獣人族の頼み事
予選試合が終了した直後、エルズワースが一人で澤と谷の宿を訪ねてきた。チェカットと同じく幅広の鉢巻きを額に巻いている。その下には幻影の魔武具があるのだろう、彼は人族そのものの姿をしていた。
サツキたちに聞かせられない内容だと直感し、アキラはエルズワースを宿から連れ出した。
「宿は密談には向きませんから」
「確かにな。どこに向かっている?」
「魔法使いギルドです。あそこなら融通が利きますから」
ギルド長室は内側から鍵もかけられるし、盗聴や盗撮を防ぐ魔道具が設置されている。そのうえで結界魔石を使えば完璧だ。
「へー、宿舎じゃなくなってんのかー」
「台所使ってねぇじゃねぇか。もったいねぇ」
コウメイとシュウが当然のように同席する気でついてきていた。かつて自分たちが生活していたころの記憶と現状の変化を感慨深げに比べている。
突然やってきてギルド長室を貸せ、ただし部屋の主は席を外してくれ、などと無茶な要求をされたというのに、ジョイスは何も問うことなくギルド長室を明け渡した。
「も、もし手助けが必要でしたら、遠慮なく呼んでくださいね」
ジョイスはエルズワースの正体をぼんやりと察しているのかもしれない。己の杖を握りしめ、チラチラと視線で牽制している。
心配はないとほほ笑んで、アキラは扉を閉めた。施錠し、腰を掛けるテーブルの周囲に結界魔石を置く。
「コレ豆茶とハギ茶のどっちがいい?」
長話になると予想したコウメイは、保温魔道具と茶器を持ち込んでいた。添えられた菓子はサツキの店の焼き菓子だ。ピナのジャムと蜂蜜の二種類を置く。
要塞のように防護された室内と、長時間を想定した茶器と菓子の用意に、エルズワースは呆れを隠さない。
「ずいぶんと周到なのだな」
「用心は必要だと思いますよ。チェカットさんに聞きましたが、熊族の長老からの内密のご相談だとか?」
「相談ではないし、長老からでもない……あくまでも情報収集の段階だ、警戒の必要はないぞ」
アキラはどうとでもとれる笑顔でエルズワースを見返した。長老に許可を取ったうえでの情報収集なのだ、得た情報をどのように利用されるかわかったものではない。エルズワースを敵とは思わないが、彼にどの程度の権限があるかわからないのでは安心はできない。
「エルフから情報を得たいのであれば、私でなくても良かったでしょうに」
「アレックスから得られるならそうしていた。俺が知りたいのは、ウナ・パレムの変化についてだ」
やっぱり厄介事だったではないかと、アキラは見せつけるようにため息をついた。
「あちらの管轄のエルフを紹介してもらうつもりだったのだが、アレックスが言うにはアキラのほうが詳しいと」
「……腹黒陰険細目め」
アキラの漏らした呪詛の呻きを聞き流して、エルズワースは身を乗り出した。
「あの地がとても住みやすくなったのはアキラの仕事だと聞いた」
「住みやすく?」
責められることを覚悟していたが、まさか褒められるとは予想外だ。目を丸くしたアキラは、どういう意味だと問い返す。
エルズワースは近年の大陸の住みにくさを愚痴りはじめた。
「六、七十年ほど前からだが、人族の魔術師が増え、また冒険者の討伐技術が向上したおかげで、人族は住まう地を広げてきた……人族が到達できぬ奥地に設置した門のすぐ側まで人族が住むようになってしまった」
「あー、あそこか」
苦々しげなエルズワースの言葉に、シュウは転移獣人たちの隠れ村を思い出した。迷えば生きて町に戻れないほどの奥地に人族が住むようになったことで、獣人族らはとても動揺していた。
「そうだ。熊族だけではない。他の獣人族も転移門を移設せねばならなくなった。狼族にいたっては、これまでに三度も境界の繋ぎ目を変えさせられている」
最初の場所はウォルク、次にスオム、現在は旧クルセイア国の奥地のダルダランに移っていた。
「我々は人族との領域を閉ざして暮しているが、完全に閉じることはできない。なのに人族によって我々の領域が侵されかけている」
「それがウナ・パレムの変化とどうつながるのでしょう?」
「あの地は大陸で唯一、人族の住まう領域が狭まっている地だ。魔素が高まったことにより魔物が力を持ち、山や森から人族が遠ざかった。おかげで獣人族にはとても住み心地が良くなった」
