他人の墓標
街道を外れ、平原や森を突き抜け、荒れ地をものともせず疾走する箱馬車は、屋根に寝転がるシュウが何度も落とされそうになるほど激しく揺れた。だが箱馬車内部には、車輪が石で跳ね上がる振動も、砂利だらけの川岸を走る騒音も伝わらない特別設計だ。エラと赤ん坊はゆっくりと休めているだろう。
「こいつ、アキの命令に忠実過ぎだろ」
「ボダルーダを目指せと指示したのはコウメイじゃないか」
主人の命令で走るアマイモ三号はご機嫌だ。目指すボダルーダまで休みなしに走り抜けてみせるとの気合いがみなぎっており、その気迫が荒っぽい走りに現れていた。久しぶりの再会と解放された喜びにひたる間もなく、コウメイは猛疾走の御者台から落とされないよう足置きを踏ん張っていたし、アキラは座面をしっかりと掴んで揺れに耐えている。
「なんでまっすぐダッタザートを目指さないんだ?」
「エラさんが受け取るはずの報奨金が残ってるだろ。それに、俺の身分証がな」
剣はシュウが買い戻したが、コウメイの身分証は取り戻せなかった。砂漠を越えても、冒険者証がなければ国境で止められてしまう。
「作り直すのか?」
「再発行ができればいいんだが、たぶん無理だろうなぁ」
四ヶ月も監禁されていたのだ、その間に子爵が何の手も打っていないとは考えられない。コウメイの指摘に、箱馬車の屋根に伏せしがみついているシュウがひょっこりと顔を突き出し、アキラが眉をひそめた。
「ボダルーダで届けた死亡記録が『コウメイ』にすり替わっているかもしれないのか……」
「んなことあるのかよー」
「俺をギャレットの身代わりに婚姻届と遺書まで書かせて、それを国に押し通すつもりの連中だぜ。赤ん坊に正当な跡継ぎであるって根拠を整えたんだ、あそこで死んだのはギャレットじゃなくて平民の冒険者じゃなきゃ不味いんだよ。そのくらいの偽装はするだろ」
貴族ならば平民の生死をどうとでも工作してしまえる。身分証があれば簡単だったろう。死亡登録されたはずの身分証の再発行は不可能だ。下手をすれば身分を詐称する犯罪者だと通報されかねない。
「再登録はダッタザートじゃないと無理か」
ヒロなら上手く誤魔化してくれるだろう。だがそれまでは現状でなんとか誤魔化すしかない。
「ギルドで正直に問い合わせるわけにもゆかない。墓標を確かめるしかないな」
「墓石の名前までコーメイに書き換えるとか、そこまでするのかよ」
「貴族が命令すれば簡単だろう。それに神殿は寄付金を積めばどうとでも動かせるしな。死体とそれを運んできた冒険者が瓜二つだったのはギルドの職員も見ている、人違いだった、入れ違っていた、という言い訳も通用するか……失敗したな。時間があったんだからこちらで口座を閉じるくらいはしておくべきだったか」
アキラは男爵令嬢にかまけていた数ヶ月を悔やんだ。
もしもコウメイの死亡が届けられていれば、国境を越えるのも難しくなる。
「最短で越えるだけなら方法はあるが」
「……それやりたくねぇから困ってんだよ」
何を躊躇うことがあるのかと平然としたアキラに、コウメイは苦虫をかみつぶしたような顔を向ける。二人の頭上からシュウが「その方法って何だよ?」と問うた。
「コウメイが死んだのなら、生きているのは?」
「あ、なるほどねー」
「気がすすまねぇんだよなぁ」
箱馬車に残されていたギャレットの冒険者証には、エラと夫婦であると記載されている。夫婦とその子どもと主張すれば国境兵は怪しまない。アキラとシュウは砂漠越えのために雇われた冒険者とすればいい。
「やっと身代わりから解放されたってのに」
