細くない腕による改革記 4 魔法使いギルドの存在証明
魔法使いギルドの閉店後、職員らが退勤し終えたのを確かめてから自分も帰ろうとしていたアキラは、意を決したような硬い表情のジョイスに呼び止められた。
「ご相談があるのですが、このあと少しいいですか?」
ギルドの組織改革も魔術学校の開校準備も、一番重要なところは終えたばかりだ。何か抜かりがあったのだろうかと首を傾げる彼を連れて、ジョイスは一階に降りる。
外階段を下り、勝手口からギルドロビーへと入る。鎧戸を締めた室内は暗闇の一歩手前だ。魔道ランプに手を伸ばそうとするアキラを止め、彼は勝手口の扉を閉める。室内は闇の一歩手前まで暗くなった。
その闇の中に、古びた扉の隙間から漏れる光に目が誘われた。
「転移室が明るいようですが、どなたか転移してこられるのですか?」
ギルド職員に秘密で転移してきたのはいったい誰か、相談とはジョイスではなく第三者なのかと問うアキラに、彼は無言で首を振る。
転移室の前で足を止めた彼は、取っ手を握ったまま動きを止めた。
「ジョイスさん?」
「……ぼ、僕は、このことを誰に相談すべきかわからなくて」
緊張に強張った彼の背は、アキラを招き入れたいのか、それとも阻みたいのか、判断がつかない。
「転移室に誰かいるのですか?」
「だ、誰も、いません」
ジョイスは思い切ったように扉を開けた。
室内は床から放たれる魔力の光に満ちていた。
入り口に立つジョイスは、アキラを阻むように壁に手を突いて転移室を見つめている。
「模様替えをしたのですか?」
室内をのぞき込んだアキラは目を見張った。彼が知るダッタザートの転移室は、物置と大差ない内装だった。壁際には荷箱が積み上げられていたし、床も壁も板を張っただけの簡素なものだったと記憶している。だが目の前にあるのは、輝くほどに研磨された石の壁と床だ。しかも入り口から二歩のあたりから、丸くくりぬいたように床が陥没している。ジョイスの体越しに奥をのぞき見れば、陥没部分は数段の階段のようになっていた。降りきった先にあるのは転移魔術陣だ。
「ア、アキラさんはこれを『模様替え』と言えるのですね」
「どういう意味でしょう?」
振り返ってアキラを見るジョイスの目は、驚きと畏怖に震えていた。
「ぼ、僕には、いえ大陸のどんな偉大な魔術師にも、転移室は変えられません」
おや、と。アキラは内心で首を傾げた。自分たちの師匠は鉱族の手を借りたとはいえ転移室を新たに作ったし、模様替えも頻繁に行っている。もしかして各魔法使いギルドと、深魔の森の地下に設置された魔術陣は別物なのだろうか。
アキラは己を凝視するジョイスから階段下の転移魔術陣へ視線を戻した。
ジョイスは通せんぼしていた腕をおろし、一歩室内に踏み込んだ。続いたアキラは段差の前で足を止め、陥没の中をのぞき込む。
「この変容がジョイスさんの仕事でないのなら、いったい誰が?」
「ま……魔術陣が」
「え?」
大きくゆっくりと、ジョイスが息を吸う。
「て、転移魔術陣の意思、によって、このように変わってしまったとしか考えられません」
懐疑の感情を露わにするアキラに、ジョイスは静かに経緯を話しはじめた。
「はじまりは……ウナ・パレムの転移魔術陣の崩壊でした」
「あれは、魔術陣の意思とは」
「厳密に言えば違うかもしれません。でも転移陣を監視するエルフの意思に反していなかったのは間違いないのです」
魔術陣を見つめる彼の絞り出した声に、アキラを責める色はない。彼はただ起きてしまった現実を淡々と確認してた。
「十五年経って今度はトレ・マテルの転移魔術陣が魔術師の前から姿を消しました」
オルステインの国家騎士団が攻め入ったとき、トレ・マテルにエルフはいなかった。だが魔術陣は地中深くに逃れている。今もドミニクらによって隠されたままだ。それに対して監視者は何も行動を起こしていないことから、これも許容されているのだろうとジョイスは考えていると言った。
