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ゾーラント子爵



 窓ガラス越しに庭の草木を楽しみ、体が鈍らない程度に筋トレで暇を潰し、運ばれてくる食事から毒を探す生活は四日目になっていた。清潔で快適な寝具に、脅かされることのないゆったりとした時間、気を紛らわせるのに役立つ書棚の蔵書。窓の飾鉄格子と廊下の見張りにさえ目をつむれば、とても快適な休暇といえる。


「今日のご飯も美味しかったわ」

「そりゃ良かった。つわりとか問題ねぇのか?」

「一番酷い時期は過ぎてるから大丈夫」


 エラは窓際に置いた椅子から陽の光と庭の景色を楽しんでいる。貴族の庭園といっても、彼らが押し込められている部屋は本宅の端で、窓越しに見えるのは菜園を兼ねた素朴な裏庭だ。見栄えよりも実用が優先されているが、彼女にはそちらの方が見ていて面白いのだそうだ。


「ギャレットがね、ウェルシュタントに落ち着いたら小さな家を借りて、畑を作りたいって言ってたんだ。野菜じゃなくて薬草を育ててって頼んだら、薬草は詳しくないって困ってたのよ」


 彼女はコウメイの顔を極力見ないように意識していた。そして腹の子に語りかけるように、夫との思い出を語る。コウメイにはそれが己に言い聞かせているように聞こえていた。

 夫の不幸な死から今日までの急激な環境変化に、心身が疲労し弱るのも当然だ。そこでコウメイにすがろうとしたなら迷わず見捨てたが、彼女は腹の子を支えに心を奮い立たせている。そういう存在は見捨てづらいものだ。

 コウメイは書棚から一冊を取り、自分に与えられた部屋に戻った。

 書机から椅子を窓際に移動させ、ガラス窓を背に本を開く。


「兵法指南書か」


 戦争における隊の動かし方だけでなく、街や領地の治安維持のための兵の使い方が書かれたその本は、退屈を紛らわすには丁度良い。


「ここの本棚、戦闘系の指南書や教書ばかりだな」


 これまで暇に飽かして部屋の蔵書を順番に読んできた。剣術、棒術、馬術とその作法に関する本や、体の鍛え方や、人体の急所を解説した図録、集団戦の指揮指南といった本ばかりだ。かつてここに監禁されていた人物が好んでいたのか、それとも学びを強要するために集められていたのかわからないが、ゾーラント家が武門寄りの貴族なのは間違いなさそうだ。


 状況に不満はあるがこれらの本は面白い。ときおり室内をのぞき込む見張りは、読書に没頭するコウメイが面白くないのか、集中を邪魔するように乱暴に扉を閉める。今も音を立てて閉める前に扉を何度も蹴っていた。見張り兵がつけた扉の傷はコウメイがやったことにされるのだろう。感情のままに行動する使用人は三流だし、それを雇っている主人の品位も想像できる。


「そろそろ動いてくれねぇかなぁ」


 コウメイは本の陰に隠して銀板を操作した。示される赤い印は毎日少しずつ近づいているが、まだ街二つほど離れた場所にいた。アマイモ三号の全速なら何日も前に合流できていたはずだ。時間をかけているのは、慎重に動かざるを得ない何らかの情報を掴んだからだろうか?


「アキのことだから情報集めまくって、色々計画してから乗り込んでくるんだろうなぁ」


 コウメイもまたこの四日間にゾーラント家を探ろうとしていた。貴族のなかでどの位置にあるのか、財力に武力、政治力をさりげなく聞き出そうとした。しかし忠誠心だけは一流なのか、あるいは恐怖で支配されているのか、使用人らの口は硬く、コウメイの誘導に引っかかる者はいなかった。わかったのは、蔵書の傾向から武門の貴族家であることと、完全に支配された使用人を寝返らせるのは不可能に近いという事実だけだ。


