細くない腕による改革記 3 魔術学校準備
魔法使いギルドの業務改革で失敗が許されないのは、新たにはじまる魔術学校だ。
引退したら小さな私塾のような魔術学校を開きたい、と街のギルド長会議の雑談でジョイスがこぼした話題が、どこからか領主の耳に入り、年以内に開校せよと圧力をかけられたのだそうだ。
「領主命令だったのですか?」
「め、命令されたから開いたわけではありませんよ」
個人的な構想に領主が金と口を出そうとしたので、それを阻止し、魔法使いギルドが全権を持つために急ぎの開校を決めたそうだ。
「本当は個人でやりたかったのですが、資金的にも難しいので、ギルド学校にしました。領主様は運営に関わりたがっていましたが、それは……ねぇ」
ジョイスが気弱そうなのは見た目だけだ。彼はしっかりとミシェルの薫陶を受けており、権力に媚び従うことはない。彼なりに考え、引退後ではなく今がもっとも良いタイミングだと判断したという。だがあまりにも急すぎて、政治と事務能力の乏しい自分では準備が追いつかないのだとジョイスは悔しそうだ。
いつもの気弱さはどこに消えたのかという彼の様子を、アキラは目を細めて見ていた。
「資金や人員を援助されたら、それを理由に要求を突きつけられかねませんからね」
「アキラさんもそう思いますよね?」
領主は魔術師をダッタザートで育て、街を魔術で発展させ、いずれは領主直属の魔術師を増やそうと考えているらしいのだとジョイスが語った。早すぎる青田刈りだが、アレ・テタルの発展は大陸唯一の魔術学校があってこそだし、あの街が王都寄りなのは誰もが知っている。領主は自領に属する魔術師が増えれば、軍備が充実し戦力を蓄えられると考えているのだ。
「僕は嫌なんですよ、そういうの」
攻撃魔術師の自分が言ってはならない言葉かもしれないが、と前置きし、ジョイスは魔術は魔に抗うために使いたいと言った。
「他の攻撃魔術師がどう考えているかはわかりませんし、魔術師でない人たちや貴族や領主様には破壊行為に変わりないと思っているかも知れませんけどね」
「貴族や領主は魔術師を単なる戦力と見なす傾向が強いですからね」
今ではない、だが次代か次々代あたりで、領主はダッタザート領……いや、東ウェルシュタントは西からの独立を考えているのかもしれない。
「だから領主の影響を排除するために、先んじて開校するんですね」
ジョイスが就任した当時よりもギルドの経営には余裕ができている。資金がある今のうちに、小規模であっても魔法使いギルド主導の魔術学校を開校しておくべきだという判断は、自分がギルド長であっても同じだろうとアキラは頷く。
「ジョイスさん、向いてますよ、政治も学校長も」
「そ、そんなわけないですよ」
やだなあ、と彼は恥ずかしそうに書類で顔を隠す。
ジョイスは組織運営に向いていないと思い込んでいたが、この三十年間ダッタザートギルドを運営してきたのは彼に間違いなのだ。得意不得意はあるかもしれないが、務めを果たせないわけではない。先入観から兄弟子を低く評価していたと気づいたアキラは、反省と詫びの気持ちをギルド改革にぶつけようと心に決めた。
「となると、教師にはしっかりとした魔術師を選びたいですね」
学長にはジョイスが就くが、彼が講師も務めるというのはさすがに負担が大きすぎる。せめて事務員と教師が必要だ。事務は魔術師でなくても良いが、事情を聞いた今は教師には優秀な魔術師が必要だ。
「といっても、色級だけで判断するのは危険ですよね?」
「そうですね。パトリスさんは黄級ですが、攻撃魔術専門で基礎知識となると不安です」
機構改革の話し合いの合間に、ギルド所属の職員や魔術師らと面接をしたが、教師に向いた魔術師はなかなか見つからなかった。
「そういえばまだ面接できていない魔術師がいましたね」
「ええと、ジェフリーさんとリリーさん、それとカミーユがまだです」
