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エラの依頼



 飾鉄格子の向こうにあるガラス窓が夕焼けの色に染まりはじめている。

 移動と神経をキリキリとすり減らせた交渉で疲れたコウメイは、寝台の端に腰をおろし肩の力を抜く。


「合流にはまだ時間がかかりそうだな」


 銀板で仲間の位置を確かめれば、印はまだ遠く離れた場所にあった。仲間が追いつくのに最短でも数日はかかりそうだと息をつく。脱出のタイミングを打ち合わせたくとも、魔紙は腰鞄とともに奪われており連絡が取れない。アキラがこちらに魔紙を送らないのも、コウメイの状況がわからないから控えているのだろう。

 部屋が段々と薄暗くなってきた。軟禁部屋とはいえ一応は貴族の館だ、魔道ランプくらいは備えられていないのかと探すと、壁に二つと持ち運びできるランプが一つ見つかった。どれも魔石の色は失われている。


「坊ちゃま待遇じゃねぇのかよ。ケチくせぇ貴族様だ」


 コウメイは空の魔石に魔力を注ぎ入れる。ランプの品質は良くないようだ、灯りはついたが室内はそれほど明るくならない。

 卓上のランプを手に隅々まで照らして確認していた彼は、隣室への扉の前で足を止めた。扉を隔てた向こう側で躊躇う気配に声をかける。


「開いてるぜ」

「……こっちも部屋なのね」


 静かに扉が開き、隙間からエラが顔をのぞかせた。コウメイを見、室内を確かめた彼女は、安堵と落胆のまじった複雑な表情だ。


「起きたんだな。そっちに見張りはいねぇのか?」

「部屋の外にいたわ。扉の前に剣を持った男が二人と、こんな目つきの女が一人」


 半眼で目尻を指先で引っ張ったエラは、扉を開けた途端、軽蔑の眼差しの侍女に部屋に戻されたのだ。


「その後、鍵をかけられた。この扉から出られないかと思ったんだけど」

「こっちの出口にも見張りが二人立ってるぜ。鍵のかかる音はしなかったと思うが」


 試しにと押し開けてみれば、わずかに動いた扉は見張りの甲冑ぶつかって止められた。


「もうすぐお食事の時間です。用意が出来ましたら運んできますから、それまでお待ちください」


 甲冑は顔だけ向けて慇懃に告げ、コウメイを押し戻すように背中で扉を閉める。


「あたたかくて美味い飯を頼むぜ。もちろん彼女の分もだ」


 コウメイは閉じられた扉に向かって注文をつける。返事はないが、見張りの気配が苛立った。


「……出られないのね」

「強行突破は最後の手段だろうな」


 コウメイ側の扉には鍵はかからないようだが、その代わり見張りが壁のように立ち塞いでいる。甲冑兵が腰に下げていた剣は抜き身だった。一歩でも部屋の外に踏み出せば、即座に切り捨てるとの警告だろうか。


「監視がいねぇうちに情報共有しておかねぇか?」

「そうね、何が何だかさっぱりだし……」


 扉までの距離が近くて密談の難しいコウメイの部屋ではなく、広いエラ側の部屋に移動した。質素ではあるが居心地良く整えられており、窓もかなり大きい。だがやはり窓には鉄製の飾格子がはめられていた。こちらも貴人を軟禁するための部屋に間違いなさそうだ。

 大きな寝台はふかふかとしており、長椅子は昼寝にちょうどよさそうな硬さだ。食事用のテーブルは小さいが、書棚と執務机はずいぶんと立派なものが置かれていた。この部屋に軟禁されてきたのは男性が多かったのではないかと推測できる。

 飾格子の窓から見える空は、燃えるような色にかわっていた。

 カーテンを閉め、魔道ランプをつけたコウメイは、扉から最も遠い寝台の横の床に腰を下ろした。エラも向かい合うように座る。


「あんたはそっちに座ったらどうだ?」

「ここの絨毯ふかふかだから大丈夫」


 普段寝泊まりしている宿屋や、夫と暮らしていた賃貸部屋のベッドよりも、ここの床のほうがやわらかいと苦笑いを見せる。


「覚えていること、気づいたことはあるか?」

「……あたしが覚えているのは、花を買おうとして襲われたこと、医者だと名乗った酔っ払いが体をなで回していたことくらいかな」


 診察の直前に意識を取り戻したエラは、見知らぬ豪華な天井と、敵意を隠そうともしない侍女、そしてカチャカチャと武器の音をさせる存在を認知した瞬間に、眠ったふりでの情報収集を決め込んだ。


