ホリール村の赤ハギ
冬が深まる前に国境の戦は終結した。
国境で結ばれる停戦協定が二度と軽んじられてはならないと、両国とも王族が直接顔を合わせ調印するとした。当然仲介であるサンステンからも王族が派遣される。ウェルシュタント国からは王太子が王の名代として、ヘル・ヘルタントからはジョージ・カレントが交渉の場に立った。
「え、あのスキンヘッド、王族なのか?」
「王族ではありませんが、王の名代が可能な血筋であられます……ああ見えても」
将軍の肩書きを隠して先遣隊に一兵士として紛れ込んでいたり、迷宮都市で職務を放り出して冒険者の身分で堂々と討伐に参加したり、高原で花を摘んで銀髪の薬魔術師に貢いだりと、とても自由奔放で型破りだが、王都に戻れば上から数えたほうが早い名家の跡取りであり、遠いながらも王位継承権を持っているのだという。
「王太子と王族の末端の調印式って、それ差がありすぎるだろ。交渉で舐められたりしねぇのかよ?」
「我々は戦勝国だ、それも圧勝の。だからカレント将軍でないと示しがつかないんですよ」
今回の停戦交渉にはそれくらい差があって当然なのだとハンフリーがさらりと言う。
「末端でも、王族か……上が自由だと、あんたたちも大変だろ?」
「苦労してそーだよなー」
「振り回されているのではありませんか?」
つい最近も某国王族の末端に苦労させられた三人だ、その声にはしみじみとした同情が滲んでいた。
「それほどは……振り回されはしますがね、理不尽を要求されませんので、許容範囲かと」
「へぇ、そりゃ立派な王族だ」
自由奔放で理不尽のかたまりだった王族に苦労させられた二人は、ジョージ・カレント将軍を見直した。
停戦と同時に開放される約束の彼らは、後方司令室で契約魔術を解除し、早々にヘル・ヘルタント軍から出て行こうとしていた。将軍が調印式から戻ってくるまで出発を延期してほしいと引き止められたが、軍に留まるということは監視生活が続くということでもある。走り回っていたコウメイやシュウはともかく、アキラはずっと騎士や雑兵の好ましくない視線に晒され続け、神経を尖らせて日々を過ごしたのだ、二度と監視下には戻りたくないと笑顔で拒否した。
「くー、窮屈すぎて肩こったー」
「国境を何往復もしてどこが窮屈だ。満喫していたようじゃないか」
「んなわけねーよ、俺らだってずっと監視されてたんだぜ、落ち着かねーだろ」
ストーカーにつきまとわれるアキラの気持ちがよくわかったとしみじみするシュウだが、開放感に安堵の息を吐いたのは、ストーキングを命じられていた側の二人だった。
「これでやっと一息つける」
「ああ、この二人ときたら、とんでもない行動ばかりだ。苦労したよ」
「体力的にキツかったとは思いますが……」
他に苦労するようなことがあったのかと、アキラは首を傾げる。
「体力よりも、気力のほうがキツかったぞ」
「あれは精神の鍛錬だと思わなければ耐えられなかったな」
眉をひそめたアキラは仲間二人を振り返り、いったいどんな無茶をやったのだと視線で問う。それに答えたのはマシューとハンフリーだ。
「この二人、敵陣のまっただ中に武器も持たずに突っ込んでいくんだぞ」
「軍勢を避けて村を訪問すると聞いていたのに、回り込むんじゃなくて戦陣を突っ切りやがるんだ」
戦場を引きずり回されたハンフリーとマシューの愚痴は止まらない。戦馬の隊列をすり抜け、取り残されていた老人らを背負って隣村まで運び、戦に刺激されて戦馬に突進してゆく暴れ牛の群れから一頭討伐して腹を満たしと、自由奔放と破天荒はこの二人のためにある言葉だと訴えた。
「ずいぶんと楽しんだみたいですね」
「楽しくなんかありませんよ! 生きて帰れたのは奇跡です」
「全くだ。あんな強行軍、二度としたくない」
コウメイとシュウを見失わないように追いかけながら、同時に敵陣の情報も収集しなければならなかった彼らだ。愚痴を聞かされたアルバートらは二人を労ったが、アキラは別のことが気になった。
「暴れ牛と戦馬人形の勝負、どっちが勝ったんだ?」
「転倒したら自分で起き上がれねぇ軍馬の負けだ」
