潜入成功
ゾーラント子爵家が雇った治療魔術師が住み込み、しかも女性だとの情報を得た男爵令嬢は、婚約者の体調が思わしくないのではないか、あるいはその治療魔術師に婚約者が誘惑されているのではと落ち着かない。
見舞いに行こうとしても訪問を伝えれば断わられ、連絡なしに押しかければ当然やんわりと帰され続ける。そんな日々が続いていた。
「他所から招いた治療魔術師、しかも女狐なんて信用ならないわ」
同業者のことなら詳しいはずだと、アキラは治療魔術師の素性を調べるよう命じられた。彼女の抱える錬金魔術師は医薬師ギルドに伝手がなく調べられなかったそうだ。
「名前はリネット、色級は黒ですね。所属はわかりますか?」
「それを調べるのもお前の仕事です」
「……時間がかかりますよ?」
「急ぎなさい」
秘薬に錬金薬に調査と、至急案件が積み上げられてゆく。アキラの医薬師ギルドの伝手はサイモンだが、さすがに他国のギルド員までは調べられないだろうと思いつつ、ダメ元で魔紙で問い合わせたところ、数日で結果がもたらされた。
「出産を専門にしている治療魔術師なのか……これは秘匿だな」
患者が子爵令息ではないとバレてしまう。アキラは魔紙を燃やして証拠を隠滅し、男爵令嬢には腹部疾患を専門にする治療魔術師らしいと報告した。
「嘘の報告じゃねーか。バレたらどーすんだよ」
「妊娠中の女性の腹部を診る専門だ、嘘ではないし、トレ・マテルに属していた治療魔術師の経歴は、そう簡単には調べられるものじゃない」
「アキラは簡単に調べられたじゃねーか」
「サイモンさんのおかげだ。彼の協力がなければ俺も無理だったと思うぞ」
他国の医薬師ギルド長、しかも高位の魔術師に伝手のある一般人は皆無だ。冒険者ギルドや商会の伝手でも難しいだろう。
「もし調べられたとしても、エラさんの出産には間に合わないだろうから大丈夫だ」
「それならいーんだけどよ。で、何作ってんだ?」
「お嬢様が婚約者に贈る品だ。その液体薬が痛み止め、こっちのは胃腸の炎症を抑える薬で、今作っているのが石を溶かす錬金薬だ」
アキラの偽報告を聞いたマリアナ嬢は、即座に思いつく限りの腹部疾患に効果のある錬金薬を作るよう命じた。効果と種類については一任されたため、アキラは思いつくままにそれらしい錬金薬を作っているのだという。
「すげー不安な感じの匂いがするんだけど?」
「今の俺は黒級の薬魔術師だからな。それらしい下手な錬金薬を頑張って作っている」
「胸を張るな。けど激マズ薬を飲まされるコーメイ、かわいそー」
「令嬢の持ち込んだ怪しげな錬金薬を、子爵家の者が不用意に飲ませるわけがないだろう」
それくらいの警戒心はあるはずだとアキラは涼しい顔だ。
「で、効くのかよ?」
「黒級がはじめて作る錬金薬だぞ?」
「偽薬作ってんじゃねーよ」
「失礼な。気休め程度の薬効はあるはずだ」
黒級の薬魔術師の腕前にふさわしい錬金薬に仕上がっていると胸を張るアキラを見て、シュウは「飲まされる奴がかわいそー」とひっそりと呟いた。
+
素材採取を口実に、アキラは三日に一度は街の外に出かけている。持ち帰った薬草で作った幻惑の秘薬の試作品を手に、男爵令嬢は頻繁にギャレットの見舞いに子爵邸をたずねてゆく。
執事は決して面会を許可しないが、令息が偽者であると知らされていない使用人らは、婚約者の身を案じる男爵令嬢に同情的だ。アキラに作らせた錬金薬を賄賂に着実に内通者を増やしている。
「まっすぐな黒髪で耳たぶが大きく垂れている下働きの中年女、馬車周りのチリチリ赤毛の男、門に立つ兵士で右足を引きずる癖のある男」
「誰だよ、そいつら?」
「今日賄賂を受け取った内通者」
マリアナが手土産の錬金薬を持参するときは、必ずアキラを同行していた。錬金薬に万が一問題があったときに、自分ではなくアキラに責任を丸投げするためだろう。執事に拒否された手土産は、そのまま使用人らへの賄賂として流用されている。
見舞いから戻るたびに、アキラは新たなスパイ予備軍をコウメイに知らせ、それとなくあちらの統括者に知らせるように促していた。結果、買収された内通者は解雇されたり配置換えされてしまい、マリアナ嬢はギャレットの情報を得られず癇癪を爆発させるのだ。
「子爵家が偽令息と赤ん坊を隠している限り、新たな求人も出せないから増員も難しい。そのうち見張りの人員も足らなくなるんじゃないか?」