「独裁者には話が通じねぇんだよなぁ」


 当主との交渉が可能であればいいが、この様子では期待薄だ。

 銀板を眺めながら「はやく合流してくれ」と呟いた彼は、窓ガラスの向こうがざわついているのに気づいた。

 飾り格子の隙間から目を凝らせば、正面玄関へと駆けて行く使用人らの姿が見えた。廊下の気配も引き締まったようだ。足を忍ばせて扉に身を寄せ様子をうかがうと、エラ側の見張りが増えていた。

 コウメイは本を戻しにエラの部屋に入る。庭や廊下の緊迫した空気を感じたのか、彼女は不安そうに扉から最も遠い壁に身を預けていた。


「どうやら事態が動きそうだ。チャンスがあったら脱出する。体調はどうだ?」

「今日は調子も良いし、大丈夫」


 この四日間たっぷりと休んだ、襲撃と移動の疲れは回復できていると彼女は力強く頷いて返した。

 コウメイは彼女の座った椅子を体で隠すように立つ。

 それほど待つことなく、扉の鍵が外された。

 あらわれたのはいつもの侍女らと、二人が監禁された日から顔を見ていなかった老人、そして中年のふくよかな女性だ。


「よう、俺らは忘れられてたわけじゃなかったんだな」

「静かにお過ごしだと報告を受けております。妾様の顔色も良いようですね」


 老人の声は穏やかだが、その目には蔑みの色が濃い。エラは鋭い視線を避けるように顔を背けた。


「こちらは妾様のために子爵様がお招きした治療魔術師です。お子様の担当医でもあります」

「リネットと申します。わたしは妊婦と赤子を主に診てきた治療魔術師ですの。安心してくださいね」


 首からさげた魔術師証の紋章は黒だ。穏やかであたたかみの感じられる中年女性は、老人の視線に脅える彼女に優しく微笑みかける。つられてエラも小さく笑ってた。


「坊ちゃまはこちらへ。旦那様がお呼びでございます」


 使用人らのざわつきはゾーラント子爵の帰還によるものだったらしい。

 老人が合図すると、増員された甲冑五人がコウメイを取り囲んだ。甲冑の壁を突破しても、追っ手の数が多すぎる。コウメイは脱出から子爵との交渉に意識を切り替えた。


   +++


 執務室の扉が開いた瞬間から、コウメイは子爵の見極めに徹した。

 四十代後半と思われるゾーラント子爵は、武門の家系と予想したとおり、細身ではあるがよく鍛えられており、実用的な筋肉に覆われた体はしなやかだ。髪と瞳の色はギャレットと同じだが、顔かたちや印象はずいぶんと違う。息子が柔なら父親は剛だ。子爵の顔つきには甘さの欠片もなく、きびきびとした所作に一分の隙もない。座する姿勢や重心からも子爵がかなりの実力者だとわかる。

 見た目だけでなく内面も頑固で気位が高そうだと見て取ったコウメイは、内心で深くため息をついた。おそらく交渉が一番難しいタイプだ。


 子爵もまた息子によく似た男を舐めるように見ていた。コウメイの顔を確かめて目を細め、全身を舐めるように見て鼻で笑う。


「顔のつくりはよく似ているが、筋肉の付き方は別人だな。顔つきもギャレットとは違いすぎる」


 子爵の中でコウメイの評価が定まったようだ。彼は執務机の書類の束を手に取った。


「別人だってわかってんのなら、俺らを解放してくれねぇかな?」

「許可無く口を開くでない。無礼者め」


 老人は許しもなく当主に話しかけたコウメイを叱りつけたが、子爵は眉ひとつ動かさない。執務机に着き、書類に目を走らせながら淡々と告げる。


「お前には息子の代わりをしてもらう。三日後、婚約者のシュテル男爵令嬢がくる。病人として見舞いをうけろ。決して別人だと悟られるな」

「無理に決まってんだろ」

「病気を理由に三年間面会を断わっている、多少の違いなどわからん」

「ギャレットは死んだ、いつまでも騙せるわけねぇ。あんたも貴族の当主ならわかるはずだ」

「お前が必要なのは孫が生まれるまでだ。治療魔術師が正確な産み日を計算する。それほど長くはかからんだろう」


 つまりは、それまでは生かしておく、という意味か。まともに顔を見ることもなく、こちらの声を無視し、己の都合を強要する相手には従えない。まずはこちらの声に耳を傾けさせてやると、コウメイは揺さぶりをかけることにした。


