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武術大会・関係者観戦席



 武術大会には特別観戦席というものが存在する。大会運営に携わる者が空き時間に観戦するための小部屋だ。各職ギルド長の席の他に、交代で観戦に来る職員らの席、そして出場者らの席も用意されている。


「どうぞ、ここなら周りの目を気にせずに観戦できますよ」


 特別観戦席に案内されたアキラは、辺りを見回し、観戦窓の対面に当たる観戦席を目にしてかすかに顔をしかめた。


「人目につかない席と聞いていたんだが?」


 席に座ってそれほど経っていないというのに、ギラギラとした視線を感じる。ヒロは涼しげな笑みでアキラの苦情を聞き流した。


「あちらは貴族専用の観戦席ですね。それくらいは我慢してください。上の一般席より視線は少ないはずですよ」


 確かに試合場にも近く、迫力ある戦いが楽しめそうな席ではあるが、職員や出場者はアキラを見るたびに驚いて固まっているし、対面の貴賓席からの熱視線が煩わしい。それもこれも全て飾り立てられてしまったせいだろう。

 コズエが制作したノーブルでクールな外套(ドレスではない)とワンピースタイプのキュロットズボン(断じて、これはスカートではない)の斬新なデザイン、そして髪に飾られた大振りの花飾りと、黒髪に栄える魔石と銀糸細工のエクステが、貴賓席の女性らの視線を釘付けにしている。


「アキラさん、飲み物はコレ豆茶と香り茶、ハギ茶に粉茶に薬草茶を用意できますが、どれにします?」

「……サツキの菓子に合うものを」

「それなら粉茶ですね」


 香り茶の原料となる木の葉を乾燥させ石臼で粉に挽いたものだ。濃く苦みの強さが特徴だが、その強い味わいに好き嫌いが分れる茶だ。専用の縦に長い急須を使って煎れる。苦みが苦手な者は上澄みのまろやかな部分を、濃さを好む者は底に近いあたりの茶を楽しむ。

 ヒロが煎れたのは苦みも色も濃い茶だ。その横にはブルーン・ムーンの菓子箱が置かれている。しかも今日は三段重ねだ。


「まさかこれを全部食べろというのか?」

「さすがにそこまで無茶は言いませんよ。好きな菓子を美味しそうに食べて見せつけてくれれば良いそうです」


 妻から託された伝言を正確に伝えるヒロに、アキラは優美な眉をひそめて返した。


「……どいつもこいつも俺を広告塔にしやがって」


 コズエの技術の成果も、サツキの新作候補菓子の売り込みも、どちらも断り切れなかった自分に一番腹が立つ。アキラのため息は深い。

 第一試合の準備が着々と進んでいた。試合場に出場者が現れると、観客席から女性たちの歓声が上がる。


「しょっぱなにアレを出すのか」

「お目当てが活躍するのを見れば、途中で帰ろうとは思わないでしょうから」


 まだ試合前だというのに、エリオットはまるで勝者のように手を振りながら観客席を見渡している。


「誰かを探しているようですね」


 ヒロの言葉の直後に、エリオットと視線があった。アキラを見つけた濃い緑の瞳が驚きと歓喜に輝き、すぐに観客席からため息がこぼれるほどの笑顔にかわる。そしてまるで忠誠を誓う騎士のごとく膝をつき、恭しく頭を垂れたのである。

 悲鳴のような歓声が会場に響き渡った。

 煩わしいと思うのと同時に、心配になったアキラだ。


「あれ、大丈夫なのか?」


 エリオットは貴賓席の貴族に尻を向けていた。本来ならばあちらに向けて頭を垂れるべきなのだが、赤毛の美丈夫の眼中には貴賓席の貴族や領主一家の存在は映っていない。 


「大丈夫じゃないですかね。ご領主夫人は嬉しそうですし、他のご夫人方も腹を立てているようには見えませんから」


 貴賓席の男性陣は少々苛立っているようだが、ご夫人方の尻に敷かれているので問題は大きくならないに違いない。

 エリオットの試合はあっさりと終わった。ヒロの目論見通りなら準決勝までは余裕で勝ち進むはずだ。なにしろ彼は賭けでは優勝候補筆頭なのだから。

 試合を横目にアキラは菓子箱から一つを選んで食べた。塩漬けの葉に包まれた赤ハギの餅は懐かしい味がする。


「キルシエの香りがする」

「果樹園から花と葉を取り寄せて、塩漬けはサツキが頑張っていました。アキラさんは道明寺と長命寺、どちらがお好きですか?」

「手で持って食べやすいのは長命寺だが、赤ハギを楽しむなら道明寺だな。キルシエの葉の塩気がいい。だが小ぶりだな、少し物足りない」

「今日は和菓子三昧ですからね、アキラさんの胃袋のために少し小さく作ったと言ってましたよ」


 三段重ねの菓子箱に視線を向ける。赤ハギを入手してからのサツキは、和菓子の制作に熱中している。店舗での試食は限度があるし、露天には向かないため売り出しかねていた和菓子を、この機会に兄に宣伝してもらおうというのだ。胃袋への配慮だというが、それにしてもこの量は多すぎるのではないだろうか。


