細くない腕による改革記 2 ギルドを掌握しよう
カウンターを通り過ぎたジョイスは、勝手口から二階へとあがってゆく。かつて生活していた場所に招き入れられたアキラは、懐かしい壁や天井を感慨深げに眺めた。
靴を脱いでいた玄関は、靴の汚れを拭うマットが置かれ土足に変わっていた。以前は生活感に溢れていた居間も、複数のテーブルやいすが置かれ、大人数で会議ができるようになっている。
変わらない部分よりも、様変わりした部分が多いのは仕方のないことだが、少しばかりさみしさを感じた。
「ジョイスさんはもうここに住んでいないんですね」
「ギルドで働く者が増えて、一階だけでは手狭になりましたからね。僕たち夫婦も所属のギルド職員も、みんな別に居住を持っていますよ」
寝室として使っていた三階は、アキラたちの使っていた大きなほうの部屋はギルド長室に改造され、妹たちの小さい部屋は宿直室になっていた。屋上の温室菜園を管理するため、職員が交代で泊まり込んでいるらしい。
ギルド長室に落ち着いたジョイスは、アキラに向き直ってすがるような視線を向けた。
「ギルドの様子は見ていただけたんですよね? ヒロさんにお聞きしたのですが、魔術学校だけでなくギルドのほうも手伝っていただけるとか?」
「私にできることがあれば」
「よかった……」
よほど気を張っていたのだろうか、ジョイスはへなへなと崩れ落ちるように背中を椅子に預けて息をはいた。
「ぼ、僕は組織の運営とか、本当に苦手で、どうしていいかわからなくて困ってたんです」
「以前よりも魔法使いギルドが街の人々に認知されているようですね。客も多いですし、職員も増えています。発展させたのはジョイスさんですよ、誇ってください」
「……僕はアキラさんが残してくれたものを頑張って維持していただけなんです」
アキラの言葉に嬉しそうな表情を見せたジョイスだが、その喜色もすぐに不安に上書きされてしまった。
魔法使いギルドの働きが目に見えるようになると、街の人々の認識も変わり、冒険者の出入りも多くなった。冒険者やギルド以外との取引もはじまったし、アレ・テタルから独立したことで収益性も上がり、魔術師の職員も雇えるようになった。
しかし発展は嬉しくとも、それを喜べないほどジョイスは多忙だ。
「人材も豊富ですし、資金もあります。仕事は途切れるどころか増えるばかりで、ギルドが安定するのは良いのですが、なんというか、僕のところに仕事が全部集まってきてしまって……」
「ジョイスさんは働き過ぎです。職員に仕事を割り振る必要があるんじゃないですか」
「わかってるんです。でも何をどうすれば良いか、わからなくて」
ジョイスはギルドの資料を、部外秘のものまで全てアキラの目の前に積んだ。アキラから引き継いだ三十年分の事務資料だ。さすがに全てに目を通したくはない。ひとまずとアキラは直近の数冊を手に取った。
固唾をのむジョイスの視線を浴びたまま眉間に皺を寄せて資料を読み込むアキラは、ヒロが心配するはずだと内心でため息をついていた。
この三十年でダッタザートのギルドは規模が大きくなっている。なのに経営はアキラが一人で切り盛りしていたときと全く変わっていない。大小のありとあらゆる決済が全てジョイスに回ってくるのだ、これでは彼の負担が大きいだけでなく、職員も仕事がしにくかっただろう。
「……なるほど、だいたいわかりました」
「なんとかなりますか?」
しっかりと頷いたアキラを見て、ジョイスは大きな息をついて握りしめていた両手の力を抜いた。
「ジョイスさんは、事務仕事は苦手ですか?」
「魔術学校の一般教養でひととおり教わったんですけど、師匠はギルドの仕事を僕に手伝わせませんでしたね」
討伐や遺跡の調査にはよく引っ張り出されたが、ギルド長の補佐は一度も命じられたことはないと、ジョイスは恥ずかしそうに言った。反対にアキラはギルド長の仕事を押しつけられることが多く、魔術師としての仕事を任された記憶は薄い。
「ダッタザートも組織が大きくなり、所属する魔術師も増えています。私が管理していたころと同じ方法では円滑な運営はできなくて当然だと思います。本来ならばどこかで仕事の割り振りを変えたり、複数の責任者を立てるべきだったと思うのですが」
「ぼ……僕には、そういうのが、わからなくて」
「ギルド改革、しますか?」
「お、お願いしますっ!」
そうしてアキラはダッタザートギルドの組織改革に着手することになった。
