計画変更
準備は整ったとアキラから魔紙が届いた。
「シュウも持ち場で待機済み。合図を待つ、か」
決行のタイミングはコウメイに任されている。見張り兵の疲れがピークになる交代寸前に動くと決めた。合図はコウメイのいる西棟端部屋の窓ガラスが割れる音だ。騒ぎを大きくして館の警備兵を引きつけている間に、シュウが東棟を襲撃しエラを救出して脱出する。アキラと合流しそのままウェルシュタントを目指すのだ。
コウメイは扉越しに見張りの気配を探り、立ち位置を確認した。ガラス窓を破るのと同時に、三人の甲冑を沈めなくてはならないが、武器なしでは心許ない。室内には剣の代わりにできる物はない。甲冑から剣を奪うしかないだろう。
ガラスを割るのに丁度良い文鎮を握り、扉に背を向けたまま窓に狙いを定めた。
「ピッチャーをするのは小学生の体育以来だな」
丸く重量のあるそれを振りかぶろうとした、そのときだった。
ガシャガシャと予定にない甲冑の足音が部屋に近づいてきた。
「大変だ、妾様が、妾様がぁ!!」
まだ若い男のわめき声が甲冑の中で反響している。
「何事だ?」
「め、妾様が、ち、血を、倒れて!」
エラ側の見張り兵らしい彼は、激しく動揺したまま大声で叫いている。コウメイは素早く扉に耳を押しつけた。
慌て興奮した兵によれば、大きな物音がするので様子を見に行ったところ、倒れているエラを発見したのだそうだ。彼女の周囲は血だらけだったという。兵士だというのに血を見た経験がないのか、あるいは子爵の孫を危険にさらしたとの恐怖にか、その声は脅え震えていた。
「ブルーノ様には?」
「それは、侍女長が、知らせて」
「だったらお前は何でここにきた? 持ち場を離れるな、今すぐ戻れ!」
「は、はいぃっ」
甲冑の重い声に叱りつけられた兵士が、半泣きで廊下を駆けて行く。
コウメイは文鎮をベッドに投げ置き、騒ぎで目が覚めたふうを装って扉を叩いた。
「おい、うるせぇぞ、何があった?」
「何でもございません、どうぞお休みください」
「彼女が倒れて血が、と聞こえたが」
ちっと小さく舌を鳴らす音が聞こえた。
「心配だ、彼女のところに向かう」
「面会時刻ではございません」
コウメイが押し開けようとする扉を、甲冑二人が全身を押しつけて阻む。
「非常事態だろ。わかってんのか? 彼女の腹には子がいるんだぞ」
「ブルーノ様が差配しておりますので、心配ございません」
「襲撃か? 侵入者がいたのか?」
「私にお答えする権限はありません」
扉の両側で押し問答しているうちに複数の足音が駆けつけた。交代ではなく増員のようだ。庭の警備も増員されたようで、窓の外に立つ兵士の数が増えている。
この騒ぎを勘違いしてシュウが突入してきてはまずい。「緊急事態、中止」と走り書きした魔紙を飛ばした、その直後だった。
勢いよく扉が開き、剣を抜いた兵士らとともにブルーノが飛び込んできた。
「こちらは、無事ですね」
彼はコウメイの存在を確認して息をついた。だがエラに意識が向いているのだろう、コウメイが羽織るガウンの下に狩猟服を着こんでいると気づいていない。
「エラが倒れたって聞こえたぞ。血だらけだって? 何があった?」
「……何者かが妾様を攻撃したと思われます」
「侵入を許したのか? 手段は?」
コウメイの追及を無視して、ブルーノは甲冑兵に指示を出す。
「ギャレット様には安全のため部屋を変えていただきます」
「彼女はどうしている?」
「治療中です」
「生きているんだな?」
「お助けしますよ。ギャレット様のお血筋を失うわけにはまいりません」
どうせ襲われるのならエラではなくコウメイだったら良かったのにと、ブルーノの表情にそんな本音が浮かんでいる。
「彼女が襲われたってことは、外部にギャレットのことがバレてるんじゃねぇのか? 例えば、婚約者の令嬢とか」
「憶測と思い込みは危険ですよ。捜査は我々に任せ、ギャレット様は安全な部屋でお過ごしください」
