芽生える感情
大きな体だというのに、シュウは音も立てずに天井裏から降り立った。部屋を見渡して鼻を鳴らす。
「いい待遇じゃねーか」
「どこがだ。見張りと鉄格子付きの監禁部屋だぞ」
神経を研ぎ澄まし続ける監禁生活を好待遇とからかわれ、コウメイの頬が不満に引きつった。
「けどベッドは大きいし静かだろー。俺なんか歯ぎしりとイビキのうるせーマッチョらと雑魚寝なんだぞ」
「こっちは甲冑兵に見張られながら筆跡練習に、毎回の食事で毒盛られてねぇか警戒必須だし、彼女の体調にも配慮しなきゃならねぇし、胃が痛ぇ」
互いに不満を吐き出した二人は、どっちもどっちだと笑い合う。
「アキはどうしてる?」
「俺より文通してるコーメイのほうが詳しーだろ?」
「魔紙の枚数が残り少ねぇんだよ」
緊急時をのぞいて三日に一度のやりとりでは必要最低限の情報しか伝わってこない。コウメイが「土産は?」と差し出した手に魔紙の束が渡された。
「おじょー様のヒスをなだめながらすげー媚薬を作らされてる。あとコウメイの記憶を取り戻す薬も」
「最近届いてた妙な薬はソレか」
ブルーノは男爵令嬢の頻繁な訪問を断り続けていたが、いずれ破談にするとはいえ現婚約者を無碍にもできない。仕方なく受け取った手土産のいくつかが、執事のチェックをくぐり抜けてコウメイの手元に届いていた。事前にアキラから連絡をもらっていたため、それらは自分を子爵令息だと信じている使用人らに、細々とした仕事の駄賃として渡した。錬金薬を飲んだ何人かが体調を崩したことでさらに人手不足が加速しているが、全ては婚約者令嬢の手土産とブルーノのチェックミスが原因だ。
「で、わざわざ顔を出したってことは状況が変わったんだな?」
コウメイは格子窓を背に椅子に座り、窓から室内を隠す。シュウは壁に背を預けて陰に身を潜めた。
「どーだろ。コウメイ、部屋の外のこと、どれくらい知ってる?」
「アキ経由の情報以外はほとんど入ってこねぇよ。俺が外部と接触できてるのは、婚約者殿の見舞いを断わった詫び状のやりとりくらいだ」
「おじょー様とも文通してんのか」
「してねぇよ。俺がしてんのはサインだけだ。文面整えてるのは執事だぜ」
男爵令嬢の攻撃が執拗かつ狡猾になってきたため、見舞いへの礼状でマリアナ嬢をなだめる作戦に変えた。ブルーノが書いた手紙の最後に、コウメイがギャレットの字を真似てサインを入れている。
「じゃ、鉱山の麓の森でスタンピードが起きそうだってのは?」
「初耳だ」
コウメイはシュウが無事館に潜入したと連絡を受けていたが、そのきっかけや鉱山の状態までは知らされていなかった。シュウが討伐したゴブリンの様子とその数から、近々森の魔物があふれるのは間違いなさそうだと結論づける。
「なるほどな、最初の顔合わせの後、一度も当主が戻ってこねぇのはそれが理由か」
伯爵家騎士団の団長を務める子爵は、伯爵家とその領地の一大事を放り出して私事にかまけてはいられない。主要な騎士を率いて鉱山の警備に当たっているとしたら、子爵家に残されたのは見習い騎士ばかりの可能性が高い。邸宅の人材不足が深刻なのは、婚約者の買収だけではなさそうだ。
「ふもとのゴブリンの討伐は他所の街のギルドに応援を頼んだって話だ。近いうちに大規模討伐をやるらしーぜ」
「……タイミングが合えばラッキーだが、こればかりはなぁ」
「何のタイミング?」
「出産とスタンピード」
直後に脱出すると決めているが、そこにスタンピードの騒ぎが重なれば子爵家は追っ手を出している余裕はなくなる。マリアナ令嬢に出奔が知られたとしても、貴族の義務としてスタンピードから領地と領民の守りを優先するしかなく、すぐには追いかけられない。
「そんなに都合良くいくわけねーだろ」
「わかってるって」
シュウはコウメイが何を企んでいるかを察し、嫌そうに顔をしかめた。手段はあっても実行するつもりはないとコウメイは苦笑いで返す。
「それで、いつごろ生まれそーなんだよ?」
「治療魔術師によれば、近々だそうだ」
「具体的には?」
「予定通りにゆかねぇのが出産だぜ」
砂漠で助けたときの彼女は、膨らみはじめた腹部を衣服で隠していた。あれから四ヶ月近くが過ぎ、現在のエラの腹部は、爪先を見るのも苦労するほどに大きく膨らんでいる。治療魔術師やエラ本人の様子から、コウメイはあと十日前後とみていた。
「出産がはじまったら 館の空気が変わるからすぐにわかる。脱出は直後だ。彼女は寝てるだろうからそのまま運び出す」
「しばらく安静にしてなくていーのかよ?」
「出産直後は俺たちへの警戒がゆるむんだよ。それに昨日辺りから不穏な書類に山ほどサインさせられてる、彼女の体力の回復を待ってる余裕はねぇだろうな」