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預かった職員名簿に知った名前を見つけ、アキラは懐かしさを覚えた。
「ジェフリーさんは今もギルドの職員なのか。それにリリーさんも」
魔道具工房を経営するリリーは、非常勤扱いで週に二日間だけギルドで働いている。そしてジェフリー(当時もじゃもじゃ)は医薬師ギルドに出向中だ。治療魔術師の彼はあちらで重宝されているに違いない。
「もう一人の非常勤は、錬金魔術師、か」
カミーユという名のまだ若い黒級魔術師は、病気療養を終えたところのようだ。完全復帰までの慣らしとして週に二日だけギルドで接客以外の裏方仕事をしている。
「今日休んでいる事務員がカロル。十九歳の女性で、いつもは受付を担当、と」
こちらにも但し書きがあり、出産を控えており、二月から半年は休職になるとあった。昼食時に顔を合わせた面々とジョイスの実質九人でギルドは運営されていた。
「ジョイスさん、職員の得意、不得意は把握していますか?」
「得意魔術……ではないんですよね?」
「そうですね、例えば接客が得意とか、事務仕事が得意とか」
「……すみません、パトリスは魔術以外でも何でもできるのは知っているんですが、他の者となると」
組織構造の改革案をまとめるのと並行して、職員との面接もしなければならないようだ。
「これが過去三年の帳簿と、こらちは他職ギルドとの取引まとめです」
「思っていた以上に多いですね。冒険者ギルドとの取引は三倍、商業と農業にも魔術師を派遣しているのですか」
「数年前からダッタザート伯爵が領地経営を見直されたんです。魔術師を雇って政務や領地防衛に使うようになってからは、街の人々の生活にも魔術が取り入れられるようになって」
「なるほど。契約魔術や農地改良に魔術師の力を活用するようになったのですか」
素早く目を通した記録によれば、商業ギルドでは不正防止のために契約魔術を積極的に取り入れるようになり、農業ギルドは農作物の品種改良や肥料の開発に魔術師の技術と知恵を借りているようだ。他にも職人ギルドの、主に鉱石を扱う分野では錬金魔術師が、医薬師ギルドとは治療魔術師と薬魔術師が協力している。
「ジェフリーさん以外は専任ではなく、当番制で各ギルドに出向しているんですね」
「全部の仕事に出向させてしまうと、ギルドが回らなくなってしまうので」
ギルドの日常業務も当番制になっており、これが効率の悪さの原因になっているようだった。
「業務内容の精査と、部門整理も必要かな。管理責任も半分は手放してもいいかと」
「あの、人員整理とか、誰かを解雇なんてしませんよね?」
「人が足りていないのに、そんなことしませんよ。むしろ何人か追加で雇う方向で考えています」
ジョイスにギルド登録魔術師の一覧も出してもらった。それによれば冒険者として、あるいは個人で工房や薬店を開き生活している魔術師は多いようだ。
「ダッタザートに登録の魔術師は三十二名か。増えましたね」
「アレ・テタルに比べれば少ないですよ」
「あそこと比べる必要はありませんよ。これから魔術学校も開いて育成に力を入れるんでしょう? ダッタザートはもっと大きくなりますよ」
医薬師ギルドにも属している治療魔術師が三人、薬魔術師は五人、魔道具師が八人、攻撃魔術師が十四人、錬金魔術師が二人。この一覧に領主が雇い入れた魔術師は含まれていない。アキラは他職ギルドとの仕事をギルド職員だけで回す必要はないと考えていた。街の魔術師でも可能な仕事は割り振ってしまえばいいのだ。冒険者ギルドが指名依頼を斡旋しているように、魔法使いギルドでも各魔術師の得意分野や魔術を把握しておき、それぞれに見合った仕事を仲介すれば良い。
「そ、そんな難しいこと、できるんでしょうか?」
「冒険者ギルドから職員を借りて、研修してはどうでしょうか?」
仕事の仲介斡旋業務については冒険者ギルドが得意としている。そちらのノウハウを取り入れて魔法使いギルド独自のシステムを作るのだ。
「ヒロに話を持っていけば協力を得られるでしょう」
「申し訳ないなぁ」
「あっちにも利があることなんですから、遠慮しなくても大丈夫」
アキラは手元の板紙に協力要請とメモを残した。そしてギルドの収入項目に目を移し、眉をひそめる。
「魔術素材をギルド職員が収集しているのですか?」
「冒険者だと間違いが多くて揉めるんですよ」
それなら魔術師職員が採取したほうが早くて正確だというジョイスの言い分は分かる。だが記録されているのは勤務の合間に採取できる数量ではない。
