00 プロローグ/冬のはじまり
新聖暦 六百四十九年 十月三日
大陸最北の地は冬の訪れが早い。
十月に入ったばかりのその夜、例年よりも早くはじめての雪が降った。音もなく降った純白は、緑の残る草原を覆い隠し、朝になり昼を過ごしても消えることはなく、そしてまた新たな純白を重ねてゆく。そんな冬のはじまりの頃、彼らはこの街にやってきた。
「見えてきたぞ」
「あれがウナ・パレムの街か……」
不安と安堵の複雑に絡みあった表情の彼らは、乗合馬車の窓からしだいに高く近づく街壁を見つめていた。二人は身を寄せ合い、不安を掴んで握りつぶそうとするかのように、互いの手を固く握りあった。
「ここなら、大丈夫かな?」
「多分……いや、絶対に」
自信はない。だがそう自己暗示をかけねば平静でいられないほどに、彼らは疲弊していた。
乗合馬車は西門から街に入った。門兵詰め所前の馬車駅で馬車を折りた彼らは、曇った陰鬱な冬空を背にキラキラと眩しく輝く街灯を目の当たりにして、驚きに目を見張った。
「凄い、街灯があるよ」
「それもあんなにいっぱい」
「まるで、日本みたいだ」
「……明るい」
薄暗い街がたくさんの小さな太陽で照らされているように見えた。大通りの両脇に整然と並ぶ街灯を見あげた彼らは感嘆の吐息を漏らし、細めた目には涙が浮かんでいた。人工の灯りがこれほど懐かしく、震えるほどに嬉しいなんて、日本にいた時には思いもしなかった。異なる世界に見つけた故郷を思わせる小さな灯。それを見ているだけで肩の力が抜け、固く閉じていた唇が柔らかく弛んだ。
「なんか大丈夫な気がしてきたかも」
「うん、ここなら頑張れそうだ」
仲間たちが楽し気に思い思いの方向へ足を踏み出す中、毛糸の帽子の縁を引っ張って、深く眉まで隠した彼女は、隣に立つ年上の彼を見あげた。
「魔術師になるのってすごく難しいって聞いたよ」
「そうだね、でも俺くらい魔力があるなら合格できるって、推薦してくれた人が言ってただろ」
「この世界じゃ六歳ぐらいから修行はじめるんだよ。子供に交じって勉強するのって辛くない?」
「ちょっと恥ずかしいよ、でも俺は力が必要なんだ。身を守るための力が欲しい」
「私が一番力持ちなのに戦えないから……ごめん」
「謝るなよ。向いてないだけなんだから、仕方ないよ」
街灯の輝きに宥められていた心が、自己嫌悪に萎んでゆく。俯いてしまった彼女の背を、彼は励ますように撫でた。
「行こう、みんなが呼んでる」
乗合馬車の御者から提携している宿屋があると聞いた仲間が、早く暖かい部屋で落ち着こうぜと二人を急かした。大きなリュックサックにぎゅうぎゅうに詰め込まれた荷物を背負って、彼と彼女は仲間の後を追った。
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新聖暦 六百五十六年 二月二十七日
三人が魔術都市ウナ・パレムに着いたのは、二月もそろそろ終わろうという頃だった。深い雪の街道を走りぬいた乗合のソリ馬車は、予定より二日遅れで街に着いた。西の空が茜色に染まる中を南東門から街に入り、内側すぐに設けられている馬車駅で降りる。街壁の中は除雪が行き届いているようで、屋根に積もった雪は見えても地面にその痕跡はない。
門兵の審査を終わらせ、改めて街を眺めた三人は、無言で顔を見合わせていた。
コウメイは警戒するようにあたりをうかがっているし、アキラは顎に指をあてて思案し、シュウは居心地悪そうに尻をもぞもぞと動かした。
「なんか、変な感じがしねぇ?」
街には何処か陰鬱な雰囲気が漂っていた。宵闇に追われての不安や気鬱には見えない。あたりには街灯が立ち並んでおり、大通りは昼間ほどではないが明るく照らされているのだ。その中を人は忙しそうに行き交い、沢山の荷物を載せた馬車が走る。活気があるように見えるのに、何処か雰囲気が固かった。
「ピリピリしてて気味悪ぃよな」
「だな。表情が硬いというか」
「目が笑ってねーよ」
戸惑っているのはコウメイたちだけではない、乗合馬車から降りた他の客らも、奇妙な雰囲気に戸惑いを覚えているようだ。門兵らはコウメイたちの戸惑いに気づいていながら、あえて無視しているように見えた。
「とりあえず、宿だな」
三人は乗合馬車の提携している宿に向かうことにした。
宿は門から続く道沿いにある大きな建物だ。街灯が両脇に建ち並ぶさまを、ゆっくりと見物しながら歩いた。大通りだけとはいえ夜の街を照らす灯りは珍しく、シュウは足を止めては見あげたり柱を触ったりしている。
「どうしたアキ?」
街灯を見あげ眩しそうに目を細めるアキラの表情が強張っていた。そう、まるでこの街の人々と同じような、取り繕った笑顔で感情を覆い隠しているように見えた。
「何かあるのか?」
「……ここではまずい」
