ジョージ・カレント将軍
熊肉タップリの汁物に、豆と炒め煮にした熊肉、そして黒パンという濃い朝食を終えた三人は、正式にホリール村からレッド・ベア討伐を依頼され、集落の北東にある森に向かった。
「この森に生息しているレッド・ベアの個体数は、平時ならおよそ三十体ほどだそうだ」
「結構少ないな。半分が雌だとして、いつもの五倍の数の子を生んだのか。全部が育つとは思えねぇが、半分だったとしても異常繁殖だよなぁ」
「確か七、八十体くらい狩ってもかまわねーって言ってたよな?」
十五頭の雌がそれぞれ十匹の子を産めば百五十頭。小さな森での生息許容数をはるかに超える。半分が育たなかったとしてもまだ多すぎた。
「この森、そんなに広くねーのに、熊で溢れかえってんのかー。なんかスタンピードみてーだよなー」
何気ないシュウの呟きを耳にして、コウメイとアキラの顔色が変わる。
「……まさか、なぁ?」
「魔物ならまだしも、魔獣が溢れるなんて聞いたことないぞ」
「チェルダさんは周期があると言っていたよな?」
「熊の異常出産が原因だから、スタンピードではないはずだが……」
魔物と魔獣の違いは、出産による発生か、魔核による発生かの違いが大きい。魔物はそのどちらでも発生するが、魔獣は絶対に魔核からは生じないといわれている。少なくともアキラはミシェルやリンウッドにそう教わっていた。
「これは調査が必要だな」
「調査討伐か。手間がかかるが、しかたねぇ」
「え? 熊退治だろー? 何を調査すんだよ?」
面倒なのは嫌だぞと顔をしかめるシュウの抗議を聞き流し、コウメイとアキラは調査手順を決めてゆく。生息数の確認と分布の調査、雌が連れている子供の数も確認しなければならないし、他の魔獣や魔物の影響の有無も調べたい。熊の間引きはその後だと、うずうずをしているシュウを止める。気楽な討伐だと考えていたシュウが青ざめるほど細かな方針が決められた。
「面積調査はシュウに任せるぞ」
森の周囲をぐるりと一周走ってその歩数を数えてこいと送り出す。コウメイは熊の痕跡を求めて森に入り、アキラは森の外から魔力を放っておおよその個体数を探りはじめた。
強めの魔力を広く伸ばして森に放ち、魔石の反応を探る。森に生息する魔獣はレッド・ベアだけではない。魔猪や角ウサギ、双尾狐に銀狼、魔物もいる。アキラはチェルダから借りてきたレッド・ベアの魔石をしっかりと握って、同じ属性の反応を数えていった。
「……杖がないのは、少々厳しいな」
オルステイン潜入を決めた時点で、杖は深魔の森に残してきた。普段はなくても問題ないが、今回のような繊細な魔力操作を長時間維持する場合には、杖があるとないとでは魔力消費や疲労が格段に違う。
錬金薬を適宜使用しながら、無数にある存在主張の強い魔石を一つ一つ判別し、なんとかレッド・ベアの個体数のおおよそを掴もうとしていた時だった。
「魔術師殿は、そこで何をしておられるのです?」
かけられた声に飛び退く勢いで反応したアキラを、声の主がそれ以上に驚いた顔で「すまない」と慌てて詫びた。
「邪魔をしてしまっただろうか?」
「……いえ、大丈夫です」
スキンヘッドに反射する日の光に目を細めたアキラを、その男はうっとりとして見つめていた。
杖を持っておらず、薄紫のローブも着ていない。冒険者の狩猟服姿であり魔術師証を見せた覚えもないのに、何故断定するのか。アキラは警戒を悟らせないよう薄く微笑みながら、すぐにでも攻撃魔術を放てるよう身体を向けた。
「どうして私が魔術師だと?」
男の年齢は四、五十代だろうか。兵士服が窮屈そうなほどに鍛えられた身体に、凄みを増す効果のあるスキンヘッドという厳つい風体の彼は、アキラに問われて切なそうに表情をくもらせた。
「忘れられたのは悲しいが、あの地では俺も完全な味方ではなかったからしかたない。迷宮の奥で行方不明になられたので心配していました。ご無事で嬉しく思います」
「……迷、宮」
スキンヘッドの強面騎士になんとなく見覚えがあった。あのころはもう少し皺も薄く、表情も固く常に緊張していたと記憶している。
「思い出してもらえたか?」
