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再会の花籠



 見舞いに訪れたマリアナ・シュテル男爵令嬢は、勝ち気な目つきの、見るからに気の強そうな女性だった。彼女が入室したとたん、まとっている濃厚な香水が広がり、思わず息を止めたくなる。

 彼女は寝台に横たわり苦し気に頭を動かしたギャレットを目にした瞬間、淑女の礼節を投げ捨てて枕元に駆け寄った。


「これは、一体どうされたのです!?」


 ギャレットの右の顔半分を覆う包帯を見て悲鳴に似た声をあげ、布団から出ている手を取ってその荒れ具合に眉をひそめ、触れた腕の意外なたくましさに彼女の頬が朱く染まる。


「ギャレット様、なんという事でしょう! 誰がこのような酷いことを」

「あの、失礼ですが……あなたは誰ですか?」


 脅えたように婚約者の体が寝台の奥へと逃げる。それを追いかけて身を乗り出した令嬢は、その耳元でねっとりと囁いた。


「……ギャレット様、三年ぶりとはいえ婚約者へのお言葉として酷すぎますわ。ええ、わたくしとあなたの思いは同じではないと存じておりますが、婚約は契約でございます。契約が履行されなければ子爵家は困るのではありませんか?」

「そ……そう言われましても、私はあなたを知らないのです。婚約者……私に婚約者がいたのですか? それが、あなた?」

「ギャレット様、おふざけは止めてくださいまし」

「あなたはふざけていると思われるのですね……私は己の全てを失い途方に暮れているというのに」

「何を失ったというのです。ギャレット様は何も失ってなどおりません、ええ、何も!」

「……ひいっ」


 ギャレットは仰け反って布団を引き寄せて、身を守るように体に巻き付ける。その態度が気に入らなかったのだろう、マリアナは勝ち気な眉をヒクヒクと震わせると、猛禽類かと見まがうような鋭い笑みを見せ、一気に寝台の上に乗りあがった。


「お嬢様、いけませんよ」


 マリアナの付き添いは侍従と黒いローブ姿の人物の二人だけだ。ローブの男が慌てて呼び止め、侍従が二人の間に腕を挟み入れるが、彼女の体に触れて止めはしなかった。

 婚約者とはいえ殿方の寝台に上半身を乗り上げ、布団越しに覆い被さるように男に体を預けるなど、貴族令嬢としては褒められない行動だ。ここに彼女に命令できる者がいれば引き剥がすこともできただろうが、あいにくこの場でそれが出来るのは婚約者であるはずのギャレット・ゾーラントのみ。

 だが気弱な男は彼女を止められない。男爵令嬢はそのまま下半身もベッドに乗り、寝込んでいるはずの婚約者から布団を引き剥がそうとした。


「お茶の支度が調いましてございます」

「ブ、ブルーノ!」

「口を利いて良いと誰が申しましたか?」


 助けを求める悲痛な声を無視し、彼女は執事を射殺さんばかりに睨みつける。


「申し訳ございません。ですがギャレット様は病み上がりでございますし、ご説明が必要かと思いまして」

「ふん、子爵家の偽りなど存じておりますわ。我が家とわたくしを謀った言い訳は許しません。この代償はギャレット様にお支払いいただきます」

「それではなおのこと、ギャレット様のお言葉をお聞きください。主の言葉に嘘はございません」

「わたくしを知らぬなどたわけた言葉の何が真実だと?」

「わ、私は、本当に、あなたを知らないんだっ」

「ギャレット様……?」


 自分を見ず知らずの者であるかのように見る目が、三年前とは異なる脅えに染まっているのを見て取った彼女は、ようやく話を聞く必要があると気づいた。ブルーノに促され、黒ローブの同行者に導かれて、婚約者のベッドから降りる。用意された椅子に腰を下ろした彼女は慇懃に命じた。


「表向きの事情と真実が異なるとわたくしは知っております。言い訳は不要、事実だけを説明なさい」

「ギャレット様は半月ほど前に盗賊に襲われ頭部を強打なさいました。その際に右目と、これまでのご記憶を失われました」


 彼女は黒ローブを振り返り「確かめなさい」と短く命じる。


「この者は?」

「わたくしの雇った薬魔術師ですわ。ギャレット様の快癒の役に立つかと思い連れて参りましたの」


 欲望を隠しきれない笑みと牽制の視線で指示され、フードを深く被ったその人物は魔術師証をブルーノに手渡した。魔法使いギルドの黒い紋章に間違いはないようだ。

 黒ローブの人物は持っていた花籠を彼に手渡した。


「お嬢様からのお見舞いです。令息は植物に興味があると聞き、珍しいものを集めてみました。覚えておられないとのことですので楽しめるかどうかわかりませんが……」

「あ、ああ、ありがとう」


 受け取った花籠を大切そうに引き寄せたギャレットは、嬉しそうに野の花の束を撫で摘まんでいる。

 これまで一度も見たことのない婚約者の嬉しげな笑みを目の当たりにしたマリアナは、熱の籠もったため息をついて見蕩れた。

 黒ローブがギャレットの包帯にそっと触れる。


「失礼いたします。包帯を外してもよろしいでしょうか?」

「……ああ」


 フードの影からギャレットを見る銀の瞳は、呆れをまとっていた。


(無様だな)