「戦争用の魔武具というのも、案外使えないものだな」
自軍の誇る魔武具が魔獣に蹂躙された事実もだが、アキラに落胆されたことがよほど悔しかったのだろう、アルバートは改良の要望を出さねばと唸っている。
陣営を出て村の方角に足を進めていた彼らは、村の集落が見えるあたりで足を止めた。
「将軍をなだめるために、連絡先を教えてもらえませんか?」
「悪ぃな、俺らしばらくあちこちを放浪するんだよ」
権力者のコネを使えば米探しも楽になるかもと揺れかけたが、ジョージが押しの弱いストーカーなのを目の当たりにしその考えを捨てた。十数年経っても忘れていない執念深さだ、軍を引退して押しかけてこられては迷惑だ。権力とコネがありすぎる相手は、警戒しすぎるくらいでちょうどいい。
「じゃあな」
「お世話になりました」
「元気でなー」
見送りに手を振って、彼らはおよそ一ヶ月ぶりにチェルダを訪ねていった。
+++
コウメイら三人を見た瞬間、チェルダの腰が引けた。取り繕ったような笑顔が逆に後ろ暗い何かがあると示しているようだ。コウメイはそれらに気付かぬふりで「久しぶりだな」とにこやかに声をかけた。
「お、おお、あんたたち、大活躍だったって聞いてるぜ」
「たいしたことはしてねぇよ。それよりも村に被害は?」
「今年は勝ち戦だったからな、ちょっと端の方の畑が荒らされたが、あれくらいなら次の作付けも問題ないぜ」
戦争も思いのほか早く終わったので、春の作付けまでの準備が落ち着いてできると嬉しそうに語る。それよりもコウメイたちは何のために村にやって来たのかと、チェルダは警戒気味に首を傾げた。
「将軍閣下の目にとまって、軍で出世したって聞いてたんだが、違うのか?」
「そんなわけあるか。誰かの告げ口のおかげで捕虜待遇でこき使われてたんだよ」
「解放されたってことは疑いは晴れたんだろう? 良かったじゃないか」
薄く目を細めたコウメイに、チェルダは胸毛を大きく上下させ、わざとらしいほど大げさに笑って返した。
「おい、誤魔化せると思ってるのか?」
「なにをだ?」
「俺らの報酬だよ、報酬!」
収穫仕事とレッド・ベア討伐、そして三人にとって最も重要な、ホリール村でしか栽培されていない雑穀の情報。戦争のゴタゴタのおかげでそのどれも受け取れていないのだ。まさか踏み倒すつもりだったのかとコウメイが睨み、アキラは吹雪きそうな冷たい笑顔を向けた。
「まあ収穫のほうはほとんど手伝えてねぇからナシでも文句は言わねぇが、その他のは払ってもらうぜ」
「魔道具の修理代金も請求します。あれが直ったおかげで収穫はずいぶんと楽になったでしょう?」
肌に氷を押しつけられているように感じて、彼は無意識に毛皮の上着をかき寄せた。
「いい毛皮じゃねーか。これレッド・ベアだろー? あったけー服、いいよなー、俺も毛皮のコートが欲しいなー」
逃げ腰のチェルダを素早く捕まえたシュウの手が、ふかふかの熊の冬毛を羨ましげに撫でた。一枚の大きな毛皮で作られた上着は、平原に吹き付ける冬の強風からしっかりと身体を守ってくれるだろう。羨ましいと呟いてニカッと笑ったシュウの獣じみた鋭い犬歯が、チェルダの視界で剣呑に光った。
「ほ、報酬は、三人とも戦争で忙しそうだったから、終わってからと思っていたんだ」
「そうか、そりゃ良かった。ああ、もちろん一番最初の契約の、雑穀のことも忘れてねぇよな?」
「もももももも、もちろんだ!」
飛び跳ねるようにしてシュウから離れた彼は、大慌てで家に駆け込むと、村長から預かっていたという彼らの報酬を持って戻り、一番近くにいたシュウに押しつけるように渡した。シュウに投げ渡された巾着袋を確かめたコウメイは「こんなものか」と威圧を緩めて頷いた。農業ギルドに提出する完了証と魔道具の修理代にレッド・ベアの討伐報酬。赤熊の正確な討伐数を把握していないが、まあ妥当と思われる金額だ。
「穀物は?」
「そ、それは、俺の畑じゃ育ててないんだ」
「なら育てている奴を紹介してくれるんだろ?」
「……なんで雑穀なんかにこだわるんだ?」