懐かしい名前が二つ。治療魔術師であるジェフリーは専門を活かせる医薬師ギルドに出向中、リリーは魔道具工房と兼業なため不定期の勤務だそうだ。この二人ならリリーが向いているだろう。面談をして是非とも教師職に就いてもらいたかった。
「このカミーユという魔術師、黒級にしては評価が高いですね。病気療養中とありますが?」
「……その、いろいろあったんです」
ジョイスは何故かアキラから視線を逸らしている。
「錬金魔術師なら魔道具も錬金薬も扱えます。体調が優先ですが、復帰してもらえたらギルドの即戦力ですよ。面接は大丈夫でしょうか?」
「面談は大丈夫だと思います、けど、カミーユは……人に接する業務は難しいと思います」
「?」
チラチラと、躊躇っているような、何かを言いたいような複雑な視線を向けられて、アキラは首を傾げた。ジョイスは休職中の魔術師が自分に関係があるような素振りを見せているが、アキラはカミーユという名の黒級錬金魔術師に覚えはなかった。
+++
ギルド長の名前で申し入れた面談は、リリー、ジョイス、カミーユの順に日程が決まった。最初に面談に訪れたのはリリーだ。
明るい金髪のほとんどか白くなっていたが、あまり老いたという印象はない。記録の年齢よりもずいぶんと若く見えるのは、表情が昔と変わらず生き生きしているからだろうか。
「お久しぶりですね、リリーさん」
見るからに高位の魔術師、しかもしっとりとした黒髪の美人に懐かしげにほほ笑まれた彼女は、驚いて息をのんだ。引きつった表情が戸惑いから疑いの表情へと変化した後、彼女は確かめるように昔の知り合い魔術師の名を呼んだ。
「……え? ア、アキラ?」
「やっぱり髪の色が違うとわかりませんよね? すみません、いろいろと事情がありまして。どうぞこちらへ」
「髪の色じゃなくて……えぇ、じゃあやっぱりアキラなのね?」
何度も瞬きをした彼女は、彼の顔をまじまじと見て何とも言えないため息をついた。
「あのころも規格外だと思ってたけど、予想以上だったのね……」
すすめられた席に座りながら、ボソリと呟いた声は幸いなことにアキラには届かなかった。
「お元気そうですね。ジョイスさんから活躍話は聞いていますよ」
「ありがとう。アキラの噂は聞こえてこないけれど、何かとんでもない暗躍しているのかしら?」
「してませんよ、ミシェルさんじゃあるまいし」
「してるからギルド長の横に座ってるんでしょ? この面接で私クビになるのかしら?」
「とんでもないっ」
慌てたジョイスが大きく首を振った。
「リ、リリーさんを非常勤にしておくのはもったいないってアキラさんと意見が一致したんです」
「ええ、もし可能ならばリリーさんに魔術学校の講師をしていただけないかと思いまして」
アキラの言葉に大きく頷くジョイスが、彼女に一枚の植物紙を差し出した。
「やっと開校までこぎつけたのね」
「まだですよ。まだ教師が決まっていません」
それは魔術学校の時間割だった。初年度は基礎講習と応用講習のみだが、どちらの担当講師名も空白だ。
「リリーさん、魔術学校で教鞭をとってくださいませんか?」
「私が?」
「ええ。リリーさんは魔道具師ですが、攻撃魔術師としての実績も十分にあります。基礎に忠実だからこそ複数の魔術職をこなせるのです。その経験は教師に相応しいものだと思うんです」
「ぼ、僕も同意見です。リリーさんの丁寧で的確な魔術はとても美しいので、これから魔術師になろうとする子どもたちには、最初にリリーさんのような魔術を学んで欲しいと思うんですよ」
リリーはなんとも面映ゆげに眉根を寄せた。灰級止まりの下町の魔術師が、ギルドや国家レベルの高位魔術師二人から褒められたのだ、悪い気はしない。だが。
「ごめんなさい、実は私、今日はギルドの職員を辞めるって伝えに来たの」
「や、やや、やっ」
「辞めるのですか? ギルドに何か不満が?」
「不満はないわ。非常勤は私の都合だったしね。実は少し前からセドリックの体調が良くなくて……」