ブルーノの命令で甲冑がコウメイを囲んだ。矢の通る隙間もないほど詰め囲まれたまま歩き出す。連れて行かれたのはコウメイが最初に監禁されていた部屋だ。これまでいたギャレットの私室の扉には鉄板は入っておらず、窓にはガラスだけで格子戸もなかった。閉じ込めるための部屋は、守りの堅い避難所にもなりうる。
「彼女は隣か?」
「別室にて治療中です。終わり次第こちらに戻します」
かすかにだがブルーノの眉間に皺が寄った。
「何がどうなってんのか、ちゃんと説明してもらえるんだろうな?」
「必要なことはお知らせいたします。では、お休みなさいませ」
コウメイの鼻先で扉が閉まった。施錠の音がする。数日の間に鍵がつけられたらしい。厳しい声で命令を飛ばすブルーノが遠ざかってゆく。見張りの気配は以前の倍。飾鉄格子越しに庭を見れば、やはり兵士が壁のように詰め並ぶ。隣室への扉にも鍵がつけられていたが、施錠されてはいない。薄く開けてのぞき込むが、誰もいないようだ。
「血の匂いがしねぇ」
騒ぎからまだ四半鐘も経っていなかった。どれほど優秀な使用人でも、絨毯にしみこんだ大量の血は短期間では清掃できない。家具の位置に変化もないことから絨毯を取り替えたのでもない。
「この部屋から出て倒れたのか」
何らかのイレギュラーがあり、エラが部屋を出たところで襲撃されたようだ。もし脱出を決行していたら、シュウは彼女と合流できなかっただろう。
「……ったく、もどかしいぜ」
自ら走り回って事態を把握できないのは落ち着かない。決行に備え待機していたアキラとシュウは、もっと焦れているだろう。コウメイは手早く状況を書き記して魔紙を飛ばした。
かすかな声も逃すまいと耳を澄ませ、気配を数え、廊下や庭の人の動きを探りながら、コウメイはエラが戻るのを待つ。
治療を終えたエラが部屋に戻されたのは、窓の外がかすかに明るくなってからだった。
兵士と召使いに運ばれて戻った彼女の衰弱は酷いものだ。ぱっと見るかぎり外傷は見あたらないが、貧血が酷いのだろう、唇が青い。
「……ごめん、あたしは無理そう。コウメイさんだけでも、に……」
逃げて、と続けたかった言葉は、まだ部屋にいる召使いらを警戒してか不自然に萎んで消える。聞こえている、と頷いて返すと、彼女は柔らかな枕に頭を預け、気絶するように深い眠りに落ちた。
召使いらは無言で薬と水差しを残し部屋を出た。
彼女の腹部の膨らみは健在だ。だが衰弱が酷く、母子の命を考えるなら今後の安静は絶対だろう。抱えられて戻ってきた様子からも、自力で数歩を歩くことすら難しいようだ。これでは脱出も難しい。
「俺だけ逃げろ、か」
自分の命を天秤にかける場面ならば躊躇わないと決めていたコウメイだが、まさか命の危機にある彼女からそれを言い出されるとは思わなかった。
「……甘いって呆れられそうだが、しゃあねぇ」
コウメイは再び魔紙を取り出した。
+++
気配を感じたコウメイは手元の本から顔をあげた。目覚めたばかりでぼんやりとした顔のエラが、天井を眺めている。
「もっと寝てろっつっても、この空気じゃ無理か」
「……朝?」
「そろそろ五の鐘だ。具合はどうだ?」
彼女の頭がゆっくりと傾き、枕元のコウメイの姿を見て驚く。
「逃げなかったんだ……」
「そんな余裕はなかった。感じるだろ?」
館はピリピリとした空気に包まれていた。緊迫した攻撃的な気配は、壁越しにも伝わってくる。
「外で戦争でもはじまったの?」
「似たようなもんだな。あんたが襲われて、けど襲撃犯の手がかりは見つからねぇ。館の連中の警戒が高まるのも仕方ねぇだろ」
「襲撃?」
「まさか、違うのか?」
疲れを残したまま目覚めたからだろうか、彼女は何度も瞬きし、思い出そうとしている。
「そもそもどうして部屋を出たんだ? 鍵はかかってなかったのか?」
「理由は知らないけど、見張りもいなかった。部屋を出たのは……寝ていたら、急にお腹が痛くなって」
昼間コウメイと脱出を打ち合わせた後は、夜に備えて体力を温存しようと寝台で横になって過ごしていた。運ばれてきた夕食には相変わらず薬物が混入されていたが、異変といえばその程度だ。
「毒飯は食ってねぇんだな?」