情報の遮断と同時に敵兵を削ぐ、一石二鳥だと満足そうなアキラとは反対に、シュウは嫌そうに顔をしかめている。
「なんか悪宰相とか悪代官っぽくてえげつねーなー」
「失礼な。脱出時の障害を今から排除しているだけじゃないか」
アキラはシュウの向こうずねを蹴った。悪辣非道な行為は一切していないのに、悪役に例えられるのは心外である。
「そのうち子爵邸も切羽詰まって求人を出すだろう。力仕事の求人があったら潜り込んでくれ」
偽子爵やエラには近づけなくとも、子爵邸に堂々と出入りできるようになればコウメイとの連絡手段も増やせるし、内部の情報は得やすくなる。
「ゾーラント子爵家に雇われたと報告すれば、お嬢様は支度金をたっぷり持たせて送り出してくれると思うぞ」
「俺を二重スパイにする計画も織り込み済みとか、やっぱ黒幕じゃねーかよ」
一石三鳥の策略を実践するアキラは活き活きとしていた。順調な進捗にほほ笑む顔は麗しいのに、何故か背筋が冷えてくるから不思議だ。
翌日、アキラは朝一番にシュウをゾーラント子爵家に送り込む計画を上申した。令嬢にお供して子爵邸を訪れるたびに使用人が減っているようだから、近々冒険者ギルドに求人が貼り出されるのではないだろうか。討伐に特化したシュウならば兵士や見張り番の求人があれば採用されるかもしれない。怪しまれずに採用されるには、男爵家やシュテル商会に雇われたままでは都合が悪いと説明すると、令嬢はあっさりとシュウを解雇した。
「そこの筋肉」
このところ令嬢にはあるまじき眉間の皺が濃くなっていたマリアナ・シュテルは、久しぶりに満足げな微笑みをうかべると、たっぷりの退職金を渡して嵩高に言った。
「必ず果たしなさい。そして、わかっておりますわね?」
「……えーと?」
絶対に子爵家に雇われろ、そして内通者としてキリキリ働け、これはその仕事料の前払い分だ、とオズマが通訳する。
「さ、採用されるといいなー」
そのままシュテル商会の宿舎を追い出されたシュウは、冒険者ギルドの雑魚寝部屋に何とか寝所を確保した。むさ苦しく汗臭いマッチョに囲まれ寝心地が悪いだけでなく、イビキのうるささで熟睡できない日々が続いたシュウは、睡眠不足でイライラしながらシュテル商会以外の雑用をこなす日々が続く。
「何でもかんでもアキラの計画どーりになるわけねーだろ」
ゾーラント家に入り込むまでは接触厳禁を男爵令嬢に命じられていたが、アキラからは誰にも見とがめられずに定期連絡を寄こせと言い含められている。おかげでただでさえ少なくなった睡眠時間を削って、シュウはアキラの深夜の寝室に忍び入っていた。
「ギルドもアキラも人使い荒すぎ!」
「頭を使いたくないと言ったのは自分じゃないか」
「そーだけど、そーじゃねーし!」
眠れないと愚痴るシュウのために処方したと錬金薬を手渡されても、全く慰めにはならなかった。
最初の十日間は昼寝の時間確保に全力を尽くした。一ヶ月目が終わるころにはイビキ耐性がつき熟睡できるようになった。そして二ヶ月目も半ばというころ、縁故や伝手を頼って雇い入れた使用人すらも解雇せざるを得なくなったゾーラント子爵家が、ようやく冒険者ギルドに求人を出したのだった。
+
朝一番の冒険者ギルドでめぼしい街中の依頼を見つけられなかったシュウは、街から遠い地の討伐依頼を選んだ。鉱山ふもとの森でのゴブリン討伐だ。森で増えすぎたゴブリンが坑道を住処にしようと鉱山に移動してきたらしい。鉱山は領主の兵士、つまりはゾーラント子爵率いる騎士団が守っているが、森のゴブリンを減らさねば鉱山襲撃は続く。そこで討伐が冒険者ギルドに持ち込まれたのだ。
「報酬が二回も変更になってるじゃねーか。こっちも人材不足かよ」
最初に提示された金額が、訂正され今ではほぼ倍額だ。これまでの求人は鉱夫や運搬の人足ばかり、そのため人型魔物の討伐経験を持つ腕利き冒険者は街にはほとんどいない。
依頼票によれば、森の外に出たゴブリンは騎士団の管轄、森の中にいるゴブリンは冒険者の討伐対象とあった。
「久しぶりに暴れてくるかー」
シュウはご機嫌でその依頼を請け、職員が驚いて引き止めるのも聞かず単身でゴブリンの巣に向かった。