リリーは動揺を隠すように目を伏せた。
十年前に体調を理由に医薬師ギルド長職から退任した彼女の夫は、リリーの工房の隣に小さな診療所を開いていた。細々と近所の人々を治療していたのだが、近年は一日に数人の治療も難しくなってきていた。魔力の消費が激しく、セドリック自身の魔力の回復力が追いつかないのだ。
「このごろは魔力回復の錬金薬でも間に合わなくて」
「魔力が、それでは……」
「ええ、もうそれほど長くはないと思うわ」
魔術師は魔力を持たない人族よりも、十年から二十年は長生きである。彼らの命の終わりは、魔力が尽きるその瞬間だ。
「セドリックは私よりもずっと魔力が多かったのよ。もう少し一緒にいられるって思ってたけれど……だから、ごめんなさいね。最後まで彼と一緒にいたいの」
だからギルド職員を辞めようと決意し、魔術学校の教師も引き受けられないのだとリリーは謝罪する。
「謝らないでください。事情を知らずに無理なお願いをしたのはこちらです」
「……知らなかった。ぼ、僕はギルド長失格ですね」
「彼が気をつかわれるのを嫌がってたから、誰にも言ってなかったの。知らなくて当然よ」
そんな状態でもセドリックは診療所を開け続け、魔力の許す限り治療魔術師として患者に尽くしているのだという。リリーとしては少しでも魔力を温存し、一日でも長く生きてほしかった。だがそう願う彼女にセドリックは、わがままを許してくれと頭を下げた。六歳で魔力を認められ、魔術師としての未来がひらけると知ったときに治療魔術師を目指すと決めた、そのときの思いを貫きたい――夫の信念を聞かされたリリーは、それならば一緒にいられる時間のすべてをセドリックのために使おうと決めたのだという。
ジョイスはその場でギルド職員の退職手続きをすませた。大昔にアキラが決めた諸々の規定は変わっておらず、リリーにも勤務履歴に応じた退職金が支払われる。計算に時間がかかるため、後日ジョイスが持参する予定だ。
全ての書類にサインを終え慌ただしく帰ってゆくリリーを見送ったアキラは、素早く魔紙に何かを書き付けて飛ばした。
「ジョイスさん、退職金を渡しに行くときに、私からのお見舞いも持っていっていただけますか?」
「それはかまいませんが……どちらに魔紙を?」
「私の薬魔術の師匠です。ああ、返事が来ましたね」
ほんのわずかな会話の間に、アキラの手元に魔紙が滑り込んだ。素早く目を通しほほ笑んだ彼は、それをジョイスに手渡す。
「錬金薬ですか? なにやら難しそうな……え、これって」
基礎配合の錬金薬しか作れないジョイスだが、それでも見せられたレシピの特異さには気づいた。
「昔、ミシェルさんがジェイムズさんに服用させていた魔力回復薬です」
この配合はリンウッドのものだ。魔術師になれなかった老執事は、この錬金薬に支えられて八十四歳まで生きた。何事もなければもっと長く生きていた可能性はある。
「……いいのですか?」
「リンウッドさんの許可は頂きました。リリーさんには無理ですが、セドリックさんには簡単な配合です。それを服用するかどうかは本人の意思に任せますが……できることなら、リリーさんが幸せになる選択をして欲しいと思います」
後日、ジョイスが退職金とともに届けた錬金薬のレシピを、リリーもセドリックも複雑な面持ちで受け取ったそうだ。
数日間、リリーの魔道具工房とセドリックの診療所はそろって店を閉めていたが、再開したころには夫婦の仲睦まじい姿が見られたという。
+
ジェフリーのもじゃもじゃ頭は健在だった。
鳥の巣のようなくせ毛には白いものがまじっており、顔つきも年齢相応の老いを見せているが、その表情は心身の充実があふれ出ているかのように和やかだ。
そのニコニコとした笑顔がアキラを見た途端に強張った。
「私は魔物か何かですか?」
「そ、そんなつもりはっ。相変わらず若いなぁと……ええと、アキラさんって、本当に人族ですか?」