「俺たちは出稼ぎが本命じゃねぇ、市場に出てこない穀物を探してるって、最初からそう言ってるだろ」
「本気だったのか……」
現金ではなく換金性の低い雑穀を求める彼らを、チェルダは異なる生き物を目の当たりにしたような顔でまじまじと見返した。
農業ギルドでその話を聞いたときは物好きな連中だと気にしなかったが、労働契約をした翌日に、テルバウムの役人から密偵の疑いがあると聞いてからは、なるほどそういう口実で近づいてくるのかと警戒を高めた。イートス村でもワオル村でも怪しげな動きをしていたというし、自分も見張らねばと気負っていた。幸いにもいつもより早く村に到着した先遣隊に丸投げできて気を抜いていたところだったのだ。
「本気に決まってるだろ。この村だけで栽培されている穀物を楽しみにしてたんだぜ」
「……」
「実物だけじゃねぇ、料理法も教えてくれるよな?」
眼帯の色男の鋭い眼力に、チェルダの全身が震えた。
「それが私たちの探してる穀物だったら、栽培方法も教わりたいのですが」
愁いを帯びた銀髪の笑顔とともに放たれる冷気は、レッド・ベアの毛皮では防ぎきれない。固く口を閉じたままのチェルダから見る見るうちに血色が失われてゆく。
「なー、チェルダさんよー、まさか村独自の穀物なんて存在しねーとか言わねーよな?」
「………………」
レッド・ベアを軽々と持ち上げる剛腕に肩を掴まれて、血の気の引いた顔にだらだらと脂汗が流れた。
「も、もうしわけないっ!!」
土下座する勢いで地面にひれ伏したチェルダは、ホリール村には独自の穀物は存在しないと白状した。労働力がどうしても欲しかった彼は嘘をついて彼らと契約を結んでいた。
「やっぱりな、そんなことだろうと思ってたぜ」
「あちこちの畑を見て回りましたが、それらしい穀物は見あたりませんでしたしね」
「この村って、ハギ畑しかねーもんな」
レッド・ベア討伐のついでや薬草採取の際にあちこちに足を伸ばして探したが、村の畑だけでなく個人の田畑にも、他の村で見たような雑穀らしき植物は見あたらなかった。
「嘘はいけねぇよ、嘘は」
「す、すまなかった。どうしても戦争がはじまる前に収穫を終わらせろと村長に言われていて、焦っていたんだ」
領主の騎士団が自ら徴税にやってくる、しかも王都から派遣される軍の一部が駐留する村だ、納税期限に神経質になるのは理解できるが。
「俺たちは契約違反だって農業ギルドに報告するだけだが、そうするとこの村は困るんじゃねぇのか?」
「ああ、そ、その、なんとか許してもらえないか?」
「そういうわけには……困りましたね」
一度契約をなあなあにしてしまえば、ホリール村は次からも似たような誤魔化しを躊躇しなくなるだろう。それにこちらは農業ギルドの立ち会いで正式な契約を結んで労働力を提供しているのだ。当初の予定外の働きもあったが、それはそれ、最初の契約を守ってもらわねば納得できない。
「けどよー、無い物を出せって言っても無理だしなー」
「チェルダさん、ホリール村で栽培されている全ての穀物を見せてもらえますか?」
「その中で俺らが欲しい穀物が見つかったら、それを分けてもらうってことで手を打つ。どうだ?」
コウメイの提案に即座に頷いたチェルダは、その足で三人を連れて村長の許可をもらい、村の穀物倉庫に案内した。
村長宅に隣接する大きな穀物庫は、乾燥を終えた雑穀と数種類のハギでいっぱいだった。領主に税分を納めた残りが村の資産だ。これらの一部が村人に配布され、備蓄分を確保した残りを近々街に売りにゆく予定なのだそうだ。
「ホリール村は毎年の戦争もあって、徴税官ではなく騎士団が税を集めに来ます。なので隠れて雑穀を育てるのには向いてないんだ」
できるだけ多くのハギを育て、収穫量をあげて騎士らに満足してもらう、そこに村は精力を尽くしていた。
「ハギ以外にもいくつか穀物があるみたいだが?」
「白ハギが主で、あとは長ハギと小粒ハギ、それと赤ハギだ」
コウメイは赤ハギを見たいと頼んだ。名前は聞いたことがあるが、実物を見るのははじめてだ。