街と鉱山は馬車で鐘二つ、早馬なら鐘一つの距離だ。シュウは人目を避けながら全力疾走し、昼前にはゴブリンの巣を襲撃していた。
「あれ、これ鉱山から奪ってきた道具っぽいなー」
シュウはゴブリンの死体を爪先で蹴り転がし、落ちているツルハシを手に取った。棍棒を持つ死体よりも、ツルハシを握ったものが多い。どの鉄頭部分にも同じ刻印が刻まれている。どうやら鉱山の坑道の一部がゴブリンに奪われているようだ。
「偽息子で世間を騙そーって悪巧みが部下任せなの不思議だったけど、これが理由かー」
鉱山を守る騎士の劣勢が、騎士団長である子爵の帰宅を阻んでいるのだろう。
シュウは討伐部位を切り落としながら、どうしたものかと悩んだ。鬱憤晴らしにゴブリン討伐を終わらせてしまいたいが、そうすると鉱山が安全になり、子爵が街に戻る余裕ができてしまう。
「当主が手下連れて戻ってきたら、せっかく薄くなった警備がもとに戻っちまうよなー」
人手不足が解消してしまえば、コウメイやエラの脱出が難しくなってしまう。
「しゃーねー、悔しーけど討伐失敗したことにするかー」
シュウは五体分の証明部位を袋に入れ、ツルハシを一本持って街に戻ると決めた。普通は単身でゴブリンを殲滅できるわけがないのだから、引き止めるのを振り切ったシュウの失敗も疑われない。巣は潰せなかったがゴブリンを討伐したのは事実だし、ツルハシという証拠も持ち帰るのだから違約金の支払いは免除されるだろう。
「ちくしょー、やっぱ暴れたりねー」
閉門ギリギリで街に入ったシュウは、冒険者ギルドで依頼断念の報告と持ち帰った証明部位を提出した。
「これは鉱山で使用されているツルハシですね。森のゴブリンがこれを持っていたと?」
「ゴブリンが使ってる武器の半分くらいはツルハシだったぜ」
「……これは思っていた以上に深刻かもしれませんよ」
シュウはそのまま別室に連れて行かれた。そこで再び討伐の詳細を説明すると、髭の副ギルド長は悔しげな唸り声を漏らし、近隣のギルドに支援を求めると決めた。リスビンデの冒険者ギルドだけでは討伐不能と判断したのだ。
「ご苦労だった。巣の討伐依頼は失敗だが、この情報の分で違約金は相殺だ。ゴブリンの討伐分の報酬は支払う」
聞き取りを終えて部屋を出て行こうとするシュウを副ギルド長が呼び止めた。
「君は最近街にきた冒険者だったな? 鉱山で働いていないのは何故だね?」
「俺は討伐専門だし、体がデケーだろ? 狭い坑道とか向かねーから」
「なるほど。それなら討伐依頼の多い街に移ればいいだろうに」
「高額報酬の討伐を強奪し合うよーなギスギスしたのに飽きたんだよ。しばらくのんびりしてーと思ってさ」
元冒険者である副ギルド長自身にも覚えがあるのだろう、苦笑いでシュウの説明に納得の頷きを返した。
受付で女性職員に声を掛けると、報酬と一緒に一枚の板紙を差し出された。
「警備兵の募集?」
「とあるお屋敷を守る仕事よ。シュウならぴったりだと思って」
素早く求人内容を読んだ。雇い主の記載はないが、このタイミングでの貴族の私兵ならば、アキラの予想通りの展開だろう。
「俺みてーなよそ者をお屋敷持ちが雇うわけねーだろ」
「でも条件はシュウがぴったりなのよね。それなりの討伐の腕があって、野心的な血縁者や後ろ盾がない冒険者って、この街にはなかなかいないのよ」
苦笑いの彼女は、声を落として「とある貴族家と関わりのない人材が少なくてね」と愚痴をこぼす。
「シュウは街の雑用と魔獣狩りが中心で、貴族の依頼は避けてるでしょ。そこが第一の条件にぴったりなの」
「どこの貴族とも繋がってねー俺が適任ってことは、依頼主も貴族か?」
「あら、意外に鋭いわね」
「馬鹿にすんなよ、俺だってそれくらいの判断はできるって」
「そこまで察してしまったら断わらせないわよ」
「コエーなぁ。で、条件は?」
「門前の見張りと館の周辺の見回りが主な仕事ですって。場合によって雑用も頼むことになるけど、ほとんどは館の外での仕事になるらしいわ。住み込みだからウチの宿舎から出たがってるシュウは嬉しいでしょ」
賃金は週払いで一千五百ダル。日当二百五十ダルは相場としては安いが、食と住が保証されているなら妥当な額だ。
「うるせー寝言と歯ぎしりから解放されるなら大歓迎だぜ」
そうしてシュウはゾーラント子爵邸の敷地内に堂々と立ち入る資格を得たのだった。