気まずさを誤魔化すための言葉がアキラの心をチクリと刺激したとは気づかずに、ジェフリーは膨大な魔力量が羨ましい、さぞかし大活躍しているのだろう、と本気で羨み褒め称える。
「……どうぞ、座ってください」
「あ、はい。ええと、今日は何のための面接なんでしょうか?」
口端を引きつらせたアキラは、なんとか笑顔を取り繕って魔法使いギルドの組織改革と、魔術学校講師の選出について説明をした。
「ジェフリーさんは十年前から医薬師ギルドに出向しているのですね」
「はい、ギルド長から医薬師ギルドのほうが力を活かせるだろうからって言われて。やり甲斐があって毎日が楽しいです」
ジェフリーのまっすぐで力強い声と屈託のない表情に、ジョイスは満足げに頷いた。セドリックが引退するとき、人員の不足を補うため彼を医薬師ギルドに派遣したのは間違いでなかったと嬉しそうだ。
「医薬師ギルドではどのような仕事をしているのですか?」
「僕は主に診療部門で患者の治療にあたっています。怪我よりも病気の患者さんを診ることが多いですね」
「錬金薬の製造はしていないのですか?」
「それはギルド長が中心に作っています。今の医薬師ギルド長は治療魔術よりも薬魔術のほうが専門なので」
現在のギルド長は、二つの黄級資格を得ているが、医薬師ギルド長に就いたことをきっかけに治療魔術師を名乗る機会が増えたのだそうだ。錬金薬の製造と怪我の治療はギルド長が、病気治療はジェフリーが担当している。
「ギルドは二人なのですか? それでは色々と手が足りないのでは?」
魔法使いギルドが錬金薬の取引量を減らした分、医薬師ギルドに負担がかかってしまうのは本意ではない。心配するアキラに、ジェフリーは大丈夫だと返した。
「街で薬店を開いている薬魔術師と契約しているので、それほど困っていませんよ。アキラさんに叩き込まれた事務仕事の経験が、医薬師ギルドでもすごく役に立ってるんです。それで、実はお願いがあって……」
ジェフリーのもじゃもじゃ頭が不安げに揺れている。上司とかつての上司を前に尻込みしていた彼は、意を決して訴えた。
「僕、医薬師ギルドに移りたいんです。魔法使いギルドに不満はないけど、僕は治療魔術しか使えないので、こっちに属しているよりはあっちのほうがいい」
ジェフリーは治療魔術に特化した魔術師だ。魔法使いギルドで求められている魔道具の知識や攻撃魔術の技術は、彼には全く期待できない。
「籍が違うままだと、医薬師ギルドの仕事も制限がかかるので、できたら正式に移りたいんです。駄目ですか?」
「駄目じゃないよ。ずっと出向のままよりそちらがいいかもしれない。ビアンカさんと話してみるよ」
「え、いいんですか?」
魔法使いギルドの人員不足も理解しているジェフリーは、まさか即座に了承してもらえると思っていなかったのだろう。おどおどとアキラとジョイスの顔色をうかがっている。
「もちろん。十年も出向させたままなのは、さすがにマズいなあってアキラさんと話していたんですよ」
組織改革を話し合う中で一番悩ましかったのは出向中のジェフリーの扱いだった。本来ならばこちらに戻ってもらうべきだが、正直彼は魔法使いギルドには向いていない。かつてアキラが叩き込んだ事務仕事の経験は役に立つが、それは魔術師でなくても務まる仕事だ。治療魔術師のジェフリーが力を発揮できるのはここではなく医薬師ギルドだ。
「私たちもそのあたりを整理して、もちろんジェフリーさんの意思を優先しますが、医薬師ギルドへの転属をすすめようと考えていたんです」
「ジェフリーさんが望んでいるのなら、すぐにでも話し合ってきますね」
転属は何の問題もなく解決したが、魔術学校の教師は決まらないままだ。ジョイスは入学した生徒の中に治療魔術師を目指す者がいた場合、臨時講師として導いてほしいと頼んだ。専門過程を学ぶにはやはり専門を極めた教師が必要だ。
「ぜひ協力させてください。僕は子どもに魔術を教えるのが夢だったのに、娘は素質があるのに魔術師になってくれなくて寂しかったんです」
