砂漠の盗賊
空は澄み、風はそよとも吹かない。
じりじりと照りつける日差しのなか、一頭のラカメルが砂漠街道を疾走していた。
ボダルーダで貸し出される砂漠渡りのラカメルは、決して街道を逸れない。旅慣れない者にとってそれは命綱であるのだが、彼と彼女にとって進路を変えられない現実は致命的だった。
「どうだ?」
「ダメ、追ってきてる」
振り返って後方を確認した彼女は、じりじりと距離を詰めてくる複数のラカメルに身震いし、彼の胴に回していた腕に力を込めた。
こちらのラカメルには二人が騎乗、その荷物もくくりつけてある。それに対し追っ手はラカメル一頭につき騎乗は一名だけ。当然積み荷もない。すぐに追いつかれてしまう。
「荷物を、捨てよう」
「わかった」
彼女は腰の短刀で荷の革ベルトを切り離した。
少ない私物と二つの水樽が砂に落ちる。
砂を濡らした割れ樽と布鞄を、追っ手のラカメルらが踏み砕き越えた。
彼らを乗せたラカメルの速度は増していたが、盗賊らはそれ以上の早さで迫っている。
彼女は彼の背中に顔を押しつけた。
「ぐっ」
「ギャレット!?」
しがみついていた体が強張る。
顔を上げた彼女は、ギャレットの右肩から血が流れていることに気づく。
ひゅん、と耳の横で風が鳴り、彼の左腕をかすめた。
「エラ、前にこい!」
体を捻った男は、小柄な彼女を背から懐へと移動させた。追っ手の攻撃から守るように抱え込む。
矢の音が止まった。
「やはり、そうか……っ」
追っ手は自分を攻撃できない。ならば彼女の盾になり、逃げ切れると信じて走り続けるしかない。
ラカメルの砂を踏む音が迫り、鼻息が背のすぐ後ろで聞こえた。
「足を潰せ」
冷酷な声が命じる。
直後、彼らのラカメルが悲鳴をあげて倒れた。
投げ出されたギャレットは、エラを抱いたまま砂に転がる。
仰向けになった彼らに、大きな影が落ちてきた。
咄嗟に彼女を庇って背を向ける。
「ぐぁっ!」
後頭部に衝撃を感じた次の瞬間、彼は事切れた。
幾本ものラカメルの太い足が、檻のように二人を囲む。
襲撃者らは騎乗したまま結果を見おろしていた。
「くそ、しくじったぞ」
「どうする?」
動かなくなったギャレットの腕から抜け出した彼女は、ラカメルの蹄に蹴られた頭部を目にし悲鳴をあげる。
「助けて……助けて!」
彼女は襲撃者に助けを求めた。
「ギャレットを助けて――っ」
+++
森や草原とは異なり、砂漠で討伐対象を探すのは熟練冒険者でも簡単ではない。
「気配がいっぱいありすぎて、どれが何だかさっぱりわかんねー」
天窓から上半身を出してあたりを見渡していたシュウは、早々に探知を諦めた。
遮る物のない砂漠の見晴らしは良いが、砂中に隠れた生物を目視のみで発見するのは至難の業だ。そこで獣人の嗅覚や気配の察知能力をつかい魔物の位置を特定しようとしたのだが、今度は数が多すぎた。
「見えねーのにそこら中に気配があるし、なんか頭痛くなってきたー」
もう限界だと探知を中断したシュウは、緊箍児で締め付けられるのとは違う痛みに顔をしかめている。ほぐすように眉間を揉む様子に、コウメイとアキラは素材集めには想定以上の時間がかかりそうだと覚悟した。
「よく考えてみりゃ、俺らはスタンピード中の砂漠討伐しか知らねぇんだよな」
「魔物避けを置いた砂漠街道では、魔物が襲ってくることはなかったし」
「護衛や用心棒仕事のほとんどは、追い剥ぎや強盗対策だったもんなぁ」
砂漠を渡る旅で障害となるのは地形と環境が最であり、次いで魔物よりも悪意を持った人間だ。砂漠を拠点にする盗賊らは、どこかに隠れ里を作って潜伏しており、護衛のいないラカメル馬車や旅人を襲う。
「水があるのはオアーゼだけなんだろ? その強盗連中ってどーやって生きてんだよ?」
「湧き水魔道具か何かがあるのかもしれねぇな」
「そんな便利なのかあるのかよー」
「便利というほどでもないぞ。高度な魔術陣が必要だし、消費する魔力も大きいわりに、出せる水の量は水瓶一杯程度だ」
自分やコウメイが水を出すほうが便利だとアキラが断言する。
「ま、強盗に襲われても返り討ちにしてやるから問題ねーけど」
「問題なのは討伐対象魔物の発見だ」
「アキなら探れるんじゃねぇか?」
エルフの耳は人族よりは優れているが、獣人ほどではない。シュウの聴覚や気配察知能力が聞き取れない音を自分が探りだせる気がしないとアキラは首を振る。
「聞き取るんじゃなくて、魔石の判別の応用でさ。レッド・ベアんときみてぇに」
「……見本の魔石がないんだ、手当たり次第になるぞ?」
リンウッドに頼まれた素材を持つのは稀少魔物ばかりだ。それらは普通の魔物よりも大きくて強力な魔石を持つため、探知自体は難しくはない。だが特定の魔物を選別するのは無理だ。