気乗りしない様子でぼやいたコウメイに、アキラは何を優先すべきか考えろと静かに諭した。追っ手は貴族だ。子爵の孫を誘拐したも同然の自分たちは、間違いなく手配されるだろう。優先されるべきは追っ手よりも先に、誰にも止められることなくサンステンを出国することだ。
「一度引き受けたんだ、最後まで身代わりを果たせ」
「……わかってるって」
コウメイは深々と息を吐いた。
+++
目を開けたとき、最初に見えたのはやさしい小さな光だ。彼女は右の脇にぴたりと寄り添うあたたかな重みを抱き寄せた。
「あたし……生きてる。赤ちゃんも、あったかい」
抱きしめる腕に力が入ると、赤ん坊がむずむずと動き、あくびとも吐息ともわからない声をあげる。完全に目覚めた赤子は、激しい泣き声をあげた。
産んだ直後にブルーノに奪われ、毒を飲まそうとする治療魔術師と争っていたエラは、元気な赤ん坊の泣き声を浴びて喜びと力が湧いてくるように感じた。
「あたしの、赤ちゃん」
耳に突き刺さるような元気な声が嬉しい。この子は何を主張しているのだろう。母親なのに、どうすればいいのかわからない。激しくなる声に、エラはぎゅっと赤ん坊を抱きしめた。
困り切っていた彼女は、ノックというには強い音に救いを求めた。
「助けて!」
その声に応えて部屋に入ってきたのは銀髪の美丈夫だ。コウメイの仲間である彼がいるなら、自分たち母子は無事に子爵邸から逃れられたのだろう。安堵に背中の力が緩んだ。
「体調はどうですか? 気持ち悪くなったりしていませんか?」
「すごく良いけど、気分は最悪かも。この子がなんで泣いてるかわからない、どうすればいいの?」
「私も赤子の世話は詳しくないのですが、まずは乳を飲ませてあげてはどうでしょう?」
そう言いながらアキラは魔道ランプの灯りを大きくした。クッションを彼女の背に差し込み体を支え、あちこちを指し示しながら説明する。
「そこのハンモックに柔らかい布や綿を入れてあります。自由に使ってください。それと水分補給は枕元の水筒で。汚れ物はこの箱にまとめてください。落ち着きましたら声を掛けてくださいね」
やさしげな微笑みとともに簡易カーテンが閉められた。薄布とはいえ赤ん坊と二人だけの空間を得て彼女はほっと息をつく。
ぷくりとした口に胸を近づけると、ぴたりと泣き止んだ赤ん坊が必死に吸い付く。痛いようなくすぐったいような不思議な感覚を楽しめたのはそれほど長くはない。すぐに満腹になった赤子は、乳首をくわえたまま眠ってしまった。
「ええと、コウメイ?」
躊躇いがちに呼ぶ彼女の声に応えたのはアキラだった。カーテンを開けてあらわれた彼は、粥の椀をエラに渡し、椅子代わりの荷箱を引き寄せて座った。
「お疲れ様でした。これからのためにもまずは体力を回復させましょう」
「美味しそう、お腹がすいてたの、嬉しいわ」
湯気の立つ粥の香りに空腹を思い出した。塩気はないのに物足りなさを感じさせない粥を、エラはしっかりと味わって食べている。アキラは彼女が食べている間に現状を説明していった。
「現在地はボダルーダまで半日というあたりまで来ています」
「あたし何日眠ってたの?」
「ほんの一日ほどですよ。この馬車はどこの街にも寄らずに走り通しなので」
だとしても早すぎる。エラは不気味さを堪えるように眉根を寄せる。
「砂漠に向かう前にボダルーダに寄り道をします。場合によっては冒険者ギルドに寄るかもしれませんが、あなたを馬車から降ろすことはできません」
ボダルーダのギルドで受け取る予定の報奨金や、預けてあった財産はダッタザートでも受け取れると聞いてエラは安心した。
