馬と甲冑の砂漠討伐・前
昇る太陽の方角へと走るアマイモ三号の表皮を、ぴしぴしと少々乱暴に手綱が当たる。それが不快でならないのか、御者席の甲冑を振り返った鋼の馬は、鋭い針ほどの魔力を撃った。
カカシタロウの眼甲の隙間から内部に入ったそれは、頭部にある魔術陣をかすめた。
主人が整え魔力を満たした大切な魔術陣に危害を加えられたカカシタロウは、ますます手綱を無意味に動かし、鹿皮をまとった鋼の胴部を叩く。
無言で繰り広げられる不毛な戦いだった。どちらも、お互いの存在を許してはいない。
特にカカシタロウは、前回の旅でアマイモ三号だけが主人に同行したことを恨んでいた。森に残され、動くたびに減ってゆく主人の魔力を惜しみながら、芋狂いとともに畑と果樹園を管理する毎日はむなしく寂しいものだった。今度の旅は自分の番だと張り切っていたというのに、また鋼の馬がついてきた。邪魔だ。手綱を乱暴に扱うくらいの報復は許されるはずだ。
手綱の嫌がらせへの反撃か、ピシ、ピシ、と続けざまに魔力針が飛んできた。
カカシタロウはそれを眼甲の隙間に誘い込み、魔術陣に触れないよう上手く受け止める。針に込められたわずかな魔力を取り込んで、その甘美に甲冑が上下に揺れた。まるで笑い声のようにカタカタと鳴っている。主人に分け与えられた魔力を捨てるなんて、鋼の馬は何と愚かだろうか。しかもそれを、同じ主人の魔力によって生かされている相手に撃ち放つのだから、鹿以下と嘲られても仕方がない。
もっと寄こせとでもいうように、カカシタロウは手綱を大きく揺らしてアマイモ三号を挑発した。
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街道を疾走する二機の魔武具と箱馬車の姿は、遠目には、陽の光を反射させるピカピカの甲冑騎士が、国境へと猛進しているように見えた。駐留兵への急使だと判断した商隊や冒険者らが慌てて道を譲ろうとしたが、甲冑騎士の馬車は彼らを無視して街道を北に外れてしまった。
わき目もふらず、誰も追いつけぬ速度で平原の草むらを倒し走る様子は尋常ではない。
「あっちに、何があるんだ?」
好奇心に負けた冒険者のパーティーが、車輪に踏み倒された跡を追おうとした。
「おい、やめておけ。甲冑を着るのは騎士だぞ。それもあんな馬力の馬を持つのは貴族しかいない」
「首を突っ込んで貴族様の機嫌を損ねたら後が怖いぞ」
新進気鋭の、だがまだ若い冒険者らは、商人や村人らに止められて逆にムキになった。何かしらの、たとえば戦いを想像できる跡や、密かに集合した国境兵の姿を遠目で確かめるくらいの軽い気持ちでいた彼らは、金になる情報を得てやろうと制止を無視して車輪の跡を追ってゆく。
「行っちまったぜ、どうする?」
「連中は成人しているし、一人前の冒険者だ、これ以上はお節介だろうぜ」
「だがなぁ」
「とりあえず門兵に報告しておけばいいだろ」
ダッタザートの街門に辿りついた商隊護衛の一人が、甲冑騎士の存在を報告した。街道をそれて疾走していたが何か揉めごとでもあるのかと問われ、門兵はそのような申し送りはなかったはずだと首を傾げる。商隊護衛らは甲冑に刻まれているはずの紋章は見えなかったと証言した。隠していたのか、それとも削り取られたのかはわからない。
「もしかして脱走騎士だったのか?」
護衛の発言を聞き流せなかった門兵は、素早く通門記録をめくる。開門と同時に甲冑を着た騎士が待ち門を出て行った記録があった。入る者の検めは念入りだが、出る者については不審な様子がなければ素通りさせている。ましてや騎士だ、開門時刻の担当兵は止めるなど考えもしなかったのだ。
門兵からの報告は速やかに街兵、そして騎士団にあげられた。
騎士団員が召集され、全員の所在確認がとられたが、行方不明者はいなかった。次は装備品の在庫調査が行われた。騎士団は鎧一揃えと予備を各騎士に貸与している。破損の際には修理もしくは交換で新たな一式が貸与されるが、日々の修繕用にパーツを隠し持っている者がいないわけではない。騎士団の整備部はその日のうちに記録簿と照らし合わせられ、何人かの騎士が修理用に秘匿していた手甲などが紛失していると申し出た。
それを聞いた領主は、他領あるいは他国の密偵が、騎士に扮して逃走したのではと疑いを持った。即座に騎士団に調査が命じられ、呼び出された商人一行らとともに、その証言にしたがい街道から北東へと進軍を開始した。