「このリストだと、冒険者ギルドで採取されている品も多いですし、少し整理してはどうですか。魔術師でなければ不可能な物だけ、掲示板で募集をかけるんです」
「街の魔術師は引き受けてくれるでしょうか」
「日誌を読んだ感じだと、ギルドを利用しているのは街の住人が多くて、魔術師は滅多に訪れていません。せめて週に一度はギルドに足を向ける策をひねり出すしかないですね」
ギルドに来れば掲示板も見るだろう。そこで簡単な採取や仕事があれば、ついでに引き受けようと考える者も出てくるはず。そのうち街の魔術師たちと話をする機会を設けてみよう。こちらもメモに書き加えた。
大雑把に業務を整理したアキラは、ジョイスに意見を求めた。だが彼は少し待っていてくれと言って席を外し、副ギルド長のパトリスを連れて戻ってきた。アキラを見た彼は納得したような顔で示された椅子に腰をおろした。
「お呼びだとうかがいましたが……?」
「意見を聞かせていただきたいのです。ジョイスさんはあなたが適任と判断したようですから」
「……もしかして、アキラ殿が新しいギルド長に?」
すうっと目を細めたアキラは、探るように金髪の魔術師を見る。
「そうおっしゃるということは、パトリスさんは現在のギルド長に問題があると感じておられたのですか?」
「ええ。ギルド長には申し訳ないのですが、危なっかしいなと感じていました」
申し訳なさそうな、だが率直なパトリスの言葉に、ジョイスはがっくりとうなだれた。
「もしかして、以前どちらかのギルドで役職についておられたのですか?」
「トレ・マテルです。以前は攻撃魔術師を管理する部門にいました。ギルドが解散状態になり、三年ほど前にこちらに流れ着きました」
なるほど、ドミニクの部下の一人かと納得したアキラだ。トレ・マテルの塔が地下に潜ってからは、多くの魔術師らが国外に逃れたと聞いている。ダッタザートに増えた魔術師らの何割かはオルステイン出身者なのだろう。
「私はジョイスさんに頼まれてダッタザートギルドの組織改革の手伝いをすることになりました。パトリスさん、トレ・マテルの組織運営を教えていただけますか? 各国によって組織構造は違うので、参考にしたいのです。私はアレ・テタルしか知りませんし」
「私のわかる範囲であれば、よろこんで」
パトリスの協力を得たアキラは、数日をかけてギルドの業務を洗い出し、たたき台になる組織構成案を作りあげた。
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「ぼ、僕がギルド長のままでいいんでしょうか?」
「トレ・マテルからきた私が立つといろいろな憶測を生みますし、魔法使いギルドの長は最も高位の色級魔術師が務めると決まっています」
赤級ならともかく、黄級のパトリスが青級のジョイスに代わるのは外聞が悪い。それだけでない、転移魔術陣とそれに関わるエルフとの契約が、パトリスでは魔力不足で結べないのだ。
「事務仕事が苦手なだけで、ジョイスさんは立派なギルド長ですよ。胸を張ってください」
「あ、アキラさんっ」
若々しく見えるとはいえ五十代後半のジョイスが、美貌の若造に励まされて涙をにじませる姿はなんとも不思議な光景だ。実はアキラが兄弟子なのではと疑いを持ったパトリスだが、それを表情には出さなかった。
「では最終確認ですが」
アキラの声で、二人は改革案に視線を落とす。
「今後ギルドでの基本錬金薬の製造は終了し、販売用の錬金薬は薬魔術師経営の薬店から仕入れることとします」
「販売価格をこれまでと同額にすると、利益が大きく下がりますね」
「冒険者は自身のギルドで購入する者がほとんどですし、魔力回復の錬金薬製造と販売はそのままですから、そこまで収益が下がることはありませんよ」
街の薬魔術師に任せられる仕事は任せてしまい、ギルドでは魔力回復薬を中心にした魔術師が必要とする錬金薬だけを製造する。
「魔道具の修理ですが、こちらも街の魔道具師の店を紹介し、ギルドでの扱いは終了します」
「修理費で揉めた苦情がギルドに持ち込まれることが多いのですが、そのあたりはどうするのです?」
「魔道具店や工房はギルドの認可を受けて開業していますから、苦情や価格への相談があれば、調査すると伝えればいいんですよ。ギルドの規定に照らして不正を働いている側を街兵に突き出すとはっきり伝えれば、不当な高額請求や値引きなどの難癖つけているほうは引くと思いますよ」
そういった役割は理論で対処できるパトリスか、見た目で怯ませられるヤニクが担当することになるだろう。