「あいつ、本当に医者だったのか?」

「ちゃんと診察もしてたわ……眠ったふりを続けるのが大変だったけど、気づかれていないと思う」


 彼女は灯りに照らされた室内を見回した。


「たぶん、ギャレットに関係してるんだろうなって思ってたけど……ここ、お貴族様の館だよね?」

「執事だか家令だか知らねぇが、目つきの悪いジジイは俺を『坊ちゃん』として扱うつってたぜ」

「坊ちゃん……それ、ギャレットなのね?」

「おそらく」


 唇を噛んでうつむいた彼女の顔色は悪い。裕福ではあるが同じ平民だと思っていた夫が貴族の子息だったのだ、驚きよりも恐れが強いのかもしれない。


「クソジジイの様子だと、俺が坊ちゃんじゃねぇって知ってるのは限られた数人だけのようだぜ」


 あの老人は、耳目のある場では口調を整え、言葉を選び、表情を取り繕っていた。コウメイだけに向けられた露骨な本音と口撃は、老人にできるギリギリの反抗だったのだろう。


「ここの人たち、ギャレットが死んだこと、知らないのかな?」

「どうだろうな……」


 エラの悲しげな声に、コウメイは言葉を濁した。用意の周到さからは、知っていて代役を必要としているとしか思えない。だが何のために?


「寝たふりしてる間に、連中は何か言ってなかったか?」 

「あたし、妾なんだそうよ」


 診察を終えた直後にあらわれた男の声がそう言っていたと彼女が唇を歪ませる。


「あたしが妊娠しているって医者が言ったら、絶対に産ませろって女の人たちに命令してた……嫌そうな侍女さんたちに、生まれたあとは好きにしていいから、それまでは我慢しておだててうまく操れってさ。あたし生きてここから逃げられないかも」


 寒さに震える季節ではない。だが彼女は雪降る夜に薄着で放り出されたかのようにガタガタと震えた。


「心配するな、なんて気休めは言えねぇが、少なくともその子を産むまでは安全が保証されたと思っても良さそうだ。いつでも逃げ出せるように、あんたは体調だけを考えて過ごしててくれ」


 脱出の手配は責任を持つと言うコウメイに、彼女は恐れと迷いを振り払うように首を振った。そして深く頭を下げる。


「砂漠からずっと、コウメイさんには迷惑ばかりかけて……ギャレットに似てるってだけで、こんな騒動に巻き込んで、ごめん」

「悪いのはあんたじゃなくて、他人だとわかっててさらってきた連中だ。あんたが謝る必要はねぇよ。それよりも、これからだ――」


 コウメイはエラにどうしたいかとたずねた。


「見張りと不自由ささえ我慢できるなら、ここの待遇は悪くはねぇと思うぜ。言い方は悪いが、貴族の妾待遇ってのは悪くはねぇはずだ」


 老人は目的があって自分たちを監禁している。それを果たすまでは飢えることも寒さに震えることもないだろう。ましてや彼女は貴族の子を妊娠しているのだ、折り合いがつけば豊かな暮らしが望めるかもしれない。コウメイがそう説明すると、彼女は悲しそうに首を横に振る。


「お貴族さま相手に、ギャレットとの結婚を認めろなんて怖くて言えないよ。それにコウメイさんは逃げるんだよね?」

「俺は連中に利用されたあげく、最後に口封じで殺されるつもりはねぇからな」

「それならあたしだって、この子を産んだ後は無事でいられるかどうかわからないよ」


 彼女が腹に手を置くと、腹部の膨らみがはっきりとわかる。これまでの無茶な移動でよく母子ともに無事だったものだとコウメイは冷や汗をかいた。

 貴族の考え方ならば、子供を育てるのに生みの母親が冒険者であることは足枷でしかない。ギャレットが妊娠した妻を連れて国を出ようとしたのは、今のような危険からエラを守りたかったからだろう。