「貴様らか!」
「ひぇっ、なんで騎士団が?!」
甲冑騎士の馬車を追いかけて国境線手前の河川敷で野営中だった冒険者らは、騎士に取り押さえられた。その場で行われた尋問によれば、冒険者らは痕跡をたどって川近くまで辿り着いたが、そこから先は馬車の跡を見つけられず追跡を断念し、ついでだからと近くで獲物を探していたのだという。
細かく念入りな聞き取りの末、冒険者らはなんとか放免された。夜の移動は危険だが、ピリピリした騎士団から少しでも遠くに離れたい彼らは、追われるような速度で草原を走って逃げた。
「まさか国境河川を越えたのか?」
「ありえんだろう、この流れはたった一頭の馬と馬車では越えられんぞ」
ウェルシュタントとサンステンを分ける川の幅は二千五百マール(二百五十メートル)もある。その流れは速く、水量も多い。小舟ですら流れにのまれて転覆する急流、しかも川の中央は人の背丈の二倍ほども深いのだ、馬車が走り渡るのは不可能だ。
周辺に潜んでいる可能性もある、捜索をしたいが日が暮れてずいぶん経っていた。この暗闇では身動きも、痕跡の発見もままならないと捜索は一時中断された。
翌早朝、日の出とともに再開された捜索では、結局、なんの手がかりも見つけられなかった。街に戻った騎士の報告を聞き、領主は冒険者ギルドに索敵の得意な冒険者の徴用を命じた。
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「は……?」
出勤早々にギルド長室に呼びつけられたヒロは、領主からの命令を聞いて顎が外れそうになった。
「……河川敷に残る車輪や蹄の跡を探し、甲冑騎士、の行方を追え?」
「どうやらこの街に密偵が潜伏していたらしい」
「それが馬車に乗った甲冑の騎士ですか……」
ズキズキと妙な痛みを感じはじめた額を手で押さえつつ、ヒロは渡された命令書に目を通した。心当たりがあり過ぎるが、それを言うわけにはゆかない。
「河川の石に残された馬車か蹄の跡を探し出し、行方を確かめろ……四日も経ってるんですよ、無理じゃないですかね?」
「騎士どもが踏み荒らしたようだからな、手がかりはつかめんだろう」
だが領主の勅命だ。治安維持と街の防衛のための命令をギルドは拒否できない。
「人を送るのはかまわんが、何も見つからんとなったときが面倒だ」
「ギルド長、ちょっと思い当たることがあるので席を外します。すぐに戻りますのでまだ職員を派遣しないでください」
足早にギルド長室を出たヒロはロビーに駆け込み、手配書を貼り出した掲示板で目的の物を探した。貼り出されてもう何年になるだろう、何の情報もなく、けれど取り下げられていない二枚の手配書の片方だ。ヒロはそれを剥がしてギルド長室に戻った。
「商人や、輝く栄光の証言にある甲冑は、これじゃないでしょうか」
「手配の甲冑人形?! あれは中央街道のあたりで目撃されたのではなかったか?」
「最後の目撃情報は七、八年前のハリハルタが最後です」
色あせ古びた手配書と命令書を見比べたギルド長は、間違えてアレト・バモンを囓ってしまったような顔で低く唸った。
「まさかこの甲冑人形が街に入り込んでいたのか?」
「そのあたりは我々が詮索する必要はないと思います。門兵が見逃したか、あるいは魔武具に隠された秘術が発動したのかはわかりませんが、捜索に職員を派遣するよりもこちらの情報を領主様に伝えることが先かと」
「あ、ああ、そうだな。これに関して判断するのは我々ではない」
「ええ、私たちではありません」
深々と同意して頷いたヒロは、判断すべき諸悪の根源らの顔を思い浮かべ、尻拭いへの対価の値をつり上げてやろうと決意したのだった。
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出かけるときは早く帰れると言っていた夫が「遅くなるので夕食は先に食べていてくれ」と伝言を寄こした。
「副ギルド長だっけ? 出世すると忙しくて大変だよなぁ」
「普段はそれほどでもないんですよ。ただ責任者ですから、責任を取らないといけない事が起きると、どうしても遅くなったり泊まり込みになりますね」
サツキは予定外の残業が心配そうだ。
コウメイは湯気をたてる牛乳鍋をテーブルの真ん中に置いた。夕食は温かな鍋をメインに、シュウのための肉料理と、澤谷家で主食となったご飯(炊き赤ハギ)だ。