「国境ですが、コウメイの冒険者証は子爵に取られて使えません。ギャレットさんとしてウェルシュタントに入国することになります……ご主人の身分証を使ってもかまいませんか?」
「いいよ。身分証を再発行している時間はないんだね?」
「ええ、スピード勝負ですから。それと私とシュウはあなたたち夫婦に雇われた冒険者として国境を越えます」
エラの入国理由は里帰りだ。赤ん坊を連れていれば疑われることもないだろう。
「早ければ二日後、遅くとも三日後にはダッタザートに入ります」
「……やっぱり早すぎない?」
「この馬車も我々の馬も特別製ですから。エラさんは何も心配しなくてもいいんですよ。赤ちゃんと一緒に体力回復に努めていてください」
砂漠で助けられたときも、ボダルーダの街を移動していたときも、奇妙な馬車と馬だと不審に思っていた。だが追及するのは自分のためにならないと、彼女はアキラの表情を見てぐっと堪える。
「お代わりは必要ですか?」
「え、もらっていい? すごく美味しくて」
体調を考慮してか粥はずいぶん控えめな量だった。物足りなさが顔に出ていたのかと恥ずかしそうに空の椀を返す。用意してくると立ち上がったアキラに、彼女は上目遣いでたずねた。
「あのさ、コウメイは? コウメイも無事に脱出してるんだよね? お礼を言いたいけど、どこにいるの?」
「御者台ですよ。ずっと閉じ込められていたから、しばらくは開放感に浸りたいようです」
お代わりを食べたらゆっくりと休んで、子どもとの時間を楽しんでくださいとほほ笑むアキラに、エラはそこはかとない拒絶の気配を感じた。自分のために時間も労力も浪費させた自覚のある彼女は、馬車の外に出るなと言われれば無視できない。
「あとでシュウが見舞いに顔を出すそうです。邪魔だったら追い出してくださって結構ですよ」
二杯目はエラの食欲に合わせてたっぷりと盛られていた。
満腹が誘う眠気に身を任せる前に、赤ん坊のおむつを替える。寝台から動かなくても全てに手の届く便利さに、この馬車の持ち主の心遣いを感じた。乳を吸わせている間にじっくりと我が子を観察する。
「髪は濃くなりそう」
ふわふわとしたやわらかな髪は、エラの赤みがかった栗毛よりもずっと濃い。赤ん坊でこの色なら、成長すれば黒に近くなりそうだ。
「目の色は何色だろう……黒、にはならないか」
自分と同じなら緑、夫と同じなら青みがかった濃い茶色だ。それを残念に思う自分自身に驚き、彼女の眠気は吹き飛んだ。
赤ん坊をしっかりと抱き直し、ぬくもりと柔らかさを確かめる。
「ごめん、ギャレット。でも……あなた、いなくなっちゃったじゃない」
生まれて間もない赤ん坊は一度にたくさんの乳を飲めない。もういらないとばかりに手足を動かされ赤ん坊を寝かしつける。壁と体の間に挟んで横になった彼女は、硬く目を閉じ眠りに逃げ込んだ。
+
次に彼女が目が覚めたのは、天井から聞こえたずしんとした物音のせいだった。
「あー、起こしちまった?」
「大丈夫。あんたいつも天井裏にいるのね」
ノック音に続いて天井が大きく開くと、シュウが顔を出した。砂漠からボダルーダへの移動でも子爵邸でも、いつもシュウに見おろされていたなと彼女から思い出し笑いが漏れた。
するりと室内に降り立ったシュウは荷箱に腰を下ろし、赤ん坊を興味津々にのぞき込む。
「はー、ちっちぇー。抱っこしても大丈夫か?」
「どうぞ。赤ちゃんははじめて?」
「三歳くらいの子なら遊んだことあるんだけどさー、生まれたてを抱っこするのははじめてだな」
緊張で固まっているシュウが、肘を曲げて作った窪みに赤ん坊を乗せる。太くしっかりとした腕は安定しており不安を感じないのだろう、赤子はすやすやと心地よさそうだ。