乾燥途中の脱穀前のハギ束の前に案内された。なるほど名前通りだ、穂も茎も赤みがかっている。コウメイは籾粒をつまんで、指で強く揉んだ。籾殻をほぐしハギ粒を取り出す。
「色が赤くて、粒もハギに似てねぇな」
白ハギよりも小さく、小粒ハギよりも大きい。形も丸いハギとは違い楕円形だし、一粒の重さも違う。
「米粒に近いような気がするが……これ、どうやって食ってんだ?」
「白ハギと同じだ。殻をとって粉に挽き、白ハギの粉と混ぜてパンを焼く」
「味は同じなのか? パンを焼くときに何か一手間あるのか?」
「特に手間がかかることはないはずだ。味もそれほど変わらん。赤ハギ粉が多いとパンが膨らまないのと、固くなるくらいだ」
あとは赤みの強い色のパンに焼き上がる。取引価格は白ハギの半値と安価だ。近隣の農村では長ハギや小粒ハギに次いで赤ハギが多く食べられている。
「安い赤ハギをわざわざ作らなくても、高値で売れる白ハギに専念しねぇのは何でだ?」
「どれだけ対策をしても、何年かに一度は不作の年がある。赤ハギは一つの穂にできる粒の数が白ハギよりも少ないが、他のハギとは違って不作に強いんだ」
飢饉対策、不作対策用の保険的な意味合いの穀物のようだ。今年は天候に恵まれたため白ハギの収穫量は上々だし、赤ハギも余るほど蓄えられているという。
「やっぱ米じゃねーのかー」
コウメイの手のひらにある赤ハギの粒をつまみあげたシュウは、悔しそうに指先に力を入れる。指の隙間から砕かれた粒がこぼれ落ちた。
「おい、食物を粗末にするなって……」
慌てて受け止めたコウメイの手が、赤と白の粉に染まる。
赤い籾殻と、赤い粒ハギ、白い粉。
思考に沈んだのか、コウメイの動きが止まる。
「おい、どうした? 何か気付いたのか?」
「ああ……もしかしたら、当りかもしれねぇぜ」
案じるようにのぞき込んだアキラに、コウメイは赤ハギの粒を握りしめて不敵な笑みを見せた。
+++
村独自の雑穀の代わりに、有り余っている赤ハギを大樽に二つ、それと白ハギを袋に一つ譲り受けて、農業ギルドで交わした契約を完了させた。
宿舎にもう一晩泊まる許可をもらい、三人はハギ畑の外れにある建物にこもった。
「コウメイ、これは米なのか?」
「ああ、これから炊いてみるが、ほぼほぼ間違いねぇと思うぜ」
「でもハギなんだろー?」
色が赤いだけの赤ハギが米なのは変だと言うシュウに、コウメイは赤白のハギ粒を並べて見せた。
「同じハギなのに、これ全然別物じゃねーかよ」
「そうだ、俺も赤ハギの粒を見るまで気づかなかった」
どちらも膨らみのある楕円形をしているが、白ハギは縦に入った筋に沿ってくびれがあり、指で潰すと弾力がある。それに対し赤ハギは筋はなく一粒が硬い。
「粒だけ見たら全く別の品種だぞ。同じ名前で呼ぶなんて紛らわしいな」
「けど栽培時期も方法も同じで、保存も食べ方も大きく変わらねぇ。この世界の人にとっては主食は白ハギだ、同じサイクルで栽培できて味も似てるとなれば、こっちのは赤いハギって認識になるのも当然だ」
「じゃあやっぱり、これ、米なのかよ?」
「食ってみりゃわかるぞ」
アキラとシュウは、今すぐ炊けとコウメイを台所へと押しやった。
籾すりや精米の工程に風魔術が必要だと言われ、アキラは喜んで協力した。赤ハギを瓶の中にいれ、風の渦でかき回して籾殻を外し、軽く精米まで済ませる。念のため鍋を二つ用意し、片方では赤ハギを炊き、片方は粥を作りはじめた。
「なんか、ピンク色のスープみてー」
「精米の工程でもう少し表面を削れば、白い粥になると思うんだけどな」
シュウが摘まみ砕いた赤ハギ粒の残骸を見て、赤いのは薄皮一枚ほどのごく一部だと気づいている。精米が要だと言われたアキラは、板紙に魔道具の設計メモを書き散らしながら、リンウッドに助言をもらわねばと呟いた。
赤ハギを炊いている間に、コウメイはご飯を美味しく食べるためのおかずを考えた。熊肉を薄く細切れにして甘辛く味付けして煮詰め、野草と砕いた木の実を熊の脂で炒めて赤唐で仕上げる。隙を狙って伸びてくるつまみ食いの手を叩き落としながら、赤ハギの炊き上がりを計算する。
「……ご飯の香りがする」