「全部調べたからね、ちゃんと避けて、他の料理は全部食べたわよ。そのあとまた横になって……そのまま眠っちゃったのよ。その後は気がついたらお腹の痛みで目が覚めてた」
エラは守るように腹部に両手を置く。痛みと恐怖を思い出したのか、その手は震えている。
「締め付けるみたいで、すごく痛くて、助けてって声に出してた」
脱出の時が迫っているのだから、我慢できるならしたかった。だがその激痛はあまりにも強く、エラは叫ぶように助けを求めていた。
「でも誰もいなかった」
「見張りがか?」
「そう。いつもなら大きな音を立てたら、隣の部屋から召使いが嫌そうに様子を見に来るし、廊下の兵士も『静かにしろ』って叱るくせに、何の反応もなくて」
彼女の声は悲鳴のようだったにもかかわらず、誰も駆けつけてこなかった。痛みを抱えたまま隣室への扉を開ければ、召使いの姿はない。助けを求めて廊下側の扉を押すと、いつもは施錠されているのにその夜は簡単に開いた。そして廊下にも見張りの兵はいない。
「真っ暗な廊下の向こうに、小さな灯りが見えたのよ」
彼女はその灯りの場所に助けを求めようとして部屋を出たのだ。監禁部屋を出たことのないエラは、子爵家の廊下の暗さを疑わなかった。痛みを堪え、壁で体を支えながら灯りを目指して歩いた。
「歩いても歩いても灯りに近づけなくて、怖くなって、大きな声を出したら誰かが気づいてくれるかもって声を出そうとしたときに、何かに足を引っかけて転んだの」
「引っかけた? 何かに躓いのか? それとも引っかけられたのか?」
「わからない」とエラは首を振る。
貴族の館は廊下に物を置いたりしないし、足がぶつかったのも硬い物ではなかったが、やわらかくもなかった。よくわからない物によって転倒させられたのだと彼女は断言した。
「起き上がれなくて。お腹は痛いし、気持ち悪くなるし、どうしようって泣いてたら見張り兵が走ってきて大騒ぎになった」
その後はコウメイも知っていた。転倒し、出血している彼女を発見した兵士の声で起きたブルーノらが駆けつけ、一番近い部屋で彼女の応急処置となったのだ。深夜に叩き起こされた治療魔術師の処置のおかげで、エラは切迫早産を免れた。
「鍵がかかっていなかったのは作為くせぇな。誘い出してわざと転倒するように仕向けたのか? 子爵の孫が死ぬ可能性が高いのに、まさかな」
話を聞いただけでは、それが事故を装った罠とも、巡り合わせが悪かった結果とも判断しかねた。
眉間に皺を寄せて考えに沈むコウメイを、エラが不思議そうに見つめていた。その視線に気づいて視線を向けると、彼女はまっすぐに問うた。
「あたし、一人で逃げていいって言ったよね?」
「言ったな」
「なんで逃げなかったのよ……」
「この騒ぎのせいで計画は変更だ。あんたの出産が済むまで延期する」
目を丸くしたエラは「そんなこと頼んでない」と声を荒げた。
「コウメイは巻き込まれただけなのに。一人ならいつでも逃げられるでしょ、さっさと逃げてよ」
「それが出来る状況じゃなかったからな」
「今からでも遅くないでしょ」
コウメイ一人なら余裕で逃げられるはずだ。
「俺がこれから脱出したとして、あんたはどうするんだ?」
「あたしはここで、この子を産むわ」
強がりでも、虚勢でもなく、彼女の声は凜として力強かった。
エラの覚悟は立派だ。だが甘い、とコウメイは顔を歪める。
「あんた冒険者のくせに危機感が足らねぇよ。産んだ後を想像してねぇだろ」
「してるわよ、考える時間はいっぱい合ったからね、ちゃんと考えた。だからこそ今はこの子を産むことを一番に優先したい」
エラは体調の急変と、迂闊な行動によって実行寸前の脱出計画を壊してしまったと後悔していた。流れてしまうかと思った子どもはまだ頑張っている。ならば幽閉も覚悟の上でここに残ると決意していた。
「気持ちはわかるがな、連中が禍根の種を残しておくわけねぇだろ……貴族はな、邪魔な平民を殺すことを躊躇わねぇぜ」
おそらく子爵家は出産の際に母親は死んだと公表するだろう。そういう筋書きが用意されているはずだ。エラは産後に回復せずに死ぬ、いや殺される。