「本当に、全部食べなくていいんだな?」

「ええ、好みの菓子を美味しそうに食べてもらえれば、興味を持った対面にいる方々が注文してくれるでしょう」


 貴族席の視線は、試合ではなく人目につかない関係者席に集中していた。

 謎の人物の美しい容貌だけでなく、身を飾る装飾や衣装が注目を集めていたところに、エリオットのパフォーマンスでさらに人々の興味がかき立てられた。その人物が見慣れない菓子を美味しそうに食べている。菓子を給仕しているのが副ギルド長なのだから、菓子もブルーン・ムーンのものだと貴族の方々はすぐに思い当たるはず。そう囁いたヒロは、道明寺を食べ終わったばかりのアキラに、別の菓子をさりげなくすすめた。


「次は草団子なんてどうですか?」


 今日の試合が終わるまでに、いったいどれだけの種類の菓子を食べさせられるのだろうか。アキラは引きつりそうになる顔をなんとか笑顔に戻した。

 エリオットが難なく勝ち進むのと同様に、コウメイとシュウも順調に勝利を重ねていた。勝ち進むにつれてエリオットほどではないがコウメイには甲高い声が、シュウには野太い声援が送られるようになっている。


「なんで俺のとき女の子の声が聞こえねーんだよ!」

「子どもの声は多いじゃねぇか」

「綺麗なおねーさんのほうがいいに決まってんだろ」


 出場者に割り当てられた観戦区画にやってきては愚痴る二人の声が、アキラのいる場所にまで届いていた。大量の菓子を二人に押しつけたかったが、今の時点では見知らぬ他人を装わなくてはならないのだからそれもできない。


「いかがですか? ちょっと風味に個性のある草団子でしょう?」

「この香りは、この前採取した野草か」


 香りの良いヨモギのような野草がほしいと頼まれ、あちこちを探してやっと採取したユギモ草の葉だ。よもぎ餅の再現性は高いとアキラは思わずほほ笑んでいた。

 口直しに粉茶を飲んだところで、観客席が大きく沸いた。勝利したのはヒロが評価五をつけた最後の一人、チェカットだ。絶妙な剣技と体格に似合わぬ軽快な身のこなし、そして期待に違わない力強い一撃が対戦相手を床に沈めている。


「これは……俺の目もまだまだでしたね。優勝は彼ですよ、きっと」

「コウメイやシュウよりも強いと思うか?」

「ええ、格が違います。予選でこれを見逃していたなんて悔しいですね」


 対戦表を指でなぞれば、彼は準決勝でシュウと当たる。コウメイの準決勝は間違いなくエリオットだ。


「コウメイさんとシュウさんの決勝を楽しみにしていたんですが」


 ヒロの視線が、衝立の向こう側にいるコウメイとシュウをチラリと見る。座っているアキラには見えないが、こちらの会話が聞こえていたらしい二人は、悔しげに口をとがらせていた。拗ねている二人から視線を戻し、新しい菓子を義兄にすすめる。


「次はおはぎです。サツキのおすすめですよ」


 きなこは炒った木の実を粉にして代用したのだろう、芳ばしい香りがする。黒餡のほうを箸で持ち上げれば、腹の部分は米粒が見えていた。懐かしい愛猫の模様にそっくりだ。これもずいぶん小さく作られているため、アキラは二口で食べ終えた。


「黒餡の塩みが俺の好みだ。甘さを引き締めていて美味しい」


 赤ハギを発見するまでにも、サツキはハギ粉団子で似たようなおはぎを作っていた。試行錯誤し自分たちを楽しませてくれていた妹に、今さらながら感謝の気持ちが湧いてくる。

 アキラは黒餡のおはぎをお代わりした。

 塩をまぶした炒り豆で舌をリセットし、口の中の粉っぽさを茶で洗い流す。

 ちょうどコウメイが小柄な冒険者と対戦していた。


「さて、コウメイさんはどう戦うんでしょうね。彼が苦手なタイプだと思うのですが」

「なるほど、女性冒険者か」


 細身だがしっかりと筋肉のついた体つきの女性冒険者は、身軽さを活かしてここまで勝ち上がってきたようだ。命がかかっていない場面において、コウメイは己と同等の力量を認めない限り女性と本気で戦わない。