「性別はどっち? 名前は決めたのか?」
「男の子だよ。名前は……どうしようかな」
「考えてねーのかよ」
夫婦で話し合ってなかったのかと問うシュウを、エラは曖昧な笑みで誤魔化した。
「男の子かー、父親に似たらモテるんだろーなー」
「やっぱりそう思う?」
「母親に似ても人気者だと思うぜー。エラさんもモテただろ?」
「どうかな。あたし、自活するのに精一杯だったから」
薬草冒険者として稼げるようになるまで、彼女はなりふり構わなかった。薬草知識も採取技術も常に磨き続けなくてはならないのだ、言い寄ってくる男を相手にしている余裕はなかった。稼ぎのいい男を捕まえるよりは、自分の足で立つ生き方のほうが彼女には向いていた。そんな自信に満ちあふれたエラの表情が不安に曇る。
「この子を産んだことは後悔してないけど、育てていけるかどうか……とても不安」
「故郷に家族がいるんだろ?」
「両親は生きてれば、たぶんね。兄弟は残ってないと思う。あたしよりも先に冒険者になったから、村を出てると思う。知り合いくらいならいるかも」
「知り合いかー。けど故郷なら助け合えるんじゃねーの? 一人で育てるより、誰かに助けてもらえる環境は心強くねーか?」
そうね、とエラは寂しげに目を伏せた。
寒村を捨てた身だが、薬草冒険者の知識があれば受け入れてもらえるだろう。けれど赤ん坊を連れて一人戻ったことで、何を噂されるかわからない。夫を連れて戻ったのなら歓迎されるのは間違いないのだが。
「……コウメイに、いい人いるの?」
エラは上目遣いにシュウの反応を探った。
「彼の好み、知ってる?」
「それ聞いてどーすんだ?」
「その顔、わかってるんでしょ」
ピクリとシュウの眉が跳ねる。
「もしかしたら間違ってるかもしれねーだろ。エラさんの口から聞きてーんだよ」
「あたしは、駄目だと思う?」
やっぱりか、とシュウの眉間に皺が寄った。
「やめとけって。コウメイはギャレットじゃねーんだぜ」
「でもずっと、あたしを助けて、守ってくれた」
霊園手前で花を買おうとしたときも、子爵に脅されて足を折られたときも、毒を盛られ続けていた間も、コウメイはずっと側で守り続けてくれた。
「依頼主なんだから当たり前だろ」
「違う、そのときはまだ依頼の前だったわ。それに依頼はきっかけで、コウメイだってあたしのことを思ってたはず。でなきゃ貴族に逆らってまで守ってくれるはずないでしょ」
エラの声に含まれた儚い願望に、朗らかだったシュウの顔つきが、突き放すような、それでいて哀れみの滲むものに変わった。
「俺たちにとって貴族だろうが王族だろうが関係ねーんだよ。一度引き請けた依頼は、こっちからは反故にしねーのが俺たちの方針だ。勘違いするな」
「だからそれは」
「考えてみろ、あんたが目覚めてから一度も、あいつは顔見せてねーだろ」
「それは狭いところが嫌になったからだって」
そうじゃねーよ、とシュウは苛立たし気に髪を掻きむしった。
「そういう理由にしとかねーとあんたが傷つくからって、切り捨てようとするのを止めたんだよ」
自分を見るエラの視線や表情が熱を帯びはじめたと気づいたコウメイは、脱出直後から徹底的に彼女を避けていた。赤ん坊と過ごす間にその感情が消えるのならいい。だがそうでなければ徹底的に突き放すと決めたコウメイを止めたのはアキラだ。理不尽な暴力で夫を失い、貴族に連れ去られ、暴力を受けて閉じ込められ、不安な中で出産するしかなかったエラをこれ以上打ちのめすな、と。
「コウメイはあたしに会いたくないの?」
「ギャレットの身代わりになるつもりはねーってさ」