ウナ・パレム周辺では浅い森や平原を魔物が闊歩している。人々は住まう場所の守りを固めるのに精一杯で、森の奥まで討伐に出かける余裕がないのだろう。
「人族に厳しい環境が、獣人族にとって最適なのか……」
「まあ、ナナクシャール島が楽しい狩り場って連中だしな」
ぼそぼそと声を潜めた二人がそろってシュウに視線を向ける。島の環境は人族には厳しかったが、ウチの獣人はハッスルしっぱなしだった、と思い出し笑いが漏れた。
「噂では聞いていたが、これまでウナ・パレムを訪れて確かめた獣人族はいなかった。しかし兎族が転移門を移さねばならなくなって」
人族が踏み込んでこない場所を探した結果、ウナ・パレムに近い山裾が最適だとなったそうだ。
全獣人族の集会で、兎族からウナ・パレムの現状を知らされた。詳細を把握すべく代表者が現地に送り込まれ、自分たちのために変質したとしか思えない環境を目の当たりにして歓喜した。
「結果、多くの種族があの地へ転移門を移そうと考え、非常に難しい事態になっている」
「何でだよ? みんなで引っ越したらいーんじゃねーの?」
首を傾げるシュウに答えを返したのはコウメイだった。
「いくら人が踏み込まねぇといっても、皆無じゃねぇ。それにウナ・パレム近くの山裾の森ったら、それほど広くはなかったはずだぜ。獣人の種族がいくつあるか知らねぇが、全部引っ越したら隠れてる意味がなくなるんじゃねぇか?」
そうだ、とエルズワースは深いため息をついた。
森が魔素によって過酷な場所になったとしても、そこに結界が張られたわけではない。強い魔物を求めてあえて踏み込む人族はいるはずだ。多くの転移門が設置されていれば偶然にも見つかる可能性が高くなる。
「合同の調査によれば、森が隠せる転移門はせいぜい三つだ」
それでも多いくらいで、理想はやはり一つだという。ウナ・パレムに移転を決めていた兎族は、声の大きな狼族とずる賢い狐族の圧力により、獣人総会議において全部族から承認を得られなければ移転できなくなってしまった。
「それはずいぶんと卑怯ですね」
「見つけたのは兎族なんだろ? 横から掠め取ろうって魂胆かよ」
「同じ狼なのが恥ずかしーぜ」
「庇うわけではないが、どこの種族も切羽詰まっているんだ」
人族の侵攻により隠れ里を失ってきた獣人族らの焦りは、エルズワースにはよくわかる。だからこそウナ・パレムの環境変化について知りたいと彼が行動を起こしたのだ。
「アキラ殿、きみはウナ・パレムの現環境を作り出す方法を知っているのではないか?」
「……」
「きみが人族に寄り添うエルフであるのは承知の上で頼みたい。獣人族のためにその秘密を教えてくれないだろうか」
ピシリ、とコウメイの手の中でカップの取っ手が砕けた。
テーブルに落ちたそれからコレ豆茶が流れ広がる。
「腹黒陰険クソ細目野郎が……っ」
「あーあ、俺しらねーっと」
「拭いてくれ、床にこぼすなよ」
怒気を噴出させるコウメイから飛び退いたシュウは、菓子と一緒に避難していた。アキラは拭くものを探したが見つからず、仕方なくローブの裾にコレ豆茶を吸収させている。エルズワースは人族の放つ気に怯んだ自身に驚いた。
「何故アレックスに怒るのだ?」
「あんたをアキに押しつけたからだよ。アンタが聞きてぇ情報は、あいつのほうが詳しいんだからな」
「そうなのか?」
「あんた、俺らよりもあいつとの付き合い古いんだろ。あいつの腹黒さは知ってるじゃねぇか」
ううむ、と唸ったエルズワースは、自分がアレックスに追い払われたのだと今ごろ理解した。獣人族の安住にかかわるとの気負いと焦りに付け込まれたのだ。
「確かにヤツは方法を知らないとは言わなかったな。すまなかった。あらためてヤツを問い詰めることにするとして、アキラ殿が知っていることも教えてもらいたいのだが」
ローブの裾がコレ豆茶色に染まるのを見ながら、アキラは思案した。エルズワースの質問に答えるのは簡単だが、それが獣人族にどのように利用されるかはわからない。自分の漏らした情報が人族の、サツキたちの生活を脅かす事態を招かないとは言えないのだ。
「……エルズワースさんがダッタザートに来たのは、あくまでも個人としての情報収集と考えていいのですか?」
「ああ、そうだ。熊の長老に許可は得たが、獣人族の総意ではない」