何故ここに、と驚くアキラに、彼はイートス村からの報告でアキラ殿の名前を聞き、もしやと思い駆けつけたのだと言った。予定よりも早い先遣隊、しかも軍籍では上位にいるはずの彼が自ら駆けつけたのだと知って、アキラは冷や汗をかいた。
彼の名前は何と言っただろうか。熱の入った視線とかすかに弾む期待のこもった声色が、名前を問うことに罪悪感をおぼえる。
「……こちらに赴任されているので?」
「八年ほど前に王都に戻った。今は将軍職を務めております」
「将軍閣下でいらっしゃる」
「ジョージとお呼びください」
先遣隊ではなく将軍閣下の本陣がもう到着したのかと内心で焦るアキラに、ジョージはチクダムの花束を差し出されたときと同じ表情で懇願した。
「将軍閣下のお名前を気安くは呼べませんよ」
「竜を倒した魔術師殿に名を呼んでいただけるほどの幸せはありません」
「では将軍とお呼びさせていただきますね」
「いや、将軍は勘弁してくれ……俺はジョージ・カレントだ。名前が駄目なら姓で頼む」
「カレントさん、でよろしいですか?」
そこが妥協点だろうと諦めて、ジョージは頷いた。
「本陣を離れてもよろしいのですか?」
「そちらの到着にはまだ数日かかる。それでアキラ殿はこれから薬草採取ですか?」
村に到着したばかりのジョージは、取るものも取りあえずアキラの居場所を聞き出して駆けつけたらしい。軍のトップが職場を放棄して何しているのか。
「レッド・ベアの討伐ですよ。周期から外れた異常繁殖によって村が襲われる危険性があると聞き引き請けたのです」
「では残る二人はすでに討伐に? これは負けていられないな」
将軍自ら先遣隊として駆けつけ、軍営の設置を放り出して声をかける、その真意を探ろうと、アキラは作った笑顔を向けた。
「将軍が冒険者の真似事なんてしないでください。部下に示しがつかないでしょうに」
「いや、部下にアキラ殿との討伐を譲る気はありません」
「カレントさん、討伐よりも、まずはお務めを果たすべきではありませんか?」
迷宮都市に居た当時よりもはるかに面の皮が厚くなり、笑顔を振り撒くことに躊躇わなくなっているアキラは、見た目とはかけはなれた純情なスキンヘッドを蠱惑的な笑みと甘い声で籠絡する。
「……アキラ殿がそう言うのなら、軍務は今夜一晩で片付けてみせましょう」
「部下の方々を過労死させるのはやめてください」
「では明日から。そのかわり、今夜おたずねしてもよろしいか?」
膝を突いたジョージは、目を見張るアキラの手の甲に唇を押しあてた。
「そこに身を隠している二人にも確かめねばならないことがあります。夕食後に訪問いたします」
上目遣いにアキラを見つめる眼差しに、一瞬鋭い光が走る。
化かしあいは引き分けのようだ。
ジョージは丁寧な言葉と礼を残し、遠くに見える先発隊と思われる集団へと去っていった。
スキンヘッドがこちらの声が届かないほど遠ざかったのを確かめてから、アキラは背後の森を振り返った。
「何で出てこなかったんだ?」
「えー、そりゃ何かヤバそーなのがいたからに決まってるだろ」
「あいつ迷宮都市のスキンヘッドだろ、十数年じゃ顔を合わせるのは早すぎるしな」
こちらの会話が聞こえていたのなら何故助けなかったのだと、顔面に不機嫌を寄せ集めて睨みつけるアキラに、二人は土産の調査記録と待機中の暇つぶしに討伐したレッド・ベア二体を差し出した。これで機嫌を直せと誤魔化そうとする二人の爪先を、アキラは体重をかけてしっかりと踏みつけて溜飲を下げる。
「それで、彼の目的は何だと思う?」
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二人が討伐した二体のレッド・ベアは先発隊が買い取った。異常繁殖と大規模な討伐計画を報告された補給部隊の料理人らは、自分たちで食材を狩りに行かなくて良いと知って大喜びだ。軍は肉だけでなく毛皮も買い取りたいと積極的だ。真冬の行軍に防寒具はいくらあっても足りないのだから。
「熊肉、ウメー」
「肉のほうが多い芋と豆との煮込みってのは珍しいよなぁ」
「……せめて野菜の酢漬けが欲しい」