「俺は演技は素人だ。婚約者って令嬢にうっかり余計なことを言っちまうかも知れねぇぜ?」


 書類から顔を上げた子爵は、止めようとする執事に合図し、コウメイに冷酷な目を向ける。


「貴様は息子と違って愚かではないだろう。演技に失敗した結果くらい想像できんのかね」

「できねぇな。俺は生粋の平民、ただの冒険者だ。貴族の考え方なんてわからねぇよ」

「ならば愚者にも理解できる言葉を使おう。貴様が失敗すればあの女の命はない」

「あの女ねぇ。彼女は俺とは無関係の他人だ。どうなってもかまわねぇぜ」

「……なるほど、そこは息子とは違うのか」


 襲撃から今日までの様子を報告されていたのだろう。情が通っていると判断され、十分に脅せると思われていたようだ。


「では試そうか」


 子爵の人差し指が机を叩いた。

 直後に扉が開き、侍女らに両腕を拘束されたエラが執務室に引きずり入れられた。


「脚ならば出産で問題になることもあるまい」


 まさか、と子爵の言葉に耳を疑った直後だ。

 エラの左脚を、甲冑の鞘が強打する。


「ああぁぁ――っ」


 絶叫とともに身をよじった。

 激痛の患部を庇いたくとも、両脇を固めた侍女がそれを許さない。

 唸るような声とともに泣くエラが子爵を仰ぎ見る。


「うるさい、黙らせろ」


 執事が素早くエラに猿ぐつわを噛ませた。

 駆け寄ろうとしたコウメイは、四方から突きつけられた剣で身動きが取れない。


「女、睨む先を間違っている。お前の脚を折ったのはこの男だ」

「……あんた、血も涙もねぇな」

「そうかね? 無関係、どうなってもかまわないと言ったのはお前だ」

「孫を身ごもってる女にそこまでするか?」

「腕がなくとも出産は可能だ」


 コウメイが何を言い、どのような選択をしようとも、子爵は彼女の脚を折るつもりだったのだ。子爵の表情はピクリとも動かない。使用人らの顔にも感情の色はいっさい現れていない、まるで仮面を被っているかのようだ。


「クソが……っ」

「やはり下賤は愚かだ」

「うるせぇ。息子の代役を完璧にして欲しけりゃ、彼女を治療して、俺に必要な情報を教えろ」


 コウメイの全面降伏の言葉を聞き、子爵の口端がかすかにあがった。


「ブルーノ」

「お任せください」


 老執事の隣に控えていた男が一歩前に出て、手配は済んでいると短く返す。満足げに頷いた子爵は、哀れみの目でコウメイを見下した。


「アレとは似ていないと言ったが、撤回しよう。一つだけだが、よく似ている」

「……」

「下賤への情で足をすくわれる甘さは、その顔以上にそっくりだ」


 ギリギリと、コウメイの奥歯が軋んだ。

 エラと胎児が危険にさらされたとしても、あのとき馬車を打ち破って脱出するべきだった。仲間の合流を待つのではなく、たとえ強盗犯として手配されるとしても、屋敷の者を血祭りにあげて脱出するべきだった。激しく後悔したが時は戻せない。