義眼で探ろうとしたコウメイを止めたアキラは、宿へ向かう歩みを速めた。
乗合馬車の提携している宿は、一階が食堂と受付を兼ねた作りの、何処にでもあるタイプの宿屋だった。温かな空気に迎えられたせいか、建物に入った途端に人々の表情から緊張と不自然な笑みが消えていた。早い夕食を取っている客たちは、肩の力を抜いて酒を楽しんでいたし、料理を堪能する様子からは表のような陰鬱な雰囲気は感じ取れない。
「いらっしゃい、この街は初めてかい?」
「ああ、ついさっき駅馬車で着いたんだ。とりあえず一泊頼むぜ」
「半券はあるかい?」
乗車券の提示を求められ、よくわからないながらも渡すと、女将はにっこりと笑って「夕食にエル酒が一杯サービスで付くよ」と愛想よく言った。
「部屋は三階の二の部屋だ、夕食付きで一人百八十ダル、前払いだよ」
鍵を投げ渡され、三人は食堂奥の階段をあがった。二の部屋はベッドが四つある部屋で、大通りに面している窓には、ガラスがはめ込まれている。
「ガラスの窓とか、贅沢だよなー」
「結構な大店っぽいな。上等の部屋なのに安いし、シーツも清潔だし、悪くはねぇ」
入り口に立って客室を観察していたアキラは、窓から一番遠いベッドを自分の寝床に定めてほっと息を吐いた。その表情は緊張が抜けきっていないように見え、コウメイが心配そうに眉をしかめた。
「どうしたアキ、さっきから様子が変だぜ。なにかあるのか?」
「……ある」
重く吐き出すと、アキラは窓の外を指さした。
「あれは魔道具だ」
「あれって、街灯が?」
それはあたりが暗くなると自動的に灯がともり、往く人々を照らす魔道具だった。この街の夜は他街と比べてとても明るいと有名だ。道沿いに光がともる景色は幻想的で、この景色を見るためだけに遠くからやってくる人もいるということだ。女将がコウメイたちにこの部屋をあてがったのも、街外からの旅人に対するサービスの意味合いもあるのだろう。
「街灯の魔道具だろ、それが何だってんだよー」
まるで日本のようだと懐かしく街灯を眺めていたシュウは、アキラの警戒を神経質だと聞き流した。
「……あれは盗撮の魔道具だ」
「は?」
「コウメイ、覚えてないか。アレ・テタルの宿屋での盗撮と盗聴」
「そんなこともあったな……まさかあれと同じヤツか?」
コウメイは窓際に張りついているシュウの隣に移動し、さりげなく眼帯をずらして大通りの街灯を視た。灯りの全てから魔力を感じ取ったが、二つに一つの割合でかなり強力な魔力を発しているものがあった。灯りの魔力が白黄だとすれば、それを覆い隠すように黒い魔力が禍々しく包みこんでいる。
「あれだな」
どうりでアキラの顔色が悪いはずだ。コウメイは窓際に貼りついているシュウを引っ張って街灯から死角となる位置に移動すると、アキラに自分の見たものを説明した。
「まるで監視カメラだな」
「マジかー。何のためにそんな物あるんだよ、意味わかんねー」
「監視じゃないのか? 犯罪抑止とか、まあ色々な目的があるんだろうけどな」
誰が何の目的で設置したのか想像はつく。街の住民らは盗撮の魔道具の存在を知っているからこそ、作り笑いを装い緊張した様子で歩いていたのだろう。
「スパイやりにくそーだな」
「まあ何とかなるだろ。ぱっと見た感じだけど、街灯は大通り沿いだけだったし、カモフラージュしてるとしたら盗撮も大通り限定だろ」
コウメイは街の地図を拡げ、先ほど確認した街灯の設置箇所を指さした。ウナ・パレムはコウメイたちが入った南東門の他に、北東門、西門、そして北西の湖門がある。それらの門をつなぐ大通りに街灯が設置されているが、いくら魔道具でも建物の中までは盗み見できないだろう。
「問題は魔法使いギルドだな」
全ての門から伸びた大通りの交わる中心部に、魔法使いギルドの塔がそびえている。ここに出入りするならば盗撮の魔道具を避けることはできない。それにこの分ではギルド内部にも侵入者を監視するような魔道具が山ほど取り付けられているだろう。
「今のところ不正侵入する予定はないから、見られているくらいは我慢するが、流石に住む場所は気を抜ける場所がいいな」
「えー、スパイなんだろ」
「覆面調査だ、妙な期待するな」
シュウは未だに秘かに侵入したり、存在するかどうかも分からない秘密結社と戦うことを諦めていないようだ。
その夜は宿で食事とエル酒を堪能し、街灯が眩しくて眠れないと理由をつけて雨戸を閉め眠りについた。
翌日、観光がてらに街を歩き回って監視魔道具の位置を把握し、冒険者ギルドでこれからの住まいを探した。立地と譲れない条件で絞った結果、大通りからは遠く、小ぢんまりとした古い一軒家に落ち着くことになった。
※アレ・テタルでの盗撮と盗聴については、本編第6部の「細くない腕による繁盛記9 本部呼び出し」を参照ください。