食堂に集まった男たちも肉たっぷりの食事に満足そうだ。明日も肉を頼むぞ、と何人にもに声をかけられた。本来の収穫仕事をサボっている後ろめたさがあったのだが、男たちはホウレンソウ三人の労働力よりも、満腹するまで肉を食べられる食事のほうが良いらしい。
割り当てられた宿舎に戻ってそれほど待つことなく、ジョージが土産と酒を手にやってきた。着衣は下級兵の軍服のままだ。どうやら彼は本隊が到着するまで、村人に身分を明かさないつもりらしい。
「あれから十三年経つというのに、シュウにコウメイも若々しいな。羨ましい限りだ」
「あんたは変わらねぇな。相変わらず輝いてる」
「褒められているように思えんな……そんなに警戒をしなくてもいいだろう」
「普通はするだろ。先遣隊に将軍が紛れ込んでるなんてありえねぇんだぞ」
コウメイは真正面からジョージを見据えた。先遣隊は本隊を迎え入れる準備のために派遣されるものだ。そこに身分を偽って将軍が紛れ込んでいる、しかもアキラを名指しして訪ねてきたのだ、警戒するなというほうが無理な注文だ。
「それを言うなら、ホウレンソウらの自業自得だぞ」
ため息をついたジョージは、三人が口をつけようとしない酒を飲んで喉を潤すと、それまでの軽い気配を一変させた。
「警戒せざるを得ない状況にあるのはこちらもだ。テルバウムとイートス村にいる連絡員から、他国の冒険者と魔術師が怪しげな行動をみせている、と報告が入った。時期が時期だ、ウェルシュタント国の間者ではと疑いヘル・ヘルタント軍が警戒するのは当然だろう?」
「間者……まさかそのような誤解をされているとは」
「本物のスパイは、敵国に見つかるような雑な仕事はしねぇだろ」
「誤解であればいいが……」
報告を受けた議会は、すぐさま諜報員の派遣を決めた。三人の目的を探るとともに監視をつけ、場合によっては捕らえて情報を吐かせるのだ。だが彼らの名前に聞き覚えのあったジョージは、竜を討伐できる三人を相手にするのは騎士でも荷が重すぎると考え、自ら交渉にやってきたのだと言った。
「腹を割って話し合いたい。アキラ殿は何の目的でこの地を探っておられるのだ?」
「……私たちはとある穀物を探しているだけです。戦力や地理を探っていたわけではありません」
「だがウェルシュタントの戦争の最終目的は、オストラント平原の穀物だ。一帯の生産能力を探っていたとも考えられる。間諜と思われて当然だ」
「そりゃねーだろー」
「心外です」
自分たちは米を探すためにこの地を訪れたのだが、確かに客観的に見れば、戦争のはじまる前にやってきて妙な理由で国境周辺を転々とし探りを入れる行動は、密偵と誤解されても仕方なかった。巡り合わせの悪さに、コウメイは顔を歪め、アキラは眉間を揉み、シュウが大きなため息をつく。
「カレントさん、俺らはただ故郷で食ってた穀物が欲しくて、ここにならあるかもしれねぇって探しに来ただけなんだ。諜報活動なんてやってねぇよ」
「それを証明できるのか?」
「証明ったってなぁ、どうやるんだよ?」
深魔の森に住まいのある彼らはウェルシュタント国民だ。国以外の組織に証明させたくとも、アレ・テタル魔法使いギルドとの伝手は断たれているし、ハリハルタの冒険者ギルドは後ろ盾としては弱い。それに依頼を受けてこの地に居るわけではないのだ、身元の保証はしてもらえても、諜報員ではないとの証明にはならない。
「故郷の穀物を探すとの理由で国境近辺を調査しているのではないか、と陛下は警戒している。ウェルシュタント国はこの冬の戦でオストラント平原を取りにくるつもりであり、そのための工作に派遣されたのではないか、とな」
ジョージの言葉に、三人はうんざりしたように顔を見合わせた。
「俺らは故郷に帰れねーんだよ。もう存在しねーんだ」
「……何を言っても裏目に出るのはわかりました。けれど私たちは本当に、ただ穀物を探したいだけなんです」
「それを証明できる物を持ってねぇ俺たちを、ヘル・ヘルタント国はどうするつもりだ?」
「この冬の戦いが終わるまで、我が軍の捕虜になっていただきたい」
捕虜、の言葉に、シュウの威圧が膨れあがり、アキラのまとう空気が冴え、コウメイの手が剣を引き寄せた。たがジョージ・カレントは、竜を打ち倒す三人の闘気をぶつけられても、将軍としての矜持からか、目を逸らすことなく耐えてみせた。