「他職ギルドの提携業務ですが、業務内容を精査し、専任制ではなく交代派遣が可能なように調整します。派遣する魔術師はギルド職員に限定せず、登録魔術師の中から紹介し派遣します」
「週に二回、派遣先の業務の報告をしてもらうことでギルドに足を向けさせ、掲示板の情報にも触れてもらうのですね?」
「ええ、農業ギルドの仕事は季節性のものが多いですし、職人ギルドもばらつきがありますからね。一年を通じて安定しているのは商業ギルドと医薬師ギルドくらいです」
契約の魔術については専任をおかず、ギルド職員を週交代で派遣すると決めた。
「ギルドの各業務ごとに責任者をおきたいのですが、職員の適性はご存じですか?」
「魔術の特性なら自信もって紹介できるのですが」
どうやらパトリスも事務的な方面までは把握できていないようだ。
「皆から聞き取って担当を決めるしかありませんね。今後の方針を説明する必要もありますし」
ここ数日、ギルドの日常業務は職員らに任せっぱなしだ。トップの二人とふらりとやってきた高位色級の密談に不安を感じているようだった。
「面接はジョイスさんとパトリスさんでお願いしますね」
「そ、そんなっ、アキラさんがやってくれるんじゃないんですか?」
「私もあまり得意ではないのですが」
「部外者が人事に口を出すのは良くありません。ダッタザートギルドはあなたたちのギルドなんですよ。お二人だけで不安だというのなら立ち会いますが、決定権はジョイスさんとパトリスさんにある、それだけは忘れないでくださいね」
にっこりとほほ笑んだアキラは、二人に責任者であることを思い出させた。
とにかく、なんとかたたき台は完成したのだ。やっと一息つけると表情をゆるませた二人に、アキラは新しい提案書を取り出した。
「次は魔術学校の準備ですね。開講時期は決まっていると聞いていますが、教師は誰が務めるんですか?」
「「あ……」」
「入学試験は? 教室はどこにするのですか? 教科や課程は? 事務方の職員も手配しないといけませんし」
二人とも組織改革にばかり頭が向いており、魔術学校のことはすっかり忘れていたらしい。開講日を三月一日と領主に届け出ており変更は許されないのに、ギルド改革以上に何の準備もできないと二人は青ざめた。
「入学を希望している生徒はいるんですよね?」
「よ、予定では四人です。神殿で魔力があると判定された子どもたちの中から、希望者は全員受け入れることになっています」
規定の魔力さえ備わっていれば入学可能、卒業試験で魔術師になれるかどうかの判定を行い、その先はどこかに弟子入りし魔術師を目指すのだ。
「その人数なら教師に事務員も兼任させても良さそうですね。入学試験を実施しないのなら準備はずいぶん楽ですよ」
「そ、そうでしょうか?」
「学長はジョイスさんで、副学長がパトリスさん。お二人が教師ですか?」
「教師はギルド長が務めます。私は攻撃魔術以外はさっぱりなので」
「ジョイスさんの仕事が増えるだけじゃないですか。ギルドの仕事を減らした意味がありませんよ。わかりました、教師を募集しましょう。その名目で街にいる魔術師全員と面接して、使える人材がいればギルドのほうでも仕事を回せば良いんですよ。常勤は無理でも非常勤講師や職員なら引き受けてくれるかもしれません」
武術大会に合わせて他所の街から集まってくる魔術師たちにも広く知らせ、優秀な人材を探せば良いのだ。
「課程は?」
「あ、アレ・テタルを基本にして、教科書は書庫にあるものを使おうかと」
「教室はどうするのです?」
「生徒が増えるまではここの二階を使うつもりです」
職員の打ち合わせや会議に使われている元居間を教室にするようだ。
場所と教科書の準備もいらないのなら、残るは教師を探すだけだ。これが最も難しいが、相応しい人材が見つからなければ、ギルド長の仕事のいくつかをパトリスに移行させジョイスが教壇に立つしかない。ギルド職員らの中に一部の科目でも教えられる者がいれば、その者に講師を命じれば良いのだ。
「うん、開講日に間に合います、いえ間に合わせますよ」
キラキラと銀の瞳を輝かせるアキラの様子に、ジョイスとパトリスは互いの震えを抑え込むように、無意識に手を取り合っていた。
+++
「お兄ちゃん、コズエちゃんから苦情がきてるの」
「ジョイスさんをあまり脅えさせないでください」
「ああ、アキのワーカーホリック質が暴走したのか」
「仕事でハイになってるときのアキラって誰にも止めらんねーよな」
「……心外だ」