そしてトレ・マテルの現象を調べれば調べるほど、魔術陣の意思によって形を変えたとしか考えられなかった、とジョイスは言った。
「ダッタザートは三年前でした。突然このように……」
「きっかけは何です?」
「何もありません」
トレ・マテルのように攻撃を受けてもいないし、エルフや獣人族の逆鱗に触れるような禁忌も犯していない。その日はいつものように魔石を買い取り、魔道具の修理を引き受け、急ぎだと持ち込まれた依頼に魔術師を派遣し、これから砂漠を渡るという商人にアミュレットを売った。そんなよくある一日を終えたジョイスが、たまたま忘れ物を取りに戻って転移室から光が漏れているのを発見したのだ。
「扉を開けたら、こうなっていたんです」
ウナ・パレムとトレ・マテルから転移が失われて以降、いやミシェルが没して以降か、各ギルドの魔術師が転移魔術陣で行き交う頻度は激減した。直近でジョイスが転移したのも半年以上前のことだったから、もしかしたらもっと前からこのような姿に変わっていたのかもしれなかった。
「これはどういうことでしょう?」
「何故私に問うのです?」
「ア、アキラさんは、エルフです、から……」
ジョイスの声が震えて萎む。
エルフではあるが、この大陸に爪痕を残しているエルフではない。だがジョイスに自分たちの事情を話していないのだから、誤解されたのも仕方がないだろう。
はあ、と。アキラから漏れた大きなため息に、ジョイスが身をすくませた。
「私はエルフですが、アレックスやギルドを監視しているエルフたちとは根本的な部分で全く違うんです……転移魔術陣に関してはアレックスか、ダッタザートを管轄するエルフにたずねたほうが良いと思います」
「そ、そうなのですが……っ」
心情的にできないからこそアキラに相談を持ちかけたのだろう。ジョイスのすがるような表情に、彼の性格ではエルフを呼び出せないだろうと思った。アレックスはともかくとして、エルフ族の高慢さと残酷さはギルド長職にある者は嫌というほど知っている。
アキラは床に手を突き、身を乗り出して陥没をのぞき込んだ。魔術陣が刻まれているのは陥没の底だけではない。階段にもびっしりと描かれていた。
「転移室がこのようになってから、魔術陣を使いましたか?」
「物資は何度か送りましたし受け取っていますが、何があるかわからないので人の転移は止めています」
「ジョイスさんは転移魔術陣を研究する予定は?」
「そそそっ、そんな恐ろしいこと、できませんよっ」
ジョイスには転移魔術陣への興味はあれど、エルフと禁忌の深淵に落ちる覚悟はないようだ。
「では変化前との比較は」
「していません」
酷くガッカリしたように肩を落とすアキラに、ジョイスはたずねる。
「アキラさんは魔術陣の研究をしているのですか?」
「したいとは思っていますが……」
静かに伸ばされた左手が、階段に刻まれた魔術陣に触れる。
途端、床にアキラの手がぴたりと吸着した。
「くっ」
「え、ええっ? な、何が?!」
「契約魔術ですよ」
アキラの身体から大量の魔力が吸い出されていた。銀と紫の雲のように見える魔力が、彼の手をつたって魔術陣へと吸われてゆく。
見る見る間に顔色の悪くなるアキラの様子に、ジョイスは慌てふためいた。
「て、手を引っ込めてください。魔術陣に吸われてますっ」
「……離れないん、です。引っ張って、くれ、ま……か」
「ええーっ」
このままでは魔力枯渇で命も危うい。
わたわたと両手を振り回していたジョイスは、アキラにしがみついて勢いよく引き寄せた。
「あいたっ」
勢い余ったジョイスは背中から転び、壁に頭をぶつけた。その拍子に投げ出すことになったアキラは、床にぐったりと横たわっている。痛みを堪えてアキラを診ると、呼吸はあるが意識は朦朧としかかっていた。彼は転移室から走り出て金庫の魔力回復の錬金薬を掴み戻ると、アキラの頭を支え、わずかに開いた口に魔力回復薬を流し込む。
「回復してますか? 二本目が必要ですか?」
「……じ、ぶんで、飲めます」