「俺たちを牢に封じ込めておけると思ってるのかよ?」
「思ってはおらん。だが捕虜とならないのであれば、存在を消さねばならん」
受け止めていた闘気を跳ね返し、ジョージ・カレント将軍は酒瓶を突き出した。
「あなた方三人の力は、我が軍を簡単に滅ぼせる。だが俺はアキラ殿を、コウメイ殿やシュウ殿をわずかだが知っている」
迷宮都市での数ヶ月の日々で、ともに戦い同じ町で暮らした経験から、ホウレンソウが対人戦闘を避ける傾向にあると、だが敵からの攻撃に対しては容赦ないことも、ジョージは知っていた。
杯に酒を注ぎ、ジョージは三人の目を順番に見つめた。
「無駄な殺戮はホウレンソウも本意ではないだろう?」
「だからっておとなしく投獄されていられるか」
「だがそうなると、我が国はウェルシュタント国に開戦を宣言するしかなくなる」
ジョージは上層部の意見が割れているのだと言った。
「毎年のように軍備を整え、少なくはない兵士を失い、一帯の国民に負担を強いてきた。ヘル・ヘルタントとしてはそろそろ決着をつけたいと考えているが、その落とし所について、二つの考えがある」
国境侵犯戦争をこちらから終結させるには、先手を打たねばならない。その口実として二派が対立していた。アキラを理由に宣戦を布告し一気に西ウェルシュタント国を自国に組み込みたいと考える派と、国境線を確固たるものにできれば良く、内政の充実のためにもこれ以上の国土拡大は必要ないと考える派だ。どちらも国境の死守と戦争の終結という目的は同じだが、そこから先が大きく違っていた。
「西ウェルシュタントを併合したいと考える派閥はウェルシュタントよりも早く開戦する口実を欲している。それには捕らえた諜報員が脱獄してくれなくては困るのだ」
すでにホウレンソウの三人は、ホリール村で捕らえたと王都に報告されているらしい。今夜のうちに逃走したとしても、村との契約を反故にして姿を消したことを、都合良く歪曲して宣戦布告の理由にされてしまうだろう。
「国境死守と内政充実を重んじる派は、三人からウェルシュタント軍の情報を聞き出し、確実な勝利を得た上でサンステンに仲介させ、大陸法に則った国境線の取り決めを各国に通告する計画だ。そうなればウェルシュタント国は今のように安易な国境侵犯を侵せなくなる」
有効な情報を聞き出すだけでなく、こちらに寝返らせて戦況を有利に運ばせる。拷問で足りなければ、奴隷の腕輪や傀儡魔術など、どんな手段を使ってでも敵国の密偵を寝返らせるつもりだ。
「……カレントさんは、どちらの派閥なのです?」
「俺はどちらでもない。命令によって戦う軍人だ」
「じゃあ何で素性を隠して俺らに接触したんだよ」
「迷宮都市の顛末をこの目で見ているからだ……もしも密偵と疑われた者らがホウレンソウであれば、あなたたちを利用しようとすれば、思わぬ方向に被害が広がると知っているからな。国益のためにも、国境近辺に平穏をもたらすためにも、互いに納得できる線を探りたいんだ」
だから密偵疑いのある三人が、ジョージの知る三人なのかを確かめるため、素性を隠し一兵卒のふりをして先遣隊に紛れ込んだ。
迷宮都市にいたころの彼も似たような行動をしていたなと、アキラは呆れ顔だ。
「それにしても、俺らは厄災扱いかよ」
「心外ですね」
「俺ら、何もしてねーのに」
コウメイは剣から手を離し、ジョージが注いだ酒に口をつけた。
「あんた将軍なんだろ、俺らに内情をぶちまけてもいいのかよ?」
「出し惜しみしては齟齬が生じるからな。最初に言っただろう、腹を割って話し合いたいと。妥協できる線を探らねばならんのだ」
ジョージの言葉に嘘がないとすれば、村を脱出しても、また留まり続けても、ヘル・ヘルタント軍に名前や存在を利用されて終わる。最悪、両国の敵としておたずね者だ。
「権力や政治とは距離を置いていたはずなのに、どうしてこうなるのだろうな」
「ったく、割に合わねぇよ」
「そのうち島以外に住める場所がなくなりそーだよなー」
それは嫌すぎると、三人は同時にため息をついていた。