 子爵らはコウメイが目覚めた直後に逃走せず、監禁状態を受け入れた瞬間から従わせられると確信していたのだろう。

 コウメイは反骨の決意を胸の奥に秘め、子爵を見据えた。


「俺はあんたの息子の身代わりをさせられるんだろう? 一つくらい似てるとこがあって良かったじゃねぇか」


 窮鼠の足掻きなど見苦しいだけだとでもいうように、子爵は彼を嘲笑った。


   +


 コウメイとエラは監禁室に戻された。

 猿ぐつわを外されたエラは、涙で顔を汚し、噛みしめた唇から血を滲ませて脚の痛みに堪えている。ベットに横たわる彼女を素早く診たリネットが、急いで治療魔術をかけた。


「……わたしは怪我の治療魔術は得意ではないの。完治は難しいけれど痛みは緩和できたと思います」


 患部に押しあてた杖がほのかに光ると、激痛に強張っていた体が弛緩し、彼女の頭が枕に深く沈み込んだ。


「最小限の治療で済むよう、とても上手く折られていますね。これなら自然治癒でもそれほどかかりませんよ」


 リネットの診断によれば骨は砕けておらず、刃物で切ったかのような折れ方をしているらしい。感心していいのか恐れていいのかわからないと、彼女は複雑な表情だ。あの甲冑は治療魔術師が驚き呆れるほどの技量の持ち主らしい。

 リネットは治療魔術の効果が薄れたときのためにと、痛み止めの薬と解熱剤を処方して部屋を出て行った。

 コウメイは食卓テーブルの椅子をベッドサイドに運び、エラの枕元で深々と頭を下げる。


「悪かった、甘く見ていた俺の戦略ミスだ」

「なんで、こんな……あれがギャレットの父親だなんて……」


 監禁されてはいても衣食住に困らない快適な日々を経験したエラは、どうして夫が貴族の身分も豊かな生活も、何もかもを捨てたのか不思議に思いはじめていたところだった。だがあの父親を見れば納得だ。小さな争いごとすら苦手で、畑仕事や薬草採取を楽しむギャレットには、高圧的な貴族でいるのはさぞかし息苦しかっただろう。


「この脚じゃ足手まといだね」

「……仲間がこっちに向かっている。手を借りれば脱出も逃走も可能だ」

「でも、ギャレットのお父さんも、その部下も使用人も、躊躇わずにあたしを斬りつけると思う」

「怖いよな」

「うん。それに、この子にも痛い思いさせてる……あんな痛いのは、もう嫌だよ」


 体を丸くしてコウメイに背を向けた彼女は、上掛けで身をくるんで震えている。貴族の残酷で冷酷な攻撃を真正面から受けたのだ、脅え、畏れ、反骨の心を失っても当然だ。

 アキラとシュウが合流し、コウメイとともに脱出できたとしても、逃げ切れる保証はない。失敗し捕まれば、今度は脚を折られた以上の痛みが与えられる。それだけは嫌だと、彼女は涙声で訴えた。


「あれが貴族の常套手段か……」


 コウメイを脅すついでに、強行突破を阻む者の実力を見せつけ、さらにはエラの脚を折ることで逃走の難易度を上げる。同時に彼女に恐怖を刻み込んで抵抗を封じ、コウメイの足枷を二重にした。恐ろしいほどに効果的だ。

 このままではいけない。

 コウメイは布団に隠れたエラに問うた。


「どうする?」

「どうするって……」

「あんた、逃げるのが怖くなってるだろう。ここで子どもを産んで、衣食住には困らねぇが閉じ込められた生活を選ぶか?」


 布団の下の体が弾けるように震えた。彼女は揺れているようだ。


「あんたが脱出を断念するなら、俺は一人で逃げる」

「え?」

「俺はあんたの夫でも、子爵の息子でもない。誰かに成り代わる人生なんてまっぴらなんだ」


 上掛けをはねのけた彼女が、必死の形相でくってかかった。


「あたしはどうなるのよ?!」

「それは自分で考えるんだな。冒険者は自立自助が原則だろ」


 引き請けた依頼は、脱出する彼女をウェルシュタントまで守り届けるというものだ。依頼主が逃げる気を無くしたのなら依頼は無効だ。


「依頼内容を変更するわ」

「引き請けねぇよ。俺はあんたの犠牲になるつもりはねぇ」

「犠牲なんて……」


 彼女の声が萎んだ。頼れると思っていた相手に、しかも夫と同じ顔の男に突き放されたのだ。彼女の目に涙があふれる。


「よく考えろよ、あんたがここに残った結果と、脱出した結果を想像するんだ」


 一つの選択に一つしか結果がないとは限らない。思いつく限りの可能性を出して、その中から自分の望みにもっとも近い選択をしろ。コウメイの厳しい言葉に、彼女は唇を噛んで視線を落とす。