ジェフリーの娘は母親と同じ狩猟冒険者になったそうだ。生まれた孫も才能はありそうなのに魔術師に興味はないらしく、今は商家で経験を積んでいるらしい。
もじゃもじゃ頭の魔術師の家族自慢とささやかな愚痴を聞いてその日の面談は終わった。
+++
面談の最後の一人はカミーユという錬金魔術師だ。先の二人へはアキラが主に話をしたが、カミーユはジョイスが話をするという。
「アキラさんはできるだけ温厚な雰囲気でニコニコして座っていてもらえたら助かります。それと、名乗らないでくださいね」
「何か含みがあるように聞こえますが?」
「……ええ、カミーユは少し、いえかなり繊細でして」
病気療養の原因は体ではなく心だった。
「アキラさんは繊細な見た目とは真逆にとても頑強な精神を持っていますから、カミーユの話を聞いてもどかしくなるかもしれません。どうにか堪えて笑顔を維持してもらえると助かります」
鎧竜の外骨格よりも頑強な精神だと評されたアキラは、憮然として問うた。
「カミーユという方の心病の原因をお聞きしても?」
「ええと……筋違いの批判をうけて心身が危険に晒されたこと、ですかね」
どうやら詳細をアキラに教えるつもりはないらしい。病歴、しかも精神的なものはおいそれと部外者に漏らせないのだろう。
約束の時間にやってきたのは、若い魔術師だった。線は太くて力強いのに、その表情からは自信や自尊心はうかがえない。そばかすの広がる肌色は悪く、不眠なのか目の周りの血色がことさら暗く沈んでいる。それを隠すように、傷んだボサボサの赤毛が顔の前に垂れており瞳の色はわからない。
「っ……あ、あのっ」
カミーユは大柄で立派な体格をしているが、それを少しでも小さく見せようとしてか、あるいは心の病のせいか、不格好なほどに背中を丸めている。病んでいなければ力強い好青年なのに、今は線がぶれてしまうほどに力なく見える。
「この人はギルドに力を貸してくれている僕の弟弟子です。男性ですよ」
「え……そうなのですか?」
脅えるカミーユを落ち着かせようとしたジョイスの言葉に疑問を持ったが、約束していたようにできるだけ温和な表情で小さく頷いて見せる。
「武術大会が終わるまで街に滞在しています。よろしくお願いします」
アキラの声を聞き、喉元を見て女性ではないと納得した彼から、露骨なほどはっきりと、脅えとこわばりが抜けた。もしかして彼は女性恐怖症なのだろうか。
二人の向かいに座ったカミーユは、ジョイスに体調をうかがう言葉をかけられてほっとしたようだ。
「ギルド長の奥様の助言で髪の色を染めてからは、人の視線が素通りするのでとても楽になりました」
「それはよかった。でも無理はいけませんよ。魔術師がローブで顔を隠すのは不自然ではありませんから、どうしても辛かったら室内でも被っていいんですからね」
なるほど、赤毛が傷んでいるのは染料のせいか。そもそも髪色が原因で人目を避けなければならないほど追い詰められるなんて、いったいカミーユは何に脅かされていたのだろう。
「今日来てもらったのはカミーユに仕事についてたずねたいことがありまして」
「は、はい……、あの、私はギルドをクビになるのでしょうか?」
「とんでもない」
「でも、私は雇われてすぐに仕事ができなくなりましたし」
「それはあなたのせいじゃないですよ。それに今日はカミーユさんに向いた仕事を提案したいのです」
ジョイスは魔術学校の書類をカミーユに渡した。
「……教師」
「錬金魔術師のあなたにぴったりだと思うのです。教師なら不特定多数の人と接することもありませんから安心でしょう? どうですか?」
「あ、ありがたいです。でも、私にできるかどうか……」
カミーユはアレ・テタルの魔術学校を卒業した後、各ギルドの下請けをして経験を積んでいた。錬金魔術師の先輩からダッタザートの職員に推薦されてこの地に移ったのだ。しかし務めはじめてすぐに、不幸な巡り合わせが重なり、人の視線で心を病んだため今に至っている。