コウメイは労うようにサツキの椀にスープを注ぐ。大きな丸芋と赤芋に花房草の茎、青豆とガルバ豆がタップリと入ったスープは、とろみがなくさらさらとしている。鍋をのぞき込んだシュウが「肉がない」と嫌そうに呟いたが無視だ。
「そういうとき宿の仕事はどうしてるんだ?」
「手伝いの子に残業を頼んでます」
「その程度で手は足りるのか?」
「連泊のお客さんが多いし、忙しい朝と夕方に手伝ってもらえれば十分なんですよ」
夜の門限に玄関を閉めるまでは少し不安になるが、今は兄やコウメイたちがいるので何も心配していない。サツキはそう言って手をあわせた。
「いただきます」
「「「いただきます」」」
シュウは角ウサギ肉のハンバーグにかぶりついた。白芋のすりおろしがたっぷりと乗せられたそれに、塩出汁ソースがかかっている。あっさりとした味付けに物足りなさを感じるが、量はたっぷりなので文句は言わなかった。
「副ギルド長が残業しなきゃならねぇ事態って、何だろうな?」
「もしかしてスタンピードかなー?」
「それはないだろう。鐘は鳴っていないんだ」
声が弾んで聞こえたのは気のせいではない。アキラが睨むと、シュウは手のひらサイズのハンバーグにかぶりついて失言を誤魔化した。
「アキ、心当たりあるか?」
冒険者ギルドの大事なら魔法使いギルドも無関係ではないだろう。コウメイは毎日ギルドに詰めているアキラに、それらしい何かに気づかなかったかとたずねる。
「今のところは何も。明日になればはっきりすると思うが」
部下が少し大きなミスをしたか、外部からヒロが担当する分野に緊急の仕事が持ち込まれたかのどちらかだろう。もし冒険者ギルドだけで収拾がつかないような何かが起きていれば、魔法使いギルドに要請があるはずだ。
「差し入れにおにぎりを作って、あとはマドレーヌを焼こうかしら」
遅くなる夫に夕食を、そして残業中の職員らにも小腹を満たせる焼き菓子を差し入れて、様子を探ったほうが良いのだろうかとサツキは思案した。
「ヒロの伝言は『遅くなる』で『帰れない』じゃなかったんだろう? 先に食事を食べておけということは、自分も戻ってきてから食べるという意味だ。それほど遅くはならないだろうから心配するな」
食事の途中で腰を浮かせかけた妹をアキラが止める。まだ九の鐘前とはいえ、暗い街を歩くのは危険だ。もしどうしても心配なら、自分が行くとシュウが言った。
「ストリート・ファイトは練習になるから、襲ってほしーくらいだぜ」
沈んだ食卓の空気を盛り上げるようにシュウが茶目っ気を見せ、コウメイが応じて軽口を返す。
「ワーラット相手じゃ物足りなかったか?」
「この辺りに俺と互角に戦える魔物がいねーんだよ」
「練習相手ならコウメイさんがいますよ?」
首を傾げるサツキに、シュウは立てた人差し指をリズミカルに振って見せる。
「コーメイとは本番までお預けだ。俺の手の内、読まれたくねーし」
「へぇ、シュウに手の内なんてあったのか?」
「俺をただの脳筋だと侮るんじゃねーぞ」
「なんだ、脳筋の自覚はあったのか」
「うるせーっ」
二人のやりとりにサツキが噴き出し、食卓に笑顔と和やかな空気が戻った。
食後のデザートはレシャ果肉の寒天寄せだ。レシャ果汁の甘さと舌の上で転がる果肉の食感が楽しく美味しい。
「お、帰ってきたみてーだぜ」
階段をのぼってくる足音を聞き取ったシュウが、ちょうど三階に着いたと玄関を振り返る。思ったよりも早い帰宅だとサツキの顔がほころんだ。
アキラはテーブルを片付け、コウメイはヒロの食事を温めに台所に向かう。いそいそと玄関に出たサツキは、疲れた様子のヒロを迎え入れた。
「お帰りなさい」
「ただいま……ずっと待っていたのか?」
「シュウさんが足音が聞こえるって教えてくれたのよ」
そうか、と息をつきながら入ってきたヒロは、三人に奇妙な笑顔を見せた。口元は笑みの形をつくっているのに目は鋭く硬い。
「おかえり。すげぇ疲れてるみてぇだな」
「ゆっくり休んでくれ、俺たちはもう引き上げる」
「夫婦水入らずでごゆっくりー」
長居は歓迎されていないと察し、気を利かせて自分たちの部屋に戻ろうとする三人を、ヒロは淡々とした声で呼び止めた。当然その目は据わったままだ。
「領主様からギルドに命令がありました」
テーブルに着いたヒロは、怪訝そうな三人を順番に見据える。