 囁かれた彼は、言い訳するように眉根を寄せて唇を動かし囁き返す。


(演技だ、演技)

(どうだか)

(……剣を奪われた)

(回収しておく。エラさんは?)

(別室で監禁中。治療魔術師が毒を盛ろうとしている。依頼を請けた。守って逃がす)

(……わかった。詳細は後で)


 黒ローブは何食わぬ顔で右目を確かめると、男爵令嬢を振り返って小さく頷いた。


「右目は失われておりますね。石の義眼が入っています。失明ではなく眼球そのものが失われるほどの怪我ならば生死の境を彷徨ったのではありませんか? 記憶が失われたとしても不思議ではありません」

「な……なんですって?! 間違いありませんか?」

「ご覧になってください、右目に石が入っておりますよ」

「……なんてこと!」


 婚約者の義眼を目の当たりにした令嬢の手が茶器を引っかけた。

 オズマが慌てて茶器を戻し、こぼれた茶を拭き取る。

 冷めた目のブルーノが新しい茶を入れてご令嬢の前に置いた。


「右目だけでなく左目の眼精疲労も酷いようですね、錬金薬を処方いたしましょうか?」

「それには及びません」


 ブルーノが首を横に振り、早く離れろと黒ローブを叱った。


「ギャ……ギャレット様を襲った盗賊は、どうしました?」

「砂漠で襲われたため、ギャレット様をお守りすることしか出来ず、取り逃がしております」

「砂漠で、そう……」


 ブルーノの端的な説明を聞いたマリアナは青ざめた。震える手で茶器を持ち、気持ちを落ち着けようと香り茶を飲む。


「その盗賊によって、右目を失ったと?」

「さようでございます」

「き、記憶も」


 動揺を隠しきれないマリアナの様子を観察しながら、ブルーノは淡々と述べた。


「眼球を損なうほどに強く頭部を打たれておりました。そのときギャレット様は錬金薬を持っておらず……やっと目覚めたときにはご自身のことも、子爵家のことも、なにも覚えておられませんでした」

「そんな……っ」


 ガチャリ、と。再び茶器を取り落とした。こぼれた香り茶がテーブルクロスを伝うのを止めきれず、彼女のドレスに染みを作る。


「シュテル男爵令嬢、ご気分が優れないようですね。お帰りになりご自身こそ薬魔術師の治療を受けてはいかがですか?」

「そ、そうね。三年ぶりの再会がこのようなことになるとは……ギャレット様、またお見舞いにうかがいますわね」


 ブルーノが丁寧に帰宅を促すと、彼女は黒ローブと付き添いの従者に支えられてふらりと立ち上がると、よろよろとした足取りでゾーラント邸を出て行った。

 婚約者の記憶喪失がよほど衝撃だったのだろう、まるで彼女こそが病人のように見えた。


   +++


 令嬢を見送るためブルーノが部屋を出た。扉が閉まると同時に全身から緊張を抜いたコウメイは、男爵令嬢の残り香から逃れるようにベッドを降りる。駆け寄って窓を開け、室内の空気を入れ換えてやっと人心地ついた。

 結婚適齢期の令嬢だからか、あるいは三年ぶりに会う婚約者のためにか、ドレスも髪型も少々飾りすぎるくらいに気合いが入っていたが、一番すごかったのはその香りだ。トロリと濃厚な芳香をまとった彼女に迫られたコウメイは、スッキリとした香りを放つ花籠がなければ窒息していただろうとしみじみ思った。


「しっかし、アキのやつ、どうやって雇われたんだ?」


 顔を見てほっとしたが、まさか男爵令嬢に同行して館に入り込むとは思っていなかった。コウメイは花籠をかき分けて取り出した魔紙の束を素早く懐に隠す。花籠の野の花は、ツンとするような青臭さとスッとした爽やかな香りがして、香水で胸焼けしていたコウメイを癒やした。