「俺の選択肢はここからの脱出、それ以外はねぇ」

「……」

「俺がいなくなった後、自分がどう扱われるのか、よく考えて選べ」

「どうなるっていうのよ」

「自分で考えてくれ。だが子爵の最優先は生まれてくる赤ん坊、次に体面だ」

「体面って、何よ」

「知らねぇよ。だが子爵は息子(ギャレット)が死んでいては困るんだろうぜ。だから俺はあんたを盾に代役を押しつけられてる」


 彼らの目論見が外れエラはコウメイの楔にならないとわかれば、強要できる新たな手段を見つけるだろう。それでも動かせないとわかれば、息子の存在を切り捨てるくらいはしそうだ。コウメイを殺しギャレットとして堂々と弔うくらいはやりかねない。


「そこまで、する?」

「あんたの脚を折れって命じたのは子爵だぜ」


 手足が不自由でも出産に問題は生じないと平然と言い放ち、実際に脚を折れと命じるくらいだ。赤子が胎にいる間は命を保証するが、育てるのは母親でなくても良い、むしろ当主の命令に従い乳母が育てるのが貴族というものだろう。出産後のエラが遠ざけられるのは間違いない。


「……あたし、どうなるの?」

「赤ん坊を取り上げられて、追い出されるだけならマシだろうな」


 孫を産んだのが平民では外聞がよろしくない。当然隠されるし、彼女を生かしておけば後々の禍根になる。処分される可能性は高いだろう。

 コウメイの言葉を聞いてエラの顔色が一気に褪めた。まさか、と呟いたが、結局は同じ考えに至ったのだろう。失いガタガタと震えはじめた。


「ど、どうしようっ」

「それは自分で考えな」

「見捨てる気? 酷いわ。なんであたしがこんな目に遭わないといけないのよ」

「悲嘆に暮れて助けを待っても意味ねぇぞ。確かにあんたは被害者だが、俺も被害者だ」

「あたしはあんたを雇ったのよ」

「まだ金は貰ってねぇよ。それに逃げねぇのなら依頼内容が変わる、契約は無効だ」

「そんな……っ」


 彼女は両手で顔を覆った。


「俺の仲間が合流するのは数日後だ。それまでは子爵の命令通りにギャレットの身代わりをやるが、そこから先をどうするか、考えとけよ」

「……」

「ああ、もう一つ。リネットって治療魔術師に助けを求めるのは止めといたほうがいいぜ」

「何故……?」


 自分を見捨てると言い切ったコウメイの、さらなる追い打ちのような言葉にエラの声が尖る。


「彼女は優しかったわ。痛みを取ってくれたし、薬もくれた!」

「けどあんたの骨折は治療しなかっただろ。だからだよ」


 出産専門だから骨折を治療する魔術をつかえない、という彼女の説明をエラは鵜呑みにした。だがコウメイは、その言葉で治療魔術師が敵だと気づいた。


「魔術師ってのはな、一番下っ端の黒級だとしても、普通の医者とは違うんだよ。単純な骨折を治せねぇ治療魔術師なんて存在しないんだ。リネットが偽者なら治せなくて当然だが、もし本物だとしたら、あんたの骨折を治せなかったんじゃねぇ、治さなかったんだ」

「まさか……」

「俺はいくつもの討伐で、黒級の治療魔術師がちぎれた腕をくっつけたり、腹がぱっくりと斬れた傷を塞ぐのを戦場で見てきた。治りやすいように折られた骨だってわかる魔術師が、それを治せねぇわけがねぇだろ」

「そういえ、ば」


 エラはかつて参加したスタンピード討伐隊での光景を思い出していた。薬草冒険者として討伐隊に加わった彼女は、一人の薬魔術師とともに錬金薬を製造し続けた。その薬魔術師は瀕死の負傷者が運び込まれるたびに、錬金薬に治療魔術を重ねて何人もの命を救っていた。