声はかすれて弱々しいが、瞳に力が戻っているのを確かめてジョイスが安堵の涙を滲ませた。
ゆっくりと体を起こされ、壁に背を預けて座った。差し出された錬金薬の瓶を受け取り、アキラは自分でそれを口に運ぶ。
「良かったです……本当に、死んでしまうかと」
「すみません、読みが甘かったようで」
半泣きのジョイスは、謝罪の言葉に続いた聞き捨てならない一言に、涙を止めてアキラを睨んだ。
「アキラさん、はじめてではないように聞こえましたが?」
「一人のときは絶対に手を出したりしませんよ」
転移魔術陣に触れるのは、安全を確保し、かつ自分では対処できない事態に頼れる者がいるときだけだ。眩しいほどの笑みとともに断言されたジョイスは、コウメイとシュウの苦労を想像して息をついた。
「魔力が奪われているように見えましたが、アキラさんに何が起きたのですか?」
「言ったでしょう、契約魔術です。私が転移魔術陣に近づかないように施されたものです」
許可なく転移魔術陣を使おうとしたり、好奇心から触れ起動させると、今のように魔力を吸われてしまうのだと説明すると、ジョイスは憤りで顔を歪めた。
「誰がそんな非道なことを?」
「ミシェルさんですよ」
「……え? 師匠?」
驚くジョイスに、アキラは目を細めて小さく笑った。
「ええ、もう三十年近く前になりますが、危なっかしいから近づくなと、戒めのためにつけられました」
「……師匠、が」
信じられないと、ジョイスの首がふらふらと揺れる。
「こういうわけですので、転移魔術陣について知りたいならば、私ではなくアレックスか他のエルフにお願いします。その結果を私にも教えてもらえると嬉しいのですが」
「か、監視者とは一度しか会ったことはなくて……」
ダッタザートを引き継ぐ際に、一度だけ承認の儀式で会ったきりである。言葉を交わすこともなく、一方的に承認を告げて帰ってしまった、それっきりだ。転移魔術陣を管理する者としてエルフを呼び出す方法は知っているが、ジョイスには気軽に呼べる相手ではない。
アキラの隣に腰を下ろし壁に背中を預けたジョイスは、途方に暮れた。
「ぼ、僕はどうしたら……」
「他の魔法使いギルド長に相談はできないのですか?」
「……今の魔法使いギルドは、つながりがとても弱いんです」
ため息とともにジョイスが語ったのは、ミシェルが没して以降の魔法使いギルドの変貌だった。
魔術師というのは個性が強烈でわがままな存在だ。その集まりをまとめあげるのは簡単ではない。ギルド長となる者は自尊心が高く野心家ばかりだ。そんな癖のある魔術師とその組織をミシェルが束ねられたのは、彼女の圧倒的な魔力と頭脳、そして彼女の後ろに立つエルフへの恐怖があったからだ。
「師匠が亡くなってからは、次第に協力関係が崩れていきました」
利害に賢いのも、自ギルドを優先するのも悪ではない。それぞれの独自色がより顕著になったのだが、その弊害もあった。
アレ・テタルは統率を失い内部対立が激化、外敵への守りが危うくなりつつある。ヘル・ヘルタントはより王家に近くなり、今では完全に掌握されている。マーゲイトは地の利を天秤に掛け、半ば放棄された。ウナ・パレムは各地との連携を失って結束を固め、トレ・マテルは解散状態、もともと地理的距離のあったケギーテだけは大きな変化はない。オルステインで起きた内戦により、湖を境に西の旧クルセイアが独立しそうな気配がある。そのためリウ・リマウトはどちら側につくのか判断を迫られているらしい。
「ダッタザートはどうなのです?」
「政治的な思惑から完全には逃れられないと覚悟はしています。領主様がギルジェスタ山脈から東側を率いて、国家として独立するかもしれないという噂は根強いんですよ」
あくまでも噂レベルだ。だが魔術学校の開校に介入しようとした事実が、その噂に信憑性を持たせていた。長く続いたヘル・ヘルタントとの国境戦の敗北は、現王家の求心力を低下させている。地理的にも東と西で別れた方が治めやすいのは事実だし、ダッタザート辺境伯爵にはそれだけの力もある。ましてや現王家との血は濃く、旗印にも最適だ。