「あたしも逃げられるなら、今すぐ逃げたい。でもこの体じゃ……」


 両手で腹を撫でるエラは、悔しげに唇を噛んだ。この監禁から自力で脱出する力は彼女にはない。隙を見て逃げ出せたとしても、見知らぬ敵地から身重の体でウェルシュタントまで逃走するのは不可能だ。誰かの手を借りる必要がある。そして今の彼女が頼れるのは、目の前の男しかいない。

 コウメイは彼女が何を求めるのか、その言葉を待った。

 エラはかすかな期待を込めてコウメイを上目遣いで見あげる。だが自分を見おろす男は、夫と同じ顔の作りをしているのに、その表情は全くの別人だ。彼女の狡い甘えを見透かしたうえで、罠にかかるのを、見捨てるきっかけを待ち構えているかのように冷たい。

 ひやりとした緊張と、夫に凄まれたような錯覚に、胸が締め付けられるような痛みを感じた。息をのんだ彼女は、強く目を閉じて気持ちを落ち着かせてから、コウメイをまっすぐに見る。


「……コウメイさんは、討伐冒険者よね。護衛の経験はあるの?」

「それがどうした?」


 突き放す声色に、エラは懐から自分と夫のギルド証を差し出した。


「依頼を請けてほしいの」


 コウメイの形の良い眉がピクリと跳ねた。


「ギャレットと二人で貯めた全財産が依頼料よ。これであたしをウェルシュタント国に逃がして欲しい」


 彼女の生まれ故郷は東ウェルシュタントの田舎町だ。実家はもうないが、知り合いがいる。そこで子供を育てたいと言った。


「コウメイさんが脱出の計画を練るときに、あたしも一緒に逃げられる計画にしてほしい……一種の護衛仕事よ。請けてもらえないかな?」


 後払いになって申し訳ないけれど、と彼女が口にした金額を聞き、コウメイは目を丸くした。一人なら細々と十年は生活できるその金額を、戦えない冒険者カップルが貯めたとはとても信じられない。


「腕の良い薬草冒険者は、下手な討伐冒険者よりずっと稼げるんだからね」

「あんた薬草冒険者だったのか」


 出会ったころのギャレットは、討伐も採取も下手だった。見かねて助言をしているうちに組んで行動するようになり、ほどなく結婚したのだとこぼした彼女は、懐かしむような遠い目をしていた。


「全財産を突っ込んだら、逃げた後の生活が困るだろ」

「問題ないわ。あたしの腕なら母子二人の生活なんて余裕よ」


 ギャレットと二人で貯めた財産だが、そのほとんどは薬草冒険者の彼女が稼いだものだ。どこの冒険者ギルドでも優秀な薬草冒険者は引く手あまただ。故郷の町ならさまざまな伝手もあり、見知らぬ土地で隠れ住むよりはずっといい。


「どう? 引き請けてもらえる?」

「……おそらく脱出は身体的に厳しいものになるぜ」

「覚悟してるわ」

「その体で無理をすれば、子供が危ないかもしれねぇ」

「それは……薬草さえ採取できるなら、何とかする方法はあるから大丈夫よ」


 コウメイは「大丈夫なわけあるか」と思わず声にしかかった言葉を飲み込んだ。

 自分一人で監禁部屋から逃げ出すのは簡単だ。彼女の考えや行動次第では……甘え、媚び、すがりつくようなら、切り捨てて今夜のうちに強行脱出しようと考えていたのだ。


「仕方ねぇな」


 小さく息をついたコウメイは、彼女が差し出した冒険者証を受け取った。


「数日もすれば仲間が追いついてくる。脱出と逃走はそのときだが、あんたも同行する前提で計画を練ろう」

「ありがとう」


 エラはほころぶように笑んだ。

 砂漠で彼女を拾って以降、はじめて見る笑顔らしい笑顔だった。


   +


 脱出も逃走も一番気がかりになるのはエラと子供の体調だ。いつ、どのタイミングで見張りや追っ手を蹴散らして逃げることになるかもわからない。コウメイは彼女に体調管理を怠るなとだけ指示した。