「もう忘れたのかよ、俺がギャレットの身代わりを断わったら、あんたの脚を折ったじゃねぇか。子爵家の恥部を消せと命令されれば躊躇わねぇ連中だぜ」
殺意に似た気配をぶつけられたエラは、ガタガタと震えた。それまでの強い決意が崩れる音が聞こえてきそうだ。
「別室に軟禁されてた俺が何をさせられていたと思う? 俺はギャレットの筆跡を練習させられていた。あいつら、俺に遺書を書かせようとしてやがるんだ」
練習させられている単語から、コウメイが読み取った子爵の筋書きはこうだ。
病気療養の子爵令息は一時的に回復した。そして看病に当たっていた平民の召使いに手をつけ孕ませた。生まれた子どもを嫡出子とするため婚姻したが、出産の際にエラは死亡。跡継ぎが生まれた喜びもあって家業に励もうとしたが、病が完治していなかったギャレットは無理がたたって再び倒れ、今度は治療のかいなく亡くなった。
「その子が生まれたら婚姻届にサインさせられて、あんたが殺された後で、子爵家が俺のサインを使った遺言状を公開するんだろうぜ」
「貴族って、そこまでするの?」
「するから貴族なんだろ」
自らを高貴な存在だと称する連中は、子爵だろうと公爵だろうと、王族だろうと同じだ。自らの望みと都合は叶えられて当然、そのためには平民の命など塵も同然だと思っている。
「そういうことが当たり前に行われる場所で、その子を育てられるのか?」
コウメイの深く暗い声がエラの胸を締め付ける。彼はエラを心配しているのではない、これから生まれる子どものために怒っているのだ。それに気づいた彼女は、再びベッドに崩れ落ちた。
「いいか、俺も仲間も、後味の悪い仕事はしたくねぇんだよ」
コウメイは眩しそうに見あげる彼女の視線を避けて立ち上がり、床に落ちた枕を拾った。
「一番成功率の高い脱出計画を立てた。悪いが、あんたを囮にする」
「囮……わかった」
エラの顔に一瞬だけ浮かんだ失望は、すぐに笑顔で覆い隠された。
「あたしは、いつ、なにをすればいい?」
「しばらくはその子を産むことだけを考えて生きろ」
「……え?」
「あんたの出産に全神経を向けているときが、この館の警戒がゆるむ瞬間だ。ざわついてる隙に逃亡する」
「わかった。大声あげて泣き叫んで、連中の注意を引きつけとくから、そのすきにコウメイは逃げて」
「あんたも逃げるんだよ。赤ん坊もだ」
「……なんで?」
「俺たちが引き請けたのはあんたと子どもを無事に逃がす仕事だぜ」
見捨てて逃げろと最初に言ったのは自分だ。囮になれと言われて傷つくのは間違っている。そうやって己を奮い立たせていた彼女は、コウメイの言葉で再びぐらつきそうになった心を叱咤する。
「あ、あたしも赤ん坊も、足手まといだよ!」
「赤ん坊は俺か仲間が抱いて逃げる。出産直後のあんたには酷かもしれないが、腹の中に赤ん坊を抱えたままで逃げるよりは身動き取れるだろ?」
コウメイは拾った枕を軽く叩いて埃を落し、エラに返した。
受け取った枕を抱いて、彼女は不安げに視線を揺らす。
「それは……そうかも、だけど」
「ここは自由は制限されてるが待遇は悪くはねぇ。妊婦にとっては最良だ。この環境を利用して腹の赤ん坊を育てて、あんた自身の体力も温存してくれ」
申し訳なさと嬉しさとで、エラの目に涙がにじんだ。
「結局、コウメイの重荷になっちゃったね」
「俺だけ逃げおおせて、あんたと赤ん坊を見殺しにするほうが重いんだよ」
「……ありがとう」
枕に頭を預けたエラは、ほう、と深く静かな吐息を漏らした。寝具に深く埋まる己の体を自覚して、彼女ははじめて枕の柔らかさと寝具の肌触りの良さとあたたかさに気づく。ここは牢獄だが居心地は良く守られている、それに気づかせてくれた男を見あげて目を細めた。
「悔しい」
「何がだ?」
「コウメイがギャレットと同じ顔なのが、すごく悔しい」
「それ、俺のせいじゃねぇだろ」
理不尽だと顔を歪める男を、彼女は眩しそうに見あげていた。
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