男爵令嬢と薬魔術師3
シュテル商会に回された仕事をこなしつつ策を練っていたアキラは、マリアナ嬢に呼び出され、命じられた。
「三日後にギャレット様の見舞いが許されました。それまでに秘薬を完成させなさい!」
「できません」
即座の返事にマリアナが足を踏みならす。
「わたくしの命令を聞きなさい!!」
「ご命令でも無理です。材料がなくては作れません」
「探せと命じてあったはず。何故揃っていないのです!?」
貴族令嬢とは思えぬ癇癪を爆発させたマリアナに、アキラはなだめるように、だがはっきりと告げた。
「希少素材だからですよ。リマの蜜が自然に結晶化するまでに三十年はかかります。錬金魔術で結晶化させる場合でも、五年はかかるでしょう。それにユラミアの雌株はサンステン国内には自生していません」
「五年ですって?! 待っていられないわ、今すぐなんとかなさいっ」
「どちらの素材も魔法使いギルドが保管している可能性が高いので、交渉すれば数ヶ月ほどで手に入ると思いますが」
「わたくしは今すぐと命じましたが?」
笑顔を引きつらせながらアキラが代替案を出した。
「……異性を惑わす香水があるのをご存じでしょうか?」
「知っていてよ。けれど効果時間は短いと聞いておりますわ」
「お見舞いの時間は短いのでしょう? そのときに婚約者殿を引きつけ、見舞いの品に似た香りの薬草花を添えて贈れば効果も長持ちするかと」
「どの程度長持ちするのです?」
「二日、くらいでしょうか?」
「話になりませんわ!」
貴族令嬢にあるまじき仁王立ちと腕組みでマリアナは唇を震わせる。
己が感情にまかせ無理難題を要求している自覚はあるようで、腕組みした手は荒れ狂う感情を押さえなだめようとしているように見えた。しばらくすると彼女は冷静に妥協を受け入れた。
「ですが今はそれが最善でしょう。しかたありません、薬魔術師、その香水をとても効くように改良しなさい。それと薬草花とやらもたっぷり用意して花籠になさい」
マリアナ嬢の命令により、アキラは媚香を強力なものへと改良し、薬草花を集めた。花籠を作ったのは侍女だが、媚薬の影響が及ぶのを嫌って、マリアナは当日の付き添いに侍女ではなくオズマとアキラを指名した。
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内張も豪華な箱馬車の内部は、男爵令嬢のまとった甘い香りで息苦しかった。あらかじめ解毒剤を渡してあるオズマは、咽せそうになるのを必死に堪えているし、アキラもマリアナに着用を命じられた黒ローブの下でこっそり風魔法で匂いを防いでいる。
「いいですか、薬魔術師はギャレット様のお体を確認なさい」
「子爵家の治療魔術師に疑いを持っておられるのですか?」
「……わたくしはギャレット様がご病気でないと知っております」
彼女の言葉に驚いたのはオズマだけだった。
「私の聞いた噂では、三年間寝たきりだったそうですが?」
「それは不在を隠すための方便ですわ……ギャレット様は心優しい方です。それに付け込んだ下賤女により拐かされていたのです。ですが今はお戻りです。わたくしは下賤女に穢されたギャレット様を癒やして差し上げたいのです」
なるほど、貴族の女性は「平民女性と駆け落ち」をそのように表現するのか、とアキラは妙なところに感心していた。
「それと薬魔術師、お前はその髪と顔を絶対に晒してはなりません。ギャレット様のお心を惑わすことは許しませんよ」
マリアナ嬢の見当違いの嫉妬に、アキラは苦笑をかみ殺した。媚香を振り撒いているというのに、ずいぶん自信のないことだ。
そうこうしているうちに馬車がゾーラント子爵家に着いた。重い音を立てて門扉が開き、馬車が敷地内に入る。子爵家は古い家系と言うだけあって、屋敷は一昔前の無骨な作りのままであった。手入れの手が足りないせいか、あるいは余計な装飾を嫌う性質なのか、門から玄関までの馬道も素っ気ない。
「マリアナ・シュテル男爵令嬢、お待ちしておりました。当主は務めにて不在でございます。またギャレット様は病床のためお迎えに出られませんこと、お詫びいたします」
「許します。ギャレット様の部屋に案内しなさい」
「その前にご説明の必要なことがございます。まずはこちらへ」
「必要ありません、わたくしは婚約者の見舞いに来たのです。今すぐ案内なさい」
子爵家の家令も執事も元貴族の平民だ。新興下位貴族とはいえ男爵令嬢の命令に逆らえはしない。三十手前に見える執事は無言で頭を下げ、マリアナを令息の寝室に案内した。