「片っ端から討伐すりゃいーんだろ?」
強い魔物と戦えるなら相手は目的外の魔物でもかまわないとシュウは目を輝かせている。楽しそうで何よりだと目を細めるアキラは、梯子に足を乗せたまま屋根から上半身を出し、探るように全方位へと魔力を放った。
「……っ、これは、多すぎて判別が難しいな」
「だろー?」
できるだけ遠くまで一度に探知しようと広く魔力を放ったのだが、ありとあらゆる魔石が反応を示した。魔サソリとキングスコーピオン、砂ネズミと砂蜥蜴、シュウと似たように顔をしかめたアキラは、痛みを払うように大きく頭を振ると、強さを調整し直して再び魔力を広げる。
「強くするとクズ魔石まで探知してしまうから、できるだけ弱くして……ああ、それだと狭い範囲にしか放てないか」
移動しながらの探知が効率が良さそうだ。
アキラはコウメイにゆっくりと軍馬を走らせるように頼んだ。
動き出した箱馬車の屋根から、植物も小動物の姿も見えない砂漠を眺めていると、方向を見失いそうだ。
「ええと、進行方向の左五十度の方角に、少し大きめの反応が一つだ」
「この角度で間違いねーか?」
腕を向ける角度にアキラが頷いて返したのを確認して、シュウは屋根から飛び降り駆け出した。
すぐにシュウも魔物の気配を捕らえた。
「けっこーデカいか?」
一直線に走りながら背中の剣を抜く。
「いっせーのっ」
風もないのに砂が粟立つように流れるそこに、シュウが剣を振り下ろす。
大量の砂が空に散り、雲の中のようにあたりが霞む。
一撃によって斬り掘られた砂から、黒光りする毒針がシュウを狙った。
軽く体を捻ってそれを避け、反動を使って毒尾を蹴り落とす。
二十五、六年前にさんざん討伐したスコーピオンだ、恐れる魔物ではない。
「オス、メス、どっちだ?」
そのまま毒尾を踏み捕らえて巨大な鋏を叩き割り、外骨骼に守られた頭部を斬った。
「残念、王様のほうかー」
スコーピオンの尾に含まれる毒は、キングとクイーンでは種類が違う。王様の毒は強力な致死毒だが、女王は幻覚をもたらす毒だ。死に至る毒を持つ魔物は多いが、幻覚毒はクイーン・スコーピオンの他にはいない。
「ハズレだけど、これ食えたよな?」
砂漠での食料調達は難しいのだ。備蓄はあるがせっかく討伐したものを捨てるのはもったいないと、仲間の箱馬車に早く来いと手を振った。
「キングか」
「今日の飯にしよーぜ」
御者台から降りたコウメイは、さっそく解体をはじめた。
「ピリ辛なヤツがいーな」
「香辛料を持ってきてねぇから無理だ」
「じゃあ表面をカリッと揚げてピナかけたヤツは?」
「脂がねぇし、ピナも持ってきてねぇぞ」
「なんでねーんだよっ」
シンプルな塩焼き一択だと聞かされたシュウは、せっかく荷物を大量に詰めるキャンピングカーなのに、用意がないのかと膨れている。
周辺に自分たちを襲うような魔物がいないのを探知で確認したアキラが、コウメイの解体に口を挟んだ。
「一応毒尾も回収してくれ。それと魔石も」
「王様サソリはこれから嫌ってほど狩れると思うぜ?」
「売るんじゃない、毒尾は武器として使うんだ。魔石は見本にしたい」
スコーピオンの魔石は、キングとクイーンでの差はほんのわずかだ。指標代わりにしたいとアキラが採取を頼んだ。
キングスコーピオンの魔石は採りにくい場所にある。背側からだと堅い外骨骼に阻まれるし、腹側からだと肉や内蔵の奥に、半透明な鱗のような仕切りに守られているのだ。コウメイは可食部分を丁寧に取り除いた後、ナイフで雑に内臓を切り探る。堅くツルツルとした仕切りで刃が滑った。
「あぁ、くそ、やりづれぇな。シュウ、そっち押さえといてくれねぇか」
「……!」
「おい、シュウ?」
先ほどまで巨大毒サソリ肉をどう食べるかとうるさかったシュウが、突然黙り、何かを探すように辺りを見回しはじめた。
「悲鳴、聞こえねーか?」
「悲鳴?」
シュウは厳しい顔で砂漠を睨んでいる。見渡せる範囲に魔物の影すらないというのに、彼は視界のその向こうに何かを見つけたようだ。
「――先に行く!」
そう叫ぶと砂埃を撒き散らしながら駆け出した。
「アキ、聞こえるか?」
「さすがに俺の耳では聞き取れん。だが悲鳴ということは、人がいるのか?」
魔物に襲われているのか、あるいは足を失い、生存に必要な物資が枯渇したか。どちらにしてもシュウが聞き取ったのは助けを求める声に間違いない。
手早く素材を包み込んだコウメイは急いで御者台に戻り、アキラも箱馬車に乗り込む。
「アマイモ三号、シュウを追いかけろ」
ヒヒン、と。返事をするかのように大きく首を振った鋼の軍馬は、勢いよく走り出した。