「ちょうど飯も届いたようだし、しっかり食って体力つけてくれ」


 そう言ってコウメイが立ち上がるとの同時に、扉の鍵が開く音がした。あわてて立ち上がろうとする彼女を止めて、コウメイは素早く扉の前に移動する。


「ノックくらいしたらどうだ?」

「……眠っていると思っていましたので」

「ここは一応客間なんだろ? だったら客に対する態度をとれ。あんたらの上司はそう言ってなかったか?」

「し、失礼いたしました」


 腕を組み立ち塞がるコウメイに注意されたお仕着せの侍女は、我が目を疑うように何度も瞬きを繰り返す。別人だとわかっているはずの侍女も、ギャレットと同じ顔のコウメイには反論しづらいようだ。

 侍女は目を伏せ台車(ワゴン)を前に突き出した。料理の皿は一つ、それとスープ鍋とパン籠と茶のポット。


「これ、飯か。一人分か?」

「あなた様の食事はお部屋にこれからお持ちするつもりでした」

「仕事を増やす必要はねぇ、毎回二人分、まとめて持ってきてくれ」

「……承知いたしました」


 追加で運ばれてきた自分の料理を台車ごと受け取ったコウメイは、侍女を部屋の外に押し出した。給仕を断り、今後も運んでくるだけでいいと告げる。


「びっくり。あたしには刺々しさしかなかったのに、コウメイさんの命令にはあんなに素直に従うんだ」

「主人と同じ顔してるから逆らいにくかったんじゃねぇか?」

「そうなのかな? 顔は同じだけど、全然似てないのに」


 語調も言葉遣いも雰囲気も、ギャレットとは真逆だ。それなのに侍女らが素直に従うということは、コウメイと彼らの知るギャレットとの間に似通ったところがあるのだろうか。そんなことを考えながらエラは食卓テーブルに近づいた。


「安全のために俺が先に食うが、かまわねぇよな?」

「毒味のつもり? 危ないわよ」


 自分は依頼主にはなったが、それは逃走の護衛だ、毒味までは頼んでいない。それに、と彼女は上着の内ポケットに手を入れた。


「毒の探知はこれを使うといいよ」

「銀の板棒?」

「月光銀っていうの。普通の銀よりも毒がよく反応するから」


 薄くて細長い短冊状のそれを、彼女はポケットの縫い目に潜ませ隠し持っていた。


「物騒なもの持ち歩いてんだな」

「これ、毒だけじゃなくて薬効にも反応するの。腕利きの薬草冒険者ならこれくらい普通に持ってるわよ」


 未知の薬草や植物を見つければ、すぐに月光銀の薄板で効能を調べる。反応がなければただの植物、何かしらの変化が見られれば、薬草か毒草の可能性ありとして採取し調べるのだという。


「普通の薬草冒険者ってのはそういう安全な方法をとるのか」

「まるで普通じゃない薬草冒険者を知ってるみたいなこと言うんだね」

「俺の知ってる奴は、片っ端から口に放り込んで舌で確かめるんだよ。危なっかしくてならねぇよ」

「……その人、生きてる?」

「ピンピンしてるぜ」


 人の悪い笑みを浮かべるコウメイに、エラは「すごいと思うけど、絶対に真似したくない」と返して月光銀の薄板を琥珀色のスープに浸した。


「スープは大丈夫みたい。料理は……パンはちょっと不安だけど、肉も野菜も問題ないわ」


 角ウサギ肉のソテーにも根菜のサラダにも月光銀は反応を示さなかったが、香り茶のポットではその色が赤黒く変色した。


「多少の違和感に気づいても、平民なら香り茶の値段に惑わされて飲むと思ってるんだろうな」

「もったいないな。何も入ってなかったら、あたし絶対に飲んでたよ」


 月光銀の変色だけではこれが毒なのか薬なのかは判断できないが、敵陣に監禁されている身としては、これが予防薬や健康薬だとしても口には入れたくない。

 水分補給はスープで我慢することにして、二人はゆっくりと食事を味わった。



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