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見舞いを終えた男爵令嬢は、まるで幽鬼のようだった。血の気の失せた形相で馬車に乗り、焦点の合わぬ目で己の指先を見つめ、ぶつぶつと脈絡のない言葉を漏らしている。主を案じたオズマが必死に労りの言葉をかけているが、彼女には届いていないようだ。
令嬢の口からこぼれる単語は意味不明で、オズマは途方に暮れてアキラに助けを求めた。
「私は数日前に雇われたばかりですよ、お嬢様を慰められるわけがありません」
「しかし、私もこのようなお嬢様ははじめてで。いつもハキハキと命令される方なのに、今は何をおっしゃっているのか……」
唇が動き何かしらの声が漏れていても、それが言葉として聞き取れないオズマは困り切っている。婚約者を襲った衝撃的な不運を彼も聞いていたのだ、令嬢が衝撃と心痛でこのようになったのも無理はないとため息をつく。
「とにかくお屋敷に戻って、休ませるしかありませんよ」
アキラは行き先を商会から男爵邸へと変更させた。オズマには意味不明の声にしか聞こえない呟きも、アキラは鮮明に聞き取っていた。
『女狐を、追い払いたかっただけなのに。わたくしが、ギャレット様を、傷つけて……そのせいで記憶が失われたというの?』
エラを処分しようとした命令が、ギャレットの記憶と右目を失う結果につながったと知り茫然自失となったのだろう。このまま落ち込み続け、罪悪感から諦めてくれればよいのだが、おそらく無理だろう。令嬢は自己中心で高慢、そして前向きで頑強な精神の持ち主だ。時間が経てばギャレットの記憶も戻る、もし戻らなくとも、まっさらからもう一度好かれればよいのだ、などと都合よく考えかねない。
「その前に脱出しないとな」
「何か言ったか?」
「いいえ。お嬢様がゆっくりと休める錬金薬を作ろうかと」
オズマを誤魔化したアキラは、令嬢を男爵邸に送り届け、商会の調合室で錬金薬をつくって店員に託した後、宿舎の寝室に籠もりコウメイからの魔紙を待った。
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「しっかし、コーメイはさすがだなー。押せ押せなおじょー様の媚薬香水に落ちなかったんだろ?」
「落ちなくて当然だ」
「なんで? アキラの調合なのに?」
「俺がそんな危険物を作るわけないだろう」
「えー、じゃああの香水は?」
「それらしい香りが強烈なだけの品だ」
甘く幸せな気持ちになれる香りなので、匂いを嗅いだ直後は警戒心も消える。だが効果はそれだけで、人体にも精神にもなんの影響もないものだ。
「なんだよ、つまんねーなー。コウメイがおじょー様に迫られてアタフタしてるとこ想像してたのに」
「アタフタはしていたぞ。あともの凄くうんざりした顔をしていた」
籠に飾り付けた薬草花には、疲労回復やリラックス効果のあるものを選んでおいた。妊婦にも問題のない薬草ばかりなので、有効に活用してくれるだろう。もう一つの差し入れにも気づいているはずだが、日が暮れてずいぶん経つのにまだ魔紙は送られてこない。
昼間訪問したギャレットの部屋には、あちこちに隠し扉やのぞき窓があった。剣だけでなく結界魔石も奪われているとしたら、魔紙をやりとりするタイミングはかなりシビアになるだろう。
「で、これなんだけどよ」
シュウが中古武器屋で購入した剣を差し出した。
魔道ランプの小さな灯りに近づけ、剣を抜く。
細身の刀身が青黒い光を放った。
「間違いねーだろ?」
「ああ、コウメイの剣だ」
アキラは魔力を帯びて青く光る剣を鞘に戻した。
ゾーラント家は別人の証拠になりうる品を保管しておくほど馬鹿ではなかったのだろう。さっさと売り払って現金に換えていた。
「売りにきたのは眼帯をした冒険者だったってさ。盗賊に財産を奪われて剣しか残らなかった。換金した金で安い剣に買い換えて旅支度を調えるつってたらしいぜ」
「偽装工作も兼ねていたか」
コウメイを探してこの街にやってきた仲間の冒険者が、特徴のある剣を発見し店主に話を聞けば、街を出て行ったと勘違いする、させるための仕込みだ。
八の鐘が鳴った。シュウが宿舎の食堂から持ってきた夕食をつまみながら、コウメイからの連絡を待つ。
どのくらい経っただろうか。毎夜食堂で酔っ払う護衛冒険者の声が聞こえなくなり、各部屋に戻る店員らの足音も消えたころだった。
「……きた」
魔力の気配に吸い寄せられて顔を上げたアキラが、宙に手を伸ばす。