男爵令嬢が手紙の署名に疑いを持たなかったことから、次は冒険者ギルドへの依頼書や簡単な商取引の承認書類にギャレットとしてサインをさせられた。伯爵家を経由して子爵へ送った手紙にも、コウメイがサインを代筆している。伯爵家の者に偽筆と疑われることはなかったし、子爵からもこれで良いと返事がきている。
「不穏な書類って、なんだよ?」
「婚姻誓約書と遺言書」
「結婚、おめでとー、先越されたなー、羨ましーぜ」
「結婚したのはギャレットだ、俺じゃねぇ」
嫌みっぽくからかわれたコウメイは灯りのついていない魔道ランプを投げつけた。音も立てずに受け取ったシュウは、代わりに複数の魔石を投げて寄こした。結界魔石だ。コウメイは素早く懐にしまい込む。
「しっかし露骨だなー。コーメイが文字読めねーと思ってんのかよ?」
シュウは馬鹿にしすぎだと呆れているが、コウメイが暇を見つけては本を読んでいるのを知っているブルーノは、知られたくない内容は貴族独特な言い回しと古代語を使っている。
「普通の冒険者は貴族言葉なんて知るわけねぇし、古代語も当然読めねぇ」
「コーメイ、どっちも読めるじゃん」
「アキのおかげでね……そういうわけで、貴族のギャレットも数日前に彼女と結婚したことになっている」
コウメイが別室で代役を務めている間に、エラも署名させられたのだろう。貴族言葉を読めない彼女は、何に署名したのか理解していなかった。コウメイはブルーノが差し出したそれを素早く読み、理解できないふりをしてサインを入れた。今ごろは子爵の手元に届いているだろう。
「婚姻誓約書は孫の出生と同時に国に届けるんだろうぜ、エラの死亡届と合わせてな」
署名させられた遺言状には、妻と子どもに自分の全てを相続させる、と書かれていた。病弱だと広く知られているため、出産で妻が亡くなった心労で倒れたギャレットが回復せず死んだことにでもするのだろう。
「なるほどねー。いつでも始末できる用意ができてんのかよ。そりゃ猶予ねーわ」
出産直後は外側への警戒は高まるが、エラの体が回復していないため内側への警戒は緩くなる。そこがもっとも確実なチャンスだ。
「エラさんから体質と効きにくい薬草の種類や薬を聞き出して、アキには発注済みだ。明後日には完成するそうだ」
「シフトが詰んでるから街に出る暇ねーよ。見回りの時間に合わせて持って来いって言っといてくれ」
コウメイはシュウの目の前で手早く魔紙に用件を書き込む。
「街を出たら寄り道なしの一直線、ボダルーダに向かう」
ダッタザートじゃないのか、と目を眇めるシュウに、コウメイは醒めた笑みで返した。
「国境を越える前に財布を膨らませなきゃならねぇからな」
ボダルーダのギルドに預けっぱなしになっているギャレットの財産を引き出さなければ、コウメイは依頼を完遂させても報酬を受け取れないのだ。彼は後払いや分割払いを認めるつもりはない。依頼の終了と同時に、ギャレットとエラとの奇妙な縁をすっぱりと断ち切る気でいた。
決別する気でいるコウメイを、シュウは不思議そうに眺めた。
「そうは言うけどさー、実際のトコロ、どーなんだよ?」
「何がだ?」
「エラさん」
思いのほか真剣な顔が、まっすぐにコウメイに問いかける。
「情が湧いてるんじゃねーの? 面倒見の良さがハンパねーし」
「ねぇな」
コウメイは即答したが、シュウは引き下がらなかった。
「えー、いつものコウメイならとっくに見捨てて脱出してるだろ。らしくねーよ」
「……そうかもな。けど、俺が見捨てられないでいるのはギャレットだぜ」
「そっくりさん? 死んでるのに?」
驚くシュウに、コウメイは「顔だけじゃねぇんだよ」と苦笑いでぼやいた。
「奴の生まれ育った境遇と、赤ん坊がここで育つ未来がな、なんか似てて嫌なんだよ」
顔だけならとっくの昔に切り捨てていた。そうではなかったから、らしくなく死者の代わりにあがきたくなったのだ。
「ふーん、顔が似てると境遇も似るのかねー」
「勘弁してほしいぜ」
「それならさー、ギャレットと同じでエラさん気になったりしねーのかよ? 彼女だって旦那と同じ顔のコーメイを嫌うはずねーし、エラさんけっこう可愛いし、ぐらっときたりしねーの?」
ガリリと、コウメイの手の中で結界魔石が嫌な音をたてた。
「ねぇつってんだろ。人妻に興味はねぇよ」
「だんなはとっくに死んでるんだぜ」
「書類上は生きてるし、婚姻誓約書にサインをしたのはギャレットだ」
それ以上無駄口を叩くな、と殺気を放つ。
自分に向けられた怒気から跳び逃げたシュウは、そのまま天井裏に戻る。
「ほんと、コーメイは贅沢だよなー」
シュウは呆れの一言を残し、ひらひらと手を振って天井の穴を塞いで姿を消した。