「確かにやりにくそうだが、この相手なら怪我をさせずに勝てるだろう」


 アキラの言葉通り、コウメイは冒険者の体に直接触れない間合いを保っていた。こちらから仕掛けるのではなく、攻撃を待って対処している。受け止め、流し、絡め取る。露骨なほどに手加減されてムキになった女冒険者が、渾身の突きで剣先とともに迫る。コウメイは踵を軸にくるりと躱しざま、女の剣を打って跳ね飛ばす。宙に跳ね上げられた剣を受け取ったコウメイが、二本の切っ先を彼女に突きつけた。

 敗北を認める女冒険者の声が、うっとりとした艶を含んでいたが、コウメイは気づかないふりを貫いていた。

 試合終了と同時にヒロが差し出したのは、串に刺された団子だ。


「三色団子です。ピンクは赤ハギの色を活かしてます」

「緑はユギモ草か。見た目は良いが味がちょっと物足りないな」

「それはサツキも言ってました。目を引くのが目的だそうです。味はこれから絞ってゆくようですよ」


 そろそろ粉茶に飽きてきたアキラは、新しくコレ豆茶を頼んだ。


「串団子の黒餡添えです。こっちは焼き団子、蜂蜜ベースのたれで甘辛く仕上げてありますよ」

「また団子」

「おかきも甘いのと辛いのと塩っぱいのを用意しています。煎餅も塩と赤唐を塗ったものがありますので、甘さに飽きたらこちらをどうぞ。まだ大丈夫でしたら、芋を練り込んだ芋餅と、ジャムを包んだ団子もありますよ」

「……うぷ」


 アキラは思わず口を手で隠した。妹の菓子の宣伝だからこそ、甘い胸焼けを悟られないよう笑顔で食べ続けていたが、さすがに気持ち悪くなってきた。心なしか上半身にぴたりと張り付く衣装の腹もきつく感じる。しばらくは喉を潤すに止めようと、アキラは引きつった笑みでそっと菓子箱に蓋をしたのだった。


   +


 美しく着飾った美人が関係者席で見慣れない菓子を美味しそうに食べている。貴賓席から眺めている貴族婦人らは、その者が身につけたドレスと髪を飾る煌めき、そして美味しそうな見慣れぬ菓子が大変気になった。目当ての者の戦いがない間は常に関係者席のその者を観察していたのだが、やがて堪えられなくなった。


「聞き出してきなさい」


 そう命じられた使用人や付き人の多くが詰めかけたが、関係者以外は立ち入り禁止だ。勝敗に不正関与を目論んだと疑われたくなければ用件を書き記せと言われ、彼らは渋々に主人から聞き出すように命じられた内容を書いた。

 職員によって届けられた質問状に目を通したヒロは、目論見通りだと楽しげに笑う。


「黒髪の美女は誰か? だそうですが」

「美女じゃないぞ」

「そうですね」


 黒髪で美人ではあるが成人男性だ。


「立っているところと、後ろ姿の衣装を見たいそうです」

「絶対に立たないし、振り返ったりしないからな」


 キラキラとした装飾や花飾りについても同様の質問がきていた。遠眼鏡をこちらに向けている貴婦人が何人もいる。装飾品の意匠をしっかり確かめたいのだろう。

 製作した工房の名前については答えても良いだろうと、質問の横に回答を書き加えた。


「菓子はブルーン・ムーンの新作なのか? これはYESだな」

「胸焼けに耐えたかいがあってよかった……」


 妹の菓子の宣伝役として一応の結果は出せたと胸を撫で下ろしたアキラだ。


「一番気に入っている菓子はどれか、とありますが」

「……おはぎ、だな。桜餅も塩漬けがちょうど良くて美味しかった。あとは塩せんべい」


 よほど胸焼けが辛かったのだろう。塩味がアクセントになる味付けの菓子ばかりを選ぶアキラに、ヒロは苦笑いだ。


「おはぎと草餅と長命寺って書いて良いですか?」

「それを売り出したいんだな?」


 スミマセンと小さく謝って、ヒロは回答を書き記す。


「協力しておいて今さらだが、副ギルド長の立場でそういうのはマズくないのか?」

「グレー寄りの白というところですね。もし俺がどこかの商店から金を受け取って、予定していた業者を勝手に断わり、代わりに別の店をねじ込んだのなら贈収賄だと責められても言い訳できませんが」


 だがそもそも菓子の提供契約はないのだし、金銭のやりとりもない。サツキの菓子は無料で提供されており、しかもアキラだけではなく大会運営として働く職員や、出場者控え室にも配られているのだ。特別な一人にではなく、全体に対して行われた善意の差し入れに文句はつけられない。


「ヒロはどんどん悪党になっていくな」

「……心外ですね」


 立場を利用した自覚はあるのだろう、ヒロはわずかに目を伏せた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 広告塔になるアキラ最高でしたw
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