「急使のような速度で走っていた馬車が街道を逸れ、国境を密かに越えようとした疑いがある。馬車を御していた騎士甲冑を身につけた何者かは、ダッタザートに潜んでいた密偵の可能性が高い。冒険者ギルドはこれを追跡せよ、だそうです」
ヒロに残業を強いることになった原因に心当たりのありすぎる彼らだ。
「あいつら、あの川を渡ったのか」
「川幅は二百メートルを超えていますし、流れが早いだけでなく水量も多くて、深いところでは川底まで二メートル以上はあるのに、あの馬車にどんな仕掛けがあるんですか?」
今まで泳いで国境を越えた者も、船で無事に対岸に渡れた者もいない。急流のおかげで警戒の必要なしと見逃されていた場所から密偵が国境を破ったのだ。領主が黙ってはいられないのは当然だ。
「ダッタザート騎士団が川縁を捜索しましたが、到着したのが夜間だったため手がかりを見つけられなかったそうです」
「……騎士団まで出たのか」
「ギルドには索敵の得意な者を派遣しろとのことなので、ホウレンソウを推薦しておきました」
「は?」
「俺らかよ」
「飼い主はアキラさんですし、放し飼いの弊害が出たわけですから、早々につかまえてどうにかしてください」
「……飼い主じゃない」
「アキラさんの魔力で動いてるのでしょう? 立派な飼育責任者ですよ」
理不尽だと眉間に皺を寄せるアキラを、ヒロは容赦なく追い立てる。
「いいですか、ダッタザートの街に入り込んだ密偵の正体がわからないままでは、国境伯は何かしらの行動を起こさなくてはならないんですよ」
近隣領地に謀反の芽がないか厳しく調べ、密偵が逃げ込んだサンステンには当然抗議することになる。密出国あるいは密入国に対する抗議からはじめ、サンステン国の密偵ではないかと探り、最悪の場合は戦争だ。
「それはちょっと大げさすぎねーか?」
「大げさなものですか。ダッタザートが騎士団を動かし調査の者を送れば、五年前に西端の国境までまで出向いてオストラント和睦に尽力した恩を仇で返した、とサンステン国は受け取るでしょう」
何せ疑いの元は全く無関係の暴走した魔武具なのだから。
「ダッタザートを戦線にしたいのですか?」
「んなわけねぇだろ」
「わかった、朝一番で馬とカカシを壊しに行こう」
「壊すんじゃなくて捕まえにだろー」
妹や仲間の暮す街を自分たちのせいで戦禍に巻き込んでなるものか、とアキラは気合いに満ちている。
「破壊でも捕獲でも、どちらでもかまいませんが、ギルドの指名依頼ですから職員も同行します。誤解されるような行動は慎んでくださいね」
ヒロはこれまでに決まったことを三人に説明した。
命令にどう対処すべきかと悩むギルド長を、ヒロが掲示板で埃を被っていた首なし甲冑の手配書へと誘導すると、すぐに領主に報告があげられた。そこで索敵に優れ、かつ魔武具と戦える力を持った冒険者を派遣し真偽を確かめよ、と新たな命令がくだったのだ。
「手配の首なし甲冑とわかれば、その目撃情報をオルステインに売りつけて幕引きです」
「オルステインとケンカしねーのかよ?」
「かの国との国境線は中央山脈の稜線と遠いですし、ダッタザートからオルステインに戦争を仕掛けるメリットは経済的にも地理的にもありませんよ」
ダッタザート国境伯爵はオルステインに目撃情報とともに盛大な苦情を突きつけ、迷惑料を含めた情報料をふんだくるあたりを落とし所と考えているらしい。
「一緒に来るギルド職員ってヒロか?」
「いえ、数人の騎士を一時的にギルド職員として雇用しました。彼らが同行します」
「貴族にくっつかれるのかよー」
「少々やりづらいな」
「ヒロが一緒に来て手伝ってくれたら助かるんだけど」
「我慢してください、さすがに俺が同行するのはマズいんですよ」
ギルド証の不正発行は「ちょっとした手違い」で強引に誤魔化せるし、バレてもせいぜいクビになる程度で済む。だが領主命令の裏をかく行動は命がけだ。同行し裏工作を手伝ったことが万一にもバレれば、オルステインの密偵として処分されてしまう。ダッタザートに生きるヒロは、妻子も連座処刑されかねないほどの危険な綱は渡れない。
「そりゃそうか。悪ぃな、俺らの馬とカカシが迷惑かけた」
「すまない、サツキ」
「ヒロに疑いが向かねーよーに、きっぱり決着つけてくるぜ」
彼らは臨時ギルド職員の二人とともに、手配書の首なし甲冑を追跡し、あわよくば魔物討伐を楽しむため、早朝から砂漠へと発ったのだった。