「……あたしの知ってる薬魔術師も黒級だったけど、治療魔術もつかってたわ」

「魔術師証に書かれてるのは、そいつが最も得意とする分野だ。けどそれ以外もできるヤツは多いぜ。あんただって薬草採取しかしねぇわけじゃねぇだろ」


 薬草冒険者を名乗っている彼女も、食料調達のため角ウサギや草原モグラを狩ることもある。リネットはエラに一般薬の痛み止めを処方していった。魔術師なら錬金薬を作れるはずなのに。


「リネットさん、やさしそうだったのに……」


 子爵に雇われた治療魔術師に課せられた一番の役割は、エラに健康な赤ん坊を産ませること。赤子の状態を優先した上で、おそらく母胎の健康は二番目だ。エラの希望や願いが子爵の意向に反する場合は当然のように無視されるに違いない。それに気づいた彼女は、絶望に目を閉じた。


「俺の仲間が合流するのは二、三日後だろう。それまでじっくり考えてくれ」


 コウメイはベッドに伏せる彼女の側を離れた。

 与えられた部屋に戻った彼は、窓際の椅子に腰を下ろすと読みかけの本を手に取った。読書で気持ちを切り替えようとしたが、文字を追いかけてもさっぱり頭に入ってこない。苛立たしげに息をつき本を閉じた。


「ったく、なんて巡り合わせだよ」


 顔がそっくりなだけの他人と偶然すれ違うだけでも稀だというのに、その瞬間からギャレットと人生をすり替えられてしまったかのようだ。どこかで回避できたのではと考えるが、今さらだろう。

 ここまで関わってしまったのだ、エラに死なれては寝覚めが悪すぎる。だが出産後に殺されるとわかっていても、彼女が自力で逃げる覚悟を決めなければ、コウメイも手を貸す気になれない。


「俺の最良がエラさんと同じとは限らねぇからなぁ」


 迷いなく判断するための情報がほしい。

 彼をギャレットに仕立て上げようとやってくるであろう誰かを、コウメイはじりじりとして待った。

 ほどなくして扉が叩かれた。

 甲冑兵を従えてあらわれたのはブルーノと呼ばれた男だ。三十代前後と思われる彼は、有能な召使いの仮面でまっすぐにコウメイを見据える。


「お部屋の準備が整いました、ギャレット様にはそちらに移っていただきます」

「坊ちゃまじゃなかったのかよ?」

「旦那様が正式にお認めになるまでは、お名前をお呼びするわけにはまいりませんでしたので。今からあなた様はギャレット・ゾーラント様でございます。そのつもりで発言ください」


 ブルーノはゾーラント家に代々仕える執事の家系だそうだ。彼の父親は当主付きの筆頭執事として仕えている。ブルーノはギャレット付の執事だ。


「ギャレット様のことでしたら私が全て存じておりますのでご安心ください」


 何が安心なんだと悪態をつきたいのを堪えて、コウメイはエラはどうなるのかと問うた。


「妾様は出産までこちらに滞在いただきます。続きの間には侍女が控えますし、リネット先生も丁寧に診てくださいますので何の心配もございません」

「四六時中他人に成りきるのは疲れる。彼女のところで息抜きくらいさせてくれよ」

「夫の代わりを務める必要は認めません」

「そんなつもりはねぇって。だがなぁ、あんたら使用人や甲冑らにずっと見張られてたら心が安まらねぇ。それは彼女も同じだぜ」


 完全に分断されるのは避けたい。こちらの弱みはつかまれているが、子爵にも弱みはある。コウメイはそこを巧みに刺激して譲歩を引き出そうとしていた。


「彼女にだって気を休める時間は必要だ。毎日短時間でも夫と同じ顔を眺めれば気も紛れるってものだ。赤ん坊を危険にさらしたくねぇんだろ? 母胎の心身が弱って赤ん坊の成長に影響が出たら? 死産の可能性はゼロじゃないんだぜ?」