「大丈夫です、カミーユさんは基本に忠実な魔術を使っていますから、そのままを教えれば問題ありません」
「でも私は黒級です。教職は白級以上に定められてましたよね?」
「それも問題ありませんよ。専門課程の教師は特定の色級以上が決まりですが、基礎講座の規定には色級の記載はないんです。どうしても気になるなら、僕と彼が昇級試験をしますが?」
もちろん試験など受けなくてもいいし、万が一昇級できなかったとしても、カミーユに魔術学校で勤めてもらうのは決定だとジョイスが保証する。
「……私でよければ、魔術学校で働かせてください。それと試験も受けたいです」
顔をあげてまっすぐにジョイスを見つめる青年の瞳は、薄い青色だった。
師匠を持たないカミーユは、これまで受験資格を満たせずに悔しい思いをしていたのだという。
魔術学校が設立され、魔法使いギルドの人材も増えている。今後は定期的な昇級試験もギルドの業務に加えなければならないだろう。アキラは手元の書類にメモを書き加えてジョイスに囁いた。
「昇級試験なら他の魔術師にも声をかけたほうが良くありませんか?」
誰か一人を特別扱いするのは周りの心証が良くないというアキラの言葉に、カミーユは振り子のように激しく首を振って同意する。
「中傷の材料はもういらないですっ」
「そうだったね、ごめん。ギルド職員と、あとは街の魔術師にも知らせることにするよ。希望者には特別に昇級試験が受けられるって」
試験は武術大会が終わったあとに行うとその場で決めた。今後の昇級試験についてもギルドで話し合って定期開催にできないか検討することにする。
「魔術学校は三月一日からです。二月に入ったら授業の準備など手伝ってもらわないといけないので、それまでは療養を続けてください」
ジョイスはアレ・テタルで使っていた教本を数冊カミーユに手渡した。
カミーユは玄関を出る前に深くフードを被って顔を隠した。さらに背を丸めて地面だけを見つめるようにして歩いて行く。
「カミーユさんは誹謗中傷を受けるような方には見えませんでしたが」
室内に戻ったアキラは、宝の持ち腐れと化している台所で湯を沸かした。ジョイスにはお気に入りだという薬草茶を、自分にはコレ豆茶を入れる。
「彼は悪くないんです……い、いえ、誰も悪くないんですが、何といいますか」
「悪意をもって中傷する人物が悪くないはずがありませんよ」
「いや悪意は……彼女らにはなくてですね」
もごもごと言葉を濁すジョイスは、薬草茶に視線を固定してアキラの顔を見ようとしない。もしかしてと、彼は固い声で問うた。
「カミーユさんの災難に、私が関係しているのですか?」
「……全く無関係と言えないのが困ったところでして」
アキラを誤魔化すのは無理だと諦めたのだろう、ジョイスは大きなため息をついて薬草茶を一口飲んだ。
「アキラさんがギルド所長をしていた当時、熱狂的な信奉者がいたことは覚えていますよね?」
「不愉快な事実ですが、ええ、いましたね」
「彼女たちは今も、銀の魔術師様を信奉しているんです」
「……三十年も経つんですよ?」
できるだけダッタザートには近づかないようにと避けてきたのは、街の人々に忘れてもらうためだった。まだ忘れられていないのかとアキラは腹立たしげに眉をひそめる。
「コズエさんも愛読している娯楽本のなかに、アキラさんによく似た人物が描かれているじゃないですか。それの影響もあって、みなさん今も銀の魔術師様を崇拝しているんですよ」
定期的に集まり、娯楽本を中央に置いて銀の魔術師について思いを語り合っているらしいと聞き、アキラは硬く目を閉じて眉間を揉んだ。
「なんですか、それ。本の登場人物は私じゃないですよね?」
「ぼ、僕も理解できないのですが、コズエさんは『そういう性癖の人は一定数いる』と言ってて」
「……コズエちゃん」
まさか彼女はその会合に参加してはいないだろうな?