「身代わりじゃない、あたしはコウメイが」
「それ以上は本当にやめとけ。あいつはあんたと赤ん坊を砂漠に捨てるくらい平気でするぜ」
「まさか」
「依頼はギルド経由じゃねーんだぜ、反故にしたって俺らは何も困らねーよ」
「あ……あたしは、コウメイが……」
「最初にあんたの悲鳴を聞きつけたのも、砂漠で駆けつけたのも俺だ。それを後悔させねーでくれ」
震えるエラの両腕に赤ん坊が戻された。もぞもぞと動く赤子は、母親の悲しみと混乱を感じ取ったのか、激しく泣きはじめる。
抱きしめ、声を掛け、やさしく撫でても、赤ん坊の声は止まらない。箱馬車の外にも聞こえているだろうに、コウメイが様子を見に来る気配はなかった。
「……ギャレットなら、心配して飛び込んでくるのに」
赤ん坊の声に紛れた悲しげな呟きを拾って、シュウは彼女にたずねた。
「ギャレットってどんな奴だったんだ?」
「穏やかでやさしくて、すごく心配性だったよ」
やさしく赤ん坊の背中を撫で叩きながら、エラは夫と暮らした日々を懐かしく思い出す。
生活が安定して余裕ができたころにギャレットと知り合って意気投合し、彼とならば並んで歩いて行けると思ったから結婚したと彼女は思い出を語る。
「あたしが一人で薬草採取に行くって聞いてすごく心配してね。頭はいいのに冒険者の知識が拙くて、生きるのが下手だった……稼ぎはなくて頼りない、でも必死に頑張っているギャレットとの生活は幸せだったな」
「コーメイと真逆じゃねーか」
「……コウメイもやさしかったよ。でもそれはあたしが依頼主だったからなんだね」
やっとわかった、とエラは切なげにほほ笑む。
母親の心が落ち着いたのを感じたのか、それとも心臓の鼓動に合わせたリズムが心地よかったのか、赤ん坊の声はしだいに小さくなり、やがて寝息に変わった。
「赤ん坊を抱えて不安なのはわかるぜ。支えてくれる旦那が欲しくなるのも当然だよな。けどよ、それはコウメイ以外の奴にしてくれねーかな」
「コウメイ以外というなら、シュウ、あんたはどう?」
「は?」
「あんた、胸の大きな女性が好きでしょ?」
エラは赤ん坊を片腕に移動させて、シャツのボタンが窮屈そうな胸をシュウに向ける。ニンマリとした彼女の笑みは、弟をからかう姉のような意地の悪さがあった。
「あたし自信あるんだけど」
「そりゃデケーのは嫌いじゃねーけどさー、あんたのソレ、あと一年ちょっとは赤ん坊のものだろ」
魅力的な膨らみを赤ん坊と奪い合う趣味はないと言い切ったシュウに、彼女は声を上げて笑った。
「あはは、そうだね。このおっぱいはロベルトのものだね」
「ロベルトって、その赤ん坊の名前か」
「女ならロレーナ、男ならロベルトにしようってギャレットが決めてたんだよ」
そう言って息子のやわらかな髪を撫でる彼女は、覚悟を決めた母親の顔をしていた。
+++
開け放たれた天井から見える空と雲が、茜から紫に染まってゆくのを眺めながら、エラはアキラとシュウの三人で粥を食べた。コウメイは御者席で見張り当番だ。おそらくエラと顔を合わせたくないのだろう。
「夜明けのころにボダルーダに着きます」
「街に寄るの?」
「いえ、墓地で確認が済めばそのまま砂漠に向かいます」
「あの後ギャレットはどうなったのかな……」
埋葬に向かう途中で襲撃を受け連れ去られたため、残されたギャレットの遺体がどうなったのか彼女は知らない。アキラの言葉を聞くまですっかり忘れていたと彼女の落ち込みは深い。
「ちゃんと埋葬して墓標もありますよ。これをお渡ししておきますね」
「埋葬してくれたんだ。ありがとう……高くない?」