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この館で子を産むと覚悟を決めたエラの日課は、監視の目のなくなるタイミングでの運動だ。朝食を終えた彼女は、召使いが部屋を出て行くのを待ち構えて室内の散歩をはじめた。
「うん、順調」
出産に向けて体を整えるため運動をしたいと、エラはブルーノやリネット治療魔術師に庭の散歩を要求したが許されなかった。リネットはしきりと「安静を」と繰り返し、エラをベッドにとどめようとする。エラは幼いころに母親の弟妹の出産を経験しているし、薬草冒険者としての知識もあって、リネットの思惑がエラの足腰を弱らせたいのだと見抜いていた。
出産だけでなくその後の逃走を考えれば、足で歩ける状態を維持しておきたい。召使いや見張り、リネット医師らの前では辛そうに伏せている姿を見せ、一人のときはとにかく足腰を鍛えた。
「見張りも気づいてないし、治療魔術師のくせに筋肉の状態も見分けられないなんて、あいつも偽者なんじゃ?」
鉄格子越しに見える甲冑の兵士は、室内をのぞき込むなと命令されているのか、いつも窓に背を向けたままだ。何かしらの拍子に見られたとしても運動とは思われないよう、彼女は室内歩行時には必ず本を手にしていた。読書のために本を運んでいるように見えるだろう。
室内を何周も歩いて本を置いた彼女は、両手で支えるように腹を抱いた。
「ちょっと位置が下がってるような……?」
そろそろかと、彼女は気持ちを引き締める。
産み月が近くなってからというもの、リネットの診断は朝昼夜の三回に増えた。治療魔術師としてのリネットは信用ならないが、出産を多く扱ったことがあるという言葉に嘘はないようで、彼女は赤子の現状を正確に掴んでいる。
昼食前の診察に訪れたリネットは、エラの腹を診察して出産が近いと断言した。その言葉を聞いた見張りの侍女は即座に執事に報告している。出産の準備などこの館にある物で事足りるのにと、夕方に代役から戻ったコウメイに疑問をぶつけると、彼は厳しい表情で彼女の言葉を遮った。
声を出すな、と手振りで示したコウメイは、チラリと窓の外の兵士の背を確かめてから、自分たちの周囲に魔石を置いた。
「その魔石、何?」
「ちょっとしたおまじないだ。それと連中が準備するのは出産のためじゃねぇ」
「じゃあ、なに?」
「俺らを始末する準備だ」
「や……やっぱり、そうなんだ」
「間違いねぇだろう。館の下女が薬魔術師を訪ねて、薬草の調達を依頼していたって仲間から情報が入っている」
過剰摂取すれば心臓発作のような症状を起こす毒草を買い求めたそうだ。出産を終えたエラに回復薬とでも言って飲ませるつもりなのだろう。コウメイの言葉に、エラは息を詰めた。
「依頼通りあんたと子どもを逃がす。だから俺たちの指示には必ず従ってくれ」
「覚悟してる。そのつもりであたしも準備してきた」
「……これを渡しておく」
手の上に置かれたものを見て、エラの顔が驚きと脅えに強張る。治療魔術師や執事、侍女らの用意する薬を飲むなと警告したその直後に、怪しげな錬金薬の瓶を渡されたのだ。警戒するなというほうが無理だろう。
「それはあんたを丸一日眠らせる薬だ。信用できる薬魔術師に作らせた」
どうやって監視の目をくぐり抜けて薬を手に入れたのかと、エラの胸に疑問が次々と湧いてくる。
「決行は子どもが生まれた直後だ。産婆になるかリネットになるかわからねぇが、そいつの手から赤ん坊を強奪する」
「そんなに急ぐの?」
「あんたの体力が回復するまでが勝負だ。連中は俺があんたを残して逃げられねぇって思ってるから警戒はゆるむはず。そこを逆手にとって脱出する。あんたは俺たちが運ぶ。辛いだろうからあんたにはその薬で眠っててもらいたい」
エラは手の中の錬金薬を握りしめた。コウメイの言う直後は、本当に直後だ。さすがに立って歩けはしないだろう。眠っている間に脱出が終わるのなら負担も疲労も軽く済むだろう。だが、と。彼女の視線は手の中の薬瓶とコウメイの間を何度も行き来する。
この薬が毒ではないと、意識を失った自分を残して彼だけが逃げないと信じられるのか、と己に問う。その答えはすぐに出た。裏切るなら、逃げるなら、もっと早く自分を残してこの館から去っているはずだ。この錬金薬や仲間からの情報を得られるコウメイは、それが可能なのだから。
「わかった」
エラは力強く頷いた。
決意と感謝と、わきあがる感情を込めて、全てをコウメイに託すと決めた。
「産後の処置を終えたら、すぐに飲む。だから後はお願い」
気負いすぎたのか、それとも心底から安堵したからか、エラは治療魔術師らの計算よりも早く産気づいた。




