態してないんだ?」
「言っただろー、俺の制御は完璧だって」
たまに人族の領域に踏み込む程度のチェカットとは年季が違う。常に人族の中で生きてきたシュウは、変態せずに獣人の力を操る技術を磨いてきたのだ。
「なるほど、手加減不要なんだな」
「あたりめーだろ、死ぬ気で戦わなきゃ面白くねーよ」
「それはそうだ」
その瞬間、チェカットの動きが変わった。
主にシュウの攻撃を受け止め、跳ね返してばかりだったチェカットが、攻撃に転じたのだ。
辛うじて剣の幻影が見えた。
防御は間に合わなかったが、命中だけは避けられた。
「ぐふっ」
それでも右肩が引き千切られるように痛い。
ピキリと骨が軋む音がしたような気がして、シュウは咄嗟に全身に獣人の力をまとわせた。
表皮が硬化し、筋肉が厚くなり、骨が力を持つ。
変態する寸前まで力を高めたシュウは、時間をかければ不利になるだけだと切り替えた。
「へぇ」
あれを避けたのかとチェカットの眉が驚きに跳ねる。
これまでずっと退屈そうだった男の顔が、楽しげにゆるんだ。シュウが仕掛けようとしている何かを真正面から待ち構える。
剣を両手で握り直したシュウは、額の緊箍児が締め付ける感覚を無視して踏み出した。
勢いに体重、そして変態寸前のギリギリの獣人力を載せ斬りかかる。
「うおぉぉぉぉぉ――」
シュウの雄叫びに会場中が息をのむ。
激しくぶつかる二本の剣が悲鳴をあげた。
勢いは殺されたが、まだ力は残っている。
圧し斬らんとするシュウの力に、受け止めたチェカットの剣がじりじりと後退した。
右手で保持していた剣に左手を添え、シュウの圧力を押し返す。
両手を使わせたシュウへの驚きと感嘆に、チェカットの笑みが深くなった。
「やっぱり、はぐれたままなのはもったいないぜ」
チェカットが捻りを入れて剣を引く。
ガリガリと、潰されている刃が削れた。
力の向きを逸らされてなるかと、シュウがさらに力をのせたとたん、剣が崩壊した。
試合用の長剣が、二本とも粉々に砕け散る。
おお――、と興奮する観客の声に押されるようにして跳び離れた二人は、それぞれ手の中に残った柄を見つめ、どうするのかと判定官を振り返った。
「あ、え、ええと」
「素手でもいーんだよな?」
折れた剣で戦い勝利した者も過去にいる。剣を握ったまま肉弾戦で戦いの決着がついたこともあった。だが剣刀部門で両者ともに武器を失ったのは、長い武術大会の歴史の中でもこれがはじめてである。その場で判断をつけられない判定官が、助けを求めるようにヒロを振り返る。回答を得る前に、チェカットが片手をあげた。
「俺の負けだ」
「は――ぁぁぁ?」
シュウの絶叫に判定官の驚きの声が消された。
「片方が負けを認めたら試合は終わりだったよな?」
「そ、そうですが、いいので?」
「ああ、負けでいい」
「よくねーよっ!!」
判定官が観客に試合の終了とシュウの勝利を宣言する。
明確な決着を見られなかったのは不満だが、互いの剣が砕けるほどの激闘に観客らは満足しているようだ。シュウはスッキリとした顔のチェカットに詰め寄り不満をぶつけた。
「なんで負けなんだよ、まだやれるだろ!」
「やれはするが、ここのルールでは無理だからな」
「意味わかんねー」
「俺はここでは本気の戦いができないって意味だ」
チェカットは武器を使うことで熊人族の本能を抑えて戦っていた。シュウが相手では剣が何本あっても砕けるだろうし、本気は出せない。だがシュウは武器がなくとも獣人の力を確かに制御している。その一点だけは自分より上だとチェカットは認めた。
「なあ、はぐれ狼。おまえずっとはぐれたままでいるつもりか?」
試合場を出るチェカットは、シュウの肩に腕を回して声を潜め問うた。
「熊族に加わるつもりはないか?」
「は?」
予想もしていなかった勧誘の言葉に、シュウが間の抜けた顔でチェカットを見返した。
「狼の群れに戻れないなら、俺たち熊のところに来い」
「……俺、狼だし」
「熊族は見込んだヤツなら狼でも兎でも受け入れるぜ。それにいつまでも群れをはぐれたままじゃいられないだろ。ゼシル村ならこんな輪っかはずして自由にできるぜ」
鉢巻きの下に隠した魔武具を指さし、熊獣人はニヤリとした。
「おまえ嫁が欲しいんだろ。熊族の美人を紹介してやるぜ」
「嫁はほしーけど、熊のねーちゃんたちはなー」
男女の性別は関係なく、熊族は総じて体格が立派で力も強い。シュウよりも小柄なのは、未成年の子熊くらいだ。
ケモ耳の嫁はほしいが、理想は色っぽい年上の美女だ。シュウの記憶にある限り、熊族にも美女はいたが、誰も彼も色気より筋肉だった。
「嫁は他のとこで探すからいーわ」
「ふうん、どこで? 熊以外の一族は群れの外に出てこねぇんだぜ。ウチに属せば、年に二回の交流会で多種族と顔を合わせる機会も増える、嫁も見つかるかもしれねぇぞ?」
同種族がいいかなら狼族や狐族、愛でたいなら兎や羽族もいる。チェカットは嫁を選び放題だと甘い言葉でシュウを誘う。
だがシュウはチェカットの腕を外し、すっぱりと言い切った。
「誘ってくれるのは嬉しーけどさー、俺もう群れに属してるからなー」
「いつの間に? まさか狐、いや兎か?」
「ホウレンソウ」
そんな種族は聞いたことがないと返そうとしてソレに思い当たったチェカットは、呆れ顔でシュウの肩を小突いた。
「そりゃパーティーだろ」
「俺にとっちゃ群れみてーなもんだよ」
「エルフ族と人族だぞ? 正気か? エルフを選ぶなんてお前もやっぱり狼だな。高慢な一族に利用されて終わるだけだぞ」
「いや、利用してんのは俺のほーだし」
疑いの視線に、シュウはすっきりとした笑みを返す。
「俺は置いてかれるのが嫌なんだよ。人族は俺らより短命だし、獣人も似たり寄ったりだろ。俺は自分より長生きするヤツと一緒がいーんだ」
長命なアキラは親しい者を見送らねばならない。残してゆくよりも、残されるほうがきっと辛い。それが申し訳ないのだとシュウは眉尻を下げた。
「わがままだな」
「けどあいつらはそれを許してくれるからな。俺の群れはここだよ」
見込んだ狼の選択ならば仕方ないと、チェカットはにっかりと笑った。
「となると、番嫁は諦めたか」
「いや、それは諦めてねーから!」