手渡された埋葬料と墓石代の合計額に彼女は顔をしかめている。
「適正ですよ」
「コウメイと同じ顔の奴の墓だからなー、あんまり安っぽいのはカワイソーかなって」
「墓標を見て拗ねられたら鬱陶しいので」
「あはは、コウメイってそういう面があるんだ?」
「あいつ意外と面倒くせーんだぜ」
何ヶ月も一緒に監禁生活を送ったというのに、二人の話すようなコウメイの姿をエラは知らない。自分が見ていたのはコウメイの仕事の顔だけだったのだと、嫌でも思い知らされた。
「申し訳ないのですが、ハンモックを使わせてもらいますね」
「カーテンがあるから平気だよ。それよりロベルトのせいで眠れなかったらごめん」
「大丈夫ですよ。私もシュウも眠りは深いので」
「ならシュウも屋根の上なんかじゃなくて寝台使ってよ」
「彼の寝相は危険です。赤ちゃんに何かあったらどうするんです」
屋根の上が一番安全だという寝相とはどんなものなのか、興味をそそられたが赤ん坊の安全には換えられない。エラは毛布を手に屋根に上がるシュウに笑顔で手を振った。
心地よい振動に誘われて眠りに落ちたエラは、おむつの不快感を訴えたり母乳を求める泣き声に何度も飛び起きた。カーテン越しに聞こえてくる寝息は規則正しく、アキラを起こさずに済んだとほっとした。
何度目に起こされたときだっただろうか、乳を飲ませていると馬車の振動がぴたりと止まった。天井が控えめにノックされ「着いたぜ」とシュウの声が呼ぶ。赤ん坊の泣き声では起きなかったアキラが、シュウの声ですぐにハンモックを降りる気配がした。
「外に出る準備をしてください。急がなくても大丈夫ですよ」
ロベルトに乳を飲ませ終え、身支度を調えてカーテンを開けた。御者台のあたりから外の光が漏れ入っている。その光に誘われて、エラは息子を抱いたままはじめて箱馬車の外に出た。
空の半分が朝の色に塗り替えられたばかりの早朝だった。
砂漠からの乾いた空気が、彼女の髪を乱し視界を邪魔する。
前髪を押さえて瞬いたエラは、ここが霊園墓地だと気づいた。
「ギャレットの墓標はあちらです」
アキラが先導し、シュウが彼女の背を守って歩く。馬車の番をするというコウメイの姿は見えない。彼女は早朝の静かな霊園に入った。
まだ新しい墓標の並びの、冒険者には立派すぎる石のそれの前でアキラが足を止める。彼は墓標に刻まれた名を見てため息をついた。
「これはゾーラント子爵の仕業でしょうね」
「やっぱコーメイが死んだことにされてるみてーだな」
「……なんてことを」
我が子の死を他人とすり替えるなど、冒涜以前の問題だと、エラは激しい怒りを覚えた。
「幸いに掘り返した様子はありません。このままは辛いでしょうから、いずれ神殿に墓移しを依頼するといいですよ」
金と時間はかかるが夫を故郷に連れて帰ることは可能だ。そう助言されて彼女は小さく頷く。
そして墓標を見つめていた瞳が、静かに逸らされた。
「……さよなら」
小さく別れを告げて、彼女は静かに墓地を去った。
+
必要な確認は済んだため、彼らはボダルーダの街には入らず、そのままウェルシュタントを目指した。
ラカメルよりも速く走る馬に引かれた箱馬車は、二晩もかからずに砂漠を越えた。
国境ではアキラを見て頬を染めた一人の兵士から、コウメイの身分証を持つ者が手配されていると聞き出した。ギャレットの身分証を提示した眼帯の色男は止められることなく無事に国境を越えた。
橋を渡り、ウェルシュタントに入った途端、風が変わった。
「懐かしい草の香りがする」
豊かな水と草木の色鮮やかなダッタザートに、彼らはようやく帰ったのだった。