「回復薬と治療薬の素材だな」


 籠に彩りよく飾られた花々のうち、コウメイがわかる範囲でも三分の一が薬草だった。エラが見れば他の薬草を見つけるかもしれない。

 残された茶で喉を潤し、花籠の香りに癒やされていたコウメイのもとに、令嬢を見送ったブルーノが戻ってきた。


「いいのか? ギャレットが寝込んでなかったってバレてたぞ」

「想定内です。男爵家は子爵家の公式発表を正面から否定できません」

「ならいいけどよ、あのご令嬢、妙じゃなかったか?」

「何がです」


 テーブルクロスごと全てを片付けている彼は、残り香を不快に思うにしては大げさなほどに顔をしかめている。


「婚約者が襲撃されて目と記憶を失ったって聞いたときの様子だよ。アレは演技じゃねぇが、落差が大きすぎる気がしなかったか」

「……どういう意味です」

「ギャレットが負傷するはずがない、って顔だったぜ。それが砂漠って聞いて動揺したように見えた。彼女、襲撃を知ってたっていうよりも、盗賊が誰を狙ってたのか知っているように見えたんだが……あんたも同じこと考えたんじゃねぇの?」

「何を根拠に」

「根拠なんかねぇよ、ただそう感じとれたってだけだ。あんたも同じだろ。だからそんな仏頂面を晒してる」


 ブルーノが動揺を表情に出すほどに衝撃的な何かを、彼は令嬢との会話の中で掴んだのだろう。


「……幼きころからお仕えしてきた身としては、ギャレット様の死に関するのでしたら知りたいと思います。ですが旦那様が決められたことです、私の役割はギャレット様が存命であると信じさせること、それだけです」

「じゃあ今日の面会は成功か?」

「ええ、ギャレット様の脅えた演技はとても真に迫っておりました。男爵令嬢は疑いもしませんでしたよ」


 嬉しくない褒め言葉だが、ブルーノは思惑通りの結果に満足しており、薬魔術師の存在は気に留めていないようなので聞き流した。

 花籠は当然のように検められたが、怪しげなものは発見されない。これをエラに持っていこうとするコウメイを、これだから平民はとブルーノは鼻で笑った。


   +


 野の花草の籠を、エラはことのほか喜んだ。


「この赤い花の香り、好きなの。こっちの白い花の蕾もかわいいよね」

「見舞いにもらったんだが、俺は花を愛でる趣味はねぇし、あんたなら飾って楽しむかと思ってな」

「ありがとう、嬉しいわ」


 二人のやりとりを確認して問題なしと判断したのだろう、ブルーノはすぐに監禁部屋を出て行った。いつものように施錠の音を聞き終えてから、二人は話題を変える。


「すごいわ、組み合わせれば効果の増す薬草ばかりじゃない。どうやって手に入れたのよ?」

「見舞いの品だ、俺の仲間が令嬢に同行してたんだ」


 副作用なく安眠をもたらす薬草に、乾燥させて茶にすれば疲労の取れる薬草、とてつもなく不味いが葉一枚で半日分の食事と同等の役割を果たす薬草、と、エラでもなかなか採取できない珍しいものばかりだ。これを見逃すのだから、この館の連中がギャレットの出奔を許してしまったのもうなずけた。


「二人がきたの? いつ脱出するの? どうやって?」

「詳細はこれから詰める。話し合いの手段は聞くなよ、あんたが困ることになりかねねぇからな」


 期待と興味を膨らませる彼女に釘を刺し、やはり差し入れられていた薬草茶を飲むふりをして、ブルーノが迎えに来るまで白湯で喉を潤しながらくつろいだ。


   +++


 夜も深まり、交代時間が近づき見張りが疲れで気もそぞろになるころ、コウメイは状況を書き記した魔紙を送った。


「へぇ、やっぱりあの盗賊どもは令嬢が手配した連中だったのか」


 すぐに戻ってきた返事には、アキラたちが男爵令嬢に雇われた経緯と、自分が雇った盗賊によって婚約者が右目と記憶を失ったと知った令嬢の様子が書かれていた。ご令嬢は己の失策に落ち込んだ後、癇癪を起こして倒れたらしい。


「ヒスって失神したのか。脳の血管切れたりしねぇだろうな?」


 男爵令嬢の身に何かがあってアキラが責任を取らされる事態にならなければ良いのだが、と心配になってくる。


「そもそも、どうやってご令嬢に取り入ったんだよ、あいつ」


 令嬢がアキラを伴って現れたとき、うっかり声を漏らしそうになったほど驚いたのだ。アキラからの魔紙には、そのあたりの説明は何一つ書かれていなかった。


細々としたお知らせがありますので活動報告を読んでいただけると嬉しいです。

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