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冒険者ギルドの推薦によって採用されたのはシュウの他にも三人いた。いずれもリスビンデ街に親族や主従のしがらみがないと判断された者ばかりだ。増員された四人は二人一組で門外で見張りに立つ。一鐘ごとに一人が館の周囲を見回り、半日でもう一組と交代するのだ。
彼らが立ち入れる敷地は限られていた。子爵家一家の住まう本宅と繋がった別棟は立ち入りどころか近づくことすら禁止されている。シュウらに与えられたのは敷地内別邸にある使用人部屋だ。雇われて日の浅い下女や雑夫、本宅勤務から外された使用人らがこちらで生活していた。
「貴族様の家ってのはすげーな、甲冑姿の騎士があちこちに立ってるぜ」
「ここは特別らしいぜ。体の弱い坊ちゃんを狙う女狐が入り込まないように、ああやって守ってるんだって、メアリさんが言ってた」
雇われ門番の食事は他の使用人らとともに厨房の片隅でとる。黒パンは一人二枚までだが、肉と野菜がたっぷりのシチューはお代わり自由だ。シュウは三杯目のお代わりを注ぎながら使用人らの話題に耳を傾ける。
「女狐って誰だよ」
「坊ちゃんってもの凄い色男らしくてさ、三年ぶりに起き上がれるくらいまで回復した途端に、あちこちから手紙が届いてるんだってよ」
「押しかけてくる女もいるらしいぜ」
「モテモテじゃねーか」
そんなに熱心に言い寄られてみたいとこぼせば、男たちは「まったくだ」と息をつき、女たちは「あんたたちじゃ無理だ」と笑う。
本館から遠ざけられた使用人らは口が軽く噂話が大好物だ。男爵令嬢に買収された者も多く、本館での仕事を外された不満と、健康を回復した令息の話題は、促さずともぺらぺらと喋ってくれる。情報収集が簡単すぎて拍子抜けだった。
「そろそろ夜番だ、行くぞ」
「ちょっと待って、このシチュー飲み終わるまで」
「それ四杯目だろ。いい加減にしろよ、俺たちの分がなくなるじゃないか」
交代の門番二人がシュウから大椀とスプーンを取り上げた。いくらお代わり自由とはいえ、シュウの食欲で満腹になるまで食べていたら他の者の分がなくなってしまう。シュウが住み込みはじめた二日目から、彼だけは食べ放題ではなくなっていた。
門を開けて外に出る。閉じた門を背に見張りに立つが、昼間と違って夜はとても退屈だ。子爵家は節約を徹底しているらしく、灯りは門柱の薪だけだ。夜の見回りに灯りはない。魔道ランプは無理でも油ランプか松明を使いたいと頼んだが、火事が起きては困るとこちらも許可が出なかった。
常に気配を探り続けなければならない暗闇の見回りは、夜番の二人の間で常に押しつけあいだ。
「俺より飯を二杯も多く食ったんだから、その分働いてこい」
「飯の量は関係ねーだろ」
門前から動く気のない相方に押し出されて、シュウは敷地を囲む鉄柵沿いを歩く。柵の間から見える本館とその庭には、要所要所に火が灯され甲冑兵が警戒に立っている。騎士の配置はどこかに偏ってはおらず、一見した程度では二人の居場所は判別できない。
正門の同僚から見えない場所まで移動したシュウは、ひらりと鉄柵を越えた。灯りの届かない闇に身を潜め、足音も気配も消して壁をのぼる。一階は出入り口の全てに兵士が立っているが、上階の窓には見張る者はいない。昼間に目星をつけておいた屋根裏は物置として使われているためか、窓の鍵も簡単なものだった。そこから室内に入ったシュウは、コウメイが監禁されている部屋を目指す。
「確か鉄格子のある部屋はこっちのほうの……お、正解」
建物内は露骨なほど兵士の配置に偏りがある。その一角だけ極端なほどに甲冑兵が配置されているのだからわかりやすい。
シュウは少し考えて、一端引き返すことにした。複数の甲冑兵を倒すのは簡単だが、無音で、しかも当人らに襲われたという記憶を残さない襲撃は自分では無理だ。
「下が駄目なら上だよなー」
空き部屋を見つけて滑り入り、天井裏へあがる。まっすぐに先ほどの部屋に向かった。
この辺りかと目星をつけて天井板に隙間を作る。
そっとのぞき込むと、不満を爆発させたような顔のコウメイと目が合った。
「遅ぇ」
「うるせー。あっさり拉致られるコーメイが悪い」
ボダルーダで拉致されてから四ヶ月ぶりの再会だった。