「そ、その会の方々がですね、ギルドに銀髪の魔術師がやってきたと聞きつけて。カミーユを見て騒ぎまして」
「もしかして彼の髪は」
「はい、染めているんです。目の色も薄いですから光の加減で銀髪銀目に見えたのでしょうね。そこにアキラさんの信奉者が」
「その信奉者というのは止めてください。俺じゃなくて小説の登場人物の信奉者です」
「すすす、すみませんっ。で、その方々がカミーユを見て『銀の魔術師様を騙るなんて許せない』と騒ぎまして……」
アキラはズキズキと痛みはじめた頭をぐっと押さえた。なるほど、ジョイスがアキラに名乗らせなかった理由がよくわかった。アキラの名前を聞いて銀の魔術師に結びつければカミーユはパニックに陥っていたかもしれない。
「今も活動している方々がいるのですが、どうしても失望感が大きかったようでして、カミーユが受付に出るたびに押しかけて、聞くに堪えない言葉をぶつけまして」
「街兵を呼ばなかったのですか?」
「……いろいろと力を持っている方々ばかりで、僕の力も及ばなくてカミーユには申し訳ないことになってしまって」
街兵が注意しても、ジョイスや他職ギルド長に協力をお願いして抗議しても、カミーユへの嫌がらせは止まらなかった。そして彼は受付に立てなくなり、女性の視線でパニックを起こすようになってしまった。部屋から出られなくなり、日常生活もままならなくなるほど病んでしまったのだ。
髪の色を変え、顔を隠すことでようやく他人と会話できるようになり、最近ではやっと日中に街を歩けるようになった。これ以上療養期間が長くなれば、カミーユはギルドの足枷になっていると気に病んでしまうだろう。このタイミングで魔術学校の教員の仕事を彼に任せられて良かったと、ジョイスは心底から安心していた。
カミーユの履歴書をあらためて読み直したアキラがジョイスにたずねた。
「彼、甘い物はお好きでしょうか?」
「嫌いじゃないと思いますよ。休職する前ですが、コズエさんが差し入れてくれた菓子は喜んで食べていましたから」
特に黒芋のパイは嬉しそうに食べていたと聞き、アキラは黒芋の菓子を見舞いと詫びの品にしようと決めた。パイにクッキーに、他はサツキに相談して詰め合わせを用意してもらわねば。
「街に寄ると言ったとき、サツキが髪を染めろとうるさかった理由がわかりました……」
ダッタザートという街にとって「銀髪の魔術師」は伝説であり、同じ色彩を持つ魔術師には厄災のような存在になってしまった。カミーユには何と詫びればよいかわからない。ジョイスはアキラのせいではないと慰めたが納得できるものではなかった。
「黒髪も似合っていますよ。でも出歩くときは今まで通りフードを被ったほうが良いです」
そうします、とアキラは深々と頷いた。