「冒険者は医者ではない、私がでまかせに惑わされるとでも?」

「俺の父親も二人の兄も姉も医者だ、色々見聞きしてりゃ詳しくなる」


 嘘は半分だけ。だが真実が紛れ込んでいれば声に力が入る。コウメイの言葉を笑い飛ばせなかったブルーノに、そのあたりの確証が欲しければ、自分たちで雇った治療魔術師に判断を仰げと投げた。


「赤ん坊に良い影響があるなら、あんたたちの利にもかなうだろ?」

「……治療魔術師様にご意見をうかがい、判断いたします」


 即答は避けたが感触は悪くない。判断を仰ぐ先が子爵ではなく治療魔術師なあたり、この男に全権が任されていると考えてよさそうだ。

 ブルーノに連れられて部屋を出た。相変わらず甲冑に囲まれての移動だ。案内されたのは、監禁部屋とは対極の端にある立派な部屋だった。


「こちらは三年前までギャレット様がお使いになっておられた部屋でございます」


 絨毯とカーペットは同系統の落ち着いた色調で整えられていた。執務用の机と椅子はほどよい使用感があり、書棚にはぎっしりと本が並んでいる。チラリと見たところ兵法本ではないようだ。日当たりの良い窓際に置かれた長椅子と小テーブルは、応接用にしては飾り気がなく地味なしつらえで、故人の性格がぼんやりと見えてくる。扉の向こうの続き部屋は寝室だろう。


「ここでギャレット様として過ごしていただきます」

「それなんだが、俺はいったいどんな人物の真似をしなきゃならねぇのか、教えてもらえるんだよな?」

「三年間病に伏せており誰とも面会をしておりません。男爵令嬢の見舞いは、寝ておれば大丈夫でしょう」

「寝たきりで三年なんて嘘がよくバレなかったものだな」

「子爵家の血筋のものが幼少時に病弱であるのは有名です。三年はそれほど長くはありません」

「病弱ね」


 血色が良く健康的に日に焼けた自分が病人を演じるなんて、いくら顔がそっくりでも無理に決まっている。婚約者とは名ばかりで、面識がないのならば誤魔化せるだろうが。


「男爵令嬢と婚約したのはいつだ?」

「成人直後でございます」

「じゃあ面識があるのか」

「あちらがギャレット様に熱心に言い寄っておられました」

「おい、そんな婚約者を相手に誤魔化せるわけがねぇだろ」


 惚れた相手の変化に気づかないはずがない。代役であるとすぐに見破られてしまうだろう。そんな危険を冒してまでコウメイを代役に仕立てて面会させる理由がわからない。


「これまでも寝たきりって理由で面会を断わってたんだよな? 今回はなんで許したんだ?」

「それを知る必要はございません」

「子爵は令嬢に何かを決断させてぇんだろ? 寝たふりしてるだけで納得させられるのかよ?」

「納得するしかない状況だと理解されるはずです」

「俺が坊ちゃんの身代わりをするのはいつまでだ? 男爵令嬢一人を誤魔化して終わりなら、同じ髪と目の色の他人で十分だ。俺じゃなきゃ駄目な理由は何だ?」


 疑われないように演じるため、どんな風に育ちどんな性格だったのか、好きなものや考え方を教えろと要求した。わざわざ子息と同じ顔をしたコウメイにわざわざ身代わりをさせようというのだから、子爵は何かをさせたいはずだ。


「こっちは腹を括って身代わりを務めようって言ってんだ、協力する歩み寄りくらいはあってもいいだろ」

「……」

「全部洗いざらい説明しろなんて要求はしてねぇんだ。演じやすいように子息のことを知りてぇだけだ」

「平民のくせに、いらぬ知恵が回る奴だ」

「ありがとうよ」

「よけいな知識は身を滅ぼすだけだぞ」

「どうせ用が済んだら処分する気なんだろ。俺はこれ以上エラさんの腕や足を折られたくねぇだけだ。あんたらも、令息が偽者だって怪しまれたら困るはずだぜ」

「覚悟があるのなら、よろしいでしょう。立派に演じていただきましょう」


 甲冑らを部屋の外に出したブルーノは、コウメイに向き直った。


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