「……ウナ・パレムがああなった原因ははっきりしていますが、私がそれをあなたに伝えていいかどうか判断できません」
「何故だ? エルフ族の掟か?」
「どうでしょうか……正直に言いますと、私の感情は教えたくないのです」
拒絶の言葉にエルズワースの毛が逆立った。
コウメイの腕が二人の間を遮り、シュウが己の鉢巻きに手をかける。
「エルフ族は獣人族を見捨てるのか?」
「短絡過ぎです、エルズワースさんらしくない。それに私はエルフ族を代表していないとご存じですよね?」
「だがアレックスが……ああ、そういうことか」
エルズワースの問いに答えたくないアレックスが、全てをこちらに押しつけたのだ。あの男は答えられないことには無言を貫くか、矛先を逸らせて誤魔化す。生粋のエルフ族である細目は、獣人族に答えを与えたくないのだ。
「まいった。こうなればウナ・パレムに向かうしかないか」
幸いにも熊族は幻影の魔武具を保有している。人族に紛れ秘密を探るのは難しくないだろう。
「おっさん、偵察なんてできるのかよ?」
「向いていない自覚はある。だが狐族にこれを貸し出せないから仕方ない」
エルズワースの指先が額を指さした。
獣人総集会で兎族の得た情報の裏付けをとるべく、ウナ・パレムの調査には熊族が駆り出された。偵察は狐や狼、猫が得意とするのだが、彼らは幻影の魔武具を保有していない。貸し出しはミシェルとの契約違反となるためできなかった。
「そうだ、アキラ殿。もし他の獣人族から幻影の魔武具の制作依頼があっても、引き受けないでほしい」
「……私に、依頼ですか?」
「熊族がミシェル殿の依頼を請け、その対価としてこれを得たと知られている。アキラ殿はミシェル殿の弟子だ、魔武具の製法も継承しているのだろう?」
「とんでもない。私は攻撃魔術と薬魔術が専門ですよ。多少は魔道具も扱いますが、魔武具なんてとんでもない」
アキラが製法を継承していないと知ってエルズワースは安堵したようだ。
「それなら安心だが、気をつけていてくれ。人族の領域で暗躍したい獣人族にとって、この魔武具は垂涎の品なのだ。特に狐と猫はこれを手に入れようと躍起になっている。アキラ殿に魔武具を作らせようとして策を講じるかもしれん」
「そいつら、アキがエルフだって知らねぇのか?」
エルフ族を特別に崇める獣人族が、エルフのアキラを陥れる策を練るものかとコウメイが問うた。
「ミシェル殿の弟子としか伝わっていないはずだ。人族の魔術師がエルフを弟子にするとは考えもしないはずだし」
「じゃあアキラがエルフだって教えてやれば、狐も猫もヒキョーなことはできねーよな?」
「それはそうだが、いいのか?」
エルズワースに問われ、アキラは押し黙った。
ミシェルがエルフと懇意にしているのは有名だ。その弟子に人族ではなくエルフ族がいても不自然ではない。だがその情報が獣人族だけにとどまるとは限らない。秘密はどこからか漏れるものだ。各魔法使いギルド長クラスの魔術師なら、多かれ少なかれ他種族の情報を得る手段を持っている。国益やギルドの利益と天秤にかけた彼らがどういう行動を起こすのか、アキラは読み切る自信はなかった。
「……ほんとうに、なんで腹黒陰険細目は俺に面倒ばかりを押しつけるんだ!」
本気で怒れば怒るほど無口に、そして冷静になるアキラが、珍しく声を荒げ感情を爆発させた。その様子をシュウは口を開け、コウメイは目を細めて見ていた。
「この鞭縄で簀巻きにして吊してやる!」
「おー、いいねー。逆さづりサイコーだぜ」
「逆さじゃ息の根は止められねぇぜ。吊るなら首だ、首」
物騒な意気投合に口を挟む隙はない。エルズワースは幼き日の恩人は相変わらずなのかと苦笑いだ。
「エルズワースさん、ご質問の件も含めてですが、少し時間を頂いてもよろしいですか?」
「どのくらいだろう?」
「この街の武術大会が終わるころでいかがでしょう」
一ヶ月程度なら問題はないと答えると、アキラは花がほころぶように艶やかな笑みを返した。
「ちょうどここのギルド長にも課題を頂いていたのです。エルズワースさんの求める情報と無関係ではありませんし、まとめて解決できるか探ろうと思います」
楽しみにしていてくださいね、とほほ笑むその表情に、エルズワースは薄ら寒いものを感じたのだった。