「ウェルシュタントが西と東に分れるとしたら、アレ・テタルはやはり西ですか?」
「どうでしょうね。師匠の薫陶を受けた魔術師はまだ残っていますから、王家の下につきたくない魔術師がいる間はどちらにもつかない可能性もあります」
魔術都市が小さな国家として独立する案も出ているらしいが、組織内で対立を続けている現状ではそれも難しいだろう。
ジョイスの語ったそれらの情報は、深魔の森に引きこもっていたアキラには貴重なものである。興味深く聞く横で、ジョイスは話しながら己の考えをまとめているようだった。
「魔法使いギルドって……転移魔術陣って、何なんでしょうね」
ぽつりと問いかけられたが、アキラには答えようがない。陥没した魔術陣の光を見つめるジョイスの瞳は、迷い子のように不安げに揺れていた。
「僕はギルド長になるまでは、過去の偉大な魔術師らが復刻させた古代魔術……魔術師が魔法使いを越えたその象徴だと考えていたんです。でもこの魔術陣を管理するようになって、これが転移のためだけのものではないと、ギルドが守っているのはその奥に隠されたもっと重要なものだって知って……怖くて」
自分の管理する転移魔術陣にあらわれた変化が、ウナ・パレムのような厳しい環境に変わる前兆なのか、それともトレ・マテルのように大地に沈み、ギルドが人々との暮らしから切り離されてしまうのか。妻とその友人たちや、ギルドの魔術師やその家族、ダッタザートに来て知り合った多くの人々が、自分の力不足が原因で困難に陥ることだけは避けたいとジョイスは苦悶していた。
「……僕はどうすれば良いんでしょう」
「ジョイスさんの思うように」
突き放されたと感じたのか、ジョイスが恨めしげに眉根を寄せた。
アキラはまだ痺れの残る手を振る。
「ごらんのように私は転移魔術陣に許可なく触れられません。それにダッタザートはジョイスさんのギルドですよ」
「……ずっと聞きたかったんです。どうしてアキラさんじゃなかったのでしょう」
ジョイスは師匠に指名されたときからずっと自問してきた。どうしてアキラではなく、自分なのだろう、と。
ミシェルはギルド長を退任する際、ダッタザートとナナクシャールをアレ・テタルから切り離し独立させた。あのときジョイスは自分がダッタザートならばアキラがミシェルの後を継ぐのだろうと思っていた。アレ・テタルでなければナナクシャールだと。だがエルフも集った緊急ギルド長会議の場に彼の姿はなく、ナナクシャールの椅子は空席だった。どんなに小さくとも組織の長なんて役目は向いていない、そう師匠に訴えたのだが、ミシェルはダッタザートはジョイスに任せると繰り返すだけだった。
「私では不足だからだと思いますよ」
「そんなことは……」
「いいえ、私は身勝手で利己的ですから。ギルドに、魔術師たちに、街の人々のために戦えません。ミシェルさんはそれを知っていましたからね」
妹や仲間のためならどんな苦労もいとわないが、他人のためにそこまで気持ちを向けられないのだ。
アキラは励ますように、彼が知る転移魔術陣を失った魔法使いギルドを語った。
ウナ・パレムは魔素があふれ魔物が強くなる変化を受け入れ、ギルドをあげて共存の策を今も模索し続けている。トレ・マテルは転移魔術陣を隠し、実質的なギルドの解散と引き換えに、王家と決別し隠遁を選んだ。それらは全て、ローレンやドミニクが選んだ結果だ。
「ミシェルさんからダッタザートを任されたのはジョイスさんです。だからあなたの思うようにして良いと思いますよ」
その言葉にハッとしたジョイスだ。
今も自分が組織の長に向いているとは思わない。だが任されたのはアキラではなく自分だった、そのときの喜びがじわりとよみがえった。
「……みっともないところを見せてしまって、恥ずかしいです。僕にできることをやろうと思います」
ジョイスはようやく重圧を跳ね返す気力を取り戻した。