待ち焦がれた魔力の輝きは、ひらりと舞って形を作り、彼の手のひらに収まった。見慣れた文字を確かめてアキラの体から力が抜けた。
「なんだ、やっぱ元気そーじゃん」
「窮屈そうだが、無事で良かった」
素っ気なく聞こえる言葉だが、シュウの顔は笑みほころんでいる。照れ隠しのように食堂から運んできた夕食を口に放り込んで、冷めてて不味いと唇を尖らせた。
「細けー文字だな。なんだって?」
「ギャレットさんの身代わりをさせられているそうだ。昨日からはサインの練習も強要されているらしい……子爵令息として何かに署名させられるのだろうな」
「借金を肩代わりさせられんのかよ?」
「それならコウメイの文字でサインさせるはずだ」
そっくりな人物にギャレットに成り代わって借金をさせ、後に借用書の筆跡が赤の他人だと主張すれば堂々と踏み倒せる。
「セコっ!」
「というのは俺の想像だ。コウメイに筆跡を真似させているのは、子爵令息の死を偽装する目的で、公的な書類に署名を残したいんじゃないかと思うぞ」
「ギャレットが死んでちゃまずいのかよ?」
「俺たちは困らないが、貴族だしな」
「あー、遺産相続とか?」
「一番は爵位の継承問題だろうな」
アキラは魔紙から目を上げた。
「継嗣の死が公になったら困るんだろう。俺も詳しいわけじゃないが、爵位を継ぐ者がいなくなるからな」
コウメイは自分の置かれている状況だけでなく、推測だと前置きしつつゾーラント子爵家の問題を書いてきていた。ギャレットに子爵家の血を引く兄弟はおらず、エラの産む子が伯爵家を継ぐ唯一の人間になる。だがギャレットは貴族として正式な結婚をしておらず、このままでは生まれた子供は妾の産んだ平民になってしまう。無事に子が生まれたなら爵位継承のために二人の婚姻届を出し形式を整える、そのために署名の練習をさせられているのではないかとコウメイは考えているようだ。
「なんか、ドロドロだなー。俺ならソッコー逃げてるわ」
「コウメイも逃げたかったようだが、エラさんと赤ん坊を人質に取られて身動きが取れないのだろうな」
「二人の命を助けたかったら身代わりしろって? そりゃコーメイは逃げられねーよ」
「シュウもだろ」
「アキラも……いや、アキラは見捨てて逃げてるか」
「冷酷無比の極悪人みたいに言うな」
「いででっ」
パンをほおばる頬をキリリとつねられたシュウは、酢漬け野菜の皿を盾にアキラから離れた。
「それで、どーすんの?」
「向こうの事情に付き合う必要はない。エラさんの体調にもよるが、準備ができ次第脱出するぞ」
コウメイはウェルシュタント国への脱出を請け負っていた。子爵邸の警備がどれだけ厳重でも、自分たちなら破るのは簡単だ。戦軍馬の脚に追いつけはしないだろう。どこの街にも寄らずに疾走すれば追跡は難しくなるし、なにより砂漠は普通の装備では越えられない。
「問題は、エラさんの体調と、主治医の治療魔術師だな」
街の外から招かれた治療魔術師は、リラックス効果のある薬草茶を差し入れたり、体に良いと言われる料理をすすめたりと、一見穏やかで思いやりのある医者に見える。だが中毒性のある麻痺薬草を混入させていたり、食べ合わせによっては体調不良を招く料理や食材をすすめたりと、笑顔で隠した悪意が露骨なのだそうだ。
「彼女が薬草冒険者じゃなければ気づかなかっただろうな」
「治療魔術師が妊婦に毒を盛るって、それ許されるのかよ?」
「許されるわけがないだろう。だが証拠を押さえるのも難しい……」
証拠とともに魔法使いギルドと医薬師ギルドに訴えてやりたいが、今はそれよりも優先しなければならないことがある。
敵は黒級とはいえども治療魔術師だ、人体や薬草の知識はエラよりも上だ。彼女の知り得ない毒草を紛れ込ませていたり、治療の際に気づかれない程度に母胎に害のある魔術をかけていないとも限らない。
「シュウ、街の近くに箱馬車と馬を待機させておいてくれ。食料の備蓄も頼む」
「りょーかい。脱出はいつだ?」
こちらの掴んだ情報と脱出方法の案を書き記した魔紙への返事は、エラとの面会は二日に一度と制限されていること、二日後の面会で彼女に説明し、最短でその夜に脱出を決行する、とあった。
「エラさんの体調次第だが、早ければ明後日の深夜だ」
「りょーかい。食料とか毛布とか、こっそり準備しとく」
魔紙で何度かやり取りし、着実に脱出準備は整ってゆく。
だがその計画は、実行されずに終わった。
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