精米魔道具の構想を書き記した板紙から顔を上げたアキラが、鼻をヒクヒクさせて呟いた。すでにシュウはコウメイに押さえつけられている。鍋の蓋を勝手に開けようとして止められたのだ。
「蒸らし終わるまで待てつってんだよ」
「この匂いを嗅いで我慢なんか出来ねーって!!」
粒ハギ料理では嗅いだことのない懐かしく甘い米の香りに、シュウの腹と喉が早く食わせろと訴えていた。
板の間に直置きした鍋が二つ。
リゾットはほのかなピンク色だ。食欲をそそらない色彩だが、香りは明らかに粒ハギリゾットとは違っている。
もう一つの鍋の蓋を開けた。
ふわりと立ちのぼる湯気にのせて、甘いご飯の香りが広がる。
「……炊きたてのご飯の香りだ」
「見た目は赤飯だけど、ご飯の匂いがするー!」
「ちょっと水加減がマズかったみてぇだな。次はもっとふっくら炊いてみせるぜ」
添えられたおかずは濃い味付けの品ばかり。ご飯を美味しく食べるための添え物だ。
「「「いただきますっ!!」」」
少し固くてパサパサに炊き上がった赤ハギだが、懐かしい白米の味がした。水加減を失敗したというが、二十年ぶりに食べる米だ、そんな些細なことは気にならなかった。リゾットも色合いはともかく、味や食感は遠い記憶にある白粥そのものだ。シンプルな塩と出汁の味に涙がにじみそうになった。
「うめー、肉そぼろがぴったりだー」
「これは昆布の佃煮が欲しくなるな」
「いいな、ブブスル海草取り寄せて作りてぇな」
「醤油はどうする? 作るのか?」
難しいぞとアキラは懐疑的な視線を向ける。いくら米が手に入っても、米麹のような菌を見つけたり管理したりはさすがに無理だろう。
「赤ハギを長く主食にしてる村か町を探して、そこ独自の調味料を探すんだよ」
長い食の歴史の中で生まれたその地方独自の調味料はどこにでも存在する。米(赤ハギ)を使った調味料の中には、醤油や味噌に似たものだってあるかもしれない。
「テルバウムに戻って、農業ギルドで調べるか」
「またしばらく帰れそうにないな」
「米(赤ハギ)の輸入ルートも確立させてぇし、忙しくなるぜ」
だが念願の米が手に入ったのだ、楽しい忙しさだと笑い合う。
「コーメイ、飯、お代わり!」
「お……おまえ、全部食っちまったのかよ!」
二人が今後の予定を詰めている間に、シュウは飯鍋の底にはりついていたお焦げもふくめ、一粒残らず食べ尽くしていた。熊肉のそぼろも残っていない。リゾットが残されていたのは食欲を減退させるピンク色だったからだろうか。
「俺はまだ粥しか食べていなかったのに」
「食わねーで喋ってるからだろ。ミーティングはいつも食ってからだったじゃねーか」
「だからって食い尽くすなよ。貴重なんだぞ」
シュウの食欲のままに食べていたら、大樽に詰められた赤ハギもすぐに無くなってしまうだろう。
仕方なくもう一度精米し、今度は表面の赤い層をギリギリまで削りとってから、再び赤ハギを炊いた。二度目は水の加減も上手くいき、赤みもほとんどなく、見た目も白米そっくりに完成した。コウメイは新しい鍋を抱え込んで守り、アキラと自分の分を確保してからシュウに一杯だけついでやった。
「たったこれだけー?」
「残りは明日の朝飯だ。日の出前に村を出るんだからな、食ってる暇ねぇだろ」
握り飯にしておき、村から離れたところで朝日を見ながら食べるのだ。乾燥野菜と干し肉で出汁を取ったスープもつければ最高だろう。
「なー、これっぽっちの赤ハギじゃ絶対足りなくなるって。もっと分けてもらえねーのかよ?」
「シュウが食べ尽くさなきゃ足らなくはならねぇよ」
「いや、もっとたくさん欲しい。買えるだけ買っておこう」
「アキ?」
「精米してサツキに送りたい」
「ああ、そうだな。俺たちだけじゃ申し訳ねぇか」
戦争もあったことだし、ヘル・ヘルタントからダッタザートに荷を送るのは難しいかもしれない。どこかの町か村でシュウが背負える限界まで赤ハギを買って、まずは深魔の森に戻るとしよう。
二十年ぶりの米飯を堪能した三人は、翌朝、誰にも見とがめられることなくホリール村を発ったのだった。




